2005年10月04日

iconハバネロ41


 午後から、田村師匠と円嬢が揃って御来訪。先日作ってきて下さった
ハバネロ醤油とハバネロ・オリーブ・オイルの試食会を致そうという酒肴。あれ、違う。趣向。尤も、酒肴ではありますがね。兎にも角にも、有り難い話である。
 振り返る。どこからかハバネロの苗を仕入れてきたのは、大師匠。あれこれの対策を考えてくれたのは師匠連中。連中なんて言っては失礼ですな。そして、収穫して、醤油や油に漬けてくれたのは、本日御来訪のお二方である。私がしたことと言えば、水遣りぐらいのものですからね。しかも、本日は豆腐や麺麭、菜っ葉の類まで御持参戴いている。私はへらへらとワインを見繕うばかり。見繕うったって、色々と在庫豊富に取り揃えている訳ではないし、そもそも、ラベルを見て云々するような知識などない。つまり、見繕うとい言っても、赤が良いだろうか白が良いだろうか、という程度のことでしかない。魚の形をした瓶のワインがあったと思うのだけれど……などと、ぼんやりしている間に、手筈が整ったようである。ワインはどれでも良いから、兎に角、食べ始めましょうよ、と。
 先ずは、小皿に垂らしたハバネロ・オリーブ・オイルにフランス麺麭を浸して齧ってみる。三人ともおっかなびっくりである。何しろ、敵さんは世界で一番辛いというセニョール・ハバネロ様なのである。しかし、意外なことに、然して辛くはない。そして、独特の芳香が漂う。一口ずつ頬張って、三人で顔を見合わせる。たいして辛くないね、と円嬢。師匠はただにんまり。次はたっぷりと浸して食す。結構である。油に浸した麺麭を肴にワインをやるというのは、何だか変な感じがしなくもないのだけれど、これが抜群なのである。このままどんどん続けたい気持ちもあったけれど、各々が麺麭一切れを片付けたところで、次に移る。
 豆腐。ハバネロ醤油をスプーンで掬ってかける。小心者の私は、ほんの、ほんの少しばかりをかけて。ほほぅ。やはり、独特の香りが立っている。そして、中々に辛い。倒れる程ではないけれどね。そんなことを思っている眼前で、師匠が悶絶。円嬢はそれを眺めてけたけた笑う。妙な図である。そう言や、師匠は長葱の刻んだのをかけるときと同様の勢いで、ハバネロの実をたっぷり載せてましたからね。はは、まあ、自業自得。これも素晴らしき体験の一部というものでしょう。
 ああだこうだと盛り上がり、その後も呑み続けてから、日暮れ間近に解散。最後の頃には、師匠は相当に呑み過ごしたのか、何を言っているのだか判らぬ有り様でしたけれど、その笑顔から、楽しく美味しい時間を過ごしたことだけは、はっきりと見て取れましたよ。
 それにしても、オリーブ・オイルと醤油との間で辛さにこんなにも違いがあるというのは、不思議ですなあ。ふふ、何にせよ、美味かったね。あれ、何だか、唇の周りが痛痒くなってきた。大丈夫かね。へへ。

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2005年09月27日

iconハバネロ40


 田村師匠が本日も来訪下さった。今日は円嬢も御一緒である。何用かというと、円嬢が手作りのオリーブ・オイルを持ってきて下さったのである。実に有り難いことであります。
 どんな代物かというとですな、オリーブ・オイルの中に、細切りにしたハバネロと大蒜を放り込んだものだという。黄色っぽい油の中に、橙と緑のハバネロ、そして、白い大蒜。縁先で光に翳すと、これが、何とも美しい。早速、蓋を開けて匂いを嗅いでみるけれど、想像に反して、強烈な匂いはしない。それぞれに個性的な匂いの集まりの筈なんだけれどね。兎にも角にも、早速、戴きましょう、と申し上げると、昨日同様、未だ漬かってないから待ちなさい、と窘められる。ははは、七十を疾くに越したじじいが小娘に叱られておる。いや、小娘とは失言である。立派な御令嬢様を捉まへて、小娘だなんぞとは言語道断。失言、失言、撤回します。
 兎にも角にも、掌にぽたりと一滴落として舐めてみる。予想したほど辛くはないし、しかも、匂いも強くはない。これから漬かっていくうちに変わるのだろうけれどね。

 円嬢御持参の元ちとせというお嬢さんのCDを聴きながら、三人でのんびりと澤乃井を酌み交わし、ああ、何とも快適な午後ではないか。お二人は、小一時間ほどで帰られたけれど、私は、水色のCD赤いCDを取っ換え引っ換えしながら、猶も、杯を重ねる。

 新涼に 杯交わす 友在りて

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2005年09月26日

iconハバネロ39


 午後になって、田村師匠御来訪。昨日の収穫の成果をお届け戴いた次第。実に有り難いことであります。
 で、それがどんな代物かと申しますと、あれですな、要するに、ハバネロの醤油漬けなのであります。御説明戴いたところによると、ハバネロの実を二つに切って、種を取り除き、千切りみたようにして、醤油に放り込んだだけだということのようです。こう、何というか、難しい作業がないだけに、味がそれとなく想像できるような気がして、説明を聞いているだけで、唾が出てきたりしてね。中を覗いて、匂いを嗅ぐと、やはり、普通の唐辛子とは違う香りですね。尤も、私の使い古した鼻では精密に匂いを嗅ぎ分けるなんざ、無理な話ですから、何となく、そんな気がするだけかもしれない。いや、でも、今、嗅いでみても、やはり独特な香りがします。
 折角だから、ハバネロ醤油を舐めながら、澤乃井でも一杯やりましょうよ、と申し上げたのだけれど、未だ、十分に漬かっていないから、二、三日待ちましょう、とおっしゃられる。実が生ってから何日経っただろうか。兎にも角にも、既に、何日も何日も十二分に待っている訳であるから、更に数日追加したところでどうということはない。とは思うものの、目の前にあると、気になって仕方がない。取り敢えず、ということで、小匙に一杯だけ小皿に掬い出し、人差し指を浸して舐めてみました。思ったほど、辛くないですな。世界で一番辛い唐辛子だなんていうから、びくびくしながら舐めたもので、少々拍子抜け。ついでに、一切れ、橙色の実を食してみました。辛い。確かに、辛い。ひりひりする。けれども、それにしたって、眼ん球が飛び出るてえ程でもないですな。いや、でも、ああ、涙は出てきます。ええ、汗も出てきます。それに、段々、唇が痛くなってきたりもしました。あれこれ言っているけれど、とどのつまりは、普通のものよりはるかに辛いのですな。もう少し漬かっていくと、これがどのように変わっていくのだろう。楽しみである。それにしても、ハバネロ醤油を舐めながらやる澤乃井てえのが素晴らしい。大変結構な組み合わせ。病みつきになりそうであります。

 そうそう、師匠によると、種を取った時に爪の透き間に激烈な痛みを感じて、暫く取れなかったそうであります。矢張り、種が一番辛い、というのは本当なのでしょうな。みなさんもハバネロをどうにかする際には、御注意召されたい。尤も、そんなことする人は多くはいらっしゃらないだろうけれど。

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2005年09月25日

iconハバネロ38


 大師匠は大変御多忙のようであり、未だにハバネロを使ったカレーの会は催されない。目の前にあるのに、ただ水遣りをして、眺めているだけというのは、少々物足りないような気がしてくる。そんな、少々不遜かもしらん思いを抱いております。ぽんこつのくせに生意気千万。全く以てその通り。お若い人が忙しいのは当然であるし、若い方々が忙しいというのは、御本人達にとってばかりでなく日本の為に、否さ、世界の為にだって結構なことなのであるからして、喜んで待つという態度でおるべきなのである。尤も、大師匠てえ人はそうそうお若くもないですけれどね。大分、頭が白くなられていらっしゃる。それでも、私なんぞに比べたら、大変大変お若いことに間違いはない。
 あれこれ書いているけれど、結局のところ、私は自力では、セニョ殿をどうすることもできませんしね。大人しく待つに限るのです。

 午後になって、田村師匠と円嬢が御来訪。待ち切れない思いでいるのは、どうも私だけではなかったようである。お二人も一日三秋の御心持ちでいらっしゃったようである。それで、大師匠に連絡して、初めての収穫を行うことにしたそうなのであります。
 十七号の雨風が去り、雲が切れて、青空が覗いてきて、気持ち良い秋の午後、愈々、セニョール・ハバネロの収穫が始まりました。準備宜しく、二人ともビニールの手袋をしている。そして、もぎ取ったものはスーパーでくれるビニール袋に収めていく。あれ程、じりじりとした気持ちで待っていたものなのに、ほんの一時のことでしたよ。橙のものを七つ、緑のやつを五つ。
 収穫祭とでも申しますか。先ずは、乾杯。空の色も柔らかで、実に気持ちの良い夕刻、元々美味い澤乃井だけれど、こんな日には益々美味い。「それで、その実をどうなさいますか」と尋ねるも、二人とも教えてくれない。「明日にでも、また伺いますから、その時にね」などと言って、にやにやしておる。仕上げを御覧じろ、といったところなのでしょう。さてさて、どんなことになるのだろう。年甲斐もなくわくわくしますよ。

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2005年09月06日

icon水浸しの真相


 私が訳の判らない作文をここに書いたのをお読みになられた大師匠がおいでになられて、あれこれと説明して下さった。あの方は、何でも、あの晩、あっちこっちを駆けずり回ってあれこれの事情を実地に検分し、写真などもたくさん撮ったそうであります。
 私は川が氾濫したと書きましたけれど、あれは、どうも違うようですな。私のこのぽんこつな頭ですから、例によって、理解が滅茶苦茶ですから、どう説明すれば良いのか判らないのですけれど、要は、川が溢れたてえよりも、下水道が溢れたということのようなのであります。実際、下水道がごぼごぼ溢れているという写真を見せて戴きましたしね。大昔はいざ知らず、護岸工事をしてからこちら、そうそう水害なんて話はなかったのに、ここに来て、急に連発したのは、都市計画だとかそんなものの不備の所為だそうで、何でも、行政がいけないのだ、と仰る。典型的な都市型災害であって、実にけしからん、と御立腹。成程ねえ、などと拝聴していたのだけれど、どうも、私のこのおつむにはなかなか理屈てえものが入っていかないもので、説明して下さっている大師匠も些か御不満気味の様子でありました。まあ、その内に、お互いに酔っ払ってきて、どんどん訳が判らなくなってしまったのですけれどね。今日だって、あちこちで被害が出ているというのに、不謹慎ですかね。そうなんでしょうね。

 ちなみに、本日の写真は私が撮ったものではなく、大師匠から頂戴したものであります。深夜も深夜、かなり深い時刻、溢れた水が引き、人が引き、警察や消防も引いた後の、人っ子一人いない、水害直後の町の図だそうな。

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2005年09月01日

iconハバネロ35


 昼過ぎに、田村師匠と円嬢が来訪。ちょいとしてから、大師匠も御見えになった。何を隠そう、本日は大ハバネロ会議なのである。尤も、誰もそんなことを隠しやしないし、余所の人だって、そんな会議には興味がないでしょうしね。世間では、郵政民営化だ、いやいや、それより年金だ、少子化問題もどうしてくれる、自衛隊の海外派遣だなんて、あんた、ありゃ、違憲じゃろうよ、と囂しいのであって、我が小庭のセニョール・ハバネロの身を案じている暇人は、恐らく、十指に余る。いやいや、実のところ、五指にも余る……というより、本日、ここに集まった四名で全員なのではないかしら。
 議題はというと、いつ、ハバネロの実を収穫するべきか、ということなのである。嘗ては、如何にしてセニョ殿を無事に育て上げるか、ということが中心だったことを考えると、状況は大きく前進していることは間違いない。その証拠に、誰一人として陰気な風を吹かしている人などいない。寧ろ、揃いも揃って、えへらえへらと薄ら笑いを浮かべている程である。師匠は、兎にも角にも、一つ二つ獲って食してみよう、と。後のことは、食してみてからで良いのではないか、と。それに対して、大師匠は、ここまで辛抱したのだから、せめて、幾つかが赤く色付くまでもう一息待ってみようではないか、と。どちらも御尤も。円嬢と私は、そうですねえ、だの、ははあ、なるほど、だのと、相槌を打つばかり。
 時間の経過と共に議論が白熱するかと言えば否である。次第に、酔いが回ってきて、まあ、今日のところは結論は持ち越しということで、などと、曖昧な侭、世間話へと流れていく。これで良いのでしょうなか。良いのでしょうな。
 しかし、これからは段々と涼しくなっていく訳で、それ故、この侭、赤くならずに終わってしまうことがないかどうかが心配ではあります。けれども、そんなことは、また明日か明後日か明明後日に。師匠と大師匠にお任せするとして。

