2005年10月08日

iconハバネロ43


 恐るべきはハバネロ醤油。その後も、私の食欲は一向に衰えておりません。もう既に、瓶の、そうですな、ざっと一糎ほども消費してしまった。つまり、その醤油に相応する量の奴が胃の中に入っていった訳ですなあ。けれども、満腹に苦しむことなどない。ハバネロには胃腸を丈夫にして、消化を促進する力でもあるのだろうか。それとも、胃を拡張させる機能でもあるのかしら。まあ、兎にも角にも、豆腐なんざ喰い過ぎたって大丈夫でしょうね。所詮、大豆ですからね。問題は、寧ろ、醤油による塩分の取り過ぎてえことでしょうな。まあ、しかし、美味いのだから仕方がない。暫くは気にせずに、どんどこ喰おうではないか、と。問題が発生しているならば、次の血液検査の時に、若先生が教えてくれるでありましょう。

 昼前に、近所の元乾物屋で味付け海苔を買ってきました。元乾物屋というのも変な言い方だけれど、今は、乾物屋というよりは、ちっちゃなスーパーみたような体ですからね。時代の流れに振り落とされないようにするには、どちらさんも大変なのでありましょう。
 その味付け海苔で何をするかというと、ハバネロ醤油にこれをば浸して、ぺろりと奴の上に貼り付けて食そうと企んだ訳である。先程、早速試してみましたがね、これはこれで美味いですぞ。安物の海苔だから香りなんざ大したことないけれど、香りの部分はハバネロ殿が担当しておるから、それで結構。味付け海苔のあのちょいと鬱陶しいような薄甘い感じも、ハバネロ醤油との組み合わせで活きるのでありますなあ。我ながら、簡単で美味い方法を思いついたものだと自画自賛。はは、莫迦である。

 私にもう少し根気があれば、あれこれとハバネロを使った料理にも挑戦しようという気になるのでしょうけれどね。も少し涼しくならないとそういう料簡にはなれなそうであります。もう一息秋が深まったら、また、チョ先生の韓国料理にでも再挑戦してみますかね。ああ、あの納豆汁はなかなか美味かったものなあ。大蒜が良いんですな。涎が出てきた。

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2005年10月05日

iconハバネロ42:食欲無限


 ハバネロ醤油にすっかり取り憑かれた。何でしょうなあ。中毒性があるのではないか。そんな気がしてきた。私は、ぽんこつの枯れ木同然なのであるし、元来が少食である。今更、成長する余地はないし、運動で消費するものも殆どない。だから、多くの食物を必要とはしない。当たり前だ。自分では、澤乃井という液体の米を摂取してさえおれば、日々必要なエネルギーには十分だろうかね、などと思っている。尤も、この話をしたら、若先生には酷く怒られましたけれどね。
 まあ、兎にも角にも、大量に物を食べたという記憶には、何十年か遡らねば出合えない。最近の昼飯なんざ、奴が半丁か多くて一丁。じゃなければ、笊か素麺という程度をさらり、と。そんなところである。ところが、異変が起きた。本日、私は豆腐一丁を食しても未だ足りず、蒲鉾を、そうさね、凡そ半分ほども食べてしまった。そして、ついでに、昨日、円嬢が置いていってくれた菜っ葉もばりばりと戴いた。お若い人々にしてみれば、大した量ではないだろうけれど、私としては、あれあれ、こんなに食べて、大丈夫なのかい、と、自問せずにはいられない。そういう不思議な気がする程の分量なのである。しかも、満腹感があるにも拘わらず、まだまだ食べられそうな気がしている。一体、私はどうなってしまったのか。
 要は、これは、ハバネロ効果なのではないだろうか。ハバネロは辛さとすっぱりした香りだけではなく、胃だか神経だかに対する、何らかの特殊な刺激力を秘めているのではないか。それが、私の日常の感覚を狂わせて、どんどこどんどこ食べ続けさせ、満腹の後も猶も食欲を維持しているのではないかしら。勿論、これは当て推量であって、本当のことは何も判らないけれどね。これでは、明日からは、豆腐や納豆や何や彼やを、多め多めに買っておかなければならない。蒲鉾だって、宇宙人面したちび公の分まで喰っちまった訳だから、もっと多めに在庫しておかねばならん。何とも妙なことになってきた。ううむ。

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2005年10月04日

iconハバネロ41


 午後から、田村師匠と円嬢が揃って御来訪。先日作ってきて下さった
ハバネロ醤油とハバネロ・オリーブ・オイルの試食会を致そうという酒肴。あれ、違う。趣向。尤も、酒肴ではありますがね。兎にも角にも、有り難い話である。
 振り返る。どこからかハバネロの苗を仕入れてきたのは、大師匠。あれこれの対策を考えてくれたのは師匠連中。連中なんて言っては失礼ですな。そして、収穫して、醤油や油に漬けてくれたのは、本日御来訪のお二方である。私がしたことと言えば、水遣りぐらいのものですからね。しかも、本日は豆腐や麺麭、菜っ葉の類まで御持参戴いている。私はへらへらとワインを見繕うばかり。見繕うったって、色々と在庫豊富に取り揃えている訳ではないし、そもそも、ラベルを見て云々するような知識などない。つまり、見繕うとい言っても、赤が良いだろうか白が良いだろうか、という程度のことでしかない。魚の形をした瓶のワインがあったと思うのだけれど……などと、ぼんやりしている間に、手筈が整ったようである。ワインはどれでも良いから、兎に角、食べ始めましょうよ、と。
 先ずは、小皿に垂らしたハバネロ・オリーブ・オイルにフランス麺麭を浸して齧ってみる。三人ともおっかなびっくりである。何しろ、敵さんは世界で一番辛いというセニョール・ハバネロ様なのである。しかし、意外なことに、然して辛くはない。そして、独特の芳香が漂う。一口ずつ頬張って、三人で顔を見合わせる。たいして辛くないね、と円嬢。師匠はただにんまり。次はたっぷりと浸して食す。結構である。油に浸した麺麭を肴にワインをやるというのは、何だか変な感じがしなくもないのだけれど、これが抜群なのである。このままどんどん続けたい気持ちもあったけれど、各々が麺麭一切れを片付けたところで、次に移る。
 豆腐。ハバネロ醤油をスプーンで掬ってかける。小心者の私は、ほんの、ほんの少しばかりをかけて。ほほぅ。やはり、独特の香りが立っている。そして、中々に辛い。倒れる程ではないけれどね。そんなことを思っている眼前で、師匠が悶絶。円嬢はそれを眺めてけたけた笑う。妙な図である。そう言や、師匠は長葱の刻んだのをかけるときと同様の勢いで、ハバネロの実をたっぷり載せてましたからね。はは、まあ、自業自得。これも素晴らしき体験の一部というものでしょう。
 ああだこうだと盛り上がり、その後も呑み続けてから、日暮れ間近に解散。最後の頃には、師匠は相当に呑み過ごしたのか、何を言っているのだか判らぬ有り様でしたけれど、その笑顔から、楽しく美味しい時間を過ごしたことだけは、はっきりと見て取れましたよ。
 それにしても、オリーブ・オイルと醤油との間で辛さにこんなにも違いがあるというのは、不思議ですなあ。ふふ、何にせよ、美味かったね。あれ、何だか、唇の周りが痛痒くなってきた。大丈夫かね。へへ。

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2005年09月27日

iconハバネロ40


 田村師匠が本日も来訪下さった。今日は円嬢も御一緒である。何用かというと、円嬢が手作りのオリーブ・オイルを持ってきて下さったのである。実に有り難いことであります。
 どんな代物かというとですな、オリーブ・オイルの中に、細切りにしたハバネロと大蒜を放り込んだものだという。黄色っぽい油の中に、橙と緑のハバネロ、そして、白い大蒜。縁先で光に翳すと、これが、何とも美しい。早速、蓋を開けて匂いを嗅いでみるけれど、想像に反して、強烈な匂いはしない。それぞれに個性的な匂いの集まりの筈なんだけれどね。兎にも角にも、早速、戴きましょう、と申し上げると、昨日同様、未だ漬かってないから待ちなさい、と窘められる。ははは、七十を疾くに越したじじいが小娘に叱られておる。いや、小娘とは失言である。立派な御令嬢様を捉まへて、小娘だなんぞとは言語道断。失言、失言、撤回します。
 兎にも角にも、掌にぽたりと一滴落として舐めてみる。予想したほど辛くはないし、しかも、匂いも強くはない。これから漬かっていくうちに変わるのだろうけれどね。

 円嬢御持参の元ちとせというお嬢さんのCDを聴きながら、三人でのんびりと澤乃井を酌み交わし、ああ、何とも快適な午後ではないか。お二人は、小一時間ほどで帰られたけれど、私は、水色のCD赤いCDを取っ換え引っ換えしながら、猶も、杯を重ねる。

 新涼に 杯交わす 友在りて

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2005年09月26日

iconハバネロ39


 午後になって、田村師匠御来訪。昨日の収穫の成果をお届け戴いた次第。実に有り難いことであります。
 で、それがどんな代物かと申しますと、あれですな、要するに、ハバネロの醤油漬けなのであります。御説明戴いたところによると、ハバネロの実を二つに切って、種を取り除き、千切りみたようにして、醤油に放り込んだだけだということのようです。こう、何というか、難しい作業がないだけに、味がそれとなく想像できるような気がして、説明を聞いているだけで、唾が出てきたりしてね。中を覗いて、匂いを嗅ぐと、やはり、普通の唐辛子とは違う香りですね。尤も、私の使い古した鼻では精密に匂いを嗅ぎ分けるなんざ、無理な話ですから、何となく、そんな気がするだけかもしれない。いや、でも、今、嗅いでみても、やはり独特な香りがします。
 折角だから、ハバネロ醤油を舐めながら、澤乃井でも一杯やりましょうよ、と申し上げたのだけれど、未だ、十分に漬かっていないから、二、三日待ちましょう、とおっしゃられる。実が生ってから何日経っただろうか。兎にも角にも、既に、何日も何日も十二分に待っている訳であるから、更に数日追加したところでどうということはない。とは思うものの、目の前にあると、気になって仕方がない。取り敢えず、ということで、小匙に一杯だけ小皿に掬い出し、人差し指を浸して舐めてみました。思ったほど、辛くないですな。世界で一番辛い唐辛子だなんていうから、びくびくしながら舐めたもので、少々拍子抜け。ついでに、一切れ、橙色の実を食してみました。辛い。確かに、辛い。ひりひりする。けれども、それにしたって、眼ん球が飛び出るてえ程でもないですな。いや、でも、ああ、涙は出てきます。ええ、汗も出てきます。それに、段々、唇が痛くなってきたりもしました。あれこれ言っているけれど、とどのつまりは、普通のものよりはるかに辛いのですな。もう少し漬かっていくと、これがどのように変わっていくのだろう。楽しみである。それにしても、ハバネロ醤油を舐めながらやる澤乃井てえのが素晴らしい。大変結構な組み合わせ。病みつきになりそうであります。

 そうそう、師匠によると、種を取った時に爪の透き間に激烈な痛みを感じて、暫く取れなかったそうであります。矢張り、種が一番辛い、というのは本当なのでしょうな。みなさんもハバネロをどうにかする際には、御注意召されたい。尤も、そんなことする人は多くはいらっしゃらないだろうけれど。

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2005年09月25日

iconハバネロ38


 大師匠は大変御多忙のようであり、未だにハバネロを使ったカレーの会は催されない。目の前にあるのに、ただ水遣りをして、眺めているだけというのは、少々物足りないような気がしてくる。そんな、少々不遜かもしらん思いを抱いております。ぽんこつのくせに生意気千万。全く以てその通り。お若い人が忙しいのは当然であるし、若い方々が忙しいというのは、御本人達にとってばかりでなく日本の為に、否さ、世界の為にだって結構なことなのであるからして、喜んで待つという態度でおるべきなのである。尤も、大師匠てえ人はそうそうお若くもないですけれどね。大分、頭が白くなられていらっしゃる。それでも、私なんぞに比べたら、大変大変お若いことに間違いはない。
 あれこれ書いているけれど、結局のところ、私は自力では、セニョ殿をどうすることもできませんしね。大人しく待つに限るのです。

 午後になって、田村師匠と円嬢が御来訪。待ち切れない思いでいるのは、どうも私だけではなかったようである。お二人も一日三秋の御心持ちでいらっしゃったようである。それで、大師匠に連絡して、初めての収穫を行うことにしたそうなのであります。
 十七号の雨風が去り、雲が切れて、青空が覗いてきて、気持ち良い秋の午後、愈々、セニョール・ハバネロの収穫が始まりました。準備宜しく、二人ともビニールの手袋をしている。そして、もぎ取ったものはスーパーでくれるビニール袋に収めていく。あれ程、じりじりとした気持ちで待っていたものなのに、ほんの一時のことでしたよ。橙のものを七つ、緑のやつを五つ。
 収穫祭とでも申しますか。先ずは、乾杯。空の色も柔らかで、実に気持ちの良い夕刻、元々美味い澤乃井だけれど、こんな日には益々美味い。「それで、その実をどうなさいますか」と尋ねるも、二人とも教えてくれない。「明日にでも、また伺いますから、その時にね」などと言って、にやにやしておる。仕上げを御覧じろ、といったところなのでしょう。さてさて、どんなことになるのだろう。年甲斐もなくわくわくしますよ。

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2005年09月09日

iconハバネロ37


 ハバネロの橙色に色付いた姿を発見してから、何日だろう。何だい、数えてみたら、未だ二日程ですか。はは、それしか経っていないのか。この老耄の日記を読んでおられる数少ない人々の中には、じいさんがハバネロ喰って大丈夫なのかね、血管が切れちゃったりしないだろうか、などと、期待したり心配したりていらっしゃる方もいるかもしれない。何を隠そう、未だ食しておりません。なかなかに皆さんお忙しくて、大師匠のカレー作りの予定が立たないようなのであります。また、タムゾー先生は、例の、ギグですか、プレス工場とかいうやつですな。あれが近いということでばたばたしていらっしゃる。まあ、世の中で暇なのは私のようなぽんこつじじいばかりなのである。世間の為には結構な話ですな。皆さん、お忙しい。お楽しみはじっくり待つということで。
 本日、仔細に眺めていたら、緑から変色しかけの、頭の方だけが黄色いやつがありました。やはり、小まめに観察すれば、いきなり橙色に出会すというようなことにはならないのである。雨続きで、私の観察態度が雑だったから、突然の橙色に魂消る破目になった訳ですな。こうやって、見てみると、全体がじわじわと変化していくのではなく、頭の方から変色が始まって、次第に全体の色が変わるという仕組みのようですな。私が想像していたのとは、ちょいと違う。こんな細やかな発見も嬉しいものです。今は、そんな発見をここに書きますね。それも嬉しいことなのであります。まあ、元来、そうそう外向的な方ではないから、人とあれこれ喋ったりするのは億劫だ、などと、思ったりもしていたものだけれど、家内を失い、退職し、家でぶらぶらするだけの毎日だとね、買い物にでも出ない限り、誰とも口を聞かないなんてことはざらなのであります。買い物に出たとて、「しめて七百九十八円になります」などと会計ののお嬢さんに言われるのは、会話には数えられない。そんな日が続くと、何となくちょっと喋りたいな、などという気になったりしてね。はは、情けないことを書いてしまいました。まあ、しかし、私なんぞは恵まれておりますよ。恵まれておりますとも。

