2005年10月06日

iconトラックバックがこつこつと


 一ヶ月ほど前だったろうか。また、訳の判らないトラックバックがやってくるようになった、とここに書きましたな。何がどうということではないのだけれど、気持ちが悪いので、何とかしなくてはいけない、と思ったのであるけれど、対策を取る為には、また文字文字文字文字の海の中をほっつき回って、ここを書き換え……などと、やらねばならないのか、と思ったら、とてもじゃないが、嫌気が差しましてね。結局、諦めている次第。尤も、ただただ諦めている訳ではないのであります。いくつも、トラックバックのスパムというもののことを書いてある方々のものを読んで、簡単そうなものがあれば真似しよう、と読むぐらいのことはしている。まあ、威張るほどのことではないけれど。その中で、禁止IPというものに番号を登録すれば良いのである、というような方法がありました。それを採用させていただき、毎日毎日、新しくやってきたトラックバックの数字を禁止IPのところに書き込んで言っているのであります。そして、それから、妙なトラックバックを削除するという作業を、日々繰り返している。禁止IPというのがどれぐらいの効果があるのか、実は、大変心配になってきているのであります。何故かというと、この一ヶ月間、相変わらず、変なトラックバックが来る。毎日、こつこつこつこつと二、三個の日もあれば、多い時は、八つ、九つなんぞとね。それで、目を凝らして見てみると、確かに、禁止した番号と同じものは来ないのであります。つまり、それなりの効果はある、ということなのだろうと思う。けれども、それでも、毎日、ぽつぽつやってくるのは止まない。どういうことなのか判然としない。今日見てみたら禁止のところには既に二百もの数字が登録されている。なのに、未だ未だやって来る……。
 何らかの実害がないのだから、放っておけば良いではないか、と思われる方がいるかもしれませんがね。心が感じる気持ち悪さというものだって、十分に実害なのでありますよ。外国の、何処の誰だか判らぬ連中に付け回されておるのですぞ。気持ち悪いし、恐ろしいし、ああ、嫌になる。ううむ。

投稿者 nasuhiko : 20:48 | コメント (0) | トラックバック

2005年09月10日

iconトラックバックが大量にやってきた


 ここ数日、トラックバックとコメントが大量にやってくるようになった。しかも、あれですよ、また、例の、スパムというやつである。外国からのね。一時期、あの、Biancaさんのところで学んだ方法でやっつけることができて、大きに感謝していた次第。しかしですな、賞味期限が切れたのだろうか。近頃、毎日ですよ。毎日、ぽろぽろとやってくる。全部英語ばかりでね。こちらの内容なんざ関係ないよう、なんて駄洒落を言っている場合ではないよう。兎に角、online casinoだとかviagraだとかdiamondだとか、ああ、忘れましたが、そんなようなところからどんどん送られてくる。不愉快千万だし、気持ちが悪いし、全く何だって、こんなことをする人が世の中にいるのだろう。もう、マックをつけるのも嫌になる。けれども、ここでこんなものに屈してはいけない、とも思う。そして、また対策を学ぼうと思って、インターネットを検索するのであるけれど、難しいのである。困ります。あれこれと色々な人の対策を読んではみるものの、さて、実際の方法となると、以前と同じように、また文字文字文字の海をさ迷って、書き換えたり、文を足したりしなければならないのでありますよ。そう思うだけで、頭が痛くなり出して、痛み止めだということで、昼間っから呑んでいますよ。スパム・トラックバックというやつのせいで、此方人等、昼間っから呑んだくれでしまっている。こんなことでは躰が持ちやしない。尤も、昼間から呑むのは私の自制心の無さの為せる業ですからね、一概に、スパムを送る人ばかりを責める訳にもいかないかもしれない。いやいや、けれども、連中が気味の悪い攻撃をしてこなければ、昼間から泥酔に及んだりする筈はない訳で、やはり、悪いのはスパムの人たちなのである。どうにかしなければいけないなあ、と思うものの、この酔っ払い具合じゃ、今日はもう無理ですなあ。悪いのは連中だが、私が愚かでだというのも、やはり、紛れもない真実。スパムの気持ち悪さだけでなく、段々、呑み過ぎの気持ち悪さも重なってきましたよ。つくづく、莫迦な老い耄れですなあ。

投稿者 nasuhiko : 17:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月02日

icon謎のエラー


 ふと気がつくと、この日記を書く時というのか、保存するときというのか、兎にも角にも、エラーを伝える妙なメッセージが下の方に出ていることに気づいた。それは「Argument "=) at lib/MT/Template/Context.pm line 712.」というものである。この怪しげな呪文みたようなものを見たところで、一体何が起きているのかは、例によって、全くの珍紛漢紛。些かうんざりしながらも、勇気を奮い起こして、文字の海へ乗り出してみたのであります。件の712行目には「last if $n && $i >= $n;」と書かれている。これが何を意味するものなのか。何か書き加えたり、消したりすれば解決するのか。全く以て理解不能。不安になるばかり。太刀打ちできる余地など毛頭ないことがはっきりしたことだけが、唯一の成果である。急いで、その場を離れたじじいであります。
 実力で何とかしようなんてえことを思う権利があるのは、実力がある人だけである。私の如き、コンピューターの知識もないばかりでなく、社会常識もなく、おまけに、目がしょぼしょぼしてあれこれと読み違えたり書き違えたりするようなぽんこつが、自力で何とかしようなんざ、笑止千万。身の程知らずも甚だしい。片腹痛い思いである。そこで、先人、賢人に学ぼうと、インターネットの海を渉猟したのである。渉猟したのであるけれども、どうもうまくいきませんな。同じようなエラーが出ているというお人をたった一人発見しただけで、解決策は一切みつからない。ううむ。
 しかし、物は考えようと言うではないか。そうなのだ。近頃になってから、先のエラーのメッセージに気付いたけれども、これはもしかしたら、ずっと昔から表示されていたものかもしれないのである。ずっとずっとずっと昔から、それこそ、このブログというものを始めた時から出ていたかもしれないのである。だとしたら、今更、何をじたばたすることがあろうか。こんなものは、無視するに限りますよ。何か実害がある訳でないのだから、無視するが宜しい。そんなことを、自己暗示的に呟き、自己暗示的に書き記し、自己暗示効果を高める為に、澤乃井をがぶりといく。ううむ。こんなことで良いのだろうか。