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2005年08月18日

icon呑み過ぎたけれど


 昨日はどろんどろんに泥酔してしまった。不思議なことに、本日は大した宿酔にはなっていないのだけれど、いやあ、呑みましたなあ。途中からさっぱり記憶がないのだけれど、それでも楽しかったという気分だけは残っている。ありがたい。
 未だ私が勤めていた時分の知り合いの方で、年に一度か二年に一度か、兎にも角にも、忘れた頃に、ご訪問下さる。その都度、何かしら、美味しいものをぶら下げてきていただいてね。はは、先方も嫌いじゃないですからね、座るとすぐに、ひとつ、傾け始める。
 暫く振りに呑む上善如水は、正しく清らかな水の如き滑らかさで、すいすいすいすい胃の腑に流れ込んでいった。硝子製の、脇の凹んだ所に氷を入れて、見た目も中味も涼しくなるという、お気に入りの徳利というのか酒器というのか、でね。猪口も青い硝子製ですよ。うちにも気の利いたものがない訳ではないのである。はは、自慢ですか。自慢するほどのものでもないんだけれどね。しかし、この組み合わせは、夏の来客時には大きに重宝するのであります。
 御持たせになるけれど……って、日比野さんが見えるときはたいていそうなんだけれど、昨日のつまみも美味かったですなあ。海胆鮑と蛸の塩辛、それに山葵青海苔と来たもんだ。何でも、能登の珍味だとかいうことである。これがどれも美味いのですよ。驚きました。ちょいと山葵青海苔があまりにも鮮やかな緑色過ぎるのが不思議な感じがしましたけれど、味は素晴らしい。どんな味を想像されますか。私は最初、どちらかというと塩っ気の強い味を想像したのだけれど、これが案に相違して、甘味が強いのであります。しかし、これが、何とも酒に合う。次は、蛸の塩辛ですよ。塩分控えめでね。烏賊好きの人はどうか知らないけれど、蛸の少しだけこりっとした感じが良いですな。そして、海胆鮑ですよ。独特の深みがあってね。また酒が進んでしまう。このつまみを順番にちょびっとずつつまんでいるうちに、気がつけば、上善如水は空いちまっていた。一人頭五合ずつですか。まあ、そのぐらいは呑んだでしょうな。考えてみれば、私は注がれてばかりだったからね、六合、あるいは、七合ぐらい呑んでしまったかもしれない。ああ、よくぞ二日酔いにならなかったものですな。酒が良かったのか、つまみがよかったのか、相手が良かったのか。孰れにしても、楽しくたっぷり呑んで、翌日も元気なんだから、言うことはない。
 上善如水は干したけれど、つまみ類は未だ冷蔵庫に入っております。ふふ、本日は、普段通りの澤乃井できゅきゅっといきますよ。

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2005年08月04日

icon朋来たる


 数日前、良次郎君からお中元が届いた。五色そばという奈良の蕎麦で、少々澄ましたような風の代物である。彼のことだから、美味い物をみつけてきてくれたのだろう、と思っていたのだけれど、ここのところ、酷い宿酔が続いていたもので、未だ食すには至っていなかった。今日辺り、やっつけますか、と思ってたところ、昼前に、御本人御来訪。
 腰を下ろした途端に「さて、喰いますか」と宣う。お中元を贈っておいて、届いた頃合いに現れて、さて、喰いますか、てんだから、気が利いている。憎めないねえ。こういうことは、やる人によっちゃあ、何だい、野郎は全くずうずうしいね、なんて、顰蹙を買うことだって少なくないだろうけれど、本日の場合、寧ろ、何だか楽しいような気さえしてくるから、不思議である。これもある種の人徳かしら。
 先ずは梅蕎麦というのを茹でてみる。これが良いのですよ。何というのか、品があるというのか、奥床しいというのか、喉の奥に仄かに香りが花開くような具合。これ見よがしに、さあさあ梅の香りだぞ、と、主張の激しいものとは異なり、飽くまでも、蕎麦が主役であって、梅は優雅な彩りを担当するというような風ですか。付いてきた蕎麦つゆも、甘過ぎず、宜しい。大師匠に頂いた醤油屋の蕎麦つゆと似ている。いいね、いいねえ、と言い交わしながら、すぐに平らげてしまったので、続いて、山芋蕎麦といきました。これはこれで、良いですなあ。こちらもくどくないね、というより、かなりあっさりしている。少々茹でが足りなかったね。固いや。まあ、しかし、これもこれで美味い。ふうむ、それにしても、奈良の蕎麦とは意外である。何となく、蕎麦というの、信州とかね、そんなところが思い浮ぶものだけれど、奈良とはね。しかも、美味いんだから、びっくりした。
 見た目以上に量が多くて、山芋蕎麦は食べ切れなかった。二人とも腹がくちくて、澤乃井を一口二口舐めるのが精一杯。そうだ。そう言えば、水の検査の件はどうだったのだろう。本当に蒲田の水は不味いのだろうか。尋ねたところ、そのまま忘れている、という。悪びれずにこう言うんだからとぼけた人だね、どうも。検査セットには賞味期限のようなものがあったような気がするけれど、どうだったかねえ。

 良次郎君は、食後程なく帰っていったけれど、相変わらず、忙しく飛び回っているようである。彼だとて、若い若いと言っても、そろそろ七十を超えたのではなかろうか。近頃のじじいは元気ですなあ。私も少し見習わなくてはいけませんな。いや、見習わなくてもいいかね。

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2005年08月02日

icon師匠、炎夏にも御機嫌


 暑い。暑いですなあ。しかし、これが夏というものなのであるし、この暑さと陽射しが、セニョール・ハバネロをを始めとする植物のあれこれを大きに育ててくれるのである。そして、その植物のお蔭で昆虫や動物が潤う訳であるからして、考えようによっては大変大変有り難いものなのである。然り乍ら、人間てえものは自分勝手な生き物であるからして、感謝よりは不満が先に立つ。暑い。実に暑い。心頭滅却すれば火もまた涼し、なんて言った人がいましたね。誰の言葉だったろうか。坊さんか何かだったろうか。立派な立派な方の有り難い有り難い言葉なのだろうけれど、此方人等、只の偏屈じじいであり、七十余年生きておるけれども、心頭滅却など出来た例がない。従って、火もまた涼しなどという心境には金輪際至れぬ訳であり、従って、暑い、暑い、暑いと愚痴を溢し続けるのである。茄子彦よ、開き直りおったな、この戯け者めが。

 扇風機を浴びながら、畳の上でひたすらごろごろしている。端から見れば弛んでいるようにみえるのだろうなあ、と思う。そして、その通り、実際、弛んでいるのである。そんな風に、半日を呆けて過ごしていたところ、ぷらりと田村師匠がやってきた。「先日、お借りした『ザ・リアル・マッコイ』があまりに御機嫌なので、一杯やろうかと思いまして」と、ははあ、この人も大分砕けて参りましたなあ。結構、結構。お貸ししたことを忘れておったけれど、多分、ソルバイさんをお借りした時のことなのでしょうな。
 早速、澤乃井を傾けながら、マッコイ・タイナーに耳を傾ける。暫く振りに聴いてみると良いですなあ。しかも、日本酒に合うときたもんだ。意外である。杯を重ね、あれこれと、実のある話、実のない話を交わし、音楽と酒に酔い痴れる。嗚呼、余は満足じゃ、であります。

 友来たり 夏日の宴 真マッコイ

 我ながら、何ともでたらめな句である。けれども、何となく、良い響きではありませんか。全く暢気な酔っ払いだよ、私てえ人間は。はは。

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2005年07月30日

iconあれこれ


 白い花の様子が気になりましてね、と、田村師匠が円嬢を伴って御来訪。お若い二人が並んでハバネロを眺める姿、初々しいですな。半世紀前のマリと私が並ぶ姿も同じように初々しかったのだろうか。初々しい二人に見えた日々だってあったに違いないとは思うけれど、何しろ、大層昔のことなので判然としない。そもそも、自分で自分の後ろ姿は見られない訳だからね。後ろ姿が初々しかったかどうかなどということは判る筈がないではないか、と、捻くれたことを言ってみたくなります。

 セニョ殿の観察を一通り終えたところで、祝杯となる。ハバネロくん育成の初期の頃の不安な気持ちを語り合ったりして。あの頃は、随分うじうじと悩んだけれど、今や互いに暢気なものである。杯を重ねて、どんどん調子が出てきます。花は咲くし、友は訪れるし、酒は美味いし、と、何とも素晴らしい午後である。ところが、がっくりくることが一つ。師匠が「棋聖戦で羽生さんが負けましたね」と仰る。新聞に載っていたそうである。しかも、それは数日前のことだという。ううむ。毎日欠かさず新聞は読んでいるつもりなのだが、一体どうしたことだろう。うっかりしておった。これも、将棋連盟とNHKの宣伝不足がいけないのである、というような、愚痴を零す。愚痴なんぞ零されるとは、お若いお二人、しかも、さして将棋のないお二人には、全く迷惑な話でありますな。

 師匠たちが帰られたあとも、羽生扇子を持ち出してきて、今更ながら棋聖戦を見逃したことを嘆く、そんな具合に杯を重ねていたものだから、幾らなんでも呑み過ぎております。もう止したが善かろう。

 師匠が置いていかれた、ソルバイという人の『ヴァガボンド・スクウォー』というものを聴いている。スウェーデンの音楽だと仰っていたけれど、取り立ててどこがどうスウェーデンなのかというのは私のようなぽんこつには判然としません。そもそも、スウェーデンの音楽などと言われても、頭に何も思い浮びませんからな。聞こえてくるのは、昔の、どこにでもある外国のポップスのようである。まあ、確かに、蒸し暑い夏には、軽やかなポップスが快適なのかもしれませんが、何となくぱっとしない。

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2005年07月20日

icon湯呑み酒


 夕方になって、大師匠が一杯加減で御来訪。末廣の帰りだそうで、お土産として湯呑みを頂戴した。こんな老い耄れを気遣って戴くなんざ、実にありがたい話である。
 大分、酔っていらっしゃるもので、話の後先も内容もあっちこっちに取っ散らかっているけれど、その姿から存分に噺を楽しまれてきたのであろうと、ありありと推測される。羨ましい限りである。文楽を見ようと思っていたのに代演が入っていたとか、金馬が思ったよりしょぼくれていないとか、終いにゃ、のいるこいるという人たちの漫談の真似までして下さった。昼の取りは伯楽という師匠で「火焔太鼓」を掛けたという。私は伯楽という人を見た覚えがないのだけれど、立派な出来だったそうであり、そんなことを言われると、何とも羨ましくなる。上機嫌振りがね、何とも羨ましい。随分御無沙汰しておりますからね。明日にでも新宿まで出向こうじゃないか、という気になる。

 大師匠が帰られた後、マックで聴くことが出来る落語のCDのことを思い出して、伯楽さんを聴いてみようと思い立つ。ところが、あろうことか、件のCDがみつからないのである。何処へ行ってしまったのか。こんな狭い家の中で、しかも、あれこれと持ち歩くような代物じゃないのに、一体どうなっているのだろう。かれこれ半時間ほども頑張って探してみたけれど、到頭みつからない。仕方がないので、本で読みますか。火焔太鼓は志ん生の文庫本だったかね、と思いながら、目星をつけた本棚を覘いてみたのだけれど、あろうことか、志ん生の文庫本のシリーズがみつからない。一冊二冊じゃないのだから、そうそう紛れてしまう筈もないのだけれど、どうしたことだろう。釈然としない気持ちのまま、杯を重ねる。ううむ。

 探し物みつからぬまま 夏の酔い

投稿者 nasuhiko : 21:58 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月18日

iconハバネロ26


 大変暑くなった。もう梅雨明けなのではないかと思う。朝一番で水遣りをするが陽射しは非常に強い。こう暑くなると、水を撒く時間が遅くなると、根腐れを誘引したりするという意見を度々耳にしているので、真偽は判らぬものの兎にも角にも、朝と夕に水を撒く老い耄れである。それにしても、この時節、朝に水を打つのは気持ち良いものである。一日が始まるぞ、という心積もりが引き起こされるというか、ね。

 昼が近づいた頃合いに、師匠大師匠、加えて、円嬢コロリン嬢が現れる。セニョール・ハバネロが白い花を開かせたことを知り、覘きに来たのだそうな。代わる代わるに、小さな花を覗き込んでは声を上げる。女性陣なんぞは、随分と高い声で耳が痛いほどであるけれど、それほどみなさんが喜んでいるという訳であって、セニョちゃんの育て主としては、鼻が高いような、少々擽ったいような、何とも独特の嬉しさを味わわせて戴いた。育て人冥利に尽きますな。
 一段落したところで、大師匠が持参下さった上善如水を戴く。暫く振りに呑むけれど、相変わらずの味でありますな。お若い女性陣には喜ばれておる。私としては少々物足りないような気も少しだけしたけれど、いやいや、夏には、こういうすうっとした酒は結構であります。

