2005年08月05日

icon更に不覚は続く


 連日連日不覚続きで、我ながら、つくづく情けない。歳は取りたくないですなあ、などという泣き言はみともないものだということは重々承知しているものの、それでも、ぽろりと、歳は取りたくないものですなあ、と零したくなる。尤も、私の頭がぼんやりしておっちょこちょいなのは、今に始まったことではなく、小さい頃から、不覚の連続。昨日も不覚、今日も不覚、そして、明日も恐らく不覚、といような具合なのである。はは、ここまでくると、いっそ気持ちが良い、などと、莫迦なことを言って開き直っている。
 朝の水遣りを終えて、一段落だてんで、ごろごろしながら、本を読んだり、テレビを眺めたり、要するにだらだらしていたのだけれど、新聞や本が部屋の隅に積み重なっているのが、急に気になり出して、そう言えば、暑くなってからは掃除をさぼってばかりであるなあ、と思い至る。思い至るけれど、こう暑くては何もする気がしない。そのまま、猶もしぶとくだらだらしていたのだけれど、気になり出したのが止まず、新聞だけでも片付けようと、ちょこちょこと始めたのである。そうしたらですよ、出てきました。宮脇先生の番組の教科書みたような本である。すっかり忘れていた本が出てきて、そりゃ良ござんした、というようなものだけれど、良くないのは、放送を見わすれてしまった、ということである。次の放送までにこの本を読んできちんと予習のようなことをして臨もうなどと、殊勝なことを思っていたけれど、やはり、私は愡け茄子なのであります。
 くよくよしながら、本を眺めていたら、未だ再放送がある、ということが判明した。しかしですよ、これが宜しくない。午前二時からの放送なのである。私なんざ、特別な用事など何一つないのであるから、深夜だってかまわぬだろうとは言えるのだけれど、起きてられやしない。深夜に尿意を催して目が醒めるなんてことはちょいちょいあるけれど、そう都合よく時間を選んで起きられる訳ではないし、そもそも、そんなときは寝惚けているだろうから、テレビを見たって話なんぞ判る筈がない。嗚呼、つまり、もう宮脇先生の番組を見る機会はない、ということになるのだろうか。無念である。ぐずぐず言っていてもしかたがないから、この本をちゃんと読んで、地球を助けられるように森林作りに励もうではないか、と誓う。どうせ口だけだとお思いの方も多かろうけれど。

投稿者 nasuhiko : 17:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月03日

icon不覚続き


 何とも間抜けな話であるけれど、またしても、酷い宿酔で苦しんでおる次第。愚かである。熟、愚かなじじいであります。この世にだらだらと七十余年、酒を覚えて半世紀以上にもなるてえのに、まだ適量というものがわからないんだから、我ながら厭んなる。
 何か食べなければ直りが遅いとは判っているものの、食欲が全く湧かず、昼過ぎに、インスタントの味噌汁を飲んだだけで、既に夕刻。皆さんは飲まれたことがおありかどうか判らんけれど、このインスタントの味噌汁というのも馬鹿にはできませんぞ。なかなかのものである。これに、とろろ昆布を一抓み落としてみたりすると、一段と宜しい。私は普段はともかくも、二日酔いの朝には、この出来合いの味噌汁には随分世話になっております。蕎麦の乾麺同様、買い置きが欠かせない。
 二日酔いには味噌汁というのは、私にとっては定まり事みたようになっているし、同じように言う同輩も少なくない。少なくない、と断言するほど、たくさんの例を知っている訳ではないけれど、私の知人にはそのように思っている人間が多いように思える。しかし、考えてみると、お若い人はもしかしたら違うのやもしれませんな。そもそも、若い人はあまり味噌汁というものを飲まないのじゃないかね。考え過ぎだろうか。味噌汁とご飯とお新香というような食事をするのだろうかね、今時の若い人たちは。 しかし、顧みれば、我が家でもマリがいた頃には、バタ付き麺麭と珈琲の朝食というのが多かったのである。うん、そうだ。濃い珈琲てえものも宿酔の朝には悪くなかったような気がしてくるけれど、記憶があやふやである。私が苦しんでいると、マリが珈琲だけでも飲みなさい、と淹れてくれたようでもあり、味噌汁ですよ、と湯気の出たお椀を差し出してくれたようでもあり、嗚呼、何十年も連れ添った、大事な大事な家内との記憶もこんな風にもやもやしてしまうなんて、情けない。兎にも角にも、本日は、酒は控えようと思っておる次第。馬鹿につける薬というのはない、というのは本当ですなあ。

投稿者 nasuhiko : 18:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月02日

icon師匠、炎夏にも御機嫌


 暑い。暑いですなあ。しかし、これが夏というものなのであるし、この暑さと陽射しが、セニョール・ハバネロをを始めとする植物のあれこれを大きに育ててくれるのである。そして、その植物のお蔭で昆虫や動物が潤う訳であるからして、考えようによっては大変大変有り難いものなのである。然り乍ら、人間てえものは自分勝手な生き物であるからして、感謝よりは不満が先に立つ。暑い。実に暑い。心頭滅却すれば火もまた涼し、なんて言った人がいましたね。誰の言葉だったろうか。坊さんか何かだったろうか。立派な立派な方の有り難い有り難い言葉なのだろうけれど、此方人等、只の偏屈じじいであり、七十余年生きておるけれども、心頭滅却など出来た例がない。従って、火もまた涼しなどという心境には金輪際至れぬ訳であり、従って、暑い、暑い、暑いと愚痴を溢し続けるのである。茄子彦よ、開き直りおったな、この戯け者めが。

 扇風機を浴びながら、畳の上でひたすらごろごろしている。端から見れば弛んでいるようにみえるのだろうなあ、と思う。そして、その通り、実際、弛んでいるのである。そんな風に、半日を呆けて過ごしていたところ、ぷらりと田村師匠がやってきた。「先日、お借りした『ザ・リアル・マッコイ』があまりに御機嫌なので、一杯やろうかと思いまして」と、ははあ、この人も大分砕けて参りましたなあ。結構、結構。お貸ししたことを忘れておったけれど、多分、ソルバイさんをお借りした時のことなのでしょうな。
 早速、澤乃井を傾けながら、マッコイ・タイナーに耳を傾ける。暫く振りに聴いてみると良いですなあ。しかも、日本酒に合うときたもんだ。意外である。杯を重ね、あれこれと、実のある話、実のない話を交わし、音楽と酒に酔い痴れる。嗚呼、余は満足じゃ、であります。

 友来たり 夏日の宴 真マッコイ

 我ながら、何ともでたらめな句である。けれども、何となく、良い響きではありませんか。全く暢気な酔っ払いだよ、私てえ人間は。はは。

投稿者 nasuhiko : 19:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月01日

icon缶入りの蚊遣り


 いやあ、暑いですなあ。蒸し蒸し蒸し、と、実に蒸す。いくら扇風機を浴びても埒が明かなくなってきた。夏バテの様相を呈している枯れ枝じじいであります。何をする気も起きないのだけれど、水遣りだけはさぼる訳には行かない。重い腰を上げて、撒きますともさ。大量に買っておいた蚊遣りも残りが僅かになってきた。しかし、あれですな。蚊取り線香というものも不思議な商品であります。私の場合、近所の安売り薬店で購入するのであるけれど、毎日毎日使うものだから、まとめ買いといきますな。ところが、ですよ、同じ三十本を買おうとすると、箱に入っているものよりも、缶に入っているもの、つまり、蚊取り線香を燃やす容れ物付きものの方が安いのである。理不尽な話である。納得がいかない。私は中身だけが必要なのだけれど、結局、毎回、でかいかんからに入ったものを買うことになる。そりゃ安い方を買いますよ。その結果、我が家には、蚊取り線香の大きな缶だらけなのである。ぱっと見回してみただけで、五つもある。大いなる資源の無駄である。それにしても、缶が五つということは蚊取り線香百五十本ということになる。そんなに蚊遣りを焚いたかと思うと恐ろしいですな。勿論、虫にだけ効果があって、人間様には影響がないように作っているのだろうけれど、虫が苦しむものが人間の躰には悪くないという法もないだろうから、少しは人体に悪影響を及ぼすのではなかろうか、と心配になりますな。まあ、今更、この老い耄れた躰に多少のけむをぶほぶほと振りかけたところで、大事件にはならないだろうけれどね。実際のところ、蚊に刺されるのと蚊遣りのけむに燻されるのだったら、どちらを取るか、と言われれば、そりゃ、蚊遣りの方を選びますとも。だったら、ぐずぐずお言いじゃないよ、男のくせに、と、お銀さんやお竜さんのような女親分ならお言いでしょうな。いや、実に仰る通り。

 蚊遣らんと 煙に巻かれて 愚痴零す

 随分と情けない句が飛び出しました。

投稿者 nasuhiko : 17:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月31日

icon忘れてしまった


 棋聖戦を見逃し、しかも、その見逃した試合で羽生先生が負け、結果としてタイトルを逃してしまった。そのことをうじうじと考えながら、昨日はずるずるだらだらと呑み続けていたもので、本日、大変な宿酔で苦しんでいる。暑さと悪心で熟睡できず、眠いし、気持ち悪いし、暑いし、眠いし、気持ち悪いし、暑いし、眠いし……と、嗚呼、どうにもならない午前中であった。昼になって、少し気力が出てきたけれど、未だ未だ胸の中のもわもわとしたむかつきは消えない。少しでも何か食べないといけないと思う。こういうときには素饂飩が何よりだとは思うけれど、福寿庵に素饂飩一つだけを出前してくれ、とういのは、幾ら何でも申し訳なくて言える訳がない。子供時分からの付き合いだとは言え、先方は家業としてやっている訳ですからな。
 ごろごろしながら水を飲み、ごろごろしながらテレビから流れてくる音を聞いている。見苦しい有り様だ。酒を嗜むようになってから六十年にもなろうてえのに、未だに二日酔いで苦しむなんてのは愚の骨頂じゃありませんか。嗚呼、愚かなり、愚かなり。愚かなるぞよ、茄子彦くんよ。

 夕方になって、少し立ち直ってきたので、自力で素饂飩を拵える。拵えると言っても、大師匠から頂いた蕎麦つゆを水で割って、そこに昆布と酒を落として暖めるだけである。うどんだって、買い置きの乾麺である。こうやって弱っているときには、普段は蕎麦しか喰わない私なのに、饂飩が食したくなるというのはどういう訳でしょうな。まあ、兎にも角にも、目出度く熱々の素饂飩をふうふういいながらいただき、汗をどぼどぼ流したら、大分、正常に近づいてきた。もっとも、正常と言ったって、元来がぽんこつですからね、他人様の正常には程遠い。人心地が出てきたところで、はっと思い出した。すっかり忘れていた。慌てて、小庭に飛び出してみると、地面はからからのかんからりんに干涸びておる。セニョール・ハバネロを始めとして、どの草もすっかりしょげ返ってしまっている様である。何とも申し訳ないことをしてしまった。慌てて、じゃんじゃんと水を撒きましたよ。濡れた葉が何とも言えぬ緑に輝き、元気を取り戻していくのが手に取るようにわかる。熟、申し訳ないことをしてしまいました。今後は決してこのようなことのないように、精進致すによって、平に御寛恕の程をお願い申し上げまする。

投稿者 nasuhiko : 18:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月27日

icon颱風一家


 あっさりと、颱風七号が通り過ぎた。前評判が凄かっただけに、少々拍子抜けするような気がする程である。それなりの雨、それなりの風があったけれど、正に「それなり」という程度で、大事とは程遠い。セニョール・ハバネロが猛烈な雨と風で、倒されたり、折られたり、吹き飛ばされたりしはしまいかと大きに心配したのだけれど、今朝方、水遣りがてら、ぼんやりと眺めた限り、無事のようであり、一安心したぽんこつじじいである。
 ところが、昼になって、小庭に出て、今度は仔細に眺めてみたのだが、何たることか、花の半分程がぽっきりと茎の部分から千切れて地面に落ちてしまっている。暫し呆然としたけれど、物は考えようである。何と少ない被害で済んだことか、と喜ぶべきでありましょうな。何しろ、大型颱風が通過したのであるからして。昨晩の段階では、根元からすっぽり折れて、どこかに飛んでいってしまうのではないか、と心配していたのですからね。それを思えば、あなた、花が半分落ちたって、呵々大笑して太っ腹に受け止めるべきではないか、と、そう思い込むことにしますよ。くよくよしても仕方がない、と。はあ。

 颱風一過。空が限りなく青く広く、素晴らしい天気である。少し見上げていたら、くらくらしてくる程であります。そう言えば、マリは、「颱風一過」を「颱風一家」と勘違いしていましたな。そんなことを思い出す。可愛らしい勘違いじゃありませんか。亡くなった女房の思い出で惚気るなんざ、実に莫迦なじじいである。彼女は書き言葉は余り得意ではなかったからね。そもそも「颱風一過」なんて、頻繁に出てくる言葉じゃないしね。知らなくたって困りゃしない。それに、考えてみれば、外国人ならずとも、「颱風一家」と勘違いしている人がいないとは限らないのではないかしら。お若い人にはそういう人だっていそうじゃないかね。まあ、どうでも良いことだけれど。

 夕暮れも近い。そろそろセニョちゃんの無事を祝って一杯いこうと思うけれど、マリの「颱風一家」の話を思い出したのも何かの縁、暫く振りにワインにしますかね。赤にしようか白にしようか。

投稿者 nasuhiko : 17:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月26日

icon颱風七号


 颱風がどんどんどんどん近づいてくる。テレビで天気予報を眺めていると、真っ直ぐ東京に向かってくるように思える。地震に続いて颱風だなんて、何とも慌ただしいことである。尤も、颱風てえものは、夏から秋に掛けての、言ってみれば、季節ものだからね。来なきゃ来ないで、何だか物足りないような気がするやもしれぬ。しかし、こんなことを言っていられるのも、大きな被害に遭ったことがないからですな。颱風というものは、家を壊したり、橋を壊したり、農作物を目茶苦茶にしたり、人の命を奪ったりする恐ろしいものなのである。この老い耄れは、颱風で本当に酷い目には遭ったことがないもので、少々甘く考えている節がある。自分で言うのも何だけれどね。
 雨が降ると、水遣りの心配が要らないてえのが有り難いと言えば有り難いのだけれど、こう風が強いと、今度はセニョール・ハバネロが倒れてしまいやしないかと気掛かりで、雨の中、度々小庭に出てみる始末。今のところ、大丈夫のようだけれど、今晩辺りどうなってしまうのだろうと思うと、今から心配で心配で仕方がない。
 まあ、でも、ですよ。ぐずぐずと思い煩っていても埒が明かないのである。自然界の生き物が自然の猛威と対峙するのであるからして、人間のようなものがあれこれと考えてみたところで、どうにもなるものではない。天に任せるしかないではないか。そんな気になってきて、天に任せたとなれば、此方人等は、身を浄めるぐらいしかできることはない。早速、澤乃井をきゅうっと、ね。こうやって、酒で身を清めるってのは良いね。浄め序でに塩を舐めて、と。ふふ、美味いね、どうも。
 セニョちゃんの身は案じられはするものの、颱風てえのは、何となく、わくわくさせるようなところがありませんか。正直な心を吐露すれば、小さい頃から、颱風がやってくると何となく興奮してしまうのであります。溢れそうな川を覘きに行って、こっ酷く叱られたりしたことを思い出す。颱風で痛い目を見たことがないから、こんな暢気なことを思ったり、言ったりしていられるのであって、酔っ払った老い耄れの戯言とはいえ、不謹慎に過ぎますな。今日のところはもう筆を擱くが良さそうである。

投稿者 nasuhiko : 16:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月24日

icon大きに揺れた


 昨日の揺れはかなりのものであった。尾籠な話で恐縮なのだけれど、私、厠におりまして、丁度座り込んだところで、ごごごごごごごごと揺れ始めたもので、大きに動揺した。実際の揺れよりも心の揺れの方が激しかったと言えましょう。何しろ、此方人等、お穴を丸出しの状態ですから、何というのか、落ち着かない。荒屋の狭い厠のことですから、両手を伸ばして支え棒にして、何とか凌ごうとするのだけれど、そういう時にも、尻丸出しではね、どうにも締まらない。いや、本当の話ですぞ。疑うなら試されるが良い。お尻を丸出しで、気丈に振る舞うということがこんなに難しいとは私も思っておりませんでしたよ。
 昔から、厠というところは、狭い空間を柱が四本で支えているのだから、地震が来たって安全だよ、などと言われてきたけれど、あれですな、そういうのは、新築の立派な建物での話なのでしょう。私のところでは、大変でしたよ。壁も柱もぎゅうぎゅうみきみきと音を立て、このままばらばらになるのではないかと思った。そうは言っても、結局のところ、何ともなかったわけで、もしかすると、厠が安全だという言い伝えは間違っていないのかもしれないけれど、ああいうところだと、閉所としての恐さもある。閉じ込められちまうんじゃないか、とね。厠に閉じ込められたら、それこそ糞詰まりですよ。そんな下らないことを思う。
 今になってあれこれと考えている訳だけれど、家屋倒壊ということにでもなれば、畳の上でごろごろしていようと、厠の中にいようと、あまり変わりはなさそうである。変わりがあるとすれば、やはり、お穴を出している、というところでありますよ。そんな恰好では逃げるに逃げられない。揺れているし、あたふたしているしで、ズボンを引き上げるのも儘ならないかもしれない。ズボンを上げるが儘ならないからといって、ズボンを下ろしたままでは、足に纏わり付いて駈けるどころか歩くことも儘ならないだろう。そして、そのまま、瓦礫の下敷きになったとしたら、どうなるのか。ズボンを下ろしてお穴丸出しで倒れているじじい。消防隊員だか自衛隊員だか誰だかは判らないけれど、そんな醜い枯れ枝じじいを発見する羽目に陥る御方には実に申し訳ないとしか言い様がない。今の内に謝っておこう。斯様な混乱の折とは申せ、醜態を晒しまして、平に御容赦願います。

投稿者 nasuhiko : 13:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月16日

iconテレビと過ごした半日


 蒸し蒸しと暑い中、水遣りをしたり、ちょこちょこと雑草と思しきものを抜いたりしたけれど、もうどうにも暑くて暑くて、早々に引き上げて、部屋の中で扇風機の風を浴びながらぐったりするばかり。畳の上を転げながら、ぼんやりテレビを見ていると、よく見掛ける太った若者が青梅の案内をしている。いつもにこにこしていて、気持ち良く飲み食いするので、彼のことは嫌いではない。中々良い青年ですな。青梅のあれこれを紹介するうちに、澤乃井の小澤酒造が経営しているという「ままごとや」というお店が映る。涼やかな奴も良いのだけれど、厚からず薄からずといった具合の肉が炙られているのも良い。気の利いたコースを出しているようである。あんなに美味い酒を造るんだから、水が良いに決まっている。水が良ければ、それだけで料理なんざどんどん美味くなるに違いない。そして、また、あの太っちょが美味そうに食すものだから、画面を見ていて羨ましくて仕方がない。そうこうするうちに、夏に限定の吟醸酒なるものが出てきた。薄緑の白っぽいような瓶に薄緑の涼しげな文字でしたかね。いやあ、呑みっぷりが良いから、益々美味そうに見える。あれは良いね。早速、酒屋に尋ねてみよう。あの店に限定品なんてえものが揃えてあるかしら。
 そんなのを眺めていたら、こちらも一杯やらない訳にはいかないてんで、早速、始めましたよ。青梅の紹介は意外とすぐに終わってしまって、少々拍子抜けでしたけれど、まあ、此方人等、呑み始めてしまったものは止まらない。どのチャンネルもぱっとしないね、なんてことを呟きながら、堪え性なく、リモコンでチャンネルをがしゃがしゃしているうちに、『母のいない大家族』という番組に出会した。陰気な話は厭ですよ、と思いながらも、引き込まれる。嗚呼、これが、思いもかけず、私の心を激しく打ちのめしたのであります。正直に申せば、私は猛烈に泣きましたよ。こんなに良い子はいませんよ。今時珍しい、なんていうようなことではなく、古今東西探しても、この、あざみちゃんみたような良い子はいないに違いない。勿論、弟妹達だって立派なものである。けれども、やはり、あざみちゃんというお嬢さんは本当に素晴らしい女性であります。この老い耄れは七十年以上も生きてきて、未だにこんなような情けない代物なのに、彼女ときたら、十六歳であのように凛々しく美しく、しかも、達観している。諦めているのではなく、前に、未来に向いている。酔っ払っていたせいもあり、細かいところに関しては事情がよく判らないけれども、兎にも角にも、あざみ嬢の素晴らしさは本当の本物でありますよ。思い出すと、また涙が溢れてくるので止めますけれど、嗚呼、十六歳の少女の健気な姿に、私ももう少しあれこれと頑張って生きようと勇気づけられました。あざみ嬢に、幸多かれ、と祈らずにはいられません。いや、彼女なら、こんなじじいの祈りなどなくとも、立派に生き抜くに違いありませんとも。大丈夫です。

投稿者 nasuhiko : 18:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月15日

icon夜に回帰


 昨日の、家守くんの亡骸に団子虫が集っている図を、実は、写真に撮ってある。撮ってあるのであるけれど、それは余りにグロテスクなもので、この愡け茄子日記に載せるのは見合わせたのであります。見合わせたのであるけれど、日中まじまじと眺め、夕方には青いデジタル・カメラで接近して撮影し、マックに繋いで画面でも眺めたせいで、脳裏にすっかりその悲痛の姿が焼き付いてしまったのであろう、夜半に家守が現れた。

 剣士の姿をした家守殿が夜間の警邏を行っていると、そこにすうっと小さな蛾が現れる。「ここまで来られるかい、やもりくんよ」とちょいと離れたところをふらりふらりと嘲笑うように舞う。家守くんは剣を抜き、やあ、やあ、と必死で突くのだけれど、先方は手慣れたもので、届かぬところをふわりふわり。やもりくんが手を止めると、からかうように近づいてきて、空中でくるりと回って見せたりする。何とも嫌らしい蛾ではないか。このままでは埒が明かぬ、と、やもりくん、一計を案じる。剣を持つ手を伸ばしたまま、一気に壁から飛び出したのである。よもや届く筈はない、と高を括っていた蛾は慌てましたよ。慌てたけれども、既のところで、身を翻し、一目散に逃げ去った。家守殿は地面に叩き付けられ、随分痛い思いをしたけれど、取り敢えず、敵を追い払えはしたわけであるから、目的の一部は果たせたのである。「やれ、やれ」と手足、胴体に纏わり付いた土埃を払う。「俺様にも羽があればなあ」と嘆いた途端、家守くんは意識を失い、暗闇の中に沈んでしまった。宇宙人面をした猫が背後から忍び寄っていたことに、気づけなかった不覚。見ているばかりで、助けてあげられなかった私は、残念至極。だが、嗚呼、これが自然界の掟なのである。私のそんな気持ちを知ってか知らずか、ちび公はこちらを向いてにやりと笑う。

 と、まあ、こんなような夢を見たのであるけれど、昼間現実世界で見たことが、多少姿を変えているとはいえ、そのまま夢に出てくるようでは、私の想像力というのは相当に乏しいのでしょうなあ。団子虫が家守にむしゃぶりついた図がそれほど強烈だったということでもあろうけれど。

投稿者 nasuhiko : 19:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月13日

icon家守の死


 庭の片隅で家守がひっくり返って死んでいた。どういう経緯でこういう状態になったのだろうか、と考えるに、喉元に小さな穴が開いているので、恐らく、宇宙人面したちび猫くんがやっつけたのかもしれない。もし、仮に、ちび公くんの為せる業だったとすると、本能の為さしむるものであり、自然界においては仕方がないことなのだろうけれど、それでも、何というのか、家守公の物言わぬ姿は痛々しく、私の胸に波風がゆらゆらと揺らめくのである。私は菜食主義者なんぞではないし、格別の宗教的自制心を持ち合わせている訳ではなく、例えば、ガンジーさんの無抵抗主義のような、美しい志からは限りなく遠いところにある、単なるぽんこつじじである。だから、家守くんの遺体を前にして胸が痛いなんぞと言うのは片腹痛い話なのであるけれど、本当のことだから、仕方がない。
 庭の何処かに穴を掘って丁寧に埋葬しようかとも思ったけれど、それよりも、自然に土に帰るのを待つのが森羅万象の摂理に適っておるかもしれない、と、思いを改め、庭の片隅に引っ繰り返った姿の侭、其の侭にして部屋に戻った老い耄れである。

 仮に、私が道端で倒れて死んでいたとしたら、通り縋った人は、警察なり何なりの役所に届けねばならないのだろう。其の侭放っておいて自然に帰るのを待とう、などということをしたら、何らかの犯罪に問われてしまうのかもしれませんな。この世界の中に生を受け、一つの生き物として生きているくせに、人間というものは、手前勝手な理屈をあれこれと拵えて、そのおかげでどんどん不自由で不可思議な存在になっているのではないだろうか。そうは思うけれど、その一方で、葬儀とかお墓とかいうもののがあるおかげで、心に区切りを付けられる、という有り難みもある訳であります。そういう何というのか、目に見える区切りがないと、どうしても、人というのは、ぐずぐずずるずるずぶずぶの、泥沼のような心境で堂々巡りを繰り返してしまったりし兼ねませんからね。死を前にして、中々平常心でいられるものではありません。嗚呼、家守くんの死から、何だってこんな話になってしまったのか。今晩は、家守君の為に、『フォーレのレクイエム』を聴くことにしますよ。

投稿者 nasuhiko : 17:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月11日

icon喉元過ぎれば03


 英国でのテロで亡くなられた方の数は益々増えていくようであり、何とも恐ろしいことである。御当人も無念だろう。また、その御家族も遣り場のない悲しみや怒りに震えておられるのだろう。結局、戦争だのテロだのということになると、犠牲になるのは殆どの場合、普通の人なのだというところが、何とも辛い。例えば、ブッシュとビンラディンが一対一で喧嘩をすれば良いのである。そうすれば、痛いのは当人たちであって、一般の大衆の命が軽々しく失われることはないのだ。まあ、こんなことを、この老い耄れじじいがここで幾らほざこうとも世の中には何の影響もないのですけどね。まあ、それでも、ぶつくさと愚痴を溢さずにはおられないのであります。

 もやもやした遣り切れない気持ちを抱えたまま、カメラを持って、例によって散歩に出た。ぼんやりと歩いているうちに、突然、マリが『フォーレのレクイエム』をとても愛聴していたことを思い出しました。脳みその中の記憶の繋がりというのは本当に不可思議なものでありますな。兎にも角にも、駅の方に足を向けて、レコード屋を覘くと、ありましたよ。何だか知らないけれど、「奇跡の名盤」と謳われているのに僅か1000円だという。結構な話である。
 家に帰って、大きな音でかけてみる。今では当たり前だけれど、裏に引っ繰り返さないで済むというのは、こういうものを聴く時には有り難い。家内がよく聴いていたレコードに比べて、のんびりゆったりしていて、何となく牧歌的な印象を受けますなあ。それにしても、実に美しい音楽である。私のような無宗教の者の耳にも美しい。何というのか、鎮魂歌でありながら、鎮魂するばかりでなく、鎮魂する側の私たちの気持ちを慰撫し、少なからず元気にしてくれるような気がする。マリのことも思い出され、正直に申せば、少し涙が零れたけれど、嘆いているばかりなのではない。生きる活力にも繋がる、未来への道筋が見えるような気がするではありませんか。こんな物謂いは少々大仰に過ぎましょうけれど。

投稿者 nasuhiko : 19:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月10日

icon喉元過ぎれば02


 人が死ぬということは仕方のないことなのであろうけれど、それに関しては、やはり、あれこれとものを思わざるを得ないものである。場所は英国、被害者は、恐らくは、見知らぬ英国の人々なのであるけれど、それでもやはり私の心に波風が立つのである。胸が痛い。この胸の痛みというものは何処からやって来るのかは判らないけれど、これも一つの現実なのである。その一方で、膝の痛みという切実な問題もあり、どちらの痛みがより大きな問題なのかというと、それはどちらとも言えない。