静夜風 寝冷えとはそろそろお別れ

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2005年09月07日

iconハバネロ36


 待てば甘露の日和あり。ふふふ。昔の人は良いことを言いますなあ。尤も、私だって、お若い皆さんから見れば、相当に昔の人なんだろうけれどね。
 いやあ、やりました。待った甲斐がありました。お〜い。橙色の〜。ふふ。橙色の実が〜。ふふふふ。橙色の実が生りましたよ〜、と。ふふふふん。いやあ、待った甲斐があります。こうしてみると、先日の会議で結論を急がずに呑んだくれて有耶無耶になったのが良かったということになる。世の中、何がどうしてどう転ぶのか判らんものですなあ。兎にも角にも、目出度い限り。いやあ、良かった。ここを御覧になって、師匠連中が駆けつけてくるでしょう。そして、先ずは、大師匠作のカレーてえことになるのでしょうな。世界で一番辛い唐辛子の入ったカレーなんて、常人が食べられるようなものになりますかね。只でさえ、あのお人はインド式ですからね。何だかよく判らないスパイスをあれこれ炒めたりして、私にしてみれば、途轍もない辛さの、そして、複雑な香りの代物なのでありますよ。一体、どういうことになってしまうのだろう。考えるだに、恐ろしい。いや、失言であります。考えるだに、楽しみだ。考えるだけで、冷や汗が出てくる。いや、これも失言ですな。考えるだけで、涎が出てくる。

 それにしても、雨に気を取られて、観察が足りなかったのですかね。いきなり橙色になっていましたよ。途中経過なし。しかも、また、低くて奥まったところのやつです。セニョール・ハバネロという人も妙ですな。陽当たりの良いところから育つのではなく、随分と気紛れな。
 何にしたって、万万歳であります。セニョ殿、ありがとう。よくぞ育ってくれました。

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2005年09月04日

icon世は巡る


 朝の水遣りをしていると、最近は、バッタを多く見かけますな。一時期は派手な色をした亀虫みたようなものが多くなって、少々、不気味な感じがしたものである。あれは外来のものなのかね。どうも、日本の風景には似合わないような気がするけれど、確かなことは判らない。考えてみれば、鳥居の色なんかに近いところもあるから、あの派手派手亀虫てえやつも、案外、古来から日本に住む伝統的な種類だったりするやもしれない。鳥居亀虫とかね、そんな名前だったりしてね。
 近頃頻繁に顔を合わす、あのバッタは何というのか。幼少の頃には誰かがキチキチバッタと呼んでいたような気がするけれど、本当の名称は判らない。黄緑色で細長い姿は悪くないね。すっとしていてね。水遣りを始めると、あちらこちらでぴょんぴょん跳ねる。突然の雨でびっくりするのだろうか。だとしたら、申し訳ないことだけれど、しかし、植物の為には水が必要な訳だし、植物がなければバッタくん等だとて食に不自由するでありましょうからね。ここは、一つ御寛恕戴きたい。
 今朝もそんな具合で、あっちでぴょん、こっちでぴょんとなっていたところ、足元の草叢でばさっと何かが動いたような気がした。おやおや、と思って、覗いてみると、金蛇殿であります。小振りの、そうさねえ、三糎にも満たないようなキチキチバッタの、胴のど真ん中を銜えて、堂々としている。人間の目には残虐に見える光景ながら、じっとしている姿は何やら思案しているようでもある。一方、被害者のバッタくんも、観念したのか、ぴくりともしない。私も息を凝らして熟視して、じっとしており、三者三様、立場は違えど、ただただじっとしている時間がゆっくりと過ぎる。と、そこへ、静けさを乱すものが現れた。宇宙人面したちび公である。私の後方から、忍び足でやってきたのであろう、首の鈴さえちりとも言わせずに現れて、一気に飛びついた。ちび公くんは金蛇を銜えると、うにゃうにゃうにゃうにゃあ、というような、妙な声を上げた。見よ、我が太刀の冴え渡るを、などと宣うているのだろうか。それとも、やったよ、やったよ、ぼく、やったよ、と燥いでいるのだろうか。孰れにせよ、普段は耳にしたことのないような、独特の鳴き声でありました。そして、獲物を銜えて誇らしげに去っていきました。水、植物、昆虫、猫。自然界の循環というのか、何というのか。ううむ。

 昼前に庭に出てみると、また宇宙人面した猫くんが舞い戻って、木の間から顔を覗かせている。金蛇狩猟に味を占めて、張り番と相成ったのかもしれない。そんなことを思っいながら、じっと見ていたら、鼻の頭をぺろり。

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2005年09月01日

iconハバネロ35


 昼過ぎに、田村師匠と円嬢が来訪。ちょいとしてから、大師匠も御見えになった。何を隠そう、本日は大ハバネロ会議なのである。尤も、誰もそんなことを隠しやしないし、余所の人だって、そんな会議には興味がないでしょうしね。世間では、郵政民営化だ、いやいや、それより年金だ、少子化問題もどうしてくれる、自衛隊の海外派遣だなんて、あんた、ありゃ、違憲じゃろうよ、と囂しいのであって、我が小庭のセニョール・ハバネロの身を案じている暇人は、恐らく、十指に余る。いやいや、実のところ、五指にも余る……というより、本日、ここに集まった四名で全員なのではないかしら。
 議題はというと、いつ、ハバネロの実を収穫するべきか、ということなのである。嘗ては、如何にしてセニョ殿を無事に育て上げるか、ということが中心だったことを考えると、状況は大きく前進していることは間違いない。その証拠に、誰一人として陰気な風を吹かしている人などいない。寧ろ、揃いも揃って、えへらえへらと薄ら笑いを浮かべている程である。師匠は、兎にも角にも、一つ二つ獲って食してみよう、と。後のことは、食してみてからで良いのではないか、と。それに対して、大師匠は、ここまで辛抱したのだから、せめて、幾つかが赤く色付くまでもう一息待ってみようではないか、と。どちらも御尤も。円嬢と私は、そうですねえ、だの、ははあ、なるほど、だのと、相槌を打つばかり。
 時間の経過と共に議論が白熱するかと言えば否である。次第に、酔いが回ってきて、まあ、今日のところは結論は持ち越しということで、などと、曖昧な侭、世間話へと流れていく。これで良いのでしょうなか。良いのでしょうな。
 しかし、これからは段々と涼しくなっていく訳で、それ故、この侭、赤くならずに終わってしまうことがないかどうかが心配ではあります。けれども、そんなことは、また明日か明後日か明明後日に。師匠と大師匠にお任せするとして。

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2005年08月27日

icon付ける薬のある筈もなし


 天気が良い。散歩に出る。使い古したぽんこつ足も、本日は少しは軽い。それにしても、晴れていても朝のうちは気温が上がりませんな。夏も間もなく終わるのでありましょう。
 散歩しているとよく判るますな、雑草の生長が恐ろしく早い時期なのだなあ、と。背高泡立草というのでしたかね、あの、外来ののっぽの草がありますな。あれなんざ、私よりも背が高いのが幾らでもある。しかしですよ、先日の颱風でばったり折れてしまったものも少なくない。ううむ。それが自然の掟なのだろうけれど、照りつける陽光の下、何本も並んで倒れているのを目にすると、少々切ない気がしなくもない。
 考えてみれば、セニョール・ハバネロだって、同じ運命を辿るところだったのである。ところが、添え竹が支えてくれて、難を逃れたのであります。ありがたい。そういう心で見回してみると、ほほう、確かに、竹というものは丈夫ですな。しっかりものである。狂風に煽られ続けた所為で、傾いでしまっているものもあるけれど、倒れてしまっているというものはないようである。
 そうであった。昨年は、雑草の中の雑草、とでもいうように、笹や竹を目の敵にして、小庭から排除しようと躍起になっていたのであった。彼奴らの根をずっと掘って掘って、隣との境まで掘り捲って、ああ、それでも全部を退治することはできないのだなあ、などと、そんな風なことを思っていたものであります。ところがですよ、この度は、その竹にセニョ殿を救っていただいたような訳であり、竹というものは、あれですな、すうーっと真っ直ぐに伸びるだけあって、正々堂々とした侠気があると申しますか、私に、言わば昨年までの敵に、塩を送ってくれた、ということになりましょうか。
 では、私も、その竹の塩に報いるために、今後は、笹や竹を刈るのを止めようかしら、と思わなくもない。一度はそう思ってみたけれど、あれですな、それでは、却って、竹の顔に泥を塗るとういようなことになるかもしれない。敵に塩を送るという立派な行為だけれども、私がこれを機に竹派に寝返ってしまったら、竹氏の折角の行為は、敵に塩ではなく、敵を懐柔する作戦だったということになってしまう。竹てえやつは何だい、気持ちの良い男だなあ、と思っていたけれど、結局は、ああやって、敵を取り込もうというような嫌らしい作戦だったのだねえ、と、そんな噂が立ってしまうかもしれない。いけない、いけない。そうなのだ、やはり、私は今後も竹や笹をこの荒屋の小庭の世界では雑草と認定し、戦い続けねばならない。そうであってこそ、初めて、竹氏の敵に塩が輝くのであります。
 嗚呼、呑み過ぎてどんどん訳が判らなくなってきた。兎にも角にも、竹氏よ、ありがとう。そして、また正々堂々と戦おう、と、こういうことだろうか。下手の考え休むに似たり。いやいや、酔漢の考えなんざ、休むに似たりどころか、全くの空回り。先程から、からからからから、如何にも空疎な音がする、と思ったら、それは私の脳味噌の音なのでありましょう。老い耄れの酔っ払い、付ける薬のある筈もなし。莫迦である。

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2005年08月26日

icon颱風一過


 あちらこちらで大変な被害を巻き起こしたようだけれど、幸い、我が家の界隈では、大事は起きていないようである。朝起きたときには、概ね、一過したあとと言って良いような様子でありました。雲一つないどころか、かなりたくさんの雲が出ていたけれど、その向こう側には真っ青な空が覘いていた。そんな朝の空模様をぼんやり眺めていると、胸の中がすうっと、静かに透明になるような心持ちがしたものでしたよ。しかし、はっと我に返る。そうだ。セニョール・ハバネロはどうしただろうか。あれほどの大風、どこかに飛んで行っちまったり、折れちまったりしてはいまいか、とセニョちゃんの元へ小走り。尤も、大人が走り回れるほど広い庭ではない。小走りにというのは、まあ、何というのか、比喩的誇張であります。さて、件のセニョ殿だけれど、いやあ、良かった。添え竹をした甲斐がありました。添え竹くんは、大幅に傾いていたけれど、何とか、その、護衛というのか警護というのか、兎にも角にも、南米からいらっしゃった要人の身を守ることに成功したのであります。この狭い庭の中にも、ばったり折れてしまった草木がある訳だから、恐らく、添え竹がなかったとしたら、ハバネロ殿だとて倒れてしまったに違いない。何しろ、以前にも、途中からぱっきりと折れてしまったことがあるぐらいですから。尤も、あの時のは、虫か蜥蜴でも追い掛けて走り回っていたちび公が激突した所為なのではないかと思われますがね。孰れにせよ、無事で何より。結構、結構。

 午後からは蒸し蒸しと暑い日になった。けれども、それにしたって、とてもじゃないがもう盛夏とは言えないでしょうな。蒸し暑さの中に、仄かに秋の匂いが香りましたよ。

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2005年08月24日

iconハバネロ34


 昨日は早くから呑み始め、相当な深酒をしてしまったけれど、少しはものを考えてもいたのである。そして、早速、本日、実行に移しました。添え木ですよ。やはり、実が地面に触れた状態というのは、どう考えても宜しくない。
 添え木の材料だけれど、セニョール・ハバネロと直に接する訳だから、出来得れば自然のものの方が善い。頑丈さや扱いやすさということを考えれば、金属やプラスチックが都合が良いのかもしれないけれど、そんなものに縛りつけられるセニョ殿の身になって見給え。如何にそれが理不尽なことであるかは歴然である。それで、自然にあるものを考えたのであるけれど、ただの棒切れだと、地面の中ですぐに腐ったりしかねない。呑んだくれながらもああだこうだと思案した結果、竹に思い至った。竹はですな、概ね真っ直ぐだし、切り取ってからも頑丈なまま長期間持ち堪えるからね、これは良い。しかも、そこいらにぼうぼうと幾らでも生えている。早速、二本ばかし切ってきて、脇の枝をばさばさと切り落として、地面に突き刺しましたよ。すっきりしていて、中々宜しい。色も控えめで結構。最初は上の方の葉っぱや枝葉を切り落とさずに残しておいた。その方が、姿が宜しい。だけれど、折角の日光を塞ぐ形になってしまうので、南米生まれで、恐らくは太陽を好むセニョ殿のことを思い、不要な部分はばっさりと切り落とした。
 あとは、添え木というか添え竹と結び付ける段である。ここまで自然だの何だのと拘ってきたし、実際、そういう心境なのである。それ故、草で結んだりすることも考えたのだけれど、屡々調整が必要かもしれないし、私の不器用な指先でも何とかなるものを、と思案した結果、あれですな、ビニールに包まっている針金にしましたよ。電気製品のコードとかにくっついてくるあれである。そりゃあ、ビニールの感触なんぞ気に入らないだろうと思いますがね、ここは一つ堪えて戴きたい。添え竹生活をしているうちに、上向きに育っていってくれれば万事解決と相成る予定。御不満を呑み込んで、暫しお付き合い願いたい、と平に平に御願い申し上げた次第。もし、ビニールのところから、おかしくなるようなら、また何か他のものを考えるけれどね。
 それにしても、南米から、東洋のちっぽけな島国に連れてこられ、気温も日光も足りず、世話人の技量も心遣いも足りないところへもってきて、今度は竹の棒にビニール針金で括り付けられる。何の因果でこんな目に合わせられるのやら、と、嘆いているかもしれませんなあ。ううむ。実に申し訳ない。