 ハバネロの花が咲き、私自身、大変大変喜んでいたけれど、それだけでなく、あの小さな白い花が、お若い友人達を喜ばせ、こうして我が荒屋に集まって杯を交わさせる。嬉しいじゃありませんか。明日からも、頑張っていこうという心が高まる。まあ、私が頑張らずとも、夏の陽射しがあれば、ずんずんずんずん育っていくに違いないのだからして、結構毛だらけ猫灰だらけ。余は満足じゃ。少々呑み過ごしておりまする。

 白き花囲んで楽し 冷やし酒

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2005年05月23日

iconカバレフスキーって


 田村師匠来訪。セニョール・ハバネロ登場以来、ちょくちょく顔を出して頂いている。蟻巻の一件があるものだから、心配でもありましょうし、勿論、それだけではなく、成長が楽しみでもあるのでしょうな。私だとて同じこと。水遣りをしながら、葉っぱの裏まで一枚一枚眺める早朝。少しずつ成長しているのだろうけれど、毎日見ているとなかなか判りませんな。ちび公くんみたいに、暫く振りだと、ああ、大きくなったねえ、などと目に見える成長があるのだろうけれどね。
 早速一献、と思ったのだけれど、これから出かける用事があるということで、本日は酒を控えられる師匠である。お茶を飲みながら、正に、茶飲み話。

「カバレフスキーはご存知ですか」と問われる。
「如何にもロシア人みたような名前ですな。何となく聞いたことがあるような気はするのですけどね。画家ですか。それとも、音楽家ですかね」
「作曲家なんですけれど、入門用の面白いものを書いているんですよ。バッハをやめちゃったみたいなので、これはどうかなと思って持ってきてみたんです」と、鞄から楽譜を取り出す。ぱらぱらと、その薄っぺらい楽譜を捲ると、驚いたことに裏表紙のところにCDが付いている。つまり、楽譜だけじゃよく判らない、という、私のようなもののために、参考となる演奏が用意されているということになりましょうかね。いやあ、便利な世の中ですなあ。独学でピアノを嗜もうというような場合に、大きに役立つことは必定であるから、今後、こういう付録付きの楽譜が流行るのではあるまいか。何はともあれ、早速、かけてみる。
「初級者向けとはいえ、現代曲ですから、妙な響きもあちらこちらに出てきますけど、おかしいなと思ったら、CDと比べてみればいいわけですよ」
 成程、確かに、バッハ何ぞの王道とは違って、簡単そうなところでも、不思議な感じのするところがありますな。そんなところが却って興味を引く。二人して楽譜を眺め、CDを聴きながら、あれこれと話し込んでいる内に、カバレフスキーに挑戦してみようではないか、という気になってきましたよ。やりかけのインベンションは放り出すのではなく、脇に置いておくのである。いずれ、又、気が向いた時にね。
「ところで、田村師匠はどのように学ばれたのですか」
「ぼくはピアノをちゃんと習ったことはないんです。独学といいますかね。バンド仲間に教わったり、あれこれ楽譜や本を買い込んでつまみ食いしたり」ふむふむ、そんなことで、あのようにギグを演じられる程の腕前になったというのだから、何とも羨ましい話である。尤も、才能も経験も桁が違うのであるから、羨んでいても栓無きこと。しかも、私に残された時間は、そう多くはない訳であるからして、せっせと練習に励もうではないか。でも、ですね、本日は、既に、些か度を越して聞こし召しておるので、明日からに致しますかね……って、こんな考えだから、何事も埒が明かないのであるけれど、まあ、こういう性分に生まれついてしまったのだから、仕方がないのでありますよ。はは、莫迦なじじいだねえ、とお笑い下さい。御機嫌よう。

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2005年05月17日

iconハバネロ08


 本日は、虫喰い状況に大きな変化はないようである。ワタアブラムシと推測される、例のちびっこい透明の翅の虫も、セニョールへの興味を失ったのだろうか。だと良いのだけれどね。兎にも角にも、せっせと水遣りに勤しむぽんこつじじいである。
 午後になって、田村師匠がいらっしゃる。やはり、ハバネロくんの様子が気掛かりなのでありましょうなあ。こう言っては変だけれど、何となく、この一連の出来事で、私は内心盛り上がっているのであります。みんなで集まって、ああでもない、こうでもない、なんて相談したりしてね。何と言うんでしょうか。同好会とか倶楽部みたようなものの一員のような気分でね。何分、若い自分から偏屈な方だったので、そういう団体活動のようなものに加わったことがないし、加わりたいとも思っていなかったのであるけれど、意外なことに、こういうのも悪くない、という心境になっている。尤も、同好の士の集まる会と、ハバネロを巡るこの近所の人々の集まりとは、違うものだろうけれどね。それでも、何となく、楽しい。莫迦みたいな話であるけれど。

「化学薬品を使わずにアブラムシに立ち向かう方法を用意してきましたよ」と師匠がおっしゃる。「さあさあ」と先に立って庭に下りられると、鞄からタッパーウェアのようなものを出された。「ちょっと見てみて下さい」と差し出されるので、中を覘いてみると、ほほぅ、これは何だったか。大昔に見たことのある、蚰蜒のような、芋虫のような、奇態な生き物が葉っぱの上を歩いている。ミニチュア版の怪獣みたような雰囲気である。「テントウムシですよ」なるほど、そうであったか。考えてみれば、昔から、蟻巻の天敵は天道虫と決まっていたではないか。「あっちこっち探し回って、どうにか一匹だけつかまえることができました」何とも御苦労なことである。早速、セニョール・ハバネロにその天道虫の幼子を移そうかと思ったところ、本日は、肝心のアブラムシの方がいない。ということは、つまり、天道虫くんとしては、食べるものがない訳で、それでは生きていけませんな。それでは仕様がない、ということになり、蟻巻のいる葉っぱを探すことになる。本末転倒も甚だしいのだけれど、致し方ない。そうすると、我が小庭にありましたよ、蟻巻の集まっておる草が。幼虫くんをそちらに移らせると、早速、活動を開始して、行き成り齧り付いている。ううむ、怪獣みたいなのは外観だけではない。物凄い勢いで襲いかかっている。恐ろしい生き物ですな。相談した結果、この草に住まわせておいて、様子をみましょう、ということになったのである。何だか、どんどん状況がこんがらがってくるけれど、まあ、それが、現実というものである。何事も一筋縄ですすいすいとはいかないものですなあ。そんな話をしながら、師匠と一杯酌み交わす。二杯酌み交わす。三杯、四杯、と、限りがない。有り難いことに、今日も美味い酒が呑める。あるいは、酒が美味く呑める、と言うべきか。何はなくとも酒と友。嗚呼、感謝感謝で夜が更ける。

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2005年05月16日

iconハバネロ07


 困ったことに、更に傷口が深まっている。今朝になってみたら、別の葉っぱの真ん中に穴が空いてしまっておるのです。嗚呼、何たることか。暫し茫然自失の体。ううむ、参りました。参ってばかりいても、何事も解決しないのであるからして、子細に観察する。葉っぱを一枚ずつ丹念に調べていくと、昨日発見した、透明の翅をした非常に小さい虫がいる。しかも、本日は五匹もいるのである。例によって、手を近寄せても、葉っぱを揺すぶっても、ぼうとしており、逃げる気配がない。何という怠惰な虫であろうか。しかし、其の侭放置しておく訳にはゆかぬので、せっせと猶も葉を揺すりながら、ふうふう息を吹きかけて、何とか追い払った次第。ふうふうふうふう吹き過ぎたのであろうか、相当に息切れがして、頭の中の血管が何本か切れたのではないか、という気がしてきた。そう思うと、ずきずきと小さな頭痛の波が押し寄せてきているような気になって、何だか、気持ちが悪くなってきた。朝腹から、厭な気分だね。不愉快極まりない。
 気分が優れぬので、ごろごろと寝転がって、音楽を聴く。借りっ放しになっている『アリーナ』という、雨音が心に滲むようなやつである。いやあ、セニョールのこと、虫のこと、みんな忘れて、ぼんやり過ごそう。そんな気になる。其の侭うつらうつらしていたら、玄関で呼ばわる声がした。しかも、がやがやと何人連れかの様子。果て、何事だろうか、と出てみると、いやあ、田村師匠と円嬢、加えて、是田大師匠まで見えている。このインターネットの日記を読んで、舶来唐辛子殿の身の上を案じ、今後の対策を立てようではないか、ということのようである。
 みんなでセニョール・ハバネロの様子を見学し、ああでもない、こうでもない、と相談のような世間話。田村師匠によれば、私が発見した虫は、あれこれ調べた結果、ワタアブラムシという害虫である由。私の文章を読んだだけで、よくぞそんなことまで判るものだと不思議に思う。
 立ち話も何ですから、と、部屋に戻り、例によって、一献と相成った。結局、どんどん呑んで、あれこれが有耶無耶になってしまったのだけれど、兎にも角にも、植えさせて戴いているだけで十二分に有り難いことだから、枯れようが、虫に喰われようが気になさらずに、と、大師匠に言って戴き、肩の荷が下りた気がするけれども、そんな言葉を掛けて頂いては、ますます頑張って、立派な立派なハバネロに育て上げようという、気にもなり、明日からも頑張りますともさ。はははのは、と、頭痛などどこかに吹っ飛びました。

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2005年05月12日

iconハバネロ04


 ハバネロに水遣りをしながら、無駄なことを考える。尤も、私の場合は、年がら年中無駄なことばかりを考えているわけなので、水遣りをする時ばかりに限ったことではない。例えば、こんな具合。ハバネロって名前はハバネラと似ているなあ。ハバネラってのは、カルメンですよ。ということは、スペインかね。ぎらぎらと照りつける太陽。でも、もっともっと暑い暑い地域の方が辛い辛い唐辛子が育ちそうですな。スペイン語圏なんだろうかね。するってえと、南米か……などと、どうにも解決しそうにない、そして、万が一、解決したからといって何にもならないような、正に、愚にも付かない無駄の中の無駄をぼんやりと考えるているてえ有り様。
 大師匠からの大事な大事な預かり物である、セニョール・ハバネロを枯らしたりする訳にはいかない。当然のことながら、この小庭の中でも、特別待遇である。水遣りを欠かさぬばかりか、周囲に雑草など顔を出そうものなら、直ちに引き抜き……というところで、少々、心の中がむずむずするのであるけれど、まあ、引き抜く。引き抜かねばならぬ。だが、しかし、これは本当に雑草なのだろうか。仮に、雑草だとして、何故、私は其れを殺生せねばならぬのか。ううむ。頭が痛くなってきた。老い耄れた脳みそをきりきり無理矢理絞るものだから、また智慧熱みたようなものが出てきそうである。ああ、突然、関係ないことを思い出した。谷川さんなら、こんな時には「ぴゅろんだよぉ、君ぃ。ぴゅろん、ぴゅろーん。さあ、いいから、呑もうじゃないか」などと声高に述べ、破顔。そして、巷に繰り出して一献というところだろう。そのぴゅろんてえ合言葉が何なのか、未だに判らない。未だに判らないのだけれど、先方は帝大の文科哲学を出ている、頭脳明晰博覧強記の人物であり、学校を出て右も左も判らない私の如き者を雇い入れてくれた社長様であり、世に言う奇人ではあるものの、公私に渡って何くれとなく面倒を見て頂いた方である。何か私如きには計り知れない意味があるのだろうとは思う。余りにも頻々とその言葉を耳にしていたものだから、自分でも、思考が行き詰まった時には、ここは一つ、ぴゅろんだな、などと、訳も判らず呟いたりしていたものである。仕事を辞めて何年にもなるのに、今でも、件の台詞を思い出して呟いたりして。谷川さんはお元気だろうか。あの人のことだから、相変わらず、何処からやって来て何処へ行くのか判らない、謎の活力に満ち溢れ、今日は東へ明日は西へと飛び回っているかもしれない。しかしながら、よくよく考えれば、既に齢八十を超えていらっしゃる筈であるから、少しは腰を落ち着けて居られますかねえ。
 ところで、私は何をぴゅろんしようと決め込んだのだったか。ああ、雑草問題である。やはり、こういう時はぴゅろんして、澤乃井なんだろうね。

