2005年09月30日

icon美しい、美しい青空


 朝方、寝惚けながら、ぼんやりと水遣りをする。習慣的な動作なので、何がどうと考えることもなく、だらだらずるずるとした作業である。そういう心の籠らない態度で、草花や木、大地といった、自然の種々に相対するのは申し訳ないという気もするけれど、まあ、実際、寝惚けているのだから仕方がない。私の草臥れ脳みそがしゃきっとするまで待っていたら、朝の水遣りは昼飯時になってしまうであろう。それに、すっかり目が覚めたとしたところで、私の頭ときたら、いつでももわっと靄がかかっているからね。困ったもののような、お蔭で何とか日々を送れるという意味ではありがたいような。私にはもわもわしたぐらいのおつむが丁度宜しい。
 しかし、今朝は、美しい空のお蔭で、すーっと目が覚めた。水遣りをして、一息ついて、空を見上げた時、あの青さ、透き通っているようで深い青さというものは、素晴らしいですな。何と表現するのが適当なのだろう。美しさを言葉に置き換えるのは難しい。尤も、美しさに限らず、どんなものだって、ちゃんと言葉にするのは難しいのであります。そう考えると、小説家の人々なんざ凄いですな。あることないことでっち上げて、私なんざ、ついつい引き込まれて、感動してしまう。でも、よく考えると、あれは、嘘な訳ですからね。そう思うと、不思議な気がしますよ。そんなことを言い始めたら、限りがないけれどね。小説家というものを誉めているつもりなのに、悪口みたくなってきた。そういうつもりではないのだけれど。
 その美しさを何とかせんと、写真に撮って、マックに入れてみたけれど、私が見た青さとはちょいと違う気がする。それで、あれこれとまたフォトショップというもので格闘してみたけれど、何だか、どんどん現実から遠ざかるような気がしてね。難しいものですな。そもそも、私の目がどのぐらい忠実に現実を映しているのかというと、自信がない。白内障の手術をして以来、色々な物が大変鮮やかに見えるようになった気ではいるけれど、眼ん玉に映ったものを受け止める側の脳みそがぽんこつですからねえ。ああ、現実とは何なのか。

 秋空の 深く青きを 惚け見る

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2005年09月06日

icon水浸しの真相


 私が訳の判らない作文をここに書いたのをお読みになられた大師匠がおいでになられて、あれこれと説明して下さった。あの方は、何でも、あの晩、あっちこっちを駆けずり回ってあれこれの事情を実地に検分し、写真などもたくさん撮ったそうであります。
 私は川が氾濫したと書きましたけれど、あれは、どうも違うようですな。私のこのぽんこつな頭ですから、例によって、理解が滅茶苦茶ですから、どう説明すれば良いのか判らないのですけれど、要は、川が溢れたてえよりも、下水道が溢れたということのようなのであります。実際、下水道がごぼごぼ溢れているという写真を見せて戴きましたしね。大昔はいざ知らず、護岸工事をしてからこちら、そうそう水害なんて話はなかったのに、ここに来て、急に連発したのは、都市計画だとかそんなものの不備の所為だそうで、何でも、行政がいけないのだ、と仰る。典型的な都市型災害であって、実にけしからん、と御立腹。成程ねえ、などと拝聴していたのだけれど、どうも、私のこのおつむにはなかなか理屈てえものが入っていかないもので、説明して下さっている大師匠も些か御不満気味の様子でありました。まあ、その内に、お互いに酔っ払ってきて、どんどん訳が判らなくなってしまったのですけれどね。今日だって、あちこちで被害が出ているというのに、不謹慎ですかね。そうなんでしょうね。

 ちなみに、本日の写真は私が撮ったものではなく、大師匠から頂戴したものであります。深夜も深夜、かなり深い時刻、溢れた水が引き、人が引き、警察や消防も引いた後の、人っ子一人いない、水害直後の町の図だそうな。

