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2005年02月28日

icon水てえもの


 近所のコンビニエンス・ストアで水が売られている。近所の自動販売機でも水が売られている。今では少しも珍しくない光景である。買われたことがある人も少なくないであろう。何しろ、国内外の数多のメーカーから発売されていて、あれだけたくさんの種類があるのであるからして、それは紛うことなく、それを買わんと欲する人がいるのだ、という証左である。実を言えば、私はあの手の水を買ったことがない。水を買うだなんて、ねえ。あの手の水を購入することには、どうしても抵抗がありますな。だって、水ですよ、水。蛇口を捻ればじゃーと出てくる、あの水。勿論、少なからず……いやいや、大きに中身は違うってことは百も承知。けれども、水は水ではありませんか。スナックなんかで、ボトルを入れて水割りを呑もうと思えば、ミネラル・ウォーターなるものを売りつけられる、ということは大昔からありましたとも。けれども、それとこれとは話が違う。コンビニで水を買う人々が、皆、家に帰って、あれで水割りを作る、なんてことはありそうにない。勿論、中には、水割りを作る人だっているでしょうけれどね。ああ、そんな話じゃないんだね。
 こんなことを言い出したのは何故かというと、我が家を訪れた知人が、上がり込んだ途端に、「水ください、水、水」と水道水をコップ一杯勢いよく一気に飲み干し、「ああ、ここいらの水はうまいね」と言ったことに端を発する。その知人は、蒲田に住んでいるのだけれど、蒲田の水はまずくてかなわん、けれども、水を買う気にはならない、仕方なしに、浄水器をあれこれ試してみているけれど、なかなか気に入るものがない、と、そんなことを言う。
 白状すれば、我が家の水道にだって、簡易な浄水器が取り付けてあるのである。つまり、ここいらの水だって、昔ほどうまくもなければ安全でもない、と、私自身が思っているという証拠。それでも、良次郎くんは美味い、と言う。ううむ。

 彼が帰ったあと、澤乃井をちびちびやりながら、あれこれ考える。今でも、東京にだって美味い水があって、だからこそ、澤乃井のような美味い酒ができるのだ。うちの水も、昔に比べれば化学臭い匂いがするような気がするけれど、もしかすると、それは錯覚なのかしらん。何とか調べる手立てはないか、と頭を捻る。蒲田から水を汲んできてもらって、飲み比べでもしようか。で、その足で、澤乃井の膝元、青梅の方に出向いて、そこいらの水と飲み比べて、なんて。
 そもそも、水の美味さとは何なんだろうか、と思い、インターネットを検索する。面白いものを発見しましたよ。おいしい水検査セット。良いじゃないですか。早速、注文させてもらいました。これで、私のような、素人にもすっきりとわかる結果が出ることになりましょう。楽しくなってきましたなあ。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月27日

icon羽生先生の扇子


 ひょいと覗いた将棋連盟のホームページで、季節外れの羽生先生の扇子を購入したのは、暮れのことだったろうか。こういうちょっとした小物を手に入れただけで、今まで以上にタイトル戦の勝敗が気になったりするのだから不思議なものだ。本当は渡辺明くん竜王獲得を祝って扇子を買おうと思ったのに、残念ながら未だ発売になっていなかったのである。渉猟するうちに、羽生扇子を買うことになり、延いては、あれこれの場面で彼を応援する気持ちになっている。応援するからには、勝ってもらいたい、と思う。そう思うと、新聞やらインターネットで結果を見るのも少しはどきどきするようになってくるから面白い。最近の戦績はどうかというと、これが素晴らしく良いのである。いやあ、扇子を買った甲斐があるってもの。嘗ての、七冠の頃の勢い程かどうかわからぬけれど、今、羽生先生には激しい追い風が吹いているのは間違いない。その追い風はどこからやってくるのか。それは、勿論、この荒屋で私が扇子を必死に煽いで起こしているものなのである。いや、そんな訳はないのだけれど、そんなことを思いたくなるのが人情というものではありませんか。羽生よ、頑張れ、頑張れ、羽生よ、と、ぱたぱたと煽いでは一杯。扇子から零れるうっすらとした香りが澤乃井の香りと相俟って、良い心持ちの酔い心持ち。こんなことで御機嫌になれるなんざ、簡単で、安上がりな脳みそだね。はは。

 さて、と、暫く振りに、将棋連盟のホームページを覗いてみる。おお、何たることか、渡辺明の第十七期竜王位扇子がもう発売になっているではないか。これは、買うべきか否か。もし、仮に購入したとすると、私は羽生善治、渡辺明のどちらを応援すべきなのか。二人とも応援してあげたまえよ、と仰いますか。御尤も。御尤もなのであるけれど、じゃあ、その二人が対戦する時にはどうすれば良いのだろう。ううむ、若貴の優勝決定戦のときにも、同じように悩んだのを思い出した。あのときは、お兄ちゃんの方を応援したけれどねえ。何故だったかは思い出せないけれど。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月26日

icon妙なトラックバックが止まった


 昨日の悪戦苦闘の甲斐があったのだろうか。本日は、妙なトラックバックが来ていない。Biancaさんの呪文が聞いているのだろう。実に有り難いことである。何となく不安で、気が重かったのが一掃されて、気分爽快。ああ、今日は澤乃井が一段と美味い。

 それにしても、気持ちの悪いことをする輩がいるのは困りますな。海の向こうから、せっせかせっせか何か仕掛けてくるなんてね。今回のはトラックバック・スパムと言われているもののようだけれど、兎にも角にも、意味が判らないのが宜しくない。何とも落ち着かない、中途半端な、厭な気持ちにさせる。目的や何かがはっきりしていれば、納得したり、怒ったりできるので、心の持っていきようがあるけれど、意味が判らないのはいけないことである。尤も、意味が判っても、悪意に満ち満ちたもの、例えば、何時ぞやのボクボク詐欺みたようなものだと、それはそれで困るけれど。
 スパム・メールというものもちょこちょこちょこちょこと毎日毎日休みなく届く。あれも謎ですな。あんなものが宣伝になるのだろうか。あんなメールを見て、何かを買ったり利用したりするお客になるなんてことがあるのだろうか。寧ろ、怪しいメールを寄越すような業者とは金輪際付き合う気がしない、というのが本当のところなのではないのだろうか。子供だって判りそうなことである。そんなことにも思いが至らぬとは、スパム・メールをしている人々というのは、相当な抜け作ばかりが集まっているに違いない。待てよ、いやいや、奥深いインターネットの世界のことである。私の如き浅知恵には思い付きようもない不可思議な儲け口がないとも言えまい。まあ、仮にそんなものがあったとしても、他人様の気分を害して商売をしようなんざ許される事ではない。

 地球には、今、人は何人いるんですか。五十億人とか六十億人だったかしら。孰れにせよ、それだけ多くの人がいれば、悪い事を考える輩が出現するのも仕方がないことなのかもしれませんなあ。いやいや、そんな風に考えてはいけない。諸君、最後には、必ず、善が、正義が勝つと信じようではありませんか。

投稿者 nasuhiko : 13:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月25日

icon妙なトラックバックが止まらない


 恐ろしいことに、外国からの、例の、妙なトラックバックが毎日毎日飽くことなくやってくる。最早、朝になって覗いてみるのが不安になるほどである。先方の意図が判然としないというのは、胸の内に、漠然とした恐怖みたようなものを掻き立てますなあ。何故、彼(あるいは彼女)は私のような老耄の呆けた日記にここまで付き纏うのか。一種の、世に言うストーカーのようなものなのか。ああ、厭になる。
 厭だ厭だと愚痴を繰り返していても何もならん。そうは判っているものの、猶もうじうじ、猶もぐじぐじ。昼間から澤乃井に頼ってばかり。仮に肉体はアル中ではないとしても、これでは、精神的には立派なアルコール依存症である。老い先短い私のこと、好きなだけアルコールに依存すれば良いではないか、とも思うけれど、男児たるもの、それで良いのだろうか。いや、いけないのである。そんなことでは、マリに顔向けができませぬ。草葉の陰からの声が聞こえる。あら、いやだよ、うちの人ったら、女の腐ったのみたいで情けないったら、ありゃしない、なんて。念の為に申し上げますが、実際のマリは決してこんな口調ではありませんでしたけれどね。

 心機一転、老人は剣の代わりにマウスを手に持ち、旅に出たのであります。あれこれ、荒波をかき分けかき分け、うろつくこと小一時間。到頭、解決への光が見えたのであります。辿り着いたのは、Biancaさんという方のブログ。ありがたい説明があります。それにしても、こういう理科系的な智慧をお持ちの方には心底敬服いたさざるをえません。
 さて、例によって、意味は理解できぬままに、手順に従って対策を施すことにしましたよ。始めてみると、例に因って、例の如く、ああ、文字の海です。文字だらけ、文字だらけ。しかし、どうにか頑張らねばならない。勿論、頑張りましたとも。問題のファイルに辿り着き、怪しいトラックバックを跳ね除ける呪文のようなものをどうにかこうにか書き加え、さあ保存……ところが、この段になって、今の文字の種類では保存できないとか何とか言われてしまう。三つのボタンから選ばなければならなくなってしまった。どうするれば良いのか。どうするのだ、惚山。悩んでいてもしょうがない。えいやっと適当に押してしまった。ああ、だけれど、あれで良かったのかどうか。今になって心配になってきた。女々しいぞ。くよくよするな、茄子彦よ。