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2005年05月08日

iconハバネロ


 ハバネロというものが我が庵にやって来た。昼をちょいと過ぎた頃合い、玄関で呼ばわる声がするので、のろくさと応対に出ると、師匠の御来訪である。さあさあどうぞ、と、昼日中から澤乃井で一献。
「ハバネロというのを御存知ですか」「いやいや、聞いたことがありませんな。何ですかそれは」「ぼくも今まで知らなかったんですけれど、是田さんに電話で呼ばれまして。それで教わったんですが、唐辛子なんです。唐辛子と言ってもいろいろあるそうで、中でも世界で一番辛いのが、そのハバネロというやつらしいんですよ」「なるほど。左様ですか。して、そのハバネロがどうしたんでしょうな」「是田さんのカレー好きは御存知ですよね。それで、そいつをカレーに使いたいと仰って」「はあはあ、それは結構なことですな」「それで、あのぉ、茄子彦さんの庭に植えてこい、と。唐突な話で申し訳ありません」「要するに、カレー名人是田氏が世界一辛い唐辛子を使いたい。それに当たって、先ずは育てるところから始めたいのだけれど、庭もベランダもないので、茄子彦んとこの小庭に植えてこい、と、こういうことですかね」「いや、正しくその通りです」「是田さんと言えば、田村師匠の師匠に当たる、私から見たら大師匠ですからね、そりゃ、もうその位のことは何でもありませんぞ。喜んで、このぼろ庭を提供させていただきますとも」と私が答え終わるかどうかというところで、タムゾー先生は鞄から、苗と小さなスコップを取り出して「ちょいと下駄をお借りします」と庭におりている。何とも準備の宜しいことである。どこに植えればいいでしょう、とお尋ねになるので、陽当たりの良さそうな一画を提供することにする。植え終わり、ささっと水を撒いたら、乾杯である。何に乾杯なのかは判然としない。差し詰め、ハバネロのすくすくと育つ未来の為か、あるいは、もう一歩進んで、是田大師匠がそのハバネロを使って最高のカレーを作ってくれることに、だろうか。孰れにしても、植えてみると、どんな風に育ってゆくのかが大きに楽しみになってきた。しかし、辛い辛い唐辛子なんざ、何となく、途でもなく暑い土地に育ちそうなもののように思える。そんなものが、果たして、この日本で育つのだろうか。孰れにせよ、一旦、お預かりしたからには、何処に出しても恥ずかしくないような一人前の唐辛子に育つように出来る限りのことはさせて戴く所存。頑張りますともさ。

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2005年05月07日

icon映画鑑賞


 田村師匠と円嬢と三人で、美味しい美味しいカナディアン・クラブをちまちまと舐めながら、映画鑑賞会のようなものが始まったのでありました。その『イージー・ライダー』だけれど、私は若い頃にマリと一緒に観たことがある。恐らく、銀座だったように思う。世間で話題になっていたので、観に行ってみようか、ということになり、出向いた次第。二人とも感心することなく、観終わって、何か洋食を食べてから帰ったのだったろうか。そういうぱっとしない思い出があるのだけれど、若い御二方に、観る前からそんな話をしたのでは興醒めであること甚だしい。場合によっては、他のにしましょうか、などと、気をお回しになるかもしれない。そんなことになっては申し訳ないので、昔観たことがありますよ、というようなことだけを、曖昧にもごもご呟くように教えておいた。
 さて、映画が始まる。いやあ、しかし、こうやって、集まって観るのも良いですな。暗い中で黙ってじっと集中するのも良いけれど、わいわいお喋りしながら、そして、合間に、この妙に芳しい酒を舐めながら観るのも大変宜しい。意外な発見である。
 映画の筋に立ち入ったりすると、またごちゃごちゃしてくるから、それは放っておくけれど、いやあ、中々良い作品ではないか。いや、寧ろ、素晴らしい作品ではないか、と思う。この三十余年で、私が漸く作品に追いついて理解できるようになったということかもしれませんな。実を申せば、昔観た時には、映画の中の若者たちの生活や感覚は、とんと理解できなかったのである。当時の私は、寧ろ、イージー・ライダーのような人々に眉を顰める側に近かったのかもしれない。恐らく、未だ四十にもなっていなかったであろうに。今、考えると、とてもとても不思議なことに思えるけれどねえ。例えば、新宿辺りには、ヒッピーみたような若者たちが、うろうろするようになっていたけれど、あんな生活は私とは縁がないものだと思っていたし、ああいう文化が日本に根付くとも思っていなかったし。彼らはヒッピーとかいうものに被れているだけであって、いずれ、もうちょいと歳を取れば、髪を切って、普通の勤めに就くに違いない、と思っていたのであります。その後、実際、そうなったともそうなっていないとも、どちらとも言い難いけれどね。兎にも角にも、私としては、何だか他人事みたいに思えていたのですよ。それで、この映画が理解できなかったのだろう。あるいは、理解したくなかったのかもしれない。何しろ、何十年も前のことなので、もやもやとしていて判然としない。
 確かなことは、今回は、大きに感動した、ということである。もし、一人きりで観ていたのなら、最後のシーンでは涙が零れたかもしれない。呆気ない、一瞬の結末が、この、老い耄れて殆ど枯渇している、古びた心を大きに揺らした。ああ、こんな機会をくれた若い友人たちに感謝の杯を捧げる老い耄れであります。そうそう、カナディアン・クラブを教えてくれたことにも大きに感謝せねばなりませんな。ありがとう、若き友よ。

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2005年05月06日

icon映画鑑賞の前に


 田村師匠が円嬢を伴って来訪。一緒に映画を見ようと思ってやってきました、とのこと。何が何だかわからない。孰れにしても、出かける用事などないし、天気が悪いので今日は庭いじりも休みである。兎にも角にも、まずは一息入れましょう、と、澤乃井を用意しようとしたところ、今日はお酒も氷も持参して参りました、と仰る。何とも準備の良いお二人である。出てきたのは、カナディアン・クラブの12年ものという代物。呑んだことがない酒を前にして興味津々。早速、いただきましょうとグラスを台所から持ってきたところ、タムゾー先生、鞄から小さな箱を出してテレビに繋ぎ始めた。何とも驚いたことに、その、精々が標準的なハードカバーの書籍ほどの大きさしかない、こう言っては何だけれど、少々安っぽいプラスチックの箱は、DVDプレイヤーなのだそうである。持ち歩けるし、便利ですよ、と宣う。成程。確かに、これなら便利なことこの上ないでしょうな。いやあ、文明というものの進化は恐ろしいものである。先の映画を見よう、という話は、つまり、その箱で鑑賞しようということなのであります。今時の人たちの感覚は何とも不思議である。そう言えば、私のマックにもDVDを見る機能が付いているということを以前教わったことがあるのを思い出したけれど、未だ嘗てそれを試したことはない。つまり、本日、このぽんこつじじいも終にDVDの世界に乗り出すのであります。
 DVDの用意もでき、先ずは乾杯。ほほぅ、カナディアン・クラブというのは、こういう味ですか。これは、何というのか、滑らかで、甘いながらもべたつかず、鼻の奥で芳しい。何とも独特の舌触りですなあ。度数もあるのに、すうっと喉を越していく。素晴らしい。七十年間、よくぞ一度も出会わずにいたものだなあ。勿体ないことをした。
「おいしいでしょう」と円嬢。「実に美味い。正直な話、驚いておりますよ」「タムゾーくんは、甘過ぎるとか言うんだけど、これがいいのよねえ」と微笑む。実際、私は、この酒が猛烈に気に入ってしまったのであります。氷がちょいと溶けてきて、ほんの少しだけ薄まった感じが、また、何とも言えず美味い。いやあ、美味いですなあ。酒の世界てえものも、熟、奥が深い。未だ未だ世の中には私の知らない名酒がごろごろしているのだろうなあ、と思うと、突然、何としても長生きしなくては、と、そいつらを片っ端から呑まねばならんのだ、と、そんな、妙なやる気が溢れてきた。莫迦である。
 一頻り、カナディアン・クラブ談義に花を咲かせた後、愈々、映画を観ることに相成ったわけですが、これが何と『イージー・ライダー』だったのであります。ですが、未だ未だ話が長くなりそうなので、本日は、ここで一旦筆を擱いて、というのか、マックを離れて、というのか、兎にも角にも、また後日。ご機嫌宜しゅうに。

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2005年03月08日

icon交換音楽05


 昨日、福寿庵が昼休みに入るというので追い出されたのが午後二時頃か。言い心持ちで酔っ払っている客、しかも、その中の一人は先代というか実の父親であろうとも、容赦はない。坂本くんちの息子も冷たいものである。まあ、それが現代的てえものなんだろう。飲み足りないのは歴然なので、荒屋に引き上げて、なおも盃を重ねる。師匠のみならず、坂本くんまで一緒にやってきて呑んでいるのだから、何だかおかしいですな。
 田村師匠は相変わらずヘレン・ウォードに御執心のようである。他に何かないか、と言われても、彼女のアルバムはそんなにないのである。さてさて、何をお貸ししようかと、あれこれ、ひっくり返して、女性ヴォーカルものをみつけ出す。ヘレン・メリルとジョー・スタッフォードとリー・ワイリーの三枚を手にして、渡そうとすると「いや、一枚にしてください。三枚も借りちゃ味が悪いですよ。一枚だけを貸しっこしてじっくり聴き込みましょうよ」とのこと。なるほど、そういう考え方もある。最終的に『ナイト・イン・マンハッタン』をお貸しすることにした。「ヘレン・ウォードを近所のこざっぱりとしたお姉さんとすると、リー・ワイリーは同じ近所のお姉さんでももっと色気がありますよ」そんな酔っ払いの説明にしきりに首肯いてくれる師匠が貸してくれたのは、パブリック・イメージ・リミテッドというバンドのものである。「久下のアルバムをいたく気に入られたのですよね。ぼくは、久下の源流は八〇年代頃のこの手の音楽にあると思うんですよ」と酔った勢いで饒舌になっている。ロックを解体したんだ、だの、商業主義がどうのこうの、などなどと小難しい解説していただいたが、酔いも進んでいたので、申し訳ないが、細かいことはすっかり忘れてしまった。
 私たちの会話に、坂本くんがあれこれと横槍を入れてくる。交換日記みたいな具合に交換音楽ってことをしているんだよ、と教えると、ふうん、そりゃ面白そうだな、俺もまぜてもらおうかな、などと言っている。師匠の顔色を窺うと、古びた情報源が増えることは大歓迎のようである。今度、一緒にギグを見に来て下さいよ、などと言っておる。何だか、楽しくなってきたような、面倒臭くなってきたような。自分の特別な仲間を他の人に取られるような、嫉妬に似た感情が少しく身内に湧いたような気のする老い耄れである。はは、莫迦ですな。いや、実際のところは、仲間が増えるのは嬉しいことであります。

The Complete Helen Ward on Columbia』 久下惠生の『A Very-Disco Golden Greats of Kuge Yoshio』 リー・ワイリーの『ナイト・イン・マンハッタン』 ジョー・スタッフォードの『ジョー+ジャズ』 『ヘレン・メリル・ウィズ・クリフォード・ブラウン』 パブリック・イメージ・リミテッドの『The Flowers of Romance

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2005年03月07日

icon福寿庵にて


 午前も終わる頃合いに田村師匠御来訪。昼が未だだということなので、一緒に福寿庵に出向く。師匠は笊、私は天抜き。冷酒をもらう。殆ど正午に近いとはいえ、午前中から結構なことである。未成年ではないのだし、午後から仕事があるわけではない。余所様に迷惑をかけるわけじゃなし、自分のお金で注文するのだし、事実、品書きにも冷酒と記されてあるわけなのだから、誰に遠慮する必要もない。誰に遠慮する必要もない筈なのに、日が高いうちから呑み始めるのは、何とは無しに気が引けるもの。それが午前中ともなると尚更である。しかし、しかし、である。午前中から、蕎麦屋でやっつける酒はうまいのであります。皆さんも、是非、お試しあれ。何故だか、殊更に美味いのでありますよ。
 昼の忙しい時間を避けてくれた方がありがたい、と言われたこともあるけれど、店側としては、酒飲みは売り上げとしては悪い客ではないそうな。端的に言えば、儲かるんだよ、と。これは福寿庵の先代、つまり、坂本くんの意見である。ただ、昼時のサラリーマンにしてみれば、隣の席に酔客なんぞがいると気に入らない、ということもあるようで、できれば、昼時は避けてくれよ、時間はいくらでもあるだろ、と。そうは言っても、こちらにも腹の都合、咽喉の都合てえものがあるんだから、偶には、昼近くに寄せてもらうことになるのは致し方ない。
 それにしても、早い時間から呑み始めるのに気が引けるのは何故だろう。長年の生活で染み付いた社会通念の故であるとしたら、何ともみみっちいものを身に付けてしまったことであるなあ。いやいや、理由は、やはり、御天道様に申し訳ないから、ということにしておこう。社会通念だの、良識だのって、あなた、そんなものが理由じゃ、幾ら何でもあまりに情けないではないか。
 御天道様に申し訳のない午前中の酒であっても、今日のように、来客があれば、立派な口実ができるので、躊躇がない。どうでもいいことだけれど、呑み助の心にだって多少なりとも葛藤が備わっておるのですよ、葛藤してもしなくても、結局、呑むってことには変わりがないにせよ。
 師匠とああだこうだと語り合って、半時間もしたところ、坂本くんが奥から出てきた。いつぞやは、昼時は避けてくれよ、と言っていた御当人が、私の隣に腰掛けて、呑み始めるのだから、とぼけている。まあ、気楽にやろうよ、などと、師匠に向かってお代わりを勧めている。師匠は自分勝手な酔いどれの老い耄れが二人になって目を白黒させてはいるものの、存外、楽しんでいるようでもある。まあ、こんな日もありまさあね。