 先日教えて頂いた微温湯に浸かるというのをやり始めてから、膝の重みは大幅に和らいできている。してみると、やはり、血液の流れが悪かったのだろうか。まあ、兎にも角にも、有り難いことを教わった訳で、感謝に堪えません。二十分も風呂桶の中でぼうっとしていると、さすがに出てきた頃合いには、全身が怠い感じがするけれど、その怠さに対して、遠くから扇風機を浴びてごろ寝をするという楽しみが生じる、とも言える訳で、今のところ、毎日、飽きずに続けている。こうやって膝の痛みを和らげ癒すように、胸の痛みを和らげ癒す方法があればいいのに……という、女学生が夢見るようなことを思う。こんなじじいが何を甘ったるいことを言うのだろうか、と、自分でも思うけれど、胸の痛みをなくす方法があれば、本当に良いと思う。けれども、ないのでしょうな。というより、寧ろ、そういう胸の痛みを忘れてはいけないのである。胸の痛みがあるのは当たり前なのでありますよ。そういう恐ろしいことが起きているのであるからして、ね。そういう意味では、こういう気持ちを喉元過ぎさせてはいけない。いつまでも、あちちち、と、その痛みを覚えておかねば。人間てえものは、何でも彼でも直ぐに忘れてしまいますからな。

 戦争で、テロで、地震で、電車の事故で、台風で、などと、色々な痛ましい出来事が起きて胸を痛める。一日中そういうことばかりを考えている訳にもいかないけれど、心の何処かにその痛みを留めておかなければ、人間という愚かな生き物は同じことを繰り返してしまう。くどくどしいぐらいに、胸の痛みを心に刻み付けるが良いのである。

投稿者 nasuhiko : 15:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月09日

icon喉元過ぎれば


 とうとう亡くなられた方が五十名を超えたという。何とも痛ましいことである。対岸の火事だとばかり言ってはいられないと思ったのであろうか、威張りん坊の都知事があれこれ物申したりしている。ワイドショーなんぞでは、物識り顔で色々な人々が色々なことを言っている。テレビを通じて物識り顔で物申されると、私のような物を知らない愚か者には、何でも彼でも本当のことのように思われてしまう。知識人振った連中の発言のあれこれを見て、大変不安な気持ちになったり、憤ったり、悲嘆したり。彼らは、色々なことを放言したい放題だけれど、自分の発言が人心をおかしな方向に煽ってしまったりする事を恐ろしいとは思わないのだろうか。思わないのでしょうな。一見しただけで、彼らの顔の厚みは歴然であるからして。
 そうなのだ。言いたい放題の発言を垂れ流して世間を煽り立て、数日すれば、すっかり他の話題に移ってしまうのが、日本のマスコミてえものなのでありましょう。毎日のように大きな出来事が起きているので、そうするしかない、とういこともあるのだろうけれどね。正に、喉元過ぎれば……てえ具合なのである。そして、私なんぞも、新聞やテレビに振り回されて生きているものだから、昨日まで立腹したり嘆いたりしていたことも、今日には忘れ、そして、今日の出来事も明日には忘れ……結局、その日暮らしの螽斯。蟻のように未来に向けて物事を積み上げていく事など出来ぬのである。考えてみれば、七十年以上もそうやって生きてきた訳で、私という生き物は、何とも愚かな存在なのであります。

投稿者 nasuhiko : 18:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月06日

icon名前なんぞ2


 雨が降ったり止んだりして、はっきりしない。気温も中途半端なせいか、朝から膝がずんと重い感じがして厭だ。そうして、だんだん気が塞いでくるのである。早く梅雨が終わらないだろうか。うじうじしながらも、ついつい小庭に出て様子を見てみる。天候が良くない良くない、とは思うものの、最近はセニョール・ハバネロの具合は決して悪くはない。尤も、調子が良いという風でもないのだけれど、一時期の不調、苦しみ具合を考えれば、悪くないということは、私にとってもセニョちゃんにとっても、とっても素晴らしいことなのである。
 しかし、昨日の話に戻るけれども、ハバネロ殿のことをあれこれ書けるのも、名前が判っているからだ、ということではありますな。名前がどうだこうだなんてことは、人間の手前勝手な御都合主義の産物で、先方の草や木は、あっしらには関係ないことでござんす、と外方を向いているに違いない。まあ、実際、草や木が名前で呼び合ったりする筈はないし、名前がなくても、彼らは育つし、花を咲かすし、子孫を遺していく訳である。
 そんなことを考えながら、小庭でぼーっとしていると、ほうほう、暫く振りではないか。宇宙人面したちび公がやってきた。こちらの顔を見ると、にこりとする訳でもなく、にゃあと声を出す訳でもなく、何となく近からず遠からぬところで、一休みしている風である。手を舐めたり首をぐいと曲げて背中を舐めたり。合間にこちらの様子を窺ってみたり。「ちび公くんよ、一杯いくかい」と声を掛けるけれど、特段、返事をする気配はない。「ちび公くん」と猶も呼び掛けると、ちらりと見上げた。けれども、考えてみれば、この猫の名前が「ちび公」である筈はないのである。飼い主様が付けた、立派な名前があるに違いない。しかも、その名前にしたって、飼い主殿には意味があるかもしれないけれど、ちび公くん本人にとっては、意味はないのじゃないだろうか。まあ、他人様の家内のことだから、私がとやこう言うつもりはないけれど。
 冷蔵庫から鈴廣を取り出して、ちび公くんと半分こ。ちび公くんには牛乳。私は澤乃井。こうやって、対座して一杯やるのに、確かに名前なんぞ要りませんなあ、と声を掛けるも、あれあれ、先方はじゃかじゃか喰ってじゃかじゃか飲んで、もうどこかへ去っていった後。まあ、元気なことは結構なことである。

投稿者 nasuhiko : 20:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月05日

icon名前なんぞ


 我が小庭には、植えたもの、植えないのに勝手に生えたもの、大師匠からの預かり物、と、あれこれの草花がある。御存知のように、私は、マリの遺したものを何とか育てよう、というような気持ちから庭弄りを始めたのであって、元々花や草木に格別な関心を寄せていた訳ではない。しかしながら、家内の思いが籠っているであろう草や土と接しているうちに、何とはなしにそれなりの愛着や拘りが湧いてくるから不思議である。近頃では、雨の日でも傘を差して一渡り眺め回したりして、一端の園芸家気取りである。いや、まあ、気取っている訳ではないのだけれど、結果的に、そんな風なことになる。そうやって愛でていると、ああ、今日はこの草の緑が濃いな、とか、漸く、花が咲きましたか、などなどと、それぞれの移り変わりを目や指や鼻で感じる訳である。そういう色々な感興を得られるというのは実に有り難いことであり、この自然の恵みや驚異に感謝したい気持ちになったり。そして、当然、日記に書きたくなる訳である。そこで、はたと困じ果てる。名前が判らないのである。判らないから日記に書きようがないのである。人間てえものは愚かなものである。手前で考え出した言葉というものに囚われて、名前が判らないから日記に書けない、と泣き言を言ったりしている。莫迦である。情けない。仕方がないので、庭の右奥の草に薄桃色の見たことがない花が咲いた、などと、書いてみたけれど、どうにも落ち着かない。言葉というものに毒されているのか。毒されているのでしょうな。

 一体、名前に何の意味があるのというのだろうか。こんなことでむず痒い心持ちになるなんて、なんて愚かなじじいだろう。

 万緑や 存じませぬぞ 名前なぞ

投稿者 nasuhiko : 17:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月04日

icon老い耄れの一票


 大蒜の食べ過ぎでお腹を壊し、うんうん唸りながら厠に籠って、日曜の午前中と午後の多くの時間を費やした莫迦なじじいだけれど、夕方になって、何とか立ち直ったもので、どうにかこうにか選挙に出向くことができた。老い先短いぽんこつが選挙に参加するのはどうかとも思う。けれども、こうしてこの国に生きている限り、選挙で意思を示すということは国民としての義務でありますからね。本来なら、年寄りは未来のことは若い人に任せて引退するのが良いのではないか、とも思うのだけれど、引退の時期の判断というものは、スポーツ選手なんぞに限らず、私たち一般の、何というか、下々のものでも見極めが難しい。肉体的には相当にがたが来ているので、身体を使うようなことではもはや社会には殆ど貢献出来る筈がない。せいぜいが、道端に落ちているゴミを片したりすることぐらいであろう。頭の方も捩子が緩んでいるので他人様の役に立つことは出来そうにありませんな。そう考えると、最早、私なんぞは社会のお荷物に過ぎない訳であるからして、選挙に参加するような身分ではないのではないか、という気がしてくる。老いては子に従え、というような、言葉もあるではないか。こう書いたものの、ふと考えると、あれは女性に関しての言葉だったような気がしてきた。どうだったでしょうな。例によって、あやふやな記憶の儘に書き散らしている。
 立派な若い人たちが良い国を作ってくれれば、私のようなじじいは大人しくしていれば良い、ということは確かである。けれどもね、若い人たちは政治にあんまり関心がないようで困りますな。今度の選挙だって、四十五パーセントにも満たない、情けない投票率だというじゃありませんか。昔はこんなではなかった、と愚痴を溢したくなるけれど、こんな世の中にしてしまったのは、結局、私たち年寄りの責任なのである。若くて頭が良く、しかも、心がきれいな人が政治家になって、この国の舵を取ってくれないものだろうかねえ。

投稿者 nasuhiko : 19:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月03日

icon開けっ放し


 大蒜を炙りぃの、味噌をつけぇの、澤乃井をぐびりぃの、大蒜を炙りぃの……と、あまりに美味いもので、昨晩は、結局、大蒜の塊を二個も喰ってしまった。お陰で元気が出たんだろうか。出たんだろうとは思うものの、恐らく、急激に大量のエネルギーを摂取し過ぎたようである。恥ずかしながら、お腹の具合が悪い。午前中は頻々と厠に駆け込むことと相成った。しかし、この時期、あの狭い空間は何とも暑い。暑くて暑くてかなわない。かなわないけれども、お腹がぴいぴいなもので、閉じ籠もらざるを得ず、汗がだらだらと流れ、下からも流れ、脱水症状を起こしたりしないかと心配なほどである。全く、こんな歳になっても適量というものが判らないというのは、何とも情けない話であります。しかし、よく考えたら、誰がいるわけでもいないのだから、厠の戸を開けたままにしておいても良いのではないか、と思い至る。
 早速、試してみたけれど、駄目です。何とも落ち着かない。不思議なことでありますなあ。誰もいないのだから、どうどうと開けっ放しで、寛げば良いではないか、と理屈では判っているのだけれど、どうしても気後れがする。これは、長年の習慣が身に染み付いているからだろうか。だとしたら、偏見に囚われ、脳みそが硬直した老い耄れ故のことなのか。他の人々はどうなのでしょうな。尤も、全面的に開ききるのでなければ、平気でありました。三センチ程開いた状態にしてね。それだと、まあ、最初は何となくむずむずするような気がしたけれど、直に慣れました。ということは、徐々に開ける巾を大きくしてゆけば、いつかは全開でも動じることなく、堂々と用を足せるようになるのだろうか。ううむ。試してみる価値はあるだろうか。

投稿者 nasuhiko : 16:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月02日

iconすっきりしない。


 何とも気怠い。こういう季節の境目のような時には、あれこれと不都合が生じるものですな。腰の方の痛みは、畳にタオルで解決しているような気がするものの、膝の方が宜しくない。ずきずき痛いというようなのではないのだけれど、何となく、奥の方でずうんと痛くて重い、というような具合。寒暖が揺り返したりすると、どうしてもあちこちの関節がおかしくなる。考えてみれば、七十年以上も使い続けてきたぽんこつであるからして、少しぐらいの不具合は当然、未だどうにか動いているだけでも有り難いと思え、というところが、正しい心構えなんでしょうな。理屈はそうなのだけれども、しかし、すっきりしない。身体の調子がすっきりしないと、気分もすっきりしない。
 極力冷房の世話にはならないようにするのが、身体の為であるし、無駄な資源を消費しないという意味では世界平和の為でもある。尤も、世界平和だなんて、言っているけれど、そういうことも少しは考えなくもない、という程度のものでしてね。確固たる信念を持って、あれこれしている訳ではないので、夏が本格化してくれば冷房のお世話になることだろう。まあ、兎にも角にも、今のところは、扇子と団扇と扇風機。
 すっきりしない、すっきりしない、と泣き言ばかりを繰り返しているのは、みともないばかりで何にもならんから、少しは元気が出るように、精のつく物でも喰おうではないか、と思うのだけれど、鰻や肉なぞを思い浮かべても、どうも食指が動かされない。何が食べたいかと考えると、青紫蘇と生姜を薬味にして揖保乃糸でもさらっと、というようなところかねえ。じゃなけりゃ、奴。どちらも余り力が出そうにない。と、そこで、ふいと思い付いた。大蒜を炙って喰おうじゃないか、と。
 早速、大蒜を炙って、味噌を付けてやっつけましたよ。これが、またつまみとしても抜群だね。我ながら、良いことを思い付いたものだ。へへ。美味いねえ。美味くて力が出るてんだから、有り難い喰い物だよ、大蒜てえやつは。

 熱々の大蒜頬張り 冷やし酒

投稿者 nasuhiko : 18:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月30日

icon畳の上に


 誰に言われて始めたことだったのか、あるいは、テレビか何かで見たのだったかもしれない。兎にも角にも、夏になると、蒲団を片して、畳の上に直に寝るようにしている。畳の上に大きめのタオルをひいて、枕だけを置く。上に掛けるのも、厚手の大きなタオルのようなもの一枚。こんな風にして、かれこれ四、五年になるだろうか。
 腰痛が酷かった時期が何年か続き、随分と難儀したものである。以前は、腰の下に週刊誌を丸めたものを入れて、腰を心持ち持ち上げるようにして寝ていた。その方法も誰に勧められたのか思い出せないのが情けないですな。その方法だって悪くなかったような気がするのだけれど、畳の上に直に寝るてえ方法を試してみたら、こちらの方が気持ちが良いということが判明したので、ここ数年はこれを続けている。まあ、寒くならないうちのことだけれどね。
 灼熱の後、急激に涼しくなったもので、膝と腰、右肩が少々痛み、昨日今日とすっきりとしない。それで、今晩からは畳の上に直に眠ろうという気になった。これで明日からは、腰痛が引っ込むと良いのだけれどね。

 近頃じゃ畳というのも随分減っているそうですな。先日、田村師匠がそんなことを仰っていた。今時の若者は畳より木の床を好むそうであり、畳のない家は珍しくないのだとか。まあ、師匠のお知り合いの方には少なからずモダーンな人々が多いせいなのではないか、という気がするものの、考えてみれば、畳屋なんぞも減っているような気がしてきた。床が悪いということはないけれど、畳の上にごろりと横になる味は格別である。新しい畳の匂いは抜群に良い。尤も、古びた畳の匂いだって独特の味わいがなくもない。まあ、それは贔屓目に過ぎるかもしらんけれど、悪くないものである。もしかして、世の中には未だ嘗て畳に触れたことがない、というような若人が出現したりしているのだろうか。畳を知らない日本人。売らんかな、という類の本の帯にでもなりそうですな。

 一頻り澤乃井で喉を潤したら、畳の上でごろごろするのが何よりでありますなあ。この味を知らずにいるなんて、何とも勿体ない話であります。

投稿者 nasuhiko : 20:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月28日

iconあまりにも


 暑い。あまりにも暑い。暑い。じっとしていても暑いし、うろうろしていても暑い。しかし、未だ六月。こんな時期から冷房なんぞをつけるようではすぐに膝や腰が痛くなるのは必定なので、扇風機の風を浴びることにする。しかしですよ、その風が熱いのである。もわーっと熱い風がびやーっと吹いてくる。これではむわむわして気持ち悪いばかりだから、と、扇風機のつまみを微風から涼風に変える。それでも、未だ暑い。何糞、負けるものか、と強風にしてみる。嗚呼、けれども、未だ風は熱いのである。しかも、強い風に当たっていると、ものすごく疲れますな。風に当たるのは何とも疲れる。仕方がないので、また微風に戻してみるけれど嗚呼、これでは埒が明かない。

 年々、東京の夏は暑くなりますな。実にどうにも堪え難い。嘗て、冷房がない時代には、どうやって過ごしていたのか、と振り返ると、やはり、別にどうということもなく、暑い暑いと口にし、実際、暑い暑いと感じてはいたけれど、ばたばたと倒れてどうかなるということもなく、今日に至っている訳である。あの頃は、人間が総じて丈夫だったのかというと、まあ、多少は、今よりは丈夫だったかもしれないけれど、それほど大きな差がある訳ではなかろう。問題は人の側にあるのではない。世間が暑くなっているのではなかろうか。いやあ、暑い。あまりに暑くて考えが纏まりません。
 木々が減って家が建ちビルが建ち、舗装道路がいっぱいできて車がそこを走り回り、その家でもビルでも車でも冷房を強烈に効かせている。つまり、相応する熱を戸外に放り出しているに相違ない筈だからして、気象庁の記録ではどうなっているのかはわからないけれど、東京は絶対に以前より暑くなっているに決まっている。まあ、老い耄れてきて堪え性がなくなって、僅かな暑さでも我慢ができずに暑い暑いと愚痴を零し、暑い暑いと泣き言を漏らしているという部分がないとは言わないけれど、やはり、世間様が暑くなってきているのがいけないのである。暑い。嗚呼、暑い。

 このまま冷房をつけずに何日頑張れるだろうか。ううむ、暑い。しかし、あれだね、独居老人、熱中症で死亡、なんてことになりはしないかね。この部屋の温度は尋常ではないからね。嗚呼。何とも。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月22日

icon振り仮名


 読めない漢字に出合うと読む気がなくなります、というメールを戴いた。御尤もである。私も、自分の書いたものを読み返していて、読めない漢字に出会すことがある。莫迦である。自分で書いたのに読めないなんて、一体、どうなっているのか。どうなっているのか、というと、それはマックが色々と漢字に詳しいところに原因がある。書いている時に、あれこれと変換した漢字を表示してくれるので、その中から、自分の気に入ったものを選ぶのであるけれど、その際に、そうそう、こんな漢字であったなあ、と、記憶の彼方で眠りかけていたような字、紙の上に萬年筆で書いていたらとてもじゃないが書けないような字、そんなものが、楽々と選べる訳である。例えば、蛞蝓。これはナメクジであるけれど、そう言えば、こんな漢字でしたね、と。この字を眺めているうちに、これこれ、これですよ、などという気持ちになって、採用する、というような具合である。そうすると、また、いつか読み返す時に読めなくなったりする訳ですな。だったら、簡単な文字だけにすれば良かろう、とも思うのだけれど、しかし、ややこしかろうと、読み方を忘れる可能性があろうと、使いたい漢字は使いたい。当たり前だ。けれども、他人様に読んで戴くのに、記憶の倉庫の奥深くから埃を被った漢字を引っ張り出してきたりしては不親切極まりないとも思う。ううむ。

 ううむ、ううむ、とあれこれ悩んでいたのだけれど、考えてみたら、解決方法は簡単である。振り仮名を振れば良いではないか。今までそこに思い至らなかった自分が、寧ろ、莫迦みたいである。そうしたわけで、あれこれとやってみているのですけれど、どうしても振り仮名ができません。どうなっているのだろう、と、あれこれインターネットを調べてみたけれど、わからない。ううむ。
 目がしょぼしょぼするまで齷齪してみた挙句、解決策が見つからないとなると、本当にうんざりしますなあ。目は疲れ、肩は凝り、気分は滅入る。陸なものではない。もう今日は止めにしますけれどね。骨折り損の草臥れ儲け。そんな言葉を暫く振りに思い出した。草臥れ、と書いて、くたびれ、だなんて、これも、読めない漢字の一つですよ、という方もおられるかもしれませんな。

投稿者 nasuhiko : 16:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月16日

iconのこるものは


 貴ノ花があのような若さで亡くなって、大きにびっくりしていたのであるけれど、その後の、あの息子たちに代表される揉め事のあれこれにはつくづく驚かされますな。一体何をやっておるのだろう。

 人が亡くなったあとに何が残るのか。運が悪くなければ、お骨が残る。そして、主義、宗派などによりけりで、お墓や位牌などが残りましょう。そういう物質的なものだけではない。忘れていけないのは思い出であります。良いことも悪いこともあろうけれども、どちらかと言えば、良い思い出が多く残るもの。というより、悪い思い出は、その死と供に、もうどうでもいい過去となってしまうので、思い出すことがなくなるのではないかしら。世間一般に於てそうだとは言えないのかもしれないけれど、私に関して言うならば、そういう気がする。良い思い出は繰り返し繰り返し思い出して、ますます良い思い出として心に深く刻み付けられ、その度に新鮮なものとなる。けれど、その所為で、思い出す度にその人を失った悲しみが胸に沁み、結果的には涙することになったりして、莫迦みたいだけれど、それでも思い返さずにはいられない。思い出の良いところは、誰かの所有物たる必要がない、というところですな。例えば、私がマリの思い出を大事に胸の奥にしまっていても、他の人々だって、マリの思い出をそれぞれに抱くことができる。であるから、思い出を巡っての相続争いなんざ起きませんよ。
 思い出は何人も自由に持つことができるし、数に限りもない。ところが、人てえものは、生きて死ぬるに当たって、往々にして、某かの金品を遺す。そこが混乱の始まりですか。
 孰れにせよ、死というものは、亡くなった当人のものなのではなく、生き残った者たちのものなのか、と思わざるを得ない。それが真実なのかもしれないけれど……。

 嗚呼、汝が死は誰のもの。
 嗚呼、我が生は誰のもの。

投稿者 nasuhiko : 19:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月15日

icon若きお相撲さんたち


 ワイドショーで頻々と取り上げられるせいで、貴ノ花や二子山部屋のことを、ついついぼんやりと考えてしまう。息子たちの争い事はどちらに理があるのか、あるいは、どちらにも理がないのか、何だかわからないけれど、兎にも角にも、私の目には醜くしか映らないので、もう見たくない。なので、彼らが映ると慌ててチャンネルを変えてしまう。そして、他のことを考えようと思うのだけれど、ついつい、あれこれと貴ノ花や二子山部屋に纏るあれこれを思い返してしまうのである。

 マリとの散歩の帰りにふらりと寄る喫茶店があった。今はなくなってしまったけれど、本当に美味しい珈琲を淹れてくれるお店だったのである。また、サンドイッチやスパゲッティのようなものも美味しくて、良いお店でしたなあ。私はそこでウィンナー珈琲をよく飲みました。家内は、フレンチ・トーストとキリマンジャロだか何だかをよく頼んでいたように思う。まあ、そんなことはどうでも良い。当時は、この界隈には二子山部屋と花籠部屋があり、町中で頻繁にお相撲さんを目にしたものでありました。その喫茶店でも幾度となくお相撲さんたちを見かけたものですよ。昨日、そんなことを、突然、思い出したのであるけれど、お相撲さんたちは珈琲を飲みに来ていたというよりも、煙草を吸いに来ていたのですな。奥の隅のL字型のソファみたような席があって、そこに腰掛ける。ずうんと椅子が沈む。で、何をするかというと、壁に掛かっている絵の額の裏に手をのばし、煙草とライターを取り出して、一服始める訳であります。ははあ、若いお相撲さんたちはきっと部屋では吸わせてもらえないので、ここに来てこっそり吸っているのだろうなあ、と。大きい身体を丸めて、少しは目立たないようにしているような風情が何とも愛らしいようで。そんな光景を何度も見かけました。思い出すと懐かしいですなあ。考えてみると、中学を出てすぐに親元を離れて入門していたのだろうから、彼らは未だ未成年だったのかもしれませんな。愛らしく見えたのも尤もなことなのかもしれない。煙草なんか吸っていて、強い力士になれただろうか。その後、一人前の相撲取りになって故郷に錦を飾れたのだろうか。余計な心配なのでしょうけれどね。

投稿者 nasuhiko : 20:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月13日

icon梅雨入りしているそうだけれど


 嗚呼、梅雨に入ってしまうのか、と嘆いていた。そして、事実、梅雨に入ったという。けれども、これが意外と降りませんな。天気予報なんざ、昔から当たらないものだったし、今だって当たらない。尤も、そんな気になるのは、外れたときのことばかり印象深いからかもしれない。考えてみると、天気予報士というのは、因果な商売ですな。当たったからといって、大して誉められることなどないのに、外れたとなると大きに非難される。しかも、商売敵の面々の予想だとて、多くの場合、大差がない訳であって、優劣が判別し難く、名を成すのは大変難しい。尤も、逆に考えれば、悪い意味での評判が立つことも余りないのかもしれませんがね。誰もが似たような勉強をして、似たような予報を出すということであれば、では、一体、私というのは何者か、と、そんな悩みを抱えたり……しないのでしょうな。
 ちょいと散歩をするだけで、今日は、大変であった。むわむわと暑いし、べとべとするし、ぐったりして公園のベンチで一休みしていたら、頭の上に、ちっちゃい虫がたくさん集まってきた。彼奴等の目的は何なのだろうか。特に、攻撃してくる風ではない。にも拘わらず、広い広い空間の中で、態々、このじじいのもやもやした頭の上に集合するのには何か意味があるに違いない。敵はちっこいちっこい虫であるし、刺してきたりする訳でもないので、恐ろしいとは思わないが、何を考えているのか判らないということは、漠然と不安を掻き立てますな。尤も、このちっこい虫たちに限らず、虫という虫、鳥という鳥、猫という猫、などなどなどなど、この世の中には何を考えているのか判らない者どもが大集合しているのである。考えてみれば、人間にしたって、何を考えているのか判然としない者がたくさんいる。例えば、古市くんなんぞは、彼此六十年以上にも及ぶ付き合いであるのに、未だに何を考えているのか理解できないことが屡々である。身近じゃないところでも、政治家の考えていることなんぞも理解できないことだらけではないか。同じ人間同士であってさえ、理解ということは事程左様に難しいものであるのだからして、ちっぽけな虫くんたちと判り合えないのは、寧ろ、当然のことであろう。放っておくに限る。放っておくに限る……とは思うものの、頭の上をふわふわゆらゆらされると気になるのですなあ。何という虫たちなのだろうか。せめて、名前だけでも名乗ってもらえないだろうか。勿論、誰一人として名乗る者などおらず、ただ、極々小さくぶううんぶううんという羽根の音がするばかり。

投稿者 nasuhiko : 18:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月09日

iconぼんやり


 日課の水遣り。セニョール・ハバネロの様子は宜しくない。覇気がなく、葉が縮こまっているし、あちらこちら穴だらけである。穴の開いていない葉を探す方が難しいぐらいである。苦しんでおるのだろうなあ、と思う。そんな姿を見ると、如何に吾輩が無力な老い耄れであるかと思い知らされ、泣きたくなる。所詮、南米の地の植物をここで育てようと思うこと自体が無理なのではないか、という気持ちが胸の奥でゆらゆらしているけれど、それを認めてしまっては、未来がなくなってしまう。未だ諦める訳にはゆかないのである。けれども、この町はもう梅雨に垂んとしている。そうなれば益々光は雲に閉ざされることになる。たっぷりと水を得られようとも、光や気温がなくて大丈夫なのだろうか。ううむ。

 明日から梅雨入りだ、などとテレビで述べていた。そうか。本日は、梅雨入り前の最後の長閑な天気なのだな。そう思ったら、この折角ののんびりとした気候をのんびりとした一日として過ごそうという気になり、午後は、陽の届くところで、だらだらと寝転がって本を読んでみたり、転た寝したり、音楽を聴いたり、転た寝したり、ニュースを見たり、転た寝したり、と、ぼんやりと過ごした。
 夕方になって、澤乃井を呑み始めたのだけれど、冷蔵庫の中につまみになるものが全く見当たらない。ない。つまみがないのは構わないけれど、明日から雨が続くのなら、今日のうちに買い物に行っておくべきだった、と後悔を一頻り。まあ、けれども、そんなことはどうでもいい。今日はこのままのんびりぼんやりしたまた過ごしたい老耄であります。

投稿者 nasuhiko : 21:52 | コメント (2) | トラックバック

あなたはどなたですか?
本当はおいくつなのですか?
とてもみずみずしい文体なものですから,
思わず疑ってしまいました(タイトルもうそつき~ですし)。
まるで兼好さんのツレツレグサみたいに,そこはかとなくて。
けれど,本来は,長く生きればこそ,
みずみずしくなっていくのかもしれませんね。
またお邪魔いたします。

投稿者 むじな : 2005年06月10日 22:02

 私のような枯れ木じじいをつかまえて「みずみずしい」だなどと仰いますか。嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な心持ちがいたしますな。

 今後もぼつぼつと戯言を綴って参りますゆえ、お暇な時にでも、またお越し下さいますよう。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年06月11日 21:04