投稿者 nasuhiko : 17:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月21日

iconまだおりましたが……


 塵を出して戻るところ、鳴きましたよ。ホーホケキョ。おお、未だいてくれたのか、と、慌てて荒屋に戻り、秘密兵器を手にして表に出る。奴さん、また、随分と高いところで鳴いておる。ホーホケキョ。昨日、あれほど練習したのにもかかわらず、いざ鶯を目の前にしてあたふたするばかりでなかなか思うようにいかぬ。むむむむ。しかし、あれこれやっているうちに、どうにか動き出した。早速、鳴き声のする方に向けて、ぴかりと赤くてちっちゃな機械を向ける。時間が時間だけに、通勤する人々、通学する若者たちが足早に通り過ぎる。無論、ただ通り過ぎるだけでなく、茫と突っ立って高い木に向けて手を翳している老い耄れを一瞥。ああ、可哀想なじいさんだね、とでも言いたそうな眼差しである。ふん、判らん人々には判られんでも構わんわい。兎にも角にも、静かに通り過ぎてくれ給え。鶯を脅かすことなく、この機械の中に、自転車のぎーこぎーこと進む音が入り込んだりしないようにね。
 息を殺して、静かに録音。録音を始めると先様が鳴き止んでしまったり、ホーホケキョと、こう、何と言うのか、あああ、止めるとホーホケキョ、と気が合わなかったりするものの、録っては止め、あれれ、ホーホケキョ、録っては止め、と何度か繰り返す。
 さあ、兎にも角にも、マックにさしてみようではないか。おお、一杯録れておりますなあ。早速、順番に聴いてみる。これが、微妙なのである。かちゃかちゃ金属音が入っていたり、風の音らしきもの、衣擦れのような音、などなどなど、余計なものがたくさん録音されておる。勿論、鶯の声も入ってはいるのだけれど、小さい。かなり小さめである。しかしながら、一回目の挑戦としては、立派なものだ、と思おうではないか。さて、問題は、これをどうすれば良いのか、ということである。絵や写真なら、何とはなしに扱い方が判るものの、音のものはどうすれば良いのだろう。要らないところを切ったり貼ったりできるのだろうと思うものの、操作方法が如何な見当がつかぬ。今日の分は、全部捨ててしまって、明日からまた挑戦して、録音状態の良いものを用意するのが先決かとも思うけれど、明日も未だ鶯が鳴くのかどうか、それは誰にも判らぬ訳で、そうなると、この遠くで小さく聞こえる鳴き声だって、貴重なものではないか、と。もやもやと纏まらぬ考えを肴に呑み始めてしまった。明日は明日の風に任せるとして、今日のところは、これ以上余計なことはせずにホーホケキョ。

鶯の歌 雑音の間から

投稿者 nasuhiko : 18:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月20日

icon鶯がいるうちに……


 田村師匠が昨日訪うて下さったのは、交換音楽のためばかりではない。一番の目的は、私の呟きに応えるべく、鶯の声を録音してマックの中に入れる道具を買ってきて下さったのである。驚きました。このクロスセブンという赤くてちっちゃな代物で外界の音を録ることができ、かつ、マックに差し込むだけであれこれできるようになるのである。文明はここまで進んだのか。この小ささは、比較するなら、何でしょうな、百円ライターというもの、あれぐらいでしょうかね。いや、あれよりは大きかろう。ううむ、俄には信じ難かったのだけれど、師匠が説明がてら実演してくれたのであるからして、現実なのである。
 自分独りで同じことができるのかどうか、と、早速、本日試そうと思っていたのだが、間の悪いことに雨である。鶯が鳴く訳がない。他の鳥だって、宇宙人面した猫だって、現れる気配がない。仕方がないので、自分で、そのちっこい機械に向かって喋って、録音することに挑戦した次第。ところが、これがなかなかうまくいかない。師匠はあんなに簡単そうに扱っていたのだが、この老い耄れときたら、手先が不器用な上に脳みそまで不器用なもので、弄れば弄るほど訳がわからなくなる。情けない気持ちに襲われながらも、懲りずに、説明書と首っ引きで、かれこれ一時間ほども格闘した結果、何とか仕組みが理解できた。判ってみればどうということもないような気もするものの、暫く使わなかったら、またすっかり忘れてしまいそうな気もする。まあ、そうしたら、また格闘すればよいのである。
 いざ、録音という段。こんなちっぽけな代物に向かって独り言つ姿、傍から見れば、全く以て笑止以外の何ものでもなかろう。しかし、こういう時、うまい言葉が出ませんな。「ああ。ああ。マイクのテスト中」と、典型の中の典型ですよ。しかも、冷静に考えれば、マイクをテストしている訳ではない。録音機能をテストしているのである。まあ、そんなことはどうでも良い。そして、マックにさしてみた。すると、画面に出てきましたよ。ダブルクリックするとマックから「ああ。ああ。マイクのテスト中」としょぼくれた声が聞こえてきた。はは、馬鹿馬鹿しいけれど、何となく愉快である。三度も、己の、言ってみれば、棒読みの台詞を聞いてしまった。莫迦だね、全く。
 あとは、明日、晴れるのを待つのみ。そして、鶯の声を録音するのである。しかし、少しく心配ですな。この雨を機に、鶯がもう来なくなってしまったりしないか、と。春も大分深いもの。

春雨の間の悪き 鶯何処

投稿者 nasuhiko : 19:19 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月26日

icon妙なトラックバックが止まった


 昨日の悪戦苦闘の甲斐があったのだろうか。本日は、妙なトラックバックが来ていない。Biancaさんの呪文が聞いているのだろう。実に有り難いことである。何となく不安で、気が重かったのが一掃されて、気分爽快。ああ、今日は澤乃井が一段と美味い。