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2005年02月21日

icon超高級味噌2


 木澤くんから電話がある。ぼそぼそとくぐもった感じで、どうにも声に覇気がない。尤も、老人が声ばかり景気良いってのも、あまり感心しないけれども。
「先日の味噌のことなんだけれどね」力のない声が続く。「どうもね、あれでね」「あれと言われても何だかよくわからんよ」「うん、それが、恥ずかしい話なんだけれど、どうもね、あれは、言ってみれば、詐欺というか何というのか」と穏やかでない方向に話が流れてゆく。気落ちしているところを、間の手で何とか盛り上げながら、全貌を聞き出した。
 翌日、息子夫婦にも御裾分けてんで、木澤くん、呼びつけたわけである。どうだ、超高級味噌は美味いだろう、美味いに決まっておる、と鼻息荒く、自慢したりして……って、こんなことは私の推測だけれども、きっとそうに違いない。息子夫婦も、父さん、ありがとう、なんて言って、喜んで帰っていったに違いない。何とも長閑な家庭の図である。ところが、小一時間もした頃合いに、件の息子から電話がかかってきた。あれは詐欺紛いのインチキ商法に間違いない、と、えらい剣幕で、何であんなに高い味噌を買ったんだ、と説教されてしまったようである。味噌を御裾分けして説教されるというのもどうかとは思うのだけれど、きつく言わないと、これから先も、同じようなのがどんどん来るから気をつけなければいかん、と釘を刺すために、心を鬼にしての説教である、ということのような。息子くんによれば、一度、訪問販売の怪しげなのに引っかかると、引っかかった人の名簿というのが作られて、同業者の間で売買されるようになるそうなのである。何とも物騒な世の中である。
 なぜ、彼の超高級味噌がインチキ商法だということになったか。息子くんが、日本一の味噌ならインターネットに能書きか何かが載っているだろうてんで、調べてみたのだある。ところが、まともな情報がみつからず、結局、行き当たったところには、その味噌屋は、中身云々は兎も角としても値段は非常識極まりないもので、決して勝っては駄目だ、というような忠告めいたことが書かれていたそうである。この不景気な御時世に、超高級味噌の訪問販売をやっている業者が何軒もあるそうだ。それというのも、味噌は食品だということで、クーリング・オフが効かないから、っていうんだから、連中も気が利いている。悪知恵を誉めてはいかんのだろうけれど、うまいところを突いておりますな。信州から来ました、なんて、純朴そうな顔をして、訪れたそうだけれど、心の中では舌を出していたにちがいない。
 中身は大丈夫だろう、と木澤くんがぼそぼそと呟いていたけれど、何となく、もやもやするので、あの味噌は全部捨ててしまった。いやあ、それにしても、何とも厭な世の中になってしまったものでありますなあ。

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2005年02月19日

icon超高級味噌


 珍しく、木澤くんに誘われて『白木』へ。他に客もいないので、他愛ない話をしながら、静かに呑む。なぜか、この店ではいつもサントリーのウィスキーを飲むことになる。実際、この、角地に立つ、かなり古びて、少々狭苦しい店構えには、それが似合うのだ。中でもダルマがしっくりくる。傲り好きで、かつ、高い物好きの古市がいるときには、山崎をオン・ザ・ロックで、ということになるのだけれど、この店ではダルマのボトルを入れて、水割りでちまちまゆっくりやるのが一番だ。時代から取り残されたようなこの店で、時代から取り残されたようなじじいどもが、時代から取り残されたと言うと怒られてしまう元美人ママを相手に、ダルマの水割りをのんびり呑む。近頃は若い友人たちと呑む機会が多いけれど、同窓の面々でグラスをぶつけ合うのは、また、別の味わいがある。年寄り同士でしか分かち合いようがない空間、時間というものが確かに存在するのである。
 場がぼんやりと和み始めた頃、「実はさ、今日は、味噌をおすそ分けしようかと思ってね」と木澤くん。「お味噌のおすそ分け?」と素っ頓狂な声を出すようではママも少々酔いの入り口ほどまで来ているのかもしれない。
 先日、木澤くんのところに信州からの味噌屋というのがやってきたそうである、日本一を受賞した味噌を近所に納品したついでに、御挨拶ばかりに、と。上さんが応対したそうだが、何でも、すらっとした色男で語り口も滑らか、気の利いた若旦那みたような風貌の青年が、熱心に熱心に説明してくれたそうな。熱意に絆され、とうとう買ってあげたそうだが、何分、量が多い。十六キロの樽状のものを買ってしまったそうで、置き場には苦労するし、運ぶのにも難儀する、という具合だそうで、とてもじゃないが、老夫婦二人じゃ永遠を何度か繰り返したところで喰い切れまい、と、あちらこちらにお裾分けと相成っている次第のようである。具体的な値段は聞かなかったけれど、兎にも角にも、目ん玉が飛び出るような超高級味噌である由。ありがたく頂戴した。早速、その場で、白木のママが胡瓜に添えて出してくれたが、如何せん、アルコールで麻痺した舌。超高級味噌の美味さがわかるわけもないが、泥酔していても値段の有り難みは判るわけで、三人で、流石は超高級品だ、なぞと笑い合いながら、胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。ああ、限りがない。

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2005年02月14日

icon交換音楽03


 暫く振りに田村師匠、御来訪。ピアノの練習を始めたことを知らせると、喫驚して仰け反られていらっしゃる。今後はあれこれブログやコンピューターのことだけでなく、ピアノのことも相談させてもらいますよ、とお願いする。
「それかはかまいませんし、私でできることならどんなことでもお手伝いしますけれど、近頃、ピアノはあんまり弾いてないからなあ」「そうはおっしゃいますが、ど素人に教える程度は何てことはないじゃありませんか」そんなやり取り。腕前の程はわからないけれど、ライヴハウスで演奏会を開くほどなのだから、音楽の素養が全くないはずはない。師匠作の伴奏の中にはピアノだってあったじゃありませんか。ところが、先日のギグのコンピューターの伴奏の中にもピアノは存在していたけれど、あれは全部サンプラーというものでやっているのであって、本物のピアノではないのだそうである。何だかよくわからない。

 借りっ放しのになっていた『ザ・ドロッパー』をお返しする。結局、その後も、ぴんと来ないままだった、というより、それほど繰り返して聴いたというほどでもないので、ぴんと来るはずはなかったのである。時期が悪かったのかもしれない。また、別の機会があればその時に。
 一方、田村師匠はヘレン・ウォードにぞっこんのようである。『グッディ・グッディ』を御自分で購入されたとか。うちにもLPがあるので、かけながら、まずは一献。「くりかえし聴いてますからね、すっかり覚えちゃいましたよ。声もいいし、曲もいい。ふと気づくと口ずさんでいたりします」と杯を傾けながら「本当じゃ良すぎる」を鼻歌交じりに唄う始末。いつになく陽気である。
 まだ私がぼんやりと勤めていた頃、たまに飲み歩いたりした取引先のボブというアメリカ人が、一度だけヘレン・ウォードの実物を見たことがある、と言っていたのを思い出す。声も笑顔もベリー・ベリー・キュートだった、と興奮気味に教えてくれたのであった。美女というよりは町で一番可愛い女の娘という感じだった、と。ジャズ・シンガーというよりは今で言うアイドル歌手のような存在だったのかもしれませんな。確かに、巧い、というより、愛くるしい、というのが相応しい。
 日が暮れてもなお二人で『グッディ・グッディ』を繰り返し聴きながら、呑み続け、どろんどろんのでろんでろんに酔った。大幅に限度を超えて呑んでしまったけれど、それでも、気持ちの良い酔いである。良いではないか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……って、また、今日も佐良直美を口遊む、呑んだくれの老いぼれ昆布であります。


メデスキ、マーチン&ウッド『ザ・ドロッパー
The Complete Helen Ward on Columbia
ヘレン・ウォード『グディ・グディ

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2005年02月06日

iconヒントミント


 またもや円嬢がふらりと訪れた。早い時間から早速一杯、と準備をしようとしたところ、暫くしたらアルバイトに行かねばならぬ、ということで辞退されてしまった。それ故、珍しく緑茶を挟んで相対す。
 私は肉体的にはアルコール中毒ではないつもりだが、精神的にはアル中なのかもしれない。飲酒をせずに他人様と対峙するのが頗る苦手なのである。矢鱈とあたふたして、しなくても良い失敗を重ね、動揺して、ますますあたふたする、そんな悪循環に陥るのが常。殊に、斯様なうら若き女性と対面していると、ただそれだけで鼓動が速くなり、息苦しくなる。もし仮に、この息苦しさが嵩じて、ここで心臓発作が起きてしまったら、彼女は第一発見者となってしまうわけで、そんなことになったら、警察の取り調べを受けねばならず、間違いなく、アルバイトに遅刻してしまうに違いない。そんな迷惑をかけるわけにはゆかぬではないか。しっかりしろ、耄碌心臓よ。

「これ、どうぞ」と彼女が差し出してくれたのは、銀色に輝く、金属製の薄っぺらい箱。ウィスキーの携帯用の金属製のポケット瓶みたようなものがありますな。あれと似て、少しく曲がっていて、西部を馬に乗って旅する孤高のガンマンがお尻のポケットに差し込むのに都合の良さそうな形状である。表には「Hint Mint」とある。彼女がするっと上蓋を滑らせると、中には、白い錠剤のようなものが並んでいる。彼女の勧めに従い、眼前の一粒を口に放り込むと、ほほう、すうっとする。すうっとする。看板通りのミントのお菓子である。幾久しくこんなものを食べたことがなかったので、比較と言っても怪しいものだが、今まで私が食したことがあるものと比べて、すうすうする度合いが強いようである。
「茄子彦さん、こないだのライヴんとき、ゴホゴホゴホゴホ咳してたでしょ。これ、いいのよ」
 ありがたい話である。私の如き、不機嫌そうにぶすっとしているばかりで女性にお愛想の一つも言えぬ無粋な者、そのくせ、酔っぱらうと調子に乗るような戯け者に対して、このようにお気遣い頂くとは、真に以て忝ない。にもかかわらず、素面では「どうも」とぼそぼそと呟くのが精一杯。ああ、情けない。ああ、酒が恋しい。

老咽にヒントミントの沁み亙り
 痰火を流し 涙も流る

 対面してはきちんと御礼を申せませんでしたが、たっぷり聞こし召しておる今、この場を借りて、改めて御礼を申し上げさせていただきます。重ね重ねの御配慮、実に感謝に堪えません。この御恩、一生忘れはしませんぞ。もっとも、私の一生なんざ、大して残ってはいませんけれど……。

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2005年02月03日

icon今日もヘリ


 近頃、矢鱈にヘリコプターが飛んでいるのを目にする、耳にする。しかも、かなり低いところを飛んでいるように見受けられる。一体、あれは何をしているのだろうか。以前は、あんなものはなかったですな。一体、どこのどいつが、如何なる目的であのヘリに乗っているのだろうか。首都大東京の治安を守るために、飛んでおるのだろうか。東京にもテロの危険が迫っている、などと実しやかにテレビで口にする人々がいる。根拠があってのことなのだろうか。それとも、徒に人心を煽っているだけなのだろうか。孰れにしても、小泉やブッシュの如き、自己中心にしか物事を考えられず、しかも、思考回路が硬直しているような輩がのさばっている社会では、テロの危険も高まりもしましょうぞ。
 あるいは、あれらのヘリはテレビ局や新聞社のものなのだろうか。新聞を見てもニュースを見ても、毎日毎日、物騒な事件のオン・パレードであるからして、報道に携わる諸兄も嘸かし忙しかろう。アメリカでのカー・チェイス紛いの追走劇のような事件中継みたようなことを日本でもやろうとして、虎視眈々と事件を待っているのかもしれん。
 そんな戯けたことを思いながら、空を見上げ、何とかカメラに撮れないものかと、あれこれしていたところ、大師匠が自転車で通りかかった。「ああ、こんにちは」「いや、今日も寒いですな」などと在り来たりの挨拶を交わす。私がヘリコプターを写そうと齷齪しているけれど、どうも首尾が宜しくない、とぼやくと「まあ、撮れるものは撮れるし、撮れないものは撮れないものです」とあまり意味のない返事。もともと大師匠は、所謂、変人の類、彼の言わんとすることを全て汲み取ることなど、できない相談である。「それより、あのヘリは何をしているか知っていますか」「テロの警戒か何かではないかと……」と曖昧に答えたところ、「いやいや、米軍基地から逃げ出した宇宙人を捜索しているんですよ。まったく人騒がせだなあ。はは。では、失敬」と呆気に取られる老体を尻目に、軽やかに自転車で走り去る。ううむ、全く以て難しい人である。貴殿こそ宇宙人のようでありますぞ。

