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2004年12月31日

icon暮れる


 うちの前だけ雪が残っているというのも世間の手前云々、などと思ったのが、間違いだった。竹箒でざざざざざざざざ雪を掃き散らしただけなのだが、腰は痛いし、咽も搦む。風邪の引き始めのような嫌な予感。こんな具合に、締まりのないまま、今年も暮れようとしている。
 家内が亡くなってからは、大掃除などしなくなってしまった。もっとも、していた頃だって、やいのやいの言われるから、仕方なしに手伝っていただけのことである。
 職があるわけではないので、仕事や年度の区切りなどというものもない。考えてみれば、特別な催しがあるわけではなし、年々、暮れや正月といったものの味が薄くなってきてる。年が明ければ、賀状の返事書きというものがあるけれど、それぐらいのものか。店を閉めているところが多かろうと、咽を干さぬことなきよう、食べ物の買い置きを多めにする、ということはある。万が一、訪問客がないとも断言はできないので、酒やつまみや茶菓子の類も少しは用意する。もっとも、稀に来る客は心得ていて、酒瓶をぶら下げて現れるものである。

 耄碌した頭で一年を振り返っても、何となくもこもこしていて、判然としない。齢を重ねて記憶や思考回路があやふやになることにもそれなりの意味があるのだ。つまり、思い出せない、という有り難き恩恵である。ろくなことなどあったはずがないのだから。酷い失敗をいっぱい仕出かしているに違いないのだから。毎年毎年、友人知人との別れがあるのだから。思い出せない、ということは、そういうありがたいものなのである。

 暮れはまだいいけれど、正月には寂しさが募るだろう。人付き合いは苦手な私だが、正月ばかりは誰か遊びに来ないかいな、などと思ったりもする。ああ、情けなや。結局、昼間から酒を呑むばかりと相成り、泥酔して日を過ごす。そういう今日も既に大分呑んでおります、あやふやな脳をアルコールに浸してますますあやふやにしながら。

友のなき 杯軽く 暮れ早し

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2004年12月30日

icon下手の横好き

というほどの熱意はないのだけれど、将棋を眺めるのが好きである。やるのではなく見るのが好きなのだ。ルールを知らないわけではない。いやいや、勿論、知っておりますとも。小学生自分にはよく将棋をやったものである。中学に入ってから、ぱったり止してしまった。何か特別な原因があったのかどうか、思い出せない。
 テレビでの放送は気がつけば見るようにしている。NHK杯は決着が早いので大好きである。老人がぶつぶつと何事か呟きながら嬉々として眺めている様は、さぞかし異様に映ることだろう。しかも、私は限りなくど素人なのである。画面に向かって、「おおっ」「なんと」「ふうむ」「いやはや」などと独り言ちてはいるものの、全く勝手な解釈をしているだけで、実際の盤面上での趨勢や指し手の好悪には殆ど関係ない。解説者の説明を聞いて、なるほどなあ、と漠然とは思うのだけれど、その理解さえ合っているのかどうか心許ない。それでも御当人は楽しいのだから、将棋の魅力というのは不思議なものだ。いや、私の脳みそのぼけ具合が不思議なのだと言うべきかもしれないが。
 名人戦などのビッグ・タイトルも面白くなくもない。ただ、あまりに長期戦なので、見ていて疲れてしまうのである。二時間もすると、手持ち無沙汰に耐え切れず、呑み始めてしまう。で、結局、勝負が盛り上がる頃にはうとうとしてしまっている。馬鹿げた話である。
 そんなものよりも、面白いのは、将棋の日の催し、お遊び的な大会である。あれこれと手を変え品を変え、普通では有り得ないような場面もたくさん現出し、楽しませてくれる。しかし、それよりもさらに面白いのは小学生名人戦である。小学生と侮るなかれ、見かけと中味は大違い。彼らの指す将棋は子供の遊びなんぞではなく、未来の名人への一歩なのである。そうは言っても、小学生であるからして、喜びも悲しみも正直に表情に出るのが良いところ。親ばか気味な家族の声援もご愛嬌。
 記憶に明確に残っているのは、やはり羽生少年のことである。頭に赤いベレー帽か何かを被って、ちょいと傾いたような姿。今と変わらないと言えば変わらない。がっちりした森内少年と対照的だったから余計に印象深かったんだろう。羽生少年に次いではっきりと覚えているのは渡辺明少年である。小学生の時の同級生の誰かに似ているような気がする、些かぷっくりとした頬がとても愛らしかった。その渡辺明が早くも竜王という大きなタイトルを手中にした。奪った相手が小学生名人戦の先輩森内だったのも何かの縁かもしれない。渡辺明竜王を記念したものが何か売っていないかと将棋連盟のホームページを覗いたけれど、さすがにまだ用意されてはいないようである。あれこれ見回して、羽生先生の紺染の小振りの扇子を注文した。もう扇子の季節はとっくに終わってしまいましたけれどねえ。

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2004年12月29日

icon恵子くん来訪09

 二人掛けのテーブルが形ばかり二つ、残りはカウンターだけの小さなスナック『白木』で古市と待ち合わせ。ママは小学校時分の同級である。
「茄子彦くんは、しばらくぶりよねえ」「そうですね、まあ、そうは言っても十年はたたないと思うけれどね」「最後に来たときは奥さんと一緒だったものね。きれいな外人の奥さんもらったのにも驚いたけど、あんなに早くに亡くなるなんてねえ」「まあ、生き死にってなものは人の力を超えたところで決まるんだろうから、しょうがないんだけれど、残念なことです。白木さんは、ご主人はお元気なのかい」「やたらに元気よ。元気すぎて困るぐらい。あら、変な意味じゃないわよ」あははははは、と高笑い。こういうところは、昔からちっとも変わらないな。小さいながらも繁盛して何十年も続いているのは彼女の、こんな朗らかさにあるのかもしれない。そんなことを思っているところに、古市が入ってきた。不動産屋の集まりがあったとのことで、一杯どころか、かなり引っかけてきているようである。白木さんを相手に軽口を連発している。水割りをぐびぐびと飲み、カラオケを始めた。「黒い花びら」だ。この男、酔うと必ずこれを唄う。しかも、唄い込んでいるだけあって、これがなかなかの腕前なのが、小憎らしい。曲の合間に「茄子彦、おまえも唄えよ」とマイクを使って怒鳴る。この狭い店に、三人しかいないのだから、大声を出さなくてもわかるってのに。呆れる以外に何ができよう。
 酒の勢いは留処ないようで、休むことなく歌が続く。七十過ぎても、なお、この体力。驚く、というより、恐ろしい。周りのことは気にせずに、小一時間ほどひたすら唄ったところで一段落したのだろう、マイクを漸く手放した。
「茄子彦、高部の妹の話だけどな、死んだ日はあれで間違いないようだ。あっちこっちに確認してみた。ポストに残っていた新聞や郵便物、電話の記録、検死、全部同じようなものだよ」酒に溺れて忘れてしまっているのかと思ったら、ぼそぼそと話し始める古市だった。「そうか。手間を取らせてすまなかったなあ」「気にするなよ。こんなことは、おれにしてみりゃ、どうってことないんだから。不動産屋なんてやってるとさ、妙なことにであう確率が高くてね。五十年もやってりゃ、変死事件にだっていくつも出くわしたよ。知らなくて済むなら知らないで済ませた方がいいってことだって、世の中にはあるんだよ」物知り顔でそう言うと、白木さんを誘って、「銀座の恋の物語」を唄い始めた。七十年も生きていれば、人は色々な年輪を重ねているものなのだな、と今更ながら、感じ入る。ありがとう、古市くんよ。