2005年05月30日

icon雨だね


 朝からずるずるじめじめと雨が降っている。雨が降ってくれれば、水遣りの手間が省ける。省けるなどと書くと、まるで、義務で嫌々やっているのではないかと思われてしまうかもしれないけれど、決して、そういうことではない。そういうことではないのだけれど、朝、起きてぼんやりしている時、日中の陽射しが強い時、夕方、などなど、ふとした瞬間に、ああ、セニョール殿は干涸びていないだろうか、と心配な気持ちが胸を過り、あたふたと庭に出て様子を見る、というようなことが、間々あるわけで、喜んでやっていることであっても、気が休めきれないというようなところがあるのでありますよ。この感覚を御理解頂けるだろうか。
 雨が降っていれば、水遣りの心配をすることなく、日を過ごせるのは良いのだけれど、薄ぼんやりした灰色の空を眺めていると、何だか気が滅入りますな。これから梅雨になる。今週末にも梅雨入り宣言が出るかもしれぬ、などと、天気予報で言っております。雨に濡れると緑は一際美しく輝くし、梅雨てえものが、日本の豊かな自然の一端を支えているものであることは間違いなかろうし、季節の移り変わり無かりせば、どれほど味気無い世の中であろう、とも思う。けれども、雨が続き、どんよりとした灰色の空が続くと、何とはなしにくさくさするのであります。私だけだろうか。いや、そんな筈はない。
 この季節になると、毎年思うことであるけれど、雨の日には何をして過ごすのが良いのだろうか。当然のことながら、若先生に強く勧められている散歩をする気にはなれない。買い物に出るのさえ億劫になって、乾麺の蕎麦や素麺を茹でてするっと食べて済ますばかりになり、雨が続くと食が進まなくなり、中途半端に痩せて、立ち暗みがしたりしてね。いけませんよ、そんなことでは。何かこう気が晴れるような、陽気な方向に心を持っていかないといけません。そうは思うのですがねえ。厭だねえ。

投稿者 nasuhiko : 19:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月07日

icon映画鑑賞


 田村師匠と円嬢と三人で、美味しい美味しいカナディアン・クラブをちまちまと舐めながら、映画鑑賞会のようなものが始まったのでありました。その『イージー・ライダー』だけれど、私は若い頃にマリと一緒に観たことがある。恐らく、銀座だったように思う。世間で話題になっていたので、観に行ってみようか、ということになり、出向いた次第。二人とも感心することなく、観終わって、何か洋食を食べてから帰ったのだったろうか。そういうぱっとしない思い出があるのだけれど、若い御二方に、観る前からそんな話をしたのでは興醒めであること甚だしい。場合によっては、他のにしましょうか、などと、気をお回しになるかもしれない。そんなことになっては申し訳ないので、昔観たことがありますよ、というようなことだけを、曖昧にもごもご呟くように教えておいた。
 さて、映画が始まる。いやあ、しかし、こうやって、集まって観るのも良いですな。暗い中で黙ってじっと集中するのも良いけれど、わいわいお喋りしながら、そして、合間に、この妙に芳しい酒を舐めながら観るのも大変宜しい。意外な発見である。
 映画の筋に立ち入ったりすると、またごちゃごちゃしてくるから、それは放っておくけれど、いやあ、中々良い作品ではないか。いや、寧ろ、素晴らしい作品ではないか、と思う。この三十余年で、私が漸く作品に追いついて理解できるようになったということかもしれませんな。実を申せば、昔観た時には、映画の中の若者たちの生活や感覚は、とんと理解できなかったのである。当時の私は、寧ろ、イージー・ライダーのような人々に眉を顰める側に近かったのかもしれない。恐らく、未だ四十にもなっていなかったであろうに。今、考えると、とてもとても不思議なことに思えるけれどねえ。例えば、新宿辺りには、ヒッピーみたような若者たちが、うろうろするようになっていたけれど、あんな生活は私とは縁がないものだと思っていたし、ああいう文化が日本に根付くとも思っていなかったし。彼らはヒッピーとかいうものに被れているだけであって、いずれ、もうちょいと歳を取れば、髪を切って、普通の勤めに就くに違いない、と思っていたのであります。その後、実際、そうなったともそうなっていないとも、どちらとも言い難いけれどね。兎にも角にも、私としては、何だか他人事みたいに思えていたのですよ。それで、この映画が理解できなかったのだろう。あるいは、理解したくなかったのかもしれない。何しろ、何十年も前のことなので、もやもやとしていて判然としない。
 確かなことは、今回は、大きに感動した、ということである。もし、一人きりで観ていたのなら、最後のシーンでは涙が零れたかもしれない。呆気ない、一瞬の結末が、この、老い耄れて殆ど枯渇している、古びた心を大きに揺らした。ああ、こんな機会をくれた若い友人たちに感謝の杯を捧げる老い耄れであります。そうそう、カナディアン・クラブを教えてくれたことにも大きに感謝せねばなりませんな。ありがとう、若き友よ。

投稿者 nasuhiko : 20:46 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月01日

icon雑草2:笹


 秋が深くなり、草が枯れて、小庭がすっかり寂しくなるまで、庭いじりというのか、雑草取りの作業は続くのである。昨年は、恐るべき勢いでその範囲と大きさを広げる笹を雑草に認定して、せっせと彼方此方を掘り返して、笹の撲滅を目指していたことを思い出す。
 笹の根はほぼ真っ直ぐに下に向かって伸びている。ずんずんずんずん掘り進んでいくと、真っ直ぐ下に延びていた根が、真横に伸びている太い根に連結しているのに出会す。ここからが大変なのである。その太い根っこは、多くの場合、かなり遠くまで広がっており、それをきちんと掘り出そうと思うのなら、我が小庭を縦断する覚悟が必要になる。そのお蔭で、昨年は毎日毎日笹の根っこを掘ってばかりいたような気がするほどである。気がするというより、事実、そうだったのですがね。それほど頑張って、笹の根っこを、それはそれは見事に、少なくとも、たっぷりと自己満足に浸れるほどには、抜いたのでありました。尤も、余りに見事に抜いてしまった為に、翌日からは、嗚呼、何とも可哀想なことをしてしまったなあ、と自責の念に駆られた程である。我が庭で笹を見るのは、当分ないだろう、と。当分という程には此方人等の寿命が長くはないだろうから、今後一生、我が小庭で笹を見ることはないのだろう、と。何だか随分と気が沈んだりしたものであった。
 そして、今、春になり、庭いじりを再開したじじいは魂消ることになる。何と、笹が顔を出しているではないか。それも、一箇所ではなく数箇所から。これは一体どういうことかと頭を捻った。隣家の笹が垣の下を潜って、こちらに進出してきた、という可能性がある。また、もう一つの可能性としては、私が撲滅していたと思い込んでいただけで、笹は未だ未だ我が家の地下に多くの根を残して、着々と成長を続けているのだ、と。ううむ、どちらも大きにありそうな話である。確かなことは、老い耄れが根絶やしにしてしまったことを後悔したのは、取り越し苦労に過ぎなかった、ということである。つまり、笹の根と私との付き合いは、今年も続いていくのである。早速、今朝から、笹の根掘りを開始したのであるけれど、彼此、三十糎程も真下に掘り進んだにも拘わらず、未だに横の太い根っこに達することがない。敵も然るもの。敵ながら天晴れ。そんな想いに打たれ、好敵手、笹の根に乾杯する私であります。笹くんよ、お互いに頑張ろうではないか、とね。

投稿者 nasuhiko : 20:11 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月30日

icon雑草


 マリの思い出に心がばちゃばちゃと掻き乱されたお蔭で、昨日は書こうと思っていた話をすっかり放り出してしまった。書きたかったのは、私の知識不足の所為で雑草取りも中々に困難な作業である、ということだったのである。簡単に表現すれば、雑草とは何ぞや、ということになろうか。
 私自身の草花に関する知識といえば、極めて浅薄なものでしかない。何しろ、庭いじりと言ったって、庭いじり自体が目的というよりは、マリの思い出に触れることがそもそもの主眼だったような訳である。尤も、今では、庭いじり自体を大きに楽しむようになった、ということは、声を大にして言っておきたいけれどね。そんな庭いじり界に於いては駆け出しの私を悩ませるのが、雑草問題なのである。陽当たりが良い所は当然として、陽が然して当たらぬようなところでも、放っておけば、いつの間にか、あれこれの草花に埋め尽くされる。私は大してあれこれと手を尽くしている訳ではないので、余程、マリが作った土が良いのか、それとも、この場所が草木にとって程好い具合の場所なのか。兎にも角にも、手をかけても枯れてしまって……などということのない、謂わば、苦労知らずの小庭であり、私のような「ど」がつく素人には実に有り難いものである。それも、有り触れたものばかりを育てているからかもしれない、という気がしなくもない。偶に覘く商店街の花屋でも、あの耄碌じいさんにはややこしいものなんざ、育てられっこないんだからね、放っておけば良いようなものばかりを教えてあげないとね、などと、夫婦で相談していないとも限らない。向こうだって、私よりは若いとはいえ、良い歳なんだけれどね。まあ、仮に私の妄想通りだったとしても、御親切は有り難くお受けしておこう。
 ところで、何の話だったのか、というと、雑草である。雑草ですよ。放っておいても、緑がすくすくと育つのは良いのだけれど、そのままにしておくと、庭というよりは草茫々の空き地の如き様相になる。それで、マリがやっていたように、私も雑草と思われるようなものを取っていこうと思う訳である。ところが、それがね、中々どうしてうまくいかない。いざ、腰を下ろして、さあ、雑草を抜くのだ、と思うところで、はて、どうしたものか、ということになる。わいわいわいわい草花が過剰にぎゅうぎゅう詰めになっているのは明らかなのだが、さて、では、どれを抜けば良いのやら、と。マリの作業を思い浮かべ、これは抜いていたように思うがなあ、と思い出せるのは、ほんの幾許か。絶対の自信を持って、これは抜いていたぞ、と明言できるのは十薬だけである。それで、まずは、それだけ抜いてみるのだけれど、未だ未だ未だ未だ、人口ならぬ草口は余りに過剰であり、もそっと雑草取りに勤しむことが必須なのは歴然。しかし、どれが雑草なのか、ってね。そこに突っ立っていても、腰掛けていても、状況は何も変わらないので、取り敢えず、部屋に戻り、植物図鑑をひっくり返してみたりするものの、その内、ああ、面倒だ、もうどうでもいいや、と呑み始めてしまい、何も解決しやしない……てな具合で、今日もまた陽が高いうちから澤乃井ですよ。蒲公英は雑草なのか否か、なんぞと呟きながら。はは、相変わらず莫迦なじじいだねぇ。

投稿者 nasuhiko : 17:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月29日

iconマリの庭


 涼しいうちに、と、朝から庭いじり。庭いじりと言ったって、陸な知識がある訳ではない。しかも、同じ姿勢で長く座っていると、腰と膝がすぐに痛み出してしまうので、ちょいと腰掛け草毟り、どっこいしょ、と立ち上がって、腰に手を当て伸びをして、一休み。またちょいと腰掛けて……といった具合であるからして、捗らないこと甚だしい。まあ、然して広い庭ではない訳だし、其れ程の情熱がある訳でもなし、この程度の、のろくさとろくさした仕事振りで丁度良いのである。
 私の庭仕事の中心は、雑草取りにある。雑草取りなんざ、他愛ないことさね、とお思いになられる方も少なくなかろう。けれども、これが私にはなかなかの難事業なのである。というのも、知識が大幅に不足しているのがいけない。そもそも、マリの遺した気持ちを何とか繋いでいこうと思って始めたこと、当然、あれこれの流儀もマリ式にしていこうと思うのだけれど、これがね、意外に難しい。彼女が庭いじりをしているのをもっとよく観察しておくべきだった。いやいや、観察などではなく、彼女の庭いじりを手伝ってあげれば良かったのに、と、如何にも後の祭り。世に言う、後悔先に立たず。そうしていれば、私の現在の知識がもそっと増しであったに違いない、ということよりも何よりも、横に並んで二人で一緒に庭に向かっていたら、彼女がどれ程喜んだろうか、と思う。彼女の喜ぶ顔が容易に思い浮かべられるだけに、そうしなかった我が身が口惜しく、申し訳なく、実に残念に思う気持ちで一杯である。けれども、彼女が亡くなっていなければ、今でもこんな心境にはなっていないかもしれない、とも思う。そういう意味では、私を遺してとっとと逝ってしまったマリが悪いのだ、などと、逆恨みも甚だしい。孝行したい時に親はなし、という諺があるけれど、私の場合、孝行したい時に妻はなし、というところである。まさか、彼女の方が先に亡くなるなんて思いもよらなかったですからなあ。今頃になって、大きに後悔している莫迦な老い耄れであります。

投稿者 nasuhiko : 15:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月28日

iconCD46枚分8


 蜥蜴、蜥蜴と言い習わしてきたけれど、蜥蜴にもあれこれあるのですな。先日の、ちび公くんに酷い目に合わされていた、彼の者は、本当は蜥蜴ではないことが判明した。『新世紀ビジュアル大辞典』で、また一つ、新しいことを学んだ訳である。あれは、金蛇というもののよう。蜥蜴てえ奴は、もそっとぴかぴか光沢を持っており、金蛇と比べれば幾分色鮮やかな印象。勿論、金蛇だって蜥蜴の一派なのだけれどね。近頃私が見かけるのは、全て金蛇なのですな。記憶を辿ると、我が幼少時にはつやつやと輝く蜥蜴もたくさんいたことを思い出した。蜥蜴も金蛇も一緒くたに蜥蜴と呼んでいたのですな。子供社会では大差ない扱いであったのですよ。けれども、今ではこの界隈からは姿を消してしまったようだから、恐らく、今の子供たちにとってみれば、蜥蜴は貴重な種ということで、人気があるかもしれない。尤も、今時の子供たちは蜥蜴なんぞに興味はないかもしれないけれど。

 金蛇には金蛇の、宇宙猫には宇宙猫の、そして、老い耄れには老い耄れの、それぞれの人生があり、それぞれの価値観がある。だから、金蛇を玩ぶちび猫の姿を批判することはできない。金蛇が喜んでちび猫の遊び相手になってやっているという可能性だって、全くない訳ではない。何しろ、猫の心も、金蛇の心も、私のような鈍感な人間には計り知れないのだから。それに、遊びに飽いたら、金蛇のことなんぞ忘れて、とっとことっとこ、どこか別のところへ遊びに行ってしまったかもしれず、金蛇は、やれやれ、全く子猫てえやつは質が悪いね、などと、ぼやきながら、尻尾を失くしはしたものの、存外元気に自分の巣に戻っていったかもしれないではないか。
 孰れにしても、この自然界の全ての出来事を理解しようなんてことは、端から不可能なことなのであって、そこにある現実を、ああそうですか、ほほぅそんな具合ですかねえ、と受け止めるしかないのかもしれぬ。尤も、それは自然界に限ったことですけどね。人間のやることは、話が別だ。人間てえものは、自然界からやってきた筈なのに、いつの間にか、壊れてしまった。もう今では「自然」という言葉には人間は含まれておらんのであります。善いことなのか、悪いことなのか。判然としないけれど、兎にも角にも、無条件に信じたり受け容れたりはし難い存在になってしまったことだけは確かである。戦争をしたり、あるいは、戦争をしたり、また、時には戦争をしたり、そうかと思うと、忘れた頃に戦争をしたりしてね。環境を汚染したり、あるいは、環境を汚染したり、また、時には環境を汚染したり、そうかと思うと、忘れた頃に環境を汚染したり……ああ、限りがない。嫌な世の中だねえ。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月27日

iconCD46枚分7


 徒然と、本日も『新世紀ビジュアル大辞典』をあちこち拾い読みしている。当たり前のことだが、七十余年生きてきたとて、世の中は私の知らないことに満ち溢れているのである。勉強になります。尤も、今更、ちっとやそっと勉強したって、賞味期限は自ずと限られている。そういう意味では、私なんぞより、お若い人たちにこそ勉強してもらいたいものだ、などとね。考えてみれば、この硬化した脳みそといえば、覚えることよりは忘れることの方が多いだろうから、少しぐらい新しいことを詰め込んだとてどれ程の効果も期待できない。まあ、それでも、あっちを突っつき、こっちを突っつきして、ほほぅ、なるほどねぇ、などと、目新しい知識を楽しんでいる老い耄れである。
 どんな辞典だって万全ではないのは仕方のないことだが、この辞典で腑に落ちないのは、四十雀の声である。私の耳が聞き慣れているものと、このCDの中に収められているものとでは、随分、違いがあるように思われる。文字で表せば、ツピツピツピツピーてな具合で、大差ないのだが、どうも違うね。先日、赤い秘密兵器で録音したものと聞き比べてもやはり違う。杉並の四十雀の方が良い声じゃないかね。そんな気がする。一体、この辞典の中の鳴き声はどこの四十雀のものなのでしょうな。もしかすると、関西弁だとか、九州弁だとか、鳥の世界にもそういうものがあるのだろうか。
 またまた話が取っ散らかりますけれどね、郷土の訛りの痕跡というのはなかなか根深いものであるらしいですぞ。私は、この杉並で生まれ育ったものであり、杉並弁というのか杉並訛りというのはあるけれど、概ね、東京弁で話しているつもりでいるし、人にもそう思われているのではないか、と思う。けれども、二十年ほど前だったろうか、訛りを研究している国語学者の先生にお会いする機会があったときに、茄子彦さんの御先祖は二代か三代前には東北なのですねえ、とさらりと言われたのである。顔を合わせて、ものの十分ほどのこと。腰が抜けるほど魂消たのは、元を辿れば私の御先祖様は東北の出であるからである。この人は、超能力者なのか、それとも、私の言葉、私の喋りの中には、うっすらと先祖伝来の東北の言葉の名残があるということなのか。何とも不思議な、狐に抓まれたような心地がしたのであった。四十雀のお陰で、突然、妙なことを思い出しました。

投稿者 nasuhiko : 15:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月26日

iconCD46枚分6


 『ご存じ古今東西噺家紳士録』でコンピューターのCDの味を占めて、注文してあった『新世紀ビジュアル大辞典』が届いたので、あれこれ弄ってみている。これはなかなか便利ですな。例えば、先頃新聞で話題になったキルギスという国を調べてみると、文字による説明ばかりでなく、国旗や地図を見ることもでき、国歌を聴くこともできる。今までだったら、キルギスてえところがあって、大変なことになっておるのだなあ、と、非現実の世界とまでは言わないものの、遠い世界での出来事に過ぎなかった。実際、遠い世界での出来事なのではあるけれど、こうして、情報を学ぶと、ニュースが流れたり、新聞で記事を読んだりする際に、少しは現実感を伴って接することができるような気になる。幼稚ですかね。
 鳥も大変面白い。絵や写真が見られるだけでなく、鳴き声が聞けるのが素晴らしい。美しい声の例えにカナリアがよく使われる。カナリアのような歌声が……てな物言いがあり、そして、それを読んでわかったような気でいたけれど、よくよく考えてみれば、カナリアの声なんざ聞いたことがなかったわけでありますよ。それが、今は、違う。カナリアのような歌声が……なんてのを読むと、ふむふむ、ああ、あの、声ね、あの、ひょーひょーひょー、ひよっ、ひよっ、ひよっ、というような鳴き声だな、と。
 しかしだね、よく考えると、そんなことを思いながら、本を読む必要はないし、本物のカナリアの声なんぞ知らなくとも、作者の言わんとするところはわかるわけだし、そもそも、書いている作者自身がカナリアの鳴き声を聞いたことがない、ということさえあるやもしれぬ。こんなことを考え始めたら、少々鼻白む思いがして、有り難みも半減してしまいそうだが、いやいや、やはり、本物のカナリアの鳴き声を知っていて、損はない。損はない筈である……と、思ったけれど、よく考えると、カナリアの声を知らない自分には、カナリアのような歌声が……という文章を読むと、夢のような、天から宝石が降るような、音や有り様を想像することも可能だったわけで、実物を知っていると想像に限界ができて物足りない、ということもあるかもしれない、という気がしてきた。いやいや、作者がカナリアのような、というのだから、天から宝石が降る、なんぞ、と想像する方がおかしいのである、とも思われ……ああ、何だか頭が痛くなってきた。一杯引っ掛けて、さっさと寝てしまおう。結局、私にとって大切なのは、真実だとか知識だとかよりも、一杯の澤乃井なのであります。

投稿者 nasuhiko : 19:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月24日

icon独り言つ


 今日もに輝く文明の利器を懐に入れて、近所をほっつき歩く。若先生の御指導通り、のんびりのんびりゆるゆるぬるぬるとね。まあ、御指導頂かなくたって、走ったりできる訳ではない。精々頑張ったところで、すたすたと早歩きという程度。しかも、それだって、小学生にすら、昔々あるところにのろまなお爺さんがおりました、と評さかねない程度の早さ、いや、遅さである。
 本日は陽射しが心地よく、緑が喜んでいるのが手に取るように判る。ところが、鳥の声はあまり聞こえない。連中は、もうちょっと涼しい方が良いのかしらん。それにしても、新緑の季節というのは嬉しいものである。限りない未来と希望に溢れている。私の如き未来などほんの僅かしか残っていない者にとってさえ、そう思えるのだから、お若い人たちの中には、この緑豊かなこの木々や草花から多くの力を得ている方だって少なくないだろう。尤も、若い頃には、存外、草花だの鳥だの自然だのってことには興味が湧かないものであるのも事実でありましょうな。実際、私だって、若い自分には目の前にあったとしても緑や花なんぞには目が向かなかったものである。それに対して、マリは草花が好きでしたよ、若い時分から。このちっっぽけな庭にあれこれ植えて育てて。今、私のような懶で、かつ、不器用な老い耄れが、ちょこちょこと庭いじりをしているのも、妻の遺志を継いでのこと……いやいや、そんな恰好の良いものではない。暇を持て余した老人が話し相手がいないので、草木や鳥や猫に話し掛けているだけのこと。

風光る 妻の遺した ジャルディネに

 気が向いた時に、草を毟り、水を撒く。たったそれだけの手間しか掛けていないのだけれど、その一手間のお蔭で、花や草をもっと好きになり、身近な存在のような、仲間のような、少しは連中の気持ちが判ったような気になる。全く以て、人間というやつは何とも手前勝手な生き物である。いやいや、人間という括りは大き過ぎる。全く以て、茄子彦というやつは何とも手前勝手な生き物である。

投稿者 nasuhiko : 20:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月23日

iconとうとう


 今朝も早くから起き出して、秘密兵器を脇に置き、鶯の登場を待った。待ったのである。待ったのであるけれど、現れなかった。むむむ、とうとう彼奴は去ってしまったのであろうか。そうでしょうな。そもそも、こんな春が深まっても里をうろうろしている方が変わり者なのであって、鶯と言えば、もっと春浅き時期のもの。梅に鴬なぞという物言いがあるぐらいでね。そうは思うものの、結局、録音に成功したのはあの一度きりであり、些か残念である。けれども、そういうものなのだ。そういうものなのであるよ。この国にはきりっとした四季があるのであって、それが果無さを尊んだり、時の移ろいを味わったりする心を、私らに与えてくれるのである。そう考えれば、鶯が町を去り、山に帰ったことは有り難いぐらいである。録音できたのできないだのと、みみっちいことで愚痴を溢すなんざ、全く以てみともない。そこへ直れ、貴様の如き、女々しい者は日本男児の風上には置けぬ、一刀両断にしてくりょう……と、こんな乱暴なことまで考える必要はない。それに、女々しいだなんてことを言っては、男女同権の御時世では叱られてしまいましょう。まあ、兎にも角にも、鶯くんが無事に山に帰り、また、来春、この界隈を訪うてくれることを祈念して、乾杯しようではないか。
 それにしても、天気が良いと、酒が美味い。寒い時期にきゅうっとやる酒も良いし、暑い時期のぴしゃりと冷えた酒も良い。けれども、この春のほんわかのんびりした風の中、ゆるゆると呑む酒は格別である。この世に四季があるのは有り難いし、清酒があるのも有り難い。風が吹くのも有り難いし、ぬくぬくと陽が射すのも有り難い。鶯の声が一度だけとはいえ録音できて有り難い。澤乃井に揺られて良い心持ちになてきたお蔭で、あれやこれやに、素直に感謝の気持ちを抱ける老い耄れである。
 そうそう、今日はツピツピツピツピーという鳴き声が録れましたよ。あれは四十雀だろうかね。それと、ヘリコプター。まあ、こいつには季節もへったくれもないし、風情の欠片もないけれどね。物の序でに録ってみた次第。普通に聞いても騒々しいが、マックの中でも騒々しい。味が悪いね、ヘリコプターてえやつは。

鶯と暫しの別れに 祝い酒
山の栖に 無事に帰れよ

投稿者 nasuhiko : 18:08 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月16日

icon春風に吹かれ


 狭苦しい庭を眺める。ほわほわと暖かい風が頬に心地よい。樹木の淡い緑が良いですなあ。この、雲間から漏れ出づる春の陽射しを最も享受しているのが小鳥たちなのだろう。鶯は今日もホーホケキョと威勢が良い。その合間には、ツピツピツピツピツピーと静かに歌うものがいる。雀は、チュチュンのようなチョチョンような、愛嬌があるようなないような、どっちつかずの声。キョエーッだのキーッだのという耳障りの良くないものもいる。このちっぽけな庭とも呼べぬ庭や、近隣のものを合わせても存在する樹木は大した数ではない。巨木や大木というような代物があるわけでもない。けれども、彼らは、あるいは、彼女らは、大きな声で囀っている。春なのである。
 そこで私は思ったのである、この囀りを何とかしてマックで聞こえるようにというか、インターネットで聞こえるようにできないものか、と。我が家の界隈は、東京の中でも比較的緑が残っているとはいえ、年々、自然が後退しているのは歴然。この鳥たちの未来だって決して明るくはないだろう。そう思ったら、せめて、今この瞬間の、元気な歌声をマックに収められたらなあ、と思った次第。例によって例の如くで、どうすれば良いのやら皆目見当はつかないものの、師匠連中の知恵をお借りすればどうにかなるのではあるまいか、と思う。いや、何でも人頼みではいけない。インターネットの海を探索に探索を重ねれば何か判るに相違ない。とはいうものの、その海が余りにも広過ぎてねえ。また、泣き言かい。
 マックの中に入れられれば、インターネットにも置けるに違いない。そうしたら、世界中のどこにいても、鶯や雀、鴉や鳩の鳴き声を聞くことができるのである。宇宙人面した猫や、白豚のような猫の鳴き声を聞くことだってできるのでありますぞ。楽しかろうなあ。また、機械音痴のじじいが勝手なことをほざいているよ、と、お笑いの方も多かろうけれども、こういう愚か者の夢想からも何かが生まれることだってあるのではないか……って、まあ、現実的には、あまりないでしょうがね。けれども、こんなことを思い浮かべて、楽しい気分に浸れるのなら、大いに結構。誰に迷惑かけるじゃなし。ホーホケキョ。

投稿者 nasuhiko : 20:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月15日

icon嗚呼、情けなや、情けなや


 何だ彼んだと、流感で臥せって以来、調子が出ない。熟、当たり前の日常の有り難みを思い知る。もともと雑な性格であるのに、体力が落ちて、不断にも況して根気がない。他愛ない日常に向けての一歩が、なかなか踏み出せないのである。
 例えば、ピアノ。バッハのインベンションをあんなに毎日練習していたのにねえ。勿論、今でも、きちんと弾けるようになる日まで頑張ろうとは思っている。寿命との勝負という要素もなくはないけれど、兎にも角にも、頑張ろうと思ってはいるのである。けれども、寝込んでいた間は当然練習どころではなかったわけであり、恐らく、唯でさえ拙い技量が途轍もなく後退しているであろうことは想像に難くない。そういう想いが心の片隅にあるもので、どうにも練習を再開する気になれないのである。途轍もなく後退してしまっているであろう現実を直視したくない、というような心。莫迦だ。それで、もう少し元気が出てきてからにしようではないか、などと、自分で自分に言い訳をして、練習再開を先延ばしにしている有り様。嗚呼、情けなや。
 例えば、韓国料理。あれほど頻々と作っていた納豆と豆腐のチゲ。目の前に納豆があり、豆腐があり、大蒜があり、味噌がある。けれども、ちょいとした手間をかける気力が出ず、豆腐に醤油を足らして食すのみ。葱を刻んだり、生姜を下ろしたりする気もしない。納豆だって、パックを開けて、そのパックの中におまけで付いてきている出汁醤油と芥子を落として、ざざっと掻き回して食すのみ。器に移すことさえしないとは、何というしだらのない有り様だろうか。懐が貧しくとも、脳みそが貧しくともかまわないけれど、斯様に心が貧しいのはいけない。嗚呼、情けなや。
 近頃じゃ、酒を呑むのも、熱心ではない。相変わらず、澤乃井は美味いのだけれどね。けれども、一杯二杯呑みながら、帳面にあれこれと落書きをしたら、もう今日は店仕舞いだ、と、寝床に転がり込んでしまうのである。寝床の中で、本を読むでもなく、ラジオを聞くでもなく、ぼんやりしているうちに、眠ってしまう。こんなことでは、お酒様に申し訳が立ちやしない。嗚呼、情けなや。ホーホケキョ。