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2005年02月02日

icon首輪


 男が首輪などとんでもない。そんな考え方は古かろうか。古いとお思いの方もたくさんおられるかもしらん。いや、近頃のお若い人々は、金髪、茶髪、オレンジ、緑、と様々に髪を染めいたり、耳のみならず、鼻や眉ににピアスをしている人さえいる。もしかすると、男子の首輪というものもそれほど珍しくはなくなってきているのかもしれない。私らの若い時分には、結婚指輪でも少々面映ゆいというような気さえしたものなのだが。
 私と言えば、学生時分からジャズを齧ってみたりはしたし、後にはフランス人の女房をもらい、つい最近ではギグなるものに赴いた経験さえ持つものであるけれども、御想像に難くなく、どちらかと言えば、古臭い男である。七十過ぎて古臭くない方が不自然ではなかろうか。兎にも角にも、男のくせに、首輪なんぞするものは、ちゃらちゃらちゃらちゃらと薄っぺらい鈴の音でもしそうだ。決して、好ましからざるものである。西洋人だって、年寄りは首輪なんぞしたりはしておらんだろう。

 本日は、田村師匠と円嬢が遊びにみえた。ギグ以来のことである。陽も傾き始めたところだったので、早速、一献。
「茄子彦さん、マックやってると肩こるって言ってたでしょ」そう円嬢が切り出した。確かに、そんな話をした覚えがある。実際問題、コンピューターの前で一時間も過ごすと目はしょぼしょぼするし、肩は大いに凝ってくるし、慌てて起ち上がろうとしたりすると膝の関節がぎしぎし痛むこと甚だしい。道すがら、話題に窮して、そんなどうでもよい愚痴を零したのであった。「でね、このネックレス、プレゼントしまあす」と差し出されたのはグレーのゴム紐みたような代物である。彼女の説明によると、肩凝りに効く魔法の首輪なのだそうである。騙されたと思ってしてみてくれ、と。正直に申して、男のくせに首輪なんぞ……と思って、生きてきた老爺の私、そう簡単に宗旨を変える訳にはいかんのである、と思ったのであります。思ったのであるけれど、しかし、このようなうら若い女性からの贈り物を無碍に断るべきものではないのも筋。手っ取り早く言えば、五分もせぬうちに、首にしておりました。ふん、笑わば笑え。全く口ほどにもないじじいだよ。
 少々長過ぎるとのことで、円嬢の手でぐるぐると編まれて、程好い長さに調整された首輪は、何だか、狭い狭い我が庭に出入りする、宇宙人面した猫くんの首輪と似ていなくもない。まあ、だが、しかし、良いではないか。これで肩凝りが幾分でも減じるのであれば……そうは言っても、外出時や来客時には外してしまうのでしょうか……しまうのでしょうね。やはり、男児たるもの首輪なんぞ……ううむ、実に難しい問題である。

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2005年01月27日

iconライヴハウスでギグ02


 本日は田村師匠の出演するライヴハウスのギグというものに行って参りました。不案内な私を慮っていただいたのでありましょう、夕刻、先日知己を得たばかりの円さんが迎えに来て下さいました。うら若い女性にお越しいただいたりすると、ばたばたと慌てふためいてしてしまいますな。失礼があってはならん、と過度に緊張してしまうのはなぜなのか。今更、体裁を云々する歳ではあるまいに。
 がたぴしゃがたぴしゃ締まりの悪い引き戸の玄関口でお待ちいただき、慌てて用意を済ませ、いざ出陣。件のライヴハウスはほんの数分のところにあるわけで、つまり、歩いている時間だって、ほんの数分のこと。当たり前だ。従って、歩きながら話す時間だって、ほんの数分、あるいは、数分以下に過ぎない。にもかかわらず、無限にも思えるほど長い時間に思えた。いや、それは流石に大袈裟にすぎますか。矢鱈に長く思えたのは、楽しくない時間だから、という意味ではありませんぞ、念の為。円嬢は満面の笑みで、しかも、私にも理解できそうな内容で、話しかけてくれたのであります。だのに、私はと言えば、あたふたへどもどして、むにゃむにゃもごもご口の中で呟くばかり、真っ当な返事ができなかったのであります。何故、そんなことになってしまったのか。ううむ。誰だって慣れないことをするとそんなものなのではないしょうか。もっとも、厚顔自慢の古市や喋り自慢の白島みたいな連中だったら、こんなことにはならないんだろうけれど。孰れにせよ、肝っ玉の小さい自分が情けない、とつくづく思わざるを得ませんな。
 それは扨置き、兎にも角にも、ライヴハウスに辿り着き、狭くて屈曲した階段をやっとこさっとこ降りて中に入りましたよ。中は、妙に暗くて、空気が濁っているような感じです。おまけに些か酸素が薄いのではないか、と。入ったばかりのところで、いきなり飲み物を選べと言われたので、バーボンを注文しました。円嬢が壁際にわずかに用意してある席を確保してくれて、漸く腰を落ち着け、一息。オン・ザ・ロックをちびりちびりと飲んでいるうちに、段々、調子が上がってきましたよ。これじゃまるでアル中みたいですな。まあ、概ね、アル中みたようなもんなんだが。
 辺りを見回すと、実は、それほど混んでいる訳ではありませんでした。開演前だからか、お客さんやお店の人ががあちらこちらとうろついていたりするもので、混雑しているような気がしただけのことであったのです。色々な人がいるけれど、皆さん、お若い。実のところ、暗くてよくわからないのだけれど、何となく、若い気配がする。あまりあからさまに他所様を睨め付けるわけにもいかないし、飲んでいるうちに、他人のことなどどうでもよくなってきて。
 最初に出てきたのは、劇団何とかに所属するという人々。詩を朗読したり、コントのようなことをしたりしている。正直に申せば、何が面白いんだか、わからない。周囲の反応も区々のようで、寧ろ、失笑が多いような気がする。二番目には、迷彩のズボンに黒いシャツという出で立ちの角刈りの青年が、ギターを抱えて登場し、風貌に似合わぬ小さい声で哀しげに唄っていた。ところどころ、胸の奥を擽られるような感じのところがある。
 三番目に出てきたのが、田村師匠の『プレス工場ガタンガタン』という変な名前のバンドみたようなものである。師匠は田村タムゾーという芸名のようだ。ノート型のコンピューターを操作すると、変な音響が流れ出し、それに合わせて、ギターを弾いたり呟いたり。途中からはコロリンさんという女性が出てきて唄ったり踊ったり。私の知識では何とも説明のしようがない、些か奇天烈な風味。然れども、私は大いに楽しんだのであります。カエサルの言葉を文字って言うならば、「来た、見た、飲んだ」てなものである。ああ、何とも楽しい宴でありました。ありがとう、タムゾーくん。ありがとう、円嬢。

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2005年01月18日

icon男の料理10


 拙者、またしても呑み過ぎた、老耄の愚人である。のそのそと午後遅く起き出して、昨日の残りの「納豆と豆腐のチゲ」を食す。一日置いても美味いですなあ。宿酔の胃にも優しい。なんと素晴らしい食べ物でありましょうか。一人で悦に入っている。今晩もまた作ろうかと考えていると、お邪魔します、と玄関から師匠の声がした。
「材料を揃えてきましたよ」そう言う師匠の横には、ややっ、うら若き女性がいらっしゃる。「こちらは円さん、美学生さんですよ。もしかしたら、『日和見』ですれちがったことぐらいあるかもしれませんね」そう言われると、何となく見覚えがあるような気がしなくもないが、何しろ、こちらの脳は老朽化著しく、記憶なんざあやふやのぐしゃぐしゃのごちゃまぜ、溶け始めた霜柱の如き有り様である。判然としない。
「茄子彦さんの話をしたら、どうしても一緒に来るって言ってついてきちゃったんですけれど、かまいませんよね」「さようですか。ろくに掃除もしておらんむさくるしいところですが、おあがりなさい」
 昨晩、電話で黴びて捨てざるを得なくなったコチュジャンの話をしたそうである。だがしかし、如何んせん、泥酔が激しく、コチュジャン云々以前に、師匠に電話をしたということ自体、全く記憶にない。面目なく、申し訳ない話である。お二人で近代美術館に「河野鷹思展」なるものを見に行ったついでに、上野を歩いて、韓国の唐辛子と黒砂糖を買ってきてくれたのである。私の嘆きが余程哀れだったのか、とひやりとしないこともない。孰れにせよ、私の如き老いぼれを気にかけていただき、実にありがたいことである。感謝無限大。
 聞けば、円嬢はお若いのに、いける口だという。早速、澤乃井をふるまう。なるほど、大した呑みっぷりである。こういうものは遺伝で決まることなのだろうけれど、それにしても立派なものである、というより、末恐ろしい、というべきか。
 美術や音楽に関して、あれこれと語り合う。この歳になって、そんな仲間を得られるなんざ、僥倖と申す外にない。今宵も、良い酔いと供に暮れてゆく。

日脚伸び 友の来りて よひの長き

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2005年01月15日

icon交換音楽02


「いやあ、グッドマン、良かったですよ。実にいい。親分がホワイトだからですかねえ、やたらにポップに響きました、ぼくの胸には。ジャズとか、そういうくくりではなく、純粋にポップな音楽の快楽というのかな。う〜ん、言葉っていうのは難しいですね」と腰を下ろした途端に、あたふたと語り始めた師匠である。「まあまあまあ、まずは一杯」と差し出した杯をぐいと干す。いつになく気持ちの良い飲みっぷりである。
 それにしても、あれですな、自分の好きなものを他人様に、それも、好感を持っている友人に認めてもらえるというのは嬉しいものです。幾久しく忘れていたけれど、学生の自分に級友とレコードの貸し借りをした時にも同じような感慨を得ていたのでしょうな。家内に気に入ってもらえたときもほんわかとした良い気分でしたな。もっとも、先方は早いとこあっちの国へ行っちまったので、それも遠い昔のよう。
「では、今度はヘレン・ウォードを聴いてご覧なさい。若い頃には彼女の歌声に随分胸をときめかせたものです。繰り返し繰り返し聴きましてねえ。ジャズ・シンガーとしてどうなのかってことになると、どうなのか。まあ、そんなことは評論家に任せましょうや。とにかく聴いてみて下さい。
 それから、この間お借りした『ザ・ドロッパー』なんですが、もう少し借りていてかまいませんか。一回目に聴いたときには何だかわからなくて、放り出しておいたんですけれど、昨日、泥酔しながら大音量で聴いていたら、急に、ぴかっと閃いたような気がするのです。もっとも、酔いが激しかったので、細かいことなんざ思い出せないんだけれど、何だかね、ああ、すごいなあ、なんて思ったもので、もうちょっと腰を据えて聴いてみたい」
「どうぞ、どうぞ。一聴してピンと来なくても聴き込んでいるうちにどっかーんとくるものもありますからね」
 その後、グッドマンとコチュジャンを肴に随分と盛り上がりましたとも。仕舞いには、「シング・シング・シング」に合わせて、箸で皿を叩き出す始末。ああ、この歳になって、新しい友と音楽談義に花を咲かせることができるとは思いもよらなかった。

太箸で皿叩き 唄えや唄え

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 ヘレン・ウォードの『グディ・グディ』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

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2005年01月09日

icon交換音楽01


 昼過ぎに田村師匠御来訪。早速、呑む。
「毎日毎日、天気が良くて結構なことですね」「そうですな。まあ、同じような晴れが続くと風景が変わらないような、つまり、時間が止まっているような気分になるのが難点ではありますがね」「でも、そんな日々の繰り返しの中で、ほんの少しの違いでもみつけるとうれしいじゃないですか」そんなとことんどうでもいい世間話を肴に杯を重ねる。隠居的生活の醍醐味ではある。もっとも、先様は隠居どころか、二十代半ば、これから大いに活躍しようという世代に属している。
「先日、約束したCDや本の貸し借りのことですが、ちょっと探せてもらっていいですか」と仰ると、レコードやCDがどかすか放り込んである棚のところでがさごそ始めた師匠である。私も嘗ては、相当に音楽に入れ込んでいた時期があるものの、所詮、我が家にあるものなんぞ、古ぼけたものが大半である。若い人たちの気に染むものなどあるのかしらん。そんなことを思いながら、暫く待つ。彼が手にしているのはグッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』である。ははあ、なるほど、こういうものをお好みか。
「今日はこれを借りてまいります。こういうのは、気になっていても、なかなか買う機会がありませんからね」「良いものを選ばれましたな。それはもう名演の中の名演ですよ。グッドマンも元気いっぱい、共演者連中もいい調子ですぞ。思い浮かべるだけで鼻歌の一つも出ようてぇ勢いです」
「私の方はこれを置いていきます。メデスキ、マーチン&ウッドっていうトリオの『ザ・ドロッパー』というアルバム。これもジャズなんですけどね。どうでしょう。まあ、あれこれ能書きをうんぬんしてもしょうがないですから、とにかく聴いてみてください。茄子彦さんが気に入るかどうかはわかりませんけれど、今時はこんなジャズもあるのかな、と」「聴かせてもらいますとも、聴かせてもらいますとも」
 未知の音楽に対する期待が、田村師匠の嗜好性に対する興味が、酔いによる過剰な血行が、少なからず、我が肋骨を押し広げ、胸を膨らませる。若き頃の、友との文通のような、そんな気分に近いだろうか。