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2005年09月05日

icon水浸し


 今日もまた雨が降っている。颱風十四号の影響なのか否か、私に判る訳もないけれど、アメリカのハリケーン「カトリーナ」に負けず劣らぬ、大きなものだそうで、大事件にならぬように祈るばかり。ニューオリンズでの悲惨な状況をニュースで見聞きして、胸が痛くなる。颱風だというと少々燥ぎ気味になる、自分の根性がつくづく不謹慎で嘆かわしいものであると痛感。恐ろしいものですなあ。
 規模こそ違えど、この辺りでも、昨晩の雨は大変なものでした。叩き付ける雨粒の勢いで、屋根が割れるような音がした。近所の川も氾濫したそうで、川に程近くて低いところでは、道路が水に埋まり、その深さたるや、腰よりも低いものの膝よりは上だというのだから、大変なものである。警察や消防が出動し、通行止めにしたり、交通整理をしたり、と慌ただしく対応していたそうである。朝のゴミ出しで顔を合わせた御夫人の話では、中学校の近くのちょいと道の下った辺りでは非難警告なども出ていたそうだし、事実、床上にまで浸水した御家庭もあるとの由。大変なことである。
 以前に、そうですなあ、恐らく、四十年程も前だったと思うけれど、大変な大水で、我が家のすぐ前のところまで水浸しになったことがありましたな。家内と二人してびっくりどきどき大慌てしたのを思い出す。結局、ぎりぎりのところで、浸水はせず、私のところは被害を受けずに済んだのでありました。そんなことがあったせいで、行政も川の護岸工事をしたのですよ。それで、それから後は、かなりの雨でも溢れることなどなく、大過なく過ごしてきた訳です。ところが、今年になって、もう二度目ですからね。どうなっているのか。最近の雨が今まで以上に強いなんてことがあるのかどうか。それとも、どこか他に事情があるのかね。環六の下だか何だかに大きな地下の池だか何だかを作って、もうこれで水害はありません、などと、都だか区だか吹聴していた筈だけれど、結局、あのせいで、うちの近所辺りに皺寄せが来ているなんてことがあるのだろうか。ううむ。無い知恵、無い情報を巡らせても、当然、何も生まれない。兎にも角にも、罹災した皆さんには御同情申し上げるとともに、こんな時にこそ、行政には活躍してほしい、と思う。取り留めのない、随分と長い独り言になってしまった。笑えもしなけりゃ、泣けもしない。実になることなど何もない。ここまで読んでしまったあなた様、お付き合い戴き、有り難う御座居ます、というより、御迷惑をお掛けしました。いやはや、いやはや。

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2005年08月26日

icon颱風一過


 あちらこちらで大変な被害を巻き起こしたようだけれど、幸い、我が家の界隈では、大事は起きていないようである。朝起きたときには、概ね、一過したあとと言って良いような様子でありました。雲一つないどころか、かなりたくさんの雲が出ていたけれど、その向こう側には真っ青な空が覘いていた。そんな朝の空模様をぼんやり眺めていると、胸の中がすうっと、静かに透明になるような心持ちがしたものでしたよ。しかし、はっと我に返る。そうだ。セニョール・ハバネロはどうしただろうか。あれほどの大風、どこかに飛んで行っちまったり、折れちまったりしてはいまいか、とセニョちゃんの元へ小走り。尤も、大人が走り回れるほど広い庭ではない。小走りにというのは、まあ、何というのか、比喩的誇張であります。さて、件のセニョ殿だけれど、いやあ、良かった。添え竹をした甲斐がありました。添え竹くんは、大幅に傾いていたけれど、何とか、その、護衛というのか警護というのか、兎にも角にも、南米からいらっしゃった要人の身を守ることに成功したのであります。この狭い庭の中にも、ばったり折れてしまった草木がある訳だから、恐らく、添え竹がなかったとしたら、ハバネロ殿だとて倒れてしまったに違いない。何しろ、以前にも、途中からぱっきりと折れてしまったことがあるぐらいですから。尤も、あの時のは、虫か蜥蜴でも追い掛けて走り回っていたちび公が激突した所為なのではないかと思われますがね。孰れにせよ、無事で何より。結構、結構。

