2005年05月24日

iconこどものための小曲集


 田村師匠にお薦め戴いたカバレフスキー。「こどものためのピアノ小曲集」だなんて、「こども」用で、かつ、「小」曲集という、些か態とらしい日本語名がついておるのですよ。何だか、一人前の大人が手を付けるのはちょいと躊躇われるようなタイトルじゃありませんかね。尤も、私は一人前の大人どころか半人前以下の、言ってみれば、精々が四割人前ぐらいの者であるし、人間は歳を取ると、最後には赤ん坊に戻るてえことをよく言いましょう。私なんぞも七十を過ぎて、大分子供に戻っておるのだからして、これ位で十分。いや、十分なんて物謂いでは失礼に当たる。寧ろ、これでも難し過ぎるぐらいなのであります。
 付録のCDを繰り返し聴きながら、楽譜を眺める。どれにしようかねえ。シャープとかフラットがあれこれ付いているのは厭ですな。まあ、暗記しちまえば同じことなのだろうけれど、どうもね、苦手である。それに、老い耄れていますからね、速いのは困る。尤も、CDと同じように速く必要はないのだろうけれど、出来れば、端からのろいものにしておいた方が無難でありましょう。勿論、曲として、気に入るものじゃないといけないしね。選曲作業も意外に難しいものである。
 ああでもない、こうでもない、とCDを何周か聴いてみて、決めましたよ、この「小さい歌」というやつに。「こども」のためのピアノ「小」曲集の中の「小さい」歌、てんだから、この、往って還って、生まれる前の空っぽに戻る直前の、赤ん坊みたようなじじいには丁度良い。シャープも一つしかないし、ゆったりしているし、静かで物悲しい響きが何とも言えず美しい。良い曲ではないか。
 今日は選曲したというところまでで、一区切りとして、一杯いきますか。いきますかって言ったって、相手がいるわけじゃないけれどね。独り言である。厭だね、じじいの独り言なんざ。まあ、しかし、そうやって、あれこれの行動に言葉で弾みを付けながらやっていかないと、一人限りの家の中は静か過ぎて嫌なものなのである。歳を取って、独りぼっちで暮らし始めれば、まあ、誰だってそうなのではないか。それにしても、何だってまた、こんな辛気臭い話になっちまったんだろう。ああ、厭だ、厭だ。厭だねえ。

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2005年03月16日

iconじいさん先生の言葉


 新しいことはどんどん忘れる。しかも、何とも恐ろしいほどの勢いで忘れるのである。鶏は三歩あゆむ間に何でも忘れてしまう、というようなことをどこかで読んだか聞いたかした覚えがあるけれど、私ぐらい老い耄れてくると、頻々として、鶏と似たような症状を呈するもの。何かを取りに席を立つ。三歩進むうちに、はて、私は何故立ち上がっているのであるか、とぼんやり立ち止まる。少々考えたところで何を思い出せるわけではないので、しょうがないから、元居た場所に戻って腰掛ける。すると、ああ、あれだ、あれ、あれ、あれを取りに行こうと思ったのであった……などと、目的は思い出すのだけれど、その目的物の名称が思い出せずに、あれだ、あれだ、と独り言つ。立ち上がって歩き出すものの、思い出せないのが妙に悔しく気掛かりで、立ち止まって思い出そうとするのだが、少々考えたところで何を思い出せるわけではない。何を馬鹿みたいに突っ立っておるのだ、これだから老い耄れは厭だね、などと呟き、元居た処に戻って腰を下ろす。さて、私は何故立ち上がったのであったろうか。そして、私は何故座ったのだったろうか。何故、何故、何故……。
 こんな態とらしい喜劇のようなことを日常的に繰り返しておるのである。お笑いになられるか。殊に、お若い人なれば、そんな有り様を眺めて、あはははははは、じいさん、しっかりしろよ、と大笑なさるかもしれない。けれども、明日は我が身という言葉もありますぞ。まあ、悔し紛れにこんなことを書いているけれど、もしかすると、年寄り全般ではなく、私だけが格別に記憶の低下が著しいのではないか、と、ちと不安になることもある。尤も、仮にそうだったとしても、今更、気に病んだところでどうにもなるものではないのだが。
 片っ端から新しいことを忘れていく一方で、古いことは思ったほど忘れないのが、脳みそてえものの不思議なところ。しかしながら、古い記憶というやつは、鮮明に覚えているつもりでも、細部は自分の都合の良いように曲げていたりするから質が悪い。そうでもしないと、やっていけないのであります。厭なことはどんどん忘れ、好ましからざるものは手前勝手に捩じくり回して心地よい思い出にしてしまう。そうじゃなきゃやっていられないのですよ。厭なこと、不快なことを鮮明に記憶し、心の中に蓄積していたら、どうなってしまうだろう。考えるだに、恐ろしい。人の心なんざそれほど丈夫じゃないですからね、程好く惚けてきて、忘れたり取り違えたりするお蔭で、何とかやっていけるてえものでしょう。