春の夢 嗚呼 情けなやと独り言つ
 明日こそはと 早寝すれども

投稿者 nasuhiko : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月13日

icon

 今日もまた、薄暗い、灰色の空である。それでも鶯が鳴いている。今年の鶯は数も多いし、随分、元気なようである。彼此二週間以上も威勢良く鳴いておる。ホーホケキョを習得できず、見習いの、ケキョッという短い叫びの期間も非常に短かった。今年の連中はいつにも況して優秀なのかな、と思わされる。ホーホケキョには、全体の高低もあるし、一羽一羽の個性もあるし、長い時間耳を傾けていても飽きることがない。しかし、耳を楽しませたあとには、姿を見てやろう、という気になるのが人情。そこで、声のする方へ歩いていくと、鳴き声は消え、また別の木の高い枝の方角から聞こえてくる。例年なら、近所を一回りする間には姿を目にすることは難しくはないのだが、今年は、未だ一度もその姿を見ていない。野性として生きる上で、警戒能力が高いということは重要なことだろうから、目に見えないのは残念だけれど、この元気な鶯一家は末長く繁栄するだろう。それはそれで結構なことである。
 野性で思い出したけれど、野の鶯のホーホケキョは、所詮は、野のものに過ぎず、野趣を楽しむというのが精々のところである、と何処かで読んだ。大方、百鬼園先生の御著作であろう。代々の美声を受け継ぐ、その為だけに育てられている風雅な鶯の声など、私は終ぞ耳にしたことがない。嘸かし美しいのでしょうなあ。けれども、そういう在り方には疑問の念を抱かなくもない。それは正に籠の鳥であるわけで、少なくとも、自然の美ではない。どんなに美しい声を持っていても、宙を舞うことのできぬ鳥。ううむ。その心境や如何に。こればかりは、御当鳥に尋ねてみるより他に知りようもない。
 野の鶯と籠の中の鶯。喩えるのなら、野に咲く花と活け花といったところか。将又、スクリーンの中のオードリー・ヘップバーンと我がマリと。優劣などつけられるものではないし、つけるべきものでもない。確かなことは、私はマリと結婚して幸せだったということである。尤も、では、ヘップバーンと結婚したらどうだったろうか、というと、その答えは誰にも判らない……いやいや、マリとの結婚以上に幸せである筈はない、と答えねばならぬのだよ。ホーホケキョ。

投稿者 nasuhiko : 21:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月11日

iconもわもわ

 昨日は強風が吹いて、たくさんの桜吹雪が舞った。本日は雨が降り、多くの花弁落つ。花の盛りは短く、その短さ故に、一層、美しさが有り難く目を慰むのだけれど、濡れそぼち、地に落ちた薄桃色が、仕事や買い物や何や彼や、あれこれの用事に急ぐ人々に踏み汚され、忘れられてゆく。当然のことなのである。全く以て当然のことなのである。万物流転。花は咲き、落ち、新緑に取って代わられる。けれども、それは来年また美しい花を咲かせる為に必須の流れなのである。そう理解してはいても、猶、寂しい気持ちがするのは何故だろうか。
 窓の外の、雨に濡れた景色をいつまでも眺め、いつまでもうじうじくよくよしていても限りがないので、少しでも気を晴らそうと、『ご存じ古今東西噺家紳士録』をマックに入れて、聴いてみる。けれども、どうもうまくない。いやいや、流れてくる演目が面白くない、などというわけではない。私の心の中に、落語を楽しむ余裕がないのですな。何を聴いても、心から笑う気にはなれない。笑う気になれないと思うことで、ますます気が滅入る。このもわもわと鬱した気持ちはどうすれば良いのか。普段なら、澤乃井をきゅきゅぅっとやって、と思うところなのだが、今日はなぜかそんな気にもなれない。どうしたのだ、茄子彦よ。しっかりしろ。

投稿者 nasuhiko : 20:02 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月21日

iconCD46枚分3


 すっかり『ご存じ古今東西噺家紳士録』に嵌まっている老耄である。いやあ、これは素晴らしい代物だ。昼前から、マックの前に腰を下ろして、澤乃井を茶碗で引っ掛けながら、この中に入っている落語を順繰りに聴いたり、経歴を読んでみたり、師匠や兄弟弟子を眺めたりしていると、あっという間に時が経つ。便利で楽しい道具ですなあ。
 CDというものが普及し始めたことのは二十年程前だろうか。出始めの頃は機械も高いし、CDそのものも高いし、レコードに比べて見てくれが何とも味気ないし、何だか気が乗らないね、などと思ったのだけれど、何だ彼んだ言って、そう遅くならぬ内に購入してしまった口である。実は大きな感興は湧かなかったけれど、静かなクラシックを聴く場合に限ってはノイズが少ないという効果の程は歴然であった。けれども、何だか、全体にしゃりしゃりしていて耳馴染まぬような気がしたのも事実である。それで、暫くはCDは買わずにレコードに舞い戻っていたのだが、世間の流行りに押されて、じわじわと移行が進んだとでも言うべきか、ここ十数年は当たり前のようにCDを買い、当たり前のように聴いている。実を申すと、心の何処か奥底に、今でも何となくデジタル嫌いが残っている。要するに、音楽を滑らかな坂道ではなく、階段みたように処理されているとは、何とも理不尽な気がするのである。段と段との間にあったものは何処へ行ってしまうのか、と。まあ、この老い耄れた耳でそのような微細な差異を聞き分けられる筈もないのですがね。考えてみれば、田村師匠など、端からマックで音楽を作っている訳だから、全てがデジタルなのですな。元から階段であるのなら、それはそれで構わないのか。ううむ、何だか訳が判らなくなってきた。無理して無い智慧を絞るからこんなことになるのである。デジタルの問題は放っておこう。

 さて、コンピューターのCDですが、凄いですな。理屈はわからないけれども、兎にも角にも、これだけの膨大な情報がこの一枚のぴかぴかした板切れに収まっているかと思うと、正に隔世の感。SFの世界の話のようである。猫に化けた火星人の一団が、密かにペンタゴンやクレムリンに侵入して、機密情報をCD一枚に収めて持ち帰ろうとする。しかし、彼奴等の宇宙船が地球から脱出しようとするところ、ああ、間一髪、この時ばかりは東西の壁を越えて地球を守る為に手を取り合った地球連合軍が追い縋る。頑張れ、地球連合軍。手を取り合って。猫に化けた火星スパイの軍団を逃してはなりませぬぞ。いざ、いざ、いざ。

投稿者 nasuhiko : 19:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月17日

iconじいさん先生の言葉2


 麻田醫院のじいさん先生の言葉を、突然、思い出したので、折角だから、紹介しようと意気込んで書き始めた昨日、自身の記憶力低下を嘆く文字を重ねているうちに、すっかり件の文言を忘れてしまった、莫迦な老い耄れである。その教訓を活かして、本日は、本題をさっさと書き記そう。
 かれこれ三十年程も前の夏のこと。どうも小さな虫にでも刺されたようで、右足の親指の背の部分、ぽそぽそっと申し訳程度に毛が生えている辺りがぽちっと赤く腫れた状態になった。さして痛くも痒くもなく、そうそう気にせずに放っておいたのだが、眠っている間に掻いてしまったようで、翌朝になって見てみると、瘡蓋状になって、周辺も少々腫れている。それでも未だ、大したことないさ、と放っておくこと数日。中々治らないどころか、少々膿んできているような有り様に突かれ、重い腰を上げて麻田醫院を訪うことになった。
 先代のじいさん先生、眺めたり触ったりした挙句、大したことないなあ、ビタミン剤の塗り物と痒み止めの飲み薬ぐらいで良かろう、との御診断。ちょっとした虫刺されからここまで腫れるのは、何か別に大きな原因があるのではありませんか、と尋ねると、いやあ、そんなことはないよ、と鼻で笑われた。原因と言うならね、君の生活そのものですよ。それが良くないから、虫刺されも良くならない。私の言う通りの生活をしてくれれば、一週間もすればきれいに治ることを請け合いますよ、と仰る。別に難しいことじゃない。だけれど、人によっては難しい、無理だ、と言うんだ、とにやり。何をすれば良いのでしょうか、と尋ねると、刺激物を摂取せず、睡眠をたっぷり取り、あれこれと思い煩うことを止め給え、との御指示。そりゃ如何にも躰に良さそうだけれどね。当時は何だかんだと忙しく、睡眠は足りないし、仕事で責付かれ、ストレスも小さくはなかった筈である。じいさん先生の仰るところ、正に心当たりがあるのであった。しかし、これを改善するのは仕事がある限り、生半なことではなさそうであった。それで、残りの刺激物という部門で何とか頑張るしかないのかな、と思い、尋ねてみる。そうだな、主なところでは、酒、煙草、珈琲かね、と仰る。ああ、ああ、それは私の好物のベスト・スリーではありませんか。当時は煙草を日に百本以上吸っていたのだ。それを断て、とは、あまりにも厳しい、と思って呆然としていたところ、そうそう、食事もね、辛いものは駄目ですよ、と。このじいさんは、私から大好物を全て奪う気なのではないか、と思ったものですよ。どうだい、君ぃ、できそうかね、と尋ねられた私は、無理です、と即答した。そんなことでしょうな。それができるような人は医者には来ないものですよ、ははは、と笑う。だったら、精々、減らすようには心掛けなさい、それから、野菜をたくさん食べるように、と釘を刺されて、帰ってきたのでありました。その日から、なるたけ指示に沿うようにしていたら、実際、二日でほぼ治りました。その後、ビタミンの塗り物を数日塗ったら、もう跡形もなく、きれいになった。大したものだ。
 それに比べて、息子の方はと言えば、すぐに強い薬を出してきましたからね。そりゃ、私としては些か信用できない心持ちになったわけです。じいさん先生、私も嘗てのあなたと同じぐらいのじじいになりましたが、息子さんと私、どちらが間違っていますかねえ。

投稿者 nasuhiko : 19:32 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月12日

icon繰り返し繰り返し


 よく毎日続きますね、と言われたりメールを頂戴したりすることが重なった。読んでいただいている上にお誉め頂いているわけで、実にありがたいことである。確かに、傍から見れば、戯けた内容とはいえ、毎日続けるのは労苦に映るかもしれない。実際、労力という点から見れば、それなりの骨折りであるのも事実である。長時間マックをいじっていると、確実に眼はしょぼしょぼしてくるし、腰は痛くなるし、膝もじんじんしてくる。肩は凝るし、手首もかくかくしてくる。そんなようん、コンピューターという不慣れな道具に相対する上での身体的な困憊はあるものの、元来、紙の日記を付け続けてきた私にとっては、毎日書くこと自体は全く苦ではない。
 早い午後だったり夕方だったり、時には朝だったりと、時間は区々であるけれど、兎にも角にも、書きなぐった頁を繰りながら、ばさばさばっさ、ばっさばさばさと取捨選択するところから、毎日このブログは始まるのであります。考えてみれば、大本の出発点は萬年筆とインク、帳面といった、デジタルとは無縁の代物なのですな。そもそも書いている張本人がデジタルよりもアナログ、いやいや、それよりいっそアナクロという方が似つかわしいのだから、当然といえば当然のことかもしれません。
 日記帖を脇に置いて、マックの前に腰掛ける。ああでもない、こうでもない、と一端の編集者気取りである。何だ、この滅茶苦茶な文章は……てにをはから勉強し直してきたまえ……ああ、ああ、これだから妄想老人の文章は厭なんだよ……結局、毎日呑んでばかりじゃないか……などなどと呟きながら、たんたかたんたん、とキーボードを叩いていく。なるたけ当日の出来事を書こうと思いながらも、酒や来客や何だ彼んだの諸事情に応じて、前日や、場合によっては、前々日、更には、それ以前に綴ったものを継ぎ接ぎしたりしているのであります。本当の意味での日記とは少々異なっていますな。まあ、そもそも他人様に見せようてんだから、普通の日記と違うのは仕方ないところ。
 しかし、あれですよ、みなさんも、どんどん日記を書けば宜しい。心の中を去来する思い出や、頭の中でぐるぐる回っている妄想も、紙に綴ることによって、大きに整理されることは間違いない。時をおいて自ら記した文章を読んでみると、心の中だけで逡巡していたあれこれは大なり小なり成長していくのであります。もっとも、妄想なんざ、成長しなくたっていいのだろうけれど。しかし、あれですよ。妄想なんてものは、人間だけの特権です。だから、存分に享受したっていいじゃありませんかねえ。

投稿者 nasuhiko : 17:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月11日

iconCD46枚分の


 新聞をつらつらと眺めていたら、何とも面白そうなものを発見した。『ご存じ古今東西噺家紳士録』という、膨大な落語のデータベースのような代物である。あれこれの記録もさることながら、何よりも魅力的なのは、256席、CD46枚分の演目が収められているというところ。CD一枚にCD46枚分のものが収まるだろうか。全く以て理不尽な話だが、例によって、コンピューターの世界は謎に満ち満ちているわけで、案ずるよりも買うが易し、ということになりそうである。
 圓生が亡くなってから、何となく落語から遠ざかっていたけれど、急にまたちょいと熱が出てきましたよ。新宿に出て、一杯二杯引っ掛けてから、末廣でも冷やかしてみようか。そんな気になったりしてね。昨日の夜にはそう思っていたんだけれど、今日の雨は随分冷たそうだ、なんてんで、ぐずぐずうじうじしているうちに、すっかり日が暮れてしまった。しょうがないから、本日は寄席は諦めて、濡れそぼつ荒れ庭を肴に澤乃井をやる。どこかに圓生や志ん生のレコードがあったと思うんだけれど、どこへ行ってしまったかね。
 志ん生、文楽、圓生、みんな亡くなってしまいましたねえ。そう言や、志ん朝さんももういない。今は、どんな噺家がいるんだろうね。こぶ平が正蔵を襲名するなんてどこかに書いてあったけれど、あの子の落語なんざ見たことがない。そんな大きな看板を戴いて大丈夫なのかね。余計なお世話ですか。確かに、余計なお世話でござんしょう。気になるんなら、寄席にお運び頂いて、御自分でお確かめ下さいませってね。

 この際だから一つ白状しますよ。ぶすっとしていて面白くない、なんて言われることが多かったもんでね、実は高校生の時分に、家でこっそり落語の練習をしてみていたんですよ。そうすりゃ少しは明るくなって、みんなに溶け込み易くなるに違いあるまい、なんて。今、考えると、中々に純情で、いじらしい話じゃありませんか。ところが、あなた、これが意外と難しくって。相当頑張ったんだけれど、三月と持たずに断念しましたよ。今さらながら、何だか照れ臭いですな。はは、お恥ずかしい限り。

 それにしても、丸ノ内線で何度かお見掛けした圓生師匠は、ちょいと意地の悪そうな、良い面構えをしておりましたなあ。もう生の圓生を見られないかと思うと、熟、残念だ。ばかうまってね、あの顔が突然浮かんできましたよ。今となっちゃ、笑えるよりも泣けますね。

投稿者 nasuhiko : 19:09 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月06日

iconインベンション


 意外に懲りないものだな、と、我ながら見直したというのか感心したというのか。兎にも角にも、微々たる成長しか見られないにもかかわらず、こつこつこつこつとピアノの練習を続けている。いやいやどうして大したものではないか、と、自画自賛。千里の道も一歩から、継続は力なり、あるいは、ローマは一日にして成らず、学問に横道なし、だとか、意味合いに多少のずれこそあれ、今の私に相応しいような故事成語がたくさんある。そうなのだ。その通りなのである。結局、一握りの天才的な人々を除けば、我々下々の者共はちまちまと努力を重ねていくしかないのである。いやいや、これは否定的な意味ばかりではなく、努力を積み重ねていけば予想を遥かに超えた遠い処にまで辿り着けるものだ、という肯定的な意味でもありますぞ。今は、未だ、片手ずつでよたよたよろよろよちよち歩きの演奏であろうとも、いつかは、一端のバッハになるのだ。そう信じて頑張ろうではないか。
 日々の練習の中で気がついたことが一つある。敬愛する高橋悠治グールドを師と煽いで練習をする、と宣言したのだけれど、実は、それは失敗かもしれない。気の置きようが微妙なのである。勿論、私にある程度の技術や素養が備わっているのであれば、何の問題もないのだろうけれど、如何んせん、ど素人の、しかも、頭も躰も徹底的に古びたぽんこつである。それにしては目標が高過ぎるのだ。彼らの偉大な演奏を繰り返し聴いているおかげで、私の頭の中では、バッハのインベンションとは斯くあるべし、という強い二通りのイメージが出来上がってしまっている。然るに、いざ、自分がピアノの前に腰掛けて練習を始めると、そのギャップに愕然として、ついつい苛立ってしまうのである。何だ、この、下手くそが。貴様など、ピアノを弾く資格はない。止めてしまえ、止めてしまえ。と、心の中で、自らを罵倒したくなったりする訳である。そうなると、もう駄目だ。練習なんてやっていられやしない。どんなに陽が高かろうとも自棄酒と銘打って酒を呑む。尤も、理由がなくたって呑むのだけれどね。
 とにもかくにも、苛々しながら練習したって、良いことなどあるわけがない。演奏する時には、高橋悠治のこともグールドのことも忘れるように努めることにしたのであります。そして、夜、寝床に入ってから、彼らの演奏の何倍もの遅さで、頭の中でインベンションの一番を奏でるのである。ドーレーミーファーレーミードーソーードーーシーードーーとね。これを始めてから、何だか、練習がうまいこといくようになった。苛々も減った。お蔭で挫折することなく今日までちょびちょびではあるけれど、ピアノの日々は続いているのである。

投稿者 nasuhiko : 18:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月05日

icon神風吹かす


 神風という言葉は、私のような年輩のものにとっては、少々恐ろしい響きの言葉である。けれども、敢えて、こういう強い言葉を使ってみたくなるような気がしたのである。この老い耄れが荒屋で扇子を煽ぐ、煽ぐ。風は、勿論、目には見えぬ。見えぬけれども、壁を越え、町を越え、どこまでも届くのである。昨晩、この風は、新宿を越え、千駄ケ谷に至り、羽生先生を後押しし、その一方で、佐藤康光棋聖を負かす力添えとなったに違いない。恐るべし、我が羽生扇子。まあ、こんなことを言うと、羽生先生は迷惑がるでしょうな。けれども、応援している私としては楽しくて仕様が無い。ここで一杯、二杯と盃を重ねがら、頑張れ羽生よ、羽生よ頑張れ、とゆらりゆらりと扇子で煽ぐ。それだけで、見よ、年末からの快進撃。羽生先生に最近の好調は羽生扇子の齎す神風のお蔭でしょうか、と、誰か尋ねてきてくれ給え。ああ、いや、それには及ぶまい。羽生先生は言下に否定されるであろう。そこがそれ、神風というものよ。人知の及ばぬところで働き掛けているのである。神のみぞ知る。はは。

 勿論、これは老耄の酔いどれた妄想に過ぎない。けれども、妄想結構。誰に迷惑かけるでもなし。今日も今日とて扇子をぱたぱたやりながら、澤乃井をぐびりぐびり、と。四月からは、いよいよ名人位奪還を目指して、子供大会の頃からの好敵手、森内名人との三年連続の対戦となる。

 しかし、あれですな。妄想結構、などと書くと、戸原のばか孫が着ていた不良の服に縫い取られていた「喧嘩上等」という金の刺繍を思い出した。私も今度「妄想結構」という金の刺繍を入れたどてらでも誂えようかしら。いやいや、羽生先生の「泰然自若」の代わりに「妄想結構」と入れた扇子でも作るのが良かろうか。

投稿者 nasuhiko : 22:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月04日

icon雪景色は


 見事に降りましたな。戸原くんの御母堂に問い合わせるまでもなく、気象庁の予想通り。この一面の雪景色を眼前にして、遠慮なく、朝から一杯、二杯、三杯。こんな時は清酒に限る。そう言えば、澤乃井の春の新酒の案内のビラを酒屋が置いていったのだったが、どこへ行ったのやら。折角のものだから、何本か注文しておかねば。ああ、いかん。また、話がどんどん逸れてしまう。これだから、老い耄れは厭だてんだ。って、朝から、呑んでいるもので、こんな早い時間から支離滅裂でござい。

 窓から眺める雪景色は日本画のようですな。どうしたってこの風景から洋画を思い浮かべたりする気にはなれない。まあ、こんな考えは、私の固化した脳味噌が如何に偏狭かという証でしょうけれどね。白地にところどころ浮かび上がる黒、茶、濃い緑と言った色の組み合わせから日本画を想像するのは、安直に過ぎる、と考える向きもあるかもしれない。それでも、やはり、雪景色には日本酒、というように、雪景色には洋画より日本画を思わせる何かがある……と、言い張ろうと思っていたのだが、つい先日、近所で開かれた日本画展を見てきてびっくりしたことを突然思い出した。

 例によって、デジカメを持って、うろうろと近所を徘徊しておったところ、出会したささやかな日本画家の三人展。何となく魅かれるものがあって、入ってみた。大きくはない三つの展示室に飾られた作品群は強引な主張をするわけではないけれど、しっかりとそこに存った。思いもよらぬ色や構図が目に飛び込んで、ああ、これが現代の日本画なのか、と、ただただ驚嘆した次第。私の思っていた、水墨画や屏風絵に代表されるような世界とはおよそかけ離れたものばかり。中でも、目を引いたのは、池田真弓という作家の作品のあれこれ。白内障の治療の済んだ、澄んだレンズの眼ん球は、彼女の色の美しさに完全に魅了された。青と白が触れては離れ、離れては触れ、水を作る、空を作る、空間を作る。大したものだ。

 日本画のような、伝統的な分野においてさえ、この有り様である。私がぼんやりと生きている間に、世界はどんどん変わっているのだなあ。十年一昔と言うけれど、科学の進歩と共に、世の推移は加速度を増しているようであり、今から、十年後にはこの老い耄れには想像もつかぬような世界になるのだろう。尤も、その頃には、此方人等、既にこの世に存らぬ可能性も高かろうけれど。

投稿者 nasuhiko : 19:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月03日

icon天気のことは


 今夜は暫く振りの大雪になるそうである。二、三日前には、梅が開いただの、桜の開花も間近だの、と随分と春めいてきたようなことを言っていたのに、桃の節句の晩に、数年振りの大雪でだそうな。テレビではああだこうだと囂しい。なるほど、明日は金曜日なわけで、勤めや学校のある人たちにとっては一大事だろうし、お気の毒様なことである。けれども、此方人等、どこへ出かける用事があるわけではない。矢でも鉄砲でも持ってこい、とは言えないが、雪でも雹でもどんと来やがれ、てなもんである。冷え込みが激しいと、使い古した膝や腰がしくしくと痛むという弱点はあるものの、雪景色は、格好のつまみである。あらゆる騒音や汚れを覆い尽くすように、一面がもわもわとした雪に包まれる。時々、どさりとまとまった雪がどさりと落ちる音がするぐらいで、外は深閑として、部屋のどこかで時を刻む音が妙に気になったり。雪景色を眺めながら呑む酒が殊更に美味いのは何故だろう。きりりと冷えた澤乃井の香りを大きく吸い込んでから、ぐいと呑み込む。喉元から胃にかけてぼんやりと暖かくなって……ああ、まだ、降り始めてもいないのに。

 降り始める前からこんな具合に期待を肴に呑んでいる老い耄れである。いつになったら、降り出してくれるのだろうね。あまり遅くなるようだと、泥酔して寝ちまいますよ。困ったものだ。

 それにしても、近年は気象庁の予想も少しく当たるようになりましたな。これも、民間の予報士などというものが登場して、ささやかな競争が始まったからだろうか。あるいは、データ収集や統計処理の技術が向上しただけのことなのもかしれない。しかし、あれですよ、私たちの同輩の間では、天気は戸原のお袋に聞け、とよく言われていたものです。何だかわからないのだけれど、兎に角、当たる。戸原のお母さんが、今日は降るわね、と言えば、どんな晴天からでも雨粒が滴り落ち、あんたらが学校から帰ってくるまでは降らないわよ、と言えば、どんなに雨雲が集結しようとも決して一粒たりとも降つことがなかったものである。どんな野性が彼女の中に備わっていたのかわからないけれど、彼女が天気のことを口にする度、私たちは畏怖の念に打たれ、崇敬の眼差しで見上げるのであった。いや、こりゃ大袈裟に過ぎますが、まあ、そのような心持ちでいたのである。
 戸原くんの御母堂は今でも頗るお元気である。今晩、何時頃から降り始めるのか、電話して尋ねてみたい欲求にかられるが、いや、何時から雪かなんてことを本当に知りたいわけじゃない。こんな思い出を反芻しながら呑んでいるのが良いのだよ。雪が降ろうと降るまいと、今夜は、戸原くんのお母上に乾杯しよう。

投稿者 nasuhiko : 18:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月01日

iconこの、その、あの、どのミルフィーユ


 以前、六本木のクローバーにミルフィーユがなくなってしまって云々、などと愚痴を零したことがあったけれど、先日、そこを読んで下さった方から、メールを頂戴した。形状も味も変わってしまったけれども、ミルフィーユはありますよ、とのこと。私の不見識な言動が原因で、万が一、関係各位のどなたかに迷惑をお掛けしていたとしたら、平に御容赦願いたい。尤も、ミルフィーユがなくなった、なくなった、とこの老耄日記で騒いだところで、世間に何らかの波風が立つとは思えないのだけれどね。
 それにしても、あれですな、六本木クローバーも罪作りだ。形状も味も違う、ということになると、六本木クローバーのミルフィーユでありながら、私にとっては、六本木のクローバーのミルフィーユではない、ということになってしまう。何を言っていやがるんだ、これだから手前勝手な妄言じじいは嫌だね、とお思いだろうか。正にその通りで、返す言葉はない。ない、と言いながら、なお、懲りずに書くと、私にとっての六本木のクローバーのミルフィーユと言えば、それは飽くまでも、平べったい直方体の角が丸まったような、というのか、蒲鉾を巨大化したとでもいうのか、そんな形状の代物であって、兎にも角にも、私の記憶の中の、あの当時、マリと一緒に食べていた、あのミルフィーユ以外の何ものであってもいけないのである。茶系の巨大蒲鉾を買って帰ってきて、珈琲を淹れて、透明のビニールを左右に捲って、そうですな、二センチメートルほどの幅で切る。すると、マリが、私のはもうちょっと大きくしてね、などと言うから、大奮発して、五センチメートルほどの厚切りを彼女に用意する。いかん、いかん、涙が出てきた。
 味にしたって、あの時のあの味でなくてはいけない。当時のものより現在のミルフィーユの方がおいしい、ということであっても、私としては、それは断固として認めるわけにはいかない。勿論、私は六本木のクローバーを経営しているわけでもなく、そこで働いているわけでもない。実のところ、十年以上も何も購入したことがないし、もう何年もその前を通ったことすらない者である。けれども、私は、こう主張するのである。六本木クローバーのミルフィーユは最高である、と。そして、そのミルフィーユ、あのミルフィーユは、今では六本木クローバーに出向いても手に入るものではなく、この老いぼれた脳味噌の中にだけ存在する、世界で最高の幻のミルフィーユなのである、と。

 しかし、ふと考えてみると、私は、ミルフィーユというものは、あのミルフィーユしか食べたことがない、と気づいた。そんな男が、世界で一番美味いミルフィーユだ、などと断言して良いものだろうか……それは……それは、勿論、良いのである。老耄の妄言を止めることなど誰にもできはしないのだから。