 午後からは蒸し蒸しと暑い日になった。けれども、それにしたって、とてもじゃないがもう盛夏とは言えないでしょうな。蒸し暑さの中に、仄かに秋の匂いが香りましたよ。

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2005年08月25日

icon颱風様御来訪


 颱風十一号というやつがすぐそこまで来ているという。確かに、突然、ざざーっと降ってみたり、止んでみたり、と、この界隈の空模様も何かと忙しい本日。
 前にも書いたような気がするけれど、颱風の前の静けさ、それから、颱風の最中の雷、叩き付けるような雨、大木をも折らんかなという勢いで吹きつける風、そんなものに触れると、どきどきというのかわくわくというのか、兎にも角にも、非日常に触れる昂揚した気分になる。自分が颱風で痛い目を見たことがないから、こんな暢気なことを言っていられるのだけれど、正直なところ、早くも興奮気味の老い耄れであります。白状すると、ちょいと前から、もう呑み始めている。我が事ながら呆れますな。まあ、颱風が来ようが来まいが呑む訳であるし、ちょいと時間が早まっただけのことだけれどね。先日来、硝子の酒器と猪口で、形だけでも、多少なりともお上品な風で呑むことを心掛けているのだけれど、今日みたいな日は、やはり一升瓶から、湯呑みほどもあろうかというぐい呑みにどぼどぼと注いで、ぐびぐび呑む方が相応しいような気がするから不思議である。実際、そんな呑み方をしているもので、早くも酔いが回ってきましたよ。莫迦である。未だ五時にもなっていない。颱風を肴に呑むなどという、大戯けのこんこんちきの私であります。幾ら酔っ払ったって、最後に苦しむのは自分ですからね、まあ、どうでも宜しい。私の身なぞどうでも良い。そんなことより、あれですな、セニョールは大丈夫だろうか。折角、添え竹をして上向けようとしたところなのに、支える筈の竹諸共、大風に倒されたりしてしまわないだろうか。ううむ。

 ところで、先程、空の様子を見上げようと表に出たら、暫く振りに宇宙面したちび公くんに会いましたよ。尤も、向こうは、まるでこんな老耄には何の用もない、と無視を決め込んでいたけれどね。しかし、あのちび公くんてえやつは、雨の中でも普通にのんびりと歩いておりましたよ。猫というのは、雨を嫌がらないものなのだろうか。些か不思議な光景でありました。

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2005年08月16日

iconくらくらのふらふら


 大きな地震であった。畳の上でごろりと転た寝をしていたもので、一瞬、何が何だか判らなかった。何とはなしに頭がくらくらするような、つまり、眩暈がするような感じがして、目が覚めた訳だけれど、何分、寝惚けているもので、はっきりしない。棚がぎしぎしと悲鳴を上げて、部屋のあちこちで置き物がかたかた音を立てているのに気づくに及び、漸く、これは地震か、と気づいた私である。で、慌てて、表に駈け出して、安全な場所に避難する……というようなことは、できないものである。
 普段は世のあれこれにうじうじし、くさくさと気を滅入らせるような性格でありながら、何故か地震に関してびっくりはするけれども、あまり動ずることのない私である。ははあ、地震だね、などというように。まあ、これは一種の諦観から来るものなのか。孰れにしてもですよ、大きな地震が来たら、人間てえものは無力なものでしょうな。歩くどころか立つことも侭ならず、揺れが治まってくるのを待つしかないのではないか。お若い人で、身体能力が常軌を逸して優れた人なら、多少は事情は違うかもしれないけれど、たいていの人は、無力なものではないだろうかね。少なくとも、私はそうである。全くの無力である。普段から走ることなどできたものではないし、日によっては膝が痛かったり、腰が痛かったりして、すいすいと歩くことさら能わない訳である。そんなぽんこつに、地面がぐらんぐらんと揺れている際、一体、何が出来ようか。何も出来る筈などない。尤も、身体的に無力でも、頭や心で頑張ることはできる筈だ。本日も、地震だと理解してからは、火は使っていないな、とか、逃げるときには玄関よりは庭が良かろう、とか、財布はあそこ、懐中電灯はあそこ、などと、思い浮かべたりすることはできた。まあ、そう思うことが出来ても、揺れが治まる前に、この荒屋のことだから、ばたんきゅうと潰れてしまわないとも限らないけれどね。そうなってしまったら、考えなんぞ、何の役にも立ちませんな。諦めるしかない。こんな、ある意味でのんびりした気持ちでいるのも、私が十分に齢を重ねているからでしょう。地震にやられなくとも、私の余命など高が知れている。しかも、世の多くの人々の命に比ぶれば、我が命の価値なぞ、相当に軽いものである。これは卑下したり、いじけたりして申している訳ではありません。本当のことです。