 ところで、私は、じいさん先生のどんな言葉を思い出したのだったでしょうな。回り道をし過ぎて、書こうと思っていた内容がすっかりまた記憶の闇に舞い戻ってしまった。情けない。いやいや、これで良いのである。

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2005年02月01日

iconライヴハウスでギグ06


 家内の遺した住所録を引っ繰り返して、どうにか調律師さんの連絡先をみつけた。最後に調律していただいてから、少なくとも、六、七年は経ってしまっているだろう。下手をすれば十年以上になるやもしれない。御健在であることを祈りつつ、電話差し上げると、御当人が出られた。苗字と所番地を伝えると、ああ、フランスの方ですね、即答なされた。家内のことを覚えていてくれたようである。こんなところにも、亡くなったマリの思い出が息づいているかと思うと、誰にともなく感謝したい気持ちになる。私自身も数回はお目にかかっているはずなのだが、申し訳ないことに、声を聞いてもちっとも尊顔が浮かんでこない。「亡くなられたのですか、それは大変残念なことをなさいました。心からお悔やみ申し上げます」と丁寧な御挨拶をいただき、何だか、暫く振りにマリの葬儀の後のあの空っぽな気分が蘇りそうになる。いけない、いけない。塞ぎの虫を追い払い、おんぼろピアノの調律をお願いしたい旨を伝えたが、既に引退なさっているという。それで、後輩に当たる人物を紹介していただいた。これで目処は立ったのだが、何だか、急に滅入ってきてしまった。

 夕刻から、ピアノの部屋に籠もって、カミュをゆっくりと飲む。蓋を開けて、当てずっぽうに鍵盤を叩いてみると、ビョロン、ボロン、プオロン、と減り張りのない薄曇りの響き。幼児向けの玩具のピアノのような、その音程の調子っ外れが、妙に胸に沁む。人工のものではない不正確さ、乱雑さが、孤独な夜に屋根を打つ雨音と同じように、私の心の中の哀しい気持ちをかき立てるようである。調律の為されていないピアノには、それはそれで他の何ものとも比較しようのない、独特の力が潜んでいるのだなあ、と変なことに感心する。もっとも、それは私の妄想の鐘を叩くばかりで、一般の人々の心を打つものではないのかもしれないけれど。

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2005年01月30日

iconライヴハウスでギグ05


 ギグに当てられた知恵熱みたようなものは未だ冷めやらず。私は、めでたく、本日もヤング・アット・ハートなのであります。昨日は……いや、昨日も……呑み過ごしてしまい、口先ばかり威勢の良さで、結局は何もしなかったけれど、本日こそはと、勢い込んでいる。ピアノに挑戦しようと思うのである。武骨だが愛もあり、哀歓も諧謔もあるようなセロニアス・モンクを師と仰ぎ、指は震えようとも一音入魂の心意気で精進しようではないか、と。
 マリが亡くなってからは、放ったらかしになっているピアノの覆いを退けてみると、部屋に埃が派手に舞い上がる。これはいかん、ということで、まずは掃除から始めることになる。彼女に勧められて、ピアノに触れたことも幾度かはあるけれど、その度に、すぐに挫折してしまった。というより、放棄したのである。なぜなら、私は自分が弾くよりは、マリの演奏を聴いていたかったから。私はブランデー・グラスを片手に、彼女がピアノを弾くのを眺めるのが好きだった。時々は鼻歌を交えたり、静かに唄ったりすることもあった。決して名人というわけではなかったし、レパートリーも限られていたし、ピアノは極当たり前のアップライトである。それでも、その部屋の中で過ごす私たちの時間は臆面もなく言うならば、なかなかに濃密で甘い時間だったのである。
 ざっと埃をはたき、掃除機をかけ、一段落したところで、鍵盤に押してみる。ド、レ、ミと弾いてみるが、曇っている上に、どこかでびりびりと共鳴するような音がする。おまけに音程も滅茶苦茶である。調律の人を呼んでどうにかしなければならなかろうけれども、以前お付き合いしていた方がまだご健在で仕事をしておられるかどうか、些か心許ない。
 孰れにせよ、今日のところは、この部屋を少しく掃除したことで満足して呑み始めることにしよう。マリの写真を前にして、今日は暫く振りにブランデーにいたそう。どこかにいただきものの、陶器に入ったカミュがしまい込んであるはずである。

