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2005年01月31日

icon海の向こうから


 ある日、海の向こうから手紙が届いた……こんな書き出しは、老台の妄想日記には相応しくないだろうか。そうかもしれない。

 この、ブログというインターネットの日記を書くようになってから……というより、これを勧め、御指導いただいたり、手伝ってくれたりしている人々との交流が始まってから……硬化した脳みそと硬化した肉体の持ち主である私の、硬化した日常が少しずつ溶解し始め、新しい世界と繋がりを持ち始めている。実に驚嘆すべき事柄である。元来が人と交わるのが得意な方ではないから、家内が亡くなってからはすっかり引き籠もりがちであり、偶に出向く『日和見』でもカウンターの隅っこで静かに酒を舐めるばかりであった。女将や隣席の客に話しかけられれば返事はするものの、積極的にこちらから何かを話すということもなかったのである。それが、どうだ。今となっては、若い人と面識が出来、昼間から酌み交わしたり、コンピューターのあれこれを教わったり、先日なんぞは、とうとううら若き女性に伴われギグというものにも出向いたのであるから、これは大した変わりようだ。
 日記と言っても、永年に亙って帳面に綴り続けているものと、このブログというものでは随分と異なるものである。学生時分からの付き合いとなる紙の日記は、どこまで行っても、徹底して独白であり、筆者は私、読者も私。それ以外に何も存在しない、言ってみれば閉じた宇宙である。勿論、私が亡くなったあとに、荷物を整理するどなたかが、ぱらりぱらりと頁を繰り、読んでみる気になることだって、絶対にないとは言えまいが、まあ、そうなったとしても、それは偶然が重なった予定外の出来事であるし、そもそも、その時点で、私は存在しないのである。つまり、閉じた世界が完全に閉じてしまった後のことである。それに対して、このブログは、誰に宣伝している訳でもないけれど、インターネットに公開している限り、誰もが読む可能性を秘めている、開かれた世界である。そうは言ったって、口伝てで知り合いの知り合いが覗きみる程度に過ぎまい、と高を括っていた。ところが、先日、海の向こうから手紙が届いたのである。それは面識のない御婦人からのものであり、この老いぼれは、それこそ目の玉が飛び出るほど驚愕した。それ以前には、メールは、『日和見』の常連客ではあるまいかと推察される方二人から来たのみだったのだ。あとは外国からよくわからないメールがいくつか来たこともあったけれど、田村師匠に相談したら、それは所謂ジャンク・メールという意味のないものであって、すぐに捨てなければいけないものだと判明した。
 ところがですよ、ええ、あなた、ところがですよってんだ。海外の女性からメールが来たのですぞ。ううむ、ありがたい話である。実にありがたい話である。元々このブログてえものだって、日記と同じで自分のためにやっている、ついては、読者があろうがなかろうが関係ない、というような心積もり……というか居直りの精神とでも言うべきか……でやってきているのだけれど、いざ、実在の人間が、しかも、海の向こうで暮らしている女性が、この愚痴蒙昧の乱雑な書き物を読んで下さっていると知ったら、何と申すのが適当なのか、勇気百倍とでも言うべきか。兎にも角にも、こう身内からエネルギーが溢れ出る思いであります。本当です。想像していた以上に、目に見えない読者の存在は我が力となる、非常に非常にありがたいものだとわかったのであります。

 近頃、あれこれと盛り上がれるような、嬉しいことばかりが続いていて、全く以てありがたい限りである。澤乃井がいつにも増して美味い。しかし、あれですよ、山あれば谷あり、楽あれば苦あり、躁あれば鬱あり、と申します。あまり調子に乗っていると、次はどよよんと暗黒の闇に陥るのではないか、などと。いけない、いけない、いけません。こういう考え方が始まっていること自体、鬱の入口まで来ている、という証左かもしれませぬ。

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2005年01月30日

iconライヴハウスでギグ05


 ギグに当てられた知恵熱みたようなものは未だ冷めやらず。私は、めでたく、本日もヤング・アット・ハートなのであります。昨日は……いや、昨日も……呑み過ごしてしまい、口先ばかり威勢の良さで、結局は何もしなかったけれど、本日こそはと、勢い込んでいる。ピアノに挑戦しようと思うのである。武骨だが愛もあり、哀歓も諧謔もあるようなセロニアス・モンクを師と仰ぎ、指は震えようとも一音入魂の心意気で精進しようではないか、と。
 マリが亡くなってからは、放ったらかしになっているピアノの覆いを退けてみると、部屋に埃が派手に舞い上がる。これはいかん、ということで、まずは掃除から始めることになる。彼女に勧められて、ピアノに触れたことも幾度かはあるけれど、その度に、すぐに挫折してしまった。というより、放棄したのである。なぜなら、私は自分が弾くよりは、マリの演奏を聴いていたかったから。私はブランデー・グラスを片手に、彼女がピアノを弾くのを眺めるのが好きだった。時々は鼻歌を交えたり、静かに唄ったりすることもあった。決して名人というわけではなかったし、レパートリーも限られていたし、ピアノは極当たり前のアップライトである。それでも、その部屋の中で過ごす私たちの時間は臆面もなく言うならば、なかなかに濃密で甘い時間だったのである。
 ざっと埃をはたき、掃除機をかけ、一段落したところで、鍵盤に押してみる。ド、レ、ミと弾いてみるが、曇っている上に、どこかでびりびりと共鳴するような音がする。おまけに音程も滅茶苦茶である。調律の人を呼んでどうにかしなければならなかろうけれども、以前お付き合いしていた方がまだご健在で仕事をしておられるかどうか、些か心許ない。
 孰れにせよ、今日のところは、この部屋を少しく掃除したことで満足して呑み始めることにしよう。マリの写真を前にして、今日は暫く振りにブランデーにいたそう。どこかにいただきものの、陶器に入ったカミュがしまい込んであるはずである。

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2005年01月29日

iconライヴハウスでギグ04


 先日の興奮冷めやらず。何だか、自分まで若者の一員になったような、昂揚した気分のまま。勿論、実態はあちらこちらに相当にがたがきているポンコツ体、ポンコツ脳であるのだが、こういう時にはシナトラの「ヤング・アット・ハート」を想い起こせば良いのである。英語に堪能な訳ではないから、あやふやの手前勝手な解釈だが、歳を取ったとて構わぬではないか、気が若ければ良いことあるさ、というような歌詞だったような。そう言えば、そもそも「ヤング・アット・ハート」とは、例えば、日本語で言うところの「お年寄り」を柔らかく表現したものだったという話を誰かに聞いたような気がしてきた。記憶定かでないので、もしかすると、礼によって、妄想に過ぎないのかもしれないが。
 兎にも角にも、老人が若者に交じって若振った振舞いをしていると、ちょっと何よ、あのお爺さん、見てご覧なさい、いい歳して恥ずかしくないのかしら、いやねえ……というような、蔑視を浴びるのがこの国の常。正直に申せば、私だとて、古市がうら若い接客を旨とする呑み屋のお嬢さんと肩を組んで歩いている姿を見たりすると、同じように思ったものである。けれども、よくよく考えてみれば、それは当人たちの自由であろう。古市も呑み屋のお嬢さんも、双方が好んで……あるいは、双方の利害が一致して、というようなビジネスライクな視点の方が良いのかもしれないけれど……肩を組んで町を闊歩する。誰に恥じることもない。もっとも、いくら厚顔の古市だとて、己が上さんに遭遇したりすれば気まずいのかもしらん。ああ、今はそんなことはどうでもいい。

 私の如き老体であろうとも、心を若く持つことは決して悪いことではない。今は、真剣にそう思うのであります。老台も何か楽器の練習でも始めて見ようかと、思ったり、思わなかったり。まずは、この、ヤング・アット・ハート魂を記念して、澤乃井を一杯まいりましょう。美味いね、どうも。今日も幸せな一日だったな、と。

投稿者 nasuhiko : 18:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月28日

iconライヴハウスでギグ03


 昨日のギグというものに当たったとでもいうのだろうか。熱っぽく、躰はぐったりしていて、力が出ない。けれども、心は何だか浮き浮きしているのだから不思議なものである。例によって、最後の方はすっかり酒に飲まれて泥を踏む有り様でありったけれど、大いに楽しんだことだけは間違いない。私のような老爺に斯様な機会を与えてくれたこと、改めて、諸氏に感謝したい。ありがとう。

 上野や渋谷、新宿などのコンサート・ホールでの演奏会を見たことは幾度でもあるし、あまり芳しい思い出ではないが、日本武道館でのコンサートにも行ったことがある。しかし、ギグというやつは、そういうものとは全く違うものなのですな。もしかすると、昨日の所が特殊なのかもしれないけれど、入場料があるにせよ、兎にも角にもプロフェッショナルっぽくないと申すべきか。お客さんと演奏する人との間に境界が殆どないのである。ついでに言えば、お店の人々ともあまり境界が不分明でありましたな。バーボンが空になって、どうしたものかと、おどおどきょろきょろしていたら、「同じのでいいの?」と通りすがりの若い女性がぞんざいに尋ねるので、声が出ず、首肯するばかりであった私である。「あいよ」と言って、私の手からビニールのコップを奪い取り、件の女性はカウンターの近くに進み出で、「奥のおじいちゃんがおかわりだって」と怒鳴って、前の方に消えていった。御代りのバーボンは、バケツ・リレー式に手渡しで運ばれてきて、円嬢が受け取ると同時に代金の六百円を渡す。すると、また、そのお金が人の手を順繰りに渡り、カウンターへ。何ともおかしな光景であった。みなの動作、対応があまりに自然であったことを考えると、珍しく感じたのは私だけだったのかもしれないが。
 暫くして、最初の演目が始まったのであったが、先程の些か粗暴な口振りながら親切にバーボンを注文してくれた女性もその中にいた。店の人でも、客でもなく、出演者だったのである。高さ十五センチほどのステージとも呼び難い板の上にいるだけなのに、別の世界の住人であるかのように思える。そこにあっては、ぞんざいな彼女が甚く眩しかった。もっとも、彼女たちの演し物は笑い所のわからない、見ているこちらにとってはあまり居心地の良いものではなかったけれど。