 それにしても、気持ちの悪いことをする輩がいるのは困りますな。海の向こうから、せっせかせっせか何か仕掛けてくるなんてね。今回のはトラックバック・スパムと言われているもののようだけれど、兎にも角にも、意味が判らないのが宜しくない。何とも落ち着かない、中途半端な、厭な気持ちにさせる。目的や何かがはっきりしていれば、納得したり、怒ったりできるので、心の持っていきようがあるけれど、意味が判らないのはいけないことである。尤も、意味が判っても、悪意に満ち満ちたもの、例えば、何時ぞやのボクボク詐欺みたようなものだと、それはそれで困るけれど。
 スパム・メールというものもちょこちょこちょこちょこと毎日毎日休みなく届く。あれも謎ですな。あんなものが宣伝になるのだろうか。あんなメールを見て、何かを買ったり利用したりするお客になるなんてことがあるのだろうか。寧ろ、怪しいメールを寄越すような業者とは金輪際付き合う気がしない、というのが本当のところなのではないのだろうか。子供だって判りそうなことである。そんなことにも思いが至らぬとは、スパム・メールをしている人々というのは、相当な抜け作ばかりが集まっているに違いない。待てよ、いやいや、奥深いインターネットの世界のことである。私の如き浅知恵には思い付きようもない不可思議な儲け口がないとも言えまい。まあ、仮にそんなものがあったとしても、他人様の気分を害して商売をしようなんざ許される事ではない。

 地球には、今、人は何人いるんですか。五十億人とか六十億人だったかしら。孰れにせよ、それだけ多くの人がいれば、悪い事を考える輩が出現するのも仕方がないことなのかもしれませんなあ。いやいや、そんな風に考えてはいけない。諸君、最後には、必ず、善が、正義が勝つと信じようではありませんか。

投稿者 nasuhiko : 13:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月25日

icon妙なトラックバックが止まらない


 恐ろしいことに、外国からの、例の、妙なトラックバックが毎日毎日飽くことなくやってくる。最早、朝になって覗いてみるのが不安になるほどである。先方の意図が判然としないというのは、胸の内に、漠然とした恐怖みたようなものを掻き立てますなあ。何故、彼(あるいは彼女)は私のような老耄の呆けた日記にここまで付き纏うのか。一種の、世に言うストーカーのようなものなのか。ああ、厭になる。
 厭だ厭だと愚痴を繰り返していても何もならん。そうは判っているものの、猶もうじうじ、猶もぐじぐじ。昼間から澤乃井に頼ってばかり。仮に肉体はアル中ではないとしても、これでは、精神的には立派なアルコール依存症である。老い先短い私のこと、好きなだけアルコールに依存すれば良いではないか、とも思うけれど、男児たるもの、それで良いのだろうか。いや、いけないのである。そんなことでは、マリに顔向けができませぬ。草葉の陰からの声が聞こえる。あら、いやだよ、うちの人ったら、女の腐ったのみたいで情けないったら、ありゃしない、なんて。念の為に申し上げますが、実際のマリは決してこんな口調ではありませんでしたけれどね。

 心機一転、老人は剣の代わりにマウスを手に持ち、旅に出たのであります。あれこれ、荒波をかき分けかき分け、うろつくこと小一時間。到頭、解決への光が見えたのであります。辿り着いたのは、Biancaさんという方のブログ。ありがたい説明があります。それにしても、こういう理科系的な智慧をお持ちの方には心底敬服いたさざるをえません。
 さて、例によって、意味は理解できぬままに、手順に従って対策を施すことにしましたよ。始めてみると、例に因って、例の如く、ああ、文字の海です。文字だらけ、文字だらけ。しかし、どうにか頑張らねばならない。勿論、頑張りましたとも。問題のファイルに辿り着き、怪しいトラックバックを跳ね除ける呪文のようなものをどうにかこうにか書き加え、さあ保存……ところが、この段になって、今の文字の種類では保存できないとか何とか言われてしまう。三つのボタンから選ばなければならなくなってしまった。どうするれば良いのか。どうするのだ、惚山。悩んでいてもしょうがない。えいやっと適当に押してしまった。ああ、だけれど、あれで良かったのかどうか。今になって心配になってきた。女々しいぞ。くよくよするな、茄子彦よ。

投稿者 nasuhiko : 16:28 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月23日

icon妙なトラックバック


 ある日突然に、夥しいトラックバックがやってきて、吃驚、動顛、驚愕、仰天。一体どうなっているのだろうか、とみてみると、全文英語の広告みたような代物ばかりである。連中から見れば極東の、しかも、ちっぽけな島国の、中でもずば抜けて寂れた、老いぼれの妄想日記にトラックバックすることに、どんな意味があるのだろうか。暫時、からからの脳みそを震わせてみるが、何一つ思い付くことなどない。それもその筈、そもそも、トラックバックの仕組みを理解していない私である。今までに、何度か試みたことがあるし、いくつかのトラックバックを受けたことだってあるのだけれど、情けない哉、本当のところはよく判っていないのである。
 私の大雑把な理解では、トラックバックなるものは、参照したり、参考にしたり、関係があると伝えたかったりする時にするものだ、というところ。もしかすると、あの、恐らくアメリカからと思しきトラックバックは、この、老耄の妄言の羅列を何か参考にしているのだろうか。いやいや、そんな気配は毛頭ない。然らば、何故か。ううむ。謎である。
 兎にも角にも、何だか気持ちが悪くなってきたので、一連の不可思議なトラックバックを消してしまった。これで良かったのだろうか。あのような謎のトラックバックに対して、皆さんはどうされているのでしょうな。
 しかし、毎日、毎日、海の向こうから、あのような意味不明の、トラックバックの黒船の襲来が続くことにでもなったら、不気味でしょうなあ。明日もまた来るのだろうか。どのような意味が、意図があるのかわからないだけに、些か不安になり、胃がしくしく痛み始めた。こういう時は、ぬる燗を二本かそこいら、するするっと引っ掛けて、暖かくして、早いとこ寝ちまうに限ります。そんなわけで、御免下さい。