投稿者 nasuhiko : 16:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月24日

icon千里の道も一歩から


 白状すると、バッハのインベンションには想像以上に苦しんでいる。苦しんでいるも何も、実際のところ、相当に滅茶滅茶の苦茶苦茶である。この歳になってから、独習でピアノに取り組もうというのだから、一筋縄では片付く筈のない苦労が待ちかまえているとは思っていたが、まさか、これ程だとは。ううむ。
 デジカメを片手に近所をほっつき歩いているときに、どこからともなく、ピアノの音が聞こえてくることがある。曲も様々、演奏も様々。流れるようなショパンもあり、精密機械のように上下行を繰り返す練習曲もある。記憶が正しければあれはハノンだったろうか。流麗な「エリーゼのために」もあるし、稀にではあるが不協を重ねるような現代曲風のものが響くこともある。そうかと思えば、躓くようにえっちらおっちら進むバイエルもある。通りすがりに聞こえてくる演奏を耳にすると、なかなか上手ではありませんか、と思ったり、まだまだ練習が足りませんな、などと思ったりしたもの、ちょっと前までは。ところが、いざ、自分が練習を始めてみると、視点は百八十度転換した。他人様の演奏をあれこれ評価する立場になど立つわけには参りませぬ。素晴らしい演奏には敬服して頭を垂れ、拙い演奏には、そうだ、頑張れ、もう少しだ、と声にこそ出さねど応援する。立ち止まって、一曲弾き終わるまで陰ながら声援を送ることさえ屡々である。場合によっては、手に汗握る有り様。無事に演奏が終わった時には喝采を送りたい心持ちだが、それは遠慮している。家に帰ってから、祝杯だ。
 ああ、私のインベンションはいつになれば少しは恰好がつくのだろうか。実は、まだ、最初の数小節を右手でぽろぽろぼろぼろと雨垂れのように不安定なリズムで、しかものろくさのろくさ奏するばかり。道は、道はあまりに遠い。いや、ここでへこたれてはいけない。千里の道も一歩から、と言うではないか。一音一音を積み重ねていけば、いつか、辿り着ける筈なのだ。尤も、此方人等の寿命との駆け競べみたいなところもありますがねえ。はは。

投稿者 nasuhiko : 19:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月23日

icon妙なトラックバック


 ある日突然に、夥しいトラックバックがやってきて、吃驚、動顛、驚愕、仰天。一体どうなっているのだろうか、とみてみると、全文英語の広告みたような代物ばかりである。連中から見れば極東の、しかも、ちっぽけな島国の、中でもずば抜けて寂れた、老いぼれの妄想日記にトラックバックすることに、どんな意味があるのだろうか。暫時、からからの脳みそを震わせてみるが、何一つ思い付くことなどない。それもその筈、そもそも、トラックバックの仕組みを理解していない私である。今までに、何度か試みたことがあるし、いくつかのトラックバックを受けたことだってあるのだけれど、情けない哉、本当のところはよく判っていないのである。
 私の大雑把な理解では、トラックバックなるものは、参照したり、参考にしたり、関係があると伝えたかったりする時にするものだ、というところ。もしかすると、あの、恐らくアメリカからと思しきトラックバックは、この、老耄の妄言の羅列を何か参考にしているのだろうか。いやいや、そんな気配は毛頭ない。然らば、何故か。ううむ。謎である。
 兎にも角にも、何だか気持ちが悪くなってきたので、一連の不可思議なトラックバックを消してしまった。これで良かったのだろうか。あのような謎のトラックバックに対して、皆さんはどうされているのでしょうな。
 しかし、毎日、毎日、海の向こうから、あのような意味不明の、トラックバックの黒船の襲来が続くことにでもなったら、不気味でしょうなあ。明日もまた来るのだろうか。どのような意味が、意図があるのかわからないだけに、些か不安になり、胃がしくしく痛み始めた。こういう時は、ぬる燗を二本かそこいら、するするっと引っ掛けて、暖かくして、早いとこ寝ちまうに限ります。そんなわけで、御免下さい。

投稿者 nasuhiko : 20:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月22日

icon馬の油

 半月ほど前でしたかね、おでこのところが、何だか赤黒くなったような感じで、何とも彼んとも、堪え難い痒みに苦しんでいる、というようなことを書いた。西洋医学なんぞ、もう止めて、漢方に縋ろうか、というようなことで尻切れ蜻蛉になっていた。まあ、言ってみれば、年寄りのぼやきというか愚痴というべきか、孰れにしても、見苦しいことを書いたものであって、実にみともない話である。ありがたいことに、そんな呟きを気にかけて下さっている方がいらっしゃって、丁寧なメールを頂戴した。駄目かもしれませんけれど、という前置き付きで、馬の油というものを勧めて下すった。この老いぼれが朦朧とした脳みそで訳の判らない妄言を書き散らす、埒の明かない日記を読んで、御助言を戴けるのは全く以て幸せな話である。こんな干涸びた脳みそで、どうにかこうにか日々を過ごしておるわけで、新しい事はすっぱりと忘れ、古い事はどんよりとぼやけてくる。そんな曖昧な記憶を手前勝手に解釈したり繋ぎ替えたりしてしまって、頭の中は渾沌としていてね、放っておくと、どんどんどこどこ違うところに進んでいってしまう。そんなわけで、木澤くんの上さんだって、本来なら一キロで何千円もする味噌なんぞ買うわけはないのだけれど、どうした拍子かに、あんなことになってしまって……と、こんな具合に話が取っ散らかってしまうのが、老耄混乱脳みその特徴である。
 そういう話ではなく、馬の油というものが、万病に効果がある、という御助言の件。丁寧に書籍や馬の油製品のあれこれも記されてあった。メールというものは、コンピューターのきれいな活字で表示されるから、読み易いという利点があるものの、手書きの書簡の類に比べて人間味に欠けると思ったりすることもあるけれど、あれですな、活字になっていても、行間から滲み出るというのか、メールからでも人柄が窺えるもの。何はともあれ、ここは一つ、馬の油なるものを試してみることにいたしましょう。

 活字になっていても、人柄が滲み出る、というのは、考えてみれば、当たり前のことである。何しろ、百鬼園先生の御著書など、現代の仮名に直された文庫本であろうとも、そのさっぱりとした活字の紙面からでも、大きにその人柄が窺い知れようというもの。そう考えると、私の薄っぺらで歪んだ人柄も、この莫迦げた文面から、少なからず知れてしまうのでしょうなあ。恐ろしいことだ。世界中の人に、薄っぺらで歪んだ厭なじじいだと知られてしまうなんて。

投稿者 nasuhiko : 20:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月21日

icon超高級味噌2


 木澤くんから電話がある。ぼそぼそとくぐもった感じで、どうにも声に覇気がない。尤も、老人が声ばかり景気良いってのも、あまり感心しないけれども。
「先日の味噌のことなんだけれどね」力のない声が続く。「どうもね、あれでね」「あれと言われても何だかよくわからんよ」「うん、それが、恥ずかしい話なんだけれど、どうもね、あれは、言ってみれば、詐欺というか何というのか」と穏やかでない方向に話が流れてゆく。気落ちしているところを、間の手で何とか盛り上げながら、全貌を聞き出した。
 翌日、息子夫婦にも御裾分けてんで、木澤くん、呼びつけたわけである。どうだ、超高級味噌は美味いだろう、美味いに決まっておる、と鼻息荒く、自慢したりして……って、こんなことは私の推測だけれども、きっとそうに違いない。息子夫婦も、父さん、ありがとう、なんて言って、喜んで帰っていったに違いない。何とも長閑な家庭の図である。ところが、小一時間もした頃合いに、件の息子から電話がかかってきた。あれは詐欺紛いのインチキ商法に間違いない、と、えらい剣幕で、何であんなに高い味噌を買ったんだ、と説教されてしまったようである。味噌を御裾分けして説教されるというのもどうかとは思うのだけれど、きつく言わないと、これから先も、同じようなのがどんどん来るから気をつけなければいかん、と釘を刺すために、心を鬼にしての説教である、ということのような。息子くんによれば、一度、訪問販売の怪しげなのに引っかかると、引っかかった人の名簿というのが作られて、同業者の間で売買されるようになるそうなのである。何とも物騒な世の中である。
 なぜ、彼の超高級味噌がインチキ商法だということになったか。息子くんが、日本一の味噌ならインターネットに能書きか何かが載っているだろうてんで、調べてみたのだある。ところが、まともな情報がみつからず、結局、行き当たったところには、その味噌屋は、中身云々は兎も角としても値段は非常識極まりないもので、決して勝っては駄目だ、というような忠告めいたことが書かれていたそうである。この不景気な御時世に、超高級味噌の訪問販売をやっている業者が何軒もあるそうだ。それというのも、味噌は食品だということで、クーリング・オフが効かないから、っていうんだから、連中も気が利いている。悪知恵を誉めてはいかんのだろうけれど、うまいところを突いておりますな。信州から来ました、なんて、純朴そうな顔をして、訪れたそうだけれど、心の中では舌を出していたにちがいない。
 中身は大丈夫だろう、と木澤くんがぼそぼそと呟いていたけれど、何となく、もやもやするので、あの味噌は全部捨ててしまった。いやあ、それにしても、何とも厭な世の中になってしまったものでありますなあ。

