2005年09月23日

icon王位防衛


 朝刊を読んでいたら、羽生先生が王位防衛されたと書かれていた。大変結構なことでありますな。しかしながら、私は見逃したのであります。つまり、羽生扇子で神風を起こすという楽しみを奪われた恰好。これというのも、NHKや将棋連盟がきちんきちんと大事な王位戦があるということを喧伝しないからである。毎度のことながら、嘆かわしい。こんなことでは、将棋がどんどん衰退してしまうのではないかと懸念されますな。尤も、私のようなぽんこつに心配されずとも、連盟ともあろうもの、あれこれと考えてはおるのだろうけれど、事実として、私は放送を見逃したのであり、このことに嫌気が差して、ああ、止めた、止めた、将棋ファンなんざ止めてやる、金輪際将棋なんぞ見やしねえぞ、と、なったりすることだってない訳ではない。まあ、実際のところ、放送を見逃したことで其れ程立腹するぐらいの熱狂的ファンであれば、将棋を見限ることなどできないでしょうけれどね。
 しかし、あれですな、今、不図、疑問が湧いたのだけれど、本当に放送はあったのだろうか。もしかして、そもそも放送などされていなかった、などということはないだろうか。まさか、ねえ、日本の誇る伝統文化であるところの将棋の大きなタイトル戦だというのに放送がないなんてことはないだろうね。民放みたいに人気取りする必要はなく、高い受信料をふんだくって、その上、汚職などもしている訳だから、視聴率云々などということは気にせず、我が国の文化を守るという意味でも、放送しているに違いない。ううむ。そうは思うものの、心配である。NHKに電話して、昨日の王位戦の放送はなかなか良かったですな、などと、素知らぬ顔で鎌をかけてみようか、などと思う。変ですか。変ですね。止めておこう。ああ、だが、しかし……。

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2005年07月30日

iconあれこれ


 白い花の様子が気になりましてね、と、田村師匠が円嬢を伴って御来訪。お若い二人が並んでハバネロを眺める姿、初々しいですな。半世紀前のマリと私が並ぶ姿も同じように初々しかったのだろうか。初々しい二人に見えた日々だってあったに違いないとは思うけれど、何しろ、大層昔のことなので判然としない。そもそも、自分で自分の後ろ姿は見られない訳だからね。後ろ姿が初々しかったかどうかなどということは判る筈がないではないか、と、捻くれたことを言ってみたくなります。

 セニョ殿の観察を一通り終えたところで、祝杯となる。ハバネロくん育成の初期の頃の不安な気持ちを語り合ったりして。あの頃は、随分うじうじと悩んだけれど、今や互いに暢気なものである。杯を重ねて、どんどん調子が出てきます。花は咲くし、友は訪れるし、酒は美味いし、と、何とも素晴らしい午後である。ところが、がっくりくることが一つ。師匠が「棋聖戦で羽生さんが負けましたね」と仰る。新聞に載っていたそうである。しかも、それは数日前のことだという。ううむ。毎日欠かさず新聞は読んでいるつもりなのだが、一体どうしたことだろう。うっかりしておった。これも、将棋連盟とNHKの宣伝不足がいけないのである、というような、愚痴を零す。愚痴なんぞ零されるとは、お若いお二人、しかも、さして将棋のないお二人には、全く迷惑な話でありますな。

 師匠たちが帰られたあとも、羽生扇子を持ち出してきて、今更ながら棋聖戦を見逃したことを嘆く、そんな具合に杯を重ねていたものだから、幾らなんでも呑み過ぎております。もう止したが善かろう。

 師匠が置いていかれた、ソルバイという人の『ヴァガボンド・スクウォー』というものを聴いている。スウェーデンの音楽だと仰っていたけれど、取り立ててどこがどうスウェーデンなのかというのは私のようなぽんこつには判然としません。そもそも、スウェーデンの音楽などと言われても、頭に何も思い浮びませんからな。聞こえてくるのは、昔の、どこにでもある外国のポップスのようである。まあ、確かに、蒸し暑い夏には、軽やかなポップスが快適なのかもしれませんが、何となくぱっとしない。

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2005年06月27日

icon千葉さん?


 昨日のNHK杯を中途から、寝惚け眼で眺めるともなく眺めていた。些かの宿酔の気味があり、いつにも況して、ぽんこつな頭がぼわんぼわんしている。そのうちに、司会のお嬢さんが、先日の名人戦の千葉女流王将ではないか、と気づいた。NHK杯の司会もしているとは気づきませんでした。もしかして、今までも、千葉さんだったのに、この老い耄れは気づかずにいたのだろうか。そう言えば、記憶の中では、NHK杯の司会はいつまでたっても山田さんのような気でいたが、よくよく考えれば、そんなのは遠い昔のことではなかろうか。頭の中が取っ散らかっているもので、記憶がごちゃごちゃしてしまっている。もしかすると、もう何度も何度も拝見しているのに、こないだの名人戦まで、彼女の独特の味わいに気がつかなかった、とういことも、大きにありそうな話である。全く見る目がない。
 妙に親近感を持って眺めていたところ、何と、対戦者のお一方が千葉さんという棋士である。はは、まさかねえ、と思っていたのだが、秒読みに入って手が遅いと、妻としてはもっと早く指してもらいたい、などという発言をなさった。ははあ、これが御主人でありますか。おっとりとして聡明そうな顔つきの、どことなく含羞んだ風情の青年である。お似合いの夫婦でありましょう。しかし、あれですな、御主人が勝負しているのを奥方が司会しているというのも、不思議な光景ですなあ。そりゃ、秒読みになったら、早く指して、早く指して、と心中穏やかじゃないでしょう。職場結婚の中でも格別に不思議な関係なのじゃなかろうかね。
 結局、あの、洒落者の島さんに千葉青年が勝ったので、また今後も御主人の試合を奥の方が司会するという場面が見られることになる。本筋からずれた楽しみ方だとお叱りを頂戴しそうだけれど、楽しいものは楽しいのであるからして致し方がない。大いに楽しませて戴く所存。
 女流王将ということであれば、千葉ちゃんの扇子も出ているのではないか、と将棋連盟のホームページを覘いてみたけれど、ありませんな。将棋連盟てえところも、のんびりしておりますな。女流の扇子を購入しても、羽生扇子と衝突する可能性は限りなく低いだろうから、どちらを応援しようかと悩む心配はないでしょうな。けれども、はは、売っていないのじゃ、買うこと能わず。心配以前の問題である。孰れにせよ、暫くは千葉女流王将も応援していこうと思うぽんこつじじいであります。