宵に酔い よいよいの爺 良い夢を
  夜明かし過ごし 余韻嫋々

 つい先達て、駄洒落混じりの句は止します、と宣言したばかりであったが、考えてみれば、駄洒落だとて立派な日本語文化の一端を成すものである。誰に恥じることがあろうぞ……そう開き直る老いぼれである。

投稿者 nasuhiko : 20:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月27日

iconライヴハウスでギグ02


 本日は田村師匠の出演するライヴハウスのギグというものに行って参りました。不案内な私を慮っていただいたのでありましょう、夕刻、先日知己を得たばかりの円さんが迎えに来て下さいました。うら若い女性にお越しいただいたりすると、ばたばたと慌てふためいてしてしまいますな。失礼があってはならん、と過度に緊張してしまうのはなぜなのか。今更、体裁を云々する歳ではあるまいに。
 がたぴしゃがたぴしゃ締まりの悪い引き戸の玄関口でお待ちいただき、慌てて用意を済ませ、いざ出陣。件のライヴハウスはほんの数分のところにあるわけで、つまり、歩いている時間だって、ほんの数分のこと。当たり前だ。従って、歩きながら話す時間だって、ほんの数分、あるいは、数分以下に過ぎない。にもかかわらず、無限にも思えるほど長い時間に思えた。いや、それは流石に大袈裟にすぎますか。矢鱈に長く思えたのは、楽しくない時間だから、という意味ではありませんぞ、念の為。円嬢は満面の笑みで、しかも、私にも理解できそうな内容で、話しかけてくれたのであります。だのに、私はと言えば、あたふたへどもどして、むにゃむにゃもごもご口の中で呟くばかり、真っ当な返事ができなかったのであります。何故、そんなことになってしまったのか。ううむ。誰だって慣れないことをするとそんなものなのではないしょうか。もっとも、厚顔自慢の古市や喋り自慢の白島みたいな連中だったら、こんなことにはならないんだろうけれど。孰れにせよ、肝っ玉の小さい自分が情けない、とつくづく思わざるを得ませんな。
 それは扨置き、兎にも角にも、ライヴハウスに辿り着き、狭くて屈曲した階段をやっとこさっとこ降りて中に入りましたよ。中は、妙に暗くて、空気が濁っているような感じです。おまけに些か酸素が薄いのではないか、と。入ったばかりのところで、いきなり飲み物を選べと言われたので、バーボンを注文しました。円嬢が壁際にわずかに用意してある席を確保してくれて、漸く腰を落ち着け、一息。オン・ザ・ロックをちびりちびりと飲んでいるうちに、段々、調子が上がってきましたよ。これじゃまるでアル中みたいですな。まあ、概ね、アル中みたようなもんなんだが。
 辺りを見回すと、実は、それほど混んでいる訳ではありませんでした。開演前だからか、お客さんやお店の人ががあちらこちらとうろついていたりするもので、混雑しているような気がしただけのことであったのです。色々な人がいるけれど、皆さん、お若い。実のところ、暗くてよくわからないのだけれど、何となく、若い気配がする。あまりあからさまに他所様を睨め付けるわけにもいかないし、飲んでいるうちに、他人のことなどどうでもよくなってきて。
 最初に出てきたのは、劇団何とかに所属するという人々。詩を朗読したり、コントのようなことをしたりしている。正直に申せば、何が面白いんだか、わからない。周囲の反応も区々のようで、寧ろ、失笑が多いような気がする。二番目には、迷彩のズボンに黒いシャツという出で立ちの角刈りの青年が、ギターを抱えて登場し、風貌に似合わぬ小さい声で哀しげに唄っていた。ところどころ、胸の奥を擽られるような感じのところがある。
 三番目に出てきたのが、田村師匠の『プレス工場ガタンガタン』という変な名前のバンドみたようなものである。師匠は田村タムゾーという芸名のようだ。ノート型のコンピューターを操作すると、変な音響が流れ出し、それに合わせて、ギターを弾いたり呟いたり。途中からはコロリンさんという女性が出てきて唄ったり踊ったり。私の知識では何とも説明のしようがない、些か奇天烈な風味。然れども、私は大いに楽しんだのであります。カエサルの言葉を文字って言うならば、「来た、見た、飲んだ」てなものである。ああ、何とも楽しい宴でありました。ありがとう、タムゾーくん。ありがとう、円嬢。

投稿者 nasuhiko : 22:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月26日

icon皮膚科へ


 ここのところの連日の深酒が祟ったせいか、額に湿疹様のものができ、矢鱈に痒くなる。あまりの痒みに耐えかね、近所の皮膚科に向かう。二十年振りのことなので、まだやっているかどうか不安だったが、他に付き合いのあるところがあるでなし、取り敢えず、麻田醫院を覗いてみようか、と。とぼとぼとぼとぼと緩やかな坂を上っていく。ああ、あるではないか。この町のあちらこちらで、様々なお店やお医者が看板を下ろしてしまった。それはこの辺りに限ったことではないだろうし、時とともに町だって移ろいゆくものなのである。けれども、七十年あまりもここで暮らしている老いぼれが寂しい気持ちになるのはしかたがない。
 老残の身を曝して生きる奴吾如きが言うのもおかしな話だが、待合室にいるのは老人ばかりである。しかも、私よりも年輩の婆さん連中ばかり。皮膚科なので、大病に苦しんでいる体の者はおらず、井戸端会議に花を咲かせている。私が入っていくと、一瞥の後、無視無視無視無視無関心。要するに、相手にするほどの者ではないという判断なのだろう。ふん、此方人等だって、手前どもみたいなばばあの相手なんざしておれん。
 待つこと暫し、大変優しい看護婦さんに誘われ、診察室に入ると、ははあ、やはり代替わりしている。考えてみれば、先代は、二十余年前に、既に、爺さんの風貌であったのだ。亡くなっていてもおかしくはない。帝大出で英語、独逸語の原書を海外から取り寄せて読んでいる、という噂のあった、勉強家だったが、息子の方は、こう言っちゃ何だが、似ても似つかず、私学の医学部に寄付金付きで何とか入れてもらったと評判になったことさえある。まあ、近所の口さがない噂話なんざ当てにならないものだし、そもそもそんなことはすっかり忘却の彼方に置いてきてしまったはずだったのだが、御当人の只管のんびりした顔を見た途端、突然、こんなどうでも良い記憶が蘇った。老耄の脳の構造は如何なる具合になっているのやら。
「おでこですか。ははあ、確かに赤くなっていますな」「近頃、飲み過ぎてまして、ええと」人の話をみなまで聞かず「うんうん、そうかもしれませんね。他にお医者さんにはかかっていますか」と尋ねてくるので、若先生のところに月に二度ほど出向いて、日に錠剤三十錠、薬包二つを服用していることを伝える。
「ほうほう、そうですか。それじゃあ、薬負けかもしれませんねえ。はい、もう結構ですよ。お薬出しておきますね」と、あっという間に診断は終わり、診察室を追い出される。それにしても、薬負けかな、と言いながら、更に薬を服用させようとするとは何事ぞ。一体、西洋医学とはどうなっておるのだろうか。釈然としない話である。少なからず、心配になってきたので、西洋医学とは絶縁して漢方の先生でもみつけようか、という気にさえなる。

でこ痒し 枯れ木も山の賑わいか
  待合室に 枯れ尾花

 駄洒落混じりのふざけた三十一文字を連日読まされる身にもなれよ、と申されますか。ははあ、以後、慎みます。

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2005年01月25日

iconデジタルカメラの01


 写真なんてものは、ちょいとしたスナップが撮れれば何でもいい。それ以上のものは、プロフェッショナルか、カメラが何よりの趣味という、裕福な、あるいは、機械好きな方々に任せておけばいい、そんな風に思っていたものですよ。そう言えば、高部なんぞは高校時分からラジオや写真機に凝ってましたなあ。彼の場合、凝っているだけでなく、趣味が嵩じて雑誌に原稿を書いたり、終いには、小さい会社を作って何だかんだやっておりました。学校に背広着て来てましたね。うちが貧乏で制服買う金がないから親父のお古を着てんだ、なんてことを言ってましたが、本当のところはどうだったのか。気取り屋だったからねえ。しかも、勉強している風でもないのにいつも一番取ってて、そのまま東大行っちまった。根っから頭が良かったんでしょうね。もっとも、その代わりってのも何だけれど、運動や腕っ節はからっきしでしたけれどね。返す返すも惜しい人物を亡くしました。