投稿者 nasuhiko : 22:21 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月20日

iconフォトショップ・エレメンツ


 タブレットというものを使って、絵を描こうとして、当座、挫折した形になっている。情けない話だが、本当のことだから仕方がない。その一方で、ここのところずっと、フォトショップ・エレメンツというもので、デジタル・カメラで撮影してきたものを、あれこれと弄ることに嵌まっている。お気付きの方もあろうけれど、このブログに載せる写真も、よせば良いのに、あれこれ玩んだ挙句、撮ってきたままの方が余程ましではないか、というような代物に転じてしまうこと、屡々。まあ、そうは言っても、私の場合、カメラの腕前も大したことはないので、多くの場合、加工前も加工後もおっつかっつといったところか。情けない話だが、本当のことだから仕方がない。
 そこらを散歩がてらにうろうろうろうろしながら、気に入ったもの、気になったものを撮影する。最初の頃は、随分と人目が気になった。人々がちらちらとこちらを覗き見ながら、おいおい、いい歳したじいさんがデジカメもって何かやってるよ、などと、耳打ちし合っているような気がして、何とも居心地の悪い思いだったけれど、実のところ、私のような老いぼれが何をしていようと、忙しい世間の皆々様の興味を引くことなど、殆どない。全て自意識過剰の成せる業、誰も、あんたなんか見ちゃいないんだよ、老いぼれくんよ……と、思うと、それはそれで些か悲しい気がしなくもないけれど。
 荒屋に戻り、マックに繋いで、いよいよフォトショップ・エレメンツの登場である。始めのうちは、自分の記憶と比べながら、もうちょっと全体に青がすっきりしていたはずだ、そもそも、もっと明るかったよ、などと、微調整をしてみる。してみているうちに、どんどんどんどん画面は不可思議な色になってきてしまって、こうなったら、フィルターやら何やらで、もっと変にしてしまえ、と開き直る。気がついてみれば、何が何だかわからない代物になっている。やっているうちに酔っ払ってきてしまうから、程好いってところが判らなくなる。どうだい、もうちょっと弄ってみよう、なんてね。こんなことを最近は毎日繰り返している訳である。それにしても、成功しても失敗しても、それなりに楽しいってんだから、全く以て、暢気なじいさんだよ。

投稿者 nasuhiko : 21:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月19日

icon超高級味噌


 珍しく、木澤くんに誘われて『白木』へ。他に客もいないので、他愛ない話をしながら、静かに呑む。なぜか、この店ではいつもサントリーのウィスキーを飲むことになる。実際、この、角地に立つ、かなり古びて、少々狭苦しい店構えには、それが似合うのだ。中でもダルマがしっくりくる。傲り好きで、かつ、高い物好きの古市がいるときには、山崎をオン・ザ・ロックで、ということになるのだけれど、この店ではダルマのボトルを入れて、水割りでちまちまゆっくりやるのが一番だ。時代から取り残されたようなこの店で、時代から取り残されたようなじじいどもが、時代から取り残されたと言うと怒られてしまう元美人ママを相手に、ダルマの水割りをのんびり呑む。近頃は若い友人たちと呑む機会が多いけれど、同窓の面々でグラスをぶつけ合うのは、また、別の味わいがある。年寄り同士でしか分かち合いようがない空間、時間というものが確かに存在するのである。
 場がぼんやりと和み始めた頃、「実はさ、今日は、味噌をおすそ分けしようかと思ってね」と木澤くん。「お味噌のおすそ分け?」と素っ頓狂な声を出すようではママも少々酔いの入り口ほどまで来ているのかもしれない。
 先日、木澤くんのところに信州からの味噌屋というのがやってきたそうである、日本一を受賞した味噌を近所に納品したついでに、御挨拶ばかりに、と。上さんが応対したそうだが、何でも、すらっとした色男で語り口も滑らか、気の利いた若旦那みたような風貌の青年が、熱心に熱心に説明してくれたそうな。熱意に絆され、とうとう買ってあげたそうだが、何分、量が多い。十六キロの樽状のものを買ってしまったそうで、置き場には苦労するし、運ぶのにも難儀する、という具合だそうで、とてもじゃないが、老夫婦二人じゃ永遠を何度か繰り返したところで喰い切れまい、と、あちらこちらにお裾分けと相成っている次第のようである。具体的な値段は聞かなかったけれど、兎にも角にも、目ん玉が飛び出るような超高級味噌である由。ありがたく頂戴した。早速、その場で、白木のママが胡瓜に添えて出してくれたが、如何せん、アルコールで麻痺した舌。超高級味噌の美味さがわかるわけもないが、泥酔していても値段の有り難みは判るわけで、三人で、流石は超高級品だ、なぞと笑い合いながら、胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。ああ、限りがない。

投稿者 nasuhiko : 15:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月18日

icon独逸と言えば麦酒


 先日、バッハのインベンションの練習を始めるに当たり、「ドイツと言えばワイン」というようなことを書いたところ、独逸といえば麦酒、というのが本筋でありましょう、とやんわりと御忠告いただくメールを頂戴した。考えてみれば、なるほど、ドイツと言えばビール、というのが、世間の標準なのであろうと思う。とは思うものの、私は、若い頃から麦酒はそれほど得意ではなかった。麦酒に得意不得意もあったものじゃないけれど、何ですか、あれは、コップ一杯位をきゅきゅぅっと呑むのは良いけれど、それ以上になると、どんどんどこどこ腹くちくなって酒もつまみも進まなくなる、口の中も胃の中もじょわじょわして、味覚が判然としなくなってくる、憚りが近くなって腰を据えて呑んでいる気になれない、などなどなど、と、まあ、あれこれ、理由を並べ立ててみたけれど、結局、好みの問題でありましょうな。
 加えて、一度、痛風を患ってから、若先生に酒を止めろ止めろ、と攻め立てられ、何、どうしても止められぬか、ならばせめてビールだけでも止めなさい、と厳しく御指導を受けたのでありました。あれは、何年前だったかね。兎にも角にも、それでは、麦酒の件だけは承りました、てなもんでね、元々、さして好きでもないのを幸いに、きっぱり止めてしまいました。尤も、出先で差し出されれば、礼儀としてコップに一杯ぐらいは頂きますが、それ以上はやりません。それにしても、この歳んなって、酒を止めなきゃ長生きできませんよ、などと言われても、ははあ、左様で御座居ますかってなもんで、聞くだけは聞いておきますけれど、此方人等もう七十年以上も生きていますから、今更、二、三年を伸ばそうなんてことで細々と齷齪する気にはなれないもの。けれども、あの、痛風ってやつは、別ですよ。おやりになられた方はお分かりだと思いますが、痛いの痛くないのって、もう、そりゃ、大変なものです。ちょっと普通じゃない。あの痛さを思い浮かべれば、麦酒を止めるぐらいなんてことないって気になります。
 そんなわけで、私にとっては、ドイツと言えばワインってなことになるって、それだけのことなのだけれど、寄り道していたら、何だか、訳がわからなくなってしまった……って、呑みながら書いているから、そういうことになるんだけれどね。こんなこと書いていたら、珍しく麦酒が呑みたくなってきた。全く以て馬鹿だねえ、この老いぼれは。お〜い、久下ちゃん、今日も一杯いきましょうや。