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2005年06月25日

icon名人戦、ああ無念


 昨日は、生放送を見ながら呑み過ごしたために、案の定、深夜の結果発表まで起きていることは叶わなかった。それで、まあ、朝刊を見た訳であるが、嗚呼、羽生先生は勝てなかったのでありますなあ。私がふらふらと煽いだ扇子の起こす神風が足りなかったのかもしれん。残念だけれども、仕方がない。未だ未だ先生はお若いのだし、今後も機会は幾らでも訪れましょう。慰労会というのか、次回の成功を祈念するというのか、兎にも角にも、杯を干し、お疲れ様でしたな、と申し上げたい。先方では何のことだか判らないかもしれないだろうけれどね。こちらとしては、名人戦の名勝負に、きちんと鳧を付けたいのである。羽生先生の御健闘を労う会、というような看板を立てて酒を呑むのが何となく嬉しい、という幼稚な気持ちもなくはないけれど。

 しかし、こう暑いと気力が出ませんな。NHKは何故勝負の始まりから終わりまでを生放送しないのか、と、文句をつらつらと嫌みたらしく綴ろうかと思うのだけれど、暑さで筆が重い。喉が渇いて、ついつい澤乃井を口に運ぶ回数が増えるもので、酔いが進んで頭がもわもわしてくる。尤も、これだけ暑ければ、酒が抜けるのも早いのじゃなかろうか。いや、まあ、そんなことはどうでも良いのだけれどね。あれですよ、例えば、野球ですな。野球が悪いとは言わないけれども、毎日のようにやっておるもので、格別珍しいというものではない。なのに、である。試合が終わらなければ放送時間を延長したりしてね。一年に何百試合もあるだろうに、それでもそんなに優遇しておる。サッカーやテニスの試合だって他の番組を潰して延長したりしている訳である。然るに、将棋の、しかも、年に一度こっきりの最も権威のある名人戦でさえ、朝に一時間、夕方二時間しか、生放送をしないなんて、途でもない話ではないか。結果が知りたきゃ夜半のダイジェスト放送を見ろ、だなんて、ずうずうしいにも程がある。夕方の生放送が終わってしまい、生酔いの生枯れじじいの生煮えの心がむらむらとして、云わば、生殺しの状態。NHK、許すまじ。

 この悔しさを払拭するために、来年は、会場まで見に行ってみようか、と思ってみたりもするけれど、実際のところ、伊豆の河津町というのは如何にも遠そうであるし、出不精の枯れ木じじいが、そのような遠い地に自力で辿り着けるかどうか非常に怪しい。そんなことより、NHKが最初から最後まで責任を持って放送してくれさえすればそれで万事片が付くのである。何とかならんものか。

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2005年06月24日

icon名人戦最後の一戦


 本日は忘れませんでしたぞ。朝の放送には間に合わなかったけれども、夕方の二時間はきちんと拝見させて戴いた。勿論、羽生扇子を振り振りの観戦である。尤も、蒸し蒸しと暑いものだから、扇子如きでは埒が明かず、途中からは扇風機の力を借り、扇子の方は涼を求めるというよりは、ただただ羽生先生を応援して神風を起こすためだけに用いたような具合である。因に、今現在も、時々、ぱたりぱたりと応援の風を送っている老い耄れである。

 あれこれの人々が次々に登場して、ああでもない、こうでもない、と説明しながら、駒を動かしては元に戻し、というのを繰り返す訳であるが、どちらが優位とも言い難い、相当にややこしい局面であるようであった。此方人等、形ばかりしか将棋を理解していないじじいであるからして、仮に、簡単な局面であったとしても理解できないことには変わりがない。暢気なものだ。兎にも角にも、有り難い解説を拝聴しながら、ほほぅ、左様ですか、成程、ううむ、などと、相槌を打つのである。そして、扇子を振るのである、少しでも、羽生先生に追い風が届くようにと。
 それにしても、司会の千葉さんというのは面白い女性ですな。聞けば、女流王将というではないか。お若いのに立派なものだ。そう言えば、数日前の夕刊の囲碁将棋の欄にインタヴュウが載っておりましたな。そうだ、そうだ、そうであった。思い出しましたよ。あの記事では、格別の印象を持たなかったけれど、今日は独特の話し振りで大きに楽しませてくれました。康光くんなんざ、それこそたじたじと言ったところか。尤も、たじたじとしながらも、それでいながら、どこか飄々とした風であり、流石は康光先生と言ったところ。好感の青年という風情。けれども、彼はこれから連続して羽生先生とタイトルを競うことになる訳であるからして、私、暫くは康光先生を敵と見做させて戴く。応援しません。