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2005年01月29日

iconライヴハウスでギグ04


 先日の興奮冷めやらず。何だか、自分まで若者の一員になったような、昂揚した気分のまま。勿論、実態はあちらこちらに相当にがたがきているポンコツ体、ポンコツ脳であるのだが、こういう時にはシナトラの「ヤング・アット・ハート」を想い起こせば良いのである。英語に堪能な訳ではないから、あやふやの手前勝手な解釈だが、歳を取ったとて構わぬではないか、気が若ければ良いことあるさ、というような歌詞だったような。そう言えば、そもそも「ヤング・アット・ハート」とは、例えば、日本語で言うところの「お年寄り」を柔らかく表現したものだったという話を誰かに聞いたような気がしてきた。記憶定かでないので、もしかすると、礼によって、妄想に過ぎないのかもしれないが。
 兎にも角にも、老人が若者に交じって若振った振舞いをしていると、ちょっと何よ、あのお爺さん、見てご覧なさい、いい歳して恥ずかしくないのかしら、いやねえ……というような、蔑視を浴びるのがこの国の常。正直に申せば、私だとて、古市がうら若い接客を旨とする呑み屋のお嬢さんと肩を組んで歩いている姿を見たりすると、同じように思ったものである。けれども、よくよく考えてみれば、それは当人たちの自由であろう。古市も呑み屋のお嬢さんも、双方が好んで……あるいは、双方の利害が一致して、というようなビジネスライクな視点の方が良いのかもしれないけれど……肩を組んで町を闊歩する。誰に恥じることもない。もっとも、いくら厚顔の古市だとて、己が上さんに遭遇したりすれば気まずいのかもしらん。ああ、今はそんなことはどうでもいい。

 私の如き老体であろうとも、心を若く持つことは決して悪いことではない。今は、真剣にそう思うのであります。老台も何か楽器の練習でも始めて見ようかと、思ったり、思わなかったり。まずは、この、ヤング・アット・ハート魂を記念して、澤乃井を一杯まいりましょう。美味いね、どうも。今日も幸せな一日だったな、と。

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2005年01月24日

iconライヴハウスでギグ01


 「今度、友達と一緒にギグをやるんですけれど、よかったら、いらっしゃいませんか」と田村師匠からお誘いを受けた。ギグという響きが何とも奇妙であったけれども、前後の脈略から小さなコンサートのことである由は知れたので、喜んでお受けした。以前に、師匠のノートを拝見したときに、不思議なメモがあれこれあったので、それ以来、この御仁の音楽活動には興味津々だったのである。「目蒲線の線路のリズム」「活字乱舞」などとメモ書きされている創作ノート。表紙には「プレス工場」とある。私にはてんで理解不能だが、理解不能なだけにそこにある何かに大きな期待を持ってしまうとでもいうような。
 しかし、私のような老いぼれが訪うては、場違いも甚だしく、周りの人々の感興を削ぐのではなかろうか、と、そればかりが心配である。その旨を率直にお尋ねしたところ、「いやいや、音楽を楽しむのに年齢なんて関係ありませんよ。ぜひ、お越しください。意外に楽しめるかもしれませんよ。すぐ近所ですから、散歩がてらにでもどうぞ」との言葉。
 考えてみれば、全く以てありがたい話である。『日和見』で知己を得たお若い人々と交わるようになってから、本当に、いろいろと見聞を広めさせて頂いている。正直に申して、七十を過ぎてから何かを習い覚えようなどとはちいとも思っていなかった。マリが亡くなり、古稀が近づいた辺りから、新しいものに対する興味を失った。いや、失ったというより、新しいものには目を瞑るようになった、というのが事実である。酒を呑み、家にあるレコードやCDを繰り返し聴き、書架で埃を被っている本を再読し、古い映画を観るともなく眺める。そのような暮らしを主としていた。あまりに人恋しくなると『日和見』や『福寿庵』に足を運ぶ、という具合。その他にも二週間に一度、若先生のところに伺い、薬を戴いてくる。ただそれだけ。今、顧みても、薄ら寒い思いのする、独居老人の孤独な日常である。
 それが、どうだろう。今では、一方通行の、無手勝流の悪口狼藉による老耄日記を以て世界と繋がったような気分でいる。若い衆と本やCDの貸し借りをし、共に杯を干す。スパイの目をした他所様の猫とは蒲鉾を分け合う仲。空には銀色の飛行船。死者の霊が訪い、一献を交わしたり。ああ、何とも賑やかな生活である。もっとも、就寝前の蒲団の中で、この全ては幻覚でしかないのではないか、と不安に駆られることがないわけではないけれど。