投稿者 nasuhiko : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月17日

iconサイレンがやってきて


 夕方になって、喧しいサイレントともに、この近所にパトカーだか救急車だかがやってきたようである。それにしても、何だって、あのサイレンてえやつは人心を不安に陥れるような音をたてるのだろうね。弥次馬根性というわけではないのだが……いや、やはり、弥次馬根性からなのだろう……窓から覗くと、全貌は見えないものの、赤い点滅が夕景に溶け込めずにじたばたしている。サイレンの音も然る事ながら、赤色灯の点滅というやつも人々を脅かす効果満点だ。自分に負い目があるわけでもなく、頭の捩子が緩んでいるものの躰に具合が悪いところがあるわけでもないのに、何故だか、赤い点滅とサイレンの咆哮の攻撃で、胸の奥がざわざわと苦しくなるような気がする。パトロール・カーに関しては、その役割からして微妙なところかもしれないが、病人、怪我人、その家族にもう少し優しい救急車を用意できないものだろうか。辛うじて持ち堪えていた心臓が、あの音と光に圧迫されて止まってしまった、なんてことはないのだろうか。
 我が身に直接は関係ないこととはいえ、あれこれ考えていたら、心の蔵がぐぐっと締め付けられるような気がして息苦しく、厭な心持ちである。こんなことではいかん、と、また、澤乃井に頼る呑んだくれのこんこんちきちきである。久下くんの太鼓をつまみにやりますか。おお、良いですなあ。コンコンチキチキ。良いよ、良いよ、久下くんよ。チキチキコンコーンッ、ご機嫌だね。
 弥次馬根性というわけではないのだが……って、弥次馬根性丸出しだよ、この老いぼれは……窓から覗いてみると、未だに赤い点滅が続いている。かれこれ三、四十分経ったのではなかろうか。一体、何をやっているのだろうね。大丈夫かね。気になりますな。まあ、この、余所様のことが気になる心情を弥次馬根性って言うんですよ。莫迦なじじいだね、全く。赤い点滅と、久下くんのドラム、絶妙の組み合わせだ。そこに酔いが加わって、良い調子になってきた。コンコンチキチキ、チキチキコンコーンッ。コンコンチキチキ、チキチキコンコーンッ。ああ、今日もまた酔っ払っちまいました。

投稿者 nasuhiko : 20:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月16日

icon交換音楽04


 例によって、呑み過ぎて、気持ち悪いことこの上ない。どうして、学習しないのだろうか、この老いぼれは。半世紀にも渡ってこんな思いを繰り返し、我が事ながら厭んなる。程好いところで止めるってことができないんだから、呑み助てえのは、質が悪い。その場の楽しさに飲まれて、未来を予見できないてんじゃ、猫にも劣る。尤も、猫が未来を予見しているのかどうか、わかったもんじゃないけれど。そう言えば、近頃、スパイ面した宇宙猫、ちび助くんが偵察に来ないね。
 どうにもこうにも気力が出ないので。奴だけをどうにか食す。本当だったら、お馴染みの「納豆と豆腐のチゲ」と行きたいところだが、気力が足りず、せめて湯豆腐にでも、と思いながらも気力が足りず、結局、冷えたまま。胃に優しくない。

 先日は、二人してヘレン・ウォードに終始してしまい、すっかり忘れた恰好になってしまったが、本日は、師匠が持参してくれていたCDを聴いてみている。久下惠生という人の作品。指名手配で張り出されるポスターのような、人相のあまり宜しくない髭面の顔写真がジャケットになっている。裏を見ても、やはり髭面の、戦の最中の武将たるや斯くあろうか、というような風貌である。
 さて、その中身だが、ヒョワヒョワヒョワヒョワというような電気的な音も偶に聞こえるものの、ほぼ全面的にドラムと声ばかり。一聴したときには、いやに騒々しかったり、友達がみな帰ってしまって独りぼっちになった子供の戯れのようであったり、何だかむず痒いような心持ちがするばかりだった。けれども、田苑を呑み始め、音量を上げて二周目に挑んだところ、次第に気分が高揚し始めたのであります。意外な気持ち良さ。先程、子供云々とと書いたけれど、当たらずとも遠からず。夕方の空き地で、小学生が無心に跳ね回るような、そんな盛り上がり方である。思わず、箸でぐい飲みを叩いてみたり。曲に合わせて、ドンツドン、ドンツドン、タンタタタン、と口遊んでみたり。良いねえ。こりゃ、耳で聴くものではないのだな。身体の音楽とでも言えば良いのか。酔いが進んで、思考が少しくゆらゆらしてくるときに……ドンタドドンドタドドンタ、なんて叫んでみる。久下くんよ、ご機嫌だね。タラタカタラタッタッタタ。一緒に一杯やりたいね。タンタンットン。これは今まで私の知らなかった快楽である。ドーンバッドーンドッ、ドーンバッドーンバッ。ああ、酒が美味い。久下くんよ、私はもう一杯いかしてもらいますよ。

轟音の桴が撥ぬれば脳も揺れ
 意識波打ち幽体離脱

The Complete Helen Ward on Columbia』 ヘレン・ウォードの『グディ・グディ』 久下惠生の『A Very-Disco Golden Greats of Kuge Yoshio

投稿者 nasuhiko : 18:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月15日

icon若者よ


 天気が良いのに、今一つ、調子が上がらず、だらだらずるずると、茶を飲みながら、チャンネルをがしゃがしゃがしゃがしゃ切り替えていた。もっとも、今時のチャンネルは、リモコンで遠く離れ、音もなく。ありがたいような、でも、少々物足りない気がしなくもない。老人の懐古趣味か。厭だねえ。
 午前中の番組のあれこれを眺め、昼に笊を一枚やっつけて、午後の番組のあれこれ。笊をやっつけるに当たって、澤乃井を持ち出す。好い気なもんだ。それにしても、平日の昼間の番組てえものは、私のような引退後の老耄じじばば以外に、誰が見るのだろう。主婦のみなさん、冬休みの学生さん、引き籠もりの諸君、といったところが主立ったところだろうか。この時間帯の主力、ワイドショーというもの、ワイドと称されるだけあって、取り扱う話題は中々に幅が広い。やれ芸能、やれスポーツ、やれ犯罪、やれ政治、やれ料理、やれファッション、何でもござれ。中でも近頃は政治の話題が多うござんすな。つまり、それだけ、国民の関心が集まっているってことなのだろう。誰に聞いたって、今の日本はいつにも況して不景気でいつにも況して物騒なわけで、政治家諸君よ何とかしてくれよ、と思うのは当然と言えば当然のことであろう。そもそも、その為にいるのだろうよ、と。ところが、どうしたわけか、彼らはなかなか庶民の期待に応えてくれない。寧ろ、心情を逆撫でするようなことを仕出かすことが多々ある。何とも不思議な話ではないか。

 ここに来て、じわじわと世の中がきな臭くなってきたとお感じの方も少なくないだろう。まさか、行き成り戦争が始まるということもあるまいけれど、一歩ずつ一歩ずつ、恐ろしい方向へ押し出されているような気がしてならない。戦争の悲惨さ、若い人たちは本当に理解しているのだろうか。心配になりますな。政治家の若返りは結構だけれど、日本という船を危なっかしい方向へ向けている連中は、戦争がどんなに恐ろしいものかわかっているのだろうか、と非常に不安である。終戦時、小泉くんは三歳。戦争の何たるかを理解できるような年齢ではなかった。安倍くんや石破くんなんざ、まだ生まれてもいないわけで、知る由もないのか。しかし、彼らの親はたっぷりと戦争というものを味わったはずである。ならば、息子たちに、二度とこのようなことが起こらないようにしなければいけない、と強く語り継がなかったのだろうか。そんなことがあるとしたら、親の顔が見たい。あ、親の顔、見たことがあるな。それにしても、三人とも二世議員だとは……。

 若者よ、戦争は恐ろしい。若者よ、戦争は悲惨だ。若者よ、若者よ、自分の命も他人の命も軽んじてはなりませぬぞ。

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2005年02月14日

icon交換音楽03


 暫く振りに田村師匠、御来訪。ピアノの練習を始めたことを知らせると、喫驚して仰け反られていらっしゃる。今後はあれこれブログやコンピューターのことだけでなく、ピアノのことも相談させてもらいますよ、とお願いする。
「それかはかまいませんし、私でできることならどんなことでもお手伝いしますけれど、近頃、ピアノはあんまり弾いてないからなあ」「そうはおっしゃいますが、ど素人に教える程度は何てことはないじゃありませんか」そんなやり取り。腕前の程はわからないけれど、ライヴハウスで演奏会を開くほどなのだから、音楽の素養が全くないはずはない。師匠作の伴奏の中にはピアノだってあったじゃありませんか。ところが、先日のギグのコンピューターの伴奏の中にもピアノは存在していたけれど、あれは全部サンプラーというものでやっているのであって、本物のピアノではないのだそうである。何だかよくわからない。