冬晴れに響きけり ジャズの交換

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

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2005年01月07日

icon恵子くん来訪11


 まだ門松を立てたままの家も少なくはないけれど、世間では正月気分はもう終わってしまったようだ。私のように、身辺に特別な変化のない人間にはわかりにくいけれども、テレビが特別番組、特別番組と騒ぎ立てなくなってきたので、そろそろ正月も終りに近づいている、というのが世間の標準的な認識なのだろう。ま、そんなことには関係なく、兎にも角にも、今日も朝から酒を呑む耄碌じじいである。

 恵子くんが亡くなったのは、十一月の初め、古市によれば、ほぼ間違いなく五日乃至は六日のことであるとの由。その一方で、彼女が我が家を訪うたのは十二月三日である。これは間違いない。一緒に写真でも撮っておけば良かったのだけれど、ない。見送った後に、夕焼けの中の公孫樹や杉の写真を何枚か撮ってはあるけれど。
 つまり、彼女は死んでから一月ほどもしてから来訪したことになる。辻褄の合わない話だ。このことに気づいてから暫くは随分と気に病んだものだったけれど、今になってみると、そんなことはどうでもいいことではないか、という気になってきた。何がどうあれ、彼女は既にこの世にはいないのだし、生前にしろ死後にしろ、彼女と杯を挟んで過ごした時間は楽しかったのだし。仮に、あれが、幽霊だの何だのであったとしても、何も不都合はない。世間の常識と多少の齟齬があるというだけのことではないか。
 この際、もう一度、遊びにきてくれはしまいか、などと、些か不謹慎なことを思う。折角だから、高部も連れてきてくれると嬉しい。高部と話したいこと……いや、話したかったことと言うべきか……はいろいろあるのだ。いやいや、それよりもマリに会いたい。マリよ、君はどうしているかね。

彼の岸の妻を想いて 冬日和

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2005年01月06日

icon恵子くん来訪10


 皆さんは神秘的なこと、不可思議なことの存在を信じますか。超能力云々、UFO云々、ついに雪男を発見云々、などなどと、再三再四、特別番組が制作されていることを考えると、少なからぬ数の世人の関心事であることは間違いないのだろう。霊能という類の職能を売り物にする人が、未来や人様の運命を予言したり、行方不明の事件に挑戦したりもしている。私自身、チャンネルをかちゃかちゃやっていて、そんなものに出くわすと、何を言っておりますか、と思いながらも、ついつい引き込まれてしまったことがないわけではない。
 天変地異と呼ぶのが相応しいような大きな地震や台風が世界のあちこちで発生する事態を目の当たりにする昨今、自然の猛威に恐れ入るという素直な心境とともに、その名称は兎も角も、目に見えぬ力に縋りたくなるのも人情であろう。今こそ、終末思想を謳う怪しげな宗教家が活躍しやすい時代はないのではなかろうか。いやいや、話が逸れてしまいました。
 私の立場はどうかというと、どんなことでも否定はすまい、というものであります。アメリカ大統領が宇宙人と肩を組んで宇宙船の開発に勤しんでいる、などと言われると、そんな馬鹿げたことがあるものかねえ、と訝しみはするものの、否定するつもりはござんせん。ただ、矢鱈に人心を惑わしたり、人の心の弱みにつけ込んで商売をするような態度には断固として反対する。考えてみれば、我ながら、なかなかに常識的な判断ではなかろうか、と思う。
 しかし、恵子くんの一件以来、些かもやもやした神秘性に付き纏われている私でもある。些かという段階ではない。判然としない神秘に包まって、酒の酔いの溺れ、ふわふわと地に足の付かぬ、曖昧な日々を過ごしている。勿論、そればかりではないのだけれど、独りでいると、ついつい、ねえ。

紅葉つ午後 雲の果たてに消ゆる友

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2005年01月05日

icon田村師匠と呑む


 ありがたいことに、田村師匠が年始にお見えになった。形ばかり屠蘇で乾杯して、早々に澤乃井に切り替える。
「今日は暖かいですから、少し、空を眺めながら呑みましょう」と仰る。なるほど、外に出てみたら、陽が当たる場所にいる限り、ぽかぽかとして恰も春の如き味わい。もっとも、見回せば葉を落とした枝々が冬であることを強く主張していはする。だから、空を見上げて、ということなのか。
「勘定してみると、私たちは半世紀ほども歳が離れているのですよね。なのに、こうして、冬の透き通った青空を見上げながら、酒を酌み交わしている。面白いことです」
 半世紀などと言われて、はっとしたけれど、なるほど、確かに、私たちの間にはそれほどの時が横たわっているのである。自分が年を取った、という実感はあるものの、どこか現実感が薄いのは、子や孫がいないからだ、と度々言われてきた。確かに、そうなのかもしれない。孫ほどの年頃の若者と連座して見上げる空から、何だか特別な感懐が降ってくるような気がした。
「そうですけれど、杯を交わすのに歳なんぞ関係ありませんぞ」「それはそうですね。法律のことを気にしなければ」とはははと笑う師匠。「もっとも、ぼくが言いたかったのは、歳が違っても一緒に酒を楽しむことができる、ということではなく、歳の差の分だけ異なる情報を交換すると面白いかなってことなんですよ。よその御宅に伺うと、どんな本やCDがあるのかなってことが気になりませんか。ぼくはすごく気になる。先日、こちらに伺ったときにも書棚を覗かせていただきましたが、面白そうだった。読んだことがあるもの、ないもの。書名も著者もまったく知らないものもある。一緒に呑んだり、コンピュータで遊んだりしていても、ぼくたちの間にはこんなに大きな差があるんだなって思ったんです」「それはそうですな。私なんぞは旧仮名で育ち、焼夷弾の雨をかいくぐって、どうにかこうにか今日に至るわけですから、そりゃ、違いますとも、違いますとも」少し酔いが回ってきた。
「本やCDの貸し借りをしましょうよ。ぼくは新しい友だちができるといつもそうするんです。そんなことから、何となく感覚的に繋がっていけるような気がするんですね。まあ、勝手な思い込みにすぎませんけれど」
 勿論、私としては、反対するどころか、大歓迎である。自分が知らない領域の書物や音楽に出合いたい、という気持ちは強いものの、いざ本屋に入ってみると、何を読んで良いのやら、眺めているうちに眩暈がしてくる始末。自分が時代から取り残されたような気分で店を後にするばかり。田村師匠の願ってもない申し出を得て、期待に薄っぺらな胸を大いに膨らませる、萎れたじじいである。今日も酒が美味い。

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2004年12月29日

icon恵子くん来訪09

 二人掛けのテーブルが形ばかり二つ、残りはカウンターだけの小さなスナック『白木』で古市と待ち合わせ。ママは小学校時分の同級である。
「茄子彦くんは、しばらくぶりよねえ」「そうですね、まあ、そうは言っても十年はたたないと思うけれどね」「最後に来たときは奥さんと一緒だったものね。きれいな外人の奥さんもらったのにも驚いたけど、あんなに早くに亡くなるなんてねえ」「まあ、生き死にってなものは人の力を超えたところで決まるんだろうから、しょうがないんだけれど、残念なことです。白木さんは、ご主人はお元気なのかい」「やたらに元気よ。元気すぎて困るぐらい。あら、変な意味じゃないわよ」あははははは、と高笑い。こういうところは、昔からちっとも変わらないな。小さいながらも繁盛して何十年も続いているのは彼女の、こんな朗らかさにあるのかもしれない。そんなことを思っているところに、古市が入ってきた。不動産屋の集まりがあったとのことで、一杯どころか、かなり引っかけてきているようである。白木さんを相手に軽口を連発している。水割りをぐびぐびと飲み、カラオケを始めた。「黒い花びら」だ。この男、酔うと必ずこれを唄う。しかも、唄い込んでいるだけあって、これがなかなかの腕前なのが、小憎らしい。曲の合間に「茄子彦、おまえも唄えよ」とマイクを使って怒鳴る。この狭い店に、三人しかいないのだから、大声を出さなくてもわかるってのに。呆れる以外に何ができよう。
 酒の勢いは留処ないようで、休むことなく歌が続く。七十過ぎても、なお、この体力。驚く、というより、恐ろしい。周りのことは気にせずに、小一時間ほどひたすら唄ったところで一段落したのだろう、マイクを漸く手放した。
「茄子彦、高部の妹の話だけどな、死んだ日はあれで間違いないようだ。あっちこっちに確認してみた。ポストに残っていた新聞や郵便物、電話の記録、検死、全部同じようなものだよ」酒に溺れて忘れてしまっているのかと思ったら、ぼそぼそと話し始める古市だった。「そうか。手間を取らせてすまなかったなあ」「気にするなよ。こんなことは、おれにしてみりゃ、どうってことないんだから。不動産屋なんてやってるとさ、妙なことにであう確率が高くてね。五十年もやってりゃ、変死事件にだっていくつも出くわしたよ。知らなくて済むなら知らないで済ませた方がいいってことだって、世の中にはあるんだよ」物知り顔でそう言うと、白木さんを誘って、「銀座の恋の物語」を唄い始めた。七十年も生きていれば、人は色々な年輪を重ねているものなのだな、と今更ながら、感じ入る。ありがとう、古市くんよ。

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2004年12月28日

icon恵子くん来訪08

 恵子くんが亡くなった日と私が最後に会った日の辻褄が合わないのが、まだ気にかかる。本人は既にこちらの世界にはいないのだし、自宅で静かに独りで亡くなったということであれば、日を特定することが難しかろうことは想像に難くないし、そもそも、特定することに何か意味があるのかと問うてみれば、そこには大きな意味があると言い張る何ものもない。だが、しかし、それでも気にかかるのだから、困ったものだ。家に籠ってやきもきしていていても埒が明かない。古市に電話することにした。
「おう、なんだ、珍しいな」「うん、実は、恵子くんのことなんだよ。詳しい事情は君に聞けって言われたものだから」「高部の妹のことか。ちょっと酷い話だからなあ。あんまり気が乗らんよ。やっぱりね、独居老人ってのは大変だよ、うん。うちが扱っているところにもさ、結構、独居老人さんがいてね、高部の妹の一件以来、事務の若い子に週一で声をかけて回るようにさせてるよ。いや、ほんと、そうでもしないとね。そういや、おまえも独居老人だよなあ、あはは。ああ、すまん。笑い事じゃないな。うちの若いやつにおまえんちにも毎週声かけさせようか」「いやいや、それは遠慮しておくよ。しかし、そうか、君が気乗りしないというぐらいだから、さぞかし大変だったんだろうね。可哀想なことをしたね。残念だ」「ああ、残念だな。もっといろいろ知りたいのか。電話じゃまどろっこしいなあ。今晩はちょいと忙しいから、明日はどうだ。久し振りに一杯やろうや」
 ということで、結局、飲む約束をして受話器を置く。

 夕刻、若先生のところに出向き、薬をもらう。朝晩、飲む薬包がひとつずつ、毎食後に錠剤を十ずつ。随分前に、それぞれ、どんな薬なのかを教わったのだが、一々覚えているわけもない。こんなにたくさんの薬を飲み続けてどうなるものか、と時々は思うものの、今更、あれこれ自分で調べてみたりする気力もなく、与えられるままに服用するばかり。確かなことは、この薬を飲み続けても、飲まなくても、遅かれ早かれ、どうせそのうち死が訪れるってことである。それは私に限った話ではないけれど。

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2004年12月27日

icon日和見の忘年会

 数少ない、というより、今年唯一の、忘年会に出席した。本日は、常連客のみの内々の会ということで、一般のお客さんはいない。馴染みの顔が並んでいる。もっとも、馴染みといったって、全員と親しいわけではない。当たり前だ。それとなく目礼したり、たまさか時候の挨拶を交わしたり、日本の愚劣でお粗末な政治に不満を漏らし合ったり、という程度の付き合いの人が、私にとっては殆どである。つまり、女将を介して、お互いに何とはなしの知り合いとなっている、まさに顔見知りとでもいうような。道端で昼日中に出会すと、何と挨拶するべきか戸惑うような関係とでもいうべきか。勿論、中には、田村師匠や是田大師匠のように、懇意にしていただいている人々もいるけれど、社交的とは程遠い私の如き老人には、長年通っていてもそれほど多くの知人ができるものではないし、そもそも、そういう目的で通ってきているわけではない。

 私が、ブログというものを始めたということは、『日和見』の常連客の間にはすっかり知れ渡っているようである。ここで酔っぱらっていた席上でのやり取りを発端にして、おむすびころりんころころころりんというような具合に転がり転がされ、あれよあれよという間に今日に至ってしまったのである。女将や田村師匠に乗せられてしまった、という感が無きにしもあらずだが、時によっては些か負担に感ずることがあるにせよ、気づいてみれば、それなりに打ち込んでいる私がいる。そう長くはない残りの人生において、何というのか、兎にも角にも、私というものが在る場となっていて、今では我が生活の確かな一面となっていることは間違いない。