 文明の進歩というのは恐ろしいもので、素人でも気軽に、しかも、簡単に撮れるカメラが出てきたかと思えば、そうこうするうちに、使い捨てのカメラなんてものが出たてんで、随分、驚いたことを思い出します。写真機てえものは高級品だとばかり思っていたが、使い捨て、とはねえ、と。
 そうこうしているうちに、今じゃデジタルカメラ全盛の御時世と相成ったわけです。私の如き老耄は、しかも、写真なんぞに興味のなかった男ですから、デジタルカメラなんて言われても、彼岸のことでございましょう、てなもんでしかなかった。全然興味がありませんでした。ところが、この老耄日記ブログを始めるところから、世界が一変しました。我が家に白いコンピューターが来てねえ。へへ。木造の荒家に白い小粋なコンピューターですぞ。しかも、その前に坐っているのは、こんな干涸びた鰯のようなじじいなのであります。違和感を絵に描いたらこんな具合てなものです。猫に小判、豚に真珠、の体で、爺にマックってなもの。こいつが素晴らしい機械だったのですなあ。そして、素晴らしい機会でもあったわけです、と洒落にもならない洒落を言ってみたりして、今日は随分、躁の側に振れていますけれどね。まあ、これは、例によって、昼間から澤乃井をやっつけているからでして、ひとつ、まあ、あなた、そこのところは御免蒙ります。
 田村師匠に選んでいただいた、今や自慢の青いデジタルカメラで写真をどんどん撮って、どんどん撮って撮って、撮りまくりのこんこんちき。そして、コンピューターにコードを差し込めば、あとはあれこれ自動的にやってくれる。凄いね、どうも。大したもんだよ、世の中の進歩てえものは。いやいや、だが、そうは言っても、いくらマックが進化したところで、澤乃井には化けられめえ、てんだ。はは。

呑みぬれば 色に出でにけり 我が酔いは
  歩けますかと 人の問うまで

 どうにもばかだね、おれてえやつは。

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2005年01月24日

iconライヴハウスでギグ01


 「今度、友達と一緒にギグをやるんですけれど、よかったら、いらっしゃいませんか」と田村師匠からお誘いを受けた。ギグという響きが何とも奇妙であったけれども、前後の脈略から小さなコンサートのことである由は知れたので、喜んでお受けした。以前に、師匠のノートを拝見したときに、不思議なメモがあれこれあったので、それ以来、この御仁の音楽活動には興味津々だったのである。「目蒲線の線路のリズム」「活字乱舞」などとメモ書きされている創作ノート。表紙には「プレス工場」とある。私にはてんで理解不能だが、理解不能なだけにそこにある何かに大きな期待を持ってしまうとでもいうような。
 しかし、私のような老いぼれが訪うては、場違いも甚だしく、周りの人々の感興を削ぐのではなかろうか、と、そればかりが心配である。その旨を率直にお尋ねしたところ、「いやいや、音楽を楽しむのに年齢なんて関係ありませんよ。ぜひ、お越しください。意外に楽しめるかもしれませんよ。すぐ近所ですから、散歩がてらにでもどうぞ」との言葉。
 考えてみれば、全く以てありがたい話である。『日和見』で知己を得たお若い人々と交わるようになってから、本当に、いろいろと見聞を広めさせて頂いている。正直に申して、七十を過ぎてから何かを習い覚えようなどとはちいとも思っていなかった。マリが亡くなり、古稀が近づいた辺りから、新しいものに対する興味を失った。いや、失ったというより、新しいものには目を瞑るようになった、というのが事実である。酒を呑み、家にあるレコードやCDを繰り返し聴き、書架で埃を被っている本を再読し、古い映画を観るともなく眺める。そのような暮らしを主としていた。あまりに人恋しくなると『日和見』や『福寿庵』に足を運ぶ、という具合。その他にも二週間に一度、若先生のところに伺い、薬を戴いてくる。ただそれだけ。今、顧みても、薄ら寒い思いのする、独居老人の孤独な日常である。
 それが、どうだろう。今では、一方通行の、無手勝流の悪口狼藉による老耄日記を以て世界と繋がったような気分でいる。若い衆と本やCDの貸し借りをし、共に杯を干す。スパイの目をした他所様の猫とは蒲鉾を分け合う仲。空には銀色の飛行船。死者の霊が訪い、一献を交わしたり。ああ、何とも賑やかな生活である。もっとも、就寝前の蒲団の中で、この全ては幻覚でしかないのではないか、と不安に駆られることがないわけではないけれど。

 兎にも角にも、私はライヴハウスで行われるギグなるものに伺う所存であります。

投稿者 nasuhiko : 15:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月23日

iconボクボク3


 木澤くんから電話があり、昨年末の名簿の出所が判明した、とのこと。
「そんなことがわかったからって、今さらどうにもなるものかね、ってところだよね。引っかかる人は引っかかり、引っかからない人は引っかからなかったってことにはかわりない」そんな冷めたようなことを言っている。
「誰か引っかかった人がいるのかねえ」「どうだろうね。仮に引っかかったとしても、小額だったら、なかなか言い出さないんじゃないかなあ。みんな、いい歳してもなかなか面子家が多いからねえ」尤もな意見である。私が引っかかっていたとしても、多少の額だったら、あちらこちらに吹聴することなく泣き寝入りしてしまうかもしれない。逆に、古市のような奴なら、大騒ぎして、それをねたに、あちらこちらの呑み屋で燥ぐのだろうな。いやいや、しっかりものの古市がオレオレ詐欺なんぞに引っかかるものか。
 木澤くんが教えてくれたところによると、戸原んとこの孫が名簿を持ち出したそうである。あの、近所でも有名なばかたれである。学校に行くでもなく、定職に就くでもなく、昼日中からぷらぷらしているばかりの、かばたれだが、詐欺の片棒を担ぐほどの度量はない。要するに、こういうことのようなのだ。遊ぶ金欲しさに、筋の悪い金融とちょっとつきあってしまった。どうせ元金なんざ大した額ではなく、気楽に借りてしまったのだろうけれど、町金特有の訳のわからない計算で借財は雪達磨式に増えていき、どうにもならなくなってしまった、と。そこで、先方が、借金をちゃらにしてやるから、親戚一同の所番地から職業まで、何でもかんでも情報を持ってこい、と唆したそうである。我々の同窓会名簿も渡して、おまけに、知っている限りの情報を伝えたそうな。全く馬鹿げた話である。ある日、突然、親戚一同にオレオレ詐欺の電話がかかり、その直後に、我々、同窓の面々に同じような電話が相次いだもので、ぴんと来て、戸原が問い詰めたら、ばか孫は、あっさり白状したそうである。そんな根性だから、ちょっと恐い輩に脅されれば、ほいほい名簿を渡してしまったのだろう。

 被害額は全国で二百億を超えている、などと報道されている。同窓会の名簿は、ばか孫の借金をちゃらにするだけの価値があったのだろうか。その成果のほどは、当の町金に尋ねてみるしかないわけだけれど、勿論、尋ねたところで、知らぬ存ぜぬで何も教えてくれる筈はない。

投稿者 nasuhiko : 14:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月22日

icon男の料理13


 昨日のは何がいけなかったのかがわかりましたぞ。胡瓜です。いや、そんなことは食してすぐにわかった。そういうことではない。胡瓜が瓜科の植物であるのに対して、意外や意外、ズッキーニてえやつは南瓜の一種だってえじゃありませんか。いやいや、人は見掛けに因らぬもの。お見逸れいたした。金輪際、「納豆と豆腐のチゲ」には胡瓜は入れませんよ。入れませんとも。
 復讐戦ということでもないが……そもそも、誰に復讐すればよいというのか……本日もまた挑戦する。昨日の過ちを糧にして、ズッキーニを買いに行った……りはしないのである。今回の工夫は若布である。これなら失敗のしようがあるまい。もっとも、昨日だって作り始めるときには同じことを呟いていたような気がするが……。
 チョ先生の本を見ずとも手順はすっかり頭の中にある。躰が覚えている、と言いたいところだが、正直なところ、まだそれほどではない。さて、出来栄えだが、どうだい、実に素晴らしい。今までのもの以上に美味いかもしれない。おまけに海藻の類は大変躰に良いとされている。もっとも、今更、健康に多少の気遣いをしたところでどうにかなるような状況ではない。此方人等、あっちゃこっちゃにがたが来ている、薬漬けのこんこんちきの老体で御座い。豊多摩郡に生まれ、もう直に豊多摩郡に死んでゆく身の上。好きなものを好きなだけ喰って、呑んで呑んで、呑んで呑んで、呑んで呑んで、楽しくいきましょうや。はは、暢気だね。さあ、今日も田苑をいただこうじゃありませんか。