 借りっ放しのになっていた『ザ・ドロッパー』をお返しする。結局、その後も、ぴんと来ないままだった、というより、それほど繰り返して聴いたというほどでもないので、ぴんと来るはずはなかったのである。時期が悪かったのかもしれない。また、別の機会があればその時に。
 一方、田村師匠はヘレン・ウォードにぞっこんのようである。『グッディ・グッディ』を御自分で購入されたとか。うちにもLPがあるので、かけながら、まずは一献。「くりかえし聴いてますからね、すっかり覚えちゃいましたよ。声もいいし、曲もいい。ふと気づくと口ずさんでいたりします」と杯を傾けながら「本当じゃ良すぎる」を鼻歌交じりに唄う始末。いつになく陽気である。
 まだ私がぼんやりと勤めていた頃、たまに飲み歩いたりした取引先のボブというアメリカ人が、一度だけヘレン・ウォードの実物を見たことがある、と言っていたのを思い出す。声も笑顔もベリー・ベリー・キュートだった、と興奮気味に教えてくれたのであった。美女というよりは町で一番可愛い女の娘という感じだった、と。ジャズ・シンガーというよりは今で言うアイドル歌手のような存在だったのかもしれませんな。確かに、巧い、というより、愛くるしい、というのが相応しい。
 日が暮れてもなお二人で『グッディ・グッディ』を繰り返し聴きながら、呑み続け、どろんどろんのでろんでろんに酔った。大幅に限度を超えて呑んでしまったけれど、それでも、気持ちの良い酔いである。良いではないか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……って、また、今日も佐良直美を口遊む、呑んだくれの老いぼれ昆布であります。


メデスキ、マーチン&ウッド『ザ・ドロッパー
The Complete Helen Ward on Columbia
ヘレン・ウォード『グディ・グディ

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2005年02月13日

iconライヴハウスでギグ07


 やっと調律師さんが来てくれた。一頻り、ポロン、ポロン、ポローン、カン、カン、カーンなどと、調整していき、一段落するとビャラリラリラリーン、ボーン、ビャラリラリラリーン、ビャーン、などと全体の様子をみる。何年振りかに目にする光景、耳にする音は、何だかとても懐かしい気がした。マリがお茶を淹れ、菓子を用意する姿を思い出したり。ああ、そうだ、私もお茶の用意などせねばならないのであった。そうは言っても、手頃な茶請けが見当たらない。思い切って、コチュジャンを出してみようかと思ったが、いくら何でも、それは非常識に過ぎるであろう。どたばたしているうちに、作業は終わってしまった。さて、とお茶を出そうかと思ったところ、お忙しいようで、とっとと帰られてしまった。何とも拍子抜け。

 調律されたピアノは、その外観の古さこそ変わらねど、何となく、ぴかぴかに一新されたように思えてくるから不思議である。ポロン、ボロン、と鍵盤を叩く。先日までとは打って変わって、素人耳にも判るほど、少しく透き通った音になった。さあ、始めようではないか。
 曲目だが、先日からじっくり考えに考えた結果、バッハのインベンションの一番に挑戦しようと思っている。御存知の方も多かろうが、実に精緻で美しい曲である。敬愛するバッハの作品の中でも、愛聴している作品の一つ。家内もよく弾いていたけれど、私は繰り返し聴いている高橋悠治グールドを師匠としよう。先方からすれば、こんな枯渇しかけた老耄に師事されても迷惑なことだろうが、押し掛けていって云々するわけではなく、心の師と仰ぎ、CDを繰り返し聴くだけのこと、先方には私が弟子になったことはわかるはずもない。『日和見』に行って「私、この度、高橋悠治先生に師事してピアノを始めることに致しました」と報告してみようか。
 練習開始の祝いに何を呑もうか、という段であるが、バッハと言えばドイツ、ドイツと言えばワインなんだろうけれど、ワインねえ。ワインも嫌いじゃないのだが、ワインてえものは独りで呑むとなると限りをつけるのが難しいからね。一本呑み終わったところで、もうちょっと呑みたい。だが、もう一本は幾ら何でも無謀である、というような。調子が悪い時には、一本すら空けられないこともある。ワインは却下しますか。ううむ、何を呑むのが宜しかろうか。

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2005年02月12日

iconファイテンの効果のほど2


 昨日は、結局、調子に乗って酔っ払って寝てしまったが、大蒜が効いたのか、長時間の睡眠が効いたのか、はたまた、やはり酒てえものは百薬の長なのか、兎にも角にも、すっかり風邪は抜けたようである。その煽りを喰って、若先生の診療所の売り上げは、妄想老人風邪一人前分、減少することになってしまった訳だ。申し訳ない。しかし、国民が血と涙で納めている税金を私如き者のために費やすことなく済んだ訳ではあり、結構なことだと言って良かろう。待てよ、もしかすると、こんなところにもファイテンの首輪の力が働いているのではあるまいか、と、そんなことを思ってみる。そんなことを思ったがめに、ファイテンの効果や如何に、との問いに、満足な答えが出せていないまま、宿題となっていたことを思い出す。

 近頃では、私もインターネットでの調べ物が少しはうまくなったつもりでいる。早速、ファイテン株式会社のホームページを覗いてみる。ところが、どのような効能があるのかという説明書きを発見できない。大したものだ。これには、感動せざるを得ない。本家本元の会社で効能を大々的に云々してるわけではないのですぞ。にもかかわらず、人口に膾炙し、若者たちの間で流行し、終いには、私のような老いぼれの首にまで巻かれる仕儀となっておるのである。凄いことだ。さりながら、この感動は、質問の回答にはなっていないのは明白。更に、インターネットを渉猟する老眼じじいである。しかしながら、このじじいの眼の球は三年ほど前に白内障の手術を受け、意外にすっきり鮮やかに物の見える眼球なのである。そうは言っても、目ん玉に、いやさ、網膜に映ることと、それを理解することとは別物ではないか……って、いかん、いかん、またまたどんどん脇道に逸れてしまう。検索に専念しなくては。しかし、何だね、こうして余所様のブログを読むのは楽しいね。一杯やりながらだと、また、格別。ブログがつまみ、なんて言うと、ちょっと妙な響きだけれど。
 さて、あれこれこれあれうろつき、漁り回った結果、「話題のナレッジベース」さんというところに、非常に丁寧な説明がありました。なるほど、流行るのも御尤も。簡便にして灼なる効験。もっとも、あれこれ見ていると、効きませんのお、というような人もいないわけではない。

 結論として申せば、効くか効かぬかは、他人に質問するよりも、自分で首に巻いてみるに限るってことになりますか。効くという人もおり、効かぬという人もおり、てな具合。はは、回答になっちゃいない。
 私ですか。私の場合、円嬢からの戴き物である以上、何が何でも効かせてみせますとも。心頭滅却すれば火もまた涼しって……これは、不適当な譬えですか、ああ、そうですか。いや、実際ね、少しく肩凝りが減少したような気がするんですけれどね。はは、今日も澤乃井はうまいや。

投稿者 nasuhiko : 18:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月11日

icon風邪気味


 昨日は頭痛がしてきて、早々に就寝してしまったが、今朝になってみたら、鼻水が垂れておる。考えすぎで頭が痛くなったのかと思ったが、実は、風邪の初期症状だったようである。昨年の風邪の際に若先生に頂いた薬があったはずなのだが、みつからない。薬を放り込んでおく引き出しに入っていないとなると、もう、どこを探して良いのやら。素直に若先生のところに出向けば良いのだけれど、こんなものはほんの鼻風邪に過ぎず、大人しくしていれば治りそうなもんじゃないか、などと思うもので、腰が重い。暖かくして、精のつくものでも食して、一杯二杯引っかけて眠ってしまえば良いではないか、と。

 そんなわけで、本日は大蒜を一塊、まるごと焼いてつまみにしている。自家製のコチュジャンを付けると、堪りませんな。いやあ、汗がじわじわと滲むように出てきて、これだけで、柔な風邪なんざ、どこかに飛んでいってしまいそうである。うまくて、しかも、健康にも宜しい。ああ、無宗教の私であるけれど、何かに感謝したくなるような心持ち。ありがとう、大蒜よ。ありがとう、コチュジャンよ。そのコチュジャンを伝授してくれた、チョ先生の本にこそ感謝しなければならないのではないか。ありがとう。
 ちょっと良い調子になってきたね。何杯目だろうか。まあ、こういう時には、良い呪文があるのである、酒は百薬の長ってね。はは、そう言いながら、また、若先生に飲み過ぎだ、なんて怒られているわけなんだけれど、まあ、良いじゃありませか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……そんな歌がありましたなあ。誰が唄っていたのだったか。マリが台所でよく唄っていたのを思い出す。ああ、佐良直美だったろうか。マリは家事をしている時には、何故か、歌謡曲や演歌ばかり唄っていた。「アカシアの雨がやむとき」やら「夜明けのスキャット」やら「夢は夜ひらく」などなどなど。考えてみると、フランス女が台所でそんな鼻歌を唄いながら包丁を振るっている姿は、今になって思い返すと、些か妙ですな。そうは言っても、それが私たちにとっては日常だったわけですが……。
 思わぬことから、しんみりしてきてしまった。それもこれもすっかり呑み過ぎたせいに違いない。もう寝ることに致しまする。ごきげんよう、また明日。