 勝負の行方はどうなるのだろう。どきどきしますな。結果は深夜のダイジェストを見ろ、なんぞと言って、番組が終わってしまったが、全くNHKともあろうものが、そんなことで良いのか。大分楽しく呑ませて戴いてますからね。かなり回ってきました。此方人等、そんな時間まで起きていられそうにないんだよ。結果はまた新聞で見ることになるのだろうか。ううむ。そして、また、朝日新聞は主催者が毎日新聞だということで、心狭く、小さい記事しか載せないのであろうか。第六戦なんざ、まるで報じられなかったですからね。酷いもんだ。日本の文化を支えようという気概がないんでしょうな。朝日も廃れたもんだ。情けない。早くも眠くなってきた。真夜中まで起きていられるだろうかねえ。無理だなあ。

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2005年06月21日

icon嗚呼、名人戦


 ハバネロの様子を見に師匠がお寄りになった際に、羽生が勝ちましたねえ、と仰った。それで、名人戦の結果を知ったのである。何たることか。またもや、である。またもや名人戦を見逃してしまった。しかも、数日前のことだという。悔しいですなあ。羽生扇子を振り回して応援がしたかったのに……。実に残念である。こんな老耄の応援なんぞなくとも、羽生先生は勝たれた訳であるから、良かった、良かった、と素直に喜ぶべきところである。けれども、今回も又、私の応援が不要なのだ、ということが証明された形になる訳で、些か、不貞腐れたいような心持ちになる。心の狭いじじいだ。気持ち良く祝福できないものかねえ。
 これで三勝三敗と相成った訳であるからして、次回は、愈々決着が付くことになる。今度こそ、テレビに齧り付いて応援せねばなるまい。その為に、将棋連盟のホームページに行って、日程を調べましたとも。今月の二十四日が決戦の日である。もうあと三日しかない。忘れないようにしませんとね。私は私で忘れぬように頑張るけれども、将棋連盟とNHKももそっと宣伝してくれればその方が余程良いのだけれどね。前日や当日にしつこくコマーシャルを流したり、新聞にでかでかと広告をうったりしてくれれば、如何にぽんこつ頭の私でも見逃がしたりはしないだろうと思う。
 それにしても、何故、今回は新聞にも結果が載っていなかったのだろうか。そんなことが許されるのだろうか。将棋と言えば、日本の知の国技みたようなものじゃありませんか。その中の最高峰の名人戦に対する扱いが小さくて良い訳がない。許せない話である。朝日新聞に抗議の手紙でも送ってみようか。最近、素人にも取っ付きやすい将棋や囲碁のページができて結構なことだと思っていた矢先に、何なんでしょうな。主催が違うとかそういう問題でもあるのだろうか。だとしたら、嘆かわしいことである。ううむ。

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2005年06月04日

iconじじいの助けなど要らぬ


 またまた私がぼんやりしている間に名人戦が行われていたのである。三面の記事を見て、初めてそのことを知るという有り様。これでは応援ができる訳がない。私が普段から何くれとなく注意深い人間であれば、勿論、羽生先生の試合を見逃したりする筈などない。けれども、ご承知の通り、私は非常に雑な人間なのである。その上、非常に記憶が曖昧な人間なのである。名人戦の予定を知ったとすれば、紙に記しておくだろうけれども、直にその紙自体を失してしまい、更には、記録したことさえ忘れてしまうであろうから、そもそも、記録などしていないに等しい、というような具合。そのような老耄の者なのである。威張れた話ではないことは、いくら、頭の捩子がゆるゆるに緩んでいる老い耄れだとて、判っております。判っておるけれども、それでも言いたい。将棋協会よ、NHKよ、こんなぽんこつじじいでさえ、見逃さないように、もっともっと派手に派手に宣伝をしてくれ給えよ、と。将棋界で一番大事なタイトルなのではないのかね。それなのに、人知れず、こっそり行うなんざ、酷い話だ。君らの不宣伝の所為で、私はまた今回も羽生扇子を振り回し、神風を吹かす機会を失ってしまったのである……と、思ったのだが、嗚呼、羽生先生は勝利しておられるのである。結構、結構。素晴らしいことである。でも、ですよ……じゃあ、私の神風はどうなのだ、ということが疑問に思われてきてすまう。つまり、私が羽生扇子を振り回して起こす神風など不要、ということだろうか。はは、左様で御座るか。じじいの助けなどなくとも、羽生善治は負けたりせんのである、と。まあ、そうなんでしょうな。そうでしょう。そうでしょうとも。そうでなければいけない。将棋界を背負って立つ人間が、何処の馬の骨とも判らぬぽんこつじじいの力を借りて勝っているなどということは、決してあってはならぬことである。けれども、けれどもですよ。万々が一、お互いの力が五分と五分、どちらも後に一歩も引かぬ、という状況でもあったらば、その時には、私の扇子の起こす風の力の弱々しい後押しだって無駄にはなりますまい。紙一重の僅差の勝負の折なぞには、ね。

 お助け無用。実に結構。けれども、私は今後も勝手に神風を起こし続ける所存であります。何はともあれ、まずは、祝勝の乾杯といきますか。おめでとうございます。嗚呼、勝利の美酒とは良く言ったもの。今日も澤乃井は美味いや。