風吹けど 寒さ知らざり 炬燵酒

投稿者 nasuhiko : 17:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月21日

icon男の料理12


 居住者同様に老化が激しい荒家ゆえ、あちらこちらから隙間風が入り込み、それを気にし始めると留処ない。肩口からすうすうと全身に寒気が走るようだ。こんな夜は、暖かいものを食べて、アルコールでエネルギーを補給して、とっとと寝てしまうに限る。
 あれこれ考えた末に、今日もまたチョ・カムヨン先生の「納豆と豆腐のチゲ」と参ります。毎日毎日喰っても飽きることのないほどのお気に入りとなっているけれど、そこに更に一工夫しようではないか、という豪儀。まあ、大した思いつきではないんですがね。ズッキーニの代わりに胡瓜を入れてみようという趣向。恐らく、ズッキーニてえものは西洋胡瓜みたようなものだろうから、うまくいかないわけがない。今や、手足れと言っても、強ち嘘とも言い切れない、という程度の腕前であると自負する奴吾。淀みなく作業は進み、あっという間に完成してしまった。ふふん。
 田苑をコップに注ぎ、コチュジャンを脇に用意して、早速、食しましたとも。これが、何というのか、ううむ、少々期待外れと言うべきなのか、あああ、言うべきなのであります。何だろうね。どうも薄ら水っぽいとでもいうのか、いや、参ったね。食感も落ち着かない。こんなことなら、却って胡瓜なんざ入れない方が良かった。決してまずいということではなく、寧ろ、美味い喰い物ではあるのだけれど、今まで食べていた胡瓜抜きのものの方がはるかに美味い。
 幸いにして、手元に昨日作ったコチュジャンがあるではないか。そうなのだ。コチュジャンがあるのである。早速、かなり多めに、そうさね、小匙山盛り一杯分ほども入れてみた。いやあ、美味い。急激に深みが出た。唸らざるを得ず。素晴らしい。飲み込んだ後に、口の中がひりひりするけれども、つらい辛さではなく、寧ろ、もう一口、もう一口、と病みつきなる類の辛さである。どっと汗が流れてきた。血行が良くなっている験だ。口の中が麻痺してきた感じがする。おお、それでも、箸は止められない。これが韓国料理の醍醐味ではないか。ううむ、嫌だね、とうとう目が回ってきたよ。
 それでは、みなさん、今宵は、こんなところでご機嫌よう、さようなら。

投稿者 nasuhiko : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月20日

icon男の料理11


 田村師匠からいただいた、韓国の唐辛子ときび砂糖を使って、コチュジャンを作る。既に一度やったことがあるので、を眺めながらとはいえ、お茶の子さいさい、お手並みを御覧じろ、てなものである。主要な材料を放り込んでから、鍋を煮立て、掻き回し続けるのだが、驚いたことに、その際の香りが、前回とは全く異なるのである。ちゃんとした材料を用いればそれだけの効果があることは歴然。師匠への感謝の念を新たにする。それにしても、このきび砂糖というのは、黒砂糖とは違うのですかね。かなり似ているように思える。ぺろりと舐めてみても、黒砂糖とそっくりだ。黒砂糖をざっと精製したものなのかね。よくわからない。韓国唐辛子も舐めてみたが、こちらは辛さが少なく、前にみかけた甘口というやつなのかしらん。煮立て、掻き混ぜれば掻き混ぜるほどに、前にも増して、香ばしい、これだけで丼飯が喰えてしまいそうな、食欲を直截に刺激する匂い。
 出来上がったものは、以前とは比較にならない。やはり、きび砂糖というものを使用したのが大きいのだろう。大幅に甘味が増したし、何よりも、深みがある。辛さは控えめなので、微細な味わいがわかるようになったということもあるだろう。ぺろり、ぺろりと……これだけで立派なつまみになる。そうは言っても、それではあんまり。胡瓜をぶつ切りにして、出来立てほやほやのコチュジャンを塗って食す。美味いのお。ついでに、奴にもつけてみよう。こちらも美味い。素晴らしい。
 さて、腰を落ち着けますか。今宵は暫く振りに田苑といきましょう。ふふ、たまらんね。もう一杯、もう一杯と、重ねる杯。ああ、これは間違いなく一つの幸福の形である。

冬木に風 杯の月揺れる

投稿者 nasuhiko : 19:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月19日

icon町並


 居間の蛍光灯が切れてしまった。電球てえやつは何故こうも頻繁に切れてしまうのだろうか。電球会社はもっと耐久性のある製品を開発すべきであろう。しかしながら、耐久性の高い電球を売ったら、交換の需要は激減してしまう。それじゃ商売上がったりか。あれこれと技術の進んだこの世の中で、電球の切れる頻度は、寧ろ、昔よりも多くなったような気さえする。企業努力が足りないどころか、適当な期限が過ぎたら切れるような、時限爆弾的な電球を販売しているのではないか、と、勘繰りたくならなくもない。強ち冗談でもありませんぞ。
 近所の電気屋さんに電話して、交換に来てもらう。蛍光灯は一本切れると次々に切れるので、まだ点灯するものまでまとめて新しいものに替えてしまうようにしている。電気屋の長男坊……と言っても、彼もいつの間にやら五十ほどにはなろうとしているだろう……は丸いのを大小二本ずつ、長いのを八本、風呂場の特別長いのを一本、担いでやってきた。毎度のことなので、細かい説明などせずとも準備万端整えて御登場。ちゃっちゃか作業を始めた彼だが、突然、大きな声をあげる。「あれえ、マックじゃないですか。お、デジカメなんかもありますねえ。しばらく来ないうちに進んじゃったなあ。びっくりですよ」そんなことを宣ふておる。へへ、ちと鼻が高くなろうてえもの。
 気分が良いので調子に乗って、仕事が片付いたところで一杯勧めると、奴さんも嫌いな口じゃないから、ほいほい乗ってくる。杯を重ねるに連れて愚痴が増えてくるのは世の常か。「新宿辺りに量販店があれこれできてから、商品の売り上げは激減しましたよ。近頃じゃ、それに加えてインターネットですよ。ますます売り上げが落ちてまさぁ。このままじゃ、うちも長くはないね。嫌な世の中ですよ。草葉の陰で親父が泣きます。はは」などと自嘲的な科白が出てくる始末。
 振り返ってみると、この町の商店も随分と様変わりをしている。豆腐屋や蕎麦屋に和菓子屋、風呂屋や本屋にレコード屋、酒屋や自転車屋に煙草屋、と、消えてしまった店を数え上げれば限りがない。これが自由競争社会というものなのだろうとは思うけれど、寂しさを禁じ得ない。「ねえ」と声を掛けようと思ったところ、電気屋の長男坊は良い調子で既に鼾をかいている。

 雲の多い夜空を見上げる。あそこに見えるぼんやりした街灯が切れたときには、誰が交換しているのだろうね。

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2005年01月18日

icon男の料理10


 拙者、またしても呑み過ぎた、老耄の愚人である。のそのそと午後遅く起き出して、昨日の残りの「納豆と豆腐のチゲ」を食す。一日置いても美味いですなあ。宿酔の胃にも優しい。なんと素晴らしい食べ物でありましょうか。一人で悦に入っている。今晩もまた作ろうかと考えていると、お邪魔します、と玄関から師匠の声がした。
「材料を揃えてきましたよ」そう言う師匠の横には、ややっ、うら若き女性がいらっしゃる。「こちらは円さん、美学生さんですよ。もしかしたら、『日和見』ですれちがったことぐらいあるかもしれませんね」そう言われると、何となく見覚えがあるような気がしなくもないが、何しろ、こちらの脳は老朽化著しく、記憶なんざあやふやのぐしゃぐしゃのごちゃまぜ、溶け始めた霜柱の如き有り様である。判然としない。
「茄子彦さんの話をしたら、どうしても一緒に来るって言ってついてきちゃったんですけれど、かまいませんよね」「さようですか。ろくに掃除もしておらんむさくるしいところですが、おあがりなさい」
 昨晩、電話で黴びて捨てざるを得なくなったコチュジャンの話をしたそうである。だがしかし、如何んせん、泥酔が激しく、コチュジャン云々以前に、師匠に電話をしたということ自体、全く記憶にない。面目なく、申し訳ない話である。お二人で近代美術館に「河野鷹思展」なるものを見に行ったついでに、上野を歩いて、韓国の唐辛子と黒砂糖を買ってきてくれたのである。私の嘆きが余程哀れだったのか、とひやりとしないこともない。孰れにせよ、私の如き老いぼれを気にかけていただき、実にありがたいことである。感謝無限大。
 聞けば、円嬢はお若いのに、いける口だという。早速、澤乃井をふるまう。なるほど、大した呑みっぷりである。こういうものは遺伝で決まることなのだろうけれど、それにしても立派なものである、というより、末恐ろしい、というべきか。
 美術や音楽に関して、あれこれと語り合う。この歳になって、そんな仲間を得られるなんざ、僥倖と申す外にない。今宵も、良い酔いと供に暮れてゆく。