 他の人たちはどうか知らんけれども、死に対する恐怖とか不安というものは、私には今はござんせん。この先、どうなろうとも、来るものは拒まず、死ぬるときは、それ、天寿を全うする日と思えますな。こんな風に思うようになったのは、やはり、家内を失ってからであります。自らをどうかしてしまおうなどということは微塵も思ったことはないけれど、未練はない、というか。変な物謂いになってしまいますな。いやいや、私は、これでも非常に日々前向きに生きているのであるけれどね。何だか、地面が揺れて、頭が揺れて、心も揺れているのか、普段から訳の判らない私の文章が、ますます縺れてこんぐらかって、ふらりふらふら、何処へ行く。辿り着くべきところが見当たらぬ有り様。ううむ。

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2005年08月13日

icon白雨去り


 良いお湿りだというには、少々激しいものであった昨晩。どこすかと雷が鳴ったり、ね。この時期には、叩き付ける雷雨にさえ、一服の涼を感じられるものである。本日はどうかというと、晴天とは程遠いながら、何とも中途半端な空模様。暑さが緩いというだけでもありがたいと思うべきなのかもしれないけれど、雲のもわもわと同様にもわもわして気分も晴れない……と、こんなことを書いていたら、突然、昨夜にも負けぬような、猛烈な雷雨が始まった。ははあ、御天道様は、私の如き者の愚痴までお聞き及びでありましたか。御天道様の前では壁も障子も何の役にも立ちやしない、ということなのだろう。嗚呼、しかし、気持ちが良いですな。思い切り雨が降り、思い切り雷が鳴る。尤も、これが永遠に続くのでは困るのだけれど、どうせすぐに終わるだろうとわかっているから、こんな暢気なことを言っていられる。
 喜んでいるのは、私だけではない。草木も大きに喜んでいるようではありませんか。水に濡れ、正に瑞々しく輝く緑。近頃は、この緑色が地球というか、宇宙というかの、生命の象徴じゃないかいな、と思うことがある。宮脇先生の御本の影響だろうか。情けないことに未だ読み終わっていないのだけれど、素晴らしい本である。こんな枯れ枝じじいでさえ、心を打たれるのだから、感受性の豊かなお若い人々なら、感動も一入であるに違いなく、その感動を胸に、緑の森作りに励む人が増えると良いのだけれどね。NHKも深夜の再放送だなんて、けちけちしないで、夏休みの時期なんだから、お子さんでも見られるような昼間の時間帯に再放送すれば良いのである。何も野球ばかりが夏休みじゃあるまいに。