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2005年08月23日

iconハバネロ33


 朝の水遣りの際に、セニョール・ハバネロの、葉っぱに隠れた低い所を丁寧に覘く。ううむ。やはり、懸念されていた事態が起こっていたのである。枝葉が成長し、実もどんどん生長する。素晴らしいことである。けれども、どういう訳か、大本の幹が斜めになってしまっているが故、先っぽの方が重みに耐え切れず、じわじわと撓んでおり、嗚呼、何たることか、折角の瑞々しい緑に輝くハバネロ殿の実が、地面すれすれ、精々が一糎、場所によっては、僅か五粍程しか浮いていない。つまり、これは、ぷくりとした実が地面に接してしまうまであと僅かということである。実が育てば育つほど、重みが増し、地面に近づいていくことになるとは。ううむ、困りました。先日は、添え木なんざ、南米生まれのセニョちゃんの好むところではなかろう、と思ったけれど、事態が進行してしまった今、そんなことも言っておられんのではないか、とも思う。地面に接したまま、無事に成長を続けるなんてことは、考えにくいですからね。それとも、大丈夫なのだろうか。いや、そんな筈はない。

 最早、数日の内に手を打たねば生らないことは歴然なのである。兎にも角にも、何らかの方策を立てねば、と。そして、じっくり腰を据えて方策を案ずるには、澤乃井を呑まなくては、と。澤乃井を呑むには、気の利いたつまみのひとつもあると良いのだが、と。気の利いたつまみと言えば、ああ、幸い、未だ山葵青海苔があるじゃないか、と。こんな具合で、風が吹けば桶屋が儲かるの類の飛躍論法で、一杯やり始めたのであります。莫迦である。こんな態度で一体何か解決策が浮かぶのだろうか。いや、そんな筈はない。困りました。

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2005年08月21日

iconハバネロ32


 セニョール・ハバネロは、その後も、順調に成長している。実もたくさん生っている。十個以上はあるように思う。数え始めるのだけれど、くらくらして、結局訳が判らなくなる。いや、私が、十まで数えられないような愡け茄子だという訳ではありませんぞ。ハバネロの実を数えるのが存外難しいのである。これはやってみなければ判らんかもしれないけれど、奥の方や、やたらと低い、地面すれすれのところに生っていたりして、しかも、緑の中の緑であるからして、みつけにくいこと甚だしい。腰は痛くなるし、あれ、この実は数えただろうか、未だかな、などと、やっているうちに訳が判らなくなるのである。けれども、ざっと、十はあるでしょうな。未だ花も咲いているから、最終的にはどういうことになるのか。大豊作である。ふふ。
 腰を屈めて、下の方を覗き込んで、懲りずに実を数えていたら、不思議なことを発見した。大本の茎が曲がっているのである。地面から斜めに出ている。実が地面すれすれになっている、と先に書いたけれど、それは、木自体が斜めになっていることから生じている現象のようである。今のところ、問題は発生していないけれど、もう少し木が生長し、実も生長したら、重さに耐えかねて、倒れてしまうのではないか、という心配がもくもくと胸の中で膨らむ。何か添え木のようなもので支えて、横ではなく、上に延びるような方向づけをすべきなのか、ど思ってみたり。しかし、今まで、あるがままに自由に育ってきたのに、ここに来て、添え木に縛りつけられたりしたら、どんな気がするだろうか、とも思う。何しろ、相手は南米人ですからね。勝手気侭に、気の向く侭に生きるのを善しとしているのではないか、と。尤も、これは私の想像に過ぎません。何しろ、南米の人に知り合いというものがいませんからね。本当の南米の人というのは、どういうものなのか、とんと判らない。判らないけれども、長年の読書や映画鑑賞やの影響で、南米人というのは自由闊達な気風の持ち主なのではないか、なんて思い込みがある。アミーゴというのは、友だちという意味でしたか。ちょいとしたことが切っ掛けで、すぐ仲間になって、そらそら、まあ、一杯ってんで、テキーラをくくぅっと呑み干し、今日から俺たちはアミーゴよ、てやんでえ、ってなもんでね。はは、何だか、これじゃ寅さんみたような風ですか。
 嗚呼、妄想激しく、話がどんどん逸れてしまったけれど、さてさて、セニョちゃんに添え木はするべきや否や。ううむ。どうしたものだろう。

投稿者 nasuhiko : 18:12 | コメント (0) | トラックバック

2005年08月12日

iconハバネロ31:!!


 私てえものは何とも雑な人間である。いやはや、呆れるほどである。私が、日々ぼうっと暮らしている間に、大事件が発生していたのである。大事件といっても、殺人だとか、我侭で乱暴な解散だとか、そんなことではなく、大変お目出度い、喜ぶべき事件なのである。その大変喜ぶべきお目出度い大事件に今日まで気づけなかった私の頭も相当にお目出度いと言えましょう。情けないことである。
 セニョール・ハバネロが実をつけたのですよ。実をつけたのですぞ。緑色の、ちっこいピーマンみたような実が生っているのである。嗚呼、何という感動。到頭、ここまで漕ぎ着けましたか。漕ぎ着けましたかと言ったって、私はといえば、水を撒くぐらいしかしていないのですけれどね。
 それにしても、いつの間に実をつけたのだろう。先日までは、花が咲いても受粉させる作業をしなければ、花が散ってそれで終わりになってしまうのではなかろうか、と懸念していたほどであったのに、いつの間にか、実になっている。その実だって、二糎ほどもあろうかというものであるのであって、一晩にいきなりこんなに育つなんてことはありそうにないですからな。自分では丁寧に見ているつもりでいても、見逃していたんでしょうな。木を見て森を見ず、ではなく、その逆というか、木を見て実を見ず……てのは、如何にも語呂が悪いですな。そんなことはどうでも宜しい。
 ううむ、確かに、見えにくい。見えにくい、裏側の奥まったところに生っている。何だって、また、あんな見えにくいところから実が生るのだろう。不思議ですなあ。普通に考えたら、天辺の方から、つまり、陽当たりの良い方から実が生るというのが筋ではなかろうか、と思うのだけれどね。いや、どこから生ったって結構なんですけれどね。はは、実が生っているよ。
 ふふ。笑いが止まりません。一つなったってことは、そのうち、どんどんどんどん生り出すのかね。未だ白い花もたくさん咲いているのだから、そいつらが全部実になったら、豊作、豊作、大豊作ですよ。狸の皮算用だね。はは、馬鹿丸出し。それにしても、嬉しいねえ。
 早速、乾杯といきますか。奴に行者大蒜を載せて、澤乃井をきゅうっとね。目出度い酒は最高だね。ああ、でも、呑み過ぎないように注意しないと。私には、今晩も寅さんを見るという使命がありますからね。いやいや、今日みたいな目出度い日には呑み過ぎたってかまやしないか。はは、何だってかまやしない。目出度いんだからね。

投稿者 nasuhiko : 18:43 | コメント (2) | トラックバック

おめでとうございます!
とうとう実をつけたのですね。
たくさんの実がついて色づくのが待ち遠しいですね。

投稿者 yuki : 2005年08月13日 16:39

 ありがとうございます。
 実が生ったのです。実が生ったのであります。
 いやあ、感動しますなあ。嬉しいだろうとは思っていたけれど、その予想の何倍も嬉しい。
 ゆきさんのところのものは、もう色付かれた由。私のところも無事に成長して赤く輝いて欲しいものであります。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年08月13日 18:45

2005年07月30日

iconあれこれ


 白い花の様子が気になりましてね、と、田村師匠が円嬢を伴って御来訪。お若い二人が並んでハバネロを眺める姿、初々しいですな。半世紀前のマリと私が並ぶ姿も同じように初々しかったのだろうか。初々しい二人に見えた日々だってあったに違いないとは思うけれど、何しろ、大層昔のことなので判然としない。そもそも、自分で自分の後ろ姿は見られない訳だからね。後ろ姿が初々しかったかどうかなどということは判る筈がないではないか、と、捻くれたことを言ってみたくなります。

 セニョ殿の観察を一通り終えたところで、祝杯となる。ハバネロくん育成の初期の頃の不安な気持ちを語り合ったりして。あの頃は、随分うじうじと悩んだけれど、今や互いに暢気なものである。杯を重ねて、どんどん調子が出てきます。花は咲くし、友は訪れるし、酒は美味いし、と、何とも素晴らしい午後である。ところが、がっくりくることが一つ。師匠が「棋聖戦で羽生さんが負けましたね」と仰る。新聞に載っていたそうである。しかも、それは数日前のことだという。ううむ。毎日欠かさず新聞は読んでいるつもりなのだが、一体どうしたことだろう。うっかりしておった。これも、将棋連盟とNHKの宣伝不足がいけないのである、というような、愚痴を零す。愚痴なんぞ零されるとは、お若いお二人、しかも、さして将棋のないお二人には、全く迷惑な話でありますな。

 師匠たちが帰られたあとも、羽生扇子を持ち出してきて、今更ながら棋聖戦を見逃したことを嘆く、そんな具合に杯を重ねていたものだから、幾らなんでも呑み過ぎております。もう止したが善かろう。

 師匠が置いていかれた、ソルバイという人の『ヴァガボンド・スクウォー』というものを聴いている。スウェーデンの音楽だと仰っていたけれど、取り立ててどこがどうスウェーデンなのかというのは私のようなぽんこつには判然としません。そもそも、スウェーデンの音楽などと言われても、頭に何も思い浮びませんからな。聞こえてくるのは、昔の、どこにでもある外国のポップスのようである。まあ、確かに、蒸し暑い夏には、軽やかなポップスが快適なのかもしれませんが、何となくぱっとしない。

投稿者 nasuhiko : 20:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月29日

iconハバネロ30


 先日は、突然の雨で、小庭に置き去りにした蚊遣りがすっかり塗れた姿を詠んでみたりした。まあ、陸な句じゃあないのだけれどね、ぽんっと、浮かんだものは書いておきたくなるものである。その句を、眺めながら、ふと思った。セニョール・ハバネロの白い小さな花には蜂や蝶がやってくるのを見たことがない。従って、折角咲いた花であるけれども、受粉することなく、つまり、実を結ぶことなく生涯を終えてしまうのではないか、というようなことを考えていたのでありますな。数日前のことである。後先が取っ散らかって何を言っているか判然としない、如何にも、下手っぴいな文章になってしまったけれど、何をふと思ったかというと、蜂や蝶がセニョ殿の花の周りに現れないのは、私が観察しているからではないか、ということである。もう少し丁寧に述べるなら、観察するに際しては、私てえやつは大きな缶に入れた蚊取り線香を足元に置き、乾電池で動作する電気何とかという、これもまあ、一種の蚊遣りの類を腰にぶら下げているのである。勿論、これは、蚊に刺されぬようにとの用心のためのものであるけれど、考えてみれば、蚊が忌み嫌うものをば蝶や蜂が嫌がらない筈もないだろう。すると、何ですか、こういうことですか。私はハバネロの花に集まる蜂や蝶が見たいけれど、蚊には刺されたくない。刺されたくないので、蚊遣りを携行する。蜂や蝶を含む虫連中は蚊遣りの匂いが嫌いであり、従って、蚊遣りの煙が漂っている限り、セニョールの側にはやって来ない、と、こういうことなのではないかしら。もし、そうだとするとなると、私は蚊遣りの使用を諦め、つまり、蚊に刺される覚悟の上で表に出るしか、ハバネロの花に集まる虫たちを眺める術はない、ということなのであろうか。こいつは、中々に悩ましい問題でありますな。酔った頭を振り回しても少しも解決策など思いつきそうにない。明日は、覚悟を決めて、蚊に刺されながらの観察をすることにすべきだろうか。ううむ、気が進みませんなあ。

 蚊遣り持て 白き花見る孤独かな

それとも、

 蚊遣り捨て 蚊に刺されつつ和気靄々

ううむ。どうしたものやら。

投稿者 nasuhiko : 20:19 | コメント (2) | トラックバック

こんにちわ♪おじゃまします♪

私もほぼ毎日蚊にさされて、最近は虫除けスプレーを自分に吹きかけてから小庭に出るようにしています(笑)

日差しが強くなってきて思うこと...
ハバネロの足元の葉をチギリ取らなければよかった!
昼間、土に直接日があたりグッタリするヤツも出てきた。
そんな時あの足元の葉があれば...

投稿者 yuki : 2005年08月02日 17:05

 私のところでも、下の方の葉っぱを以前に切りました(yukiさんの真似をしたのであります)が、今のところ、ぐったりするようなことはありません。これは途中で一度折れてしまったせいで、背丈が低く、その分、葉っぱが横に広がっているから、意外に足元が日中でもからからになりにくいからかもしれないなどと思っておりますが、本当のことは判りません。
 何はともあれ、早く実が生ることを切に願っておる次第。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年08月04日 15:22

2005年07月28日

iconハバネロ29


 午後になって、この日記を書こうと、一杯やりながらマックをいじっていたら、「ゆきのブログ」さんに

ハバネロの実がボコボコできてきた!