投稿者 nasuhiko : 20:55 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月20日

iconフォトショップ・エレメンツ


 タブレットというものを使って、絵を描こうとして、当座、挫折した形になっている。情けない話だが、本当のことだから仕方がない。その一方で、ここのところずっと、フォトショップ・エレメンツというもので、デジタル・カメラで撮影してきたものを、あれこれと弄ることに嵌まっている。お気付きの方もあろうけれど、このブログに載せる写真も、よせば良いのに、あれこれ玩んだ挙句、撮ってきたままの方が余程ましではないか、というような代物に転じてしまうこと、屡々。まあ、そうは言っても、私の場合、カメラの腕前も大したことはないので、多くの場合、加工前も加工後もおっつかっつといったところか。情けない話だが、本当のことだから仕方がない。
 そこらを散歩がてらにうろうろうろうろしながら、気に入ったもの、気になったものを撮影する。最初の頃は、随分と人目が気になった。人々がちらちらとこちらを覗き見ながら、おいおい、いい歳したじいさんがデジカメもって何かやってるよ、などと、耳打ちし合っているような気がして、何とも居心地の悪い思いだったけれど、実のところ、私のような老いぼれが何をしていようと、忙しい世間の皆々様の興味を引くことなど、殆どない。全て自意識過剰の成せる業、誰も、あんたなんか見ちゃいないんだよ、老いぼれくんよ……と、思うと、それはそれで些か悲しい気がしなくもないけれど。
 荒屋に戻り、マックに繋いで、いよいよフォトショップ・エレメンツの登場である。始めのうちは、自分の記憶と比べながら、もうちょっと全体に青がすっきりしていたはずだ、そもそも、もっと明るかったよ、などと、微調整をしてみる。してみているうちに、どんどんどんどん画面は不可思議な色になってきてしまって、こうなったら、フィルターやら何やらで、もっと変にしてしまえ、と開き直る。気がついてみれば、何が何だかわからない代物になっている。やっているうちに酔っ払ってきてしまうから、程好いってところが判らなくなる。どうだい、もうちょっと弄ってみよう、なんてね。こんなことを最近は毎日繰り返している訳である。それにしても、成功しても失敗しても、それなりに楽しいってんだから、全く以て、暢気なじいさんだよ。

投稿者 nasuhiko : 21:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月25日

iconデジタルカメラの01


 写真なんてものは、ちょいとしたスナップが撮れれば何でもいい。それ以上のものは、プロフェッショナルか、カメラが何よりの趣味という、裕福な、あるいは、機械好きな方々に任せておけばいい、そんな風に思っていたものですよ。そう言えば、高部なんぞは高校時分からラジオや写真機に凝ってましたなあ。彼の場合、凝っているだけでなく、趣味が嵩じて雑誌に原稿を書いたり、終いには、小さい会社を作って何だかんだやっておりました。学校に背広着て来てましたね。うちが貧乏で制服買う金がないから親父のお古を着てんだ、なんてことを言ってましたが、本当のところはどうだったのか。気取り屋だったからねえ。しかも、勉強している風でもないのにいつも一番取ってて、そのまま東大行っちまった。根っから頭が良かったんでしょうね。もっとも、その代わりってのも何だけれど、運動や腕っ節はからっきしでしたけれどね。返す返すも惜しい人物を亡くしました。

 文明の進歩というのは恐ろしいもので、素人でも気軽に、しかも、簡単に撮れるカメラが出てきたかと思えば、そうこうするうちに、使い捨てのカメラなんてものが出たてんで、随分、驚いたことを思い出します。写真機てえものは高級品だとばかり思っていたが、使い捨て、とはねえ、と。
 そうこうしているうちに、今じゃデジタルカメラ全盛の御時世と相成ったわけです。私の如き老耄は、しかも、写真なんぞに興味のなかった男ですから、デジタルカメラなんて言われても、彼岸のことでございましょう、てなもんでしかなかった。全然興味がありませんでした。ところが、この老耄日記ブログを始めるところから、世界が一変しました。我が家に白いコンピューターが来てねえ。へへ。木造の荒家に白い小粋なコンピューターですぞ。しかも、その前に坐っているのは、こんな干涸びた鰯のようなじじいなのであります。違和感を絵に描いたらこんな具合てなものです。猫に小判、豚に真珠、の体で、爺にマックってなもの。こいつが素晴らしい機械だったのですなあ。そして、素晴らしい機会でもあったわけです、と洒落にもならない洒落を言ってみたりして、今日は随分、躁の側に振れていますけれどね。まあ、これは、例によって、昼間から澤乃井をやっつけているからでして、ひとつ、まあ、あなた、そこのところは御免蒙ります。
 田村師匠に選んでいただいた、今や自慢の青いデジタルカメラで写真をどんどん撮って、どんどん撮って撮って、撮りまくりのこんこんちき。そして、コンピューターにコードを差し込めば、あとはあれこれ自動的にやってくれる。凄いね、どうも。大したもんだよ、世の中の進歩てえものは。いやいや、だが、そうは言っても、いくらマックが進化したところで、澤乃井には化けられめえ、てんだ。はは。