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2004年12月28日

icon恵子くん来訪08

 恵子くんが亡くなった日と私が最後に会った日の辻褄が合わないのが、まだ気にかかる。本人は既にこちらの世界にはいないのだし、自宅で静かに独りで亡くなったということであれば、日を特定することが難しかろうことは想像に難くないし、そもそも、特定することに何か意味があるのかと問うてみれば、そこには大きな意味があると言い張る何ものもない。だが、しかし、それでも気にかかるのだから、困ったものだ。家に籠ってやきもきしていていても埒が明かない。古市に電話することにした。
「おう、なんだ、珍しいな」「うん、実は、恵子くんのことなんだよ。詳しい事情は君に聞けって言われたものだから」「高部の妹のことか。ちょっと酷い話だからなあ。あんまり気が乗らんよ。やっぱりね、独居老人ってのは大変だよ、うん。うちが扱っているところにもさ、結構、独居老人さんがいてね、高部の妹の一件以来、事務の若い子に週一で声をかけて回るようにさせてるよ。いや、ほんと、そうでもしないとね。そういや、おまえも独居老人だよなあ、あはは。ああ、すまん。笑い事じゃないな。うちの若いやつにおまえんちにも毎週声かけさせようか」「いやいや、それは遠慮しておくよ。しかし、そうか、君が気乗りしないというぐらいだから、さぞかし大変だったんだろうね。可哀想なことをしたね。残念だ」「ああ、残念だな。もっといろいろ知りたいのか。電話じゃまどろっこしいなあ。今晩はちょいと忙しいから、明日はどうだ。久し振りに一杯やろうや」
 ということで、結局、飲む約束をして受話器を置く。

 夕刻、若先生のところに出向き、薬をもらう。朝晩、飲む薬包がひとつずつ、毎食後に錠剤を十ずつ。随分前に、それぞれ、どんな薬なのかを教わったのだが、一々覚えているわけもない。こんなにたくさんの薬を飲み続けてどうなるものか、と時々は思うものの、今更、あれこれ自分で調べてみたりする気力もなく、与えられるままに服用するばかり。確かなことは、この薬を飲み続けても、飲まなくても、遅かれ早かれ、どうせそのうち死が訪れるってことである。それは私に限った話ではないけれど。

投稿者 nasuhiko : 07:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月27日

icon日和見の忘年会

 数少ない、というより、今年唯一の、忘年会に出席した。本日は、常連客のみの内々の会ということで、一般のお客さんはいない。馴染みの顔が並んでいる。もっとも、馴染みといったって、全員と親しいわけではない。当たり前だ。それとなく目礼したり、たまさか時候の挨拶を交わしたり、日本の愚劣でお粗末な政治に不満を漏らし合ったり、という程度の付き合いの人が、私にとっては殆どである。つまり、女将を介して、お互いに何とはなしの知り合いとなっている、まさに顔見知りとでもいうような。道端で昼日中に出会すと、何と挨拶するべきか戸惑うような関係とでもいうべきか。勿論、中には、田村師匠や是田大師匠のように、懇意にしていただいている人々もいるけれど、社交的とは程遠い私の如き老人には、長年通っていてもそれほど多くの知人ができるものではないし、そもそも、そういう目的で通ってきているわけではない。

 私が、ブログというものを始めたということは、『日和見』の常連客の間にはすっかり知れ渡っているようである。ここで酔っぱらっていた席上でのやり取りを発端にして、おむすびころりんころころころりんというような具合に転がり転がされ、あれよあれよという間に今日に至ってしまったのである。女将や田村師匠に乗せられてしまった、という感が無きにしもあらずだが、時によっては些か負担に感ずることがあるにせよ、気づいてみれば、それなりに打ち込んでいる私がいる。そう長くはない残りの人生において、何というのか、兎にも角にも、私というものが在る場となっていて、今では我が生活の確かな一面となっていることは間違いない。

 この店の忘年会に参加するのは何度目になるのか、記憶定かではない。今年は今までとは様子が少し違った。顔を見知っているだけという人々が、「たまに読んでますよ」「今日のことも書くんでしょうね」などなどと声をかけて下さった。嬉しさ半分、照れ臭さ半分、どぎまぎあたふたして満足にご返答申し上げられなかった御無礼の段、平に御容赦のほどを。

投稿者 nasuhiko : 10:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月26日

iconボクボク2


 木澤くんから電話がある。
「君んとこに、オレオレ詐欺みたいな妙な電話がなかったかな」ありゃありゃありゃ「なにゆえ、それを知っているんだい。まだ誰にも話してないんだよ」それにブログのことは同級生の連中には伏せてある。
「いや、なにね。うちにも怪しげな電話がかかってきたんだよ。もっとも、電話に出たのは息子なんだがね。夜になって、古市や白島から電話があったのさ、うちにオレオレ詐欺の電話がかかってきた、テレビで見たのとおんなじだって、さ。連中、すっかり盛り上がっていますよ。まるで、自分がニュースに登場したような気分でいるんじゃないか。まあ、とにもかくにも、そんなことがあって、どうも、同窓会の名簿を使ってかけているんじゃないかって話になってね。君のところはどうかな、と思ってね」
「かかってきましたよ。かかってきましたとも。騙されるというより、最初はわけがわからなかったけれど、何しろ、うちには孫どころか、こどももいないんだからさ、騙されようがない。百歩譲って騙されたとしても、自由になる金なんざ、ありませんよ。はっはっは」「何はともあれ、被害に遭ったやつはいないようで、何よりだ」
「ところで、高部の妹、恵子くんの件だけれどね。亡くなったのは十一月の初めだっていうのは間違いないのかい」「古市はそう言っていたけれどね。気になるなら、自分で電話してみたらどうだい。ぼくはちょっと他にも電話してみるから、じゃ、また」

 それにしても、年の瀬になると犯罪が増えるというのは本当なのだろうか。何とかして金を手に入れねば、年を越せない、という逼迫した状況に追い込まれているのか。それとも、クリスマスだ、忘年会だ、と浮かれている人々の心の隙を突こうとしてのことだろうか。私の場合、『日和見』の忘年会があるだけで、暮れだからといって特別な催しがあるわけではない。
 まだ若かった頃には、クリスマスにはシンガーズ・アンリミテッドの名盤『Christmas』をかけて、マリと二人で六本木のクローバーのミルフィーユを食したものである。数年前、ふと、クローバーを覗いてみたことがあったが、既に、メニューからは消えてしまっていた。マリと過ごした大切な想い出が磨り減ってしまったような、悲しい気持ちになったのを思い出す。
 今夜は、暫く振りに『Christmas』をかけて、キャンティの赤を開けた。私はいったい何に乾杯すればよいのだろうか。

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2004年12月25日

iconボクボク

 静かな午後だった。それを破ったのは一本の電話である。二時頃だったろうか。「はい、惚山でございますが」と型通りの文言で迎えると、受話器の向こうから泣き声が聞こえる。引き摺るようにしゃくり上げる合間に「ボクだよ、ボクだよ」と訴えかける。そうは言っても、私に向かって「ボクだよ」などと名乗る知り合いはおらぬわけで、何が何だかちっとも訳が判らない。と、突然、別の人物が出た。「○○保険の柿元と申します。実は、お孫さんが事故を起こされまして、ただいま、現場にかけつけたところでおございます。しかたがないことですが、大変動転なさっていらっしゃってですね、この電話番号を聞き出すのがやっと、というような状態なのです」「はあ、何だかわかりませんが、それは大変でございましょう」と状況が飲み込めないまま相槌を打つ。「それでですね、双方ともに怪我は大したことないのですが、先方のベンツが大破しまして、補償問題、弁償問題ということになっているわけです。お孫さんが自分では払えないし、親御さんには知られたくない、ということで、そちら様に連絡させていただいているわけなんですよ」
 いくら私が耄碌じじいであるにせよ、漸く理解できた。何たることか、これは世に言うオレオレ詐欺なるものに違いない。何しろ、私どもには子どもがいないわけで、当然、孫などいるわけがない。騙そうとされているのかとわかったら、頭にかーっと血が上って、自分でも顔が赤らんでいるであろうことがわかるほど、老いて硬直気味の血管が切れてしまうのではないかと懸念されるほど。だが、一呼吸して冷静に考えてみれば、こんな面白い機会はなかなかあるものではないわけで、騙されている振りをしてもう暫く相手をしてやろう、という気になった。あわよくば、尻尾を捕まえて警察の捜査の手助けになるようなことでも聞き出せないか、と気分はすっかり俄探偵である。
「不幸中の幸いと申しますか、むしろ、運がよろしい。怪我は擦り傷程度ですしね、何しろ、先様が大変寛大でいらっしゃる。ベンツの修理代さえ出してくれれば、すぐに示談で済ませくださるとおっしゃっています。警察介入となりますと、取調室で事情聴取はありますし、軽傷とはいえ過失傷害などもろもろの罪に問われて、場合によっては交通刑務所に入れられてしまう危険性だってあるのですが、お孫さんがまだお若く、将来があるだろう、ということで、示談で済ませてくれる、というのです。ありがたい話ではないですか」「いやあ、それは、ありがたい話ですなあ」「そうでしょう。そうでしょう。それでですね、早速、修理代を振り込んでいただきたいのです。××銀行の大宮支店、口座番号は××××、名義は××××です。振込金額は四百五十万円です。きちんとメモしてください」と畳み掛ける口調である。「いいですか、繰り返しますよ」と銀行名や口座番号を告げる。「はあ、はあ、メモはしましましたけれど、銀行で振り込むときにわからないことなどあると困りますから、そちら様の連絡先を教えて下さい」「いやいや、出先ですから、そちらから連絡はつきません。大事なのは、メモしたところにすみやかに四百五十万円を振り込んでいただくことです。わかりますね。お孫さんが警察に連れていかれてもいいんですか」と語調が強くなる。苦しくなると高圧的に出てくるわけだな。テレビで見た通りの展開に思わず笑いが込み上げ、我慢していたら咳き込んでしまった。老人のひぃひぃといったしわぶきの音に驚いたのか。「大丈夫ですか」と問い掛けてくる。「とにかく急いで銀行に行って下さい」如何にも焦っている様子が窺える。溢れ出てくる笑いを堪えながら「あのお、すみませんが、もう一度、ボクに電話を代わってもらえんでしょうか」すると、また半泣きの若者の声で「おじいちゃん、ボクだよ、ボクだよ。お願いだから、早くお金を振り込んでよ」と訴えかける。そろそろぼけ老人の本領を発揮することにしますか。「あのお、お宅様はどちらのボクさんですか。それにしても、今日も寒うございますなあ。ボクさん、こういう日は腰がどうもね、痛みますな」そんな昏迷著しい返答をしていると、電話の向こうではごにょごにょと相談が始まったようであった。程なく、電話は一方的に切られた。
 意外にあっさりした結末に些か物足りなささえ感じた被害者予備軍の私である。