日脚伸び 友の来りて よひの長き

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2005年01月17日

icon男の料理09

 我ながら大満足していた、以前の作にコチュジャンがある。最近も、酒のつまみや何やかやと活躍していたのだが、何たることか、黴が生えてしまった。ううむ。参考にしておる書籍には夏場以外は常温保存でかまわん、というようなことが書かれていたのだけれど、それでも傷んでしまったのである。我が貧乏屋敷の室温は、どうも真夏並みに高かったということなのだろう。少々がっかりしたものの、さして難しいものではない、再度挑戦すれば良い。次回は韓国の甘口の唐辛子を使えば、以前よりも良いものが作れることだろう、と前向きに考える。今年は何だかあれもこれも前向きに考えられるなあ。もっとも、躁が高みに昇れば昇るほど鬱の沈みも激しくなるわけで、楽観してばかりもおられんのだが。
 黴のおかげというのも変な話だが、御無沙汰になりかけている韓国料理を再開しようという気になった。例によって、『韓国料理の本』をぱらぱらと捲る。家にあるものだけで事足りるものはないか、と眺めているが、都合が良く、かつ、本日の食欲に副うものが、なかなかみつからない。ズッキーニとは何ぞや。写真を見て思い出す。胡瓜と瓜の合の子みたようなやつだね。こんなものがなくてもかまやせんとて、五十五頁の「納豆と豆腐のチゲ」に挑戦する。ズッキーニ以外は全て揃っておるので、買い物に出る必要もない。
 いざ、調理に取り掛かると、これが頗る簡単なのである。呑み始めていたせいもあり、匙加減の如き些事は気にせず、ざっとざっとと、目分量で進める。ほんの二十分ほどの内に完成してしまった。寧ろ、呆気ない、というか、物足りないという気さえするほどでありました。しかしながら、掛かった時間の多寡が問題なのではない。問題なのは味なのである。して、その出来栄えだが、これが美味い。いや、驚きました。美味い。大変美味い。韓国料理なのだろうけれども、日本人の味覚にぴったりの味。こいつがおふくろの味てえものよ、と言ってしまっては、流石に大仰に過ぎる、というより、単なる嘘になってしまうけれど、日本的な美味さでありますぞ。いやあ、これだけ手軽でこれだけの美味。毎日食しても飽きそうにないし、文句の付けようがない。是非、是非、お試しあれ。いや、貴君も虜になりましょうぞ。身も心も温まること、請け合い申し上げる。

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2005年01月16日

iconカスタマイズ01

 本文の中で話題にしたレコードの一覧をリストのような形で文末に付けようとしたのだが、気に入ったようにならない。相談すべき田村師匠にも連絡がつかず、思い切って是田大師匠に電話差し上げたが、留守番電話が出るばかり。しかも、「家におりますが、ただいま電話に出る気分ではありません」というメッセージ。流石だ、というべきなのか。大胆不敵である。
 しかたがないので、自力解決を目指し、漠然とインターネットを検索する。他の人のブログを読むのはなかなか楽しいのだけれど、技術的なもの、殊にコンピュータやブログの云々かんぬんについて書かれているものは、当方が未熟者であるだけに珍紛漢紛である。意味のわからんものを読み続けるのは苦痛以外の何ものでもないので、申し訳ないけれど、そういうページはさっさと立ち去るようにしている。だが、待ち給え、自分で問題を解決しようと思うのなら、そういう態度ではいかんのである、と、なぜだかやる気を出して、正面から取り組んだ老いぼれである。あちらこちらのページを渉猟して、読み始めるのだが、すぐに挫折、移動、読み始め、挫折、移動、を繰り返し。諦めかけて、一杯呑んで、いやいやまだまだ、と再出発。そして、とうとう辿り着きましたよ、私にも何とかわかりそうなところに。katati.memorandumさんの「blockquoteで改行を」というところです。必要なことが簡潔にまとめてある。ありがたい話だ。長い説明文を読んでいると泥酔時以上に目が回る思いのする私にとっては、これは何よりもありがたい。
 早速、書かれてある通りにやってみた。はああ、インターネットてえところは、どこもかしこも、舞台裏から眺めりゃ文字ばっかりなわけですな。とんでもないところに迷い込んでしまった。さながら、宇宙探検隊が未知の星の得体の知れないジャングルの中に潜り込んでしまったような心境である。右を見ても、左を見ても、文字、文字、文字の山。しかも、意味の判る言葉など殆どない。ううむ。しかし、私は頑張ったのであります。膨大な文字群の中から、どうにかこうにか該当箇所を発見し、「blockquote」を消して、保存したのであります。宇宙探検隊は地球を救うための使命を無事に果たしたのでありますよ。
 いやあ、Transitというソフトを一人でいじるのは初めてだったので、緊張しましたなあ。見様見真似で、つまりは、門前の小僧てな具合ですな。それにしても、こう、何というのか、文字ばっかりが出る画面というのは、無言の圧力というのか、人間を寄せ付けないような何かがある。私の如き老耄の無知人が立ち向かうのには大きに勇気が要る。しかし、やり遂げましたとも。正直に言えば、私にはなかなかの遠い道のりでありましたけれどね、兎にも角にも、一日がかりで解決しました……はずです。ふふふ、一皮剥けて、大きな飛躍をしたような、申しようのない達成感、満足感に充足しておる次第。いやあ、大したものじゃありませんか。ふふ。お陰様で今日も酒が美味い。美味いよ、酒が。えへへのへ。

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2005年01月15日

icon交換音楽02


「いやあ、グッドマン、良かったですよ。実にいい。親分がホワイトだからですかねえ、やたらにポップに響きました、ぼくの胸には。ジャズとか、そういうくくりではなく、純粋にポップな音楽の快楽というのかな。う〜ん、言葉っていうのは難しいですね」と腰を下ろした途端に、あたふたと語り始めた師匠である。「まあまあまあ、まずは一杯」と差し出した杯をぐいと干す。いつになく気持ちの良い飲みっぷりである。
 それにしても、あれですな、自分の好きなものを他人様に、それも、好感を持っている友人に認めてもらえるというのは嬉しいものです。幾久しく忘れていたけれど、学生の自分に級友とレコードの貸し借りをした時にも同じような感慨を得ていたのでしょうな。家内に気に入ってもらえたときもほんわかとした良い気分でしたな。もっとも、先方は早いとこあっちの国へ行っちまったので、それも遠い昔のよう。
「では、今度はヘレン・ウォードを聴いてご覧なさい。若い頃には彼女の歌声に随分胸をときめかせたものです。繰り返し繰り返し聴きましてねえ。ジャズ・シンガーとしてどうなのかってことになると、どうなのか。まあ、そんなことは評論家に任せましょうや。とにかく聴いてみて下さい。
 それから、この間お借りした『ザ・ドロッパー』なんですが、もう少し借りていてかまいませんか。一回目に聴いたときには何だかわからなくて、放り出しておいたんですけれど、昨日、泥酔しながら大音量で聴いていたら、急に、ぴかっと閃いたような気がするのです。もっとも、酔いが激しかったので、細かいことなんざ思い出せないんだけれど、何だかね、ああ、すごいなあ、なんて思ったもので、もうちょっと腰を据えて聴いてみたい」
「どうぞ、どうぞ。一聴してピンと来なくても聴き込んでいるうちにどっかーんとくるものもありますからね」
 その後、グッドマンとコチュジャンを肴に随分と盛り上がりましたとも。仕舞いには、「シング・シング・シング」に合わせて、箸で皿を叩き出す始末。ああ、この歳になって、新しい友と音楽談義に花を咲かせることができるとは思いもよらなかった。

太箸で皿叩き 唄えや唄え

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 ヘレン・ウォードの『グディ・グディ』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

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2005年01月14日

iconお腹こわしました。


 お腹を壊す、という表現は、字面を見る限り、中々に物騒な物言いであるのだが、不思議と耳当たりは柔らかい。柄が悪く、厳つい外観の、例えば、髪を金色に染め、鼻から耳から舌や臍まで、もしかしたら、他人様には言えないようなところにまでピアスをぶら下げているような人々でも、「お腹こわしちゃって……」と口にすると、ちょっと情けないような、でも、その辛さわかりますぞよ、というような親近感を持てるような、微妙な間合いで、一瞬、友情が湧いてしまうような気さえする。また、こんな馬鹿なこと書いてますが、そんな恐いバンドマンの如き風采の知り合いが実際にいるわけではないので、飽くまでも、想像でしかござんせん。
 兎にも角にも、「お腹をこわす」というのは、病気というには力不足、でも、それなりに辛くて、かつ、誰もが経験しているものなので、ある種の、「同病相哀れむ」的な共感を生むのだろう。危険度が極めて低いからこそ、成り立つ図である。

 今朝方、ぼんやりと寝呆け眼でテレビを見ていたら、ちょっとした下痢だと馬鹿にしてはいけません。高齢者の場合死に至ることもありますからすぐに検査を受けた方が宜しい、というような、脅迫めいたことを白衣を着たおっさんが言うておる。伝染性のあるノロウィルスに冒され、亡くなった老人もちらほらいるのですぞ、というようなことを力説している。また何だかわからん病原菌が出てきたな、と。そんな番組を見ていたせいか、腹がごろごろ言い出して、慌てて、厠に駆け込む。ううむ、まさに下痢である、尾籠な話で申し訳ないけれど。きゅっと腸の辺りが軽く締め付けられるような痛みもある。もしかしたら、件のノロウィルスにやられてしまったか、と思ったら、普段は惜しくも何ともない命だけれど、こんなことで死ぬのかいなと力が抜けて、どぎまぎしてきた。若先生のところに駆け込むべきだろうか。そうかもしれない。だが、そうしたら、きっと入院ということになり、二度と表を歩くことなく店仕舞いになってしまうのではないか。そんなことなら、その前に、もう少し呑んでおかねば、と半ばやけくそになりながら、いつもより良いピッチで澤乃井を呷る。呷る。厠に何度か飛び込んだけれど、昼前にはすっかり泥酔して、気がついたら、下痢も腹痛もすっかり治まっていた。大方、寝相が悪くて腹を冷やしただけだったのだろう。はは、暢気だね。暢気はいいけれども、粗忽者てぇやつは少しく悲しいものですな。情けないやら、恥ずかしいやら、馬鹿馬鹿しいやら。兎にも角にも、もう寝ます。