呑みぬれば 色に出でにけり 我が酔いは
  歩けますかと 人の問うまで

 どうにもばかだね、おれてえやつは。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月16日

iconカスタマイズ01

 本文の中で話題にしたレコードの一覧をリストのような形で文末に付けようとしたのだが、気に入ったようにならない。相談すべき田村師匠にも連絡がつかず、思い切って是田大師匠に電話差し上げたが、留守番電話が出るばかり。しかも、「家におりますが、ただいま電話に出る気分ではありません」というメッセージ。流石だ、というべきなのか。大胆不敵である。
 しかたがないので、自力解決を目指し、漠然とインターネットを検索する。他の人のブログを読むのはなかなか楽しいのだけれど、技術的なもの、殊にコンピュータやブログの云々かんぬんについて書かれているものは、当方が未熟者であるだけに珍紛漢紛である。意味のわからんものを読み続けるのは苦痛以外の何ものでもないので、申し訳ないけれど、そういうページはさっさと立ち去るようにしている。だが、待ち給え、自分で問題を解決しようと思うのなら、そういう態度ではいかんのである、と、なぜだかやる気を出して、正面から取り組んだ老いぼれである。あちらこちらのページを渉猟して、読み始めるのだが、すぐに挫折、移動、読み始め、挫折、移動、を繰り返し。諦めかけて、一杯呑んで、いやいやまだまだ、と再出発。そして、とうとう辿り着きましたよ、私にも何とかわかりそうなところに。katati.memorandumさんの「blockquoteで改行を」というところです。必要なことが簡潔にまとめてある。ありがたい話だ。長い説明文を読んでいると泥酔時以上に目が回る思いのする私にとっては、これは何よりもありがたい。
 早速、書かれてある通りにやってみた。はああ、インターネットてえところは、どこもかしこも、舞台裏から眺めりゃ文字ばっかりなわけですな。とんでもないところに迷い込んでしまった。さながら、宇宙探検隊が未知の星の得体の知れないジャングルの中に潜り込んでしまったような心境である。右を見ても、左を見ても、文字、文字、文字の山。しかも、意味の判る言葉など殆どない。ううむ。しかし、私は頑張ったのであります。膨大な文字群の中から、どうにかこうにか該当箇所を発見し、「blockquote」を消して、保存したのであります。宇宙探検隊は地球を救うための使命を無事に果たしたのでありますよ。
 いやあ、Transitというソフトを一人でいじるのは初めてだったので、緊張しましたなあ。見様見真似で、つまりは、門前の小僧てな具合ですな。それにしても、こう、何というのか、文字ばっかりが出る画面というのは、無言の圧力というのか、人間を寄せ付けないような何かがある。私の如き老耄の無知人が立ち向かうのには大きに勇気が要る。しかし、やり遂げましたとも。正直に言えば、私にはなかなかの遠い道のりでありましたけれどね、兎にも角にも、一日がかりで解決しました……はずです。ふふふ、一皮剥けて、大きな飛躍をしたような、申しようのない達成感、満足感に充足しておる次第。いやあ、大したものじゃありませんか。ふふ。お陰様で今日も酒が美味い。美味いよ、酒が。えへへのへ。

投稿者 nasuhiko : 15:29 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月14日

iconトラックバックって

 ブログというものを始めて暫く経つ。近頃では他人様のブログというものを読んでみるようになった。その他人様のブログと自分のブログを結びつけるのがトラックバックという仕組みなんだということは朧げにはわかっていたのだけれど、いざ、じゃあ、やってみるか、という段になると、わけがわからず、結局、腰砕けの軟弱じじいは尻を捲って逃げ出すばかり。情けない。
 しかし、昨日はいよいよトラックバックというものに挑戦してみたのであった。うまくいったのか、いかないのか、実のところ、よくわかっていないのだが、特にエラーだとか文句だとかがあらわれないというところから考えて、成功したのではないだろうかと思う。いやいや、そもそも挑戦することが大事なわけで、仮に失敗していたとしても、また挑戦すればいい。ふふふ、私もなかなかこなれてきたね。なんてね。

 ブログというものは、インターネット上での日記のようなものなのだ、というような説明がなされること屡々だが、実のところ、帳面に萬年筆で綴るものとは全く異質なものである。本来個性的な筆跡が整ってはいるが没個性的な活字で表示されたり、デジタルカメラで撮った写真をすぐさま載せたりできる、ということだけでも大きな違いである。まだ私は実現していないけれど、音楽を鳴らしたり、映画のようなものを見せることさえできる(はずである)。しかし、一番の相違点は、インターネットができる人なら誰でも読めるべく公開されている、というところであろう。紙の日記帖は誰にも読まれないという前提で書くものだけれど、ブログというのはそもそもが誰もが読み得るものなのである。というか、誰かに読んでもらいたい、という気持ちが幾許かはあるところから始まっているものであろう。現実問題として、私のブログを読んでいる人がいるのかどうかは不明だけれど。
 更なる違いは、トラックバックにある。トラックバックというものを利用すれば、自分の日記が他人様の日記と繋がってゆく。その他人様の日記がまたまた別の人の日記に繋がり、さらにその日記が……となっていけば、私の、この、今、現在殴り書いているものさえ、海の彼方の人々と(あるいは、隣近所の人々とだって)繋がってゆくということになるのか。そう考えると、楽しいような、無責任なことを書くのが憚れるようで心配になるような、何とも不思議な気分である。そんな不思議な気分に包まれたまま、今日もまた他人様の日記を覗くすけべじじいである。

投稿者 nasuhiko : 00:26 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月13日

iconアフィリエイトなるもの

「どうです、日記の具合は」
 昨晩の田村師匠である。
「なんだかんだ言って、少しずつ少しずつですが、慣れてきましてね。特に苦労するってこともありませんが、普通の帳面に綴った日記を翌日か翌々日か、あるいは、もっとあとになって、コンピュータに載せるわけで、多少、混乱することがありますな。話が前後したりしていないか、と気になったりもしますが、まあ、そう真剣に読んでいる人もおりますまいし、そもそも順序がとんちんかんであろうとも、誰かに迷惑をかけるわけでもないし」
「そりゃそうですね。ところで、ブログにも慣れてきたということですから、今度は、アフィリエイト・プログラムというものに取り組んでみては如何がですか。仕組みを話せば長くなりますが、要するに、茄子彦さんのホームページに広告を載せて、ささやかな広告収入を得る手蔓とするとでも言えばいいのですかね」
 何だか判然としない話である。顔にそう書いてあったのだろう。
「広告をつけて、金儲けをしよう、というような感覚ではないのです。インターネットの仕組みに……経済的な部分にってことですけれどね……より深く参加するというようなところでしょうか。それで、少しはお小遣いが手に入るかもしれない。もちろん、手に入らないかもしれないですけれどね。いずれにしても、自分もこのネットワーク社会の一部なんだなあ、と実感できるようになりますよ」とふふふと微笑む。
 結局のところ、判然としないままである。家に帰ってから、あれこれと検索していろいろなホームページを読んでみたら、何となくわかったような気がしてくるから不思議である。なかでも「アフィリエイトの始め方:アフィリエイト体験記」では私の如き入門者にもわかりやすく書かれている。先陣のご配慮、誠にあ有り難し。
 それにしても、グーグルというものは便利なものだなあ。