投稿者 nasuhiko : 22:56 | コメント (2) | トラックバック

風邪は、馬鹿にできませんよ、私も5日間寝込みましたからね。なすひこさん、お大事になさってください。いつも読ませて頂いてます。初めてお便りしますが、コメントするのは、後にも先にもこれがはじめてなんです。じつは、パソコン初心者なんです。なすひこさんのプログなにげないんですが、心落ち着きます。名乗るのは、次回にさせてください。男の料理シリーズなかなかですよ。

投稿者 Anonymous : 2005年02月12日 01:52

今までこちらのコメントに全く気付きませんでした。平に平に御容赦下さい。私もコメントというものを頂くのは初めてなもので、勝手がわからず、実に失礼致しました。

私の如き理の判らぬ呆気者の落書きを読んでいただいた上に、暖かいお言葉まで頂戴し、感涙に噎ぶ思いで御座居ます。
今後とも末長く宜しくお願い致します。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年02月25日 16:59

2005年02月10日

iconファイテンの効果のほど


 ファイテンを着用するようになって、かれこれ一週間ほどになるだろうか。気は心、とでも言うのか、円嬢が私の如き老いぼれを気づかってプレゼントしてくれたわけで、その気持ちだけでも十分に効果がある、というもの。しかしながら、さて、実際のところ、ファイテンの効果とは如何なるものか、と自問すると、よくわからない。肩凝りは完全になくなったのか、というと、そんなことはなく、肩凝りは今でもある。じゃあ、効果はなかったんだな、と問われると、そんなこともなく、肩凝りは以前よりは減ったし、楽になったような気がするのである。そもそも、肩凝りなんてもの、程度の増減をどうやって計測すれば良いのだろうか。計りようがない。そんなことを気に病んでいると、それが原因で肩凝りが酷くなりそうである。それでは本末が転倒してしまう。
 自分一人のことなら、ありがとう、円嬢よ、おかげさまで肩凝りが激減しましたぞ、と感謝の言葉を述べて満足すれば良いのである。しかし、因果なことに、ファイテンの効果は如何ですか、というメールが届いてしまったのである。待て、待て、待て、待ちたまえ。この惚け老人の戯言日記を読んで下さって、しかも、メールを下さった方に対して、「因果なことに」だの「届いてしまった」などという失礼な物言いがあるだろうか。調子に乗るな、くそじじい。恥を知れ。丁寧に返事をせずにどうする。と、大いに反省した私は、早速、ファイテンの効果について再考し始めたのである。
………………………ああ……………………………
……………………………うむ………………………
………………だが……………………………………
………………………お…………お…………………
……………………いや………………………………
…………………………あは…………………………
孰れにせよ、よくわからない、という状況に変わりはない。ううむ、困った。
 結論を申すなら、やはり、信ずるものは救われる、とでも言えば良いのか。円嬢から頂戴した、というこの一点がある限り、私にとっては、効果のあるものなのである、ファイテン首輪は。では、円嬢からもらわなかったなら、効かないのか、という質問メールが来そうである。ううむ、その場合、何と答えれば良いのか。頭痛がしてきた。肩凝りが減っても頭痛が増えたのでは元も子もない。はははははははは、実にばかである。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月09日

icon吊るされた札


 首都大東京を守るために……なんてことを、先日、書きましたが、そういう大きなものではなくとも、みな人それぞれに守るべきものがありましょう。有体に、家庭や体裁、地位、そんなものを守らなくてはならない、守らないでどうする、と思っておられる方は少なくないでしょうな。実際、私も家内と暮らしておりました頃には、彼女を守らねばならん、と思っていましたよ。殊に若い時分なんぞには、必要以上に肩肘張って、余計な摩擦を発生させてしまったりしたことすらあるのであります。
 そんな大仰なことではなくとも、もう少しささやかなれど、守らなければならない、というものもあります。女性も見ておられるかもしれないところで、こんな幾分尾籠な話を書くのもなにですが、立小便というもの、あれは、最近はめっきり見かけなくなりましたが、以前は、多かったですな。昔は日本人の民度が低かったのでしょうか、見かけることは意外に多かった。当時は、立小便は立派な犯罪であるからして警官にみつかれば逮捕されるのだ、などと話題になったりしたものです。つまり、それほど茶飯のことだったのでしょう。長い板塀があったりすれば、そこには「小便するな」という文言と共に鳥居の絵が書かれた札が吊るされていたりしたもの。札の効果はどれほどあったのかは定かではありません。友人が、あまり堂々と大きな札を下げてやがるから、こちらも堂々と札にかけてやったよ、などと、自慢とも取れるようなおかしな発言をしていたのを覚えています。「君ぃ、小便なんてものはねえ、人が人として生きている限り、必要にして不可欠な、自然現象なんだよ。英語では『ネイチヤア・コオルズ・ミイ』と言うぐらいでね」こんなことを言って、数人で連れ立ってしている連中もいた。当時の学生なんざ、勉強はしたけれども、あまり品は良くありませんでしたな。もっとも、今の学生だって、上品だてえ風にも見えないけれど。
 何故、突然こんな話を持ち出したかというと、面白いものに出会したからです。散歩がてらカメラを手にして、近所をうろうろして、たまには遠出してみようと、普段よりも足を伸ばして裏道をあれこれ散策していたら、みつけました。懐かしい、焦げ茶色の長い板塀の家がありました。昔は、こんな家がたくさんあったものだよ、などと呟きつつ、歩いていくと、長い長い板塀の中ほどのところに、札が下げてありました。

小便無用
貴様は犬か

 こんな文言です。墨で黒々と立派な筆運びであります。その札も、板塀同様相当に古びている。何十年も雨風と立小便の攻撃を浴びながら今日まで頑張ってきたのでしょうなあ。そんなことを考えていたら、何ともおかしくなって、道の真ん中で吹き出してしまいました。「貴様は犬か」。名文句じゃありませんか。

投稿者 nasuhiko : 17:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月08日

icon男の料理14


 ここのところ、晴れる日が続き、日中はぽかぽかと暖かい陽気だったのに、昨日の夜半辺りから急激に寒くなった。忍び込む隙間風が矢鱈に冷たい。しかも、我が家の場合、相当に年季の入ったポンコツ家屋ゆえ、隙間風と呼ぶには、些か大胆に過ぎる勢いで風が吹き込んでくる。びゅーとかびゃーとか、そんな具合。糅てて加えて、本日は雨模様。冬の雨は冷たい。窓から眺める濡れそぼつ景色は、風情を一切感じさせず、脅迫的な寒さの気配に満ち満ちている。こうなると、少しぐらいの暖房では太刀打ちできるわけもなく、仕方なく、内側から暖めるしかないという仕儀。内からの暖房に必要な燃料は、電気でもガスでもなく、勿論、アルコールである。
 さて、本日は、何を呑もう、つまみはどうしようか、という段になり、ふと、最近、御無沙汰していた「納豆と豆腐のチゲ」のことを思い出す。冷蔵庫を漁ってみると、納豆もある、豆腐もある。大蒜もそこらに転がっている。久々にいってみますか。
 毎日のように頻々と作っていた頃にはすっかり暗記していたものだが、ちょいと間が開くとすっかり忘れてしまう。『作ってみたい・韓国料理の本』を引っ張り出してきて、はじまり、はじまり。
 いざ、始めてみると、ああ、そうだそうだ、てな具合で、流れが滞ることもなく、すすいのすい、てなものである。相変わらず、ズッキーニはないので、若布を入れよう。青唐辛子もないから、干涸びた赤唐辛子でかまやしない。寒さを吹き飛ばそうと、大蒜一カケのところ、二カケを奢ってみる。おまけに、日本酒もどぼどぼと追加してみた。なかなかの手際ではございませんか。自己流の工夫を入れてみたりして、ええっ、大した腕前じゃないか、と自画自賛。はは、暢気、暢気。暢気が一番。

 さて、味はどうかというと、これがまた美味い。流石に些か大蒜の匂いがが強過ぎ、納豆が一パックというんは少な過ぎた。とはいうものの抜群である。また、若布が合いますなあ。チョ先生、再販の際には、ズッキーニの代わりに若布を入れたレシピを載せるのも宜しいやもしれませぬぞ。皆さんも、是非、試されるべきです。この手軽さでこの味、正に驚異。
 それにしても、田苑が進みますなあ。大分、調子が出てきた。これだけ、中から暖めりゃ、ちっとやそっとの寒さなんざ、吹き飛ばせましょうとも。ほっほっほ、予は満足じゃ。