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2004年12月24日

icon恵子くん来訪07


 昼間から酒を呑むのが常態のようになってしまっている。鬱々とした気持ちから離れられないからである。酒を呑んだからといって、辛気の病から開放されるわけではないのだが、気がつくと、手を伸ばしている耄碌じじい。もっとも、こんな時でも、澤乃井は裏切らない。陰々滅々鬱々していながらでも、美味いものは美味い。

 最後に恵子くんが訪れたときのことを振り返る。十二月の初めのことである。そう遅くない午後にやってきて、静かに杯を酌み交わしたのであった。暗くなる前に帰っていく彼女の後ろ姿に、夕陽が紅く降りそそいでいた。明確に記憶に残る光景である。故人の最後の記憶が美しいのはありがたいことである。
 しかし、よく考えてみると、矛盾があるのに気づいた。彼女は十一月の初旬に亡くなったはずではなかったか。そんな馬鹿な話があるだろうか。慌てて、日記をひっくり返すと、やはり、来訪したのは十二月の三日のことである。亡くなってから、一ヶ月してからやってきたというのか。情報通の筈の古市も意外に当てにならないものだな。いや、それより、検死の判断があやふやなのかもしれん。しかし、ポストから引き出されていない新聞の日付から死亡日を特定したと言っていたのではなかったか。わからない。アルコールに浸り切った脳みそで考えたって、何も導き出せはしないだろう。取り敢えずここは一旦疑問を打遣っておくことにしよう。

 ぼんやりと独りで飲み続ける。

 酔った勢いでカメラを持って、カシャカシャとあれこれを撮影する。どこからかクリスマスの音楽が幽かに聞こえる。

 針葉樹の多くは冬になっても緑を失わない。濃い叢雲に月が覆われ、闇に包まれた夜にもその緑は失われない。光がなければ目には見えない、という、ただ、それだけのことである。

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2004年12月23日

icon恵子くん来訪06


 両親が何となく無宗教的だったために、私自身には信仰する宗教はない。だからといって、肩肘張るような信念を持っているわけではないので、神社や寺、あるいは、教会なぞに足を踏み入れて、然るべくお参りするのを厭うことはない。寧ろ、何かのついでに通りがかれば、あれこれと覗いてみるに吝かでない。
 家内はクリスチャンだったけれど、私と添うようになってからは、比較的融通の利く、言ってみれば、些か日本的な、緩やかな信仰者となっていた。当然、我が家には仏壇や祭壇のようなものはない。マリに話しかけたり、何となく手を合わせたい気持ちになったときには、写真立てに向かうことにしている。

 恵子くんは親類の手でしめやかに密葬されたそうである。高部家の墓に入るのだろうか。彼女が独りで死んでゆき、そのまま何日も何日もみつけられずにいたことを考えると、どうにも遣る瀬ない。死は誰もに個別に訪れるものであって、おてて繋いで死んでいくというようなことはない。仮に、全くの同時刻に同じ場所で重なるように死んだとしても、それぞれの死はそれぞれのもので、別々の死である。何がどうあろうとも、まさに、死ぬ時はひとりぼっち、なのである、本質的に。
 死後発見されるまで静かに書斎に横たわっていたことも、本当は悲しむべきことではないのかもしれない。何しろ、彼女自身は亡くなっていたわけで、そこには屈辱も無念も、如何なる感情もあるはずがないのではないか、と。
 そんなことを考える。頭ではそのように考えるのだが、感覚はそれを受け容れず、恵子くんが可哀想で仕方がない。思い浮かべるとついつい涙が零れ落ちる。七十を越したじじいの泣きっ面なんざ、見られたものではない。見られたものではないけれども、止めようがない。それに、そもそも誰に見られるわけでもないのである。零れるに任せよう。

 寒空に咲く黄色い花をみつけた。一つ一つの生命には死がつきまとうものではあるけれど、地球という生は途切れることなく、生き続けるのである。今日も、そして、恐らく、明日も。

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2004年12月22日

icon恵子くん来訪05


 木澤くんから聞いた話を反芻している。反芻というような表現が適切なのかどうかは兎も角も。

 恵子くんが亡くなったのは、かれこれ六週間ほど前になるそうだ。十一月の初旬ということになろう。正確な日付はわからない。というのも、彼女は生涯を独身のまま過ごし、実家に独居という身の上だったからである。最近では、親類縁者との交流もあまりなく、真面目で地味な性格であったせいか知人も多くなかったようで、数年前に教壇を離れてからは、連絡を交わす相手は数えるほどでしかなかった、というより、殆どいなかっただろう、とのこと。その彼女が書斎で倒れ、そのまま死に至ったのだという。検死の結果、脳卒中が死因とされているようである。恐らく、彼女自身は何が起きたのかもわからぬ間に、苦しむことなく静かになくなったのではないか、とのこと。これが木澤くん宅を訪れた古市が齎した情報である。代々の不動産屋で良男くん宅の近所にも知り合いが多く、役所や警察などにも顔が広い。なるほど、あいつならこれぐらいの情報収集が可能なのだろう。
 苦しまなかったであろう、ということが不幸中の幸いではある。けれども、訪うものがなかったために、発見されるまでに二週間ほど経過してしまったというのが何とも痛ましい。死亡の日付はポストから溢れていた新聞から推定されたようだ。学生時分に慣れ親しんだ高部家の玄関に新聞や郵便物がばらばらとこぼれ落ちている図を想像してしまう。

 考えてみれば、私自身も独り暮らしの老人である。いずれ同じ道を辿る可能性も少なくはない。身に滲みる話である。私のような老人に限らず、東京には学生さんだの何だのと、独居する人が多いはずだ。今まで身近でそのようなことがなかっただけで、この町のどこかで、毎日、繰り返されるありふれた光景なのかもしれないなあ。しかたないこととはいえ、何とも寂しい気持ちになる。