 この店の忘年会に参加するのは何度目になるのか、記憶定かではない。今年は今までとは様子が少し違った。顔を見知っているだけという人々が、「たまに読んでますよ」「今日のことも書くんでしょうね」などなどと声をかけて下さった。嬉しさ半分、照れ臭さ半分、どぎまぎあたふたして満足にご返答申し上げられなかった御無礼の段、平に御容赦のほどを。

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2004年12月24日

icon恵子くん来訪07


 昼間から酒を呑むのが常態のようになってしまっている。鬱々とした気持ちから離れられないからである。酒を呑んだからといって、辛気の病から開放されるわけではないのだが、気がつくと、手を伸ばしている耄碌じじい。もっとも、こんな時でも、澤乃井は裏切らない。陰々滅々鬱々していながらでも、美味いものは美味い。

 最後に恵子くんが訪れたときのことを振り返る。十二月の初めのことである。そう遅くない午後にやってきて、静かに杯を酌み交わしたのであった。暗くなる前に帰っていく彼女の後ろ姿に、夕陽が紅く降りそそいでいた。明確に記憶に残る光景である。故人の最後の記憶が美しいのはありがたいことである。
 しかし、よく考えてみると、矛盾があるのに気づいた。彼女は十一月の初旬に亡くなったはずではなかったか。そんな馬鹿な話があるだろうか。慌てて、日記をひっくり返すと、やはり、来訪したのは十二月の三日のことである。亡くなってから、一ヶ月してからやってきたというのか。情報通の筈の古市も意外に当てにならないものだな。いや、それより、検死の判断があやふやなのかもしれん。しかし、ポストから引き出されていない新聞の日付から死亡日を特定したと言っていたのではなかったか。わからない。アルコールに浸り切った脳みそで考えたって、何も導き出せはしないだろう。取り敢えずここは一旦疑問を打遣っておくことにしよう。

 ぼんやりと独りで飲み続ける。

 酔った勢いでカメラを持って、カシャカシャとあれこれを撮影する。どこからかクリスマスの音楽が幽かに聞こえる。

 針葉樹の多くは冬になっても緑を失わない。濃い叢雲に月が覆われ、闇に包まれた夜にもその緑は失われない。光がなければ目には見えない、という、ただ、それだけのことである。

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2004年12月23日

icon恵子くん来訪06


 両親が何となく無宗教的だったために、私自身には信仰する宗教はない。だからといって、肩肘張るような信念を持っているわけではないので、神社や寺、あるいは、教会なぞに足を踏み入れて、然るべくお参りするのを厭うことはない。寧ろ、何かのついでに通りがかれば、あれこれと覗いてみるに吝かでない。
 家内はクリスチャンだったけれど、私と添うようになってからは、比較的融通の利く、言ってみれば、些か日本的な、緩やかな信仰者となっていた。当然、我が家には仏壇や祭壇のようなものはない。マリに話しかけたり、何となく手を合わせたい気持ちになったときには、写真立てに向かうことにしている。

 恵子くんは親類の手でしめやかに密葬されたそうである。高部家の墓に入るのだろうか。彼女が独りで死んでゆき、そのまま何日も何日もみつけられずにいたことを考えると、どうにも遣る瀬ない。死は誰もに個別に訪れるものであって、おてて繋いで死んでいくというようなことはない。仮に、全くの同時刻に同じ場所で重なるように死んだとしても、それぞれの死はそれぞれのもので、別々の死である。何がどうあろうとも、まさに、死ぬ時はひとりぼっち、なのである、本質的に。
 死後発見されるまで静かに書斎に横たわっていたことも、本当は悲しむべきことではないのかもしれない。何しろ、彼女自身は亡くなっていたわけで、そこには屈辱も無念も、如何なる感情もあるはずがないのではないか、と。
 そんなことを考える。頭ではそのように考えるのだが、感覚はそれを受け容れず、恵子くんが可哀想で仕方がない。思い浮かべるとついつい涙が零れ落ちる。七十を越したじじいの泣きっ面なんざ、見られたものではない。見られたものではないけれども、止めようがない。それに、そもそも誰に見られるわけでもないのである。零れるに任せよう。

 寒空に咲く黄色い花をみつけた。一つ一つの生命には死がつきまとうものではあるけれど、地球という生は途切れることなく、生き続けるのである。今日も、そして、恐らく、明日も。

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2004年12月22日

icon恵子くん来訪05


 木澤くんから聞いた話を反芻している。反芻というような表現が適切なのかどうかは兎も角も。

 恵子くんが亡くなったのは、かれこれ六週間ほど前になるそうだ。十一月の初旬ということになろう。正確な日付はわからない。というのも、彼女は生涯を独身のまま過ごし、実家に独居という身の上だったからである。最近では、親類縁者との交流もあまりなく、真面目で地味な性格であったせいか知人も多くなかったようで、数年前に教壇を離れてからは、連絡を交わす相手は数えるほどでしかなかった、というより、殆どいなかっただろう、とのこと。その彼女が書斎で倒れ、そのまま死に至ったのだという。検死の結果、脳卒中が死因とされているようである。恐らく、彼女自身は何が起きたのかもわからぬ間に、苦しむことなく静かになくなったのではないか、とのこと。これが木澤くん宅を訪れた古市が齎した情報である。代々の不動産屋で良男くん宅の近所にも知り合いが多く、役所や警察などにも顔が広い。なるほど、あいつならこれぐらいの情報収集が可能なのだろう。
 苦しまなかったであろう、ということが不幸中の幸いではある。けれども、訪うものがなかったために、発見されるまでに二週間ほど経過してしまったというのが何とも痛ましい。死亡の日付はポストから溢れていた新聞から推定されたようだ。学生時分に慣れ親しんだ高部家の玄関に新聞や郵便物がばらばらとこぼれ落ちている図を想像してしまう。

 考えてみれば、私自身も独り暮らしの老人である。いずれ同じ道を辿る可能性も少なくはない。身に滲みる話である。私のような老人に限らず、東京には学生さんだの何だのと、独居する人が多いはずだ。今まで身近でそのようなことがなかっただけで、この町のどこかで、毎日、繰り返されるありふれた光景なのかもしれないなあ。しかたないこととはいえ、何とも寂しい気持ちになる。

 身も心も寒々とする、物悲しい年の瀬となってしまった。

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2004年12月19日

icon恵子くん来訪03


 恵子くんの訃報に打たれ、昨晩は胸苦しくなかなか眠ることができなかった。眠るためだから、と呪文のように唱えながら、澤乃井を注いでは干し注いでは干し注いでは干し。酒の力というよりも、力尽きて、いつの間にか眠りに落ちた。
 目覚めると、訃報に圧される苦しみと宿酔の苦しみとが重なり合い、悲しさと気持ち悪さとが綯い交ぜの何とも遣る瀬のない鬱屈した気分。床の中でぐずぐずしているうちに午後になってしまった。
 のそのそと起き出して、恵子くんのこと、さらに、もっと前に亡くなってしまった良男くんのことを思い出す。どんどん負の方向に針が振れ、終いにはマリの死を悼み、涙が零れる。マリよ、マリよ。

 省みると、昨日の木澤くんへの非礼に目の前が暗くなる思い。胸の奥が痛い。私というじじいはこんなに齢を重ねても、未だに幼児並に堪え性のない困った人間だということをつくづく思い知る。動転して、電話を、それこそ、叩き切るようにしたわけであるけれど、冷静になればニハトリでもわかるように、木澤くんには全く罪はない。罪がないどころか、私の如き我儘で満足に人付き合いもできぬような老耄の人間に思い遣りの手を差し伸べてくれたのであるからして、感謝されこそすれ怒られるべきことなど何もない。申し訳ない。恥ずかしい人間だ、私は。こうして、七十年以上も生きてきたのかと考えると、それは正に生き恥の歴史ではないのか。そして、その恥ずかしさや胸苦しさ、悲しみや悼みの何もかもを少しでもいいから、念頭から引き離したいがために、酒に溺れる。何と愚かな、何と愚かな人間なのか。だが、しかし、そう思いながらも、酒を呑まずにはいられない。呑まずにはいられないのである。

悼惜の杯受けよ 枯木立

投稿者 nasuhiko : 09:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月18日

icon恵子くん来訪02

 この歳になれば当たり前のことではあるけれど、突然の連絡の中に、訃報や病状報告が増えてくる。過半がそのような陰気な話題だと言っていいだろう。
 人間はどんなことにでも慣れる動物である、と言ったのはドストエフスキーだったろうか。慣れる動物、確かにそれはそうなのであろうけれども、特定の事物に慣れるということとその事物から受ける衝撃や感動がなくなるということは別の問題だ。そもそも、受け取り方が変化するのは当然だ、何しろ、私たちは刻一刻と新しい私へと変化し続ける存在なのであるからして。御託は兎も角として、何度聞いても慣れられないし、慣れたくもない事柄が存在するのは事実である。それは嬉しいことであったり悲しいことであったり様々だけれど、私はこんなじじいになっても、まだ訃報には慣れられないし、慣れたくもない。

 午後になって、木澤くんから電話があった。彼とは中学の時の同級である。かれこれ六十年ほどの付き合いになるわけだ。そうか、疾うに半世紀を越しているのだな。賀状や暑中見舞いのやり取りはある。また、近所に住んでいるので、道端で擦れ違って、最近はどうだね、などと立ち話をすることはある。けれども、その程度のつきあいなのであって、日常、電話のやりとりは、まず、ない。そもそも、私は同級生の間でも偏屈で付き合いにくいと思われているはずだし、電話嫌いでも有名なはずだ。マリがいた頃には、自分で電話に出ることなど滅多になかった。考えてみれば、外部との接触に関しては、かなりの部分でマリに依存していたのであった。
「近頃はどうだい」と当たり障りのない木澤くん。
「まあ、あまり変わらんね。そちらこそどうですか」
「こっちもあまり変わらんよ。ところで、古市から聞いたんだけどね、高部の妹が亡くなったらしいよ。何か聞いているかい。高部が死んだ後も君とはつきあいがあったんじゃなかったかい」
 言葉が出なかった。恵子くんは先日訪れてくれたばかりではないか。一緒に杯を重ねたばかりではないか。
「どうした。聞こえているのか、茄子彦」
「うるさい」
 結局、出てきた言葉はそれだけで、がしゃりと受話器を置いた。

投稿者 nasuhiko : 08:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月04日

icon恵子くん来訪


 だらだらと遅い昼食をとっていたところ、玄関のベルが鳴った。のそのそと応対に出てみると、そこには恵子くんが「御無沙汰しております」と頭を下げている。ややや、これは久し振りです、今、ちょっと、その、片付けますからお待ちなさい。そう言い置いて、とっ散らかった部屋をばたばたと大急ぎで整える。それにしたって、私のような、元来が乱雑な人間のやることである。高が知れている。ざっとざっと取り繕った程度で我慢してもらうしかない。
 何にしますか。日本酒かワインなら、美味いのがある。珈琲を淹れてもいい。「お酒をいただこうかしら」と恵子くん。そんなわけで早い午後から差し向いで飲み始めることに相成った。彼女は私の同級生の中でも群を抜いた大天才高部の妹君である。彼女と初めて会ったのは、我々が旧制中学の一年のとき、彼の家に遊びに行ったときのことであるからして、かれこれ五十年以上も昔のことになる。お互いに老いぼれるのも致し方ないわけである。
「この近所に御用でもありましたか」
「特に何用ということでもないんですけれど、茄子彦さんのところにもすっかり御無沙汰しておりましたから、ご挨拶にと」
 ありがたい話である。高部が亡くなってから十年ほどになろうか。その後も、数年に一度は訪れて何ということはない世間話をして帰ってゆく。
 彼女はとうとう生涯の伴侶を得ることがなかったので、何かと独りで寂しく思うこともあるのだろうな、と以前は思ったものだ。今では、マリに先立たれて、私も独りで日々をどうにかやり過ごすばかりである。もっとも、教員というものは若者たちに囲まれて過ごす商売だから、彼女の方は独り暮らしでも案外寂しくはないのかもしれない。しかしながら、恵子くんとて七十にならんとしているわけで、最早教鞭を執ってはいないかもしれんなあ。
 彼女と共通の話題といえば、どうしても高部のことになってしまう。故人の想い出を肴に酒を呑む機会が増えてきますな、年経る毎に。このように酒の肴にすることが何よりの供養かもしれません。
 二時間ほどものんびりと過ごしただろうか、「では、私はそろそろお別れしなくては」彼女はそう言って、静かに去っていった。暮れかけの薄い闇にシルエットがゆっくりと溶け込んでいき、やがて消えた。

 例の小猫がどこからともなく現れて、柿の木に登った。見送るように彼女の歩み去った方角を眺めているようである。
 庭のはずれの銀杏に夕陽が赤い。

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