 白雨去り 瑞々しきは緑かな

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2005年07月27日

icon颱風一家


 あっさりと、颱風七号が通り過ぎた。前評判が凄かっただけに、少々拍子抜けするような気がする程である。それなりの雨、それなりの風があったけれど、正に「それなり」という程度で、大事とは程遠い。セニョール・ハバネロが猛烈な雨と風で、倒されたり、折られたり、吹き飛ばされたりしはしまいかと大きに心配したのだけれど、今朝方、水遣りがてら、ぼんやりと眺めた限り、無事のようであり、一安心したぽんこつじじいである。
 ところが、昼になって、小庭に出て、今度は仔細に眺めてみたのだが、何たることか、花の半分程がぽっきりと茎の部分から千切れて地面に落ちてしまっている。暫し呆然としたけれど、物は考えようである。何と少ない被害で済んだことか、と喜ぶべきでありましょうな。何しろ、大型颱風が通過したのであるからして。昨晩の段階では、根元からすっぽり折れて、どこかに飛んでいってしまうのではないか、と心配していたのですからね。それを思えば、あなた、花が半分落ちたって、呵々大笑して太っ腹に受け止めるべきではないか、と、そう思い込むことにしますよ。くよくよしても仕方がない、と。はあ。

 颱風一過。空が限りなく青く広く、素晴らしい天気である。少し見上げていたら、くらくらしてくる程であります。そう言えば、マリは、「颱風一過」を「颱風一家」と勘違いしていましたな。そんなことを思い出す。可愛らしい勘違いじゃありませんか。亡くなった女房の思い出で惚気るなんざ、実に莫迦なじじいである。彼女は書き言葉は余り得意ではなかったからね。そもそも「颱風一過」なんて、頻繁に出てくる言葉じゃないしね。知らなくたって困りゃしない。それに、考えてみれば、外国人ならずとも、「颱風一家」と勘違いしている人がいないとは限らないのではないかしら。お若い人にはそういう人だっていそうじゃないかね。まあ、どうでも良いことだけれど。

 夕暮れも近い。そろそろセニョちゃんの無事を祝って一杯いこうと思うけれど、マリの「颱風一家」の話を思い出したのも何かの縁、暫く振りにワインにしますかね。赤にしようか白にしようか。

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2005年07月26日

icon颱風七号


 颱風がどんどんどんどん近づいてくる。テレビで天気予報を眺めていると、真っ直ぐ東京に向かってくるように思える。地震に続いて颱風だなんて、何とも慌ただしいことである。尤も、颱風てえものは、夏から秋に掛けての、言ってみれば、季節ものだからね。来なきゃ来ないで、何だか物足りないような気がするやもしれぬ。しかし、こんなことを言っていられるのも、大きな被害に遭ったことがないからですな。颱風というものは、家を壊したり、橋を壊したり、農作物を目茶苦茶にしたり、人の命を奪ったりする恐ろしいものなのである。この老い耄れは、颱風で本当に酷い目には遭ったことがないもので、少々甘く考えている節がある。自分で言うのも何だけれどね。
 雨が降ると、水遣りの心配が要らないてえのが有り難いと言えば有り難いのだけれど、こう風が強いと、今度はセニョール・ハバネロが倒れてしまいやしないかと気掛かりで、雨の中、度々小庭に出てみる始末。今のところ、大丈夫のようだけれど、今晩辺りどうなってしまうのだろうと思うと、今から心配で心配で仕方がない。
 まあ、でも、ですよ。ぐずぐずと思い煩っていても埒が明かないのである。自然界の生き物が自然の猛威と対峙するのであるからして、人間のようなものがあれこれと考えてみたところで、どうにもなるものではない。天に任せるしかないではないか。そんな気になってきて、天に任せたとなれば、此方人等は、身を浄めるぐらいしかできることはない。早速、澤乃井をきゅうっと、ね。こうやって、酒で身を清めるってのは良いね。浄め序でに塩を舐めて、と。ふふ、美味いね、どうも。
 セニョちゃんの身は案じられはするものの、颱風てえのは、何となく、わくわくさせるようなところがありませんか。正直な心を吐露すれば、小さい頃から、颱風がやってくると何となく興奮してしまうのであります。溢れそうな川を覘きに行って、こっ酷く叱られたりしたことを思い出す。颱風で痛い目を見たことがないから、こんな暢気なことを思ったり、言ったりしていられるのであって、酔っ払った老い耄れの戯言とはいえ、不謹慎に過ぎますな。今日のところはもう筆を擱くが良さそうである。

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