 身も心も寒々とする、物悲しい年の瀬となってしまった。

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2004年12月21日

icon恵子くん来訪04


 木澤くんが寛大な心の持ち主で本当に良かった。
 持参した金時あられを怖ず怖ずと差し出して、丁重に丁寧にお詫びした。
「申し訳ない。すっかり動転していたもので、わけもわからず、気がついたときには、電話を切っていたんだよ」
「まあまあ、気にしなさんな。人の生き死にの話となれば、びっくりするのも仕方がない。君は恵子さんとは今でもつきあいがあったんだからね、なおさらだろう」
「つきあいがあると言っても、賀状のやり取りぐらいのもので、実際に会うのは何年に一度かってな程度のことでね。たまたま、つい先日も彼女がぷらっと寄ってくれて、二人で高部の想い出を肴に一杯二杯傾けたところだったもので、どうもね、亡くなったなんて急に言われて混乱してしまったわけですよ。無様な姿をお見せしてつくづく申し訳ない。考えてみれば、昔から君はおれのような偏屈にも寛容だったね」
「何にしても、精進落としでも言うのか、供養だと思って、一杯やろうじゃないか」
 そんなわけで、呑み始める。恵子くんと良男くんの想い出を語り合う。奥方も最初は同席していたけれど、酔いが回って、話題が、同級の連中の噂話から小泉極悪政権や近頃の物騒な事件の数々などに及ぶに至り、いつの間にか彼女は座を外れていた。この場で泥酔してしまっては、何をしにきたのかわからなくなってしまう。程々のところで切り上げて、家路につく。家路といったって、十分ほどの距離でしかない。ぶらぶらと歩きながら、道行く人々を眺める。老人とは色が違うね、衣類や自転車、何もかも。勿論、真っ赤な服を着て真っ赤な鞄を持って真っ赤な自転車に乗っているような人がいるわけではない。けれども、どこかしら、我々老人とは色が違う。だからどうなんだ、ということではないけれど。
 おんぼろ我が家に近づいた。遠くから眺めると、やはり、家までも老人の色である。と思ったが、庭の隅にちらりと鮮やかに桃色の花が咲いている。近づいてみると、些か元気がないようではあるものの、午後の遅い光の中で彩度が際立つ美しさだ。この花を恵子くんに供えよう。

投稿者 nasuhiko : 11:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月20日

icon公孫樹


すべての葉を落とし
風の中に立ち尽くす
すべての葉を落とした君は
屹然としていながら寒々と
屹然としていながら白々と

それは仮の姿に過ぎぬのだ
やがてまた瑞々しい緑髪に覆われる
仮の姿で待つばかり
今はただ漲る力を内に秘め春が来るまで
今はただ冷たい風が吹き過ぎるのを

ところで、君と一緒に見送った彼の乙女は
旅立ってしまった
もう、戻らない

さようなら

投稿者 nasuhiko : 10:16 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月19日

icon恵子くん来訪03


 恵子くんの訃報に打たれ、昨晩は胸苦しくなかなか眠ることができなかった。眠るためだから、と呪文のように唱えながら、澤乃井を注いでは干し注いでは干し注いでは干し。酒の力というよりも、力尽きて、いつの間にか眠りに落ちた。
 目覚めると、訃報に圧される苦しみと宿酔の苦しみとが重なり合い、悲しさと気持ち悪さとが綯い交ぜの何とも遣る瀬のない鬱屈した気分。床の中でぐずぐずしているうちに午後になってしまった。
 のそのそと起き出して、恵子くんのこと、さらに、もっと前に亡くなってしまった良男くんのことを思い出す。どんどん負の方向に針が振れ、終いにはマリの死を悼み、涙が零れる。マリよ、マリよ。

 省みると、昨日の木澤くんへの非礼に目の前が暗くなる思い。胸の奥が痛い。私というじじいはこんなに齢を重ねても、未だに幼児並に堪え性のない困った人間だということをつくづく思い知る。動転して、電話を、それこそ、叩き切るようにしたわけであるけれど、冷静になればニハトリでもわかるように、木澤くんには全く罪はない。罪がないどころか、私の如き我儘で満足に人付き合いもできぬような老耄の人間に思い遣りの手を差し伸べてくれたのであるからして、感謝されこそすれ怒られるべきことなど何もない。申し訳ない。恥ずかしい人間だ、私は。こうして、七十年以上も生きてきたのかと考えると、それは正に生き恥の歴史ではないのか。そして、その恥ずかしさや胸苦しさ、悲しみや悼みの何もかもを少しでもいいから、念頭から引き離したいがために、酒に溺れる。何と愚かな、何と愚かな人間なのか。だが、しかし、そう思いながらも、酒を呑まずにはいられない。呑まずにはいられないのである。

悼惜の杯受けよ 枯木立

投稿者 nasuhiko : 09:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月18日

icon恵子くん来訪02

 この歳になれば当たり前のことではあるけれど、突然の連絡の中に、訃報や病状報告が増えてくる。過半がそのような陰気な話題だと言っていいだろう。
 人間はどんなことにでも慣れる動物である、と言ったのはドストエフスキーだったろうか。慣れる動物、確かにそれはそうなのであろうけれども、特定の事物に慣れるということとその事物から受ける衝撃や感動がなくなるということは別の問題だ。そもそも、受け取り方が変化するのは当然だ、何しろ、私たちは刻一刻と新しい私へと変化し続ける存在なのであるからして。御託は兎も角として、何度聞いても慣れられないし、慣れたくもない事柄が存在するのは事実である。それは嬉しいことであったり悲しいことであったり様々だけれど、私はこんなじじいになっても、まだ訃報には慣れられないし、慣れたくもない。

 午後になって、木澤くんから電話があった。彼とは中学の時の同級である。かれこれ六十年ほどの付き合いになるわけだ。そうか、疾うに半世紀を越しているのだな。賀状や暑中見舞いのやり取りはある。また、近所に住んでいるので、道端で擦れ違って、最近はどうだね、などと立ち話をすることはある。けれども、その程度のつきあいなのであって、日常、電話のやりとりは、まず、ない。そもそも、私は同級生の間でも偏屈で付き合いにくいと思われているはずだし、電話嫌いでも有名なはずだ。マリがいた頃には、自分で電話に出ることなど滅多になかった。考えてみれば、外部との接触に関しては、かなりの部分でマリに依存していたのであった。
「近頃はどうだい」と当たり障りのない木澤くん。
「まあ、あまり変わらんね。そちらこそどうですか」
「こっちもあまり変わらんよ。ところで、古市から聞いたんだけどね、高部の妹が亡くなったらしいよ。何か聞いているかい。高部が死んだ後も君とはつきあいがあったんじゃなかったかい」
 言葉が出なかった。恵子くんは先日訪れてくれたばかりではないか。一緒に杯を重ねたばかりではないか。
「どうした。聞こえているのか、茄子彦」
「うるさい」
 結局、出てきた言葉はそれだけで、がしゃりと受話器を置いた。

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2004年12月17日

icon男の料理08

 コチュジャンに大満足、わかめスープにほぼ満足している私である。本日は、冬におすすめですと書かれている、大根の炒めナムルなるものに挑戦した。毎度お馴染み『作ってみたい・韓国料理の本』の十六頁。買ってくる必要があるのは大根だけで、残りのものは全て間に合っている。と思ったのだが、料理し始めてから、我が家には薄口醤油がないことに気づいた。まあ、色が濃くなったとしても美味ければそれで良い。濃口醤油のまま続行である。
 どの工程も特に難しいということはないのだけれど、最初の、大根を斜め薄切りにして千切りにする、というところに引っかかる。最終的に千切りにするのであれば、その家庭で斜め薄切りであろうが、通常の輪切りの薄切りであろうと、変わりがないように思うのだが、それは素人考えというものなのか。特別な解説がなされていないということは、もしかすると、これは料理界では常識の部類なのだろうか、と訝しむ。そうは言っても、ここで立ち止まっていては埒が明かない。この疑問は、誰か詳しい人に預けるとして、料理を続けた。わずか二十分ほどで完成したのだが、これがなかなかに美味い。私としては、少しく甘味と辛味が加わるとより一層美味くなるのではないかとも思うけれど、このくど過ぎない味は、酒を美味く呑ませるための秘訣かもしれないと思い至る。それにしても、大蒜とごまとごま油の香りが絶妙で、食欲を誘いますなあ。香りこそが韓国料理の神髄なのやもしれませぬ。
 なかなかのできに満足して、折角だから、と、田村師匠に電話してお誘い申し上げたが、本日はライヴハウスにて何かの活動がある、とのことで辞退されてしまった。誰かに食べさせたい、と思うあまり、『日和見』に持参する。

「どうです、私が作ったのですよ」
「あら、おいしいわね」にこりと即答する女将。それには営業用の微笑みが含まれていたのか否か。それは私には判らないし、一流の客というのはそういうことを判ろうとしてはいけないものである。素直に喜ぼうではないか。