投稿者 nasuhiko : 19:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月28日

icon水てえもの


 近所のコンビニエンス・ストアで水が売られている。近所の自動販売機でも水が売られている。今では少しも珍しくない光景である。買われたことがある人も少なくないであろう。何しろ、国内外の数多のメーカーから発売されていて、あれだけたくさんの種類があるのであるからして、それは紛うことなく、それを買わんと欲する人がいるのだ、という証左である。実を言えば、私はあの手の水を買ったことがない。水を買うだなんて、ねえ。あの手の水を購入することには、どうしても抵抗がありますな。だって、水ですよ、水。蛇口を捻ればじゃーと出てくる、あの水。勿論、少なからず……いやいや、大きに中身は違うってことは百も承知。けれども、水は水ではありませんか。スナックなんかで、ボトルを入れて水割りを呑もうと思えば、ミネラル・ウォーターなるものを売りつけられる、ということは大昔からありましたとも。けれども、それとこれとは話が違う。コンビニで水を買う人々が、皆、家に帰って、あれで水割りを作る、なんてことはありそうにない。勿論、中には、水割りを作る人だっているでしょうけれどね。ああ、そんな話じゃないんだね。
 こんなことを言い出したのは何故かというと、我が家を訪れた知人が、上がり込んだ途端に、「水ください、水、水」と水道水をコップ一杯勢いよく一気に飲み干し、「ああ、ここいらの水はうまいね」と言ったことに端を発する。その知人は、蒲田に住んでいるのだけれど、蒲田の水はまずくてかなわん、けれども、水を買う気にはならない、仕方なしに、浄水器をあれこれ試してみているけれど、なかなか気に入るものがない、と、そんなことを言う。
 白状すれば、我が家の水道にだって、簡易な浄水器が取り付けてあるのである。つまり、ここいらの水だって、昔ほどうまくもなければ安全でもない、と、私自身が思っているという証拠。それでも、良次郎くんは美味い、と言う。ううむ。

 彼が帰ったあと、澤乃井をちびちびやりながら、あれこれ考える。今でも、東京にだって美味い水があって、だからこそ、澤乃井のような美味い酒ができるのだ。うちの水も、昔に比べれば化学臭い匂いがするような気がするけれど、もしかすると、それは錯覚なのかしらん。何とか調べる手立てはないか、と頭を捻る。蒲田から水を汲んできてもらって、飲み比べでもしようか。で、その足で、澤乃井の膝元、青梅の方に出向いて、そこいらの水と飲み比べて、なんて。
 そもそも、水の美味さとは何なんだろうか、と思い、インターネットを検索する。面白いものを発見しましたよ。おいしい水検査セット。良いじゃないですか。早速、注文させてもらいました。これで、私のような、素人にもすっきりとわかる結果が出ることになりましょう。楽しくなってきましたなあ。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月27日

icon羽生先生の扇子


 ひょいと覗いた将棋連盟のホームページで、季節外れの羽生先生の扇子を購入したのは、暮れのことだったろうか。こういうちょっとした小物を手に入れただけで、今まで以上にタイトル戦の勝敗が気になったりするのだから不思議なものだ。本当は渡辺明くん竜王獲得を祝って扇子を買おうと思ったのに、残念ながら未だ発売になっていなかったのである。渉猟するうちに、羽生扇子を買うことになり、延いては、あれこれの場面で彼を応援する気持ちになっている。応援するからには、勝ってもらいたい、と思う。そう思うと、新聞やらインターネットで結果を見るのも少しはどきどきするようになってくるから面白い。最近の戦績はどうかというと、これが素晴らしく良いのである。いやあ、扇子を買った甲斐があるってもの。嘗ての、七冠の頃の勢い程かどうかわからぬけれど、今、羽生先生には激しい追い風が吹いているのは間違いない。その追い風はどこからやってくるのか。それは、勿論、この荒屋で私が扇子を必死に煽いで起こしているものなのである。いや、そんな訳はないのだけれど、そんなことを思いたくなるのが人情というものではありませんか。羽生よ、頑張れ、頑張れ、羽生よ、と、ぱたぱたと煽いでは一杯。扇子から零れるうっすらとした香りが澤乃井の香りと相俟って、良い心持ちの酔い心持ち。こんなことで御機嫌になれるなんざ、簡単で、安上がりな脳みそだね。はは。

 さて、と、暫く振りに、将棋連盟のホームページを覗いてみる。おお、何たることか、渡辺明の第十七期竜王位扇子がもう発売になっているではないか。これは、買うべきか否か。もし、仮に購入したとすると、私は羽生善治、渡辺明のどちらを応援すべきなのか。二人とも応援してあげたまえよ、と仰いますか。御尤も。御尤もなのであるけれど、じゃあ、その二人が対戦する時にはどうすれば良いのだろう。ううむ、若貴の優勝決定戦のときにも、同じように悩んだのを思い出した。あのときは、お兄ちゃんの方を応援したけれどねえ。何故だったかは思い出せないけれど。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月24日

icon千里の道も一歩から


 白状すると、バッハのインベンションには想像以上に苦しんでいる。苦しんでいるも何も、実際のところ、相当に滅茶滅茶の苦茶苦茶である。この歳になってから、独習でピアノに取り組もうというのだから、一筋縄では片付く筈のない苦労が待ちかまえているとは思っていたが、まさか、これ程だとは。ううむ。
 デジカメを片手に近所をほっつき歩いているときに、どこからともなく、ピアノの音が聞こえてくることがある。曲も様々、演奏も様々。流れるようなショパンもあり、精密機械のように上下行を繰り返す練習曲もある。記憶が正しければあれはハノンだったろうか。流麗な「エリーゼのために」もあるし、稀にではあるが不協を重ねるような現代曲風のものが響くこともある。そうかと思えば、躓くようにえっちらおっちら進むバイエルもある。通りすがりに聞こえてくる演奏を耳にすると、なかなか上手ではありませんか、と思ったり、まだまだ練習が足りませんな、などと思ったりしたもの、ちょっと前までは。ところが、いざ、自分が練習を始めてみると、視点は百八十度転換した。他人様の演奏をあれこれ評価する立場になど立つわけには参りませぬ。素晴らしい演奏には敬服して頭を垂れ、拙い演奏には、そうだ、頑張れ、もう少しだ、と声にこそ出さねど応援する。立ち止まって、一曲弾き終わるまで陰ながら声援を送ることさえ屡々である。場合によっては、手に汗握る有り様。無事に演奏が終わった時には喝采を送りたい心持ちだが、それは遠慮している。家に帰ってから、祝杯だ。
 ああ、私のインベンションはいつになれば少しは恰好がつくのだろうか。実は、まだ、最初の数小節を右手でぽろぽろぼろぼろと雨垂れのように不安定なリズムで、しかものろくさのろくさ奏するばかり。道は、道はあまりに遠い。いや、ここでへこたれてはいけない。千里の道も一歩から、と言うではないか。一音一音を積み重ねていけば、いつか、辿り着ける筈なのだ。尤も、此方人等の寿命との駆け競べみたいなところもありますがねえ。はは。

投稿者 nasuhiko : 19:05 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月18日

icon独逸と言えば麦酒


 先日、バッハのインベンションの練習を始めるに当たり、「ドイツと言えばワイン」というようなことを書いたところ、独逸といえば麦酒、というのが本筋でありましょう、とやんわりと御忠告いただくメールを頂戴した。考えてみれば、なるほど、ドイツと言えばビール、というのが、世間の標準なのであろうと思う。とは思うものの、私は、若い頃から麦酒はそれほど得意ではなかった。麦酒に得意不得意もあったものじゃないけれど、何ですか、あれは、コップ一杯位をきゅきゅぅっと呑むのは良いけれど、それ以上になると、どんどんどこどこ腹くちくなって酒もつまみも進まなくなる、口の中も胃の中もじょわじょわして、味覚が判然としなくなってくる、憚りが近くなって腰を据えて呑んでいる気になれない、などなどなど、と、まあ、あれこれ、理由を並べ立ててみたけれど、結局、好みの問題でありましょうな。
 加えて、一度、痛風を患ってから、若先生に酒を止めろ止めろ、と攻め立てられ、何、どうしても止められぬか、ならばせめてビールだけでも止めなさい、と厳しく御指導を受けたのでありました。あれは、何年前だったかね。兎にも角にも、それでは、麦酒の件だけは承りました、てなもんでね、元々、さして好きでもないのを幸いに、きっぱり止めてしまいました。尤も、出先で差し出されれば、礼儀としてコップに一杯ぐらいは頂きますが、それ以上はやりません。それにしても、この歳んなって、酒を止めなきゃ長生きできませんよ、などと言われても、ははあ、左様で御座居ますかってなもんで、聞くだけは聞いておきますけれど、此方人等もう七十年以上も生きていますから、今更、二、三年を伸ばそうなんてことで細々と齷齪する気にはなれないもの。けれども、あの、痛風ってやつは、別ですよ。おやりになられた方はお分かりだと思いますが、痛いの痛くないのって、もう、そりゃ、大変なものです。ちょっと普通じゃない。あの痛さを思い浮かべれば、麦酒を止めるぐらいなんてことないって気になります。
 そんなわけで、私にとっては、ドイツと言えばワインってなことになるって、それだけのことなのだけれど、寄り道していたら、何だか、訳がわからなくなってしまった……って、呑みながら書いているから、そういうことになるんだけれどね。こんなこと書いていたら、珍しく麦酒が呑みたくなってきた。全く以て馬鹿だねえ、この老いぼれは。お〜い、久下ちゃん、今日も一杯いきましょうや。

投稿者 nasuhiko : 19:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月17日

iconサイレンがやってきて


 夕方になって、喧しいサイレントともに、この近所にパトカーだか救急車だかがやってきたようである。それにしても、何だって、あのサイレンてえやつは人心を不安に陥れるような音をたてるのだろうね。弥次馬根性というわけではないのだが……いや、やはり、弥次馬根性からなのだろう……窓から覗くと、全貌は見えないものの、赤い点滅が夕景に溶け込めずにじたばたしている。サイレンの音も然る事ながら、赤色灯の点滅というやつも人々を脅かす効果満点だ。自分に負い目があるわけでもなく、頭の捩子が緩んでいるものの躰に具合が悪いところがあるわけでもないのに、何故だか、赤い点滅とサイレンの咆哮の攻撃で、胸の奥がざわざわと苦しくなるような気がする。パトロール・カーに関しては、その役割からして微妙なところかもしれないが、病人、怪我人、その家族にもう少し優しい救急車を用意できないものだろうか。辛うじて持ち堪えていた心臓が、あの音と光に圧迫されて止まってしまった、なんてことはないのだろうか。
 我が身に直接は関係ないこととはいえ、あれこれ考えていたら、心の蔵がぐぐっと締め付けられるような気がして息苦しく、厭な心持ちである。こんなことではいかん、と、また、澤乃井に頼る呑んだくれのこんこんちきちきである。久下くんの太鼓をつまみにやりますか。おお、良いですなあ。コンコンチキチキ。良いよ、良いよ、久下くんよ。チキチキコンコーンッ、ご機嫌だね。
 弥次馬根性というわけではないのだが……って、弥次馬根性丸出しだよ、この老いぼれは……窓から覗いてみると、未だに赤い点滅が続いている。かれこれ三、四十分経ったのではなかろうか。一体、何をやっているのだろうね。大丈夫かね。気になりますな。まあ、この、余所様のことが気になる心情を弥次馬根性って言うんですよ。莫迦なじじいだね、全く。赤い点滅と、久下くんのドラム、絶妙の組み合わせだ。そこに酔いが加わって、良い調子になってきた。コンコンチキチキ、チキチキコンコーンッ。コンコンチキチキ、チキチキコンコーンッ。ああ、今日もまた酔っ払っちまいました。

投稿者 nasuhiko : 20:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月15日

icon若者よ


 天気が良いのに、今一つ、調子が上がらず、だらだらずるずると、茶を飲みながら、チャンネルをがしゃがしゃがしゃがしゃ切り替えていた。もっとも、今時のチャンネルは、リモコンで遠く離れ、音もなく。ありがたいような、でも、少々物足りない気がしなくもない。老人の懐古趣味か。厭だねえ。
 午前中の番組のあれこれを眺め、昼に笊を一枚やっつけて、午後の番組のあれこれ。笊をやっつけるに当たって、澤乃井を持ち出す。好い気なもんだ。それにしても、平日の昼間の番組てえものは、私のような引退後の老耄じじばば以外に、誰が見るのだろう。主婦のみなさん、冬休みの学生さん、引き籠もりの諸君、といったところが主立ったところだろうか。この時間帯の主力、ワイドショーというもの、ワイドと称されるだけあって、取り扱う話題は中々に幅が広い。やれ芸能、やれスポーツ、やれ犯罪、やれ政治、やれ料理、やれファッション、何でもござれ。中でも近頃は政治の話題が多うござんすな。つまり、それだけ、国民の関心が集まっているってことなのだろう。誰に聞いたって、今の日本はいつにも況して不景気でいつにも況して物騒なわけで、政治家諸君よ何とかしてくれよ、と思うのは当然と言えば当然のことであろう。そもそも、その為にいるのだろうよ、と。ところが、どうしたわけか、彼らはなかなか庶民の期待に応えてくれない。寧ろ、心情を逆撫でするようなことを仕出かすことが多々ある。何とも不思議な話ではないか。

 ここに来て、じわじわと世の中がきな臭くなってきたとお感じの方も少なくないだろう。まさか、行き成り戦争が始まるということもあるまいけれど、一歩ずつ一歩ずつ、恐ろしい方向へ押し出されているような気がしてならない。戦争の悲惨さ、若い人たちは本当に理解しているのだろうか。心配になりますな。政治家の若返りは結構だけれど、日本という船を危なっかしい方向へ向けている連中は、戦争がどんなに恐ろしいものかわかっているのだろうか、と非常に不安である。終戦時、小泉くんは三歳。戦争の何たるかを理解できるような年齢ではなかった。安倍くんや石破くんなんざ、まだ生まれてもいないわけで、知る由もないのか。しかし、彼らの親はたっぷりと戦争というものを味わったはずである。ならば、息子たちに、二度とこのようなことが起こらないようにしなければいけない、と強く語り継がなかったのだろうか。そんなことがあるとしたら、親の顔が見たい。あ、親の顔、見たことがあるな。それにしても、三人とも二世議員だとは……。

 若者よ、戦争は恐ろしい。若者よ、戦争は悲惨だ。若者よ、若者よ、自分の命も他人の命も軽んじてはなりませぬぞ。

投稿者 nasuhiko : 17:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月13日

iconライヴハウスでギグ07


 やっと調律師さんが来てくれた。一頻り、ポロン、ポロン、ポローン、カン、カン、カーンなどと、調整していき、一段落するとビャラリラリラリーン、ボーン、ビャラリラリラリーン、ビャーン、などと全体の様子をみる。何年振りかに目にする光景、耳にする音は、何だかとても懐かしい気がした。マリがお茶を淹れ、菓子を用意する姿を思い出したり。ああ、そうだ、私もお茶の用意などせねばならないのであった。そうは言っても、手頃な茶請けが見当たらない。思い切って、コチュジャンを出してみようかと思ったが、いくら何でも、それは非常識に過ぎるであろう。どたばたしているうちに、作業は終わってしまった。さて、とお茶を出そうかと思ったところ、お忙しいようで、とっとと帰られてしまった。何とも拍子抜け。

 調律されたピアノは、その外観の古さこそ変わらねど、何となく、ぴかぴかに一新されたように思えてくるから不思議である。ポロン、ボロン、と鍵盤を叩く。先日までとは打って変わって、素人耳にも判るほど、少しく透き通った音になった。さあ、始めようではないか。
 曲目だが、先日からじっくり考えに考えた結果、バッハのインベンションの一番に挑戦しようと思っている。御存知の方も多かろうが、実に精緻で美しい曲である。敬愛するバッハの作品の中でも、愛聴している作品の一つ。家内もよく弾いていたけれど、私は繰り返し聴いている高橋悠治グールドを師匠としよう。先方からすれば、こんな枯渇しかけた老耄に師事されても迷惑なことだろうが、押し掛けていって云々するわけではなく、心の師と仰ぎ、CDを繰り返し聴くだけのこと、先方には私が弟子になったことはわかるはずもない。『日和見』に行って「私、この度、高橋悠治先生に師事してピアノを始めることに致しました」と報告してみようか。
 練習開始の祝いに何を呑もうか、という段であるが、バッハと言えばドイツ、ドイツと言えばワインなんだろうけれど、ワインねえ。ワインも嫌いじゃないのだが、ワインてえものは独りで呑むとなると限りをつけるのが難しいからね。一本呑み終わったところで、もうちょっと呑みたい。だが、もう一本は幾ら何でも無謀である、というような。調子が悪い時には、一本すら空けられないこともある。ワインは却下しますか。ううむ、何を呑むのが宜しかろうか。

投稿者 nasuhiko : 13:57 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月12日

iconファイテンの効果のほど2


 昨日は、結局、調子に乗って酔っ払って寝てしまったが、大蒜が効いたのか、長時間の睡眠が効いたのか、はたまた、やはり酒てえものは百薬の長なのか、兎にも角にも、すっかり風邪は抜けたようである。その煽りを喰って、若先生の診療所の売り上げは、妄想老人風邪一人前分、減少することになってしまった訳だ。申し訳ない。しかし、国民が血と涙で納めている税金を私如き者のために費やすことなく済んだ訳ではあり、結構なことだと言って良かろう。待てよ、もしかすると、こんなところにもファイテンの首輪の力が働いているのではあるまいか、と、そんなことを思ってみる。そんなことを思ったがめに、ファイテンの効果や如何に、との問いに、満足な答えが出せていないまま、宿題となっていたことを思い出す。

 近頃では、私もインターネットでの調べ物が少しはうまくなったつもりでいる。早速、ファイテン株式会社のホームページを覗いてみる。ところが、どのような効能があるのかという説明書きを発見できない。大したものだ。これには、感動せざるを得ない。本家本元の会社で効能を大々的に云々してるわけではないのですぞ。にもかかわらず、人口に膾炙し、若者たちの間で流行し、終いには、私のような老いぼれの首にまで巻かれる仕儀となっておるのである。凄いことだ。さりながら、この感動は、質問の回答にはなっていないのは明白。更に、インターネットを渉猟する老眼じじいである。しかしながら、このじじいの眼の球は三年ほど前に白内障の手術を受け、意外にすっきり鮮やかに物の見える眼球なのである。そうは言っても、目ん玉に、いやさ、網膜に映ることと、それを理解することとは別物ではないか……って、いかん、いかん、またまたどんどん脇道に逸れてしまう。検索に専念しなくては。しかし、何だね、こうして余所様のブログを読むのは楽しいね。一杯やりながらだと、また、格別。ブログがつまみ、なんて言うと、ちょっと妙な響きだけれど。
 さて、あれこれこれあれうろつき、漁り回った結果、「話題のナレッジベース」さんというところに、非常に丁寧な説明がありました。なるほど、流行るのも御尤も。簡便にして灼なる効験。もっとも、あれこれ見ていると、効きませんのお、というような人もいないわけではない。

 結論として申せば、効くか効かぬかは、他人に質問するよりも、自分で首に巻いてみるに限るってことになりますか。効くという人もおり、効かぬという人もおり、てな具合。はは、回答になっちゃいない。
 私ですか。私の場合、円嬢からの戴き物である以上、何が何でも効かせてみせますとも。心頭滅却すれば火もまた涼しって……これは、不適当な譬えですか、ああ、そうですか。いや、実際ね、少しく肩凝りが減少したような気がするんですけれどね。はは、今日も澤乃井はうまいや。

投稿者 nasuhiko : 18:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月11日

icon風邪気味


 昨日は頭痛がしてきて、早々に就寝してしまったが、今朝になってみたら、鼻水が垂れておる。考えすぎで頭が痛くなったのかと思ったが、実は、風邪の初期症状だったようである。昨年の風邪の際に若先生に頂いた薬があったはずなのだが、みつからない。薬を放り込んでおく引き出しに入っていないとなると、もう、どこを探して良いのやら。素直に若先生のところに出向けば良いのだけれど、こんなものはほんの鼻風邪に過ぎず、大人しくしていれば治りそうなもんじゃないか、などと思うもので、腰が重い。暖かくして、精のつくものでも食して、一杯二杯引っかけて眠ってしまえば良いではないか、と。

 そんなわけで、本日は大蒜を一塊、まるごと焼いてつまみにしている。自家製のコチュジャンを付けると、堪りませんな。いやあ、汗がじわじわと滲むように出てきて、これだけで、柔な風邪なんざ、どこかに飛んでいってしまいそうである。うまくて、しかも、健康にも宜しい。ああ、無宗教の私であるけれど、何かに感謝したくなるような心持ち。ありがとう、大蒜よ。ありがとう、コチュジャンよ。そのコチュジャンを伝授してくれた、チョ先生の本にこそ感謝しなければならないのではないか。ありがとう。
 ちょっと良い調子になってきたね。何杯目だろうか。まあ、こういう時には、良い呪文があるのである、酒は百薬の長ってね。はは、そう言いながら、また、若先生に飲み過ぎだ、なんて怒られているわけなんだけれど、まあ、良いじゃありませか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……そんな歌がありましたなあ。誰が唄っていたのだったか。マリが台所でよく唄っていたのを思い出す。ああ、佐良直美だったろうか。マリは家事をしている時には、何故か、歌謡曲や演歌ばかり唄っていた。「アカシアの雨がやむとき」やら「夜明けのスキャット」やら「夢は夜ひらく」などなどなど。考えてみると、フランス女が台所でそんな鼻歌を唄いながら包丁を振るっている姿は、今になって思い返すと、些か妙ですな。そうは言っても、それが私たちにとっては日常だったわけですが……。
 思わぬことから、しんみりしてきてしまった。それもこれもすっかり呑み過ぎたせいに違いない。もう寝ることに致しまする。ごきげんよう、また明日。

投稿者 nasuhiko : 22:56 | コメント (2) | トラックバック

風邪は、馬鹿にできませんよ、私も5日間寝込みましたからね。なすひこさん、お大事になさってください。いつも読ませて頂いてます。初めてお便りしますが、コメントするのは、後にも先にもこれがはじめてなんです。じつは、パソコン初心者なんです。なすひこさんのプログなにげないんですが、心落ち着きます。名乗るのは、次回にさせてください。男の料理シリーズなかなかですよ。

投稿者 Anonymous : 2005年02月12日 01:52

今までこちらのコメントに全く気付きませんでした。平に平に御容赦下さい。私もコメントというものを頂くのは初めてなもので、勝手がわからず、実に失礼致しました。

私の如き理の判らぬ呆気者の落書きを読んでいただいた上に、暖かいお言葉まで頂戴し、感涙に噎ぶ思いで御座居ます。
今後とも末長く宜しくお願い致します。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年02月25日 16:59

2005年02月10日

iconファイテンの効果のほど


 ファイテンを着用するようになって、かれこれ一週間ほどになるだろうか。気は心、とでも言うのか、円嬢が私の如き老いぼれを気づかってプレゼントしてくれたわけで、その気持ちだけでも十分に効果がある、というもの。しかしながら、さて、実際のところ、ファイテンの効果とは如何なるものか、と自問すると、よくわからない。肩凝りは完全になくなったのか、というと、そんなことはなく、肩凝りは今でもある。じゃあ、効果はなかったんだな、と問われると、そんなこともなく、肩凝りは以前よりは減ったし、楽になったような気がするのである。そもそも、肩凝りなんてもの、程度の増減をどうやって計測すれば良いのだろうか。計りようがない。そんなことを気に病んでいると、それが原因で肩凝りが酷くなりそうである。それでは本末が転倒してしまう。
 自分一人のことなら、ありがとう、円嬢よ、おかげさまで肩凝りが激減しましたぞ、と感謝の言葉を述べて満足すれば良いのである。しかし、因果なことに、ファイテンの効果は如何ですか、というメールが届いてしまったのである。待て、待て、待て、待ちたまえ。この惚け老人の戯言日記を読んで下さって、しかも、メールを下さった方に対して、「因果なことに」だの「届いてしまった」などという失礼な物言いがあるだろうか。調子に乗るな、くそじじい。恥を知れ。丁寧に返事をせずにどうする。と、大いに反省した私は、早速、ファイテンの効果について再考し始めたのである。
………………………ああ……………………………
……………………………うむ………………………
………………だが……………………………………
………………………お…………お…………………
……………………いや………………………………
…………………………あは…………………………
孰れにせよ、よくわからない、という状況に変わりはない。ううむ、困った。
 結論を申すなら、やはり、信ずるものは救われる、とでも言えば良いのか。円嬢から頂戴した、というこの一点がある限り、私にとっては、効果のあるものなのである、ファイテン首輪は。では、円嬢からもらわなかったなら、効かないのか、という質問メールが来そうである。ううむ、その場合、何と答えれば良いのか。頭痛がしてきた。肩凝りが減っても頭痛が増えたのでは元も子もない。はははははははは、実にばかである。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月09日

icon吊るされた札


 首都大東京を守るために……なんてことを、先日、書きましたが、そういう大きなものではなくとも、みな人それぞれに守るべきものがありましょう。有体に、家庭や体裁、地位、そんなものを守らなくてはならない、守らないでどうする、と思っておられる方は少なくないでしょうな。実際、私も家内と暮らしておりました頃には、彼女を守らねばならん、と思っていましたよ。殊に若い時分なんぞには、必要以上に肩肘張って、余計な摩擦を発生させてしまったりしたことすらあるのであります。
 そんな大仰なことではなくとも、もう少しささやかなれど、守らなければならない、というものもあります。女性も見ておられるかもしれないところで、こんな幾分尾籠な話を書くのもなにですが、立小便というもの、あれは、最近はめっきり見かけなくなりましたが、以前は、多かったですな。昔は日本人の民度が低かったのでしょうか、見かけることは意外に多かった。当時は、立小便は立派な犯罪であるからして警官にみつかれば逮捕されるのだ、などと話題になったりしたものです。つまり、それほど茶飯のことだったのでしょう。長い板塀があったりすれば、そこには「小便するな」という文言と共に鳥居の絵が書かれた札が吊るされていたりしたもの。札の効果はどれほどあったのかは定かではありません。友人が、あまり堂々と大きな札を下げてやがるから、こちらも堂々と札にかけてやったよ、などと、自慢とも取れるようなおかしな発言をしていたのを覚えています。「君ぃ、小便なんてものはねえ、人が人として生きている限り、必要にして不可欠な、自然現象なんだよ。英語では『ネイチヤア・コオルズ・ミイ』と言うぐらいでね」こんなことを言って、数人で連れ立ってしている連中もいた。当時の学生なんざ、勉強はしたけれども、あまり品は良くありませんでしたな。もっとも、今の学生だって、上品だてえ風にも見えないけれど。
 何故、突然こんな話を持ち出したかというと、面白いものに出会したからです。散歩がてらカメラを手にして、近所をうろうろして、たまには遠出してみようと、普段よりも足を伸ばして裏道をあれこれ散策していたら、みつけました。懐かしい、焦げ茶色の長い板塀の家がありました。昔は、こんな家がたくさんあったものだよ、などと呟きつつ、歩いていくと、長い長い板塀の中ほどのところに、札が下げてありました。

小便無用
貴様は犬か

 こんな文言です。墨で黒々と立派な筆運びであります。その札も、板塀同様相当に古びている。何十年も雨風と立小便の攻撃を浴びながら今日まで頑張ってきたのでしょうなあ。そんなことを考えていたら、何ともおかしくなって、道の真ん中で吹き出してしまいました。「貴様は犬か」。名文句じゃありませんか。

投稿者 nasuhiko : 17:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月08日

icon男の料理14


 ここのところ、晴れる日が続き、日中はぽかぽかと暖かい陽気だったのに、昨日の夜半辺りから急激に寒くなった。忍び込む隙間風が矢鱈に冷たい。しかも、我が家の場合、相当に年季の入ったポンコツ家屋ゆえ、隙間風と呼ぶには、些か大胆に過ぎる勢いで風が吹き込んでくる。びゅーとかびゃーとか、そんな具合。糅てて加えて、本日は雨模様。冬の雨は冷たい。窓から眺める濡れそぼつ景色は、風情を一切感じさせず、脅迫的な寒さの気配に満ち満ちている。こうなると、少しぐらいの暖房では太刀打ちできるわけもなく、仕方なく、内側から暖めるしかないという仕儀。内からの暖房に必要な燃料は、電気でもガスでもなく、勿論、アルコールである。
 さて、本日は、何を呑もう、つまみはどうしようか、という段になり、ふと、最近、御無沙汰していた「納豆と豆腐のチゲ」のことを思い出す。冷蔵庫を漁ってみると、納豆もある、豆腐もある。大蒜もそこらに転がっている。久々にいってみますか。
 毎日のように頻々と作っていた頃にはすっかり暗記していたものだが、ちょいと間が開くとすっかり忘れてしまう。『作ってみたい・韓国料理の本』を引っ張り出してきて、はじまり、はじまり。
 いざ、始めてみると、ああ、そうだそうだ、てな具合で、流れが滞ることもなく、すすいのすい、てなものである。相変わらず、ズッキーニはないので、若布を入れよう。青唐辛子もないから、干涸びた赤唐辛子でかまやしない。寒さを吹き飛ばそうと、大蒜一カケのところ、二カケを奢ってみる。おまけに、日本酒もどぼどぼと追加してみた。なかなかの手際ではございませんか。自己流の工夫を入れてみたりして、ええっ、大した腕前じゃないか、と自画自賛。はは、暢気、暢気。暢気が一番。