こんなことが書いてあるのを発見した。おおお、おめでとうございます。羨ましい。何とも羨ましい。おめでとうございます、という気持ちと共に、うちのセニョちゃんは大丈夫なのだろうか、という心配もゆらゆらする。花が三つしか残っていないということは、三つしか実が生らないのではないだろうか。ゆきさんのところのたわわに実る写真を眺めて、あまりの羨ましさに、暫し呆然としたじじいである。ううむ、とことん羨ましい。しかし、ですよ、うちのは花が咲くのも遅れていたのだから、これからじゃんじゃかじゃんじゃか実が生り始めないとも限らないではないか。いや、駄目だ。そのためには、先ず花だ。花である。花が咲かなくてはいけない筈でありましょう。花が三つしか咲いていない、とぶつくさ言っているけれど、こうしている間にも、もしかしてもっと散ってしまっていたらどうしよう、と唐突に心配になってきて、慌てて小庭に飛び出した。そうしたらですね。ふふ、良かったのです。良かったのですよ。腰を屈めてじっと眺めると、花開いているのは、確かに三つのままだけれど、そこかしこに花の予備軍、蕾の赤ん坊みたようなものができているではありませんか。緑色なものだから今まで見落としていたのか。それとも、昨日今日の沸き返るような熱気で一気に育ったものなのか。兎にも角にも、蕾ジュニアがいるのである。ということは、直に白い花が咲くのである。そして、さらには実になるってことであろう。いやあ、これらの蕾群の全てが結実したら大変だ。うちだって、負けずにたわわなハバネロ様でござい、となりましょう。何だい、うちのセニョちゃんも大したものじゃありませんか。はは、良かった、良かった。

投稿者 nasuhiko : 17:33 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月27日

icon颱風一家


 あっさりと、颱風七号が通り過ぎた。前評判が凄かっただけに、少々拍子抜けするような気がする程である。それなりの雨、それなりの風があったけれど、正に「それなり」という程度で、大事とは程遠い。セニョール・ハバネロが猛烈な雨と風で、倒されたり、折られたり、吹き飛ばされたりしはしまいかと大きに心配したのだけれど、今朝方、水遣りがてら、ぼんやりと眺めた限り、無事のようであり、一安心したぽんこつじじいである。
 ところが、昼になって、小庭に出て、今度は仔細に眺めてみたのだが、何たることか、花の半分程がぽっきりと茎の部分から千切れて地面に落ちてしまっている。暫し呆然としたけれど、物は考えようである。何と少ない被害で済んだことか、と喜ぶべきでありましょうな。何しろ、大型颱風が通過したのであるからして。昨晩の段階では、根元からすっぽり折れて、どこかに飛んでいってしまうのではないか、と心配していたのですからね。それを思えば、あなた、花が半分落ちたって、呵々大笑して太っ腹に受け止めるべきではないか、と、そう思い込むことにしますよ。くよくよしても仕方がない、と。はあ。

 颱風一過。空が限りなく青く広く、素晴らしい天気である。少し見上げていたら、くらくらしてくる程であります。そう言えば、マリは、「颱風一過」を「颱風一家」と勘違いしていましたな。そんなことを思い出す。可愛らしい勘違いじゃありませんか。亡くなった女房の思い出で惚気るなんざ、実に莫迦なじじいである。彼女は書き言葉は余り得意ではなかったからね。そもそも「颱風一過」なんて、頻繁に出てくる言葉じゃないしね。知らなくたって困りゃしない。それに、考えてみれば、外国人ならずとも、「颱風一家」と勘違いしている人がいないとは限らないのではないかしら。お若い人にはそういう人だっていそうじゃないかね。まあ、どうでも良いことだけれど。

 夕暮れも近い。そろそろセニョちゃんの無事を祝って一杯いこうと思うけれど、マリの「颱風一家」の話を思い出したのも何かの縁、暫く振りにワインにしますかね。赤にしようか白にしようか。

投稿者 nasuhiko : 17:25 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月25日

iconハバネロ28


 虫喰いだの、地面に埋もれるだの、日光が足りないだの、土が悪いのではないか、などなどなどと、あんなに苦労していたセニョール・ハバネロのお世話であるけれど、今となっては、何だかね、良い思い出である。ぱっと見の威勢の良さというのか、そんなものは未だ足りないように思う。正直なところ、そう思いますが、虫喰いも少なくなり、花がずんずんと咲き、緑も濃くなってきている。何を文句を言うことがあろうか。はは、良い気分だよ、良い気分です。お蔭で、昨日も澤乃井を美味しく頂きました。尤も、いつだって澤乃井は美味いのだけれど。
 しかし、今日になって、ふと疑問が湧いてきたのである。花が咲いたは良いが、その後、どうなるのか。花が咲けば、お次は実が生ると相場は決まっているけれど、そこには受粉というものがある筈である。しかし、いくら観察していても、蜂や蝶がセニョ殿の白い花にやってくるところを見たことがない。蜂や蝶がやってこないのだとしたら、どうやって受粉するというのだろうか。仮に、受粉が為されなかったとすると、やはり、直に花が枯れて、それで終わり、ということになってしまうのではないだろうか。放っておいて良いのか。それとも、何か対策が必要なのか。ううむ。新たな悩みが発生しましたな。
 そんなことをぼんやりと考えながら、眺めていたら、突然、猛烈な雨が降ってきた。

 窓叩く 驟雨ばしゃばしゃ 耳に涼し

 こんな句を捻り出して、悦に入っている。大した句じゃないね。窓から外を眺めると、ハバネロくんの前に蚊遣りが置き忘れた侭ではないか。うっかりした。

 夕庭に 驟雨ばしゃばしゃ 蚊遣り濡れ

投稿者 nasuhiko : 17:38 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月23日

iconハバネロ27


 先日、小さな白い花を開いて幸福を齎してくれたセニョール・ハバネロであるが、本日、丁寧に眺めてみたところ、五つも花が咲いている。ほんの四、五日のことなのだけれど、着実に成長しておるのですなあ。自然の力というのは素晴らしいものである。感心頻り。小さな花を飽かず眺めてにたりにたりと薄笑いを浮かべる老骨。あまり良い景色とは言えない。けれども、嬉しいのである。嬉しいからついつい口元が解けてしまうのであって、如何ともし難い。誰に見られている訳でもない。良いではないか。尤も、いつだったか、夕方のニュースで見たけれど、最近は覘く技術が途轍もなく進んでいるのだそうで、いつどこで誰に覘かれていないとも限らない世の中なのだそうである。まあ、私の呆けた薄ら笑いを好んで覘く御仁もおらんだろうけれどね。女性などは安心して暮らせない、大変嫌な世の中になったものである。
 しかし、この白い花はあまり南米の気配を醸し出しておりませんな。静かで控えめな佇まいは、寧ろ、和の心を示しているようにさえ思える。こんなことを言っているけれど、私は南米に行ったこともないし、精通している訳でもない。テレビや映画で見た景色を頭の中でごちゃごちゃにして捻くり回して、勝手に想像しているだけなので、南米には、斯様な楚々とした花がたくさん咲いているのかもしれません。

 蚊遣り手に 御機嫌如何と 庭巡る

 蚊取り線香の匂いてえものも、セニョちゃんにとっては、嘸かし新鮮な香りでありましょうなあ。

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2005年07月21日

icon日本一多くの木を植えた男


 先日テレビで宮脇先生という方を見て大きに感動した。教育テレビの「日本一多くの木を植えた男」という連載の番組である。この人は地球を救うのではないかと感服した、と書くと、少々大仰に過ぎはしないか、とも思うけれど、事実、それ程感動したのだから仕方がない。もっと詳しく知りたいと、書籍を探したところ、件の番組の本が出ているのを発見しました。早速、注文しておいたのだけれど、先程、届きましたよ。便利な世の中ですなあ。まだ、届いたばかりで詳しく読んだわけではない。いやいや、実は、ぱらりぱらりと捲っただけである。NHKの教養番組の教科書みたようなもののようである。表紙になっているのは麦わら帽子を被った宮脇先生が正面を見据えているお写真である。テレビで見たときもそうだったけれど、物凄い眼光であります。ははあ、とひれ伏したくなりますな……なんぞと、毎度ながら、こんなごてごてした装飾的な物謂いをするものだから、私てえ人間は言うこと書くことの何でも彼でも嘘臭く思われてしまうのである。この本を手に取っていただければ、わかるだろうけれど、眼光の鋭さは本当に並々ならぬものでありますよ。ちょっとあれですな、レスリングの、あの、気合いだあ、と叫ぶ人と似ていなくもない。
 私が先日見たのは、全八回のうちの七回目だったようである。こんなに立派な先生の興味深い話の大半を見逃してしまったのは実に残念である。まあ、しかし、泣き言を言っていても仕方がないので、寧ろ、ぎりぎり最後には間に合うように出会えたのを幸いだと思うことにしよう。兎にも角にも、折角手に入れた教科書を熟読させていただこう。二十五日に最終回の放送があるようだから、それまでに七回目までを読んでおきたいところであります。

 澤乃井を舐めながら、小庭の草木を眺める。この生き物は目を楽しませ、気分を和ませたりするだけでなく、人間があれこれの環境を破壊してきたことによる地球の混乱を正す役に少しは立っているのかもしれない。そんな目で眺めると、一つ一つの木、一つ一つの草がより愛おしく感ぜられ、酒も美味い。尤も、澤乃井てえやつは、いつだって美味いのだけれどね。

投稿者 nasuhiko : 19:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月19日

icon宮脇先生という人


 昨日は早い時間から楽しく呑んだ。楽しく呑めるということほど素晴らしいことはない。何よりである。何よりであるけれど、呑み過ぎるというのはいけない。こんな歳になって、未だ呑み過ぎてしまうことが間々あるなんざ、みともない話である。夜になって、濃いお茶を淹れてぼんやりしていると、何とも眼光の鋭い、独特の気配を持った人物が登場し、カメラを睨め付けるようにして、あれこれ語りかける番組に出会した。にこにことしているようでありながら、目の力、大変強く、拝見するのに正座したくなる……というのは、如何にも大袈裟ではあるけれど、そんな気さえするようなお方であるのは本当である。
 実を言うと、チャンネルをかちゃかちゃやっているうちに偶然出合ったものであるから、途中からしか見ていない。どんな話かというと、森を再生させる、というような話である。専門的なことは私には判る筈もないのだけれど、この宮脇先生というお人の熱意はよくよく伝わってきた。そして、この先生のやっていらっしゃることは、壊れかけの地球を救うことになるのではないか、と、そんな風に感じましたよ。アマゾンや東南アジアや中国で植林するのである。その土地に本来あるべき木を植えて、林に育て上げるのである。地球からどんどんどんどん森が消え、森が消えるからそこに住む昆虫や動物なんぞも消えてゆく。そして、私のようなぽんこつにはわからないけれど、そんなことが地球の環境破壊の要因となっているのでしょう。だとしたら、この先生の植林は、その逆を行くものであり、環境再生とでも呼ぶべきものなのではないかしら。この植林が、延いては地球を救うのではないかと思う所以である。理屈に昏いというのは悲しいもので、まともに説明できません。説明できないどころか、そもそもまともに理解できているのかどうかも怪しい。けれども、この老い耄れた直感が、この先生の凄さに敬服しなければいかん、と言うのであります。
 次回は一メートル四方の面積とやる気があれば森を育てられるというようなことを語られるそうである。大きに学び、我が小庭にも一メートル四方の森を育て、少しでも環境再生に役立つよう頑張ろうと思う。その土地に合った木を植える、ということだけれど、ここには何が相応しいのだろうね……ハバネロでないことだけは確かだろう、と思い至り、少々鬱するじじいである。

投稿者 nasuhiko : 18:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月18日

iconハバネロ26


 大変暑くなった。もう梅雨明けなのではないかと思う。朝一番で水遣りをするが陽射しは非常に強い。こう暑くなると、水を撒く時間が遅くなると、根腐れを誘引したりするという意見を度々耳にしているので、真偽は判らぬものの兎にも角にも、朝と夕に水を撒く老い耄れである。それにしても、この時節、朝に水を打つのは気持ち良いものである。一日が始まるぞ、という心積もりが引き起こされるというか、ね。

 昼が近づいた頃合いに、師匠大師匠、加えて、円嬢コロリン嬢が現れる。セニョール・ハバネロが白い花を開かせたことを知り、覘きに来たのだそうな。代わる代わるに、小さな花を覗き込んでは声を上げる。女性陣なんぞは、随分と高い声で耳が痛いほどであるけれど、それほどみなさんが喜んでいるという訳であって、セニョちゃんの育て主としては、鼻が高いような、少々擽ったいような、何とも独特の嬉しさを味わわせて戴いた。育て人冥利に尽きますな。
 一段落したところで、大師匠が持参下さった上善如水を戴く。暫く振りに呑むけれど、相変わらずの味でありますな。お若い女性陣には喜ばれておる。私としては少々物足りないような気も少しだけしたけれど、いやいや、夏には、こういうすうっとした酒は結構であります。

 ハバネロの花が咲き、私自身、大変大変喜んでいたけれど、それだけでなく、あの小さな白い花が、お若い友人達を喜ばせ、こうして我が荒屋に集まって杯を交わさせる。嬉しいじゃありませんか。明日からも、頑張っていこうという心が高まる。まあ、私が頑張らずとも、夏の陽射しがあれば、ずんずんずんずん育っていくに違いないのだからして、結構毛だらけ猫灰だらけ。余は満足じゃ。少々呑み過ごしておりまする。

 白き花囲んで楽し 冷やし酒

投稿者 nasuhiko : 18:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月17日

iconハバネロ25


 いやあ、人間、諦めてはいけません。あざみさんのように前向きに生きるべきなのである。それで、報われることもあろうし、報われないことだってあろうけれども、兎にも角にも、前向きに生きるところから始まるのである。
 愚痴を溢し、泣き言を漏らしてばかりだったセニョール・ハバネロとの日々であるけれど、愈々、明るい光が雲間から見えてきたのである。何と、本日見てみたら、白い花が咲いている。花が咲いたら、その次は実になるのでしょう。嗚呼、素晴らしいではありませんか。花が咲いているのですよ。そして、実になるのであります。
 しみじみと観察してみると、花の候補かもしれないような、小さな蕾みたようなものも散見される。これらが全て花開いて実になるとしたら、どんなに素敵なことでありましょう。年甲斐もなく興奮して、息苦しいほどである。何だ彼んだと焦りや苛立ちを感じたりもしてきたけれど、こうやって花が咲いてみると、それらも全て良い思い出というのか、本日の感動の為の肥やしのようにさえ思えてくるから、人間てえものは調子の良い生き物でありますなあ。
 もう直に梅雨も明けるだろう。そして、毎日、強烈な陽射しがセニョ殿の上に降り注ぐであろう。そうすれば、故郷の環境に近づくだろうから、今よりも、もっともっと元気になるに違いない。そして、たくさんの実を生らせるに違いない。そして、それをみんなで収穫して、その実りを用いて、美味しくて辛い、辛くて美味しいカレーを大師匠が作ってくれるだろう。そして、カレーを食しながら、杯を酌み交わし、自然の恵みをみんなで寿ぐことになるだろう。嗚呼、素晴らしいではないか。素晴らしいではないか。

 梅雨明けよ ハバネロの花 開きおり

投稿者 nasuhiko : 16:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月12日

iconハバネロ24


 時々拝見させていただいている、ゆきのブログさんのところのハバネロが実をつけられました。おめでたい。何ともめでたいことである。写真を拝見する限り、緑濃く、ぷるんとした実でありますなあ。素晴らしい。しかも、実が生っただけではないのである。

もう辛いのかな? 虫が全然つかないよ。

と書かれておられる。そうなのだろうか。実が出来るほど成長すれば、当然、辛く辛く、世界で一番辛くなって、虫が付かなくなるのだろうか。だとしたら、この老い耄れも、希望を持って頑張ろうという気が弥増すというもの。勿論、虫に喰われたって何だって、大師匠からの預かり物なのであるからして、頑張るのは当然なのだけれど、正直に申せば、正体の判然としない虫に未だに喰われているセニョールの姿を見ると、悲しい気持ちになる、というより、近頃では、無力感に襲われるというか、嗚呼、何とも情けない心持ちになるのである。しかし、ですぞ。実が生るようになれば、虫が付かなくなるのかもしれない、ということであれば、もそっと前向きな心境で日々を送れそうである。他人様のハバネロから希望を戴けるなんざ、有り難い話でありますな。同じ目標に向かって進む者として、陰ながら応援していたつもりが、実は、此方の方が励まされていたということになる。

 しかし、未だに、我が小庭のセニョちゃんは、虫喰いにあっている。犯人は誰だか判らない。蟻巻なのか蛞蝓なのか。将又、他の何かなのか。兎にも角にも、判らないということは、対策の施しようもないし、怒りの向け所が定まらず、もやもやするばかり。いやいや、もうそんな愚痴は止めようではないか。それよりも、実が生って虫喰いがなくなる日に向かって邁進するが良かろう。尤も、具体的にどうすれば良いのかということは、ちっとも判らないのだけれどね。まあ、気の持ちようですかねえ。

投稿者 nasuhiko : 16:47 | コメント (2) | トラックバック

TBありがとうございます☆

まだ実が青いのですが、きっと辛いに違いありません!
虫も食べれないほど!
一口かじって確かめたい衝動にもかられますが。。。
そこは赤くなるまで我慢します。

ただ試しに葉っぱを何枚か料理に使ってみようかな~と考えています。やっぱり葉っぱも辛いんでしょうか!???