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2005年05月25日

icon神風吹かし忘れ


 昼に蕎麦を茹でて、笊でつるっとやっつけ、のんびりとお茶を飲みながら、新聞を読むような眺めるような、合間合間にうとうとしたりして、何とも愡け茄子な午後である。そんな具合にぼんやりと枯れ枝らしく過ごしておったのだけれど、嗚呼、何たることか、名人戦で羽生先生がまた負けてしまっている。しまった。しまってしまった。近頃は、ハバネロだの、カバレフスキーだのと、舶来ものにかまけていたせいで、羽生先生の応援がお留守になってしまった。何とも口惜しく、申し訳ないことである。
 自分では将棋を指すことは滅多にない。滅多にないどころか、恐らく、最近五十年程は指していないだろうと思う。ああ、こうやって文字にすると我が事ながら驚嘆しますな。半世紀も将棋を指していない、と書くとどうだろう。嗚呼、私の将棋歴……というより、将棋指さない暦というべきか……も侮れないものである。半世紀もの歴史を持っているのだ。凄いことである……などと、莫迦なことで感動している場合ではない。年末に私が羽生扇子を購入して以来、羽生先生は大変大変好調だったのである。というのも、この老い耄れが扇子を振り振り、羽生頑張れよ、と神風をおこしていたからなのでありますよ。それが、どうだい、この名人戦と来たら、私が応援を忘れたもので、何とも残念な展開になってしまっている。反省して、次戦はゆめゆめ忘れることのなきよう……と、ここまで考えてきたところ、私が忘れてしまうのも致し方がない、ということに気が付いた。悪いのはNHKだの、将棋連盟なのではないか、と。彼らがもっともっと大々的に宣伝をしてくれれば、いくら私が老い耄れてもやもやした頭のじじいであっても、忘れずに見ることが出来る筈である。名人戦なんてえものは、一番大事な大会なのでしょう。だったら、もっと宣伝しなくてはいけない。しないから、私が見忘れてしまうのだし、その所為で、神風が吹かず、羽生先生が勝つことが出来なかったのだ……なんてことを言い出すと、風が吹けば桶屋が儲かるの類で、全く、ぽんこつじじいが無茶な言い掛かりを付けているよ、と、そう噂する声が聞こえてきそうだ。嗚呼、私は一体何を言いたいのだろうか。訳が判らなくなってきた。

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2005年05月14日

iconハバネロ05


 昨日も一昨日も寒かったけれど、本日もまた寒い。この連日の寒さは何なのだ。花冷えというには些か遅過ぎる。ううむ。兎にも角にも、気掛かりなのは、南国生まれと思しきセニョールにはこの気温は大層辛いものであるに違いない、ということである。そもそも、どういう育て方が正しいのか、ということなど、ちっとも判っていない。田村師匠によると、水をいっぱいあげて下さい、ということだったので、せっせと水遣りはしている。けれども、それだけで良いものだろうか。急にこんなに寒くなってしまって、大丈夫だろうか。何かあっては大変ですからね。
 ぼそぼそと疑問を呟いてばかりでは何も解決しない。当たり前だ。そこで、例によって、インターネットをあれこれと検索してみることにしたのであります。ところが、なかなかみつかりません。みつかるのは「ハバネロ栽培キット」というものと「暴君ハバネロ」というお菓子のことばかり。そのキットというもは、どうも大師匠から預かったセニョール殿以前の、種の状態のもののようなのですよ。それでも、何か少しは参考になることが書かれているだろう、と読んでみたものの、あまり私の理解の一助となるようなことは見当たらない。中には、素手でハバネロの実に触ると、手の皮が剥けることがある、などという、何とも恐ろしいことが書かれていたりして。本当にそんなことがあるのかねえ。尤も、そんなことを心配するためには、先ずは、実がつくまで無事に育て上げなければならないのであるけれど、その方法がみつからないのである。困った。一時間かもう少しの間、のろくさと調べていたら、目がしょぼしょぼしてきて、肩まで痛くなってきた。取り敢えず、今日のところは、引き下がるしかありませんか。
 しかし、あれですな、このセニョールくんの御来訪以来、新聞の天気予報の欄をついつい見てしまいますね。今暫く悪天候が続くようであって、だとすると、気温も上がりはしないと思われる訳で、どうしたら良いのだろうか。ううむ。こちらまで寒気がしてきた。一杯飲んで、暖かくして早く寝る方が良いかもしれない。そんなことを呟きながら、澤乃井をきゅうっとやり始めたら、テレビで「小学生将棋名人戦」の再放送が始まった。再放送とは素晴らしい仕組みですな。結構、結構。
 ううむ、それにしても、今年のお子たちも素晴らしいですなあ。合間合間に、嘗ての、優勝者、準優勝者の懐かしい姿が映されましたが。羽生先生、森内くん、それに、先崎くんもちらりと映っていましたかね。渡辺くんなんざ、ついこの間の話であるから、あまり変わっていませんな。ところで、少年羽生は、赤いベレー帽を被っていたような記憶があるのだが、本日流れた映像を見る限りでは、帽子なんざ被っていませんでしたね。尤も、老耄の朦朧とした記憶なぞ、端から当てになりませんけれどね。
 そうそう、山崎青年の解説振りも素晴らしかったですなあ。彼てえ人は、あんなに面白い人だったのか。山崎くんももっと応援してあげたいような気になってきましたよ。羽生先生、渡辺くんに続いて、三番目に応援することにしよう。ああ、そうだ。応援で思い出したけれど、私の知らない間に名人戦があって、森内名人に負けてしまっていましたね。知らなかったこととはいえ、神風を起こし損ねたことを大きに後悔するじじいである。羽生扇子に申し訳が立ちません。
 ううむ。早い時間から勢いよく呑んでいたもので、脳みそが取っ散らかってきてしまいました。こんな時はとっとと寝るに限りますな。御免下さい。