 兎にも角にも、師匠の技術的援助を仰ぎながら、アフィリエイトなるものに挑戦する、耄碌じじいここにあり。

投稿者 nasuhiko : 09:22 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月27日

iconお絵描き(些かがっかり)

 若い頃には少しは絵筆を握ってみたこともある。水彩、油彩、スケッチに墨絵、あれこれとちょっかいを出してみて、自分では三流ながらもそれなりの絵心があるつもりであったのだけれど、些か自信喪失せざるを得ず。コンピュータに絵を描くのは実に難しい。師匠が用意してくれたペンタブレットというものを玩んで、かれこれ三時間ほどにもなろうか。始めは楽しかったけれど、描けども描けども、ちっとも上達しない自分自身に次第に腹が立ってきた。この未熟者めが。

 三時間で得られた成果はへなちょこな茄子の絵だけである。こんな児戯に等しい代物が何になろう、とうっちゃっておいたけれど、夕刻、師匠が再度訪れて、日記の背景に仕立て上げてくれた。こんな拙いものでも今までの無地の背景よりはましに思えるから不思議である。

 下手くそな絵しか描けぬ言い訳というか愚痴というのか、そんなものをぶちまけていると「最初からうまくはいかないものですよ。けれど、慣れれば、これはこれでなかなか便利なものです。紙と絵の具で描く絵とは別のものだと思ってください。別の道具なんです。一長一短、これにはこれの良さがありますから」そう言って、手品のように線のタッチを変えたり、色を変えたり、同じものをたくさん複製して整列させたり、変形させたり。ほほう、なるほど、なかなかこれはこれで面白いものかもしれない。筆とカンバスを模したつもりで振る舞っていたけれど、そういうものではないのであろう。形状はペンを模していても、機能は全く別のものである。新しい道具として扱えば何か面白いことができそうな気さえしてきた。師匠の手管にすっかり嵌められてしまったようである。もう少し、このペンタブレットと付き合ってみようかと思う……けれども、今日のところはもううんざり。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月26日

icon鞄の中味、頭の中味

 このコンピュータで、私のような耄碌爺に日記を書く他に何ができましょうか。田村師匠が来訪した折、そんなことを尋ねる。
「欲が出てきましたか。そりゃ結構なことです。今どきのコンピュータは家庭用のものでも随分といろいろなことができるものですよ。実際、私は音楽も映像も作っていますし」
 私は、ですな、インターネットの日記にですね、写真を物したいのでありますよ。文字だけってのも、何だか物足りない。というのも、まあ、そりゃ、私の文章が稚拙だから文字だけでは楽しめるようなものを書けないだけなんでしょうけれどね。
「写真ですか、そりゃよござんすね。近頃はなかなか気の利いたデジタル・カメラがありますから、何か一つ見繕っておきましょう。デジカメてぇものは銀塩のカメラなんぞより気楽なものです。すぐにお使いになれましょう」いつものように、清かに響く師匠の声音。ついでに、コンピュータに絵を描く道具も揃えていただけると幸いである旨、申し添える。
「お安いご用ですとも。二、三日いただけますか」

 姿形もなかなかにうるわしいこの青年、普段は何をやっているものやらよくわからないけれど、青魚をつまみながら杯を傾ける姿など、何やら、時代劇に登場する、涼し気な若侍を彷彿とさせるところがなくもない。もっとも、足元の鞄にはコンピュータや携帯電話、音楽をどうにかする小さな機械などなどと、時代劇というよりは近未来、まさにデジタル社会の申し子である彼である。
「鞄の中味は電化一辺倒ですか」と尋ねると「いやいやそんなことはありませんよ」と中からあれこれ取り出して見せる。なるほど、手帖が数冊、本が数冊、二本差しのペンケースには銀色の萬年筆と鉛筆。「アイディアは手書きでメモするのです」と手帖の一つを見せてくれる。表紙には『プレス工場』と丁寧な装飾性の強いレタリングで記されている。ぱらぱらと繰ってみる。小鳥の絵が描かれていて、その横に「コゲラが木をつつく」いう文字が書かれている。「目蒲線の線路のリズム」「雨の日に君の家の前の歩道橋の上でレコーディングします」「活字乱舞」などなど、判然としないメモが並ぶ。絵のような記号のようなものもたくさん描かれている。それらは一体何を意味するのだろう。狐に撮まれたような、顔をしていたのだろうか。「鞄の中味は見られても頭の中味は見られませんものね」ふふふと微笑む。