投稿者 yuki : 2005年07月12日 18:49

 先ずは、実が生りましておめでとうございます。
 私のところのものは、未だ花も咲かない有り様でありますし、緑も薄いので成長が足りないのでしょう。けれども、実が生る日を夢見て頑張る所存でおりますよ。

 正直に申し上げると、おめでとうという気持ちと羨ましいという気持ちが半々であります。嗚呼、白状すれば、嫉ましいほどに羨ましい。

 しかし、ハバネロの成育で一喜一憂し、このようにインターネットの世界に知己を得るというのは、不思議なものです。
 何はともあれ今後とも宜しくお願い申し上げます。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年07月13日 18:14

2005年07月01日

iconハバネロ23


 昨晩は、今年になって初めて蒲団ではなくタオルを一枚ひいて、その上に寝た。これが良かったのでしょうなあ。腰痛が治まったようである。調子に乗ってじたばたすると、またぶり返しかねないので、大人しくしているけれど、うんうん、調子が良い。調子が良いのは私だけではない。こんなに涼しくなっているのだが、どうもセニョール・ハバネロも調子が良いように見受けられる。緑の色が濃くなってきたような気がするのだけれど、気のせいだろうか。よく考えてみれば、齧られている葉っぱだって相当減ってきていますな。こういう時に、写真というのは何とも便利なものである。少し前の写真と比べて確かめてみたけれど、やっぱり、色が濃くなり、齧られている葉が減っているの。ああ、愈々、ハバネロくんの黄金時代も間近なのだろうか。嬉しいねえ。やはり、あれですな、暑さが足りないのが一番の原因だったのでしょうな。それから、根元を少し掘ったのも良かったのかもしれない。珈琲の残り滓を撒いたのだって効果がなかったとはいえまい。考えてみると、本当の原因は何だかわからない。判らないのだけれど、此方人等、農家でもなければ科学者でもないのだからして、原因が判らなくたって、かまやしない。大事なのは、セニョちゃんが元気に元気に育ち、立派な実を付けてくれる、ということなのである。すっかり浮かれて、大喜びしている老い耄れであるが、実りの日まで、未だ未だ道程は長いんでしょうなあ。それにしたって、夏間近。未来は明るそうである。今宵は、祝杯ですか。まあ、祝い事がなくたって呑むんだけれどね。祝い事があれば、一層美味いものである。

 ハバネロの 緑眩しき 梅雨晴れ間

投稿者 nasuhiko : 17:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月26日

iconハバネロ22:続・足元


 相変わらず、どうすれば良いのかさっぱり判らないまま、セニョール・ハバネロの育成に励む老い耄れ、ここにあり。
 気が向いた時に、何か学べないだろうか、とあちらこちらを渉猟してうろうろしたり、縁側に腰掛けてあれこれと考えてみたり、実物を間近に睨め付けたりしてはいるけれど、解決策はみつからないのである。唸るばかりで埒が明かない。
 昼前に、ぷらりと福寿庵に寄り、笊と酒。坂本くんはいない。最近はいた例がないけれど、一体、何をやっているのだろう。まあ、元気なのだろうから、結構なことではある。しかし、何だね、蕎麦を啜っていても、セニョ殿のことが気になるんだから、嫌だね、どうも。まるで取り憑かれているようである。
 うじうじうじうじと考えた結果、やはり、あの、根元のところが深く埋まり過ぎているのがいけないのだ、という気になる。勿論、根拠などないが、何となく、直感として、変ではないか。土の中から葉っぱが生えてくるなんて、そんな妙な話は聞いたことがない。
 ということで、根元の土を少し掻き出して、擂鉢状に真ん中に向かって地面が下がっていくような具合にしてみた。どうだろう。これで、少しは改善するだろうか。ハバネロ殿には何としても頑張って戴きたい。
 ところで、なだらかな勾配になるように土を弄くっている時に気づいたのだけれど、団子虫ですか、あの、触るとくるくるっと丸まっちまう虫が、随分たくさんいますな。ふと疑問に思うのだけれど、あれてえやつは、葉っぱを齧ったりはしないのかね。まあ、葉の上をうろうろしているのを見たことがないから、関係ないとは思うのだけれどね。

投稿者 nasuhiko : 18:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月23日

iconハバネロ21:足元


 相も変わらず、セニョール・ハバネロの調子が宜しくない。正直に申せば、下り坂をごろりんごろりんと転がり落つるような具合に思えて仕方がない。ぱきっと折れたところに関しては諦めているし、弱り具合全体から考えれば、真っ二つに折れたことなど、重大事ではないような気がしてきている。そんなことよりも、兎にも角にも、何か対策を立てねばいかんのである。手を拱ねいているばかりの自分が実に情けない。
 ということで、例によって、インターネットの荒波を渉猟したのだけれど、あれですな、「ハバネロ」を調べると、「暴君ハバネロ」というお菓子のことばかりが出てくる。あとは、缶詰みたような育成キットとかいうもの。苗から先の話は滅多にないのでありますよ。この国でハバネロを育てようというのは意外と難しいのかもしらん。そんなことをぶつぶつと呟きながら、何時間かうろうろした結果、先日コメントを戴いてから、ちょこりちょこりと拝見させて戴いている「ゆきのブログ」さんの中に、ちょいと気になるものを発見。ゆきさんはハバネロを間引かれておる。その写真の、足元のすっきりした姿がなかなか良さそうな気がしたのである。良さそうだ、などと、偉そうなことを言っているけれど、何が何してなんてことは何も判らないのである。けれども、何となく、直感として、あの、すうっとした足元が良いのではないか、と思い込んだ次第。
 早速、我が家のセニョ殿の地面間近の枝を鋏でちょきりちょきりと刈り込んでみた。ところが、どうも、うちのはすっきりしないね。よくよく見てみると、何だか、地面の中にめり込み過ぎのように見える。地面の中から葉っぱが生えてくるような、ね。これで、おかしくないのだろうか。ううむ。不思議な図ですなあ。

投稿者 nasuhiko : 18:09 | コメント (2) | トラックバック

TBありがとうございました!

ハバネロ難しいですね。うちのハバネロは、肥料の与えすぎという初歩的な痛いミスでただいま丸坊主状態...

おたがい実を収穫できるといいですね!

投稿者 yuki : 2005年06月25日 23:34

 ハバネロてえものは、何とも気難しいもののようでありますな。こちらが毎日毎日悩んで、あれこれしているのに、少しもうまいこといきません。何とか、実が生るところまで辿り着けないものか、と祈るような心持ちです。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年06月26日 18:44

2005年06月19日

iconハバネロ20:哀れ


 やはり、折れたものを地面に直接植えたところで、駄目であった。折れる以前の状態にあってさえ、虫に齧られ捲っており、生気を失った状態であったのだからして、予想されていたこととはいえ、残念である。あとは、残った下半分の本体の再生を祈るばかり。

 折れて倒れて萎れた上半分の哀れ。眺めているこちらまで熟と萎れますなあ。気力が出ない。

投稿者 nasuhiko : 19:13 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月18日

iconハバネロ19:悲劇


 衝撃である。あろうことか、ハバネロがぽっきり折れてしまった。我が目を疑う。我が目を疑って、何度も何度も目を擦り、小庭をうろうろして、また目を擦る。そんなことを繰り返してみても、目に映る光景は覆らない。嗚呼、本当に折れてしまっているのである。夢であれかし、と念ずる心がどうにも虚ろである。何ということになってしまったのか。折れたところをじっくりと眺めてみると、ぱきっと勢いよく割れるようになったのではないかと見受けられる。幾らセニョールが弱っていたからといって、自ずとこのような形で倒れる筈はない。何か外部に原因があるに違いない。ううむ。何だろう。烏の悪戯だろうか。あるいは、宇宙人面したちび猫が蜥蜴を追い掛けて走り回っているうちに、セニョ殿に衝突してしまった、ということだって、あるだろうか。この小庭に誰かが入り込んだという形跡はない。ううむ。何とか頑張っていたセニョ殿に申し訳ない気持ちで一杯だが、まだ、全てを失った訳ではないのである。残された下半分の身体で、暑い暑い夏の到来まで、何とか頑張って頂き、南米に通ずる高い気温と陽射しに力を得て、元気になってもらいたい、と切に願う老い耄れであります。そうだ。折れてしまった上半分だって、地面に植えてみれば再生しないとも限らない。駄目で元々、出来るだけのことは試みなければいけない。

 午後になって、是田大師匠に報告というのか、お詫びというのか、兎にも角にも、電話を差し上げた。電話口で、はあはあ、なるほど、わかりました、と仰る。「ぼくが育てていても同じ結果になったでしょう。それに、完全に枯れてしまったわけではありませんから、これからに賭けましょうよ」というお言葉。勿論、明日からも頑張るつもりだということをもごもごとお伝えしたのだけれど、頑張る心は大きにありながら、その方法が判らないのである。全く途方に暮れますよ。取り敢えず、ハバネロくんの再起を祈念して杯を干しましたが、私の祈りは通ずるのか。そもそも、どこに向けて祈っているのか。ううむ。もう一杯、祈念の杯を重ねましょう。……更に、もう一杯……もう一杯……。

投稿者 nasuhiko : 20:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月17日

iconハバネロ18:無残


 嗚呼、セニョールが愈々弱ってきているように思われる。周囲の草木を見る限り、水に濡れた葉はどんなものであれ、少しは瑞々しく活き活きとした緑に見えてくるものだけれど、セニョ殿の葉はいけません。こう、何というのか、覇気がない。しょぼくれたようになっている。あちこち齧られまくっているのは相変わらず。しかし、それよりも、しょぼくれ具合が気にかかる。齧られていることよりも、やはり、日光の不足、気温の不足が元凶なのではなかろうか、と思うのだけれど、だからといって、この天候をどうにかするような超能力を持ち合わせている訳ではないので、如何ともし難い。困った、困った、と呟きながら、うろうろと歩き回るのが関の山。全く以て不甲斐なく、全く以て情けない老い耄れである。
 それにしても、ハバネロくんの葉っぱは人気がありますなあ。この小庭にあれこれとある草の中で、一番の人気者である。他にも幾らか齧られているものもあるけれど、どれもハバネロ程ではない。南米からやってきて、この地の風土に馴染めずに苦しんでいるのに、迎える土地の者どもは、外来の唐辛子の王に臆することなく、どんどんむしゃぶりついていく。この対比が何とも不思議ですなあ。そんなことに感心している場合ではないのだけれどね。
 師匠によると、今年は蟻巻が大量発生して東京の彼方此方で植物に大きな被害が出ているそうな。虫喰いの犯人が蟻巻なのか蛞蝓なのか、将又、他の者なのか、未だ判然としないものの、孰れにせよ、こんな年にやってくることになってしまったのは、セニョールくんにとっては因果な巡り合わせだとしか言い様がない。だが、しかし、私は決して諦めてはおりませんぞ。諦めてはおりませんけれど、どうすれば良いのか方策が知れず、どうにもこうにも途方に暮れているのであります。何とも滅入りますなあ。はぁ。

投稿者 nasuhiko : 19:24 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月05日

iconハバネロ17


 田村師匠、御来訪。
「新しい対策を考えてきましたよ」と意気揚々。さあさあ、と、促されるように、一緒に庭に出る。鞄から取り出されたのは、ビニール袋に入った土のようなもの。
「何だかわかりますか。匂いでわかりますよね」と袋を開けてくれる。「何だ。珈琲ではありませんか」「何だなんて、おっしゃいますが、これがいいらしいんです。ナメクジはコーヒーが苦手らしいんですね。それで、コーヒーの出し殻を持ってきたんです」そう言うと、さっさとハバネロの周辺に撒き始める。考えてみれば、珈琲と言えば同じ南米仲間に当たる訳ですな。だったら、相性は良いのかもしらん。相性は兎も角も、天然のものなのだから、珈琲の滓が土壌に悪いということもなかろう。いやいや、その手のことは全て師匠が調べておいでのはず。此方人等のような、頭の昏い人間の心配は無用である。そんなことより、私は酒の用意でもした方が良い。用意と言ったって、ぐい呑みを出すぐらいのものである。肴は何かあっただろうか。奴も切れておるし、蒲鉾も切れている。おいおい、何にもない家だね、おまえさん……って、自分の家ながら情けない。くどくど探そうにも冷蔵庫の中がすかすかである。漬け物しか見当たらない。尤も、師匠も私もつまみなんざなくたってどうってことがないって口ですからね。まま、いいか。酒さえあればね。なんて具合で。
 一仕事終えて上がってきた師匠と、セニョールの明るい将来を祈念して乾杯。どうなることでしょうなあ。師匠はというと、然程心配していない御様子。暑くなりさえすれば、元気になるんじゃないですか、と。そうであって欲しいものである。本当にそうであって欲しいものである。