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2005年01月13日

icon小さな来訪者04


 一つのことが気になると、うじうじぐずぐずとそのことばかり考え続けてしまうのは、何だろう、粘着質とでもいうのか。元からそういう傾向が他人様より強かったように思う。嫌なことに関しては殊更で、堂々巡りを繰り返し、心の中はぐしゃぐしゃがっちゃんびっちょんちょんになってしまう。そんなことがあると、酒に逃れ、おかげでますます事態は悪化し、あれこれとしくじったものである。老いとともに、様々な能力が低下するばかりなのに、想像力、いやさ、妄想力だけはどんどんどんどん成長し続けている。あることないこと、ないことないこと、何でもかんでも妄想し続け、妄想は拡がり、妄想は妄想を呼び、妄想による妄想のための妄想の永久機関となる。あな恐ろしや。
 引鉄になるのは、どんなことでも良いのである。先日の空飛ぶ謎の物体だったり、恵子くんの幽霊だったり、と。ボクボク詐欺の電話だって、もしかすると、全て私の妄想の産出したものなのではないか、と、いやいや、あのあと、木澤くんからオレオレ詐欺の件で電話があったから、あれは違うのだが。ううむ、昼間から呑み過ぎたもので、頭の中が神楽囃子でぴーひゃらひゃらひゃら。何が何だかわからない。わからないけれども、今日もまた澤乃井は美味い。
 この酒てえものがまた曲者で、このおかげで人生のあちらこちらに汚点を残し、酷い目に合っている。にもかかわらず、また、今日も呑んでしまっているこの老耄の奴彼。まあ、残り少ない人生を独りで生きて独りで死んでいくだけさ。かまうこたあない。
 おうおう、来たな、間者の猫くんよ、猫の間者くんよ。見慣れてくると愛い奴よのお。貴公のために、鈴廣の蒲鉾を多めに買ってありますぞよ。さあ、食べたまえ。それにしても、君てえものの顔は、あれだね、中々に可愛いね。可愛いんだけれども、ちょっとこの世離れしておるね。この世を離れて、西空の彼方からやってきた宇宙人のようでありますなあ。ああ、ああ、そうであったのか。貴君のことを隣近所の誰かに放たれたスパイか何かと思い込んでおりましたが、実は、宇宙人だったのございますか。先日の銀色に輝く物体だって、あなた様が運転していたのではございませんか。おいおい、何だい、猫殿、蒲鉾にばかり気を取られてないで、人の話も少しは聞き給えよ。返事の一つもしてくれりゃあ、なお結構なんだけれども、まあ、宇宙人の考えることはあっしらには分かりようもねえこってがすな。はは、もう一杯呑んじまえ。あははは、何だか楽しいねえ。

 こんな愚か者の上にも、日は沈み日は昇る。ありがたい話ではございませんか。

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2005年01月12日

icon謎の物体3


 謎の物体は謎のままであって、いつまでも大きに気になる。いやはや気になることこの上ない。しかしながら、いくら考えを巡らせてももやもやするばかりで埒が明かない。同じような時間を見計らって表に出る。同じような時間に同じような場所を同じようにぶらぶらとカメラ片手に歩いたとしても、相手は七十数年間で初めて出会したものである。次に会えるのは七十数年後ではないのかねと思うのが常識というもの。しかしながら、判然としない気持ちを少しでも晴らそうと、インターネットで検索をしてみた私、幾許かの知恵がついている。ふふん。これは、少しずつとはいえ、このマックというコンピューターを使いこなせるようになってきたという証左ではなかろうか、などと調子に乗っている老いぼれが一匹。
 検索でみつかった謎の飛行物体に関するホームページを見ていてわかったことは、一度見た人は二度三度と見ることが多いようだ、ということである。つまり、もう七十数年待たずとも、私もまた出会える可能性がある、ということである。もっとも、この老体のこんこんちき、こちらの寿命が尽きる方が先である可能性もとても高い。
 兎にも角にも、ぶらりぶらりと東へ歩き、時々、振り返っては西の空を睨め付ける、そんな繰り返し。先日の遭遇は夕刻四時半の頃合いだったか。五時よりは大分手前だったように思う。阿呆のように歩いては振り返りを繰り返し、疲れてきたところで我が安普請への帰路につく。空の色を見る限り、程好く暮れてきたようだ。さあ、出でよ、円盤の君よ。さあ、さあ。少しく歩みを遅め、屡々立ち止まり、空を見上げる。暮れかかる陽光が天と地の端境にある種々の色をあれこれと変化させ、やあやあ、何とも美しい。極々短時間のうちになんと多くの光が生まれては消えることか。そうだ、円盤に乗った諸君たちも、この、瞬く光の変化を眺めるために、この星に立ち寄ったのではないか、と、ふと思う。目的地はここではなく、どこか別のところなのかもしれない、と。

冬暮景 光の乱舞 雲の間に

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2005年01月11日

icon謎の物体2


 昨日の謎の物体は一体何ものだったのだろうか。一晩考えてみたけれど、思いつくことはない。こうしてうじうじ考え回していても埒が明くはずもないので、誰かに相談してみようかとも思うのだが、こんな話を持ち出すと、あれだね、いよいよ茄子彦のやつも来るところまで来ちゃったようだね、妄想が膨らんじゃってさ、宇宙船が来たぞぉとか言って騒いでますよ、え、困ったもんじゃありませんか、などと近所で噂になるのではあるまいか、と心配になる。その一方で、本当に見たのだから、見た儘、有りの儘を訴えれば良いではないか、とも思う。正論である。だが、しかし、私の如き老耄で朦朧としているじじいと比較しては申し訳ないけれども、「それでも地球は回っている」と呟いたガリレオ・ガリレイの例だってあるのである。つまり、如何に正しいことを述べていたとしても世間に理解されぬことは往々にしてあるのだ、と。ソクラテスだって死刑を宣せられたではないか。『水戸黄門』や『大岡越前』のような時代劇、あるいは、子供向けの何とかライダーとか何とか軍団というような番組では、勧善懲悪が約束されているけれど、現実世界ではそうはいかない。嘸かし立派で高潔で有能であるはずの裁判官や警察官や弁護士のようなお偉い人々が寄り集まって頑張ったところで、冤罪を完全になくすことは不可能なのである。それが世の現実なのである。あるいは、それが人間てぇものでがす、と言うべきかもしらん。
 ガリレイやソクラテスは自説を曲げず、刑を甘んじて受けることを選択した。実に立派な話である。それに対して、何だ、このじじいは。近所や知人の口の端に上るのではないか、と怖じて、自分が見たものを正々堂々と述べることもせんというのか。情けない。ああ、情けない話である。謎の物体を見たという事実を、己が胸の内に大事に大事にしまい込んで墓穴の中まで持って行こうというのか。そんな風に思ったら、どうにもこうにも自己嫌悪感がひしひしと押し寄せてきて、堪らず、澤乃井に手を伸ばす。今日も美味い。美味いのである、澤乃井は。そして、酔いに任せて、謎の物体を見たんだぞ俺様は、と、こんな人気のないところで息巻いている次第。嫌な老人だよ、全く。

冬晴れの宙 謎の舟 銀河色

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2005年01月10日

icon謎の物体


 相も変わらず、天気が良い。徹底的な冬日和が続く。毎日毎日、早い時間から澤乃井を傾ける。こんなことになってしまうのも、澤乃井がすっきりと美味いからいけないのだ、などと、やけくその八つ当たり。昼日中から飲んだくれていたとて、誰に迷惑をかけるわけでもなし、御当人は至って良好な気分で過ごしているわけであり、八つ当たる理由は、全くない。寧ろ、ありがたい話である。現代の東京にも、美味い酒や美味い醤油、美味い蕎麦なんぞをこつこつと作っているところがあるというのは、大きに感謝すべきである。
 午後、程好くほろ酔い加減で、愛用のデジタル・カメラを持って表に出る。説明書を読むと恐ろしくいろいろなことができるようであるのだが、私の老いさらばえた頭脳では用法が記憶できず、こんなときには何か設定をいじればいいのだろうなあ、と思いながらも、吊るしのままで使っている次第。それでも、田村師匠が選んでくれたものだけあって、大変美しい写真が撮れて満足満足大満足。今日も満足、明日も満足。
 カメラを手にして、ぶらぶらぷらぷらと歩いてはシャッターを切る。構えた手元が酔いゆえにゆらりゆらりと定まらぬ。まあ、かまわない。ぴんぼけも人間様がそこに介在しているという味である、などと、戯言を呟きながら。しかし、天気は良いけれど、外は寒いね。指が悴みまさあね。ただでさえ不器用な指先がますます言うことを聞かなくなる。こんなことで悪戦苦闘したってしょうがないんですけどね。
 次第に寒さが募り、いくら何でも堪え難い段階に達したので、我がおんぼろの庵に千鳥足を向ける。美しい夕焼けになりそうだ、そんなことを思いながら、進行方向正面、西の空を見上げると、何だかわからないけれど、銀色に燦然と輝く物体がゆったりと音もなく動いている。その光があまりに激しいので、正確な形状は見て取れぬのだが、円盤型とでも言うのだろうか。そうだ、円盤型なのである。何となれば、あれは、どう考えても空飛ぶ円盤だからである。おお、おお、ついに、と思いながら、足を速め、少しでも近づこうと思う。あとになって考えれば、少しぐらい早足で歩こうとも、飛行物体に追いつくはずなどないのだけれど、その瞬間にはそれだけの知恵も回らず、すたすたすたすた、とできる限りの早足で。しかし、その目眩かす代物は、瞬きをした隙にどこかへ消えてしまった。
 あれは、あれは一体何だったんだろうか。何だったんだろうか、と疑問形で記しているが、実のところ、あれは空飛ぶ円盤、所謂、宇宙船ではないか、と強く思う。孰れにせよ、あれは世に言う未確認飛行物体であることは間違いない。だって、既知のもののなかには、外形が判然とせぬほど輝きまくっている飛行物体などありません。音のしない飛行物体だってありません。突然消えてしまう飛行物体だってありません。ああ、しまった。何たることか。私は、その時、手にデジタル・カメラを持っていたのだった。持っていたのに、あまりの出来事に我を忘れ、レンズを向けるどころか、無駄に早足で追いかけてみたりして、もう完全にばかである。しまった。しまった。ああ、いやになる。