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2005年05月13日

icon深夜の憚り


 昔から寝付きが良くない。以前は、床に就いてから、延々と本を読んでいたものだが、近頃では、すぐに腕が痛くなるし、目がしょぼしょぼしてくるし、中々、そうもいかない。長い時間の読書はこの老い耄れにはかなり難しい。そんな訳で、酔っ払った勢いで寝てしまう、という、何だかよく判らない毎日を送っている訳である。酒が好きで良かったですよ、本当に。
 昨晩は、呑み具合が丁度良かったのか、如何にもすううっと気持ち良く眠りに入れたのであります。なのだけれど、夜半に目が醒めてしまった。どのくらいの回数を頻尿というのか判らないけれど、年々、トイレが近くなっているのは確かである。近くなったって構わないのだが、深夜に激しい尿意に目を醒まされるのは嬉しくないですな。寝惚け眼を擦り乍ら厠に向かう時には、ぼうっとしているので、どうという気持ちでもないのだけれど、戻る頃にはすっかり目が醒めてしまってね。こういう時に、寝付きが悪いというのは、本当に困ったものである。翌日に何という用事がある訳でもないのだから、そのまま眠くなるまで起きていりゃあいいじゃねえか、と仰る方もいらっしゃるかもしれないけれど、それを繰り返していると、どんどんどんどん一度に眠る時間が短くなってしまうのである。酷い時には、一時間起きて、三、四時間眠り、また、目が醒めてしまうので、また、一時間なり二時間なり起きている。すると、頭がぼんやりしてきて、うつらうつら眠りに入る。けれども、また、二、三時間もすると目が醒めてしまって……というような具合になって、一日中寝ているんだか起きているんだか判然としないような、ぼうっとした毎日が続き、何も出来なくなって、佐藤さんのところに出向いて、睡眠薬を処方してもらい、やっとこ、どうにか当たり前の日常に復帰できた、というようなこともあった。
 そんな訳だから、深夜に目が醒めると、大変悩むのでありますよ。ここできゅきゅぅっと冷やで澤乃井をやっつけて、勢いで寝てしまおうかしら、なんてんでね。しかし、真夜中から呑み始めたりすると、あれこれの順番が目茶苦茶になったりして、翌日が破壊されてしまい兼ねない。それで、厠から戻って、呑むか呑むまいか、などという、傍から見ればどうでも良いことを悩む訳である。昨晩もまたうじうじと悩んだのであった。ぐずぐず悩み乍ら、何気なくテレビをつけてみたら、何と、渡辺竜王が出ていたのであす。棋士の先生連中が普通に喋ったりする姿というのは、なかなか見られませんからね。大いに楽しませてもらった。羽生先生との対戦の話題は実に良かった。手の震えの話。私のようによぼよぼになったせいで手が震える訳でもないし、アル中だという訳でもないですからな。それにしても、何だって、夜半にやっていたのかねえ。将棋愛好家の平均年齢なんざ相当高いだろうから、こんな時間には粗方寝ておりますぞ。そんな中で、尿意のお蔭で私はこの番組に出会えた訳であるからして、尿意に感謝せねばなりませんな。
 渡辺くんは、小学生名人の頃の面影を強く残しているけれど、やはり、竜王、立派な棋士、立派な大人の顔も持っていた。羽生扇子がある限り、私は羽生先生を応援するのだけれど、こんな若さであれやこれやの重圧を抱えながら精進する若き竜王も、大きに応援したい気持ちになったのである。しかも、渡辺くんは、ブログなんぞをやっているということで、謂わば、私とはブログ仲間と言ったって良い訳で、変な所から親近感を高めた老い耄れである。渡辺くんよ、羽生先生の次に頑張ってくれ給え。山崎青年や渡辺くんのような才能が次々に出現するなんざ、将棋界の未来は明るいですな。結構、結構。

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2005年05月05日

icon迂闊なり


 のんびりと起き出して、今日も懲りずに、のろくさと草毟りに励む。「のろくさ」と「励む」という組み合わせは、如何にも釣り合いの取れない物言いだけれど、本当のことだからしょうがない。
 一段落して、部屋に戻り、買い置きの乾麺の蕎麦を笊でやっつける。つゆは大師匠から頂戴した、近藤醸造元というところのもの。醤油屋さんが作っているだけあって、甘くなく、すっきりした味で、するする入っていく。甘いのも良いけれど、このさらりとした味も捨て難く、愛用の逸品となってい。
 食後、茶を啜りながら、新聞を読み始めて、吃驚仰天。何と、羽生先生が朝日オープン選手権で優勝した、と書かれているではないか。神風担当の私としたことが、すっかり抜かってしまった。尤も、優勝したのだからして、それで良いのである、とも言える。いやあ、相変わらず、羽生扇子の神風は素晴らしい。まあ、実際には決勝戦があることすら気付かずにいたわけであって、私が煽ぎ出した神風のお蔭で勝ったのでないことは明白なのだが、ここは一つ、羽生扇子が起こす神風のお蔭で優勝できたのである、と勝手に思い込んでおこう。
 近年、新聞に書かれているあれやこれやは、本当に腹立たしいことが多くて嫌になる。嫌になるけれども、何となく、習慣として読んでしまう。読み終わって気分を害すぐらいなら、新聞なんざ読まなきゃいい、取らなきゃいい、と思うものの、ついつい、ね。莫迦である。お若い人々なら、おいらはインターネットで何でも調べるよ、ということで、新聞を読まない人も多いのでしょうかね。そのせいかどうか、最近、以前にも増して、新聞の勧誘が多いですな。しかも、恐そうな人が来たり、殊更、甘言を弄す人が来たり。全く以て困ったことである。
 話が逸れてしまった。まあ、毎度のことですがね。ぶつぶつと文句を呟きながらも、一通り新聞に目を通し、番組欄を眺めてみた。おおお、何たることか、迂闊なり、茄子彦よ。ああ、本日は小学生将棋名人戦の放送日だったのである。十時から正午まで。慌てて柱時計に目をやると、何だこれは……って、ああ、止まっているのか。まあ、時計なんざ見なくたって、終わっていることは判っているのですけれどね。何しろ、蕎麦を啜っていた時には、疾くに正午は過ぎておりましたからな。ううむ、それにしても残念至極。あそこから、未来の羽生先生、渡辺少年が現れるかもしれないのである。尤も、今、小学生の彼らが一人前になる頃には、此方人等が、この世にのさばっている可能性はかなり低いという現実がありますけれどね。