 珈琲の豆に囲まれ、珈琲の香りに包まれ、ハバネロくんは、今宵は遠い故郷南米の夢を見るのでありましょうか。

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2005年06月03日

iconハバネロ16


 うかうかしている間に、セニョール・ハバネロの虫喰われ状況が随分と悪化してしまっているのを発見。私という人間はどうしてこうも集中できない性質なのであろうか。我ながら実に情けない。貴ノ花のことが頭から離れなくなっている所為で、ついつい庭への配慮が疎かになってしまった。こんな莫迦な者に何十年も付き合ってくれたマリには感謝せねばなりませんな。しかし、今頃、こんなことに気付いても遅いのである。孝行したい時に妻はなし。ああ、遅きに失するにも程がある。けれども、気づかないよりは増しなのだよ、と自己弁護。全く以て莫迦なじじいである。

 ううむ。それにしても、悩みは尽きませんなあ。齧られて失われた分を補うべく、もっともっと栄養を与えるべきなのだろうか。然れども、滋養豊かなればこそ、蛞蝓だか蟻巻だか何だかが、セニョ殿に齧りつく訳であるから、寧ろ、養分を与えないようにした方が良いのかもしれない、などとも思う。けれども、仮に、それで虫喰いが収まったとしても、今度は栄養失調で倒れてしまうという懸念が生じることは必定である。それでは本末転倒。どうするのが良いのだろう。
 悩みはそればかりではない。ここのところ、すかっと快晴という日がない。このままずるずると梅雨入りしてしまいそうではないか。南米出身のハバネロくんのこと、たっぷりとした光と高い気温を必要とするに決まっている。地球の裏側に位置する、この日本という国で、梅雨なる季節をどう乗り切るのか。心配である。実に心配である。
 しかし、そもそもの話、東京でハバネロを育てよう、という考え自体に無理があったのではないか、という気がしなくもない。だからと言って、乗り掛かった舟、飛び降りる気にはなれませんな。無理なところから始まっているにせよ、現に、齧られたりしながらも、この小さく侘びしい庭で、どうにかこうにか頑張っているのである。ここで私が諦める訳にはいかないのである。諦める訳にはいかないと思う心は強くあれども、知恵がない。情けない。こういうときに知恵がないのは実に悲しいものであります。

 知恵のない、愚かな老い耄れは、悩みを紛らすべく、結局、澤乃井に縋るのであります。尤も、悩みなんざなくても、呑むんですけれどね。ああ。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月29日

iconハバネロ15


 今朝になって、セニョール殿のために栄養たっぷりの土をご馳走したのは間違いだったのではなかろうか、という疑念が湧いた。というのも、ここのところ、被害は止まっていたように思えていたのに、本日になってみたら、何と、あちらこちらに穴ぼこが増えてしまっている。おまけに、虫も増えている。土が良くなったら、喜ぶのはハバネロ殿御本人ではなく、他の者共であるとは、思いも寄らなかった。ううむ。田村師匠と二人してえっちらおっちら土を撒いた……まあ、実態としては、殆ど師匠お独りでやって頂いていたようなものだけれどね……結果がこれでは何とも遣る瀬無い。尤も、虫がたくさん集まってきているのは、土の所為だと決まったものでもないけれどね。今までの、黒くて小さい透明の翅のやつだけでなく、黄緑色で翅が透明なものと、薄青っぽいようで翅が白っぽく妙にふわふわした奴もいる。どんどんどんどん虫の種類も数も増えてくる。困った。実に困ったものである。そうそう、真犯人とも目されている蛞蝓に関しては、ちょっとよく判らないですな。直接見かけることはありません。昼間はどこか裏の方に隠れていて、夜になると、しめしめ、じじいめ、漸く寝やがったな。これからが俺様の時間だぜ、と、のそのそと闇の中から這い出してきて、ハバネロくんよ、今日も齧らせてもらいますよ。ひっひっひ、と不気味に笑う。悪党を目の当たりにしながらも、足のないセニョ殿は逃げるに逃げられず、思う様齧られてしまう。何という地獄絵図だろうか。想像するだに恐ろしい。

 殺生を避け、虫喰いで失った以上の栄養を与えるという作戦、もう暫く様子を見なければ何とも言えないけれど、今のところ、成功しているとは言えないようであります。神仏に頼りたいような心境になってきますな。そんなことを呟いている割には、結局、澤乃井に頼ってばかりの、情けない老耄であるけれど。

投稿者 nasuhiko : 20:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月28日

iconハバネロ14


 ハバネロ仲間……こんな呼び方をして宜しいのか……と、ああでもない、こうでもない、と、虫喰い問題について話し合った。私と田村師匠は「絶対とは言わないけれど殺生にはかなり反対」派。円嬢は「私には聞かないで」派。大師匠は「君たちに任せる」派」。そういうことなので、何とか殺生からより遠い方法で対策を取ろうという姿勢が明確になったのである。こんな書き方をすると、ちゃんとした会議染みて響くかもしれないけれど、なあに、実際には、わいわいと、雑に世間話をしただけである。昨夕のことだ。
 本日、田村師匠がやたらに大きなビニール袋を抱えて御来訪。何かと思えば、二十八リットルの土であるという。土というのはリットルで数えるものだとは知らなんだ。孰れにしても、御苦労なことである。若いとはいえ、如何にも華奢な、如何にも非力な青年には大変な大荷物であったことでありましょう。その土が何かというと何でも栄養たっぷりのものだという。そう言えば、そんなものがありますな。商店街の花屋でも液体の栄養剤みたようなものだとか土だとか何だとか、その手の代物を売っている。今まで、買おうと思ったこともないし、実際、マリの遺した庭を放置するに忍びなく、ぼんやりと雑草を毟ったりしているだけだった訳で、積極的に何をどう育てるなどと考えたこともなかったので、必要性を感じたこともなかった。
「茄子彦さんもぼくも殺生には反対じゃないですか。だったら、どうするのがいいのかなって考えて、虫にかじられたって、それ以上に栄養があればいい、なんて思ったもので」と仰る。成程、発想の転換ですな。虫退治より、虫に喰われた分以上に余りある栄養を与えようということでありますか。
 早速、二人で作業を開始する。尤も、「二人で」と言ったって、私こそ栄養分をもらった方が良さそうな、今にも倒れそうな枯れ枝じじいである。如何程の役にも立ちゃしない。ちっちゃなスコップを抱えてのろのろと右往左往するばかり。セニョールの周囲にぐるりと溝を掘り、そこに栄養の土をばっさばっさと撒いて、溝の内外をちょちょいと掻き混ぜる、というような具合。その土は、色々な種類の土を混ぜてあるのですな。色が雑多である。大した時間もかからずに仕事を終えて、乾杯ですよ。結局、私は何をしたという訳でもないので、今でも、元気がたっぷり残っておるけれど、二十八リットルを担いできただけで力尽きかけていた師匠は、腰が痛いと仰り、浮かない顔。まあ、けれども、呑んでいるうちにすっかり元気になりましたけれどね。正に、酒は万病の薬ってね。

投稿者 nasuhiko : 18:53 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月26日

iconハバネロ13


 先日来、セニョールの葉っぱに一筋の切れ目をつけたものは、ワタアブラムシだと思い込み、あたふたと騒ぎ、心配した田村師匠が天道虫の幼虫を捉まえてきてくれて、と、どたばたしているのは御存知の通り。ところが、ですぞ。その判断は根底から間違っているのかもしれないのであります。ううむ。先日から、少しずつ拝見させて頂いているstylishさんもハバネロを育てていらっしゃるのだけれど、そこで葉っぱをナメクジに齧られたのではないか、と書かれているのである。写真を拝見すると、うちのセニョ殿の被害とは少々違うようにも思えるものの、考えてみれば、あのちっこい蟻巻が、あんなに大きな筋になるほど、一晩で葉を食すことなど出来る筈がないのではないか、と思えてきた。何故、もっと詳細に観察しなかったのだろうか、と悔やまれますな。もしかしたら、うちでも

どーやらナメクジのよう・・・ 通過した後のようなキラキラが・・・

というのを発見できたかもしれなかったと思われるのである。ううむ。犯人はナメクジであったか。嗚呼、蟻巻連中には濡れ衣を着せてしまったことになり、実に申し訳ない。その所為で、天道虫の幼虫が我が小庭に連れてこられたのであり、結果、蟻巻くんたちの生命を脅かすという仕儀に相成ったの訳で、何とも心苦しい次第。けれども、よく考えれば、葉っぱの上にぼんやりとワタアブラムシが居座っていたことを考えれば、あの大きな切れ目には関与していないにせよ、ハバネロの葉っぱに何か仕出かしていたであろう可能性は高い訳ですかね。あれこれ考えると頭が痛くなりますな。兎にも角にも、その後、被害状況が殆ど進んでいないのだから、もう良いではないか、とね。そう思いましょう。そういうことにして、呑み始めますか。

投稿者 nasuhiko : 18:51 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月21日

iconハバネロ11:育成法みつからず


 セニョールのお蔭で、また新しい知識を手に入れた。肝心要の正しい育成方法はみつけられないままだけれどね。それにしても、インターネットの世界にはいろいろなことが書いてありますな。あんまり、書いてあり過ぎて、何が何だか判らないことも屡々ある。あれですよ、本日の探索で発見したのは、唐辛子の摂取量の何とも驚くべき実態である。
 唐辛子を大量に摂取する国と言えば、当然のことながら、韓国を思い浮かべる老い耄れである。然り乍ら、日本にも七味だの一味だのてえものがある訳で、何だ彼んだ言っても、結構な量を摂取しているんじゃないかね、などと思っていた次第。実際、この枯木じじいにしたって、蕎麦や饂飩に唐辛子をばさばさ入れるし、キムチや明太子も結構な頻度で食している。焼き鳥にだって七味を掛けますよ。もっとも、塩の時には芥子ですけどね。大蒜味噌も良いね。嗚呼、焼き鳥が食べたくなってきました。焼き鳥で一杯きゅうっとね。涎が出てきた。だが、しかし、今はそんな話ではないのであります。
 どんな話かというと、日本人何ぞ、話にならん、ということですよ。いやあ、魂消ました。タイが世界一の摂取量を誇っているそうですが、なんと、日本の1500倍ですよ。韓国とインドがざっと日本の1000倍ほどである、と。何とも、まあ、恐ろしい話ではありませんか。私が死ぬ気で、普段の四倍の量の唐辛子を摂取するとして、それを毎日毎日、それこそ血反吐を吐きながら、胃に穴を開けながら、一年間続けたとして、漸く、タイの人の一日分の分量にしかならないのですぞ。余りにも差が大き過ぎて、実感がちいとも湧いてこない。正に想像を絶する状態である。タイの人たちというのは凄い人たちなのですね。全く以て恐れ入りました。
 私も唐辛子の摂取量を少しずつ増やしてみますかね。何がいいかね。ああ、そうだ。作り置きのコチュジャンで奴といきますか。あのコチュジャンは美味いからね。チョ先生に感謝せねばならん。そろそろ、こう暑くなってきたところで、あの本から、何か新しいものに挑戦しますかね。

投稿者 nasuhiko : 18:31 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月20日

iconハバネロ10


 ワタアブラムシ問題が一段落したようなので、ちゃんとした育て方を調べようと思い、インターネットの検索を繰り返す老い耄れである。一時期は、検索をマスターしたような気でいたけれど、私が調べられなかった虫の名前を、師匠がみつけられたということから考えるに、私の検索能力は未だ未だ未熟なのだと思わざるを得ない。頑張るのだ。修業が足りんのである。本日も、かなりの時間、あれこれと入れる言葉を変えたりしながら検索を繰り返したのだけれど、埒が明きませんよ。セニョールの正しい育て方なんぞ、全く判らぬ侭である。検索した先々で、ああ、成程ね、ほほぅ、そりゃ結構ですな、などと、関係ないものをつらつらと読んでいるから、時間がかかってかかって、しょうがない。そのお蔭で、育て方には関係ない知識が増えました。
 ハバネロは原産地はメキシコである由。予想通りにスペイン語圏でしたなあ。つまり、セニョールという敬称は正しいのであります。そうそう、先日、素手で触ってはいけない、というようなことをどこかで見かけましたが、また、今日も恐ろしいことが書かれているのを発見しましたよ。stylishさんというところに書いてあるのですが、調理をするには、マスク、ゴーグル、手袋が必要だ、と。何が何だか訳が判らない。何だって是田大師匠はそんな無茶なものを欲しておるのだろう。実が生る頃には、私も手袋をして庭仕事をしなければならぬのだろうか。ううむ。何ということに巻き込まれてしまったのであろう。まあ、しかし、これも何かの縁であるし、恩義のある方からの頼み事、こういう時にこそ、人としての度量が試される、というか、真価が問われる、というか……兎に角、そんな風に思い込むことにして、世界一辛い唐辛子に立ち向かおう、と、そう思っている。しかし、あれですよ、調理するのにそんな装備が必要だというものを人間が食べても大丈夫なのだろうか。胃に穴が空いたりしやせんか、と懸念致す次第。大師匠のことだから、カレーを作るのでしょうけれどね。どんなことになるのだろう。考えるだけで、手に汗握る、って、汗ぐらいで済めばお安い御用。嗚呼、何だか訳が判らないよ、全く。

投稿者 nasuhiko : 19:26 | コメント (2) | トラックバック

はじめまして!
私もハバネロの育て方が分からない1人です!(笑)
うちでハバネロ・シシトウ・ピーマンを並べて育てているのですが、枝の分かれ方や、つぼみのつく位置など、まったく同じです。シシトウもトウガラシ科ですしね。
私は、本に載っている、シシトウの育て方を参考にしています。畑だったら3本仕立にするそうなのですが、私は思い切ってザックリとカッターで切り1~2本仕立にしました!