冬日和 謎の物体 西空に
 指も悴み 脳も悴み

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2005年01月09日

icon交換音楽01


 昼過ぎに田村師匠御来訪。早速、呑む。
「毎日毎日、天気が良くて結構なことですね」「そうですな。まあ、同じような晴れが続くと風景が変わらないような、つまり、時間が止まっているような気分になるのが難点ではありますがね」「でも、そんな日々の繰り返しの中で、ほんの少しの違いでもみつけるとうれしいじゃないですか」そんなとことんどうでもいい世間話を肴に杯を重ねる。隠居的生活の醍醐味ではある。もっとも、先様は隠居どころか、二十代半ば、これから大いに活躍しようという世代に属している。
「先日、約束したCDや本の貸し借りのことですが、ちょっと探せてもらっていいですか」と仰ると、レコードやCDがどかすか放り込んである棚のところでがさごそ始めた師匠である。私も嘗ては、相当に音楽に入れ込んでいた時期があるものの、所詮、我が家にあるものなんぞ、古ぼけたものが大半である。若い人たちの気に染むものなどあるのかしらん。そんなことを思いながら、暫く待つ。彼が手にしているのはグッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』である。ははあ、なるほど、こういうものをお好みか。
「今日はこれを借りてまいります。こういうのは、気になっていても、なかなか買う機会がありませんからね」「良いものを選ばれましたな。それはもう名演の中の名演ですよ。グッドマンも元気いっぱい、共演者連中もいい調子ですぞ。思い浮かべるだけで鼻歌の一つも出ようてぇ勢いです」
「私の方はこれを置いていきます。メデスキ、マーチン&ウッドっていうトリオの『ザ・ドロッパー』というアルバム。これもジャズなんですけどね。どうでしょう。まあ、あれこれ能書きをうんぬんしてもしょうがないですから、とにかく聴いてみてください。茄子彦さんが気に入るかどうかはわかりませんけれど、今時はこんなジャズもあるのかな、と」「聴かせてもらいますとも、聴かせてもらいますとも」
 未知の音楽に対する期待が、田村師匠の嗜好性に対する興味が、酔いによる過剰な血行が、少なからず、我が肋骨を押し広げ、胸を膨らませる。若き頃の、友との文通のような、そんな気分に近いだろうか。

冬晴れに響きけり ジャズの交換

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

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2005年01月08日

icon小さな来訪者03


 年を越してから、はじめて、例の猫がやってきた。「おめでとうございます」と声を掛けてみたが、間の抜けた面でこちらを見上げるばかりで、にゃあとも寸とも言わない。ことによると、寧ろ、先方こそ、間の抜けた面で見下ろすばかりの耄碌じじいだなあ、と思っているのかもしれない。兎にも角にも、正月である。いや、世間では正月気分は終わっているのかもしれないけれど、私にとっとてはまだまだ正月なのである。何しろ、陽の高いうちから酒を呑む毎日。「おい、猫くんよ、乾杯とはいかないだろうから、これでもつまみたまえ」と蒲鉾を千切って放り投げる。鈴廣の蒲鉾だぞよ。猫の味覚は正直だろうから、その美味さがよくわかるのだろう。がつがつがつがつ、あっという間に食べ終えてしまった。喰い終わってしまうと、先程と同じような、呆けた顔つきでこちらを見上げる。物乞いする風情ではなく、ただただぼうっと見上げている。その表情が、何とも憎からず、また一切れ、放り投げる。がつがつ。また一切れ。がつがつ。そんなことを繰り返しているうちに、蒲鉾はすっかり彼奴の腹の中に収まってしまった。まあ、良かろう。先方は、摂取した栄養分を成長に利用する。同じ呆けもの同士とはいえ、こちとら老い先短い老耄の身、滋養はぽんこつ脳みそとぽんこつ肉体を少しく維持する役にしか立たぬ。それに加えて、私には澤乃井がある。あはあはあは。
 蒲鉾がなくなってしまったので、今度は、ヤマサの竹輪である。これがまた何とも美味く、最適の肴である。「ほれほれ、猫くんよ、もう少しやってみるかい」と放り投げる。やはり、がつがつと一気に飲み込むように食す。もう一切れ、もう一切れ、と同じことの繰り返し。これで、私らは竹馬の友ならぬ竹輪の友だね、などと、苔生した駄洒落が出るようでは、そろそろお開きにするが良かろう。

喰い積みの蒲鉾分け合う 竹輪の友

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2005年01月07日

icon恵子くん来訪11


 まだ門松を立てたままの家も少なくはないけれど、世間では正月気分はもう終わってしまったようだ。私のように、身辺に特別な変化のない人間にはわかりにくいけれども、テレビが特別番組、特別番組と騒ぎ立てなくなってきたので、そろそろ正月も終りに近づいている、というのが世間の標準的な認識なのだろう。ま、そんなことには関係なく、兎にも角にも、今日も朝から酒を呑む耄碌じじいである。

 恵子くんが亡くなったのは、十一月の初め、古市によれば、ほぼ間違いなく五日乃至は六日のことであるとの由。その一方で、彼女が我が家を訪うたのは十二月三日である。これは間違いない。一緒に写真でも撮っておけば良かったのだけれど、ない。見送った後に、夕焼けの中の公孫樹や杉の写真を何枚か撮ってはあるけれど。
 つまり、彼女は死んでから一月ほどもしてから来訪したことになる。辻褄の合わない話だ。このことに気づいてから暫くは随分と気に病んだものだったけれど、今になってみると、そんなことはどうでもいいことではないか、という気になってきた。何がどうあれ、彼女は既にこの世にはいないのだし、生前にしろ死後にしろ、彼女と杯を挟んで過ごした時間は楽しかったのだし。仮に、あれが、幽霊だの何だのであったとしても、何も不都合はない。世間の常識と多少の齟齬があるというだけのことではないか。
 この際、もう一度、遊びにきてくれはしまいか、などと、些か不謹慎なことを思う。折角だから、高部も連れてきてくれると嬉しい。高部と話したいこと……いや、話したかったことと言うべきか……はいろいろあるのだ。いやいや、それよりもマリに会いたい。マリよ、君はどうしているかね。

彼の岸の妻を想いて 冬日和

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2005年01月06日

icon恵子くん来訪10


 皆さんは神秘的なこと、不可思議なことの存在を信じますか。超能力云々、UFO云々、ついに雪男を発見云々、などなどと、再三再四、特別番組が制作されていることを考えると、少なからぬ数の世人の関心事であることは間違いないのだろう。霊能という類の職能を売り物にする人が、未来や人様の運命を予言したり、行方不明の事件に挑戦したりもしている。私自身、チャンネルをかちゃかちゃやっていて、そんなものに出くわすと、何を言っておりますか、と思いながらも、ついつい引き込まれてしまったことがないわけではない。
 天変地異と呼ぶのが相応しいような大きな地震や台風が世界のあちこちで発生する事態を目の当たりにする昨今、自然の猛威に恐れ入るという素直な心境とともに、その名称は兎も角も、目に見えぬ力に縋りたくなるのも人情であろう。今こそ、終末思想を謳う怪しげな宗教家が活躍しやすい時代はないのではなかろうか。いやいや、話が逸れてしまいました。
 私の立場はどうかというと、どんなことでも否定はすまい、というものであります。アメリカ大統領が宇宙人と肩を組んで宇宙船の開発に勤しんでいる、などと言われると、そんな馬鹿げたことがあるものかねえ、と訝しみはするものの、否定するつもりはござんせん。ただ、矢鱈に人心を惑わしたり、人の心の弱みにつけ込んで商売をするような態度には断固として反対する。考えてみれば、我ながら、なかなかに常識的な判断ではなかろうか、と思う。
 しかし、恵子くんの一件以来、些かもやもやした神秘性に付き纏われている私でもある。些かという段階ではない。判然としない神秘に包まって、酒の酔いの溺れ、ふわふわと地に足の付かぬ、曖昧な日々を過ごしている。勿論、そればかりではないのだけれど、独りでいると、ついつい、ねえ。