投稿者 nasuhiko : 20:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月05日

iconのんびりと振り返る

 二十七日の朝、羽生先生と山崎青年の決勝戦の再放送を前に、早々と起き出して、雑事を済ませ、羽生扇子を片手にテレビの前に座していたところ、少々、熱っぽい気がする。騒ぐほどのことではあるまいな、と思いながらも、手近にあった体温計で計ってみたところ、三十六度五分。私の平熱は三十五度八分か九分といったところだから、成程、微熱がある状態だ。けれども、そんなことをいちいち気にしていても仕方がないので、声援に励む。先週見た通りに、山崎青年は早い段階からどんどん時間を費やしてしまって、敵方である筈の、私さえ心配になるほど。そうは言っても、神風を吹かす応援の手を緩める訳にはゆかぬ。熱っぽいもので、扇子で煽ぐと妙にすうすうして気持ちが良いのを幸いに、いつにも況して、振り回す。しかしながら、よくよく考えてみれば、これは地震で放送が途切れてしまった分の再放送なのであるからして、私がいくら煽ごうとも勝負の行方に影響があるわけなどないのである。ないのであるけれども、そんなことを言ってられないのが、馬鹿なところ、というのか、あるいは、自己弁護するならば、純情なところ。一所懸命、風や吹け吹けと、右へ左へ扇子を揺らす。山崎くんよ、残念だったなあ、もう時間の問題でしょうなあ、と思いながら、一休みして一杯やったりしてね。また、思い出したように扇子を振り回したり、と、余裕を見せておったわけである。ところが、何たることか、終盤になって、突如として、羽生先生の旗色が悪くなった。慌てて、杯を置いて、力の限りに神風を起こそうとしたものの、時既に遅し。再放送を考慮に入れれば、まるまる一週間以上遅い。兎にも角にも、残念ながら、逆転負けを喫し、NHK杯は少年の手に渡ったのであった。敵ながら天晴れ。山崎時代もそう遠くないかもしれない。いやいや、渡辺くんだっているのであった。将棋界は新しい才能がどんどん出現して、安泰ですなあ。
 羽生先生が負けて気落ちしたこともあるし、応援に力を入れ過ぎたのもるし、ますます熱っぽい気がしてきて、再度、熱を計ると、何と、三十七度四分。あわわわ、これは大変だ。風邪に違いない。悪化する前に大人しく寝た方が良い。とは、思うものの、NHK杯の、女流棋士のたった一人だけの出場権をかけた清水さんと中井さんの試合を午後から放送する、と知らされ、それを見てからでも良かろう、という気になる。まあ、一時間ほどあるから、と、買い置きの乾麺で笊蕎麦をのたくたと拵えて、つるっとやって、ついでに澤乃井を嘗める。蕎麦と酒、良いものですなあ。日本に生まれて良かった。などと、調子に乗っているうちに、放送が始まる。ところが、この辺りから記憶が目茶苦茶になってきてしまう。熱と酔いとでね。白状すると、試合の結果もわからないほど。兎にも角にも、最後の明確な記憶は、女流戦の終了後、体温計が三十九度五分を指していたことだけである。躊躇なく、床につきましたよ。床についたのですが、時既に遅かったわけですな。

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2005年03月22日

icon神風の行方


 この日曜の朝、いよいよNHK杯の決勝であった。早々に起き出して、洗顔などなどの雑事をとっとと済ませ、放送が始まる前から、羽生扇子を片手に、テレビの前で畏まっていた次第。ここ一番で今までにも況して強烈な神風で後押ししようと準備万端。澤乃井で口を清め、試合開始を待つ。あれこれじたばたあたふたしたところで、私が指すわけではないのだけれど、気分としては、臨戦態勢。そして、始まったのであります。ここはイタリアじゃないからね。時間通りに始まるのですよ。
 羽生先生は相変わらずの構え。対する山崎さっぱり青年は些か緊張の面持ちと見えた。淡々と進む中、山崎青年の手が重い。ああ、ほれ、ごらんよ、これも我が扇子の起こす神風の威力さね。青年、時間の消費が甚だ早い。これでは中盤以降は全て一分将棋になってしまいますな。大丈夫なのかね、と相手方のこととはいえ、少々心配になるほどである。孰れにせよ、この老い耄れが振る扇子の神風に押され、羽生先生の優位は揺るぎない。結構、結構、さて、一休み、と緩めた手を杯に伸ばす。と、何だ。何なんですか。え、地震とな。あれ、あれ、あれ。
 あとは皆さん御存知の通り。NHK杯の放送などどこかに吹っ飛んでしまったのである。大事件が起きれば、将棋如きが何ものぞ、と、そう仰るのは御尤も。私も引き下がりましょう、本日ばかりは。羽生先生の優勝相成ったのか、成らぬのか。そんなことは心配していない。優勝したに決まっておりますからな。
 それにしても、日本のあちらこちらで地震が起きる。被害に遭われた方々には何とも申し上げようもないし、お助けするだけの財力もない。何かお手伝いする体力は、勿論、ない。陰ながら、目に見えぬ声援を送るばかりの枯木である。頑張って生きていれば、良いことも悪いことも色々とあるものです。気を落とさずに、次の良いことに向けて、何とか頑張って頂きたい。今は、羽生先生の応援を一休みして、被災者の皆さんに向けて力風をお送りしますぞ。

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2005年03月13日

icon神風は吹き続ける


 今朝のNHK杯を御覧になった方も少なくないでしょうな。勿論、朝から羽生扇子を持ち出してきて、暑くもないのに煽ぎましたとも。ぱたぱた煽いで、おお、と呟き、ぱたぱた煽いで、天晴れ、と声をかけ、ぱたぱた煽いで、勝利を寿ぎました。羽生扇子の起こす神風は相変わらずであります。
 対戦相手は森内くん。四月からの名人戦の前哨戦だとも言えるわけで、ここで勝ったのはいつにも況して結構なことじゃござんせんか。そんなこと言ってもね、君ぃ、早指しでは参考にならんよ、と仰る方もおりましょうが、勝負だって、人間がやる以上、実力だけではなく、気も重要な要素でしょう。勝った方は気分良く試合に臨める。負けた方は何となく嫌な心持ちがする。そんなものではないでしょうかね。
 解説しているのが、先崎くんというのも面白いところですな。NHKもなかなか人選に優れておると言えましょう。この顔ぶれを見れば、小学生時代の勝負を思い出さない訳がない。ここに村山くんがいれば、益々結構なことだったんでしょうけれど、こればかりはNHKがいくら策を練ろうとも、天に勝つ手管はないわけで、仕方がない。残念なことですけれどね。
 考えてみれば、出発点ではかなり接近していた四人のその後がこんな形で対比されると、何とも切ない気持ちになります。羽生先生は七冠の時代に迫る勢いの上り調子で名人位に挑戦する。受けて立つのが森内名人。その二人が戦っているのを先崎くんは解説するばかり。中倉さんという美人が相手なんだから悪くないよ、なんてことを思う人もいないとは限りませんけれどね。将棋指しの本望はやはり将棋を指すことにあるはず。初手で角の頭の歩を突いたりするような奇抜な着想を持っていた頃の若々しさはなく、外見同様将棋にも少々贅肉がついて、切れがなくなっているのではないか、などと懸念される、近頃の先崎くん。尤も、素人が……しかも、老い耄れのこんこんちきの素人が……何を言おうと栓無きことではあるし、実際、私はずぶの、いやいや、ずぶずぶの素人ですからね。全く以て失礼千万な枯木じじいだ。
 先崎くんが羽生、森内両君に大きく遅れを取っていることに、人生の機微を見る人もいるかもしれない。けれども、私にはそうは見えない。それは偏に村山くんがここにいないことに起因するのであります。村山くんがここにいたら、どうだったろうか。そんなことを思ってみたとてどうにもならないのは明白なのだけれど、それでも、そう思わざるを得ない。この四人は、小学生時代からそれぞれの個性が互いに引き立て合って、極めて印象的でしたからね。テレビで眺めるだけのど素人の私の心の中にも、くっきり像が残っている。

 さてさて、来週は、いよいよ決勝である。如何にも賢そうな顔をした少年、山崎六段との対戦。熱戦で楽しませてもらいたいものだが、孰れにしても、最後には、我輩の振り回す羽生扇子から巻き起こる神風のお蔭で、羽生先生の勝利に終わるのでありますよ。

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2005年03月05日

icon神風吹かす


 神風という言葉は、私のような年輩のものにとっては、少々恐ろしい響きの言葉である。けれども、敢えて、こういう強い言葉を使ってみたくなるような気がしたのである。この老い耄れが荒屋で扇子を煽ぐ、煽ぐ。風は、勿論、目には見えぬ。見えぬけれども、壁を越え、町を越え、どこまでも届くのである。昨晩、この風は、新宿を越え、千駄ケ谷に至り、羽生先生を後押しし、その一方で、佐藤康光棋聖を負かす力添えとなったに違いない。恐るべし、我が羽生扇子。まあ、こんなことを言うと、羽生先生は迷惑がるでしょうな。けれども、応援している私としては楽しくて仕様が無い。ここで一杯、二杯と盃を重ねがら、頑張れ羽生よ、羽生よ頑張れ、とゆらりゆらりと扇子で煽ぐ。それだけで、見よ、年末からの快進撃。羽生先生に最近の好調は羽生扇子の齎す神風のお蔭でしょうか、と、誰か尋ねてきてくれ給え。ああ、いや、それには及ぶまい。羽生先生は言下に否定されるであろう。そこがそれ、神風というものよ。人知の及ばぬところで働き掛けているのである。神のみぞ知る。はは。

 勿論、これは老耄の酔いどれた妄想に過ぎない。けれども、妄想結構。誰に迷惑かけるでもなし。今日も今日とて扇子をぱたぱたやりながら、澤乃井をぐびりぐびり、と。四月からは、いよいよ名人位奪還を目指して、子供大会の頃からの好敵手、森内名人との三年連続の対戦となる。