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2004年12月16日

icon夜に吹く風


 昨晩のわかめスープに気を良くして、本日も新作に挑戦しようと張り切っている。昼過ぎから、はらりはらりと『作ってみたい・韓国料理の本』を捲り、ついでに、田苑を一口二口、あらあらどうしたことか、三口四口、と。そんなことをしているうちに、結局、大幅に呑み過ごして、気がつくと眠ってしまっていて、深夜になった。

 窓を開けて、穏やかだが凍てつく風を浴びる。闇夜に吹く風は、庭の隅から、木の上から、厠の窓ガラスの隙間から、といった具合に、あちらこちらから、静かなさざめきを響かせる。酔いを醒ますに程好い冷たさだ。透き通って邪念がない。この瞬間だけは雑事を忘れ、風月を友とするような気持ちになる。

 田村師匠がこの老いぼれ用にデジタルカメラを買ってきてくれたことを思い出した。COOLPIX 5200という代物。今までは借り物で賄っていたのだったが、新品の自前のカメラとなって、少しく気分が違う。お借りしていた師匠のものと比べると、機能も格段に良いそうである。まだ、大して使っていないし、そもそも私の乏しい力量ではカメラの性能の良さをどこまで引き出せるのか、大きに不安ではある。しかしながら、師匠の言によれば、この手のデジタル製品群は新しいほど高機能であり、しかも、それなりにこなれていて、素人が使っても何とかなってしまうものなのだそうである。
 内容は兎も角も、まずは外観。この金属的な機械っぽさを残しながらも青いボディがいかしているではないか。手の中にすっぽりと収まる、この小洒落たデザインの一品、何だか活躍してくれそうな予感がしてくるというもの。

 今までは夜間の撮影に成功したことがない。今夜はどうだろうか。青いカメラの真価や如何に……と言っても、失敗したら、私のせいなんでしょうけれどもね。

 皆様にはこの写真から冬の夜の風のさざめきが感じ取れますでしょうか。

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2004年12月15日

icon男の料理07

 自家製コチュジャンに取り憑かれたかのような状態の私である。冷ややっこにつけてみたり、餃子につけてみたり、出来合いのサラダにつけてみたり、面倒くさくなれば、そのまま箸につけてぺろりとやって、田苑をぐびと呷る。ううむ、うまい。そして、辛い。実のところ、その辛さは少々度を越していて、少々過ごすと翌朝は厠で悶絶すること必至。『日和見』でそんな話を田村師匠としていたところ、おかみから助言があった。「甘口の唐辛子ってものがあるのよ」「甘口の唐辛子なんて、そんなばかな」「信じなくてもよくってよ」と畳み掛けられる。
 家に帰ると酔った頭ですぐさま検索である。今日もまたグーグル様々だ。「料理用唐辛子」なる代物がみつかった。そこには、確かに「甘口」と記載されている。ううむ、世の中にはまだまだ思いもよらないものがあるものである。次回はここで注文しようと、目印代わりにアフィリエイト。ふふふ、じじいも賢くなったものよ。

 さて、コチュジャンばかりでは料理の世界へ進出したとは言えるはずもないのは自明のこと。そこで、本日は「わかめのスープ」に挑戦した。例の『作ってみたい・韓国料理の本』の七十頁に載っている。こいつがまた頗る簡単なのである。材料もあっという間に揃う。いや、わかめを買ってきただけで、残りのものは元から我が家にあるものばかり。ここにあるぐらいだから、一般のどんな家庭にだってあるに違いない。しかも、実際の調理も気楽にこなせる、ほんの十分強か十五分か、孰れにしても、その程度である。コチュジャンに麻痺した舌には辛さと塩分が些か不足しているようにも感じられるが、味そのものはなかなかの出来である。酔い醒ましに最適に思える一杯となった。
 簡単でうまいものを次々に覚えられるなんざ、幸せな話である。チョ・カムヨンさん、どうもありがとう。今日も楽しく食させていただいておりますぞ。

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2004年12月14日

iconトラックバックって

 ブログというものを始めて暫く経つ。近頃では他人様のブログというものを読んでみるようになった。その他人様のブログと自分のブログを結びつけるのがトラックバックという仕組みなんだということは朧げにはわかっていたのだけれど、いざ、じゃあ、やってみるか、という段になると、わけがわからず、結局、腰砕けの軟弱じじいは尻を捲って逃げ出すばかり。情けない。
 しかし、昨日はいよいよトラックバックというものに挑戦してみたのであった。うまくいったのか、いかないのか、実のところ、よくわかっていないのだが、特にエラーだとか文句だとかがあらわれないというところから考えて、成功したのではないだろうかと思う。いやいや、そもそも挑戦することが大事なわけで、仮に失敗していたとしても、また挑戦すればいい。ふふふ、私もなかなかこなれてきたね。なんてね。

 ブログというものは、インターネット上での日記のようなものなのだ、というような説明がなされること屡々だが、実のところ、帳面に萬年筆で綴るものとは全く異質なものである。本来個性的な筆跡が整ってはいるが没個性的な活字で表示されたり、デジタルカメラで撮った写真をすぐさま載せたりできる、ということだけでも大きな違いである。まだ私は実現していないけれど、音楽を鳴らしたり、映画のようなものを見せることさえできる(はずである)。しかし、一番の相違点は、インターネットができる人なら誰でも読めるべく公開されている、というところであろう。紙の日記帖は誰にも読まれないという前提で書くものだけれど、ブログというのはそもそもが誰もが読み得るものなのである。というか、誰かに読んでもらいたい、という気持ちが幾許かはあるところから始まっているものであろう。現実問題として、私のブログを読んでいる人がいるのかどうかは不明だけれど。
 更なる違いは、トラックバックにある。トラックバックというものを利用すれば、自分の日記が他人様の日記と繋がってゆく。その他人様の日記がまたまた別の人の日記に繋がり、さらにその日記が……となっていけば、私の、この、今、現在殴り書いているものさえ、海の彼方の人々と(あるいは、隣近所の人々とだって)繋がってゆくということになるのか。そう考えると、楽しいような、無責任なことを書くのが憚れるようで心配になるような、何とも不思議な気分である。そんな不思議な気分に包まれたまま、今日もまた他人様の日記を覗くすけべじじいである。

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2004年12月13日

iconアフィリエイトなるもの

「どうです、日記の具合は」
 昨晩の田村師匠である。
「なんだかんだ言って、少しずつ少しずつですが、慣れてきましてね。特に苦労するってこともありませんが、普通の帳面に綴った日記を翌日か翌々日か、あるいは、もっとあとになって、コンピュータに載せるわけで、多少、混乱することがありますな。話が前後したりしていないか、と気になったりもしますが、まあ、そう真剣に読んでいる人もおりますまいし、そもそも順序がとんちんかんであろうとも、誰かに迷惑をかけるわけでもないし」
「そりゃそうですね。ところで、ブログにも慣れてきたということですから、今度は、アフィリエイト・プログラムというものに取り組んでみては如何がですか。仕組みを話せば長くなりますが、要するに、茄子彦さんのホームページに広告を載せて、ささやかな広告収入を得る手蔓とするとでも言えばいいのですかね」
 何だか判然としない話である。顔にそう書いてあったのだろう。
「広告をつけて、金儲けをしよう、というような感覚ではないのです。インターネットの仕組みに……経済的な部分にってことですけれどね……より深く参加するというようなところでしょうか。それで、少しはお小遣いが手に入るかもしれない。もちろん、手に入らないかもしれないですけれどね。いずれにしても、自分もこのネットワーク社会の一部なんだなあ、と実感できるようになりますよ」とふふふと微笑む。
 結局のところ、判然としないままである。家に帰ってから、あれこれと検索していろいろなホームページを読んでみたら、何となくわかったような気がしてくるから不思議である。なかでも「アフィリエイトの始め方:アフィリエイト体験記」では私の如き入門者にもわかりやすく書かれている。先陣のご配慮、誠にあ有り難し。
 それにしても、グーグルというものは便利なものだなあ。