 田村師匠という人が何を考える何者なのか、ますますわからなくなりました。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月18日

iconたびだちへのたびだち

 七転び八起きなんてことを言うけれど、まあ、転んだって転んだって起ち上がれば良いってことでしょうか。実際、コンピュータ自体はいとも容易く立ち直りました。しかしながら、私の方は、そう単純でもない。それが人間ってものでしょう。師匠のあの含み笑いの如きものが眼前から消えない。当分は消えそうにない。一杯二杯ひっかけて良い調子になっていても、ふと思い出したりすると、もういけない。酔いのせいでなく、羞恥心から顔が火照って赤くなるのがわかる。私は何故斯様に見栄っ張りのじじいなのであるか。嫌になります。
 そうは言いながらも、師匠の教え方がうまいのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、生徒が優秀なのか、少しずつ進歩しているのも事実である。インターネットを閲覧することとメールを読み書きすることをマスターするのにそう時間はかからなかった(と思う)。文字を打つ速度もちょっとずつはましになってきている。著しく肩が凝り、目がしょぼしょぼするという点を除けば、コンピュータもなかなかに楽しいものである。そんな気さえする今日この頃。
 近頃は、前の晩に日記帖に書きつけたものをコンピュータで打つという練習をしている。いずれ、遠からぬ日にインターネットに日記を公開する日がやって来るであろう。そして、旧友たちや見知らぬ人々がそれを読むのだろう。それが本当に嬉しいこと、楽しいこと、喜ばしいことなのか否かという疑問を心中から拭い去りえないものの、今日も着々と日記をコンピュータに写す私である。
 コンピュータでは活字の文字になるのが悪筆の私にとっては良いところではある。けれども、このように何でも彼でも活字になってしまうと、判読し難い私の文字でさえ、下手は下手なりに味わい深いものなのだなと気づかされもする。

 ふと思ったのだが、七回しか転ばないのに八回起ち上がることができるものだろうか。どうでもいいことだが、どうも腑に落ちない。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月17日

iconふなでのじごしょり2

 うじうじいじいじと情けなさばかりを抱え込んだ日々の四日目、師匠様御来訪。あれこれと話を逸らすが、結局、白状せざるを得ず。何だかんだ言ったところで、『日和見』に通えないのは、かなりの心痛の種であったのである。良いではないか、私がすけべなじじいだと発覚したとて。良いではないか、私が、愚かですけべで、そのくせ、見栄っ張りで、なかなか泣き言を言い出せずにうじうじ悶々としているばかりのじじいだと発覚したとて。
 びくともしないコンピュータの画面を眺めて、田村師匠がにやり。拙者、万々承知之助、みなまで申すな、御同輩。そんな口元。穴があったら入りたい。正にそのような心境である。
 師匠がどの程度の達人なのか、あるいは、達人ではないのか、わからぬけれど、ものの五分ほどで我がコンピュータはHALの如き狂気の淵から常軌の世界に何事もなかったかのように舞い戻ったのであった。
 インターネットを始めれば、誰もが通る道ですから、とにこりと微笑み、何事もなかったように振る舞う姿。忝ない。師匠、恩に着ますぞ。

 その夜、私はまたインターネットの海を少しく航海してみたけれど、お下劣なものに出会すと、すぐさま舵を切り、波穏やかな方へ方へと進んでいった。こんな安全運転の旅路を選んで男としてそれで良いのか、と思わなくもないけれど、今はまだ未熟者である。いずれ、一人前の船乗りとなった暁にはまた危険な海域を踏み分けてみることにしよう。それまでは、さらばじゃ、お下劣なホームページどもよ。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月16日

iconふなでのじごしょり

 情けない。しかし、自力ではどうすることもできない。どうにもできない以上、インターネットの日記という計画をここで諦めてしまおうかと思う。そうするとなると、もう『日和見』に顔は出せなくなるのだなあ。それぐらいどうってことはない。そう思いながら、三日ほど過ごした。他にも呑み屋なんぞ、いくらでもあるわけで、こんな機会にと、二、三の見知らぬ暖簾をくぐってみたが、何となく居心地が宜しくない。店の人たちはそれなりの礼節をもって歓待してくれているのだが、何かが違う。余所者の気分なのである。事実、余所者なのだな、一見の客なぞは。
 考えてみれば、どの店だって、はじめは一見からつきあいが始まるもの。駅からの道すがらふらりとはじめて『日和見』に足を踏み入れたときには、やはり、私は一見の余所者の気分でいたのだったろう。その気分を忘れてしまっただけだ。
 こんなじじいになってしまうと、新しい店に入って、じわじわと馴染みになっていくという作業はなかなかに苦痛なのである。おかしいか。笑え。いくら笑われようとも、こんなことが苦痛である事実に変わりはないのだし。

 家には私以外に誰もいない。もう五年になる。そんなことは大したことではない。ビデオで映画を観て、本を読んで、今晩は清酒を少しだけ呑む。『タイム・アウト』を引っ張り出してくる。「Take Five」、これはブルースだったのだなあ。女々しい気分にはぴったりである。あまりにぴったりにすぎる。夜は長い。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月15日

iconふなで

 まず、学習したのはホームページをあれこれと見て回ることであった。そこにあるのは、私の想像だにしなかった光景である。善悪新旧入り乱れ、言葉も写真も映像も音楽も入り乱れ、私もあなたも入り乱れ。宇宙の創世時の混乱は斯くあらんか、というようなカオス。少なくとも、私の目にはそのように映じたのでありました。
 手取り足取り……本当に足を取られるわけではないですけどね……師匠に操られ、この文章をご覧なさい、こうすれば音楽が聴けますよ、などなどと、インターネットを探検した。楽しかった。楽しかったよ。

 夜、一人きりになって、またインターネットをやってみた。あれこれとクリックして回るうちに、とんでもない、お下劣なところに辿り着いてしまった。目を覆いたくなるような、と、そんな形容が相応しいのだろうけれど、実のところ、私は目を覆うどころか、目を皿のようにして文章を読み、写真を眺めたのであります。お恥ずかしい限り。七十を過ぎてなお斯様なものに惑わされるじじいであります。誠にお恥ずかしい限りであります。
 そんなさもしい根性が発露したからだろうか、突然、我がコンピュータは発狂してしまった。機械が発狂というのもおかしな話だが、ウィンドウが次々に開き、私が急いでクリックして、閉じようとしても、開いていくものの方がはるかに多いのである。画面を覆い尽くす、お下劣画像を満載したウィンドウ群。自らの邪悪な魂を眼前に突き付けられた思いであった。呆然としているうちに、コンピュータはうんともすんとも言わなくなり、私はもはや何を為すこともできなかった。
 のちに、このような状態をフリーズと呼ぶことを知った。言い得て妙。正しく、その夜は心の凍りついた夜であった。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月14日

iconかけだし

 用意してもらったコンピュータの使い方を教わる。想像していたほどには煩雑ではない。そんな感想を漏らしたところ、田村くん曰く「一見、なんてこてとないように見えるのがマックの良いところなんです。目に見えないところで機械が頑張ってくれているからこそ、人間が楽をできるわけですね。これこそが本来のコンピュータの役目ですから」
 しかし、彼の説明に即座に首肯できるほど、私は楽をできているとは思えない。兎にも角にも、師匠の言葉をきちんきちんとノートに書き留めてゆく。