 兎にも角にも、私はライヴハウスで行われるギグなるものに伺う所存であります。

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2005年01月01日

iconの計は


 一年の計は元旦にあり、という有名な警句だか諺だかがある。一理があるようなないような、微妙な感じではなかろうか。しかしながら、一年の初めに計画をきちんと立てることが悪いことであるわけではなかろう。実際、こういった句切れ目にでもなければ、長期的な展望をきちんと描くことなどないわけで、優れた助言と言って良いかもしれない。だが、これには、若い人たちにとって、という限定が必要だ。私を始めとする老人にとってみれば、一年という展望は些か長過ぎる。これが率直な意見である。平均寿命は延びているとはいえ、七十も超えて何年か経つ我が身、一日一日を恙なく送る、ということが、一番の目標なのである。もちろん、今年はこんなことをやってみよう、あんなこともいいな、などと思うこともあるけれど、それは全て、日々を恙なく送ってこそ、の話である。なのであるからして、敢えて考えるなら、今年の一年の計は、一日の計をきちんともって生きよう、ということになろう。そんなことを繰り返しているうちに、一年、二年、あわよくば、何年も日々を送っていければ良いではないか、と、そんな風に思う、元日、早朝。雪の照り返しが眩しい。

 昨年末に漢方薬局で飛び切りの屠蘇散をいただいたので、早速、一杯いただいている。この独特のとろりと甘い感じは、普段なら気に入らない部類のものだが、正月には一度は口にしたい味となる。不思議なものだ。父親と杯を合わせた、遠い記憶も重なってくる。下戸だった母も形だけは口をつけた。考えてみれば、家族揃って屠蘇を頂くのは、日本の家庭の最も幸せな光景の一つかもしれない。もっとも、独居では、私の言葉はあまりに虚しい、しかたないことではあるけれど。

父母の 想い出 肴に 屠蘇機嫌

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2004年12月28日

icon恵子くん来訪08

 恵子くんが亡くなった日と私が最後に会った日の辻褄が合わないのが、まだ気にかかる。本人は既にこちらの世界にはいないのだし、自宅で静かに独りで亡くなったということであれば、日を特定することが難しかろうことは想像に難くないし、そもそも、特定することに何か意味があるのかと問うてみれば、そこには大きな意味があると言い張る何ものもない。だが、しかし、それでも気にかかるのだから、困ったものだ。家に籠ってやきもきしていていても埒が明かない。古市に電話することにした。
「おう、なんだ、珍しいな」「うん、実は、恵子くんのことなんだよ。詳しい事情は君に聞けって言われたものだから」「高部の妹のことか。ちょっと酷い話だからなあ。あんまり気が乗らんよ。やっぱりね、独居老人ってのは大変だよ、うん。うちが扱っているところにもさ、結構、独居老人さんがいてね、高部の妹の一件以来、事務の若い子に週一で声をかけて回るようにさせてるよ。いや、ほんと、そうでもしないとね。そういや、おまえも独居老人だよなあ、あはは。ああ、すまん。笑い事じゃないな。うちの若いやつにおまえんちにも毎週声かけさせようか」「いやいや、それは遠慮しておくよ。しかし、そうか、君が気乗りしないというぐらいだから、さぞかし大変だったんだろうね。可哀想なことをしたね。残念だ」「ああ、残念だな。もっといろいろ知りたいのか。電話じゃまどろっこしいなあ。今晩はちょいと忙しいから、明日はどうだ。久し振りに一杯やろうや」
 ということで、結局、飲む約束をして受話器を置く。