投稿者 nasuhiko : 17:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月07日

icon続・ヒントミント


 ヒントミントのすうすうした味にすっかり嵌まり込んでいる。厳密に考えると、ヒントミントの味そのものの魅力だけでなく、円嬢が私の身を案じてプレゼントしてくれた、というところにも大きに重みがあるのやもしれぬ。いや、誤解しないで頂きたいのだが、世に言う助平心などでは、決して、ない。そういう心はすっかり枯渇した、と自慢するほどかと考えると、些かもやもやした気がする時だって全くないとは言えないかもしれない……いやいや、そんな話ではなく、私の如き干涸びた古木が若いお嬢さんからのお心遣いをいただけた、というそのことだけで、十二分に感動すべきことであろう、と。
 ヒントミントを舐めると、確かに、咽喉のいがらっぽさは少なからず軽減されるようである。咽喉だけでなく、鼻の中もすうとする。結構なことだ。そればかりでなく、ヒントミントを食したあとに飲むものは、何でも彼でもすうすうする。珈琲、紅茶、番茶にジャスミンティー。澤乃井田苑までも。これに関しては、有り難いとも有り難くないとも言い難い、大きに微妙なところであるけれど。
 どうでもいいことばかり思い出すのは、老いた脳みその特徴なのだろうが、以前、同じようにすうすうするメンソール煙草というものが流行ったことがあったのを、ふと思い出した。煙草を吸っていた時代のことでもあり、私も幾種類か試してみたことがある。私自身の好むものではなかったものの、若い女性には好評だと評判になったし、私の周囲にもそんな洋モクを気取り加減で燻らす同輩も、幾許かはいた。今では煙草は吸わなくなってしまったとはいえ、何とは無しに、町中の煙草の自動販売機を覗いてみることがある。そこには、必ず、いくつかのメンソール煙草と思しきものが見受けられるのだから、最早、我が国の煙草文化の中にしっかりと根付いているのだろう。
 ああ、また、思い出したことがある。メンソール煙草を吸っていた者たちが、ある時一斉にそれを止した理由があったのだ。又もや、些か尾籠な話題になるけれど、いつの頃だったか、メンソールの煙草を吸い過ぎるとインポテンツになるという噂が実しやかに流れたのである。雑誌か何かの記事から飛び火したものだったろうか。男というものは……少なくとも、私の知人たちの多くは……気が小さいもので、噂が流れ始めた途端に、すっぱり止めてしまった。おかしい話でありながら、まだ若い男性諸氏にとっては切実な問題でもあり、一息に笑って済ますという気にもならない。女性諸君よ、男というものは妙なところで気が小さく、女性にはわかるはずのない恐怖と戦っておるのである、と小声で言っておこう。

 ところで、ヒントミントの食べ過ぎも同じような効果を齎すのだろうか。興味深いですな。

投稿者 nasuhiko : 14:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月06日

iconヒントミント


 またもや円嬢がふらりと訪れた。早い時間から早速一杯、と準備をしようとしたところ、暫くしたらアルバイトに行かねばならぬ、ということで辞退されてしまった。それ故、珍しく緑茶を挟んで相対す。
 私は肉体的にはアルコール中毒ではないつもりだが、精神的にはアル中なのかもしれない。飲酒をせずに他人様と対峙するのが頗る苦手なのである。矢鱈とあたふたして、しなくても良い失敗を重ね、動揺して、ますますあたふたする、そんな悪循環に陥るのが常。殊に、斯様なうら若き女性と対面していると、ただそれだけで鼓動が速くなり、息苦しくなる。もし仮に、この息苦しさが嵩じて、ここで心臓発作が起きてしまったら、彼女は第一発見者となってしまうわけで、そんなことになったら、警察の取り調べを受けねばならず、間違いなく、アルバイトに遅刻してしまうに違いない。そんな迷惑をかけるわけにはゆかぬではないか。しっかりしろ、耄碌心臓よ。

「これ、どうぞ」と彼女が差し出してくれたのは、銀色に輝く、金属製の薄っぺらい箱。ウィスキーの携帯用の金属製のポケット瓶みたようなものがありますな。あれと似て、少しく曲がっていて、西部を馬に乗って旅する孤高のガンマンがお尻のポケットに差し込むのに都合の良さそうな形状である。表には「Hint Mint」とある。彼女がするっと上蓋を滑らせると、中には、白い錠剤のようなものが並んでいる。彼女の勧めに従い、眼前の一粒を口に放り込むと、ほほう、すうっとする。すうっとする。看板通りのミントのお菓子である。幾久しくこんなものを食べたことがなかったので、比較と言っても怪しいものだが、今まで私が食したことがあるものと比べて、すうすうする度合いが強いようである。
「茄子彦さん、こないだのライヴんとき、ゴホゴホゴホゴホ咳してたでしょ。これ、いいのよ」
 ありがたい話である。私の如き、不機嫌そうにぶすっとしているばかりで女性にお愛想の一つも言えぬ無粋な者、そのくせ、酔っぱらうと調子に乗るような戯け者に対して、このようにお気遣い頂くとは、真に以て忝ない。にもかかわらず、素面では「どうも」とぼそぼそと呟くのが精一杯。ああ、情けない。ああ、酒が恋しい。

老咽にヒントミントの沁み亙り
 痰火を流し 涙も流る

 対面してはきちんと御礼を申せませんでしたが、たっぷり聞こし召しておる今、この場を借りて、改めて御礼を申し上げさせていただきます。重ね重ねの御配慮、実に感謝に堪えません。この御恩、一生忘れはしませんぞ。もっとも、私の一生なんざ、大して残ってはいませんけれど……。

投稿者 nasuhiko : 10:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月05日

icon書きつ書かれつ


 こんな妄言ばかりの日記を読んでいただいてるなんざ、実にありがたい話である。稀に戴く励ましの言葉も大変嬉しい。こつこつ続けているうちにだんだんくせになったというのか、これを片づけないと一日がすっきりしないうような気分になる。そんなわけで、毎日毎日懲りずに暴言と妄言と謗言を重ねている。しかし、考えてみると、書かれている方々はどのように思うのでしょうな。師匠からの御指導通り、どこの誰とは具体的にはわからぬように気をつけて書いているつもりでありますが、師匠を始め、近頃御付き合いいただいている方々、『日和見』の女将やお客さんたち、などなど、みんな、どう思っているのだろうか。もし、読んでいらっしゃれば、多少ぼやかして書いてあろうとも、御当人には、これは私のことだね、などとわかるわけで、その心境や如何に。もしかして、途轍もなく立腹しておられる人だっておられるかもしれない。心配になってきた。ううむ。
 このブログというのは、どのぐらい普及しておるのだろうか。インターネットを渉猟していると、物凄くたくさんの日記と遭遇する。インターネット上の日記みたようなものが氾濫しているのを見ると、日本人というのは書き物読み物の好きな民族である、と誰かが言っていたことを思い出す。外国でもこれほど普及しているのだろうかねえ。誰も彼もが書くようになると、自ずと、人々が書かれる側に回ることも増えてくるでしょうな。書きつ書かれつ、書かれつ書きつ。今日も私は書き、私は書かれ。
 私は、この日記のことは喧伝していない。知っているのは、当初から御指導、お手伝い頂いている方々と『日和見』の常連客の人々の内の幾許か。両の手に余るか余らぬかという程度であろう。つまり、私の知人の殆どはこんなことをしていることを知らないわけである。逆に考えると、私の知人の中にもこっそりブログをやっておるものがいるのではあるまいか。「茄子彦てえやつは昔からぼーっとしていて役に立たない男だった」などと書かれていたりはすまいか、と不安になる。まあ、その程度の悪口をいくら書かれようとどうということではないけれど、自分の知らないところで自分のことをあれこれ書かれているのではないか、と思うと、腹の奥の方がもぞもぞとして、落ち着かない気分になる。待てよ、実は、田村師匠や円嬢、『日和見』の女将だって、人知れずブログを綴っておるかもしれないではないか。その中に「いやらしい耄碌じじいだよ」などと書かれていたらどうしよう。恐ろしい。恐ろしいことですなあ。