 しかし、あれですな。妄想結構、などと書くと、戸原のばか孫が着ていた不良の服に縫い取られていた「喧嘩上等」という金の刺繍を思い出した。私も今度「妄想結構」という金の刺繍を入れたどてらでも誂えようかしら。いやいや、羽生先生の「泰然自若」の代わりに「妄想結構」と入れた扇子でも作るのが良かろうか。

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2005年02月27日

icon羽生先生の扇子


 ひょいと覗いた将棋連盟のホームページで、季節外れの羽生先生の扇子を購入したのは、暮れのことだったろうか。こういうちょっとした小物を手に入れただけで、今まで以上にタイトル戦の勝敗が気になったりするのだから不思議なものだ。本当は渡辺明くん竜王獲得を祝って扇子を買おうと思ったのに、残念ながら未だ発売になっていなかったのである。渉猟するうちに、羽生扇子を買うことになり、延いては、あれこれの場面で彼を応援する気持ちになっている。応援するからには、勝ってもらいたい、と思う。そう思うと、新聞やらインターネットで結果を見るのも少しはどきどきするようになってくるから面白い。最近の戦績はどうかというと、これが素晴らしく良いのである。いやあ、扇子を買った甲斐があるってもの。嘗ての、七冠の頃の勢い程かどうかわからぬけれど、今、羽生先生には激しい追い風が吹いているのは間違いない。その追い風はどこからやってくるのか。それは、勿論、この荒屋で私が扇子を必死に煽いで起こしているものなのである。いや、そんな訳はないのだけれど、そんなことを思いたくなるのが人情というものではありませんか。羽生よ、頑張れ、頑張れ、羽生よ、と、ぱたぱたと煽いでは一杯。扇子から零れるうっすらとした香りが澤乃井の香りと相俟って、良い心持ちの酔い心持ち。こんなことで御機嫌になれるなんざ、簡単で、安上がりな脳みそだね。はは。

 さて、と、暫く振りに、将棋連盟のホームページを覗いてみる。おお、何たることか、渡辺明の第十七期竜王位扇子がもう発売になっているではないか。これは、買うべきか否か。もし、仮に購入したとすると、私は羽生善治、渡辺明のどちらを応援すべきなのか。二人とも応援してあげたまえよ、と仰いますか。御尤も。御尤もなのであるけれど、じゃあ、その二人が対戦する時にはどうすれば良いのだろう。ううむ、若貴の優勝決定戦のときにも、同じように悩んだのを思い出した。あのときは、お兄ちゃんの方を応援したけれどねえ。何故だったかは思い出せないけれど。

投稿者 nasuhiko : 18:45 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月30日

icon下手の横好き

というほどの熱意はないのだけれど、将棋を眺めるのが好きである。やるのではなく見るのが好きなのだ。ルールを知らないわけではない。いやいや、勿論、知っておりますとも。小学生自分にはよく将棋をやったものである。中学に入ってから、ぱったり止してしまった。何か特別な原因があったのかどうか、思い出せない。
 テレビでの放送は気がつけば見るようにしている。NHK杯は決着が早いので大好きである。老人がぶつぶつと何事か呟きながら嬉々として眺めている様は、さぞかし異様に映ることだろう。しかも、私は限りなくど素人なのである。画面に向かって、「おおっ」「なんと」「ふうむ」「いやはや」などと独り言ちてはいるものの、全く勝手な解釈をしているだけで、実際の盤面上での趨勢や指し手の好悪には殆ど関係ない。解説者の説明を聞いて、なるほどなあ、と漠然とは思うのだけれど、その理解さえ合っているのかどうか心許ない。それでも御当人は楽しいのだから、将棋の魅力というのは不思議なものだ。いや、私の脳みそのぼけ具合が不思議なのだと言うべきかもしれないが。
 名人戦などのビッグ・タイトルも面白くなくもない。ただ、あまりに長期戦なので、見ていて疲れてしまうのである。二時間もすると、手持ち無沙汰に耐え切れず、呑み始めてしまう。で、結局、勝負が盛り上がる頃にはうとうとしてしまっている。馬鹿げた話である。
 そんなものよりも、面白いのは、将棋の日の催し、お遊び的な大会である。あれこれと手を変え品を変え、普通では有り得ないような場面もたくさん現出し、楽しませてくれる。しかし、それよりもさらに面白いのは小学生名人戦である。小学生と侮るなかれ、見かけと中味は大違い。彼らの指す将棋は子供の遊びなんぞではなく、未来の名人への一歩なのである。そうは言っても、小学生であるからして、喜びも悲しみも正直に表情に出るのが良いところ。親ばか気味な家族の声援もご愛嬌。
 記憶に明確に残っているのは、やはり羽生少年のことである。頭に赤いベレー帽か何かを被って、ちょいと傾いたような姿。今と変わらないと言えば変わらない。がっちりした森内少年と対照的だったから余計に印象深かったんだろう。羽生少年に次いではっきりと覚えているのは渡辺明少年である。小学生の時の同級生の誰かに似ているような気がする、些かぷっくりとした頬がとても愛らしかった。その渡辺明が早くも竜王という大きなタイトルを手中にした。奪った相手が小学生名人戦の先輩森内だったのも何かの縁かもしれない。渡辺明竜王を記念したものが何か売っていないかと将棋連盟のホームページを覗いたけれど、さすがにまだ用意されてはいないようである。あれこれ見回して、羽生先生の紺染の小振りの扇子を注文した。もう扇子の季節はとっくに終わってしまいましたけれどねえ。

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