投稿者 ゆき : 2005年06月11日 16:54

 私のところのハバネロは、どんどんどんどん虫に喰われ、どんどんどんどん痩せ細るばかりであります。梅雨を乗り越え、真夏の太陽に巡り合えさえすれば、故郷の南米を思い出して元気になってくれるのではないか……と期待しておりますが、嗚呼、未だ未だ夏は遠いですなあ。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年06月11日 20:58

2005年05月19日

icon大人びてきましたな


 セニョールが登場して以来、どうしても、早起き、というか、朝早くから庭に出て様子を見たくなる。ささ、今日はどうだろうか、と窺うと、なるほど、あまり変化はありませんな。被害は進んでいないようである。一枚一枚、葉の裏側まで丁寧に睨め回したけれど、蟻巻連の姿はない。良かった、良かった。続いて、天道虫の幼虫くんの方を見てみると、相変わらずのようであるけれど、蟻巻の数が減ってしまって、早晩、食糧危機に陥るのではないか、と懸念される。尤も、大分太っているから、その前に蛹になってしまうのかもしれないけれど。
 一安心して、水を撒き始めたら、草叢から飛び出してきた。おお、ちび公くんか。大方、また、金蛇でも探してあちこち顔を突っ込んでいたのだろう。こちらを向いてにゃあと鳴く。ふふ、私もにゃあと答えてみましたよ。まあ、猫語なんざ判らんので、何となく「近頃、調子はどうだい」というような心を込めてみたのだけれど、通ずる筈はない。しかし、あれだね、暫く振りにだけれど、相変わらずの宇宙人面だね。はは。けれども、随分、大人びてきましたか。猫の歳てえのは、どうやって数えるんだか判らないし、そもそも、ちび公くんの誕生日を知っている訳ではないので、正確なところは判る筈もない。まあ、蜥蜴や虫を追い掛けて、ぴょんぴょこ兎みたように飛び跳ねているのだから、未だ未だ若いのでしょうな。小学生ぐらいかね。こんなところで、立ち話も何だから、と、奥から、鈴廣の蒲鉾を持ってくる。さあ、お食べよ、と差し出すと、喜んで食しておる。ふふ、愛い奴よのう。向こうにしてみりゃ、相変わらず、手前勝手なことばかり呟く、妙なじじいだぜ、とでも思っているのかもしれないけれどね。意思の疎通がうまくいかないのは仕方がない、などと思う。それにしたって、昆虫や植物に比べれば、理解し合えているような気にはなれますよ。何だい、あのハバネロてえやつは、ぼうと突っ立ているばかりで、私が、水は足りなくないかい、蟻巻に襲われていないかい、なんぞと気を使ったところで、全くの無表情。有難うでもなければ、煩いなあ放っといてくれ、でもない。それに比べたら、ちび公くんなんざ、偉いもんだ。顔を合わせば、にゃあと鳴く。蒲鉾を差し出せば、喜んでごろごろ音を立てる。嬉しいじゃありませんか。そんなことを思っていたのだけれど、蒲鉾を食べ終わった途端、何事もなかったかのように、立ち去ってしまった。冷たいねえ。まあ、それが猫てえものか。全く、これだから猫てえやつは信用がおけないよ。それに比べて、セニョールくんはいつだって、待っていてくれる。雨が降ろうが風が吹こうが、じっとそこに佇んでいる。立派なもんだ。ささ、もう一杯、水を如何ですか、と水遣りを再開する私である。

投稿者 nasuhiko : 20:36 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月18日

iconハバネロ09


 天道虫の幼虫の様子を見てみると、相変わらず、精力的に活動している。不思議なのは、他にもたくさん草木があるにも拘わらず、その草に居座っている蟻巻たちでありますな。怪獣みたいな幼虫が近づいてきてもびくともしない。生命の危機に瀕しておるということを理解できないのだろうか。数日前を思い返すと、ワタアブラムシと思しき連中は、手を近付けても、ふうふう息を吹きかけても、なかなか葉っぱから離れなかったのでありましたね。彼らには危機感というものがないのか。それとも、単に怠惰なのか。嗚呼、もしかすると、人生を達観しているなどということもあるのだろうか。だとしたら、一寸の虫にも五分の魂どころか、悟りを開いた賢者だということになる。ううむ。
 しかし、あれですな。考えてみれば、私や田村師匠は極悪人ですよ。殺生はいけない、殺生などできませぬ、などと、口にしておるけれど、生ける殺戮兵器とも言うべき天道虫の幼虫を連れてきて、自らの手を汚さずに、蟻巻を退治させようとしているのである。これが間接的な殺生以外の何ものであろうか。考えると、厭な気分になってきた。厭だね。しかし、セニョール・ハバネロを守るには致し方がないではないか、とも言える。もし、私たちが手を拱いておれば、蟻巻の軍団が寄って集って、身動きの出来ぬセニョール殿に襲いかかり、喰い尽くしてしまうのではなかろうか。そうだとすれば、また、それもそれで一つの生を見殺しにすることになりはしまいか。ああ、頭が痛い。もう私の干涸びた脳みそでは無理である。ぴゅろんしますよ。

 三時過ぎからだらだら呑んでいたら、いつの間にか、眠ってしまっていた。現実逃避して酒に溺れて寝てしまうなんざ、何ともみともない姿である。達観したワタアブラムシを少しは見習えてんだ。
 嗚呼、生命とは何なんでしょうなあ。七十余年も生きてきたって、結局、何にも判らないのである。まあ、酒の善し悪しは少しは判るようになりましたがね。其れが一体何になるのか、と問われると、返す言葉も御座居ません。一介の愚かなじじいに、無理な御質問を為さいませぬよう、平にお願い申し上げます。呑み過ぎです。もう寝ます。

投稿者 nasuhiko : 21:17 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月17日

iconハバネロ08


 本日は、虫喰い状況に大きな変化はないようである。ワタアブラムシと推測される、例のちびっこい透明の翅の虫も、セニョールへの興味を失ったのだろうか。だと良いのだけれどね。兎にも角にも、せっせと水遣りに勤しむぽんこつじじいである。
 午後になって、田村師匠がいらっしゃる。やはり、ハバネロくんの様子が気掛かりなのでありましょうなあ。こう言っては変だけれど、何となく、この一連の出来事で、私は内心盛り上がっているのであります。みんなで集まって、ああでもない、こうでもない、なんて相談したりしてね。何と言うんでしょうか。同好会とか倶楽部みたようなものの一員のような気分でね。何分、若い自分から偏屈な方だったので、そういう団体活動のようなものに加わったことがないし、加わりたいとも思っていなかったのであるけれど、意外なことに、こういうのも悪くない、という心境になっている。尤も、同好の士の集まる会と、ハバネロを巡るこの近所の人々の集まりとは、違うものだろうけれどね。それでも、何となく、楽しい。莫迦みたいな話であるけれど。

「化学薬品を使わずにアブラムシに立ち向かう方法を用意してきましたよ」と師匠がおっしゃる。「さあさあ」と先に立って庭に下りられると、鞄からタッパーウェアのようなものを出された。「ちょっと見てみて下さい」と差し出されるので、中を覘いてみると、ほほぅ、これは何だったか。大昔に見たことのある、蚰蜒のような、芋虫のような、奇態な生き物が葉っぱの上を歩いている。ミニチュア版の怪獣みたような雰囲気である。「テントウムシですよ」なるほど、そうであったか。考えてみれば、昔から、蟻巻の天敵は天道虫と決まっていたではないか。「あっちこっち探し回って、どうにか一匹だけつかまえることができました」何とも御苦労なことである。早速、セニョール・ハバネロにその天道虫の幼子を移そうかと思ったところ、本日は、肝心のアブラムシの方がいない。ということは、つまり、天道虫くんとしては、食べるものがない訳で、それでは生きていけませんな。それでは仕様がない、ということになり、蟻巻のいる葉っぱを探すことになる。本末転倒も甚だしいのだけれど、致し方ない。そうすると、我が小庭にありましたよ、蟻巻の集まっておる草が。幼虫くんをそちらに移らせると、早速、活動を開始して、行き成り齧り付いている。ううむ、怪獣みたいなのは外観だけではない。物凄い勢いで襲いかかっている。恐ろしい生き物ですな。相談した結果、この草に住まわせておいて、様子をみましょう、ということになったのである。何だか、どんどん状況がこんがらがってくるけれど、まあ、それが、現実というものである。何事も一筋縄ですすいすいとはいかないものですなあ。そんな話をしながら、師匠と一杯酌み交わす。二杯酌み交わす。三杯、四杯、と、限りがない。有り難いことに、今日も美味い酒が呑める。あるいは、酒が美味く呑める、と言うべきか。何はなくとも酒と友。嗚呼、感謝感謝で夜が更ける。

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2005年05月16日

iconハバネロ07


 困ったことに、更に傷口が深まっている。今朝になってみたら、別の葉っぱの真ん中に穴が空いてしまっておるのです。嗚呼、何たることか。暫し茫然自失の体。ううむ、参りました。参ってばかりいても、何事も解決しないのであるからして、子細に観察する。葉っぱを一枚ずつ丹念に調べていくと、昨日発見した、透明の翅をした非常に小さい虫がいる。しかも、本日は五匹もいるのである。例によって、手を近寄せても、葉っぱを揺すぶっても、ぼうとしており、逃げる気配がない。何という怠惰な虫であろうか。しかし、其の侭放置しておく訳にはゆかぬので、せっせと猶も葉を揺すりながら、ふうふう息を吹きかけて、何とか追い払った次第。ふうふうふうふう吹き過ぎたのであろうか、相当に息切れがして、頭の中の血管が何本か切れたのではないか、という気がしてきた。そう思うと、ずきずきと小さな頭痛の波が押し寄せてきているような気になって、何だか、気持ちが悪くなってきた。朝腹から、厭な気分だね。不愉快極まりない。
 気分が優れぬので、ごろごろと寝転がって、音楽を聴く。借りっ放しになっている『アリーナ』という、雨音が心に滲むようなやつである。いやあ、セニョールのこと、虫のこと、みんな忘れて、ぼんやり過ごそう。そんな気になる。其の侭うつらうつらしていたら、玄関で呼ばわる声がした。しかも、がやがやと何人連れかの様子。果て、何事だろうか、と出てみると、いやあ、田村師匠と円嬢、加えて、是田大師匠まで見えている。このインターネットの日記を読んで、舶来唐辛子殿の身の上を案じ、今後の対策を立てようではないか、ということのようである。
 みんなでセニョール・ハバネロの様子を見学し、ああでもない、こうでもない、と相談のような世間話。田村師匠によれば、私が発見した虫は、あれこれ調べた結果、ワタアブラムシという害虫である由。私の文章を読んだだけで、よくぞそんなことまで判るものだと不思議に思う。
 立ち話も何ですから、と、部屋に戻り、例によって、一献と相成った。結局、どんどん呑んで、あれこれが有耶無耶になってしまったのだけれど、兎にも角にも、植えさせて戴いているだけで十二分に有り難いことだから、枯れようが、虫に喰われようが気になさらずに、と、大師匠に言って戴き、肩の荷が下りた気がするけれども、そんな言葉を掛けて頂いては、ますます頑張って、立派な立派なハバネロに育て上げようという、気にもなり、明日からも頑張りますともさ。はははのは、と、頭痛などどこかに吹っ飛びました。

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2005年05月15日

iconハバネロ06


 朝から大変な衝撃を受けている。育て方が判らん、だの、気温が低過ぎる、だのと、あれこれ心配していた訳だし、勿論、今だって大きにセニョールの身を案じておるのは事実なのである。事実なのであるけれど、いやあ、抜かりました。抜かってしまった。灯台下暗し、とでも言えばいいのだろうか。ちょいと違うね。兎にも角にも、大事件である。何たることか、葉が虫に喰われているのであります。ああああ。もう、目の前が真っ暗になりましたよ。ああああ、何ということになってしまったのだろうか。熟、参りました。大被害というほどではなく、一枚の葉に一筋切れ目が入ってしまっているという程度なのだけれど、小さかろうが大きかろうが、虫に喰われてしまったという事実には変わりがない訳で、何とも申し訳ないことである。ううむ。今まで気付かなかったけれど、微に入り細を穿って、舐め回すように熟視したところ、小さい小さい黒い体に透明の翅を持った虫が葉の裏に二匹居た。見たことがある虫だけれども、何奴であるかは判らない。動作は極めて鈍い。普通の虫だったら、手を近付けただけで、飛び去るように思うのだが、こいつは、手を近付けても一向に動こうとする気配がない。仕方がないので、葉っぱを揺さぶってみたけれど、それでも動こうとしない。一体、何を考えているのだろうか。全く以て不思議だ。こんなにのんびりしていて、自然界で生き残れるのかいな、と、余計な心配をしたくなる程である。しかし、それこそ余計な心配というもの。猶も葉っぱを揺らしたり、ふうふう吹いたりして、追い払いました。どういう対策をすれば良いのだろう。薬の類は、環境にも人体にも宜しくないに決まっているのだから、やはり、地道に虫を追い払う作業をするしかないのだろうか。そうでしょうな。まあ、暫く様子を見て、今後のことを検討することにするけれど、困りましたね。
 ああ、そうだ。蚊取り線香の類を昼夜を問わず焚いておくというのはどうだろう。先の、ちっちゃい虫だって、蚊みたようなものだから、嫌がるのではないかしら。ところで、蚊取り線香を浴びせ続けた場合、肝心の唐辛子の方に悪い影響はないだろうか。人体に影響はない、ということだろうけれど、それは通常の使用方法での話であろうから、もしかすると、何らかの害がないとも限りませんな。ううむ。困った。訳が判らない。やはり、今日もぴゅろんですかねえ。ぴゅろんですねえ。取り敢えず、呑み始めますか。嗚呼、何とも、困った老い耄れである。