 ブログというものは実に恐い……そう呟きながらも、今日も綴ってしまった、厚顔で老眼で傲岸な老残者であります。全く、いやらしい耄碌じじいだよ。

投稿者 nasuhiko : 15:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月04日

icon首輪の名は


 先日いただいた首輪ですが、師匠から首輪なぞと言わず「ファイテン」と言う方が宜しかろう、というようなご助言をいただきました。何でも、首輪の中でも流行りものだとか。相も変わらぬ世迷言ばかりを並べる、我が老耄日記を丁寧に読んでいただいているわけですな。全く以てありがたいことです。
 それにしても、カタカナの名前というのは、粋なんだが無粋なんだか、判然としません。世間の人々は「ファイテン」という響きから、あら、素敵だわ、イカシテルネ、などという印象を受けるのだろうか。私なぞは「ファイテン」という音から、差し詰め、中国のどこか山奥の地名だろうか、などと思うのが関の山。三蔵法師様が天竺を目指す旅程のどこかでそんな地名でも出てきただろうか、などと。ファイテンねえ。気取ってるんだかどうかもよくわからない。
 カタカナはどうしても駄目だ、というようなことを言うつもりはありませんぞ。どうしたってこうしたって、日本語に直せないものだってあるわけだし、カタカナで表わしたいような事や物があるのも事実でしょう。ただ、近頃は、それこそ何でも彼でもカタカナで言いたがるじゃありませんか。先日も、薬屋でちり紙を所望したところ、あ、ティシューですね、なぞと返事が来る。洋服屋で「この襟巻きを下さい」と女性店員を呼び止めたら、「はあい、こちらのマフラーですね」だと。帰り途に床屋に寄れば、金髪の青年が、カットだけで宜しかったですか、と、もう日本語自体が滅茶苦茶である。舶来のものなら仕方がないだろうけれど、歴とした日本語がある日本の物や事までカタカナばかり。どうなっているのやら。やはり、カタカナだと、あら、素敵だわ、イカシテルネ……ああ、堂々巡りだけれど……の伝で、売れ行きが芳しいのだろうか。
 日本人てえものは、占領された経験が尾を引いているのか、何とはなしに外国人にコンプレックス(こりゃ、カタカナ以外で書きようがない)みたようなものを持っていますからね。カタカナで書くとありがたいような気がするのでしょうか。まあ、所詮、流行り廃りの問題でしょうから、私の如き野暮天には縁のない領域です。ところで、あなた、野暮天の語源でもある谷保天満宮、行ったことがありますか。一度、行って御覧なさい。のんびりしていながらも、中々悪くない所ですぞ。

 今日はすっかり話がとっ散らかっちまいました。老いた脳みそてえものは、新しいことが覚えられないし、大事なことは忘れてしまう。にもかかわらず、陸でもない記憶ばかりが雑然と堆積しているものです。筋道立てて考えようったって、生半なことじゃすすいのすいとはいかないのですよ。

投稿者 nasuhiko : 15:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月03日

icon今日もヘリ


 近頃、矢鱈にヘリコプターが飛んでいるのを目にする、耳にする。しかも、かなり低いところを飛んでいるように見受けられる。一体、あれは何をしているのだろうか。以前は、あんなものはなかったですな。一体、どこのどいつが、如何なる目的であのヘリに乗っているのだろうか。首都大東京の治安を守るために、飛んでおるのだろうか。東京にもテロの危険が迫っている、などと実しやかにテレビで口にする人々がいる。根拠があってのことなのだろうか。それとも、徒に人心を煽っているだけなのだろうか。孰れにしても、小泉やブッシュの如き、自己中心にしか物事を考えられず、しかも、思考回路が硬直しているような輩がのさばっている社会では、テロの危険も高まりもしましょうぞ。
 あるいは、あれらのヘリはテレビ局や新聞社のものなのだろうか。新聞を見てもニュースを見ても、毎日毎日、物騒な事件のオン・パレードであるからして、報道に携わる諸兄も嘸かし忙しかろう。アメリカでのカー・チェイス紛いの追走劇のような事件中継みたようなことを日本でもやろうとして、虎視眈々と事件を待っているのかもしれん。
 そんな戯けたことを思いながら、空を見上げ、何とかカメラに撮れないものかと、あれこれしていたところ、大師匠が自転車で通りかかった。「ああ、こんにちは」「いや、今日も寒いですな」などと在り来たりの挨拶を交わす。私がヘリコプターを写そうと齷齪しているけれど、どうも首尾が宜しくない、とぼやくと「まあ、撮れるものは撮れるし、撮れないものは撮れないものです」とあまり意味のない返事。もともと大師匠は、所謂、変人の類、彼の言わんとすることを全て汲み取ることなど、できない相談である。「それより、あのヘリは何をしているか知っていますか」「テロの警戒か何かではないかと……」と曖昧に答えたところ、「いやいや、米軍基地から逃げ出した宇宙人を捜索しているんですよ。まったく人騒がせだなあ。はは。では、失敬」と呆気に取られる老体を尻目に、軽やかに自転車で走り去る。ううむ、全く以て難しい人である。貴殿こそ宇宙人のようでありますぞ。

投稿者 nasuhiko : 11:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月02日

icon首輪


 男が首輪などとんでもない。そんな考え方は古かろうか。古いとお思いの方もたくさんおられるかもしらん。いや、近頃のお若い人々は、金髪、茶髪、オレンジ、緑、と様々に髪を染めいたり、耳のみならず、鼻や眉ににピアスをしている人さえいる。もしかすると、男子の首輪というものもそれほど珍しくはなくなってきているのかもしれない。私らの若い時分には、結婚指輪でも少々面映ゆいというような気さえしたものなのだが。
 私と言えば、学生時分からジャズを齧ってみたりはしたし、後にはフランス人の女房をもらい、つい最近ではギグなるものに赴いた経験さえ持つものであるけれども、御想像に難くなく、どちらかと言えば、古臭い男である。七十過ぎて古臭くない方が不自然ではなかろうか。兎にも角にも、男のくせに、首輪なんぞするものは、ちゃらちゃらちゃらちゃらと薄っぺらい鈴の音でもしそうだ。決して、好ましからざるものである。西洋人だって、年寄りは首輪なんぞしたりはしておらんだろう。

 本日は、田村師匠と円嬢が遊びにみえた。ギグ以来のことである。陽も傾き始めたところだったので、早速、一献。
「茄子彦さん、マックやってると肩こるって言ってたでしょ」そう円嬢が切り出した。確かに、そんな話をした覚えがある。実際問題、コンピューターの前で一時間も過ごすと目はしょぼしょぼするし、肩は大いに凝ってくるし、慌てて起ち上がろうとしたりすると膝の関節がぎしぎし痛むこと甚だしい。道すがら、話題に窮して、そんなどうでもよい愚痴を零したのであった。「でね、このネックレス、プレゼントしまあす」と差し出されたのはグレーのゴム紐みたような代物である。彼女の説明によると、肩凝りに効く魔法の首輪なのだそうである。騙されたと思ってしてみてくれ、と。正直に申して、男のくせに首輪なんぞ……と思って、生きてきた老爺の私、そう簡単に宗旨を変える訳にはいかんのである、と思ったのであります。思ったのであるけれど、しかし、このようなうら若い女性からの贈り物を無碍に断るべきものではないのも筋。手っ取り早く言えば、五分もせぬうちに、首にしておりました。ふん、笑わば笑え。全く口ほどにもないじじいだよ。
 少々長過ぎるとのことで、円嬢の手でぐるぐると編まれて、程好い長さに調整された首輪は、何だか、狭い狭い我が庭に出入りする、宇宙人面した猫くんの首輪と似ていなくもない。まあ、だが、しかし、良いではないか。これで肩凝りが幾分でも減じるのであれば……そうは言っても、外出時や来客時には外してしまうのでしょうか……しまうのでしょうね。やはり、男児たるもの首輪なんぞ……ううむ、実に難しい問題である。

投稿者 nasuhiko : 18:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月01日

iconライヴハウスでギグ06


 家内の遺した住所録を引っ繰り返して、どうにか調律師さんの連絡先をみつけた。最後に調律していただいてから、少なくとも、六、七年は経ってしまっているだろう。下手をすれば十年以上になるやもしれない。御健在であることを祈りつつ、電話差し上げると、御当人が出られた。苗字と所番地を伝えると、ああ、フランスの方ですね、即答なされた。家内のことを覚えていてくれたようである。こんなところにも、亡くなったマリの思い出が息づいているかと思うと、誰にともなく感謝したい気持ちになる。私自身も数回はお目にかかっているはずなのだが、申し訳ないことに、声を聞いてもちっとも尊顔が浮かんでこない。「亡くなられたのですか、それは大変残念なことをなさいました。心からお悔やみ申し上げます」と丁寧な御挨拶をいただき、何だか、暫く振りにマリの葬儀の後のあの空っぽな気分が蘇りそうになる。いけない、いけない。塞ぎの虫を追い払い、おんぼろピアノの調律をお願いしたい旨を伝えたが、既に引退なさっているという。それで、後輩に当たる人物を紹介していただいた。これで目処は立ったのだが、何だか、急に滅入ってきてしまった。

 夕刻から、ピアノの部屋に籠もって、カミュをゆっくりと飲む。蓋を開けて、当てずっぽうに鍵盤を叩いてみると、ビョロン、ボロン、プオロン、と減り張りのない薄曇りの響き。幼児向けの玩具のピアノのような、その音程の調子っ外れが、妙に胸に沁む。人工のものではない不正確さ、乱雑さが、孤独な夜に屋根を打つ雨音と同じように、私の心の中の哀しい気持ちをかき立てるようである。調律の為されていないピアノには、それはそれで他の何ものとも比較しようのない、独特の力が潜んでいるのだなあ、と変なことに感心する。もっとも、それは私の妄想の鐘を叩くばかりで、一般の人々の心を打つものではないのかもしれないけれど。

投稿者 nasuhiko : 17:30 | コメント (0) | トラックバック