 さて、味はどうかというと、これがまた美味い。流石に些か大蒜の匂いがが強過ぎ、納豆が一パックというんは少な過ぎた。とはいうものの抜群である。また、若布が合いますなあ。チョ先生、再販の際には、ズッキーニの代わりに若布を入れたレシピを載せるのも宜しいやもしれませぬぞ。皆さんも、是非、試されるべきです。この手軽さでこの味、正に驚異。
 それにしても、田苑が進みますなあ。大分、調子が出てきた。これだけ、中から暖めりゃ、ちっとやそっとの寒さなんざ、吹き飛ばせましょうとも。ほっほっほ、予は満足じゃ。

投稿者 nasuhiko : 17:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月07日

icon続・ヒントミント


 ヒントミントのすうすうした味にすっかり嵌まり込んでいる。厳密に考えると、ヒントミントの味そのものの魅力だけでなく、円嬢が私の身を案じてプレゼントしてくれた、というところにも大きに重みがあるのやもしれぬ。いや、誤解しないで頂きたいのだが、世に言う助平心などでは、決して、ない。そういう心はすっかり枯渇した、と自慢するほどかと考えると、些かもやもやした気がする時だって全くないとは言えないかもしれない……いやいや、そんな話ではなく、私の如き干涸びた古木が若いお嬢さんからのお心遣いをいただけた、というそのことだけで、十二分に感動すべきことであろう、と。
 ヒントミントを舐めると、確かに、咽喉のいがらっぽさは少なからず軽減されるようである。咽喉だけでなく、鼻の中もすうとする。結構なことだ。そればかりでなく、ヒントミントを食したあとに飲むものは、何でも彼でもすうすうする。珈琲、紅茶、番茶にジャスミンティー。澤乃井田苑までも。これに関しては、有り難いとも有り難くないとも言い難い、大きに微妙なところであるけれど。
 どうでもいいことばかり思い出すのは、老いた脳みその特徴なのだろうが、以前、同じようにすうすうするメンソール煙草というものが流行ったことがあったのを、ふと思い出した。煙草を吸っていた時代のことでもあり、私も幾種類か試してみたことがある。私自身の好むものではなかったものの、若い女性には好評だと評判になったし、私の周囲にもそんな洋モクを気取り加減で燻らす同輩も、幾許かはいた。今では煙草は吸わなくなってしまったとはいえ、何とは無しに、町中の煙草の自動販売機を覗いてみることがある。そこには、必ず、いくつかのメンソール煙草と思しきものが見受けられるのだから、最早、我が国の煙草文化の中にしっかりと根付いているのだろう。
 ああ、また、思い出したことがある。メンソール煙草を吸っていた者たちが、ある時一斉にそれを止した理由があったのだ。又もや、些か尾籠な話題になるけれど、いつの頃だったか、メンソールの煙草を吸い過ぎるとインポテンツになるという噂が実しやかに流れたのである。雑誌か何かの記事から飛び火したものだったろうか。男というものは……少なくとも、私の知人たちの多くは……気が小さいもので、噂が流れ始めた途端に、すっぱり止めてしまった。おかしい話でありながら、まだ若い男性諸氏にとっては切実な問題でもあり、一息に笑って済ますという気にもならない。女性諸君よ、男というものは妙なところで気が小さく、女性にはわかるはずのない恐怖と戦っておるのである、と小声で言っておこう。

 ところで、ヒントミントの食べ過ぎも同じような効果を齎すのだろうか。興味深いですな。

投稿者 nasuhiko : 14:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月05日

icon書きつ書かれつ


 こんな妄言ばかりの日記を読んでいただいてるなんざ、実にありがたい話である。稀に戴く励ましの言葉も大変嬉しい。こつこつ続けているうちにだんだんくせになったというのか、これを片づけないと一日がすっきりしないうような気分になる。そんなわけで、毎日毎日懲りずに暴言と妄言と謗言を重ねている。しかし、考えてみると、書かれている方々はどのように思うのでしょうな。師匠からの御指導通り、どこの誰とは具体的にはわからぬように気をつけて書いているつもりでありますが、師匠を始め、近頃御付き合いいただいている方々、『日和見』の女将やお客さんたち、などなど、みんな、どう思っているのだろうか。もし、読んでいらっしゃれば、多少ぼやかして書いてあろうとも、御当人には、これは私のことだね、などとわかるわけで、その心境や如何に。もしかして、途轍もなく立腹しておられる人だっておられるかもしれない。心配になってきた。ううむ。
 このブログというのは、どのぐらい普及しておるのだろうか。インターネットを渉猟していると、物凄くたくさんの日記と遭遇する。インターネット上の日記みたようなものが氾濫しているのを見ると、日本人というのは書き物読み物の好きな民族である、と誰かが言っていたことを思い出す。外国でもこれほど普及しているのだろうかねえ。誰も彼もが書くようになると、自ずと、人々が書かれる側に回ることも増えてくるでしょうな。書きつ書かれつ、書かれつ書きつ。今日も私は書き、私は書かれ。
 私は、この日記のことは喧伝していない。知っているのは、当初から御指導、お手伝い頂いている方々と『日和見』の常連客の人々の内の幾許か。両の手に余るか余らぬかという程度であろう。つまり、私の知人の殆どはこんなことをしていることを知らないわけである。逆に考えると、私の知人の中にもこっそりブログをやっておるものがいるのではあるまいか。「茄子彦てえやつは昔からぼーっとしていて役に立たない男だった」などと書かれていたりはすまいか、と不安になる。まあ、その程度の悪口をいくら書かれようとどうということではないけれど、自分の知らないところで自分のことをあれこれ書かれているのではないか、と思うと、腹の奥の方がもぞもぞとして、落ち着かない気分になる。待てよ、実は、田村師匠や円嬢、『日和見』の女将だって、人知れずブログを綴っておるかもしれないではないか。その中に「いやらしい耄碌じじいだよ」などと書かれていたらどうしよう。恐ろしい。恐ろしいことですなあ。

 ブログというものは実に恐い……そう呟きながらも、今日も綴ってしまった、厚顔で老眼で傲岸な老残者であります。全く、いやらしい耄碌じじいだよ。

投稿者 nasuhiko : 15:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月04日

icon首輪の名は


 先日いただいた首輪ですが、師匠から首輪なぞと言わず「ファイテン」と言う方が宜しかろう、というようなご助言をいただきました。何でも、首輪の中でも流行りものだとか。相も変わらぬ世迷言ばかりを並べる、我が老耄日記を丁寧に読んでいただいているわけですな。全く以てありがたいことです。
 それにしても、カタカナの名前というのは、粋なんだが無粋なんだか、判然としません。世間の人々は「ファイテン」という響きから、あら、素敵だわ、イカシテルネ、などという印象を受けるのだろうか。私なぞは「ファイテン」という音から、差し詰め、中国のどこか山奥の地名だろうか、などと思うのが関の山。三蔵法師様が天竺を目指す旅程のどこかでそんな地名でも出てきただろうか、などと。ファイテンねえ。気取ってるんだかどうかもよくわからない。
 カタカナはどうしても駄目だ、というようなことを言うつもりはありませんぞ。どうしたってこうしたって、日本語に直せないものだってあるわけだし、カタカナで表わしたいような事や物があるのも事実でしょう。ただ、近頃は、それこそ何でも彼でもカタカナで言いたがるじゃありませんか。先日も、薬屋でちり紙を所望したところ、あ、ティシューですね、なぞと返事が来る。洋服屋で「この襟巻きを下さい」と女性店員を呼び止めたら、「はあい、こちらのマフラーですね」だと。帰り途に床屋に寄れば、金髪の青年が、カットだけで宜しかったですか、と、もう日本語自体が滅茶苦茶である。舶来のものなら仕方がないだろうけれど、歴とした日本語がある日本の物や事までカタカナばかり。どうなっているのやら。やはり、カタカナだと、あら、素敵だわ、イカシテルネ……ああ、堂々巡りだけれど……の伝で、売れ行きが芳しいのだろうか。
 日本人てえものは、占領された経験が尾を引いているのか、何とはなしに外国人にコンプレックス(こりゃ、カタカナ以外で書きようがない)みたようなものを持っていますからね。カタカナで書くとありがたいような気がするのでしょうか。まあ、所詮、流行り廃りの問題でしょうから、私の如き野暮天には縁のない領域です。ところで、あなた、野暮天の語源でもある谷保天満宮、行ったことがありますか。一度、行って御覧なさい。のんびりしていながらも、中々悪くない所ですぞ。

 今日はすっかり話がとっ散らかっちまいました。老いた脳みそてえものは、新しいことが覚えられないし、大事なことは忘れてしまう。にもかかわらず、陸でもない記憶ばかりが雑然と堆積しているものです。筋道立てて考えようったって、生半なことじゃすすいのすいとはいかないのですよ。

投稿者 nasuhiko : 15:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月03日

icon今日もヘリ


 近頃、矢鱈にヘリコプターが飛んでいるのを目にする、耳にする。しかも、かなり低いところを飛んでいるように見受けられる。一体、あれは何をしているのだろうか。以前は、あんなものはなかったですな。一体、どこのどいつが、如何なる目的であのヘリに乗っているのだろうか。首都大東京の治安を守るために、飛んでおるのだろうか。東京にもテロの危険が迫っている、などと実しやかにテレビで口にする人々がいる。根拠があってのことなのだろうか。それとも、徒に人心を煽っているだけなのだろうか。孰れにしても、小泉やブッシュの如き、自己中心にしか物事を考えられず、しかも、思考回路が硬直しているような輩がのさばっている社会では、テロの危険も高まりもしましょうぞ。
 あるいは、あれらのヘリはテレビ局や新聞社のものなのだろうか。新聞を見てもニュースを見ても、毎日毎日、物騒な事件のオン・パレードであるからして、報道に携わる諸兄も嘸かし忙しかろう。アメリカでのカー・チェイス紛いの追走劇のような事件中継みたようなことを日本でもやろうとして、虎視眈々と事件を待っているのかもしれん。
 そんな戯けたことを思いながら、空を見上げ、何とかカメラに撮れないものかと、あれこれしていたところ、大師匠が自転車で通りかかった。「ああ、こんにちは」「いや、今日も寒いですな」などと在り来たりの挨拶を交わす。私がヘリコプターを写そうと齷齪しているけれど、どうも首尾が宜しくない、とぼやくと「まあ、撮れるものは撮れるし、撮れないものは撮れないものです」とあまり意味のない返事。もともと大師匠は、所謂、変人の類、彼の言わんとすることを全て汲み取ることなど、できない相談である。「それより、あのヘリは何をしているか知っていますか」「テロの警戒か何かではないかと……」と曖昧に答えたところ、「いやいや、米軍基地から逃げ出した宇宙人を捜索しているんですよ。まったく人騒がせだなあ。はは。では、失敬」と呆気に取られる老体を尻目に、軽やかに自転車で走り去る。ううむ、全く以て難しい人である。貴殿こそ宇宙人のようでありますぞ。

投稿者 nasuhiko : 11:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月01日

iconライヴハウスでギグ06


 家内の遺した住所録を引っ繰り返して、どうにか調律師さんの連絡先をみつけた。最後に調律していただいてから、少なくとも、六、七年は経ってしまっているだろう。下手をすれば十年以上になるやもしれない。御健在であることを祈りつつ、電話差し上げると、御当人が出られた。苗字と所番地を伝えると、ああ、フランスの方ですね、即答なされた。家内のことを覚えていてくれたようである。こんなところにも、亡くなったマリの思い出が息づいているかと思うと、誰にともなく感謝したい気持ちになる。私自身も数回はお目にかかっているはずなのだが、申し訳ないことに、声を聞いてもちっとも尊顔が浮かんでこない。「亡くなられたのですか、それは大変残念なことをなさいました。心からお悔やみ申し上げます」と丁寧な御挨拶をいただき、何だか、暫く振りにマリの葬儀の後のあの空っぽな気分が蘇りそうになる。いけない、いけない。塞ぎの虫を追い払い、おんぼろピアノの調律をお願いしたい旨を伝えたが、既に引退なさっているという。それで、後輩に当たる人物を紹介していただいた。これで目処は立ったのだが、何だか、急に滅入ってきてしまった。

 夕刻から、ピアノの部屋に籠もって、カミュをゆっくりと飲む。蓋を開けて、当てずっぽうに鍵盤を叩いてみると、ビョロン、ボロン、プオロン、と減り張りのない薄曇りの響き。幼児向けの玩具のピアノのような、その音程の調子っ外れが、妙に胸に沁む。人工のものではない不正確さ、乱雑さが、孤独な夜に屋根を打つ雨音と同じように、私の心の中の哀しい気持ちをかき立てるようである。調律の為されていないピアノには、それはそれで他の何ものとも比較しようのない、独特の力が潜んでいるのだなあ、と変なことに感心する。もっとも、それは私の妄想の鐘を叩くばかりで、一般の人々の心を打つものではないのかもしれないけれど。

投稿者 nasuhiko : 17:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月31日

icon海の向こうから


 ある日、海の向こうから手紙が届いた……こんな書き出しは、老台の妄想日記には相応しくないだろうか。そうかもしれない。

 この、ブログというインターネットの日記を書くようになってから……というより、これを勧め、御指導いただいたり、手伝ってくれたりしている人々との交流が始まってから……硬化した脳みそと硬化した肉体の持ち主である私の、硬化した日常が少しずつ溶解し始め、新しい世界と繋がりを持ち始めている。実に驚嘆すべき事柄である。元来が人と交わるのが得意な方ではないから、家内が亡くなってからはすっかり引き籠もりがちであり、偶に出向く『日和見』でもカウンターの隅っこで静かに酒を舐めるばかりであった。女将や隣席の客に話しかけられれば返事はするものの、積極的にこちらから何かを話すということもなかったのである。それが、どうだ。今となっては、若い人と面識が出来、昼間から酌み交わしたり、コンピューターのあれこれを教わったり、先日なんぞは、とうとううら若き女性に伴われギグというものにも出向いたのであるから、これは大した変わりようだ。
 日記と言っても、永年に亙って帳面に綴り続けているものと、このブログというものでは随分と異なるものである。学生時分からの付き合いとなる紙の日記は、どこまで行っても、徹底して独白であり、筆者は私、読者も私。それ以外に何も存在しない、言ってみれば閉じた宇宙である。勿論、私が亡くなったあとに、荷物を整理するどなたかが、ぱらりぱらりと頁を繰り、読んでみる気になることだって、絶対にないとは言えまいが、まあ、そうなったとしても、それは偶然が重なった予定外の出来事であるし、そもそも、その時点で、私は存在しないのである。つまり、閉じた世界が完全に閉じてしまった後のことである。それに対して、このブログは、誰に宣伝している訳でもないけれど、インターネットに公開している限り、誰もが読む可能性を秘めている、開かれた世界である。そうは言ったって、口伝てで知り合いの知り合いが覗きみる程度に過ぎまい、と高を括っていた。ところが、先日、海の向こうから手紙が届いたのである。それは面識のない御婦人からのものであり、この老いぼれは、それこそ目の玉が飛び出るほど驚愕した。それ以前には、メールは、『日和見』の常連客ではあるまいかと推察される方二人から来たのみだったのだ。あとは外国からよくわからないメールがいくつか来たこともあったけれど、田村師匠に相談したら、それは所謂ジャンク・メールという意味のないものであって、すぐに捨てなければいけないものだと判明した。
 ところがですよ、ええ、あなた、ところがですよってんだ。海外の女性からメールが来たのですぞ。ううむ、ありがたい話である。実にありがたい話である。元々このブログてえものだって、日記と同じで自分のためにやっている、ついては、読者があろうがなかろうが関係ない、というような心積もり……というか居直りの精神とでも言うべきか……でやってきているのだけれど、いざ、実在の人間が、しかも、海の向こうで暮らしている女性が、この愚痴蒙昧の乱雑な書き物を読んで下さっていると知ったら、何と申すのが適当なのか、勇気百倍とでも言うべきか。兎にも角にも、こう身内からエネルギーが溢れ出る思いであります。本当です。想像していた以上に、目に見えない読者の存在は我が力となる、非常に非常にありがたいものだとわかったのであります。

 近頃、あれこれと盛り上がれるような、嬉しいことばかりが続いていて、全く以てありがたい限りである。澤乃井がいつにも増して美味い。しかし、あれですよ、山あれば谷あり、楽あれば苦あり、躁あれば鬱あり、と申します。あまり調子に乗っていると、次はどよよんと暗黒の闇に陥るのではないか、などと。いけない、いけない、いけません。こういう考え方が始まっていること自体、鬱の入口まで来ている、という証左かもしれませぬ。

投稿者 nasuhiko : 16:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月30日

iconライヴハウスでギグ05


 ギグに当てられた知恵熱みたようなものは未だ冷めやらず。私は、めでたく、本日もヤング・アット・ハートなのであります。昨日は……いや、昨日も……呑み過ごしてしまい、口先ばかり威勢の良さで、結局は何もしなかったけれど、本日こそはと、勢い込んでいる。ピアノに挑戦しようと思うのである。武骨だが愛もあり、哀歓も諧謔もあるようなセロニアス・モンクを師と仰ぎ、指は震えようとも一音入魂の心意気で精進しようではないか、と。
 マリが亡くなってからは、放ったらかしになっているピアノの覆いを退けてみると、部屋に埃が派手に舞い上がる。これはいかん、ということで、まずは掃除から始めることになる。彼女に勧められて、ピアノに触れたことも幾度かはあるけれど、その度に、すぐに挫折してしまった。というより、放棄したのである。なぜなら、私は自分が弾くよりは、マリの演奏を聴いていたかったから。私はブランデー・グラスを片手に、彼女がピアノを弾くのを眺めるのが好きだった。時々は鼻歌を交えたり、静かに唄ったりすることもあった。決して名人というわけではなかったし、レパートリーも限られていたし、ピアノは極当たり前のアップライトである。それでも、その部屋の中で過ごす私たちの時間は臆面もなく言うならば、なかなかに濃密で甘い時間だったのである。
 ざっと埃をはたき、掃除機をかけ、一段落したところで、鍵盤に押してみる。ド、レ、ミと弾いてみるが、曇っている上に、どこかでびりびりと共鳴するような音がする。おまけに音程も滅茶苦茶である。調律の人を呼んでどうにかしなければならなかろうけれども、以前お付き合いしていた方がまだご健在で仕事をしておられるかどうか、些か心許ない。
 孰れにせよ、今日のところは、この部屋を少しく掃除したことで満足して呑み始めることにしよう。マリの写真を前にして、今日は暫く振りにブランデーにいたそう。どこかにいただきものの、陶器に入ったカミュがしまい込んであるはずである。

投稿者 nasuhiko : 16:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月29日

iconライヴハウスでギグ04


 先日の興奮冷めやらず。何だか、自分まで若者の一員になったような、昂揚した気分のまま。勿論、実態はあちらこちらに相当にがたがきているポンコツ体、ポンコツ脳であるのだが、こういう時にはシナトラの「ヤング・アット・ハート」を想い起こせば良いのである。英語に堪能な訳ではないから、あやふやの手前勝手な解釈だが、歳を取ったとて構わぬではないか、気が若ければ良いことあるさ、というような歌詞だったような。そう言えば、そもそも「ヤング・アット・ハート」とは、例えば、日本語で言うところの「お年寄り」を柔らかく表現したものだったという話を誰かに聞いたような気がしてきた。記憶定かでないので、もしかすると、礼によって、妄想に過ぎないのかもしれないが。
 兎にも角にも、老人が若者に交じって若振った振舞いをしていると、ちょっと何よ、あのお爺さん、見てご覧なさい、いい歳して恥ずかしくないのかしら、いやねえ……というような、蔑視を浴びるのがこの国の常。正直に申せば、私だとて、古市がうら若い接客を旨とする呑み屋のお嬢さんと肩を組んで歩いている姿を見たりすると、同じように思ったものである。けれども、よくよく考えてみれば、それは当人たちの自由であろう。古市も呑み屋のお嬢さんも、双方が好んで……あるいは、双方の利害が一致して、というようなビジネスライクな視点の方が良いのかもしれないけれど……肩を組んで町を闊歩する。誰に恥じることもない。もっとも、いくら厚顔の古市だとて、己が上さんに遭遇したりすれば気まずいのかもしらん。ああ、今はそんなことはどうでもいい。

 私の如き老体であろうとも、心を若く持つことは決して悪いことではない。今は、真剣にそう思うのであります。老台も何か楽器の練習でも始めて見ようかと、思ったり、思わなかったり。まずは、この、ヤング・アット・ハート魂を記念して、澤乃井を一杯まいりましょう。美味いね、どうも。今日も幸せな一日だったな、と。

投稿者 nasuhiko : 18:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月28日

iconライヴハウスでギグ03


 昨日のギグというものに当たったとでもいうのだろうか。熱っぽく、躰はぐったりしていて、力が出ない。けれども、心は何だか浮き浮きしているのだから不思議なものである。例によって、最後の方はすっかり酒に飲まれて泥を踏む有り様でありったけれど、大いに楽しんだことだけは間違いない。私のような老爺に斯様な機会を与えてくれたこと、改めて、諸氏に感謝したい。ありがとう。

 上野や渋谷、新宿などのコンサート・ホールでの演奏会を見たことは幾度でもあるし、あまり芳しい思い出ではないが、日本武道館でのコンサートにも行ったことがある。しかし、ギグというやつは、そういうものとは全く違うものなのですな。もしかすると、昨日の所が特殊なのかもしれないけれど、入場料があるにせよ、兎にも角にもプロフェッショナルっぽくないと申すべきか。お客さんと演奏する人との間に境界が殆どないのである。ついでに言えば、お店の人々ともあまり境界が不分明でありましたな。バーボンが空になって、どうしたものかと、おどおどきょろきょろしていたら、「同じのでいいの?」と通りすがりの若い女性がぞんざいに尋ねるので、声が出ず、首肯するばかりであった私である。「あいよ」と言って、私の手からビニールのコップを奪い取り、件の女性はカウンターの近くに進み出で、「奥のおじいちゃんがおかわりだって」と怒鳴って、前の方に消えていった。御代りのバーボンは、バケツ・リレー式に手渡しで運ばれてきて、円嬢が受け取ると同時に代金の六百円を渡す。すると、また、そのお金が人の手を順繰りに渡り、カウンターへ。何ともおかしな光景であった。みなの動作、対応があまりに自然であったことを考えると、珍しく感じたのは私だけだったのかもしれないが。
 暫くして、最初の演目が始まったのであったが、先程の些か粗暴な口振りながら親切にバーボンを注文してくれた女性もその中にいた。店の人でも、客でもなく、出演者だったのである。高さ十五センチほどのステージとも呼び難い板の上にいるだけなのに、別の世界の住人であるかのように思える。そこにあっては、ぞんざいな彼女が甚く眩しかった。もっとも、彼女たちの演し物は笑い所のわからない、見ているこちらにとってはあまり居心地の良いものではなかったけれど。

宵に酔い よいよいの爺 良い夢を
  夜明かし過ごし 余韻嫋々

 つい先達て、駄洒落混じりの句は止します、と宣言したばかりであったが、考えてみれば、駄洒落だとて立派な日本語文化の一端を成すものである。誰に恥じることがあろうぞ……そう開き直る老いぼれである。

投稿者 nasuhiko : 20:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月27日

iconライヴハウスでギグ02


 本日は田村師匠の出演するライヴハウスのギグというものに行って参りました。不案内な私を慮っていただいたのでありましょう、夕刻、先日知己を得たばかりの円さんが迎えに来て下さいました。うら若い女性にお越しいただいたりすると、ばたばたと慌てふためいてしてしまいますな。失礼があってはならん、と過度に緊張してしまうのはなぜなのか。今更、体裁を云々する歳ではあるまいに。
 がたぴしゃがたぴしゃ締まりの悪い引き戸の玄関口でお待ちいただき、慌てて用意を済ませ、いざ出陣。件のライヴハウスはほんの数分のところにあるわけで、つまり、歩いている時間だって、ほんの数分のこと。当たり前だ。従って、歩きながら話す時間だって、ほんの数分、あるいは、数分以下に過ぎない。にもかかわらず、無限にも思えるほど長い時間に思えた。いや、それは流石に大袈裟にすぎますか。矢鱈に長く思えたのは、楽しくない時間だから、という意味ではありませんぞ、念の為。円嬢は満面の笑みで、しかも、私にも理解できそうな内容で、話しかけてくれたのであります。だのに、私はと言えば、あたふたへどもどして、むにゃむにゃもごもご口の中で呟くばかり、真っ当な返事ができなかったのであります。何故、そんなことになってしまったのか。ううむ。誰だって慣れないことをするとそんなものなのではないしょうか。もっとも、厚顔自慢の古市や喋り自慢の白島みたいな連中だったら、こんなことにはならないんだろうけれど。孰れにせよ、肝っ玉の小さい自分が情けない、とつくづく思わざるを得ませんな。
 それは扨置き、兎にも角にも、ライヴハウスに辿り着き、狭くて屈曲した階段をやっとこさっとこ降りて中に入りましたよ。中は、妙に暗くて、空気が濁っているような感じです。おまけに些か酸素が薄いのではないか、と。入ったばかりのところで、いきなり飲み物を選べと言われたので、バーボンを注文しました。円嬢が壁際にわずかに用意してある席を確保してくれて、漸く腰を落ち着け、一息。オン・ザ・ロックをちびりちびりと飲んでいるうちに、段々、調子が上がってきましたよ。これじゃまるでアル中みたいですな。まあ、概ね、アル中みたようなもんなんだが。
 辺りを見回すと、実は、それほど混んでいる訳ではありませんでした。開演前だからか、お客さんやお店の人ががあちらこちらとうろついていたりするもので、混雑しているような気がしただけのことであったのです。色々な人がいるけれど、皆さん、お若い。実のところ、暗くてよくわからないのだけれど、何となく、若い気配がする。あまりあからさまに他所様を睨め付けるわけにもいかないし、飲んでいるうちに、他人のことなどどうでもよくなってきて。
 最初に出てきたのは、劇団何とかに所属するという人々。詩を朗読したり、コントのようなことをしたりしている。正直に申せば、何が面白いんだか、わからない。周囲の反応も区々のようで、寧ろ、失笑が多いような気がする。二番目には、迷彩のズボンに黒いシャツという出で立ちの角刈りの青年が、ギターを抱えて登場し、風貌に似合わぬ小さい声で哀しげに唄っていた。ところどころ、胸の奥を擽られるような感じのところがある。
 三番目に出てきたのが、田村師匠の『プレス工場ガタンガタン』という変な名前のバンドみたようなものである。師匠は田村タムゾーという芸名のようだ。ノート型のコンピューターを操作すると、変な音響が流れ出し、それに合わせて、ギターを弾いたり呟いたり。途中からはコロリンさんという女性が出てきて唄ったり踊ったり。私の知識では何とも説明のしようがない、些か奇天烈な風味。然れども、私は大いに楽しんだのであります。カエサルの言葉を文字って言うならば、「来た、見た、飲んだ」てなものである。ああ、何とも楽しい宴でありました。ありがとう、タムゾーくん。ありがとう、円嬢。

投稿者 nasuhiko : 22:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月25日

iconデジタルカメラの01


 写真なんてものは、ちょいとしたスナップが撮れれば何でもいい。それ以上のものは、プロフェッショナルか、カメラが何よりの趣味という、裕福な、あるいは、機械好きな方々に任せておけばいい、そんな風に思っていたものですよ。そう言えば、高部なんぞは高校時分からラジオや写真機に凝ってましたなあ。彼の場合、凝っているだけでなく、趣味が嵩じて雑誌に原稿を書いたり、終いには、小さい会社を作って何だかんだやっておりました。学校に背広着て来てましたね。うちが貧乏で制服買う金がないから親父のお古を着てんだ、なんてことを言ってましたが、本当のところはどうだったのか。気取り屋だったからねえ。しかも、勉強している風でもないのにいつも一番取ってて、そのまま東大行っちまった。根っから頭が良かったんでしょうね。もっとも、その代わりってのも何だけれど、運動や腕っ節はからっきしでしたけれどね。返す返すも惜しい人物を亡くしました。