紅葉つ午後 雲の果たてに消ゆる友

投稿者 nasuhiko : 09:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月05日

icon田村師匠と呑む


 ありがたいことに、田村師匠が年始にお見えになった。形ばかり屠蘇で乾杯して、早々に澤乃井に切り替える。
「今日は暖かいですから、少し、空を眺めながら呑みましょう」と仰る。なるほど、外に出てみたら、陽が当たる場所にいる限り、ぽかぽかとして恰も春の如き味わい。もっとも、見回せば葉を落とした枝々が冬であることを強く主張していはする。だから、空を見上げて、ということなのか。
「勘定してみると、私たちは半世紀ほども歳が離れているのですよね。なのに、こうして、冬の透き通った青空を見上げながら、酒を酌み交わしている。面白いことです」
 半世紀などと言われて、はっとしたけれど、なるほど、確かに、私たちの間にはそれほどの時が横たわっているのである。自分が年を取った、という実感はあるものの、どこか現実感が薄いのは、子や孫がいないからだ、と度々言われてきた。確かに、そうなのかもしれない。孫ほどの年頃の若者と連座して見上げる空から、何だか特別な感懐が降ってくるような気がした。
「そうですけれど、杯を交わすのに歳なんぞ関係ありませんぞ」「それはそうですね。法律のことを気にしなければ」とはははと笑う師匠。「もっとも、ぼくが言いたかったのは、歳が違っても一緒に酒を楽しむことができる、ということではなく、歳の差の分だけ異なる情報を交換すると面白いかなってことなんですよ。よその御宅に伺うと、どんな本やCDがあるのかなってことが気になりませんか。ぼくはすごく気になる。先日、こちらに伺ったときにも書棚を覗かせていただきましたが、面白そうだった。読んだことがあるもの、ないもの。書名も著者もまったく知らないものもある。一緒に呑んだり、コンピュータで遊んだりしていても、ぼくたちの間にはこんなに大きな差があるんだなって思ったんです」「それはそうですな。私なんぞは旧仮名で育ち、焼夷弾の雨をかいくぐって、どうにかこうにか今日に至るわけですから、そりゃ、違いますとも、違いますとも」少し酔いが回ってきた。
「本やCDの貸し借りをしましょうよ。ぼくは新しい友だちができるといつもそうするんです。そんなことから、何となく感覚的に繋がっていけるような気がするんですね。まあ、勝手な思い込みにすぎませんけれど」
 勿論、私としては、反対するどころか、大歓迎である。自分が知らない領域の書物や音楽に出合いたい、という気持ちは強いものの、いざ本屋に入ってみると、何を読んで良いのやら、眺めているうちに眩暈がしてくる始末。自分が時代から取り残されたような気分で店を後にするばかり。田村師匠の願ってもない申し出を得て、期待に薄っぺらな胸を大いに膨らませる、萎れたじじいである。今日も酒が美味い。

投稿者 nasuhiko : 17:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月04日

icon年賀メール


 年賀状が少ない、という呟きをここに記したら、驚くべきことに、奇特な方から年賀メールが届いた。「たまたま通りすがっただけのものですが」ということであったが、大変ありがたく思い、心の底よりに感動している。ありがとうございます。老耄の闇から綴る、この訳の判らない日記の存在意義が、この年賀メール一通によって、肯定的に認められたように、勝手に思い込むことにしよう。
 こんなものを誰が読むものか、と思い、その一方で、誰かに読んでもらいたい、とも思う。結局のところ、誰も読まなくても書くのだけれど、誰かが読んで何かを感じたりしてもらえれば、それはそれで嬉しい、というところだろうか。だが、批判のメールなど来たらどうだろう。やはり、気分が悪いだろう。けれども、実のところ、批判のメールほどありがたいものはないのではないか、とも思う。この歳にもなると、勝手な思い込みや覚え違いがあろうとも、誰にも正してもらえなくなる。いつの頃からかわからないけれど、間違いを直されなくなるのですな。あまりにも卑近で、どうでも良いことだけれど、最近のことでいえば、私はエリンギのことをエンギリと誤って覚えておりました。『日和見』で呑んでいた席で、話題が近所に新しくできたイタリアン・レストランのことになり、「近頃はエンギリなんて妙な茸もあらわれましたなあ。縁切りなんて縁起でもない」と言ったところ、みんなが顔をちょっと見合わせたので、何か妙だな、と気がついた。それまでは、「秋野菜とエリンギのパスタ」などというメニューを食しながら、これじゃまるで「飽きやすくて縁切りのパスタ」じゃありませんか、などと、馬鹿な駄洒落を独り言ち、苦笑いしたりしていたのである。冗談ではないところが、如何にも愚かな私である。
 翌日、スーパーで件の茸の名称が「エリンギ」であることを確認したときには、瞬間的にぽっと顔が熱くなる思い。このような些細なことでさえ、正してもらえないようになるのでありますぞ。私の言うこと、書くこと、何か間違ったところがござったら、是非是非是非是非、御教授いただくようお願い申し上げる次第。

春光よ 我が昏迷を 濯ぎ給え

投稿者 nasuhiko : 09:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月03日

icon雪の色眼鏡


あらゆる汚れを覆い隠し
雑音を吸い込み
目眩く光を照り返す

この美しさ 目映さ 静けさ

白にだって陰影があるのだけれど
反射光は目を欺き
世界をやたらに明るく見せる

この美しさ 目映さ 静けさ

この美しさの下に 目映さの下に 静けさの下に
目隠しされた現実がある

朝になって溶けはじめた白き原の上を
土色のものがこちらへむくむくと動いてきた
猫だ
ああ あの猫か

投稿者 nasuhiko : 17:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月02日

icon賀状


 近年、めきめきめきめき届く賀状が減っている。こちらから元日に届くように出していたのを廃してから、それに呼応して先方から届くものも次第に減ってきた。当たり前だ。新年早々暗い話題のようだが、加えて、親類や知人に逝去する方々が一人二人、三人四人、数え上げれば胸が塞ぐが、もっともっと。つまり、減ることこそあれ、増えることはない。賀状を廃したといっても、届いたものにはこつこつと返事を書く。そんなわけで、辛うじて、繋がりが保たれている幾許かの人々が残るばかり。
 年賀状なんて制度は馬鹿馬鹿しいもの、止めるに限るよ、と、嘗てから思ってはいたものの、実際に踏み切ったのは仕事を辞めてからのことである。何だかんだいっても、社会というのは、賀状やお歳暮などといった、本質的な意味とは違ったところで続けられている儀礼的な仕組みに支えられている部分も多いのである。もっとも、本当に感謝の気持ちをもって、贈り物をする場合や新年を迎え寿ぐ気持ちを伝え合いたい、という場合だってなくはない。けれども、実際のところ、過半は形ばかりの儀礼的な意味合い以上のものではないだろう。社会の潤滑油というような言い廻しで説明する人がいるし、それが実態でもあろう。組織の一員として生きていくには潤滑油で関係を滑らかにすることも必要だ、ということだ。しかし、余生を静かにおくるばかりの、この老いぼれ、潤滑油など必要ないわい、と、そう思っていたのだが。
 兎にも角にも、賀状が減って減って減ってきた。昔は、賀状を書くだけで腱鞘炎になりかけ、それを回避できるのならば、と高級萬年筆を何本も何本も買ってみたりもしたものだ。ところが、今では僅か十数枚。うち数枚は保険会社や近所の酒屋からの、正に儀礼的に過ぎぬ素っ気ない印刷物。そんなわけで、のんびり返事を書いても、午後には終わってしまい、手持ち無沙汰なほどである。馬鹿馬鹿しいと言って廃したのに、こうなると、いやに寂しい気持ちになるのだから、愚人は困る。情けない話だなあ。

初春を寿ぐ賀状 痛し痒し

投稿者 nasuhiko : 08:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月01日

iconの計は


 一年の計は元旦にあり、という有名な警句だか諺だかがある。一理があるようなないような、微妙な感じではなかろうか。しかしながら、一年の初めに計画をきちんと立てることが悪いことであるわけではなかろう。実際、こういった句切れ目にでもなければ、長期的な展望をきちんと描くことなどないわけで、優れた助言と言って良いかもしれない。だが、これには、若い人たちにとって、という限定が必要だ。私を始めとする老人にとってみれば、一年という展望は些か長過ぎる。これが率直な意見である。平均寿命は延びているとはいえ、七十も超えて何年か経つ我が身、一日一日を恙なく送る、ということが、一番の目標なのである。もちろん、今年はこんなことをやってみよう、あんなこともいいな、などと思うこともあるけれど、それは全て、日々を恙なく送ってこそ、の話である。なのであるからして、敢えて考えるなら、今年の一年の計は、一日の計をきちんともって生きよう、ということになろう。そんなことを繰り返しているうちに、一年、二年、あわよくば、何年も日々を送っていければ良いではないか、と、そんな風に思う、元日、早朝。雪の照り返しが眩しい。

 昨年末に漢方薬局で飛び切りの屠蘇散をいただいたので、早速、一杯いただいている。この独特のとろりと甘い感じは、普段なら気に入らない部類のものだが、正月には一度は口にしたい味となる。不思議なものだ。父親と杯を合わせた、遠い記憶も重なってくる。下戸だった母も形だけは口をつけた。考えてみれば、家族揃って屠蘇を頂くのは、日本の家庭の最も幸せな光景の一つかもしれない。もっとも、独居では、私の言葉はあまりに虚しい、しかたないことではあるけれど。

父母の 想い出 肴に 屠蘇機嫌

投稿者 nasuhiko : 16:26 | コメント (0) | トラックバック