 夕刻、若先生のところに出向き、薬をもらう。朝晩、飲む薬包がひとつずつ、毎食後に錠剤を十ずつ。随分前に、それぞれ、どんな薬なのかを教わったのだが、一々覚えているわけもない。こんなにたくさんの薬を飲み続けてどうなるものか、と時々は思うものの、今更、あれこれ自分で調べてみたりする気力もなく、与えられるままに服用するばかり。確かなことは、この薬を飲み続けても、飲まなくても、遅かれ早かれ、どうせそのうち死が訪れるってことである。それは私に限った話ではないけれど。

投稿者 nasuhiko : 07:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月18日

icon恵子くん来訪02

 この歳になれば当たり前のことではあるけれど、突然の連絡の中に、訃報や病状報告が増えてくる。過半がそのような陰気な話題だと言っていいだろう。
 人間はどんなことにでも慣れる動物である、と言ったのはドストエフスキーだったろうか。慣れる動物、確かにそれはそうなのであろうけれども、特定の事物に慣れるということとその事物から受ける衝撃や感動がなくなるということは別の問題だ。そもそも、受け取り方が変化するのは当然だ、何しろ、私たちは刻一刻と新しい私へと変化し続ける存在なのであるからして。御託は兎も角として、何度聞いても慣れられないし、慣れたくもない事柄が存在するのは事実である。それは嬉しいことであったり悲しいことであったり様々だけれど、私はこんなじじいになっても、まだ訃報には慣れられないし、慣れたくもない。

 午後になって、木澤くんから電話があった。彼とは中学の時の同級である。かれこれ六十年ほどの付き合いになるわけだ。そうか、疾うに半世紀を越しているのだな。賀状や暑中見舞いのやり取りはある。また、近所に住んでいるので、道端で擦れ違って、最近はどうだね、などと立ち話をすることはある。けれども、その程度のつきあいなのであって、日常、電話のやりとりは、まず、ない。そもそも、私は同級生の間でも偏屈で付き合いにくいと思われているはずだし、電話嫌いでも有名なはずだ。マリがいた頃には、自分で電話に出ることなど滅多になかった。考えてみれば、外部との接触に関しては、かなりの部分でマリに依存していたのであった。
「近頃はどうだい」と当たり障りのない木澤くん。
「まあ、あまり変わらんね。そちらこそどうですか」
「こっちもあまり変わらんよ。ところで、古市から聞いたんだけどね、高部の妹が亡くなったらしいよ。何か聞いているかい。高部が死んだ後も君とはつきあいがあったんじゃなかったかい」
 言葉が出なかった。恵子くんは先日訪れてくれたばかりではないか。一緒に杯を重ねたばかりではないか。
「どうした。聞こえているのか、茄子彦」
「うるさい」
 結局、出てきた言葉はそれだけで、がしゃりと受話器を置いた。

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2004年12月01日

icon独り住まい


 実を申すと、今日もまた、日の高いうちから飲み始めている。庭に向かって、時に空を見上げ、時に地を見下ろし、時に小鳥たちの囀りに耳を傾け、時に宅配便の応対にのそのそと立ち上がり、時に株屋だの土地屋だののしつこい勧誘の電話に応対し……そんな今日この頃。話にならないような陰々滅々の堂々巡りのような日々。そして、少しずつ少しずつ、より一層心気の病が深まる。日高くして澤乃井を飲む。こんな陰気な老人に飲まれる澤乃井くんも辛かろう。いや、君こそが私の崩壊を塞き止めているのである。そう思って、まだ暫く付き合い給え。

 元来の私の気質はどうだったのかと顧みるに、極めて陽気だったとは言い難い。けれども、だからといって、終始鬱々としていたということではない。まあ、ありきたりだが、人並みに陽気で人並みに陰気だったという風に思う。けれども、年を追う毎に次第にほんの少しずつだが辛気の側に振れてきたのだったろう。そして、九十九年の夏、家内が亡くなって、それからはますます鬱の波が次第に大きく次第に長くなりにけり。

 人は独りでいる時間が長いと、ついついあれこれと考えてしまう生き物のようである。そのあれこれは、明るかったり暗かったり、楽しかったり悲しかったり、様々ではあるけれど、なぜか気がつくと滅入り気味である今日この頃。不思議と言えば不思議なことだ。秋の色、冬の気配、そんなものが後押しをしているにせよ。

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