 文明の進歩というのは恐ろしいもので、素人でも気軽に、しかも、簡単に撮れるカメラが出てきたかと思えば、そうこうするうちに、使い捨てのカメラなんてものが出たてんで、随分、驚いたことを思い出します。写真機てえものは高級品だとばかり思っていたが、使い捨て、とはねえ、と。
 そうこうしているうちに、今じゃデジタルカメラ全盛の御時世と相成ったわけです。私の如き老耄は、しかも、写真なんぞに興味のなかった男ですから、デジタルカメラなんて言われても、彼岸のことでございましょう、てなもんでしかなかった。全然興味がありませんでした。ところが、この老耄日記ブログを始めるところから、世界が一変しました。我が家に白いコンピューターが来てねえ。へへ。木造の荒家に白い小粋なコンピューターですぞ。しかも、その前に坐っているのは、こんな干涸びた鰯のようなじじいなのであります。違和感を絵に描いたらこんな具合てなものです。猫に小判、豚に真珠、の体で、爺にマックってなもの。こいつが素晴らしい機械だったのですなあ。そして、素晴らしい機会でもあったわけです、と洒落にもならない洒落を言ってみたりして、今日は随分、躁の側に振れていますけれどね。まあ、これは、例によって、昼間から澤乃井をやっつけているからでして、ひとつ、まあ、あなた、そこのところは御免蒙ります。
 田村師匠に選んでいただいた、今や自慢の青いデジタルカメラで写真をどんどん撮って、どんどん撮って撮って、撮りまくりのこんこんちき。そして、コンピューターにコードを差し込めば、あとはあれこれ自動的にやってくれる。凄いね、どうも。大したもんだよ、世の中の進歩てえものは。いやいや、だが、そうは言っても、いくらマックが進化したところで、澤乃井には化けられめえ、てんだ。はは。

呑みぬれば 色に出でにけり 我が酔いは
  歩けますかと 人の問うまで

 どうにもばかだね、おれてえやつは。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月24日

iconライヴハウスでギグ01


 「今度、友達と一緒にギグをやるんですけれど、よかったら、いらっしゃいませんか」と田村師匠からお誘いを受けた。ギグという響きが何とも奇妙であったけれども、前後の脈略から小さなコンサートのことである由は知れたので、喜んでお受けした。以前に、師匠のノートを拝見したときに、不思議なメモがあれこれあったので、それ以来、この御仁の音楽活動には興味津々だったのである。「目蒲線の線路のリズム」「活字乱舞」などとメモ書きされている創作ノート。表紙には「プレス工場」とある。私にはてんで理解不能だが、理解不能なだけにそこにある何かに大きな期待を持ってしまうとでもいうような。
 しかし、私のような老いぼれが訪うては、場違いも甚だしく、周りの人々の感興を削ぐのではなかろうか、と、そればかりが心配である。その旨を率直にお尋ねしたところ、「いやいや、音楽を楽しむのに年齢なんて関係ありませんよ。ぜひ、お越しください。意外に楽しめるかもしれませんよ。すぐ近所ですから、散歩がてらにでもどうぞ」との言葉。
 考えてみれば、全く以てありがたい話である。『日和見』で知己を得たお若い人々と交わるようになってから、本当に、いろいろと見聞を広めさせて頂いている。正直に申して、七十を過ぎてから何かを習い覚えようなどとはちいとも思っていなかった。マリが亡くなり、古稀が近づいた辺りから、新しいものに対する興味を失った。いや、失ったというより、新しいものには目を瞑るようになった、というのが事実である。酒を呑み、家にあるレコードやCDを繰り返し聴き、書架で埃を被っている本を再読し、古い映画を観るともなく眺める。そのような暮らしを主としていた。あまりに人恋しくなると『日和見』や『福寿庵』に足を運ぶ、という具合。その他にも二週間に一度、若先生のところに伺い、薬を戴いてくる。ただそれだけ。今、顧みても、薄ら寒い思いのする、独居老人の孤独な日常である。
 それが、どうだろう。今では、一方通行の、無手勝流の悪口狼藉による老耄日記を以て世界と繋がったような気分でいる。若い衆と本やCDの貸し借りをし、共に杯を干す。スパイの目をした他所様の猫とは蒲鉾を分け合う仲。空には銀色の飛行船。死者の霊が訪い、一献を交わしたり。ああ、何とも賑やかな生活である。もっとも、就寝前の蒲団の中で、この全ては幻覚でしかないのではないか、と不安に駆られることがないわけではないけれど。

 兎にも角にも、私はライヴハウスで行われるギグなるものに伺う所存であります。

投稿者 nasuhiko : 15:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月22日

icon男の料理13


 昨日のは何がいけなかったのかがわかりましたぞ。胡瓜です。いや、そんなことは食してすぐにわかった。そういうことではない。胡瓜が瓜科の植物であるのに対して、意外や意外、ズッキーニてえやつは南瓜の一種だってえじゃありませんか。いやいや、人は見掛けに因らぬもの。お見逸れいたした。金輪際、「納豆と豆腐のチゲ」には胡瓜は入れませんよ。入れませんとも。
 復讐戦ということでもないが……そもそも、誰に復讐すればよいというのか……本日もまた挑戦する。昨日の過ちを糧にして、ズッキーニを買いに行った……りはしないのである。今回の工夫は若布である。これなら失敗のしようがあるまい。もっとも、昨日だって作り始めるときには同じことを呟いていたような気がするが……。
 チョ先生の本を見ずとも手順はすっかり頭の中にある。躰が覚えている、と言いたいところだが、正直なところ、まだそれほどではない。さて、出来栄えだが、どうだい、実に素晴らしい。今までのもの以上に美味いかもしれない。おまけに海藻の類は大変躰に良いとされている。もっとも、今更、健康に多少の気遣いをしたところでどうにかなるような状況ではない。此方人等、あっちゃこっちゃにがたが来ている、薬漬けのこんこんちきの老体で御座い。豊多摩郡に生まれ、もう直に豊多摩郡に死んでゆく身の上。好きなものを好きなだけ喰って、呑んで呑んで、呑んで呑んで、呑んで呑んで、楽しくいきましょうや。はは、暢気だね。さあ、今日も田苑をいただこうじゃありませんか。

風吹けど 寒さ知らざり 炬燵酒

投稿者 nasuhiko : 17:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月21日

icon男の料理12


 居住者同様に老化が激しい荒家ゆえ、あちらこちらから隙間風が入り込み、それを気にし始めると留処ない。肩口からすうすうと全身に寒気が走るようだ。こんな夜は、暖かいものを食べて、アルコールでエネルギーを補給して、とっとと寝てしまうに限る。
 あれこれ考えた末に、今日もまたチョ・カムヨン先生の「納豆と豆腐のチゲ」と参ります。毎日毎日喰っても飽きることのないほどのお気に入りとなっているけれど、そこに更に一工夫しようではないか、という豪儀。まあ、大した思いつきではないんですがね。ズッキーニの代わりに胡瓜を入れてみようという趣向。恐らく、ズッキーニてえものは西洋胡瓜みたようなものだろうから、うまくいかないわけがない。今や、手足れと言っても、強ち嘘とも言い切れない、という程度の腕前であると自負する奴吾。淀みなく作業は進み、あっという間に完成してしまった。ふふん。
 田苑をコップに注ぎ、コチュジャンを脇に用意して、早速、食しましたとも。これが、何というのか、ううむ、少々期待外れと言うべきなのか、あああ、言うべきなのであります。何だろうね。どうも薄ら水っぽいとでもいうのか、いや、参ったね。食感も落ち着かない。こんなことなら、却って胡瓜なんざ入れない方が良かった。決してまずいということではなく、寧ろ、美味い喰い物ではあるのだけれど、今まで食べていた胡瓜抜きのものの方がはるかに美味い。
 幸いにして、手元に昨日作ったコチュジャンがあるではないか。そうなのだ。コチュジャンがあるのである。早速、かなり多めに、そうさね、小匙山盛り一杯分ほども入れてみた。いやあ、美味い。急激に深みが出た。唸らざるを得ず。素晴らしい。飲み込んだ後に、口の中がひりひりするけれども、つらい辛さではなく、寧ろ、もう一口、もう一口、と病みつきなる類の辛さである。どっと汗が流れてきた。血行が良くなっている験だ。口の中が麻痺してきた感じがする。おお、それでも、箸は止められない。これが韓国料理の醍醐味ではないか。ううむ、嫌だね、とうとう目が回ってきたよ。
 それでは、みなさん、今宵は、こんなところでご機嫌よう、さようなら。

投稿者 nasuhiko : 21:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月20日

icon男の料理11


 田村師匠からいただいた、韓国の唐辛子ときび砂糖を使って、コチュジャンを作る。既に一度やったことがあるので、を眺めながらとはいえ、お茶の子さいさい、お手並みを御覧じろ、てなものである。主要な材料を放り込んでから、鍋を煮立て、掻き回し続けるのだが、驚いたことに、その際の香りが、前回とは全く異なるのである。ちゃんとした材料を用いればそれだけの効果があることは歴然。師匠への感謝の念を新たにする。それにしても、このきび砂糖というのは、黒砂糖とは違うのですかね。かなり似ているように思える。ぺろりと舐めてみても、黒砂糖とそっくりだ。黒砂糖をざっと精製したものなのかね。よくわからない。韓国唐辛子も舐めてみたが、こちらは辛さが少なく、前にみかけた甘口というやつなのかしらん。煮立て、掻き混ぜれば掻き混ぜるほどに、前にも増して、香ばしい、これだけで丼飯が喰えてしまいそうな、食欲を直截に刺激する匂い。
 出来上がったものは、以前とは比較にならない。やはり、きび砂糖というものを使用したのが大きいのだろう。大幅に甘味が増したし、何よりも、深みがある。辛さは控えめなので、微細な味わいがわかるようになったということもあるだろう。ぺろり、ぺろりと……これだけで立派なつまみになる。そうは言っても、それではあんまり。胡瓜をぶつ切りにして、出来立てほやほやのコチュジャンを塗って食す。美味いのお。ついでに、奴にもつけてみよう。こちらも美味い。素晴らしい。
 さて、腰を落ち着けますか。今宵は暫く振りに田苑といきましょう。ふふ、たまらんね。もう一杯、もう一杯と、重ねる杯。ああ、これは間違いなく一つの幸福の形である。

冬木に風 杯の月揺れる

投稿者 nasuhiko : 19:18 | コメント (0) | トラックバック

icon男の料理11


 田村師匠からいただいた、韓国の唐辛子ときび砂糖を使って、コチュジャンを作る。既に一度やったことがあるので、を眺めながらとはいえ、お茶の子さいさい、お手並みを御覧じろ、てなものである。主要な材料を放り込んでから、鍋を煮立て、掻き回し続けるのだが、驚いたことに、その際の香りが、前回とは全く異なるのである。ちゃんとした材料を用いればそれだけの効果があることは歴然。師匠への感謝の念を新たにする。それにしても、このきび砂糖というのは、黒砂糖とは違うのですかね。かなり似ているように思える。ぺろりと舐めてみても、黒砂糖とそっくりだ。黒砂糖をざっと精製したものなのかね。よくわからない。韓国唐辛子も舐めてみたが、こちらは辛さが少なく、前にみかけた甘口というやつなのかしらん。煮立て、掻き混ぜれば掻き混ぜるほどに、前にも増して、香ばしい、これだけで丼飯が喰えてしまいそうな、食欲を直截に刺激する匂い。
 出来上がったものは、以前とは比較にならない。やはり、きび砂糖というものを使用したのが大きいのだろう。大幅に甘味が増したし、何よりも、深みがある。辛さは控えめなので、微細な味わいがわかるようになったということもあるだろう。ぺろり、ぺろりと……これだけで立派なつまみになる。そうは言っても、それではあんまり。胡瓜をぶつ切りにして、出来立てほやほやのコチュジャンを塗って食す。美味いのお。ついでに、奴にもつけてみよう。こちらも美味い。素晴らしい。
 さて、腰を落ち着けますか。今宵は暫く振りに田苑といきましょう。ふふ、たまらんね。もう一杯、もう一杯と、重ねる杯。ああ、これは間違いなく一つの幸福の形である。

冬木に風 杯の月揺れる

投稿者 nasuhiko : 19:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月19日

icon町並


 居間の蛍光灯が切れてしまった。電球てえやつは何故こうも頻繁に切れてしまうのだろうか。電球会社はもっと耐久性のある製品を開発すべきであろう。しかしながら、耐久性の高い電球を売ったら、交換の需要は激減してしまう。それじゃ商売上がったりか。あれこれと技術の進んだこの世の中で、電球の切れる頻度は、寧ろ、昔よりも多くなったような気さえする。企業努力が足りないどころか、適当な期限が過ぎたら切れるような、時限爆弾的な電球を販売しているのではないか、と、勘繰りたくならなくもない。強ち冗談でもありませんぞ。
 近所の電気屋さんに電話して、交換に来てもらう。蛍光灯は一本切れると次々に切れるので、まだ点灯するものまでまとめて新しいものに替えてしまうようにしている。電気屋の長男坊……と言っても、彼もいつの間にやら五十ほどにはなろうとしているだろう……は丸いのを大小二本ずつ、長いのを八本、風呂場の特別長いのを一本、担いでやってきた。毎度のことなので、細かい説明などせずとも準備万端整えて御登場。ちゃっちゃか作業を始めた彼だが、突然、大きな声をあげる。「あれえ、マックじゃないですか。お、デジカメなんかもありますねえ。しばらく来ないうちに進んじゃったなあ。びっくりですよ」そんなことを宣ふておる。へへ、ちと鼻が高くなろうてえもの。
 気分が良いので調子に乗って、仕事が片付いたところで一杯勧めると、奴さんも嫌いな口じゃないから、ほいほい乗ってくる。杯を重ねるに連れて愚痴が増えてくるのは世の常か。「新宿辺りに量販店があれこれできてから、商品の売り上げは激減しましたよ。近頃じゃ、それに加えてインターネットですよ。ますます売り上げが落ちてまさぁ。このままじゃ、うちも長くはないね。嫌な世の中ですよ。草葉の陰で親父が泣きます。はは」などと自嘲的な科白が出てくる始末。
 振り返ってみると、この町の商店も随分と様変わりをしている。豆腐屋や蕎麦屋に和菓子屋、風呂屋や本屋にレコード屋、酒屋や自転車屋に煙草屋、と、消えてしまった店を数え上げれば限りがない。これが自由競争社会というものなのだろうとは思うけれど、寂しさを禁じ得ない。「ねえ」と声を掛けようと思ったところ、電気屋の長男坊は良い調子で既に鼾をかいている。

 雲の多い夜空を見上げる。あそこに見えるぼんやりした街灯が切れたときには、誰が交換しているのだろうね。

投稿者 nasuhiko : 19:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月05日

icon田村師匠と呑む


 ありがたいことに、田村師匠が年始にお見えになった。形ばかり屠蘇で乾杯して、早々に澤乃井に切り替える。
「今日は暖かいですから、少し、空を眺めながら呑みましょう」と仰る。なるほど、外に出てみたら、陽が当たる場所にいる限り、ぽかぽかとして恰も春の如き味わい。もっとも、見回せば葉を落とした枝々が冬であることを強く主張していはする。だから、空を見上げて、ということなのか。
「勘定してみると、私たちは半世紀ほども歳が離れているのですよね。なのに、こうして、冬の透き通った青空を見上げながら、酒を酌み交わしている。面白いことです」
 半世紀などと言われて、はっとしたけれど、なるほど、確かに、私たちの間にはそれほどの時が横たわっているのである。自分が年を取った、という実感はあるものの、どこか現実感が薄いのは、子や孫がいないからだ、と度々言われてきた。確かに、そうなのかもしれない。孫ほどの年頃の若者と連座して見上げる空から、何だか特別な感懐が降ってくるような気がした。
「そうですけれど、杯を交わすのに歳なんぞ関係ありませんぞ」「それはそうですね。法律のことを気にしなければ」とはははと笑う師匠。「もっとも、ぼくが言いたかったのは、歳が違っても一緒に酒を楽しむことができる、ということではなく、歳の差の分だけ異なる情報を交換すると面白いかなってことなんですよ。よその御宅に伺うと、どんな本やCDがあるのかなってことが気になりませんか。ぼくはすごく気になる。先日、こちらに伺ったときにも書棚を覗かせていただきましたが、面白そうだった。読んだことがあるもの、ないもの。書名も著者もまったく知らないものもある。一緒に呑んだり、コンピュータで遊んだりしていても、ぼくたちの間にはこんなに大きな差があるんだなって思ったんです」「それはそうですな。私なんぞは旧仮名で育ち、焼夷弾の雨をかいくぐって、どうにかこうにか今日に至るわけですから、そりゃ、違いますとも、違いますとも」少し酔いが回ってきた。
「本やCDの貸し借りをしましょうよ。ぼくは新しい友だちができるといつもそうするんです。そんなことから、何となく感覚的に繋がっていけるような気がするんですね。まあ、勝手な思い込みにすぎませんけれど」
 勿論、私としては、反対するどころか、大歓迎である。自分が知らない領域の書物や音楽に出合いたい、という気持ちは強いものの、いざ本屋に入ってみると、何を読んで良いのやら、眺めているうちに眩暈がしてくる始末。自分が時代から取り残されたような気分で店を後にするばかり。田村師匠の願ってもない申し出を得て、期待に薄っぺらな胸を大いに膨らませる、萎れたじじいである。今日も酒が美味い。

投稿者 nasuhiko : 17:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月04日

icon年賀メール


 年賀状が少ない、という呟きをここに記したら、驚くべきことに、奇特な方から年賀メールが届いた。「たまたま通りすがっただけのものですが」ということであったが、大変ありがたく思い、心の底よりに感動している。ありがとうございます。老耄の闇から綴る、この訳の判らない日記の存在意義が、この年賀メール一通によって、肯定的に認められたように、勝手に思い込むことにしよう。
 こんなものを誰が読むものか、と思い、その一方で、誰かに読んでもらいたい、とも思う。結局のところ、誰も読まなくても書くのだけれど、誰かが読んで何かを感じたりしてもらえれば、それはそれで嬉しい、というところだろうか。だが、批判のメールなど来たらどうだろう。やはり、気分が悪いだろう。けれども、実のところ、批判のメールほどありがたいものはないのではないか、とも思う。この歳にもなると、勝手な思い込みや覚え違いがあろうとも、誰にも正してもらえなくなる。いつの頃からかわからないけれど、間違いを直されなくなるのですな。あまりにも卑近で、どうでも良いことだけれど、最近のことでいえば、私はエリンギのことをエンギリと誤って覚えておりました。『日和見』で呑んでいた席で、話題が近所に新しくできたイタリアン・レストランのことになり、「近頃はエンギリなんて妙な茸もあらわれましたなあ。縁切りなんて縁起でもない」と言ったところ、みんなが顔をちょっと見合わせたので、何か妙だな、と気がついた。それまでは、「秋野菜とエリンギのパスタ」などというメニューを食しながら、これじゃまるで「飽きやすくて縁切りのパスタ」じゃありませんか、などと、馬鹿な駄洒落を独り言ち、苦笑いしたりしていたのである。冗談ではないところが、如何にも愚かな私である。
 翌日、スーパーで件の茸の名称が「エリンギ」であることを確認したときには、瞬間的にぽっと顔が熱くなる思い。このような些細なことでさえ、正してもらえないようになるのでありますぞ。私の言うこと、書くこと、何か間違ったところがござったら、是非是非是非是非、御教授いただくようお願い申し上げる次第。

春光よ 我が昏迷を 濯ぎ給え

投稿者 nasuhiko : 09:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月02日

icon賀状


 近年、めきめきめきめき届く賀状が減っている。こちらから元日に届くように出していたのを廃してから、それに呼応して先方から届くものも次第に減ってきた。当たり前だ。新年早々暗い話題のようだが、加えて、親類や知人に逝去する方々が一人二人、三人四人、数え上げれば胸が塞ぐが、もっともっと。つまり、減ることこそあれ、増えることはない。賀状を廃したといっても、届いたものにはこつこつと返事を書く。そんなわけで、辛うじて、繋がりが保たれている幾許かの人々が残るばかり。
 年賀状なんて制度は馬鹿馬鹿しいもの、止めるに限るよ、と、嘗てから思ってはいたものの、実際に踏み切ったのは仕事を辞めてからのことである。何だかんだいっても、社会というのは、賀状やお歳暮などといった、本質的な意味とは違ったところで続けられている儀礼的な仕組みに支えられている部分も多いのである。もっとも、本当に感謝の気持ちをもって、贈り物をする場合や新年を迎え寿ぐ気持ちを伝え合いたい、という場合だってなくはない。けれども、実際のところ、過半は形ばかりの儀礼的な意味合い以上のものではないだろう。社会の潤滑油というような言い廻しで説明する人がいるし、それが実態でもあろう。組織の一員として生きていくには潤滑油で関係を滑らかにすることも必要だ、ということだ。しかし、余生を静かにおくるばかりの、この老いぼれ、潤滑油など必要ないわい、と、そう思っていたのだが。
 兎にも角にも、賀状が減って減って減ってきた。昔は、賀状を書くだけで腱鞘炎になりかけ、それを回避できるのならば、と高級萬年筆を何本も何本も買ってみたりもしたものだ。ところが、今では僅か十数枚。うち数枚は保険会社や近所の酒屋からの、正に儀礼的に過ぎぬ素っ気ない印刷物。そんなわけで、のんびり返事を書いても、午後には終わってしまい、手持ち無沙汰なほどである。馬鹿馬鹿しいと言って廃したのに、こうなると、いやに寂しい気持ちになるのだから、愚人は困る。情けない話だなあ。

初春を寿ぐ賀状 痛し痒し

投稿者 nasuhiko : 08:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月01日

iconの計は


 一年の計は元旦にあり、という有名な警句だか諺だかがある。一理があるようなないような、微妙な感じではなかろうか。しかしながら、一年の初めに計画をきちんと立てることが悪いことであるわけではなかろう。実際、こういった句切れ目にでもなければ、長期的な展望をきちんと描くことなどないわけで、優れた助言と言って良いかもしれない。だが、これには、若い人たちにとって、という限定が必要だ。私を始めとする老人にとってみれば、一年という展望は些か長過ぎる。これが率直な意見である。平均寿命は延びているとはいえ、七十も超えて何年か経つ我が身、一日一日を恙なく送る、ということが、一番の目標なのである。もちろん、今年はこんなことをやってみよう、あんなこともいいな、などと思うこともあるけれど、それは全て、日々を恙なく送ってこそ、の話である。なのであるからして、敢えて考えるなら、今年の一年の計は、一日の計をきちんともって生きよう、ということになろう。そんなことを繰り返しているうちに、一年、二年、あわよくば、何年も日々を送っていければ良いではないか、と、そんな風に思う、元日、早朝。雪の照り返しが眩しい。

 昨年末に漢方薬局で飛び切りの屠蘇散をいただいたので、早速、一杯いただいている。この独特のとろりと甘い感じは、普段なら気に入らない部類のものだが、正月には一度は口にしたい味となる。不思議なものだ。父親と杯を合わせた、遠い記憶も重なってくる。下戸だった母も形だけは口をつけた。考えてみれば、家族揃って屠蘇を頂くのは、日本の家庭の最も幸せな光景の一つかもしれない。もっとも、独居では、私の言葉はあまりに虚しい、しかたないことではあるけれど。

父母の 想い出 肴に 屠蘇機嫌

投稿者 nasuhiko : 16:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月31日

icon暮れる


 うちの前だけ雪が残っているというのも世間の手前云々、などと思ったのが、間違いだった。竹箒でざざざざざざざざ雪を掃き散らしただけなのだが、腰は痛いし、咽も搦む。風邪の引き始めのような嫌な予感。こんな具合に、締まりのないまま、今年も暮れようとしている。
 家内が亡くなってからは、大掃除などしなくなってしまった。もっとも、していた頃だって、やいのやいの言われるから、仕方なしに手伝っていただけのことである。
 職があるわけではないので、仕事や年度の区切りなどというものもない。考えてみれば、特別な催しがあるわけではなし、年々、暮れや正月といったものの味が薄くなってきてる。年が明ければ、賀状の返事書きというものがあるけれど、それぐらいのものか。店を閉めているところが多かろうと、咽を干さぬことなきよう、食べ物の買い置きを多めにする、ということはある。万が一、訪問客がないとも断言はできないので、酒やつまみや茶菓子の類も少しは用意する。もっとも、稀に来る客は心得ていて、酒瓶をぶら下げて現れるものである。

 耄碌した頭で一年を振り返っても、何となくもこもこしていて、判然としない。齢を重ねて記憶や思考回路があやふやになることにもそれなりの意味があるのだ。つまり、思い出せない、という有り難き恩恵である。ろくなことなどあったはずがないのだから。酷い失敗をいっぱい仕出かしているに違いないのだから。毎年毎年、友人知人との別れがあるのだから。思い出せない、ということは、そういうありがたいものなのである。

 暮れはまだいいけれど、正月には寂しさが募るだろう。人付き合いは苦手な私だが、正月ばかりは誰か遊びに来ないかいな、などと思ったりもする。ああ、情けなや。結局、昼間から酒を呑むばかりと相成り、泥酔して日を過ごす。そういう今日も既に大分呑んでおります、あやふやな脳をアルコールに浸してますますあやふやにしながら。

友のなき 杯軽く 暮れ早し

投稿者 nasuhiko : 18:02 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月30日

icon下手の横好き

というほどの熱意はないのだけれど、将棋を眺めるのが好きである。やるのではなく見るのが好きなのだ。ルールを知らないわけではない。いやいや、勿論、知っておりますとも。小学生自分にはよく将棋をやったものである。中学に入ってから、ぱったり止してしまった。何か特別な原因があったのかどうか、思い出せない。
 テレビでの放送は気がつけば見るようにしている。NHK杯は決着が早いので大好きである。老人がぶつぶつと何事か呟きながら嬉々として眺めている様は、さぞかし異様に映ることだろう。しかも、私は限りなくど素人なのである。画面に向かって、「おおっ」「なんと」「ふうむ」「いやはや」などと独り言ちてはいるものの、全く勝手な解釈をしているだけで、実際の盤面上での趨勢や指し手の好悪には殆ど関係ない。解説者の説明を聞いて、なるほどなあ、と漠然とは思うのだけれど、その理解さえ合っているのかどうか心許ない。それでも御当人は楽しいのだから、将棋の魅力というのは不思議なものだ。いや、私の脳みそのぼけ具合が不思議なのだと言うべきかもしれないが。
 名人戦などのビッグ・タイトルも面白くなくもない。ただ、あまりに長期戦なので、見ていて疲れてしまうのである。二時間もすると、手持ち無沙汰に耐え切れず、呑み始めてしまう。で、結局、勝負が盛り上がる頃にはうとうとしてしまっている。馬鹿げた話である。
 そんなものよりも、面白いのは、将棋の日の催し、お遊び的な大会である。あれこれと手を変え品を変え、普通では有り得ないような場面もたくさん現出し、楽しませてくれる。しかし、それよりもさらに面白いのは小学生名人戦である。小学生と侮るなかれ、見かけと中味は大違い。彼らの指す将棋は子供の遊びなんぞではなく、未来の名人への一歩なのである。そうは言っても、小学生であるからして、喜びも悲しみも正直に表情に出るのが良いところ。親ばか気味な家族の声援もご愛嬌。
 記憶に明確に残っているのは、やはり羽生少年のことである。頭に赤いベレー帽か何かを被って、ちょいと傾いたような姿。今と変わらないと言えば変わらない。がっちりした森内少年と対照的だったから余計に印象深かったんだろう。羽生少年に次いではっきりと覚えているのは渡辺明少年である。小学生の時の同級生の誰かに似ているような気がする、些かぷっくりとした頬がとても愛らしかった。その渡辺明が早くも竜王という大きなタイトルを手中にした。奪った相手が小学生名人戦の先輩森内だったのも何かの縁かもしれない。渡辺明竜王を記念したものが何か売っていないかと将棋連盟のホームページを覗いたけれど、さすがにまだ用意されてはいないようである。あれこれ見回して、羽生先生の紺染の小振りの扇子を注文した。もう扇子の季節はとっくに終わってしまいましたけれどねえ。

投稿者 nasuhiko : 14:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月16日

icon夜に吹く風


 昨晩のわかめスープに気を良くして、本日も新作に挑戦しようと張り切っている。昼過ぎから、はらりはらりと『作ってみたい・韓国料理の本』を捲り、ついでに、田苑を一口二口、あらあらどうしたことか、三口四口、と。そんなことをしているうちに、結局、大幅に呑み過ごして、気がつくと眠ってしまっていて、深夜になった。