 兎にも角にも、師匠の技術的援助を仰ぎながら、アフィリエイトなるものに挑戦する、耄碌じじいここにあり。

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2004年12月12日

icon603

 私の如きじじいともなれば、衣食にかかる費用など大したことはない。住に関しても、相続時に切り売りせざるを得なかったとはいえ親の土地を受け継いだものがあるので、贅沢をしようなどと思わなければ、さして費用がかかるわけではない。もちろん、仙人ではないのだから、霞を喰って生きるというわけにはいかないのは事実であるからして、当然、毎日毎日に幾許かの掛かりが入り用ではあるけれど。

 公僕という言葉は近頃では滅多に聞かれなくなったように思う。主に公務員をさすのだろうけれど、議員職なども公僕の一部であろう。そもそも議員というのは何かというと、国民の代表に過ぎぬ。忙しい人々の代わりに、じゃあ、私が喜んで働かせていただきましょう、というような、美しい心の持ち主がなるべきものなのである。そして、選ばれたからには、選んでくれた人々の意に背くことなく、国民の利益、国家の利益を損なうことなく、せっせせっせと働くべきものなのである。そうなのであるが、近頃は目茶苦茶な世の中になっていて、公の僕である議員どもが踏ん反り返って、自分の利益や勘違いを中心に国家を運営しようとしているばかりである。一体、この国はどうなっているのか。なぜ、人々は懲りずにあんな連中に投票してしまうのか。馬鹿である。

 私は妄想逞しいぼけぼけのほげほげのじじいであるが、小泉という奴は私以上に妄想に取り憑かれているようである。理解不能の言動を繰り返すばかり。日本という国の首相であるのに、他所の国(米国ですな)には媚び諂うくせに、自国民には厳しく手酷い仕打ち。痛みを伴う改革というけれど、痛みを味わうのは我々下々の者ばかり。公僕の皆々様には手厚い保護が付いて回る。年末のボーナスの額を新聞で読んで愕然とした。今回の小泉のボーナスで、私なら優に四年は暮らせますぜ、右や左の旦那様。国民の迷惑になるようなことばかりやっていてあれほどのボーナスを貰えるのなら、このじじいも国会議員なるものになればよかった。若い頃には、国会議員なんてぇものは、腹黒い欲ぼけした爺様たちがなる、恥ずかしむべき職業だとばかり思っていたもので、避けて通ってしまった。勿体ないことをした。

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2004年12月11日

icon男の料理06

 自家製コチュジャンは美味かった。田苑もまた美味かった。しかし、どうも、辛さが私の許容量をはるかに凌駕していたようで、朝から激しい下痢に苦しんでいる。上も辛けりゃ下も辛い。排便毎に地獄の苦しみである。調子に乗った私が悪いのだが、反省したところで、この苦しみが減じるわけではない。従って、反省するだけ無駄というもの。
 それにしても、韓国の人々は辛さに余程強いのだなあ、と感心頻り。ふと学生時分に覚えた枕詞の一つに「からくにの」というものがあったことを思い出す。広辞苑をぱらぱら捲ってみると、ありました。ありましたとも。「唐国の」あるいは「韓国の」と表記する枕詞で「辛く」にかかるとあります。古から「韓国」と「辛く」を掛けていたなんざ、面白い話ではありますまいか。勉強になります。

 夕刻、田村師匠が新しいデジタル・カメラを持って来訪下さった。早速、自家製コチュジャンと田苑で歓待する。
「やや、これを御自分で作られたのですか。いい香りですねえ。いただきます」暫しの沈黙ののち、「辛い。何とも辛い。けれども、うまいですねえ。良い味だ。癖になりそうです」早くも額から汗が流れ落ちる。私だけではなかったのである。早速、『作ってみたい・韓国料理の本』のコチュジャンの頁を見せて説明する。唐辛子が少なかったのでざっと四分の一の目算で作ったこと、きび砂糖がなかったのでただの上白糖を使用したこと、酔っぱらって後半は分量が適当になってしまったこと、などなど。「きび砂糖というものにすれば少しく香りやまろやかさが異なるのかもしれませんが、ないものはしかたがない」「そうですね。それにしても、辛い。そして、うまい」
 たわいもないやり取りをしているうちに、またもや泥酔してしまった。そして、また朝には厠で苦しむことであろう。全くもって愚かなる哉。

味わいて 留処なきかな 韓国の 辛くに浮かれ 泣く朝ぼらけ

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2004年12月10日

icon男の料理05:船出

 買い物疲れ(正確には買えない物疲れと言うべきか)で、結局、昨日は何もせずに寝てしまった。思い出すと気が重く、今日は買い出しに赴く気力がない。
 ぼんやりと『作ってみたい・韓国料理の本』を眺めていると、酒が呑みたくなった。田苑を持ち出して、昼間から写真をつまみに一杯二杯。頁を繰るうちに、我が家にある材料だけで作れそうなものを発見した。五十九頁のコチュジャンである。韓国風の辛味噌である。味噌・きび砂糖・粉唐辛子・塩・酢・酒があれば良い。きび砂糖はないけれど、普通の砂糖だってかまわぬだろう、ということで、早速、着手してみる。韓国料理の大海への船出である。
 秤を探し出して、材料を並べてみると、唐辛子が八十五グラム必要なところ、二十グラムほどしかない。大量に作る必要もなかろうから、取り敢えず、ざっと四分の一の検討で作ることにする。少々酔っぱらっているので、雑な性格に拍車がかかり、細かい分量はあやふやになってしまったが、大して時間もかからずに、完成できた。私もなかなか大したものではないか。
 少しく冷ましてから試食いたす。試食といっても、辛味噌なので、ばくばく食べるわけにはいかない。箸の先に少しつけて、舐めてみる。うむ。辛い。辛い。爆発的に辛い。こんなに辛くては頭がパーになってしまうというほどに辛い。頭皮からも顔からも汗が噴き出す。脇の下もびっしょりである。参った。何なのだ、この辛さは。
 一段落して、今度はほんの少しだけ箸に乗せ、びくびくしながら、舐めてみる。辛い。やはり辛い。しかし、辛さに慣れたのか、量を減らしたからか、この度は辛さだけでなく、甘味や香りも感じられた。ほほう、これはなかなかいけるではないか。なかなかのものだ。全身汗塗れになり、舌がやや麻痺しかけているものの、これは後を引くつまみだ。コチュジャンを一舐めしては、田苑を一口煽る。そんなことの繰り返し。
 自家製コチュジャン、取り敢えずは、成功だと言って良いのだろうか。コチュジャンの正しい味がわからないので、何とも言えないじじいである。誰かに試食してもらい、意見をうかがうとしよう。孰れにせよ、まずまずの船出だと言って良かろう。泥酔しながら、自画自賛。御苦労なことである。

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2004年12月09日

icon男の料理04

 兎にも角にも材料を揃えなければ何も始まらない。普段はコンビニエンス・ストア、あるいは、昔ながらのスーパー(それも殊更小さいところ)に出向くだけの私だが、勢いのあるうちに、ということで、数階建ての大型店舗に乗り込んだ。これがいけなかった。いけなかったのである。こういうところは初めてだが、要するに、デパートから高級感を取り払い整然かつゆったりとした気取り気味の様子を放棄した感じとでも言えばいいのか、窮屈でごたごたしていて、右往左往している人々も決して洒落込んだりはしていない。全くの普段着である。店員も男性は作業着様の、機能的なようなただ見苦しいような、そんな服装を、女性はテレビCMで見る金貸しの女性の制服のようなものを着用していて、お世辞にも見栄えが良いとは言い難い。もっとも、このような店が見栄えの良さで勝負しているわけではなかろうけれども。
 再開発が進む以前の駅前の路地めいた市場の、やや閉塞感を伴う雑踏と似ていなくもない。批判をしているわけではない。有り様をそのままに伝えようと思っているだけである。私は、元来、このような混沌とした人が人らしく活動する様は嫌いではない。けれども、このような場は、想像以上に活力を要するのである。私のようなじじいともなると、最早、この人混みの中にいるというただそのことだけで、いつ倒れてもおかしくないほどの疲弊感に襲われる。集団の混雑の圧迫感というのは事程左様に凄いものである。
 急いで必要なものを手に入れ、とっとと家に帰ろうと思えども、混み合った大型スーパーの中にあっては、何がどこにあるかを把握するのは大変困難である。目を細めてあちらを眺め、こちらを眺め、それでも埒が明かず、若い女性店員に声をかけたところ、「おじいちゃん、そこは人が多くて危ないわよ」と手を取られ、脇に連れてゆかれ、「何がほしいのかなあ〜?」と幼児を扱うかの如き態度に我慢がならず、拙者は確かに一介のぼけ老人に過ぎぬが、斯様な体で貴女の手を煩わせるつもりはござらん。失礼。
 到頭何も買わずに出てきてしまった。馬鹿である。
 今になって思えば、優しい少女の思いやりを無にする、礼を失した行為であったと反省すること至極。申し訳御座居ませんでした。私の不徳の致すところでありました。

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2004年12月08日

icon男の料理03

 あろうことか、注文しておいた本がもう届いた。何とも便利な世の中になったものだ。
 あれこれと悩んだ末に、私が選択したのは『作ってみたい・韓国料理の本』である。どんなものが良かろうかと思案したのだったが、カレーは是田大師匠が既におやりになられている。和食に関しては、『日和見』のおかみが素晴らしい腕前を持っており、それをもう何年も食べ続けているわけで、マリには相済まぬことだが、私にとっては次第に家庭の味の如き存在になってきている。
 振り返ってみれば、マリの作るものの大半は絵に描いたような洋食だったわけで、彼女と過ごした四十年近い年月は、フランス料理が私の家庭の味であったわけだ。お母さんにしっかりと叩き込まれたというだけあって、彼女の腕前はかなりのものであった。当時、帝国ホテルで何番目かに偉い料理人だった友人を我が家に招待したときにもひどく喜ばれたことを思い出す。レストランの料理とは違う家庭の味付けなのだが、想像以上に複雑だとか深みがあるだとか言って、レシピを帳面に丁寧に記して帰ったほどである。もっとも、それがその後の彼の料理人人生に実際に少しでも役立ったのかどうかは不明ではあるけれど。
 著しく話が逸れてしまった。兎にも角にも、マリの料理と並ぶような代物が作れるとは思えないので、フランス料理も却下するしかない。ヨーロッパの国々の中で、私がイメージできる美味い料理と言えば、あとはイタリア料理ぐらいのものだが、スパゲッティやピザの印象が強く、料理という枠組みで考えると気が乗らない。かといって、他の地域に目を向けても、中近東やアフリカ、あるいは、南米なんぞの料理は、そもそもまるで見当がつかない。アジア圏であっても近くないところのものも、料理想像脳の発達していない私には無理がある。結果的に残るのは中華か韓国かというところになるわけだが、中華料理はごうごうと唸りをあげるほどの強烈な火力が必要なのだと齧り聞いたし、油が多くて、じじいの弱った胃袋には厳しそうである。そんなわけで、韓国料理を選ぶに相成った。

 届いた本は、写真がふんだんに使われているし、近所の国だけあって、食材は手軽に揃いそうなものが多い。はらりはらりと頁を繰りながら、夕刻から澤乃井を傾け始めた。ところが、我が友澤乃井くんと韓国料理の写真とはしっくり噛み合わないようである。何が良かろうかと案ずるものの、相応しいものを思いつかない。結局、田苑をロックでやることにした。
 料理本をつまみに呑むのも、これはこれ、なかなか悪くないものであるという新発見。

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2004年12月07日

icon闇の中で朝を待つ


闇が薄く積もりはじめる暮れ方
色々が静かに消え始める


 茶

 青

 黄

全ての色は次第に暗く次第に黒く
打ち寄せる闇に溶け込んでゆく

暗赤
 暗茶
暗緑
 暗青
暗赤
 暗黄
暗赤

やがて夜も深くなり
何もかもが暗黒に沈む

黒赤
 黒茶
黒緑
 黒青
黒赤
 黒黄
黒赤

また新しい朝の光が照らすまで
黒いままじっと待ち続ける

ところで、明日も朝はくるのでしょうか
それは誰にもわかりません

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2004年12月06日

icon男の料理02

 読書は嫌いではない。それどころか、私の貴重な趣味の一つである。従って、本屋も嫌いではない。寧ろ、本屋は好きな場所の一つである。ただ、昔から本屋とレコード屋に行くと急にお腹がごろごろしてきて長居ができない、という弱点がある。私以外にも同様の症状を示す友人が多々あるのだが、一体全体、どういう神経の働きでそうなるのだろう。まことに不思議である。
 七十年も使い込んでいると目の玉も相当におんぼろになってくるものである。色も悪い、ピントも合わない、という有り様になってきて、次第に本や新聞、雑誌を読むのがかなりの労力を要する仕事になってきた。それで思い切って、一昨年、左目、右目と順に白内障の手術をしてもらった。その効果たるや絶大で、世界が極めて明るく見えるようになった。ピントも以前よりはしっかりと合いやすくなってきたように感じる。もちろん、若い頃ほど快適にというわけにはいかないが、読書の楽しみが我が手に戻ってきた。脳みその働きも若い頃のようにてきぱきぱきぱきしているわけではないので、のんびりと丁寧に読むようになった。おかげで、若い頃には気づかなかったようなことに気づけるようになった気がするが、もしかしたら、それは昔のことを忘れてしまっているだけかもしれない。

 さて、田村師匠に御来訪いただき、本日は、インターネット書店で買い物をすることになったのだが、これがなかなかに面白い。最近は、目をしょぼしょぼさせながらあっちの棚こっちの棚と眺めたり、それでも埒が明かない場合は無愛想な店員に声を掛け、あの本はないかこの本はないかと質問し、全くうるさいじじいだ、というような嫌な目付きでぞんざいな扱いを受けること屡々だったものである。しかし、見よ、インターネットの本屋では検索すればじゃんじゃんじゃかじゃかみつかるではないか。用心しないとみつかり過ぎるぐらいである。あまりの便利さに興奮したせいか、よくわからない本まであれこれと注文してしまった。うーむ、これは暫くはやめられなくなりそうだ。楽しい。率直に言って、楽しい。
 インターネット本屋の問題点は、本がみつかりすぎて、財布がパンクしてしまいかねないこと。それから、絶版になっている本の多さに気づかされること。これは悲しい。町の本屋の棚を眺めているときには不在のものには気づきにくいものだが、インターネットで検索してみると何とも多くの本が絶版や品切れ扱いになっているのが顕著にわかり、少なからぬショックを受ける。例えば、石川淳大先生の『至福千年』の如き名作の中の名作が品切れのままである。岩波書店よ、一体、どうなっておるのだ。恥を知れ。日本の文化を担っているという心意気はどこへ行ってしまったのか。嘆かわしいことである。実に嘆かわしいことである。
 そんなわけで、田村師匠に本日の御礼として『至福千年』をプレゼントすることは叶わなかった。残念無念また明日。

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2004年12月05日

icon男の料理01

 家内を失くして五年。だんだんに日常のあれこれを自力で処理する能力ができてきてはいる。母親以外は男ばかりの家庭に育ち、がさつな性格に生まれついているゆえ、掃除や洗濯は今でも申し訳程度。今年になって庭いじりに少し力を注ぐようになりはしたが、草花の名まえも種類も把握できていないゆえ、相当の混乱が続いている。料理をする行為そのものは嫌いではないのだが、洗い物などの後片付けと買い物が苦手なので、億劫に感じて腰が重い。従って、食事は近所の呑み屋や定食屋で済ませることがどうしても多くなる。
 『日和見』で一杯やっているときに、男の料理だの何だのという話になった。田村師匠の師匠にあたる、是田大師匠がカレー作りに凝りに凝っているという。「インターネットのおかげですね。スパイスや何やかや、今ではかなりのものが気軽に手に入るようになりました。インド料理の本にしたって海外からも簡単に取り寄せられます。執念深い性格だもので、あれこれあれこれ資料を揃え、材料を揃え、悪戦苦闘するうちに、たいていのインド料理屋よりはうまいカレーが作れるようになりましたよ。おまけに、日本の家庭の味、欧風レストランのようなもの、蕎麦屋のカレー丼まで研究しましたから、およそカレーと名の付くものは一通りは作れます。もっとも、カレーパンは別です。あれはどうも美味いのが作れませんね」
 そんな大師匠の話を聞いて、おかみと田村師匠、それに私の三人を是田さんの御宅に招待いただくことになった。いやあ、驚きました。実を申すと、私は本格的なインド料理屋なんぞには行ったことがないわけで、果たして眼前のものが、私の舌の上、胃の中にあるものが本格的なものなのかどうかはわからない。けれども、次々と出されるどの料理も実に美味であったことだけは確かであります。七十年以上も生きてきて、今までに一度も食したことのない味の連続に、このじじいは小さからぬカルチャー・ショックを受けたのであります。まだまだ、世界には私の知らぬ美味しいものがあるのであるなあ、と。
 「明日は、インターネットの本屋で料理本でも探すとしますか」と田村師匠。拙者、喜んで受けて立ちますぞ。

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2004年12月04日

icon恵子くん来訪


 だらだらと遅い昼食をとっていたところ、玄関のベルが鳴った。のそのそと応対に出てみると、そこには恵子くんが「御無沙汰しております」と頭を下げている。ややや、これは久し振りです、今、ちょっと、その、片付けますからお待ちなさい。そう言い置いて、とっ散らかった部屋をばたばたと大急ぎで整える。それにしたって、私のような、元来が乱雑な人間のやることである。高が知れている。ざっとざっと取り繕った程度で我慢してもらうしかない。
 何にしますか。日本酒かワインなら、美味いのがある。珈琲を淹れてもいい。「お酒をいただこうかしら」と恵子くん。そんなわけで早い午後から差し向いで飲み始めることに相成った。彼女は私の同級生の中でも群を抜いた大天才高部の妹君である。彼女と初めて会ったのは、我々が旧制中学の一年のとき、彼の家に遊びに行ったときのことであるからして、かれこれ五十年以上も昔のことになる。お互いに老いぼれるのも致し方ないわけである。
「この近所に御用でもありましたか」
「特に何用ということでもないんですけれど、茄子彦さんのところにもすっかり御無沙汰しておりましたから、ご挨拶にと」
 ありがたい話である。高部が亡くなってから十年ほどになろうか。その後も、数年に一度は訪れて何ということはない世間話をして帰ってゆく。
 彼女はとうとう生涯の伴侶を得ることがなかったので、何かと独りで寂しく思うこともあるのだろうな、と以前は思ったものだ。今では、マリに先立たれて、私も独りで日々をどうにかやり過ごすばかりである。もっとも、教員というものは若者たちに囲まれて過ごす商売だから、彼女の方は独り暮らしでも案外寂しくはないのかもしれない。しかしながら、恵子くんとて七十にならんとしているわけで、最早教鞭を執ってはいないかもしれんなあ。
 彼女と共通の話題といえば、どうしても高部のことになってしまう。故人の想い出を肴に酒を呑む機会が増えてきますな、年経る毎に。このように酒の肴にすることが何よりの供養かもしれません。
 二時間ほどものんびりと過ごしただろうか、「では、私はそろそろお別れしなくては」彼女はそう言って、静かに去っていった。暮れかけの薄い闇にシルエットがゆっくりと溶け込んでいき、やがて消えた。

 例の小猫がどこからともなく現れて、柿の木に登った。見送るように彼女の歩み去った方角を眺めているようである。
 庭のはずれの銀杏に夕陽が赤い。

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2004年12月03日

icon独り住まい3


 朝から小庭の雑草取りに勤しむ。雑草の定義はどうなっているのか。これは雑草なのか否か、と悩むことも屡々だ。辞書にあたると「栽培しないのに生える植物群」だとか何だとか。例えば、この夏、私を苦しめたのは笹である。笹は雑草なのかどうか。結局、栽培した覚えがないのにどんどんどんどんこんなに狭い庭を占拠し始めたということで、私は雑草に認定したのだが、笹てぇものは意外に美しくもあり、その姿がすっかり見えなくなってしまった今、幾許かは心残りでなくもない。
 雑草を抜いていくという作業は根を要する仕事である。下手な駄洒落だが真実である。上っ面だけを引っ張ったのでは、中途で切れてしまい、結局、またすぐに生えてきてしまう。少しく周辺の土を掘り、丁寧に抜いてやる必要がある。その際に、私を苦しめたのが、笹の根である。何かを抜こうとするとその根の上に笹の根が這い回っていたりして、結局、笹を抜かなければ狙いを定めた雑草を抜くことができない、という事態が頻々と発生した。いっそのこと、まず、笹を退治してしまえ、という気になったのだが、いざ笹の根を追跡していくと、どこまでもどこまでも延々と繋がっていて、丁寧に丁寧に根気よく根気よく掘り進めていってもなかなか終点に辿り着けないという有り様。ちっぽっけな庭全域に、いやさ、境を越えて、近隣の庭にまでその根は勢力を伸ばしているようである。どんなに丁寧に作業を続けても、どこかで諦めねばならず、ひとつとして完全に抜くことはできなかった。今は、庭の表面には笹は一切見えないけれど、またそう遠くない未来には、この庭のあちらこちらに繁茂するに違いない。
 笹の根を追い回しているうちに、庭のあちらこちらを広範囲に掘り返したのだが、いくつか不思議なものが出てきたこともある。錆びた釘や直径一糎ほどの鉄のパイプ、ガラス瓶の破片、十五糎程もあろうかとう大きなボルトなどなどなど。大小の石ころや、板状の石の破片など。一体、なぜこのような物どもが庭の中に埋まっていたのか、全くの謎である。

 腰がぎりぎりと痛むが、酒は美味い。そんなものだ。
 夕暮れの洗朱をつまみに、今暫く杯を重ねよう。

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2004年12月02日

icon独り住まい2


 秋には秋の色があり、冬には冬の色がある。春には春の風が吹き、夏には夏の風が吹く。このような美しい四季を持った場所に生きられて感謝に堪えぬ。けれども、一つ、一つと季節が過ぎるたびに、寂寞とした気持ちになるのはなぜだろう。これも老いによるものだろうか。次の春を、次の夏を迎えることができるだろうか、などとは、決して思わないのだけれど。

 春や夏は雑草取りに追われたが、今の季節は、落ち葉の処理に追われる。そんな愚痴を何かのついでに零したところ、「落ち葉は放っておけば朽ちて土に返るでしょう。それが自然の姿ではありますまいか」と田村師匠が宣もうた。御意見に一理はござろうけれど、雑草や枯れ葉に覆われた庭は、何とはなしに気をくさくささせるものである。気をくさくささせる代物を片付けて、小さな庭のささやかな景観を整えたくなる気持ちも自然の一部であろう、と私は思う。それに、それなりに手間ではあるものの、落ち葉を掃き寄せる作業を、私は嫌いではない。

 柿の木が長閑な陰を落とす午後、はらりと風が吹いた。この時候、心地好いというには冷たすぎる風だったけれど、朝一番に冷水で顔を洗うような、身が締まる思いのする、透きとおった風だった。これはこれで悪くないな、と思ったのは束の間。折角掃き集めた落葉が風が通りすぎた方にばさりと散らばっている。できすぎた景色のようにも見え、そのままにしておこうかとも思ったが、結局のところ、再度、竹箒を手にしたじじいである。

突然の風の足跡 落ち葉色

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2004年12月01日

icon独り住まい


 実を申すと、今日もまた、日の高いうちから飲み始めている。庭に向かって、時に空を見上げ、時に地を見下ろし、時に小鳥たちの囀りに耳を傾け、時に宅配便の応対にのそのそと立ち上がり、時に株屋だの土地屋だののしつこい勧誘の電話に応対し……そんな今日この頃。話にならないような陰々滅々の堂々巡りのような日々。そして、少しずつ少しずつ、より一層心気の病が深まる。日高くして澤乃井を飲む。こんな陰気な老人に飲まれる澤乃井くんも辛かろう。いや、君こそが私の崩壊を塞き止めているのである。そう思って、まだ暫く付き合い給え。

 元来の私の気質はどうだったのかと顧みるに、極めて陽気だったとは言い難い。けれども、だからといって、終始鬱々としていたということではない。まあ、ありきたりだが、人並みに陽気で人並みに陰気だったという風に思う。けれども、年を追う毎に次第にほんの少しずつだが辛気の側に振れてきたのだったろう。そして、九十九年の夏、家内が亡くなって、それからはますます鬱の波が次第に大きく次第に長くなりにけり。

 人は独りでいる時間が長いと、ついついあれこれと考えてしまう生き物のようである。そのあれこれは、明るかったり暗かったり、楽しかったり悲しかったり、様々ではあるけれど、なぜか気がつくと滅入り気味である今日この頃。不思議と言えば不思議なことだ。秋の色、冬の気配、そんなものが後押しをしているにせよ。

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