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2005年05月14日

iconハバネロ05


 昨日も一昨日も寒かったけれど、本日もまた寒い。この連日の寒さは何なのだ。花冷えというには些か遅過ぎる。ううむ。兎にも角にも、気掛かりなのは、南国生まれと思しきセニョールにはこの気温は大層辛いものであるに違いない、ということである。そもそも、どういう育て方が正しいのか、ということなど、ちっとも判っていない。田村師匠によると、水をいっぱいあげて下さい、ということだったので、せっせと水遣りはしている。けれども、それだけで良いものだろうか。急にこんなに寒くなってしまって、大丈夫だろうか。何かあっては大変ですからね。
 ぼそぼそと疑問を呟いてばかりでは何も解決しない。当たり前だ。そこで、例によって、インターネットをあれこれと検索してみることにしたのであります。ところが、なかなかみつかりません。みつかるのは「ハバネロ栽培キット」というものと「暴君ハバネロ」というお菓子のことばかり。そのキットというもは、どうも大師匠から預かったセニョール殿以前の、種の状態のもののようなのですよ。それでも、何か少しは参考になることが書かれているだろう、と読んでみたものの、あまり私の理解の一助となるようなことは見当たらない。中には、素手でハバネロの実に触ると、手の皮が剥けることがある、などという、何とも恐ろしいことが書かれていたりして。本当にそんなことがあるのかねえ。尤も、そんなことを心配するためには、先ずは、実がつくまで無事に育て上げなければならないのであるけれど、その方法がみつからないのである。困った。一時間かもう少しの間、のろくさと調べていたら、目がしょぼしょぼしてきて、肩まで痛くなってきた。取り敢えず、今日のところは、引き下がるしかありませんか。
 しかし、あれですな、このセニョールくんの御来訪以来、新聞の天気予報の欄をついつい見てしまいますね。今暫く悪天候が続くようであって、だとすると、気温も上がりはしないと思われる訳で、どうしたら良いのだろうか。ううむ。こちらまで寒気がしてきた。一杯飲んで、暖かくして早く寝る方が良いかもしれない。そんなことを呟きながら、澤乃井をきゅうっとやり始めたら、テレビで「小学生将棋名人戦」の再放送が始まった。再放送とは素晴らしい仕組みですな。結構、結構。
 ううむ、それにしても、今年のお子たちも素晴らしいですなあ。合間合間に、嘗ての、優勝者、準優勝者の懐かしい姿が映されましたが。羽生先生、森内くん、それに、先崎くんもちらりと映っていましたかね。渡辺くんなんざ、ついこの間の話であるから、あまり変わっていませんな。ところで、少年羽生は、赤いベレー帽を被っていたような記憶があるのだが、本日流れた映像を見る限りでは、帽子なんざ被っていませんでしたね。尤も、老耄の朦朧とした記憶なぞ、端から当てになりませんけれどね。
 そうそう、山崎青年の解説振りも素晴らしかったですなあ。彼てえ人は、あんなに面白い人だったのか。山崎くんももっと応援してあげたいような気になってきましたよ。羽生先生、渡辺くんに続いて、三番目に応援することにしよう。ああ、そうだ。応援で思い出したけれど、私の知らない間に名人戦があって、森内名人に負けてしまっていましたね。知らなかったこととはいえ、神風を起こし損ねたことを大きに後悔するじじいである。羽生扇子に申し訳が立ちません。
 ううむ。早い時間から勢いよく呑んでいたもので、脳みそが取っ散らかってきてしまいました。こんな時はとっとと寝るに限りますな。御免下さい。

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2005年05月12日

iconハバネロ04


 ハバネロに水遣りをしながら、無駄なことを考える。尤も、私の場合は、年がら年中無駄なことばかりを考えているわけなので、水遣りをする時ばかりに限ったことではない。例えば、こんな具合。ハバネロって名前はハバネラと似ているなあ。ハバネラってのは、カルメンですよ。ということは、スペインかね。ぎらぎらと照りつける太陽。でも、もっともっと暑い暑い地域の方が辛い辛い唐辛子が育ちそうですな。スペイン語圏なんだろうかね。するってえと、南米か……などと、どうにも解決しそうにない、そして、万が一、解決したからといって何にもならないような、正に、愚にも付かない無駄の中の無駄をぼんやりと考えるているてえ有り様。
 大師匠からの大事な大事な預かり物である、セニョール・ハバネロを枯らしたりする訳にはいかない。当然のことながら、この小庭の中でも、特別待遇である。水遣りを欠かさぬばかりか、周囲に雑草など顔を出そうものなら、直ちに引き抜き……というところで、少々、心の中がむずむずするのであるけれど、まあ、引き抜く。引き抜かねばならぬ。だが、しかし、これは本当に雑草なのだろうか。仮に、雑草だとして、何故、私は其れを殺生せねばならぬのか。ううむ。頭が痛くなってきた。老い耄れた脳みそをきりきり無理矢理絞るものだから、また智慧熱みたようなものが出てきそうである。ああ、突然、関係ないことを思い出した。谷川さんなら、こんな時には「ぴゅろんだよぉ、君ぃ。ぴゅろん、ぴゅろーん。さあ、いいから、呑もうじゃないか」などと声高に述べ、破顔。そして、巷に繰り出して一献というところだろう。そのぴゅろんてえ合言葉が何なのか、未だに判らない。未だに判らないのだけれど、先方は帝大の文科哲学を出ている、頭脳明晰博覧強記の人物であり、学校を出て右も左も判らない私の如き者を雇い入れてくれた社長様であり、世に言う奇人ではあるものの、公私に渡って何くれとなく面倒を見て頂いた方である。何か私如きには計り知れない意味があるのだろうとは思う。余りにも頻々とその言葉を耳にしていたものだから、自分でも、思考が行き詰まった時には、ここは一つ、ぴゅろんだな、などと、訳も判らず呟いたりしていたものである。仕事を辞めて何年にもなるのに、今でも、件の台詞を思い出して呟いたりして。谷川さんはお元気だろうか。あの人のことだから、相変わらず、何処からやって来て何処へ行くのか判らない、謎の活力に満ち溢れ、今日は東へ明日は西へと飛び回っているかもしれない。しかしながら、よくよく考えれば、既に齢八十を超えていらっしゃる筈であるから、少しは腰を落ち着けて居られますかねえ。
 ところで、私は何をぴゅろんしようと決め込んだのだったか。ああ、雑草問題である。やはり、こういう時はぴゅろんして、澤乃井なんだろうね。

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2005年05月11日

iconハバネロ03


 五月も半ばになるのだからして、次第次第に暖かくなってきている。これは全体の流れとして、感じ、考える限りは、紛う事無き事実であろう。 朝早くに目が醒める。それも、厠に行きたくなってのことであって、歳を取るに連れ頻々と尿意を催すようになったなあ、と、寝惚け眼を擦り乍ら思う。同級の連中なんぞもお仲間なんだろうね、と思いながら、その一方で、いやいや、これは私固有の問題であって、他の年寄りは然程尿意に追い捲くられたりはしていないのではないか、などとも疑ってみたりもするけれど、今はそれは問題ではないので、放ったらかしにしておく。今、問題なのは別のことである。五月半ばになり、気候が緩んできてはい乍らも、早朝ともなると、未だ未だ極めて肌寒く、中でも今日は殊更に寒く、ここで生まれ育った私は兎も角としても、恐らく、暖かい国からお越しになったと思しきハバネロ公におかれては、何が哀しゅうて斯様な寒い国へ拙者は貰われて来なければならなかったのだろうか、と己が身をお嘆きになられてはいまいか、と、それが心配である、というのが、今、現在、私の心の中で渦巻く問題なのである。しかも、いくら心配したりしたところで、相手は天。天候は、私如き老い耄れには、如何ともできるものではない。鉢植えで室内で育成しているのならいざ知らず、小庭に植えてある以上、どうすることもできるものではないのは自明であろう。しかし、ですぞ、大師匠からお預かりした客人ハバネロ殿の身の上に万々が一のことでもあったら、大師匠のみならず、師匠にも、序でに、『日和見』の面々などなどにも合わせる顔がある筈もなく、ここで腹掻っ捌いてお詫びするしかない……などというのは、全て、酔った上での勢いで書き綴っているに過ぎず、勿論、切腹したりはしないのであるけれど、それでも、やはり、ハバネロ君には、少しでも良い環境で過ごしてもらいたいと思うので、サランラップで、何とはなしに周りを囲んでみたのである。けれども、見た目も宜しくないし、そもそも幾許かの効果すら期待できそうには見えないので、すぐに片しました。郷に入りては郷に従え、の通り、ここ日本に移住してきたからには、ハバネロ氏にも覚悟していただき、日本流の、所謂、大和魂で、寒さ何ぞ何処吹く風、と、頑張って乗り切って戴きたいと、切に願うのであります。嗚呼、呑み過ぎたよ。

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2005年05月10日

iconハバネロ02:緑派宣言


 ハバネロ様は大量に水を必要とするそうなので、せっせかせっせか水遣りをしている。尤も、あまり水を遣り過ぎても根腐れなる症状を起こす怖れあり、と、耳学問で得た知識もあり、訳が判らないながらに加減をしたりしているつもりである。元々瑞々しいハバネロ君の葉が、水を浴びて、文字通り水も滴る良き姿になり、得も言われぬ美しさを感じた今朝。その美しさにすっかり心を打たれ、嬉しくなると同時に、少しく反省したのである。おまえさん、春になってから、花だ、実だ、と、植物界の極一部分の現象ばかりに目を、心を奪われちゃあいませんか、と。省みれば、確かに、梅や桜のみならず、躑躅だ、蒲公英だ、と、そればかりでなく、名も判らない花々を、有り難く眺めては撮影したり、を繰り返している。事実、花々の姿は、干涸びた老い耄れの心を潤してくれるのであって、実に有り難い。けれども、その花の今日があるのも、それ以前の種、発芽、双葉、などなどなどなど、といった、植物の生涯の様々な過程があるからなのである。それらを象徴するのが、緑なのではないか。そんな気になって、これからは花を愛でたら、必ずや、その緑をも愛でることにしようと思う。花が咲いていなくても、我が小庭に限らず、町角や公園のあれこれの緑に注目してみようと思う。緑派宣言でありますよ。倒壊寸前の枯れ木じじいの緑派宣言なのであります。
 緑派に転じた目で、こうやって庭を眺めてみると、雑草までもが中々頑張っておることだなあ、と思えてくるから不思議である。手間なんぞ掛けなくとも、自らの生命力で逞しく生きているのですな。そんなことを思うと、また心の中で葛藤が始まってしまう。雑草とは何ぞや。何故、彼らは、軽々しく殺められねばならぬのだろうか、と。難しい問題である。私の、この老朽化した頭脳ではとてもじゃないが、どう考えれば良いものか、糸口さえ掴めない。それで、結局、こう、澤乃井に頼ることになってしまう。こんなもやもやとした心持ちで呑んでも、それでもなお美味いのだから、澤乃井は偉いやね……なんてことを独り言ちながら、緑問題、雑草問題を、あれこれと考えてみるのだけれど、素面でも判然としないものが、酔った頭でどうにかなる筈もなく、この問題は先送りにするしかないのである、と結論づけ、呑むことに専念する次第。相も変わらず、莫迦なじじいだねえ。

投稿者 nasuhiko : 16:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月09日

icon梅の香り


 気がついてみると、いつの間にか、梅の実が随分大きくなっている。少しだけ艶やかで、瑞々しい緑が眼に眩しく、見ているだけで鼻の奥に甘酸っぱい香りが届いてくるようである。折角だからと、近寄ってみる。おかしい。顔を寄せてみる。おかしい。鼻を寄せてみる。おかしい。鼻の穴に入らんかな、という程に梅の実に近づく。鼻の穴に入れないまでも、鼻の頭に擦れる状態にしてみても、それでも匂いがしないのである。仄かに鼻腔を擽るような芳香を期待していただけに、正に鼻白む思い。何なんだ、この梅てえやつは。人の気持ちを玩びおって。全く以て失礼な奴である。まあ、これは、誰が考えたって、八つ当たりに過ぎないのであるけれど、八つ当たりしたくもなるほど、この老い耄れは期待していたのであります。
 ううむ。梅というのは、これ程に香らないものだったのだろうか。だとすると、私の記憶の中のあの香りは一体何なのだろうか。釈然としない。梅のジュースや梅のジャムや梅のゼリーなどを食する機会が、偶に、というか、人生の中で幾度かはあったけれど、それらはみんな、梅らしい匂いを放っていたと思うのだが、私の記憶違いだろうか。勿論、老い耄れの記憶なんざ年中狂いっぱなしではあるけれど。そうそう、そう言えば、酎ハイの類にも梅の看板を背負っているものもあり、そういうものも、やはり些か甘く梅らしい匂い付けがなされている。そうだ。梅のガムや梅の飴というものもありますな。ああいうものも全て、特有の、如何にも梅らしい香りと甘味があるように思うのであるけれど、あれらは全て、企業が消費者をだまくらかすべく作り上げた、幻想の梅の香りなのだろうか。そういうものに日本中の、否さ、世界中の大衆が騙されているのだろうか。ううむ。謎である。
 それとも、私の鼻から梅の匂いだけが奪い取られてしまった、なんぞという、SF的なことがあるのでありましょうか。何とも不思議である。目の前に梅がある。触れることさえできるのに、匂いが感じられない。どうなっておるのだろう。そんなことはどうでもいいじゃありませんか。そうなのである。そんなことはどうでもいいのであるけれど、しかし、何とも、気持ちがすっきりしない。この不愉快な梅の木をば切り倒してやろうか。そんな乱暴な気持ちに、一瞬だけとはいえ、なったのでありました。嗚呼、梅の香りよ、何処に。

投稿者 nasuhiko : 17:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月08日

iconハバネロ


 ハバネロというものが我が庵にやって来た。昼をちょいと過ぎた頃合い、玄関で呼ばわる声がするので、のろくさと応対に出ると、師匠の御来訪である。さあさあどうぞ、と、昼日中から澤乃井で一献。
「ハバネロというのを御存知ですか」「いやいや、聞いたことがありませんな。何ですかそれは」「ぼくも今まで知らなかったんですけれど、是田さんに電話で呼ばれまして。それで教わったんですが、唐辛子なんです。唐辛子と言ってもいろいろあるそうで、中でも世界で一番辛いのが、そのハバネロというやつらしいんですよ」「なるほど。左様ですか。して、そのハバネロがどうしたんでしょうな」「是田さんのカレー好きは御存知ですよね。それで、そいつをカレーに使いたいと仰って」「はあはあ、それは結構なことですな」「それで、あのぉ、茄子彦さんの庭に植えてこい、と。唐突な話で申し訳ありません」「要するに、カレー名人是田氏が世界一辛い唐辛子を使いたい。それに当たって、先ずは育てるところから始めたいのだけれど、庭もベランダもないので、茄子彦んとこの小庭に植えてこい、と、こういうことですかね」「いや、正しくその通りです」「是田さんと言えば、田村師匠の師匠に当たる、私から見たら大師匠ですからね、そりゃ、もうその位のことは何でもありませんぞ。喜んで、このぼろ庭を提供させていただきますとも」と私が答え終わるかどうかというところで、タムゾー先生は鞄から、苗と小さなスコップを取り出して「ちょいと下駄をお借りします」と庭におりている。何とも準備の宜しいことである。どこに植えればいいでしょう、とお尋ねになるので、陽当たりの良さそうな一画を提供することにする。植え終わり、ささっと水を撒いたら、乾杯である。何に乾杯なのかは判然としない。差し詰め、ハバネロのすくすくと育つ未来の為か、あるいは、もう一歩進んで、是田大師匠がそのハバネロを使って最高のカレーを作ってくれることに、だろうか。孰れにしても、植えてみると、どんな風に育ってゆくのかが大きに楽しみになってきた。しかし、辛い辛い唐辛子なんざ、何となく、途でもなく暑い土地に育ちそうなもののように思える。そんなものが、果たして、この日本で育つのだろうか。孰れにせよ、一旦、お預かりしたからには、何処に出しても恥ずかしくないような一人前の唐辛子に育つように出来る限りのことはさせて戴く所存。頑張りますともさ。

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