 窓を開けて、穏やかだが凍てつく風を浴びる。闇夜に吹く風は、庭の隅から、木の上から、厠の窓ガラスの隙間から、といった具合に、あちらこちらから、静かなさざめきを響かせる。酔いを醒ますに程好い冷たさだ。透き通って邪念がない。この瞬間だけは雑事を忘れ、風月を友とするような気持ちになる。

 田村師匠がこの老いぼれ用にデジタルカメラを買ってきてくれたことを思い出した。COOLPIX 5200という代物。今までは借り物で賄っていたのだったが、新品の自前のカメラとなって、少しく気分が違う。お借りしていた師匠のものと比べると、機能も格段に良いそうである。まだ、大して使っていないし、そもそも私の乏しい力量ではカメラの性能の良さをどこまで引き出せるのか、大きに不安ではある。しかしながら、師匠の言によれば、この手のデジタル製品群は新しいほど高機能であり、しかも、それなりにこなれていて、素人が使っても何とかなってしまうものなのだそうである。
 内容は兎も角も、まずは外観。この金属的な機械っぽさを残しながらも青いボディがいかしているではないか。手の中にすっぽりと収まる、この小洒落たデザインの一品、何だか活躍してくれそうな予感がしてくるというもの。

 今までは夜間の撮影に成功したことがない。今夜はどうだろうか。青いカメラの真価や如何に……と言っても、失敗したら、私のせいなんでしょうけれどもね。

 皆様にはこの写真から冬の夜の風のさざめきが感じ取れますでしょうか。

投稿者 nasuhiko : 08:20 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月14日

iconトラックバックって

 ブログというものを始めて暫く経つ。近頃では他人様のブログというものを読んでみるようになった。その他人様のブログと自分のブログを結びつけるのがトラックバックという仕組みなんだということは朧げにはわかっていたのだけれど、いざ、じゃあ、やってみるか、という段になると、わけがわからず、結局、腰砕けの軟弱じじいは尻を捲って逃げ出すばかり。情けない。
 しかし、昨日はいよいよトラックバックというものに挑戦してみたのであった。うまくいったのか、いかないのか、実のところ、よくわかっていないのだが、特にエラーだとか文句だとかがあらわれないというところから考えて、成功したのではないだろうかと思う。いやいや、そもそも挑戦することが大事なわけで、仮に失敗していたとしても、また挑戦すればいい。ふふふ、私もなかなかこなれてきたね。なんてね。

 ブログというものは、インターネット上での日記のようなものなのだ、というような説明がなされること屡々だが、実のところ、帳面に萬年筆で綴るものとは全く異質なものである。本来個性的な筆跡が整ってはいるが没個性的な活字で表示されたり、デジタルカメラで撮った写真をすぐさま載せたりできる、ということだけでも大きな違いである。まだ私は実現していないけれど、音楽を鳴らしたり、映画のようなものを見せることさえできる(はずである)。しかし、一番の相違点は、インターネットができる人なら誰でも読めるべく公開されている、というところであろう。紙の日記帖は誰にも読まれないという前提で書くものだけれど、ブログというのはそもそもが誰もが読み得るものなのである。というか、誰かに読んでもらいたい、という気持ちが幾許かはあるところから始まっているものであろう。現実問題として、私のブログを読んでいる人がいるのかどうかは不明だけれど。
 更なる違いは、トラックバックにある。トラックバックというものを利用すれば、自分の日記が他人様の日記と繋がってゆく。その他人様の日記がまたまた別の人の日記に繋がり、さらにその日記が……となっていけば、私の、この、今、現在殴り書いているものさえ、海の彼方の人々と(あるいは、隣近所の人々とだって)繋がってゆくということになるのか。そう考えると、楽しいような、無責任なことを書くのが憚れるようで心配になるような、何とも不思議な気分である。そんな不思議な気分に包まれたまま、今日もまた他人様の日記を覗くすけべじじいである。

投稿者 nasuhiko : 00:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月13日

iconアフィリエイトなるもの

「どうです、日記の具合は」
 昨晩の田村師匠である。
「なんだかんだ言って、少しずつ少しずつですが、慣れてきましてね。特に苦労するってこともありませんが、普通の帳面に綴った日記を翌日か翌々日か、あるいは、もっとあとになって、コンピュータに載せるわけで、多少、混乱することがありますな。話が前後したりしていないか、と気になったりもしますが、まあ、そう真剣に読んでいる人もおりますまいし、そもそも順序がとんちんかんであろうとも、誰かに迷惑をかけるわけでもないし」
「そりゃそうですね。ところで、ブログにも慣れてきたということですから、今度は、アフィリエイト・プログラムというものに取り組んでみては如何がですか。仕組みを話せば長くなりますが、要するに、茄子彦さんのホームページに広告を載せて、ささやかな広告収入を得る手蔓とするとでも言えばいいのですかね」
 何だか判然としない話である。顔にそう書いてあったのだろう。
「広告をつけて、金儲けをしよう、というような感覚ではないのです。インターネットの仕組みに……経済的な部分にってことですけれどね……より深く参加するというようなところでしょうか。それで、少しはお小遣いが手に入るかもしれない。もちろん、手に入らないかもしれないですけれどね。いずれにしても、自分もこのネットワーク社会の一部なんだなあ、と実感できるようになりますよ」とふふふと微笑む。
 結局のところ、判然としないままである。家に帰ってから、あれこれと検索していろいろなホームページを読んでみたら、何となくわかったような気がしてくるから不思議である。なかでも「アフィリエイトの始め方:アフィリエイト体験記」では私の如き入門者にもわかりやすく書かれている。先陣のご配慮、誠にあ有り難し。
 それにしても、グーグルというものは便利なものだなあ。

 兎にも角にも、師匠の技術的援助を仰ぎながら、アフィリエイトなるものに挑戦する、耄碌じじいここにあり。

投稿者 nasuhiko : 09:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月12日

icon603

 私の如きじじいともなれば、衣食にかかる費用など大したことはない。住に関しても、相続時に切り売りせざるを得なかったとはいえ親の土地を受け継いだものがあるので、贅沢をしようなどと思わなければ、さして費用がかかるわけではない。もちろん、仙人ではないのだから、霞を喰って生きるというわけにはいかないのは事実であるからして、当然、毎日毎日に幾許かの掛かりが入り用ではあるけれど。

 公僕という言葉は近頃では滅多に聞かれなくなったように思う。主に公務員をさすのだろうけれど、議員職なども公僕の一部であろう。そもそも議員というのは何かというと、国民の代表に過ぎぬ。忙しい人々の代わりに、じゃあ、私が喜んで働かせていただきましょう、というような、美しい心の持ち主がなるべきものなのである。そして、選ばれたからには、選んでくれた人々の意に背くことなく、国民の利益、国家の利益を損なうことなく、せっせせっせと働くべきものなのである。そうなのであるが、近頃は目茶苦茶な世の中になっていて、公の僕である議員どもが踏ん反り返って、自分の利益や勘違いを中心に国家を運営しようとしているばかりである。一体、この国はどうなっているのか。なぜ、人々は懲りずにあんな連中に投票してしまうのか。馬鹿である。

 私は妄想逞しいぼけぼけのほげほげのじじいであるが、小泉という奴は私以上に妄想に取り憑かれているようである。理解不能の言動を繰り返すばかり。日本という国の首相であるのに、他所の国(米国ですな)には媚び諂うくせに、自国民には厳しく手酷い仕打ち。痛みを伴う改革というけれど、痛みを味わうのは我々下々の者ばかり。公僕の皆々様には手厚い保護が付いて回る。年末のボーナスの額を新聞で読んで愕然とした。今回の小泉のボーナスで、私なら優に四年は暮らせますぜ、右や左の旦那様。国民の迷惑になるようなことばかりやっていてあれほどのボーナスを貰えるのなら、このじじいも国会議員なるものになればよかった。若い頃には、国会議員なんてぇものは、腹黒い欲ぼけした爺様たちがなる、恥ずかしむべき職業だとばかり思っていたもので、避けて通ってしまった。勿体ないことをした。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月27日

iconお絵描き(些かがっかり)

 若い頃には少しは絵筆を握ってみたこともある。水彩、油彩、スケッチに墨絵、あれこれとちょっかいを出してみて、自分では三流ながらもそれなりの絵心があるつもりであったのだけれど、些か自信喪失せざるを得ず。コンピュータに絵を描くのは実に難しい。師匠が用意してくれたペンタブレットというものを玩んで、かれこれ三時間ほどにもなろうか。始めは楽しかったけれど、描けども描けども、ちっとも上達しない自分自身に次第に腹が立ってきた。この未熟者めが。

 三時間で得られた成果はへなちょこな茄子の絵だけである。こんな児戯に等しい代物が何になろう、とうっちゃっておいたけれど、夕刻、師匠が再度訪れて、日記の背景に仕立て上げてくれた。こんな拙いものでも今までの無地の背景よりはましに思えるから不思議である。

 下手くそな絵しか描けぬ言い訳というか愚痴というのか、そんなものをぶちまけていると「最初からうまくはいかないものですよ。けれど、慣れれば、これはこれでなかなか便利なものです。紙と絵の具で描く絵とは別のものだと思ってください。別の道具なんです。一長一短、これにはこれの良さがありますから」そう言って、手品のように線のタッチを変えたり、色を変えたり、同じものをたくさん複製して整列させたり、変形させたり。ほほう、なるほど、なかなかこれはこれで面白いものかもしれない。筆とカンバスを模したつもりで振る舞っていたけれど、そういうものではないのであろう。形状はペンを模していても、機能は全く別のものである。新しい道具として扱えば何か面白いことができそうな気さえしてきた。師匠の手管にすっかり嵌められてしまったようである。もう少し、このペンタブレットと付き合ってみようかと思う……けれども、今日のところはもううんざり。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月26日

icon鞄の中味、頭の中味

 このコンピュータで、私のような耄碌爺に日記を書く他に何ができましょうか。田村師匠が来訪した折、そんなことを尋ねる。
「欲が出てきましたか。そりゃ結構なことです。今どきのコンピュータは家庭用のものでも随分といろいろなことができるものですよ。実際、私は音楽も映像も作っていますし」
 私は、ですな、インターネットの日記にですね、写真を物したいのでありますよ。文字だけってのも、何だか物足りない。というのも、まあ、そりゃ、私の文章が稚拙だから文字だけでは楽しめるようなものを書けないだけなんでしょうけれどね。
「写真ですか、そりゃよござんすね。近頃はなかなか気の利いたデジタル・カメラがありますから、何か一つ見繕っておきましょう。デジカメてぇものは銀塩のカメラなんぞより気楽なものです。すぐにお使いになれましょう」いつものように、清かに響く師匠の声音。ついでに、コンピュータに絵を描く道具も揃えていただけると幸いである旨、申し添える。
「お安いご用ですとも。二、三日いただけますか」

 姿形もなかなかにうるわしいこの青年、普段は何をやっているものやらよくわからないけれど、青魚をつまみながら杯を傾ける姿など、何やら、時代劇に登場する、涼し気な若侍を彷彿とさせるところがなくもない。もっとも、足元の鞄にはコンピュータや携帯電話、音楽をどうにかする小さな機械などなどと、時代劇というよりは近未来、まさにデジタル社会の申し子である彼である。
「鞄の中味は電化一辺倒ですか」と尋ねると「いやいやそんなことはありませんよ」と中からあれこれ取り出して見せる。なるほど、手帖が数冊、本が数冊、二本差しのペンケースには銀色の萬年筆と鉛筆。「アイディアは手書きでメモするのです」と手帖の一つを見せてくれる。表紙には『プレス工場』と丁寧な装飾性の強いレタリングで記されている。ぱらぱらと繰ってみる。小鳥の絵が描かれていて、その横に「コゲラが木をつつく」いう文字が書かれている。「目蒲線の線路のリズム」「雨の日に君の家の前の歩道橋の上でレコーディングします」「活字乱舞」などなど、判然としないメモが並ぶ。絵のような記号のようなものもたくさん描かれている。それらは一体何を意味するのだろう。狐に撮まれたような、顔をしていたのだろうか。「鞄の中味は見られても頭の中味は見られませんものね」ふふふと微笑む。

 田村師匠という人が何を考える何者なのか、ますますわからなくなりました。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月25日

icon風邪の余波(あるいは、藝術家宣言)

 どうにかこうにか、日常らしい日常に戻りつつある。これほど難儀するとは、今年の風邪がそれほど強力なのか、それとも、寄る年波に起因するものなのだろうか。考えてみれば、たかが風邪といえども、年々治りが悪くなってきているのは事実である。風邪だけではない。ちょっとした擦り傷程度の代物でさえ、化膿して、いつまでもぐじゅぐじゅしていて、治りそうでいて治らないというような状態が延々と続いたりするのである。これが老いというものなのか、と、そう考える弱気が既にして老いの始まりであろう……と、治りの悪さでうじうじしょぼしょぼしている。そんな話を書こうとしたのではない。

 高熱で魘されながら見たあの色鮮やかで高速の幻覚が、もし、私の脳内の未知の部分から発生したものであるのなら、まだまだ私の中には何か不可思議なものを生み出す力、領域が残っているに違いない。そう強く確信するものである。脳内秘境を探索し、自分でもよくわからない自分と対峙し、そこから何かを引き出そうと思う。そこでは魂消るような美が発見できるのではないか、と。妄想と笑わば笑え。兎にも角にも、私、惚山茄子彦は、残余の、決して長くはないであろう人生を美の捜索(創作)活動に捧げようと思うに至った次第。

 私のような無粋な老いぼれでも、若かりし日々、藝術家への道を歩もうと思ったことがなかったわけではない。貧乏だった学生時代のその貧しさを詩に読み上げ、情けなかった恋愛生活のその情けなさを小説に物し、暗澹たる未来の暗澹を画布に叩きつけ……結局のところ、何もかもにうんざりして、我が才能に見切りをつけたような……腹に溜まらぬ藝術よりも実を取ったというべきか……所詮は負け犬の遠吠えに過ぎぬのだが……孰れにせよ、青年惚山は藝術を断念し、今日の老いぼれに至るのである。藝術に老いも若きもあるはずがない。私は本日から自称藝術家として生き、自称藝術家として死んでゆく所存である。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月24日

iconみなさまは覚えておられますか

 老いては子に従え、というのは竜樹の言葉だったろうか。これは、なかなかに見事な、ある意味での真実である。老人の智慧や感覚だって大きに役立つこともあろうけれど、飽くまでも、脇役であるべきであろう。世界を、老人を中心に回すようになってはいけない。青壮年世代が、よちよち歩きの次世代、あるいは、未だ生まれてもいない次の次の世代のために齷齪するのが正しい。

 日本の政治家は老いぼれた狸爺ばかり、こいつらを一掃して、若い者たちに任せなければ、この国に未来はない、と思っていたものである、ついこの間までは。
 実際、古狸どもが姿を消し、小泉純一郎が親玉になったときには、今までよりは少しはましになるだろう、という期待をほんの少しは持ったものである。けれども、今日の有り様を見る限り、この船頭は酷い。あまりに酷い。彼奴の行動は私のようなじじいの目には途轍もなく奇異に映り、どうにもこうにも理解不能である。何故、ブッシュの手下となるのか。何故、国民の意見に耳を傾けようとはせずにブッシュの小手先として嬉々としてイラクに派兵するのか。しかも、マスコミの手緩いこと手緩いこと手緩いこと。最早彼らは批評性の断片すら持ち合わせていないようである。標準語も満足に話せぬくせしてタレント気取りでちゃらちゃらしているアナウンサーどもがその代表か。胸糞悪い。

 平和ぼけという言葉が適切なのか。兎にも角にも、この世の中から戦争の恐怖、悪夢という類の記憶を持った人間がどんどんどんどん減少していっている。日本というのは、戦争という項目に関しては、善きにつけ悪しきにつけおっかなびっくりでしかモノの言えない国家だったのだ。それが、どうだ。近頃じゃ、軍事関連の法案なんぞも有耶無耶の裡にゴーである。

 ここは一つ、老いては子に従え、などと引っ込まずに、私らのような戦争を味わった古狸世代が、そんなことで良いのか、ばか息子、ばか娘どもよ、と声を大にして訴えなくてはいけない。そんな気のする今日この頃。

 みなさまは覚えておられますか、この間の戦争を。頭の上を焼夷弾がびゅびゅーっと飛んで、この辺りだって、すっかり焼け野原になっちまった戦争を。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月18日

iconたびだちへのたびだち

 七転び八起きなんてことを言うけれど、まあ、転んだって転んだって起ち上がれば良いってことでしょうか。実際、コンピュータ自体はいとも容易く立ち直りました。しかしながら、私の方は、そう単純でもない。それが人間ってものでしょう。師匠のあの含み笑いの如きものが眼前から消えない。当分は消えそうにない。一杯二杯ひっかけて良い調子になっていても、ふと思い出したりすると、もういけない。酔いのせいでなく、羞恥心から顔が火照って赤くなるのがわかる。私は何故斯様に見栄っ張りのじじいなのであるか。嫌になります。
 そうは言いながらも、師匠の教え方がうまいのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、少しずつ進歩しているのも事実である。インターネットを閲覧することとメールを読み書きすることをマスターするのにそう時間はかからなかった(と思う)。文字を打つ速度もちょっとずつはましになってきている。著しく肩が凝り、目がしょぼしょぼするという点を除けば、コンピュータもなかなかに楽しいものである。そんな気さえする今日この頃。
 近頃は、前の晩に日記帖に書きつけたものをコンピュータで打つという練習をしている。いずれ、遠からぬ日にインターネットに日記を公開する日がやって来るであろう。そして、旧友たちや見知らぬ人々がそれを読むのだろう。それが本当に嬉しいこと、楽しいこと、喜ばしいことなのか否かという疑問を心中から拭い去りえないものの、今日も着々と日記をコンピュータに写す私である。
 コンピュータでは活字の文字になるのが悪筆の私にとっては良いところではある。けれども、このように何でも彼でも活字になってしまうと、判読し難い私の文字でさえ、下手は下手なりに味わい深いものなのだなと気づかされもする。

 ふと思ったのだが、七回しか転ばないのに八回起ち上がることができるものだろうか。どうでもいいことだが、どうも腑に落ちない。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月17日

iconふなでのじごしょり2

 うじうじいじいじと情けなさばかりを抱え込んだ日々の四日目、師匠様御来訪。あれこれと話を逸らすが、結局、白状せざるを得ず。何だかんだ言ったところで、『日和見』に通えないのは、かなりの心痛の種であったのである。良いではないか、私がすけべなじじいだと発覚したとて。良いではないか、私が、愚かですけべで、そのくせ、見栄っ張りで、なかなか泣き言を言い出せずにうじうじ悶々としているばかりのじじいだと発覚したとて。
 びくともしないコンピュータの画面を眺めて、田村師匠がにやり。拙者、万々承知之助、みなまで申すな、御同輩。そんな口元。穴があったら入りたい。正にそのような心境である。
 師匠がどの程度の達人なのか、あるいは、達人ではないのか、わからぬけれど、ものの五分ほどで我がコンピュータはHALの如き狂気の淵から常軌の世界に何事もなかったかのように舞い戻ったのであった。
 インターネットを始めれば、誰もが通る道ですから、とにこりと微笑み、何事もなかったように振る舞う姿。忝ない。師匠、恩に着ますぞ。

 その夜、私はまたインターネットの海を少しく航海してみたけれど、お下劣なものに出会すと、すぐさま舵を切り、波穏やかな方へ方へと進んでいった。こんな安全運転の旅路を選んで男としてそれで良いのか、と思わなくもないけれど、今はまだ未熟者である。いずれ、一人前の船乗りとなった暁にはまた危険な海域を踏み分けてみることにしよう。それまでは、さらばじゃ、お下劣なホームページどもよ。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月16日

iconふなでのじごしょり

 情けない。しかし、自力ではどうすることもできない。どうにもできない以上、インターネットの日記という計画をここで諦めてしまおうかと思う。そうするとなると、もう『日和見』に顔は出せなくなるのだなあ。それぐらいどうってことはない。そう思いながら、三日ほど過ごした。他にも呑み屋なんぞ、いくらでもあるわけで、こんな機会にと、二、三の見知らぬ暖簾をくぐってみたが、何となく居心地が宜しくない。店の人たちはそれなりの礼節をもって歓待してくれているのだが、何かが違う。余所者の気分なのである。事実、余所者なのだな、一見の客なぞは。
 考えてみれば、どの店だって、はじめは一見からつきあいが始まるもの。駅からの道すがらふらりとはじめて『日和見』に足を踏み入れたときには、やはり、私は一見の余所者の気分でいたのだったろう。その気分を忘れてしまっただけだ。
 こんなじじいになってしまうと、新しい店に入って、じわじわと馴染みになっていくという作業はなかなかに苦痛なのである。おかしいか。笑え。いくら笑われようとも、こんなことが苦痛である事実に変わりはないのだし。

 家には私以外に誰もいない。もう五年になる。そんなことは大したことではない。ビデオで映画を観て、本を読んで、今晩は清酒を少しだけ呑む。『タイム・アウト』を引っ張り出してくる。「Take Five」、これはブルースだったのだなあ。女々しい気分にはぴったりである。あまりにぴったりにすぎる。夜は長い。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月15日

iconふなで

 まず、学習したのはホームページをあれこれと見て回ることであった。そこにあるのは、私の想像だにしなかった光景である。善悪新旧入り乱れ、言葉も写真も映像も音楽も入り乱れ、私もあなたも入り乱れ。宇宙の創世時の混乱は斯くあらんか、というようなカオス。少なくとも、私の目にはそのように映じたのでありました。
 手取り足取り……本当に足を取られるわけではないですけどね……師匠に操られ、この文章をご覧なさい、こうすれば音楽が聴けますよ、などなどと、インターネットを探検した。楽しかった。楽しかったよ。

 夜、一人きりになって、またインターネットをやってみた。あれこれとクリックして回るうちに、とんでもない、お下劣なところに辿り着いてしまった。目を覆いたくなるような、と、そんな形容が相応しいのだろうけれど、実のところ、私は目を覆うどころか、目を皿のようにして文章を読み、写真を眺めたのであります。お恥ずかしい限り。七十を過ぎてなお斯様なものに惑わされるじじいであります。誠にお恥ずかしい限りであります。
 そんなさもしい根性が発露したからだろうか、突然、我がコンピュータは発狂してしまった。機械が発狂というのもおかしな話だが、ウィンドウが次々に開き、私が急いでクリックして、閉じようとしても、開いていくものの方がはるかに多いのである。画面を覆い尽くす、お下劣画像を満載したウィンドウ群。自らの邪悪な魂を眼前に突き付けられた思いであった。呆然としているうちに、コンピュータはうんともすんとも言わなくなり、私はもはや何を為すこともできなかった。
 のちに、このような状態をフリーズと呼ぶことを知った。言い得て妙。正しく、その夜は心の凍りついた夜であった。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月14日

iconかけだし

 用意してもらったコンピュータの使い方を教わる。想像していたほどには煩雑ではない。そんな感想を漏らしたところ、田村くん曰く「一見、なんてこてとないように見えるのがマックの良いところなんです。目に見えないところで機械が頑張ってくれているからこそ、人間が楽をできるわけですね。これこそが本来のコンピュータの役目ですから」
 しかし、彼の説明に即座に首肯できるほど、私は楽をできているとは思えない。兎にも角にも、師匠の言葉をきちんきちんとノートに書き留めてゆく。

一、スイッチを押す。パーンという音がするので、そのまま暫く待つ。
二、画面に猫が出てきたら、操作を始めても良い。
三、画面の下の切手のマークを押すとメールのソフトが出てくる。
四、画面の下の羅針盤のマークを押すとインターネットのソフトが出てくる。

 これがノートの書き出しである。今ではこれぐらいのことに困ることはない。コンピュータとかインターネットという言葉には、何とはなしに高圧的な響きがあり、駆け出し時代の私は、ひとつひとつの操作に随分びくびくしたものであった。機械嫌いの、相当に時代遅れのじじいなのだから、仕方がないことではある。

 お若いので田村くんと気軽に声をかけてきていたが、今後は田村師匠と呼ばせていただこう。この歳になって、また新しい師匠を持てるとは幸甚の至り。これも、私の日頃の行いが良いおかげだろうか。ばかも休み休み言い給え。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月13日

iconさてさて

 コンピュータのことなぞ何もわからぬ。インターネットのことも何もわからぬ。けれども、同窓会での白島のばか笑いのおかげで、私の、じじいならではの負けん気とも言えるようなものに、しょぼくれた灯がともったようである。

「この間のね、あれだね、インターネットの日記というものをやってみようかな、という気になってきましたよ」と報告すると「それはよござんしたね」と、お酌する手も軽やかに相槌を打つおかみ。「ほら、ぼけの防止にもなりますから」
 こういうことを言って、人のやる気に水を差す。これだから、女てえものは嫌なんですよ。「ぼくはぼけなんか気にしていませんよ。寧ろ、早くやってきてもらいたいと思っているぐらいです」「あらあら、そんな、へそをお曲げにならずに、もう一杯」

「まずはコンピュータを買ったりせねばなりませんね。それから、何だかんだと設定も必要です。日記を書くには日記帳もいりますよ」田村くんである。「何しろ、ぼくは何もわからんのです。どうしたらよいのだろう」「そのあたりのことはぼくに任せてください。手慣れたものですから」「では、申し訳ないけれど、君も人を焚き付けた一人なんだから、よろしくお願いします」

 そんな具合で、雑事を田村くんにあずけてしまったら、すっかり気が楽になる。秋の夜、日本酒が清らかに五臓に染み渡り。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月12日

iconどうそうのともがら

 齢七十を過ぎて、同窓の輩も一人減り二人減り。我が国の人口過剰問題を少しずつ緩和するに努めている。あとは静かな余生を送ることができればいい。家内を失ってからは、そう思って生きている(つもり)。しかし、実のところ、同輩の連中には、未だにあれこれと盛んなものも少なくない。

 古市が四十も歳の離れた女性と再婚したのには、心底吃驚したものだ。あれは一昨年のこと。長年の夢だったとかで、夫婦揃ってハーレー・ダビッドソンという大きな大きなオートバイを購入した木澤くんにも少なからず驚かされた。私が、もうあとはね、静かな余生をね、などと口にすると、よせやい、と誰も取り合ってくれやしない。これが七十を数年越したじじいどもの同窓会の席上での話なのである。
 インターネットに日記を書くことにしたんだということを話そうかとも思ったけれど、やいのやいのと茶々を入れられたり、よくも俺のことを悪く書きやがったな、あるいは、なぜ俺のことを書かんのだ、などと反応されても困るだろう。連中には秘密にしておこう。
 時に、君らはコンピュータなんぞはやるのかね、と尋ねたところ。おいおい、今どき、コンピュータの一つや二つやらないやつがいるものかね、と失笑を買う始末。茄子彦もコンピュータを始めるのか。そうか。わからんことがあったら、何でも尋ねてくれ。がはがはがは。白島タケルのばか笑いの図。白島のやつ、善くも悪くも、相も変わらずである。

 インターネット日記に向けて、些か前向きになってきた気がするのはなぜだろう。白島タケルのばか笑いのおかげかもしれないね。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月11日

iconはじまりはじまり

「おやんなさいな。ぼけの防止にもなるわよ」と宣うおかみ。
 ぼけの防止などという言葉に釣られ、そうか、それは悪くないなあ、と思ってしまった我が身が何とも情けない。
 この齢になれば、老化を意識しないわけにはいかない。正直な話、あちらこちらががたぴしがたぴしぎくしゃくしゃくしゃくしているのである。しかしながら、昨日までは、ぼけも人生の勲章のうち、と胸を張っていた我輩ではなかっただろうか。人としてこの世に生を受けたなら、その締め括りとして老いもどっぷりと味わいたいものよ、と嘯いてた私ではなかっただろうか。

「そんなものを書いたってね、誰が読むと言うんです」そう問い返したところ、「茄子彦先生、誰か読まなきゃ日記はお書きになりませんか。そもそも日記というものは読み手を求めるものでありましょうか」と、田村くんに切り返された。お若いけれど、いつもしっかりとした口調、論旨で物申す人である。
「読み手を求めないのであれば、インターネットというところに日記なんぞ書いたってしょうがなくはありますまいか」さらに問う私に向かって、「何事も経験ですよ」うふふとおかみが笑う。この齢になって、今更、年増のうふふにぐらりときたりはしないけれど、盃を重ねるうちに、結局のところ、インターネットに日記のようなものを書く約束をしてしまっていた。秋は深まれり。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック