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2004年12月25日
ボクボク
静かな午後だった。それを破ったのは一本の電話である。二時頃だったろうか。「はい、惚山でございますが」と型通りの文言で迎えると、受話器の向こうから泣き声が聞こえる。引き摺るようにしゃくり上げる合間に「ボクだよ、ボクだよ」と訴えかける。そうは言っても、私に向かって「ボクだよ」などと名乗る知り合いはおらぬわけで、何が何だかちっとも訳が判らない。と、突然、別の人物が出た。「○○保険の柿元と申します。実は、お孫さんが事故を起こされまして、ただいま、現場にかけつけたところでおございます。しかたがないことですが、大変動転なさっていらっしゃってですね、この電話番号を聞き出すのがやっと、というような状態なのです」「はあ、何だかわかりませんが、それは大変でございましょう」と状況が飲み込めないまま相槌を打つ。「それでですね、双方ともに怪我は大したことないのですが、先方のベンツが大破しまして、補償問題、弁償問題ということになっているわけです。お孫さんが自分では払えないし、親御さんには知られたくない、ということで、そちら様に連絡させていただいているわけなんですよ」
いくら私が耄碌じじいであるにせよ、漸く理解できた。何たることか、これは世に言うオレオレ詐欺なるものに違いない。何しろ、私どもには子どもがいないわけで、当然、孫などいるわけがない。騙そうとされているのかとわかったら、頭にかーっと血が上って、自分でも顔が赤らんでいるであろうことがわかるほど、老いて硬直気味の血管が切れてしまうのではないかと懸念されるほど。だが、一呼吸して冷静に考えてみれば、こんな面白い機会はなかなかあるものではないわけで、騙されている振りをしてもう暫く相手をしてやろう、という気になった。あわよくば、尻尾を捕まえて警察の捜査の手助けになるようなことでも聞き出せないか、と気分はすっかり俄探偵である。
「不幸中の幸いと申しますか、むしろ、運がよろしい。怪我は擦り傷程度ですしね、何しろ、先様が大変寛大でいらっしゃる。ベンツの修理代さえ出してくれれば、すぐに示談で済ませくださるとおっしゃっています。警察介入となりますと、取調室で事情聴取はありますし、軽傷とはいえ過失傷害などもろもろの罪に問われて、場合によっては交通刑務所に入れられてしまう危険性だってあるのですが、お孫さんがまだお若く、将来があるだろう、ということで、示談で済ませてくれる、というのです。ありがたい話ではないですか」「いやあ、それは、ありがたい話ですなあ」「そうでしょう。そうでしょう。それでですね、早速、修理代を振り込んでいただきたいのです。××銀行の大宮支店、口座番号は××××、名義は××××です。振込金額は四百五十万円です。きちんとメモしてください」と畳み掛ける口調である。「いいですか、繰り返しますよ」と銀行名や口座番号を告げる。「はあ、はあ、メモはしましましたけれど、銀行で振り込むときにわからないことなどあると困りますから、そちら様の連絡先を教えて下さい」「いやいや、出先ですから、そちらから連絡はつきません。大事なのは、メモしたところにすみやかに四百五十万円を振り込んでいただくことです。わかりますね。お孫さんが警察に連れていかれてもいいんですか」と語調が強くなる。苦しくなると高圧的に出てくるわけだな。テレビで見た通りの展開に思わず笑いが込み上げ、我慢していたら咳き込んでしまった。老人のひぃひぃといったしわぶきの音に驚いたのか。「大丈夫ですか」と問い掛けてくる。「とにかく急いで銀行に行って下さい」如何にも焦っている様子が窺える。溢れ出てくる笑いを堪えながら「あのお、すみませんが、もう一度、ボクに電話を代わってもらえんでしょうか」すると、また半泣きの若者の声で「おじいちゃん、ボクだよ、ボクだよ。お願いだから、早くお金を振り込んでよ」と訴えかける。そろそろぼけ老人の本領を発揮することにしますか。「あのお、お宅様はどちらのボクさんですか。それにしても、今日も寒うございますなあ。ボクさん、こういう日は腰がどうもね、痛みますな」そんな昏迷著しい返答をしていると、電話の向こうではごにょごにょと相談が始まったようであった。程なく、電話は一方的に切られた。
意外にあっさりした結末に些か物足りなささえ感じた被害者予備軍の私である。
投稿者 nasuhiko : 2004年12月25日 11:36
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