一、スイッチを押す。パーンという音がするので、そのまま暫く待つ。
二、画面に猫が出てきたら、操作を始めても良い。
三、画面の下の切手のマークを押すとメールのソフトが出てくる。
四、画面の下の羅針盤のマークを押すとインターネットのソフトが出てくる。

 これがノートの書き出しである。今ではこれぐらいのことに困ることはない。コンピュータとかインターネットという言葉には、何とはなしに高圧的な響きがあり、駆け出し時代の私は、ひとつひとつの操作に随分びくびくしたものであった。機械嫌いの、相当に時代遅れのじじいなのだから、仕方がないことではある。

 お若いので田村くんと気軽に声をかけてきていたが、今後は田村師匠と呼ばせていただこう。この歳になって、また新しい師匠を持てるとは幸甚の至り。これも、私の日頃の行いが良いおかげだろうか。ばかも休み休み言い給え。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月13日

iconさてさて

 コンピュータのことなぞ何もわからぬ。インターネットのことも何もわからぬ。けれども、同窓会での白島のばか笑いのおかげで、私の、じじいならではの負けん気とも言えるようなものに、しょぼくれた灯がともったようである。

「この間のね、あれだね、インターネットの日記というものをやってみようかな、という気になってきましたよ」と報告すると「それはよござんしたね」と、お酌する手も軽やかに相槌を打つおかみ。「ほら、ぼけの防止にもなりますから」
 こういうことを言って、人のやる気に水を差す。これだから、女てえものは嫌なんですよ。「ぼくはぼけなんか気にしていませんよ。寧ろ、早くやってきてもらいたいと思っているぐらいです」「あらあら、そんな、へそをお曲げにならずに、もう一杯」

「まずはコンピュータを買ったりせねばなりませんね。それから、何だかんだと設定も必要です。日記を書くには日記帳もいりますよ」田村くんである。「何しろ、ぼくは何もわからんのです。どうしたらよいのだろう」「そのあたりのことはぼくに任せてください。手慣れたものですから」「では、申し訳ないけれど、君も人を焚き付けた一人なんだから、よろしくお願いします」

 そんな具合で、雑事を田村くんにあずけてしまったら、すっかり気が楽になる。秋の夜、日本酒が清らかに五臓に染み渡り。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月12日

iconどうそうのともがら

 齢七十を過ぎて、同窓の輩も一人減り二人減り。我が国の人口過剰問題を少しずつ緩和するに努めている。あとは静かな余生を送ることができればいい。家内を失ってからは、そう思って生きている(つもり)。しかし、実のところ、同輩の連中には、未だにあれこれと盛んなものも少なくない。

 古市が四十も歳の離れた女性と再婚したのには、心底吃驚したものだ。あれは一昨年のこと。長年の夢だったとかで、夫婦揃ってハーレー・ダビッドソンという大きな大きなオートバイを購入した木澤くんにも少なからず驚かされた。私が、もうあとはね、静かな余生をね、などと口にすると、よせやい、と誰も取り合ってくれやしない。これが七十を数年越したじじいどもの同窓会の席上での話なのである。
 インターネットに日記を書くことにしたんだということを話そうかとも思ったけれど、やいのやいのと茶々を入れられたり、よくも俺のことを悪く書きやがったな、あるいは、なぜ俺のことを書かんのだ、などと反応されても困るだろう。連中には秘密にしておこう。
 時に、君らはコンピュータなんぞはやるのかね、と尋ねたところ。おいおい、今どき、コンピュータの一つや二つやらないやつがいるものかね、と失笑を買う始末。茄子彦もコンピュータを始めるのか。そうか。わからんことがあったら、何でも尋ねてくれ。がはがはがは。白島タケルのばか笑いの図。白島のやつ、善くも悪くも、相も変わらずである。

 インターネット日記に向けて、些か前向きになってきた気がするのはなぜだろう。白島タケルのばか笑いのおかげかもしれないね。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月11日

iconはじまりはじまり

「おやんなさいな。ぼけの防止にもなるわよ」と宣うおかみ。
 ぼけの防止などという言葉に釣られ、そうか、それは悪くないなあ、と思ってしまった我が身が何とも情けない。
 この齢になれば、老化を意識しないわけにはいかない。正直な話、あちらこちらががたぴしがたぴしぎくしゃくしゃくしゃくしているのである。しかしながら、昨日までは、ぼけも人生の勲章のうち、と胸を張っていた我輩ではなかっただろうか。人としてこの世に生を受けたなら、その締め括りとして老いもどっぷりと味わいたいものよ、と嘯いてた私ではなかっただろうか。

「そんなものを書いたってね、誰が読むと言うんです」そう問い返したところ、「茄子彦先生、誰か読まなきゃ日記はお書きになりませんか。そもそも日記というものは読み手を求めるものでありましょうか」と、田村くんに切り返された。お若いけれど、いつもしっかりとした口調、論旨で物申す人である。
「読み手を求めないのであれば、インターネットというところに日記なんぞ書いたってしょうがなくはありますまいか」さらに問う私に向かって、「何事も経験ですよ」うふふとおかみが笑う。この齢になって、今更、年増のうふふにぐらりときたりはしないけれど、盃を重ねるうちに、結局のところ、インターネットに日記のようなものを書く約束をしてしまっていた。秋は深まれり。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック