2005年10月07日

icon風呂給湯器異変


 風呂に入る時間というのは、世間では大体決まっておるようですな。私の場合はどうかというと、何しろ、終日用事などないのであります。そうすると、まあ、いつ入ってもいい。入ると言っても、夏場なんざ、シャワーをちゃちゃっと浴びるだけってことの方が多いですがね。昨日まではシャワーで済ませていた。そう言えば、暫く前にお教え戴いた通りに、微温湯に長く浸かるということを励行していた時期もあったけれど、夏場になってからは、膝の痛みも引っ込み気味だったもので、微温湯風呂も止めてしまっていた。ところが、昨日、暫く振りにやって来ましたよ、膝の痛みというのか重みというのか、兎にも角にも、ずんとした嫌な感じがね。それで、もう秋になった訳であるし、風呂に入ろうと思い、湯を沸かすスイッチを入れたところ、妙な音楽見たようなものが何度か繰り返し流れだした。仰天していたところ、音が消え、電気の数字を表示するところが90と1を繰り返し点滅するばかり。どのボタンを押してもうんともすんとも言わず、電源を切ることすらできなくなった。風呂ぐらい入れなかろうとかまわないけれど、相手はガスですからね。爆発などしたり、中毒したりなどしたら大変だということで、慌てて、風呂の給湯器のメイカーに電話して、事情を説明した。小一時間ほどでノーリツの修理会社の方が二名もみえた。当日、すぐに来てくれるというのは有り難い。早速、二人掛かりであれこれ検査したり何だり彼んだり。結局は、機械が壊れている、という。そして、部品がないので、今日のところはお手上げである、という。部品が手配でき次第、明日にでも伺いますので、と帰られてしまった。ううむ。まあ、風呂に一日入らなかろうとどうということはない。

投稿者 nasuhiko : 19:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月14日

icon自然の回帰


 小庭に出る。乾燥している訳ではないので水撒きは不要であるけれど、順にあれこれと眺める訳である。一番端っこまで来たところで、昨日の、家守くんの亡骸に到達する。ちょいと胸元にわさわさと黒っぽくなっている。きっと蟻が集っているのだろう。そうやって、自然世界は循環していくものなのであろう、などと思う。そして、どれどれ、もう少し間近に観察しようと、腰を下ろしたところで、仰天した。蟻ではないのである。何たることか、群がっているのは団子虫の一団。彼此十匹以上はいる。家守公の喉から胸に掛けて、ざわざわと団子虫が大小取り混ぜて犇めいている。ううむ。些か不気味である。これが蟻だったら、不気味でないのか、と問われれば、どうでしょうな、やはり、蟻であっても不気味であろうか。よく判らない。
 しかし、何故、この老い耄れは、この有り様にびっくりしたのか、と、考えると、理由は全く判然としない。予想を裏切る事態だったからだろうか。ううむ。今まで、団子虫てえものは、何というのか、地面の中の微生物か何かを食しているのだろうか、というような、大雑把な理解しかしていなかったし、そもそも興味を持っていなかったので、彼らの生活の何くれに関しては無知なのであります。セニョール・ハバネロの根元辺りにたくさん集まっていた姿を見かけた時には、もしかしたら、この団子虫連中が葉っぱを齧っているのではあるまいか、と、一瞬、疑ってみたりもしたけれど、まあ、団子虫てえものは、高いところをうろうろするよりは、寧ろ、地面の中でも石の裏とかね、そんな処を栖にしている生き物であるから、葉っぱを齧るなんてことはあるまい、と、思って無視しておりました。結果的には、それは間違いではなかったのかもしれませんな。団子虫が肉食だったとは思いもよらなかった。では、彼らは普段は何を食しているのだろう。石ころの裏なんぞに屯しているところから考えるに、蛞蝓や蚯蚓なんぞを獲物にしているのだろうか。

 朽ちて土に戻るのでもなく、蟻に齧られ分解されるのでもなかったけれど、孰れにせよ、家守くんは自然界の循環の一員として生を全うしたのであるからして、嘆き悲しむよりも、寧ろ、祝われるべきような事柄であるのやもしれぬ。そう思い込みたいじじいである。本日も、『フォーレのレクイエム』を大きな大きな音で聴きますよ。

投稿者 nasuhiko : 17:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年07月07日

icon微温湯


 腰が痛い、膝が重い、と泣き言ばかりを書いていたら、御助言のメールを頂戴した。私の如き訳の判らぬポンコツじじいの戯言を読んで戴いた上に、御助言まで戴けるとは、何とも有り難い話である。感謝に堪えない。実に勿体ない。
 どういうことかというと、簡単に言うと風呂に入れ、ということである。これでは身も蓋もないですな。説明します。腰のちょいと上ぐらいまでお湯を張る。温度は体温より少しだけ高く、うっすらと暖かいと感じる程度。熱いのは厳禁であるとの由。そういう状態で腰まで浸かって、おでこからじんわりと汗が出てくるまで、大人しくしていなさい、ということである。見当としては二十分程。御覧の通り、実に細やかに御説明戴いたので、私のような盆暗でも労せず理解できた次第。兎にも角にも、血流が良くなるので、膝の重みはそれで解決するのではないかと思う、ということでありました。
 早速、有り難く、実行させて戴いたところ、成程、心持ち、膝の具合が良くなったように思われる。上がった後で、少々ばてたような気味があるけれど、遠くから扇風機の風に当たったら、すぐにすっと疲れが引いたようである。そのまま、畳の上にごろ寝して、三、四十分ほど、ぼんやりうつらうつらしたら、すっかり良い気分である。いやあ、これは手軽だし、気持ち良いし、良い方法を教わりました。明日からも、ちょいちょい試させて戴くことにしますか。

 風呂上がり 畳にごろ寝 扇風機

 これじゃ、風趣の欠片もない、小学生の日記みたような句だね。

投稿者 nasuhiko : 19:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月29日

icon一転して


 昨日は暑くて暑くて、暑くて暑くて、どうなってしまうのだろうかと思ったのだが、今日になってみれば、なあに、何てことはない。ごく常識的な梅雨の終わりの風じゃありませんか。昨日が昨日だけに、何となく涼しいような、爽やかなような気さえするから、人間というのは可笑しい。それにしても、天気というやつは気紛れですなあ。
 朝までの雨があるから、水遣りは不要である。不要であるけれど、ハバネロ殿の御機嫌伺いに小庭に出る。連日の熱さが効いているのか、どうも元気な様子に見える。結構なことである。一時期はどうなってしまうのかと思ったし、今だって、未だ未だ虫喰いがたくさんあるので、そうそう楽観はできまいけれど、どんどん元気になってきたような気がしますな。これで、真夏になれば、南米と同じとは言わないまでも、それなりに日光が激しく照りつける日々が続くのであるから、セニョールくんも輝きを取り戻すのではないかと期待したい。期待しています。
 そんなことを思いながら、なおもうろうろしていたのだが、痒い。足が痒い。肘が痒い。首の後ろが痒い。何たることか、急に涼しくなったもので、虫除けのスプレーを付けるのを忘れていたのである。慌てて部屋に戻ってみてみれば、そこら中、蚊に喰われ捲っている次第。嗚呼、痒い。間抜けな私でありますなあ。虫刺されの軟膏を取り出して塗るけれども、まあ、後の祭りである。被害を少なく収めることはできようけれど、軟膏を塗ったとて痒みが立ち所に消滅する、などという訳にはいかないのである。雨模様が続いて、蚊たちも食事がなくて困っていたのであろう。そんなところに、普段なら嫌な匂いのスプレーを塗りたくって蚊取り線香を持って登場するじじいが、手ぶらで妙な匂いもさせずにのこのこと現れたものだから、しめた、とばかりに、昨日までの分まで取り戻そうとむしゃぶりついたのかもしれない。蚊というものも大変だね。私が表に出なかったら、今日も食べるものもなく、ひもじい思いをしていたのだろうか。そんなことを考えていたら、少しぐらい蚊に喰われたってかまわないような気がしてくる。まあ、実際のところ、蚊に喰われたってかまわんのだけれど、問題は痒みである。蚊が痒みを起こさぬように吸ってくれるなら、毎日いくらでも吸わせてあげるのだけれどねえ。

投稿者 nasuhiko : 18:14 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月11日

iconパン焼き器


 はっきりしない天気がもう一ヶ月かそこら続くのだろうなあ、と思うと、それだけで、うんざりげんなり、嗚呼、厭な心持ちだ。しかし、この梅雨の水の恵み無かりせば、この国に生きとし生ける物は枯渇してしまうのだろう。緑の草木も、虫たちも、勿論、私たち動物も、ね。寧ろ、雨には感謝せねばならぬぐらいだ、と思い込もうとする。けれど、難しい。
 昨日、どたばたと箒で家中を引っかき回しているうちに、放ったらかしになっていた、パン焼き器を発見した。マリが亡くなってから、何とはなしに、次第にパン食生活とは疎遠になって、近頃では蕎麦や豆腐を主食のようにしている。そのせいで、どうということのない草臥れたこの器具が妙に懐かしく思える。少しく磨き上げてやったけれど、少しも新しく見えませんな。まあ、事実、古いものなのだからしょうがない。きちんと動くだろうか、と、コンセントにさしてスウィッチを入れてみたら、むううん、というような音をして赤くなりだした。まあ、こんなものは、電熱線に電気を流しているだけのようなものだろうから、そうそう壊れるものではない。こうなると、急にパンを食べたくなるのだから、私てえ人間は単純にできてますな。

 ぼんやりと生暖かくじめじめした空気の中、のこのこと近所まで買い物に出ましたよ。豆腐やら納豆やら蒲鉾やらといった、毎度馴染みのもの。獅子唐に大蒜、玉葱なんぞ。そして、そして、食パンとバターとジャムと。ふふふ。今晩はパンを喰うのであります。懐かしいですなあ。はは、いつの間にか、機嫌が良くなっている。何とも、単純な老い耄れであります。

投稿者 nasuhiko : 20:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年06月10日

icon暗い空


 雲行きが宜しくないせいか、こう、気が鬱々として塞ぎ気味である。塞ぎ気味である、などと自己分析していると、ますます塞ぎの虫が活発化して悪循環。滅入るばかり。愚痴を零していても限りがないので、何か気が晴れることをしようと思うものの、思い付くものがない。厭だねえ。
 何か気を紛らすようなものはないだろうか、と家の中をうろうろしてみるけれど、何もみつからない。そもそも、うろうろすると言ったって、この狭い家じゃ、高が知れている。本棚を覗いたり何だりかんだりするうちに、自棄糞気味に、掃除でも始めよう、という気になった。埃の積もった脳みその、埃の積もったじじいには、埃が積もった部屋が丁度良い、なんぞと嘯いて、普段は滅多に掃除などしないのだが、人間の心というものは妙なものである。長柄の箒を持ち出して、乱雑にあちらを掃き、こちらを掃き、と、やることが雑なものだから、埃が立つばかりできれいになっていくという気がしない。けれども、行き掛かり上、一通り、掃いてしまわないと気が済まないような気分になっているもので、この馬鹿げた状況、馬鹿げた振る舞いにむかむかしてきているのに、懲りずに、掃き続ける。小一時間ほどもどたばたした結果、掃除は終わったことにした。きれいになったかどうかという点については考えるのは止しておく。きれいになったところもあり、却って混乱が増したところもあり。
 一段落して気持ちよく酒が呑めるかと思っていたのに、乱暴にやっつけたせいで、心の中に波風が立ってしまい、少しも気分が優れない。一体、私は何をやっているのでしょうな。馬鹿馬鹿しくて、馬鹿馬鹿しくて、呆れてしまう。みんな、あの濁った空模様がいけないのである。八つ当たりも甚だしい。気持ちよく呑むどころか、寧ろ、自棄酒のような有り様。自分でも全く訳が判らない。

投稿者 nasuhiko : 22:06 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月09日

icon梅の香り


 気がついてみると、いつの間にか、梅の実が随分大きくなっている。少しだけ艶やかで、瑞々しい緑が眼に眩しく、見ているだけで鼻の奥に甘酸っぱい香りが届いてくるようである。折角だからと、近寄ってみる。おかしい。顔を寄せてみる。おかしい。鼻を寄せてみる。おかしい。鼻の穴に入らんかな、という程に梅の実に近づく。鼻の穴に入れないまでも、鼻の頭に擦れる状態にしてみても、それでも匂いがしないのである。仄かに鼻腔を擽るような芳香を期待していただけに、正に鼻白む思い。何なんだ、この梅てえやつは。人の気持ちを玩びおって。全く以て失礼な奴である。まあ、これは、誰が考えたって、八つ当たりに過ぎないのであるけれど、八つ当たりしたくもなるほど、この老い耄れは期待していたのであります。
 ううむ。梅というのは、これ程に香らないものだったのだろうか。だとすると、私の記憶の中のあの香りは一体何なのだろうか。釈然としない。梅のジュースや梅のジャムや梅のゼリーなどを食する機会が、偶に、というか、人生の中で幾度かはあったけれど、それらはみんな、梅らしい匂いを放っていたと思うのだが、私の記憶違いだろうか。勿論、老い耄れの記憶なんざ年中狂いっぱなしではあるけれど。そうそう、そう言えば、酎ハイの類にも梅の看板を背負っているものもあり、そういうものも、やはり些か甘く梅らしい匂い付けがなされている。そうだ。梅のガムや梅の飴というものもありますな。ああいうものも全て、特有の、如何にも梅らしい香りと甘味があるように思うのであるけれど、あれらは全て、企業が消費者をだまくらかすべく作り上げた、幻想の梅の香りなのだろうか。そういうものに日本中の、否さ、世界中の大衆が騙されているのだろうか。ううむ。謎である。
 それとも、私の鼻から梅の匂いだけが奪い取られてしまった、なんぞという、SF的なことがあるのでありましょうか。何とも不思議である。目の前に梅がある。触れることさえできるのに、匂いが感じられない。どうなっておるのだろう。そんなことはどうでもいいじゃありませんか。そうなのである。そんなことはどうでもいいのであるけれど、しかし、何とも、気持ちがすっきりしない。この不愉快な梅の木をば切り倒してやろうか。そんな乱暴な気持ちに、一瞬だけとはいえ、なったのでありました。嗚呼、梅の香りよ、何処に。

投稿者 nasuhiko : 17:30 | コメント (0) | トラックバック

2005年05月03日

icon少しだけ派手やかな白い蝶


 のんびりとした午後の陽射しが緩やかになったころ、水遣りをしようと小庭に出た。すると、ちび猫がちりりんちりりんとどこからともなく姿を現した。「御機嫌は如何かね」と問い掛けると、にゃあとも言わずに、地べたにごろり。毛皮に包まった彼女(推定)には些か暑過ぎるのか、少々ばて気味の御様子。まあ、それにしたって、雨が降るよりは余程良かろう。さて、例によって、鈴廣の蒲鉾を分け合おうかと部屋に戻ろうかとしたところ、庭の隅の方をふらりと白い蝶が飛んでいる。何となく気になって見ていると、枯れる一歩手前といった感じの蒲公英に止まり、一休み。気に入らないのか、ふわりと舞い上がるとすぐ隣の名前の判らぬ白い花に止まる。翅をうっすらと開いたところ、先端が橙色である。普段見かけている紋白蝶とは全く違う、未だ嘗て見たことのない代物である。急いで、それでいながら、件の蝶を脅かさぬように静かに、部屋に戻り、デジカメを取ってきましたよ。ゆったりと待っていてくれるだろうか、と心配しながら近づくと、未だそこにいる。何とか内側の橙が見えるように写真が撮れれば良いのだけれど、と、すうっと、私の心持ちとしてはすうっとですね、カメラを寄せていったところ、ぽわっと舞い上がってしまった。行き先を目で追ったけれども、夕焼けと重なったところで、見失ってしまった。ううむ、何とも残念である。しょうがないから、先の白い花をアップで撮ってみたりするものの、撮り損なった蝶のことが頭から離れない。白い翅の先端だけ控えめに橙色に塗られ、奥床しくも派手やかな、和の美を体現したような姿。いやいや、こんな仰々しい形容は余計なお世話ですがね。
 部屋に戻って、『新世紀ビジュアル大辞典』で調べてみると、ツマキチョウというものであるように見受けられる。けれども、載っているのが写真ではなく絵であり、翅の外側が映っていないので、今一つ、得心がゆかぬので、猶も、インターネットで検索すると、ああ、ありましたよ。『冬鳥夏虫「長池公園ぶらぶら日記」』というところに、はっきりとした写真が載っております。そうそうこんな模様でしたよ。表側も墨絵のような品の良い色合いである。撮り損なって甚だしく気落ちしていたけれど、私の如き老い耄れが撮らずとも、こういうきちんとした写真が見られる訳で、全く以て有り難い世の中である。それにしても、あの蝶を見るのは七十余年の人生で初めてのように思うのだけれど、『新世紀ビジュアル大辞典』の「ツマキチョウ」の項には、日本全土に見られる、というような記述がある。だとすると、今まで見かけなかったのは、私の目が節穴だったからなのでありましょう。些か釈然としない、不思議な気持ちがするけれど。

投稿者 nasuhiko : 19:07 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月22日

iconぱっとしない


 天気優れず。鶯の声も、今日は全く聞かれない。なあに、鶯ばかりが鳥じゃあるまいし、と、秘密兵器を持って、表に出る。風が強く冷たいのに些か驚く。長閑な春の温もりに慣れてしまったせいか、身に滲みる寒さである。天気予報では晴れだと伝えていたのだが、雨雲も集まり始めている。時々、晴れ間も覘きますがね。突然、ぱらぱらと降ってきたと思ったら、すぐに止んだり。何だか纏まりのない空模様である。のろくさ歩いていたら、宇宙人面した猫が広場の隅でごそごそやっておる。やあ、だの、君、だのと声をかけても、まるで耳に入らぬ様子。
 少しく散策するけれど、こんな時には鳥たちも気がすうっとしないのだろう。聞こえてくるのは、高きを舞う鴉のかあかあいう声ばかり。録音すべきものが見当たらない。いやいや、聞き当たらない。雲間から漏れ出ずる光では少々暗く、写真を撮る気にもなれない。考えてみれば、こんなじじいが赤い録音機や青いカメラを手にして、下駄履きで近所をうろうろする図なんざ、妙でしょうな。まあ、極々御近所の皆さんは慣れておるだろうけれども、見知らぬ人が見たらびっくりするかもしれない。モダンなじいさんだね、と。いやいや、そんな訳はない。ああ、おつむの緩んでしまった可哀想なおじいさんなんだね、と。自嘲の風味で書いてみたけれど、これが世の目に映る我が姿の真実なのかもしれむ。そう思うと、情けないような、やけくそで自慢したいような。
 肌寒さ故に膝が痛み出し、早々に引き上げる。昼飯代わりに買い置きの心太を食して、ごろり。師匠にお借りしている『アリーナ』をかけて昼寝でござる。昼寝に最適、などというと、失礼かもしれないが、いやいや、この静けき美しさは、聴いて良し、寝て良し、聞き流して良し、という具合。巫山戯ているのではなく、真実、そう思うのですぞ。
 午後になって起き出してみたら、何だい、気温が上がってきているね。晴れ間も多くなったようである。けれども、こんな時間になってしまっては、鶯の鳴き声を収めようと言っても無理な相談。ぼろ庭で耳を傾けても、やはり。遠くで鴉の声がするばかり。明日があるさ、と言いたいところだけれど、明日も未だ鶯が現れるや否や。いやいや、鶯ばかりが鳥じゃない、と申し上げた筈。兎にも角にも、明朝、晴れることを祈念しつつ、杯を傾ける。それにしても、何ともぱっとしない一日であることよ。

花冷えの 雲の切れ間に 鴉のかあ

投稿者 nasuhiko : 18:44 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月14日

icon快晴・快哉・再会・幸い


 雲一つない、というほどではないけれど、日光が眩しいほどの晴天である。ぼんやりと雨続きで薄墨色の空に慣らされた目には痛いほどの輝き。春はこうでなくてはいけない。今まで、自分がそれほど天候に左右される人間だと思ったことはなかったが、先日来の鬱した気分とどんよりとした空模様とは関係があるのではないか、という気になってきた。現に、ほれ、本日のように晴れ渡れば、気分はすっきり。というか、ほぼすっきり。まあまあすっきり。ううむ、じっくり考えてしまうと、それほどすっきりしていないような気がしてきてしまう。いやいや、けれども、昨日までよりは、かなり改善されているのは確かである。
 午前中から辺りをうろうろした。あちらこちらで色鮮やかな花が開き、爽らかな萌葱色も目映い。春は気にけり。今更ながらそう思う。そうそうそうそう、そうなのである。ちび猫を発見しました。全く以て、猫なんざ、気紛れなものである。心配するに値せぬ。あれこれと慌てふためいていた己が身が如何にも莫迦みたいではないか。まあ、実際、莫迦なのでありますがね。
 件の、宇宙人面をしたスパイ猫は、白豚の如き、あるいは、白熊の如き、恰幅の良い猫と広場で追い掛けっこをしておりました。宇宙猫が白豚を追い掛け、次は、白豚が宇宙猫を追い掛け、暫く休憩。また、宇宙猫が白豚を追い掛け、続いて、白豚が……と、そんなことを繰り返していて飽きる様子がない。ベンチに座って、一頻り、その姿を眺めたが、馬鹿馬鹿しい猫たちであるなあ、と思うものの、その一方で、何とも言えず、幸せな気分にもなる。不思議なことだ。こちらを振り向いたときに、スパイ猫が一声、にゃんとないたけれど、それは、暫く振りだな、あるいは、じじい、生きていやがったか、という意味だったのか。兎にも角にも、私の顔を覚えているように思われた。それが、嬉しいことなのか。そんなことが嬉しいのだろうか。正直に申せば、かなり嬉しい。全く莫迦なじじいだよ。

投稿者 nasuhiko : 19:37 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月12日

icon老人は早起き……

 矢鱈に早く目が覚めた。暫し床の中でぐずぐずごろごろ転がったりしてみるものの、そのごろごろする様を自ら想像すると、余りにも情けないので、起き出すことにする。四時なんぞに目が覚めるのは老人である証拠だ。尤も、此方人等、正に老人であるわけで、考えてみれば当然のことである。寝床から這い出してはみたものの寒いし、暗い。表の様子を窺ってみたけれど、うっすらと雨が降ったり止んだりという具合。仕方がないので、ぼーっとする。暫し、ぼーっとするけれど、時計は一向に進まないようである。猶もぼーっとする。それでも遅々として時は停滞しているばかり。辺りが明るくなる気配など、微塵もない。もう暫く、と、更にぼーっとするけれど、事態に進展なし。ぼーっとすること自体が無駄なことだけれど、今日の「ぼーっと」は、いつの「ぼーっと」にも況して不毛に思われる。ぼーっとしていても、全く埒が明かないので、寒い中、傘を手に表に出る。早朝の散歩と言えば、聞こえは良いが、実のところ、やけくその散歩である。
 兎にも角にも、えっちらおっちら歩く。若先生に、お酒を止めないのでしょうから、せめて散歩を、と強く勧められている。それも、のろくさのろくさ歩け、と。せっかちにすたすた歩くと、弱った膝や腰を益々痛めたりすることもある、とのこと。情けない話である。散歩で躰を痛める危険性があるなんて。
 暫く歩いていると、驚くほど寒くはあるものの、まあ、これはこれで悪くはないかもしれない、と思えてきた。無目的にぶらぶらふらふら歩く。のこのことことこ歩き続ける。そして、ごみ置き場の前まで来て吃驚。何だ、これは。何なのだ、これは。空き缶の山ですぞ。週に一度限りしかない瓶と缶の収集日は、普段だって、山のように積み上げられているのだけれど、今朝のこの様子は尋常ではない。何なのだ、これは。四畳半ほどの範囲に渡って、空き缶が積み上げられている。所狭く、無理矢理にぎゅうぎゅう押し並べられているのがありありと見て取れる。ちょちょいと突いたらがらがらがっしゃんと崩れるに違いない。ほほう、殆どがビールなのであるな。なるほど、合点。これは花見の残滓なのでありましょう。人々が酔狂に騒いだ挙句の残骸がここに積まれているのである。瓶の方を眺めてみると、ほれほれ、こちらには清酒の一升瓶やワインの瓶が主立ったところ。そうなのだ。これらの酒は、この一週間に花見に伴って費消されたものなのである。中身は全て胃の中に収まり、容れ物はここに積み上げられる。この圧倒的な缶の大山、瓶の小山こそ、散り落つる濡れた花弁よりも何よりも、浮かれた日本の春の騒動の終わりを告げているのであります。そして、人々は有り触れた日常に戻り、木々は青葉を繁らせるのであります。さようなら、また、来年の春の日まで、と。

投稿者 nasuhiko : 19:01 | コメント (0) | トラックバック

2005年03月07日

icon福寿庵にて


 午前も終わる頃合いに田村師匠御来訪。昼が未だだということなので、一緒に福寿庵に出向く。師匠は笊、私は天抜き。冷酒をもらう。殆ど正午に近いとはいえ、午前中から結構なことである。未成年ではないのだし、午後から仕事があるわけではない。余所様に迷惑をかけるわけじゃなし、自分のお金で注文するのだし、事実、品書きにも冷酒と記されてあるわけなのだから、誰に遠慮する必要もない。誰に遠慮する必要もない筈なのに、日が高いうちから呑み始めるのは、何とは無しに気が引けるもの。それが午前中ともなると尚更である。しかし、しかし、である。午前中から、蕎麦屋でやっつける酒はうまいのであります。皆さんも、是非、お試しあれ。何故だか、殊更に美味いのでありますよ。
 昼の忙しい時間を避けてくれた方がありがたい、と言われたこともあるけれど、店側としては、酒飲みは売り上げとしては悪い客ではないそうな。端的に言えば、儲かるんだよ、と。これは福寿庵の先代、つまり、坂本くんの意見である。ただ、昼時のサラリーマンにしてみれば、隣の席に酔客なんぞがいると気に入らない、ということもあるようで、できれば、昼時は避けてくれよ、時間はいくらでもあるだろ、と。そうは言っても、こちらにも腹の都合、咽喉の都合てえものがあるんだから、偶には、昼近くに寄せてもらうことになるのは致し方ない。
 それにしても、早い時間から呑み始めるのに気が引けるのは何故だろう。長年の生活で染み付いた社会通念の故であるとしたら、何ともみみっちいものを身に付けてしまったことであるなあ。いやいや、理由は、やはり、御天道様に申し訳ないから、ということにしておこう。社会通念だの、良識だのって、あなた、そんなものが理由じゃ、幾ら何でもあまりに情けないではないか。
 御天道様に申し訳のない午前中の酒であっても、今日のように、来客があれば、立派な口実ができるので、躊躇がない。どうでもいいことだけれど、呑み助の心にだって多少なりとも葛藤が備わっておるのですよ、葛藤してもしなくても、結局、呑むってことには変わりがないにせよ。
 師匠とああだこうだと語り合って、半時間もしたところ、坂本くんが奥から出てきた。いつぞやは、昼時は避けてくれよ、と言っていた御当人が、私の隣に腰掛けて、呑み始めるのだから、とぼけている。まあ、気楽にやろうよ、などと、師匠に向かってお代わりを勧めている。師匠は自分勝手な酔いどれの老い耄れが二人になって目を白黒させてはいるものの、存外、楽しんでいるようでもある。まあ、こんな日もありまさあね。

投稿者 nasuhiko : 22:41 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月19日

icon超高級味噌


 珍しく、木澤くんに誘われて『白木』へ。他に客もいないので、他愛ない話をしながら、静かに呑む。なぜか、この店ではいつもサントリーのウィスキーを飲むことになる。実際、この、角地に立つ、かなり古びて、少々狭苦しい店構えには、それが似合うのだ。中でもダルマがしっくりくる。傲り好きで、かつ、高い物好きの古市がいるときには、山崎をオン・ザ・ロックで、ということになるのだけれど、この店ではダルマのボトルを入れて、水割りでちまちまゆっくりやるのが一番だ。時代から取り残されたようなこの店で、時代から取り残されたようなじじいどもが、時代から取り残されたと言うと怒られてしまう元美人ママを相手に、ダルマの水割りをのんびり呑む。近頃は若い友人たちと呑む機会が多いけれど、同窓の面々でグラスをぶつけ合うのは、また、別の味わいがある。年寄り同士でしか分かち合いようがない空間、時間というものが確かに存在するのである。
 場がぼんやりと和み始めた頃、「実はさ、今日は、味噌をおすそ分けしようかと思ってね」と木澤くん。「お味噌のおすそ分け?」と素っ頓狂な声を出すようではママも少々酔いの入り口ほどまで来ているのかもしれない。
 先日、木澤くんのところに信州からの味噌屋というのがやってきたそうである、日本一を受賞した味噌を近所に納品したついでに、御挨拶ばかりに、と。上さんが応対したそうだが、何でも、すらっとした色男で語り口も滑らか、気の利いた若旦那みたような風貌の青年が、熱心に熱心に説明してくれたそうな。熱意に絆され、とうとう買ってあげたそうだが、何分、量が多い。十六キロの樽状のものを買ってしまったそうで、置き場には苦労するし、運ぶのにも難儀する、という具合だそうで、とてもじゃないが、老夫婦二人じゃ永遠を何度か繰り返したところで喰い切れまい、と、あちらこちらにお裾分けと相成っている次第のようである。具体的な値段は聞かなかったけれど、兎にも角にも、目ん玉が飛び出るような超高級味噌である由。ありがたく頂戴した。早速、その場で、白木のママが胡瓜に添えて出してくれたが、如何せん、アルコールで麻痺した舌。超高級味噌の美味さがわかるわけもないが、泥酔していても値段の有り難みは判るわけで、三人で、流石は超高級品だ、なぞと笑い合いながら、胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。胡瓜を食す。ダルマを呑む。ああ、限りがない。

投稿者 nasuhiko : 15:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月14日

icon交換音楽03


 暫く振りに田村師匠、御来訪。ピアノの練習を始めたことを知らせると、喫驚して仰け反られていらっしゃる。今後はあれこれブログやコンピューターのことだけでなく、ピアノのことも相談させてもらいますよ、とお願いする。
「それかはかまいませんし、私でできることならどんなことでもお手伝いしますけれど、近頃、ピアノはあんまり弾いてないからなあ」「そうはおっしゃいますが、ど素人に教える程度は何てことはないじゃありませんか」そんなやり取り。腕前の程はわからないけれど、ライヴハウスで演奏会を開くほどなのだから、音楽の素養が全くないはずはない。師匠作の伴奏の中にはピアノだってあったじゃありませんか。ところが、先日のギグのコンピューターの伴奏の中にもピアノは存在していたけれど、あれは全部サンプラーというものでやっているのであって、本物のピアノではないのだそうである。何だかよくわからない。

 借りっ放しのになっていた『ザ・ドロッパー』をお返しする。結局、その後も、ぴんと来ないままだった、というより、それほど繰り返して聴いたというほどでもないので、ぴんと来るはずはなかったのである。時期が悪かったのかもしれない。また、別の機会があればその時に。
 一方、田村師匠はヘレン・ウォードにぞっこんのようである。『グッディ・グッディ』を御自分で購入されたとか。うちにもLPがあるので、かけながら、まずは一献。「くりかえし聴いてますからね、すっかり覚えちゃいましたよ。声もいいし、曲もいい。ふと気づくと口ずさんでいたりします」と杯を傾けながら「本当じゃ良すぎる」を鼻歌交じりに唄う始末。いつになく陽気である。
 まだ私がぼんやりと勤めていた頃、たまに飲み歩いたりした取引先のボブというアメリカ人が、一度だけヘレン・ウォードの実物を見たことがある、と言っていたのを思い出す。声も笑顔もベリー・ベリー・キュートだった、と興奮気味に教えてくれたのであった。美女というよりは町で一番可愛い女の娘という感じだった、と。ジャズ・シンガーというよりは今で言うアイドル歌手のような存在だったのかもしれませんな。確かに、巧い、というより、愛くるしい、というのが相応しい。
 日が暮れてもなお二人で『グッディ・グッディ』を繰り返し聴きながら、呑み続け、どろんどろんのでろんでろんに酔った。大幅に限度を超えて呑んでしまったけれど、それでも、気持ちの良い酔いである。良いではないか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……って、また、今日も佐良直美を口遊む、呑んだくれの老いぼれ昆布であります。


メデスキ、マーチン&ウッド『ザ・ドロッパー
The Complete Helen Ward on Columbia
ヘレン・ウォード『グディ・グディ

投稿者 nasuhiko : 19:49 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月06日

iconヒントミント


 またもや円嬢がふらりと訪れた。早い時間から早速一杯、と準備をしようとしたところ、暫くしたらアルバイトに行かねばならぬ、ということで辞退されてしまった。それ故、珍しく緑茶を挟んで相対す。
 私は肉体的にはアルコール中毒ではないつもりだが、精神的にはアル中なのかもしれない。飲酒をせずに他人様と対峙するのが頗る苦手なのである。矢鱈とあたふたして、しなくても良い失敗を重ね、動揺して、ますますあたふたする、そんな悪循環に陥るのが常。殊に、斯様なうら若き女性と対面していると、ただそれだけで鼓動が速くなり、息苦しくなる。もし仮に、この息苦しさが嵩じて、ここで心臓発作が起きてしまったら、彼女は第一発見者となってしまうわけで、そんなことになったら、警察の取り調べを受けねばならず、間違いなく、アルバイトに遅刻してしまうに違いない。そんな迷惑をかけるわけにはゆかぬではないか。しっかりしろ、耄碌心臓よ。

「これ、どうぞ」と彼女が差し出してくれたのは、銀色に輝く、金属製の薄っぺらい箱。ウィスキーの携帯用の金属製のポケット瓶みたようなものがありますな。あれと似て、少しく曲がっていて、西部を馬に乗って旅する孤高のガンマンがお尻のポケットに差し込むのに都合の良さそうな形状である。表には「Hint Mint」とある。彼女がするっと上蓋を滑らせると、中には、白い錠剤のようなものが並んでいる。彼女の勧めに従い、眼前の一粒を口に放り込むと、ほほう、すうっとする。すうっとする。看板通りのミントのお菓子である。幾久しくこんなものを食べたことがなかったので、比較と言っても怪しいものだが、今まで私が食したことがあるものと比べて、すうすうする度合いが強いようである。
「茄子彦さん、こないだのライヴんとき、ゴホゴホゴホゴホ咳してたでしょ。これ、いいのよ」
 ありがたい話である。私の如き、不機嫌そうにぶすっとしているばかりで女性にお愛想の一つも言えぬ無粋な者、そのくせ、酔っぱらうと調子に乗るような戯け者に対して、このようにお気遣い頂くとは、真に以て忝ない。にもかかわらず、素面では「どうも」とぼそぼそと呟くのが精一杯。ああ、情けない。ああ、酒が恋しい。

老咽にヒントミントの沁み亙り
 痰火を流し 涙も流る

 対面してはきちんと御礼を申せませんでしたが、たっぷり聞こし召しておる今、この場を借りて、改めて御礼を申し上げさせていただきます。重ね重ねの御配慮、実に感謝に堪えません。この御恩、一生忘れはしませんぞ。もっとも、私の一生なんざ、大して残ってはいませんけれど……。

投稿者 nasuhiko : 10:45 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月02日

icon首輪


 男が首輪などとんでもない。そんな考え方は古かろうか。古いとお思いの方もたくさんおられるかもしらん。いや、近頃のお若い人々は、金髪、茶髪、オレンジ、緑、と様々に髪を染めいたり、耳のみならず、鼻や眉ににピアスをしている人さえいる。もしかすると、男子の首輪というものもそれほど珍しくはなくなってきているのかもしれない。私らの若い時分には、結婚指輪でも少々面映ゆいというような気さえしたものなのだが。
 私と言えば、学生時分からジャズを齧ってみたりはしたし、後にはフランス人の女房をもらい、つい最近ではギグなるものに赴いた経験さえ持つものであるけれども、御想像に難くなく、どちらかと言えば、古臭い男である。七十過ぎて古臭くない方が不自然ではなかろうか。兎にも角にも、男のくせに、首輪なんぞするものは、ちゃらちゃらちゃらちゃらと薄っぺらい鈴の音でもしそうだ。決して、好ましからざるものである。西洋人だって、年寄りは首輪なんぞしたりはしておらんだろう。

 本日は、田村師匠と円嬢が遊びにみえた。ギグ以来のことである。陽も傾き始めたところだったので、早速、一献。
「茄子彦さん、マックやってると肩こるって言ってたでしょ」そう円嬢が切り出した。確かに、そんな話をした覚えがある。実際問題、コンピューターの前で一時間も過ごすと目はしょぼしょぼするし、肩は大いに凝ってくるし、慌てて起ち上がろうとしたりすると膝の関節がぎしぎし痛むこと甚だしい。道すがら、話題に窮して、そんなどうでもよい愚痴を零したのであった。「でね、このネックレス、プレゼントしまあす」と差し出されたのはグレーのゴム紐みたような代物である。彼女の説明によると、肩凝りに効く魔法の首輪なのだそうである。騙されたと思ってしてみてくれ、と。正直に申して、男のくせに首輪なんぞ……と思って、生きてきた老爺の私、そう簡単に宗旨を変える訳にはいかんのである、と思ったのであります。思ったのであるけれど、しかし、このようなうら若い女性からの贈り物を無碍に断るべきものではないのも筋。手っ取り早く言えば、五分もせぬうちに、首にしておりました。ふん、笑わば笑え。全く口ほどにもないじじいだよ。
 少々長過ぎるとのことで、円嬢の手でぐるぐると編まれて、程好い長さに調整された首輪は、何だか、狭い狭い我が庭に出入りする、宇宙人面した猫くんの首輪と似ていなくもない。まあ、だが、しかし、良いではないか。これで肩凝りが幾分でも減じるのであれば……そうは言っても、外出時や来客時には外してしまうのでしょうか……しまうのでしょうね。やはり、男児たるもの首輪なんぞ……ううむ、実に難しい問題である。

投稿者 nasuhiko : 18:27 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月26日

icon皮膚科へ


 ここのところの連日の深酒が祟ったせいか、額に湿疹様のものができ、矢鱈に痒くなる。あまりの痒みに耐えかね、近所の皮膚科に向かう。二十年振りのことなので、まだやっているかどうか不安だったが、他に付き合いのあるところがあるでなし、取り敢えず、麻田醫院を覗いてみようか、と。とぼとぼとぼとぼと緩やかな坂を上っていく。ああ、あるではないか。この町のあちらこちらで、様々なお店やお医者が看板を下ろしてしまった。それはこの辺りに限ったことではないだろうし、時とともに町だって移ろいゆくものなのである。けれども、七十年あまりもここで暮らしている老いぼれが寂しい気持ちになるのはしかたがない。
 老残の身を曝して生きる奴吾如きが言うのもおかしな話だが、待合室にいるのは老人ばかりである。しかも、私よりも年輩の婆さん連中ばかり。皮膚科なので、大病に苦しんでいる体の者はおらず、井戸端会議に花を咲かせている。私が入っていくと、一瞥の後、無視無視無視無視無関心。要するに、相手にするほどの者ではないという判断なのだろう。ふん、此方人等だって、手前どもみたいなばばあの相手なんざしておれん。
 待つこと暫し、大変優しい看護婦さんに誘われ、診察室に入ると、ははあ、やはり代替わりしている。考えてみれば、先代は、二十余年前に、既に、爺さんの風貌であったのだ。亡くなっていてもおかしくはない。帝大出で英語、独逸語の原書を海外から取り寄せて読んでいる、という噂のあった、勉強家だったが、息子の方は、こう言っちゃ何だが、似ても似つかず、私学の医学部に寄付金付きで何とか入れてもらったと評判になったことさえある。まあ、近所の口さがない噂話なんざ当てにならないものだし、そもそもそんなことはすっかり忘却の彼方に置いてきてしまったはずだったのだが、御当人の只管のんびりした顔を見た途端、突然、こんなどうでも良い記憶が蘇った。老耄の脳の構造は如何なる具合になっているのやら。
「おでこですか。ははあ、確かに赤くなっていますな」「近頃、飲み過ぎてまして、ええと」人の話をみなまで聞かず「うんうん、そうかもしれませんね。他にお医者さんにはかかっていますか」と尋ねてくるので、若先生のところに月に二度ほど出向いて、日に錠剤三十錠、薬包二つを服用していることを伝える。
「ほうほう、そうですか。それじゃあ、薬負けかもしれませんねえ。はい、もう結構ですよ。お薬出しておきますね」と、あっという間に診断は終わり、診察室を追い出される。それにしても、薬負けかな、と言いながら、更に薬を服用させようとするとは何事ぞ。一体、西洋医学とはどうなっておるのだろうか。釈然としない話である。少なからず、心配になってきたので、西洋医学とは絶縁して漢方の先生でもみつけようか、という気にさえなる。

でこ痒し 枯れ木も山の賑わいか
  待合室に 枯れ尾花

 駄洒落混じりのふざけた三十一文字を連日読まされる身にもなれよ、と申されますか。ははあ、以後、慎みます。

投稿者 nasuhiko : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月23日

iconボクボク3


 木澤くんから電話があり、昨年末の名簿の出所が判明した、とのこと。
「そんなことがわかったからって、今さらどうにもなるものかね、ってところだよね。引っかかる人は引っかかり、引っかからない人は引っかからなかったってことにはかわりない」そんな冷めたようなことを言っている。
「誰か引っかかった人がいるのかねえ」「どうだろうね。仮に引っかかったとしても、小額だったら、なかなか言い出さないんじゃないかなあ。みんな、いい歳してもなかなか面子家が多いからねえ」尤もな意見である。私が引っかかっていたとしても、多少の額だったら、あちらこちらに吹聴することなく泣き寝入りしてしまうかもしれない。逆に、古市のような奴なら、大騒ぎして、それをねたに、あちらこちらの呑み屋で燥ぐのだろうな。いやいや、しっかりものの古市がオレオレ詐欺なんぞに引っかかるものか。
 木澤くんが教えてくれたところによると、戸原んとこの孫が名簿を持ち出したそうである。あの、近所でも有名なばかたれである。学校に行くでもなく、定職に就くでもなく、昼日中からぷらぷらしているばかりの、かばたれだが、詐欺の片棒を担ぐほどの度量はない。要するに、こういうことのようなのだ。遊ぶ金欲しさに、筋の悪い金融とちょっとつきあってしまった。どうせ元金なんざ大した額ではなく、気楽に借りてしまったのだろうけれど、町金特有の訳のわからない計算で借財は雪達磨式に増えていき、どうにもならなくなってしまった、と。そこで、先方が、借金をちゃらにしてやるから、親戚一同の所番地から職業まで、何でもかんでも情報を持ってこい、と唆したそうである。我々の同窓会名簿も渡して、おまけに、知っている限りの情報を伝えたそうな。全く馬鹿げた話である。ある日、突然、親戚一同にオレオレ詐欺の電話がかかり、その直後に、我々、同窓の面々に同じような電話が相次いだもので、ぴんと来て、戸原が問い詰めたら、ばか孫は、あっさり白状したそうである。そんな根性だから、ちょっと恐い輩に脅されれば、ほいほい名簿を渡してしまったのだろう。

 被害額は全国で二百億を超えている、などと報道されている。同窓会の名簿は、ばか孫の借金をちゃらにするだけの価値があったのだろうか。その成果のほどは、当の町金に尋ねてみるしかないわけだけれど、勿論、尋ねたところで、知らぬ存ぜぬで何も教えてくれる筈はない。

投稿者 nasuhiko : 14:18 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月18日

icon男の料理10


 拙者、またしても呑み過ぎた、老耄の愚人である。のそのそと午後遅く起き出して、昨日の残りの「納豆と豆腐のチゲ」を食す。一日置いても美味いですなあ。宿酔の胃にも優しい。なんと素晴らしい食べ物でありましょうか。一人で悦に入っている。今晩もまた作ろうかと考えていると、お邪魔します、と玄関から師匠の声がした。
「材料を揃えてきましたよ」そう言う師匠の横には、ややっ、うら若き女性がいらっしゃる。「こちらは円さん、美学生さんですよ。もしかしたら、『日和見』ですれちがったことぐらいあるかもしれませんね」そう言われると、何となく見覚えがあるような気がしなくもないが、何しろ、こちらの脳は老朽化著しく、記憶なんざあやふやのぐしゃぐしゃのごちゃまぜ、溶け始めた霜柱の如き有り様である。判然としない。
「茄子彦さんの話をしたら、どうしても一緒に来るって言ってついてきちゃったんですけれど、かまいませんよね」「さようですか。ろくに掃除もしておらんむさくるしいところですが、おあがりなさい」
 昨晩、電話で黴びて捨てざるを得なくなったコチュジャンの話をしたそうである。だがしかし、如何んせん、泥酔が激しく、コチュジャン云々以前に、師匠に電話をしたということ自体、全く記憶にない。面目なく、申し訳ない話である。お二人で近代美術館に「河野鷹思展」なるものを見に行ったついでに、上野を歩いて、韓国の唐辛子と黒砂糖を買ってきてくれたのである。私の嘆きが余程哀れだったのか、とひやりとしないこともない。孰れにせよ、私の如き老いぼれを気にかけていただき、実にありがたいことである。感謝無限大。
 聞けば、円嬢はお若いのに、いける口だという。早速、澤乃井をふるまう。なるほど、大した呑みっぷりである。こういうものは遺伝で決まることなのだろうけれど、それにしても立派なものである、というより、末恐ろしい、というべきか。
 美術や音楽に関して、あれこれと語り合う。この歳になって、そんな仲間を得られるなんざ、僥倖と申す外にない。今宵も、良い酔いと供に暮れてゆく。

日脚伸び 友の来りて よひの長き

投稿者 nasuhiko : 19:39 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月17日

icon男の料理09

 我ながら大満足していた、以前の作にコチュジャンがある。最近も、酒のつまみや何やかやと活躍していたのだが、何たることか、黴が生えてしまった。ううむ。参考にしておる書籍には夏場以外は常温保存でかまわん、というようなことが書かれていたのだけれど、それでも傷んでしまったのである。我が貧乏屋敷の室温は、どうも真夏並みに高かったということなのだろう。少々がっかりしたものの、さして難しいものではない、再度挑戦すれば良い。次回は韓国の甘口の唐辛子を使えば、以前よりも良いものが作れることだろう、と前向きに考える。今年は何だかあれもこれも前向きに考えられるなあ。もっとも、躁が高みに昇れば昇るほど鬱の沈みも激しくなるわけで、楽観してばかりもおられんのだが。
 黴のおかげというのも変な話だが、御無沙汰になりかけている韓国料理を再開しようという気になった。例によって、『韓国料理の本』をぱらぱらと捲る。家にあるものだけで事足りるものはないか、と眺めているが、都合が良く、かつ、本日の食欲に副うものが、なかなかみつからない。ズッキーニとは何ぞや。写真を見て思い出す。胡瓜と瓜の合の子みたようなやつだね。こんなものがなくてもかまやせんとて、五十五頁の「納豆と豆腐のチゲ」に挑戦する。ズッキーニ以外は全て揃っておるので、買い物に出る必要もない。
 いざ、調理に取り掛かると、これが頗る簡単なのである。呑み始めていたせいもあり、匙加減の如き些事は気にせず、ざっとざっとと、目分量で進める。ほんの二十分ほどの内に完成してしまった。寧ろ、呆気ない、というか、物足りないという気さえするほどでありました。しかしながら、掛かった時間の多寡が問題なのではない。問題なのは味なのである。して、その出来栄えだが、これが美味い。いや、驚きました。美味い。大変美味い。韓国料理なのだろうけれども、日本人の味覚にぴったりの味。こいつがおふくろの味てえものよ、と言ってしまっては、流石に大仰に過ぎる、というより、単なる嘘になってしまうけれど、日本的な美味さでありますぞ。いやあ、これだけ手軽でこれだけの美味。毎日食しても飽きそうにないし、文句の付けようがない。是非、是非、お試しあれ。いや、貴君も虜になりましょうぞ。身も心も温まること、請け合い申し上げる。

投稿者 nasuhiko : 19:56 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月15日

icon交換音楽02


「いやあ、グッドマン、良かったですよ。実にいい。親分がホワイトだからですかねえ、やたらにポップに響きました、ぼくの胸には。ジャズとか、そういうくくりではなく、純粋にポップな音楽の快楽というのかな。う〜ん、言葉っていうのは難しいですね」と腰を下ろした途端に、あたふたと語り始めた師匠である。「まあまあまあ、まずは一杯」と差し出した杯をぐいと干す。いつになく気持ちの良い飲みっぷりである。
 それにしても、あれですな、自分の好きなものを他人様に、それも、好感を持っている友人に認めてもらえるというのは嬉しいものです。幾久しく忘れていたけれど、学生の自分に級友とレコードの貸し借りをした時にも同じような感慨を得ていたのでしょうな。家内に気に入ってもらえたときもほんわかとした良い気分でしたな。もっとも、先方は早いとこあっちの国へ行っちまったので、それも遠い昔のよう。
「では、今度はヘレン・ウォードを聴いてご覧なさい。若い頃には彼女の歌声に随分胸をときめかせたものです。繰り返し繰り返し聴きましてねえ。ジャズ・シンガーとしてどうなのかってことになると、どうなのか。まあ、そんなことは評論家に任せましょうや。とにかく聴いてみて下さい。
 それから、この間お借りした『ザ・ドロッパー』なんですが、もう少し借りていてかまいませんか。一回目に聴いたときには何だかわからなくて、放り出しておいたんですけれど、昨日、泥酔しながら大音量で聴いていたら、急に、ぴかっと閃いたような気がするのです。もっとも、酔いが激しかったので、細かいことなんざ思い出せないんだけれど、何だかね、ああ、すごいなあ、なんて思ったもので、もうちょっと腰を据えて聴いてみたい」
「どうぞ、どうぞ。一聴してピンと来なくても聴き込んでいるうちにどっかーんとくるものもありますからね」
 その後、グッドマンとコチュジャンを肴に随分と盛り上がりましたとも。仕舞いには、「シング・シング・シング」に合わせて、箸で皿を叩き出す始末。ああ、この歳になって、新しい友と音楽談義に花を咲かせることができるとは思いもよらなかった。

太箸で皿叩き 唄えや唄え

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 ヘレン・ウォードの『グディ・グディ』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

投稿者 nasuhiko : 18:40 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月14日

iconお腹こわしました。


 お腹を壊す、という表現は、字面を見る限り、中々に物騒な物言いであるのだが、不思議と耳当たりは柔らかい。柄が悪く、厳つい外観の、例えば、髪を金色に染め、鼻から耳から舌や臍まで、もしかしたら、他人様には言えないようなところにまでピアスをぶら下げているような人々でも、「お腹こわしちゃって……」と口にすると、ちょっと情けないような、でも、その辛さわかりますぞよ、というような親近感を持てるような、微妙な間合いで、一瞬、友情が湧いてしまうような気さえする。また、こんな馬鹿なこと書いてますが、そんな恐いバンドマンの如き風采の知り合いが実際にいるわけではないので、飽くまでも、想像でしかござんせん。
 兎にも角にも、「お腹をこわす」というのは、病気というには力不足、でも、それなりに辛くて、かつ、誰もが経験しているものなので、ある種の、「同病相哀れむ」的な共感を生むのだろう。危険度が極めて低いからこそ、成り立つ図である。

 今朝方、ぼんやりと寝呆け眼でテレビを見ていたら、ちょっとした下痢だと馬鹿にしてはいけません。高齢者の場合死に至ることもありますからすぐに検査を受けた方が宜しい、というような、脅迫めいたことを白衣を着たおっさんが言うておる。伝染性のあるノロウィルスに冒され、亡くなった老人もちらほらいるのですぞ、というようなことを力説している。また何だかわからん病原菌が出てきたな、と。そんな番組を見ていたせいか、腹がごろごろ言い出して、慌てて、厠に駆け込む。ううむ、まさに下痢である、尾籠な話で申し訳ないけれど。きゅっと腸の辺りが軽く締め付けられるような痛みもある。もしかしたら、件のノロウィルスにやられてしまったか、と思ったら、普段は惜しくも何ともない命だけれど、こんなことで死ぬのかいなと力が抜けて、どぎまぎしてきた。若先生のところに駆け込むべきだろうか。そうかもしれない。だが、そうしたら、きっと入院ということになり、二度と表を歩くことなく店仕舞いになってしまうのではないか。そんなことなら、その前に、もう少し呑んでおかねば、と半ばやけくそになりながら、いつもより良いピッチで澤乃井を呷る。呷る。厠に何度か飛び込んだけれど、昼前にはすっかり泥酔して、気がついたら、下痢も腹痛もすっかり治まっていた。大方、寝相が悪くて腹を冷やしただけだったのだろう。はは、暢気だね。暢気はいいけれども、粗忽者てぇやつは少しく悲しいものですな。情けないやら、恥ずかしいやら、馬鹿馬鹿しいやら。兎にも角にも、もう寝ます。

投稿者 nasuhiko : 13:59 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月13日

icon小さな来訪者04


 一つのことが気になると、うじうじぐずぐずとそのことばかり考え続けてしまうのは、何だろう、粘着質とでもいうのか。元からそういう傾向が他人様より強かったように思う。嫌なことに関しては殊更で、堂々巡りを繰り返し、心の中はぐしゃぐしゃがっちゃんびっちょんちょんになってしまう。そんなことがあると、酒に逃れ、おかげでますます事態は悪化し、あれこれとしくじったものである。老いとともに、様々な能力が低下するばかりなのに、想像力、いやさ、妄想力だけはどんどんどんどん成長し続けている。あることないこと、ないことないこと、何でもかんでも妄想し続け、妄想は拡がり、妄想は妄想を呼び、妄想による妄想のための妄想の永久機関となる。あな恐ろしや。
 引鉄になるのは、どんなことでも良いのである。先日の空飛ぶ謎の物体だったり、恵子くんの幽霊だったり、と。ボクボク詐欺の電話だって、もしかすると、全て私の妄想の産出したものなのではないか、と、いやいや、あのあと、木澤くんからオレオレ詐欺の件で電話があったから、あれは違うのだが。ううむ、昼間から呑み過ぎたもので、頭の中が神楽囃子でぴーひゃらひゃらひゃら。何が何だかわからない。わからないけれども、今日もまた澤乃井は美味い。
 この酒てえものがまた曲者で、このおかげで人生のあちらこちらに汚点を残し、酷い目に合っている。にもかかわらず、また、今日も呑んでしまっているこの老耄の奴彼。まあ、残り少ない人生を独りで生きて独りで死んでいくだけさ。かまうこたあない。
 おうおう、来たな、間者の猫くんよ、猫の間者くんよ。見慣れてくると愛い奴よのお。貴公のために、鈴廣の蒲鉾を多めに買ってありますぞよ。さあ、食べたまえ。それにしても、君てえものの顔は、あれだね、中々に可愛いね。可愛いんだけれども、ちょっとこの世離れしておるね。この世を離れて、西空の彼方からやってきた宇宙人のようでありますなあ。ああ、ああ、そうであったのか。貴君のことを隣近所の誰かに放たれたスパイか何かと思い込んでおりましたが、実は、宇宙人だったのございますか。先日の銀色に輝く物体だって、あなた様が運転していたのではございませんか。おいおい、何だい、猫殿、蒲鉾にばかり気を取られてないで、人の話も少しは聞き給えよ。返事の一つもしてくれりゃあ、なお結構なんだけれども、まあ、宇宙人の考えることはあっしらには分かりようもねえこってがすな。はは、もう一杯呑んじまえ。あははは、何だか楽しいねえ。

 こんな愚か者の上にも、日は沈み日は昇る。ありがたい話ではございませんか。

投稿者 nasuhiko : 16:52 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月09日

icon交換音楽01


 昼過ぎに田村師匠御来訪。早速、呑む。
「毎日毎日、天気が良くて結構なことですね」「そうですな。まあ、同じような晴れが続くと風景が変わらないような、つまり、時間が止まっているような気分になるのが難点ではありますがね」「でも、そんな日々の繰り返しの中で、ほんの少しの違いでもみつけるとうれしいじゃないですか」そんなとことんどうでもいい世間話を肴に杯を重ねる。隠居的生活の醍醐味ではある。もっとも、先様は隠居どころか、二十代半ば、これから大いに活躍しようという世代に属している。
「先日、約束したCDや本の貸し借りのことですが、ちょっと探せてもらっていいですか」と仰ると、レコードやCDがどかすか放り込んである棚のところでがさごそ始めた師匠である。私も嘗ては、相当に音楽に入れ込んでいた時期があるものの、所詮、我が家にあるものなんぞ、古ぼけたものが大半である。若い人たちの気に染むものなどあるのかしらん。そんなことを思いながら、暫く待つ。彼が手にしているのはグッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』である。ははあ、なるほど、こういうものをお好みか。
「今日はこれを借りてまいります。こういうのは、気になっていても、なかなか買う機会がありませんからね」「良いものを選ばれましたな。それはもう名演の中の名演ですよ。グッドマンも元気いっぱい、共演者連中もいい調子ですぞ。思い浮かべるだけで鼻歌の一つも出ようてぇ勢いです」
「私の方はこれを置いていきます。メデスキ、マーチン&ウッドっていうトリオの『ザ・ドロッパー』というアルバム。これもジャズなんですけどね。どうでしょう。まあ、あれこれ能書きをうんぬんしてもしょうがないですから、とにかく聴いてみてください。茄子彦さんが気に入るかどうかはわかりませんけれど、今時はこんなジャズもあるのかな、と」「聴かせてもらいますとも、聴かせてもらいますとも」
 未知の音楽に対する期待が、田村師匠の嗜好性に対する興味が、酔いによる過剰な血行が、少なからず、我が肋骨を押し広げ、胸を膨らませる。若き頃の、友との文通のような、そんな気分に近いだろうか。

冬晴れに響きけり ジャズの交換

グッドマンの『ライヴ・アット・カーネギーホール1938』 メデスキ、マーチン&ウッドの『ザ・ドロッパー

投稿者 nasuhiko : 18:47 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月08日

icon小さな来訪者03


 年を越してから、はじめて、例の猫がやってきた。「おめでとうございます」と声を掛けてみたが、間の抜けた面でこちらを見上げるばかりで、にゃあとも寸とも言わない。ことによると、寧ろ、先方こそ、間の抜けた面で見下ろすばかりの耄碌じじいだなあ、と思っているのかもしれない。兎にも角にも、正月である。いや、世間では正月気分は終わっているのかもしれないけれど、私にとっとてはまだまだ正月なのである。何しろ、陽の高いうちから酒を呑む毎日。「おい、猫くんよ、乾杯とはいかないだろうから、これでもつまみたまえ」と蒲鉾を千切って放り投げる。鈴廣の蒲鉾だぞよ。猫の味覚は正直だろうから、その美味さがよくわかるのだろう。がつがつがつがつ、あっという間に食べ終えてしまった。喰い終わってしまうと、先程と同じような、呆けた顔つきでこちらを見上げる。物乞いする風情ではなく、ただただぼうっと見上げている。その表情が、何とも憎からず、また一切れ、放り投げる。がつがつ。また一切れ。がつがつ。そんなことを繰り返しているうちに、蒲鉾はすっかり彼奴の腹の中に収まってしまった。まあ、良かろう。先方は、摂取した栄養分を成長に利用する。同じ呆けもの同士とはいえ、こちとら老い先短い老耄の身、滋養はぽんこつ脳みそとぽんこつ肉体を少しく維持する役にしか立たぬ。それに加えて、私には澤乃井がある。あはあはあは。
 蒲鉾がなくなってしまったので、今度は、ヤマサの竹輪である。これがまた何とも美味く、最適の肴である。「ほれほれ、猫くんよ、もう少しやってみるかい」と放り投げる。やはり、がつがつと一気に飲み込むように食す。もう一切れ、もう一切れ、と同じことの繰り返し。これで、私らは竹馬の友ならぬ竹輪の友だね、などと、苔生した駄洒落が出るようでは、そろそろお開きにするが良かろう。

喰い積みの蒲鉾分け合う 竹輪の友

投稿者 nasuhiko : 17:10 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月07日

icon恵子くん来訪11


 まだ門松を立てたままの家も少なくはないけれど、世間では正月気分はもう終わってしまったようだ。私のように、身辺に特別な変化のない人間にはわかりにくいけれども、テレビが特別番組、特別番組と騒ぎ立てなくなってきたので、そろそろ正月も終りに近づいている、というのが世間の標準的な認識なのだろう。ま、そんなことには関係なく、兎にも角にも、今日も朝から酒を呑む耄碌じじいである。

 恵子くんが亡くなったのは、十一月の初め、古市によれば、ほぼ間違いなく五日乃至は六日のことであるとの由。その一方で、彼女が我が家を訪うたのは十二月三日である。これは間違いない。一緒に写真でも撮っておけば良かったのだけれど、ない。見送った後に、夕焼けの中の公孫樹や杉の写真を何枚か撮ってはあるけれど。
 つまり、彼女は死んでから一月ほどもしてから来訪したことになる。辻褄の合わない話だ。このことに気づいてから暫くは随分と気に病んだものだったけれど、今になってみると、そんなことはどうでもいいことではないか、という気になってきた。何がどうあれ、彼女は既にこの世にはいないのだし、生前にしろ死後にしろ、彼女と杯を挟んで過ごした時間は楽しかったのだし。仮に、あれが、幽霊だの何だのであったとしても、何も不都合はない。世間の常識と多少の齟齬があるというだけのことではないか。
 この際、もう一度、遊びにきてくれはしまいか、などと、些か不謹慎なことを思う。折角だから、高部も連れてきてくれると嬉しい。高部と話したいこと……いや、話したかったことと言うべきか……はいろいろあるのだ。いやいや、それよりもマリに会いたい。マリよ、君はどうしているかね。

彼の岸の妻を想いて 冬日和

投稿者 nasuhiko : 09:04 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月06日

icon恵子くん来訪10


 皆さんは神秘的なこと、不可思議なことの存在を信じますか。超能力云々、UFO云々、ついに雪男を発見云々、などなどと、再三再四、特別番組が制作されていることを考えると、少なからぬ数の世人の関心事であることは間違いないのだろう。霊能という類の職能を売り物にする人が、未来や人様の運命を予言したり、行方不明の事件に挑戦したりもしている。私自身、チャンネルをかちゃかちゃやっていて、そんなものに出くわすと、何を言っておりますか、と思いながらも、ついつい引き込まれてしまったことがないわけではない。
 天変地異と呼ぶのが相応しいような大きな地震や台風が世界のあちこちで発生する事態を目の当たりにする昨今、自然の猛威に恐れ入るという素直な心境とともに、その名称は兎も角も、目に見えぬ力に縋りたくなるのも人情であろう。今こそ、終末思想を謳う怪しげな宗教家が活躍しやすい時代はないのではなかろうか。いやいや、話が逸れてしまいました。
 私の立場はどうかというと、どんなことでも否定はすまい、というものであります。アメリカ大統領が宇宙人と肩を組んで宇宙船の開発に勤しんでいる、などと言われると、そんな馬鹿げたことがあるものかねえ、と訝しみはするものの、否定するつもりはござんせん。ただ、矢鱈に人心を惑わしたり、人の心の弱みにつけ込んで商売をするような態度には断固として反対する。考えてみれば、我ながら、なかなかに常識的な判断ではなかろうか、と思う。
 しかし、恵子くんの一件以来、些かもやもやした神秘性に付き纏われている私でもある。些かという段階ではない。判然としない神秘に包まって、酒の酔いの溺れ、ふわふわと地に足の付かぬ、曖昧な日々を過ごしている。勿論、そればかりではないのだけれど、独りでいると、ついつい、ねえ。

紅葉つ午後 雲の果たてに消ゆる友

投稿者 nasuhiko : 09:18 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月29日

icon恵子くん来訪09

 二人掛けのテーブルが形ばかり二つ、残りはカウンターだけの小さなスナック『白木』で古市と待ち合わせ。ママは小学校時分の同級である。
「茄子彦くんは、しばらくぶりよねえ」「そうですね、まあ、そうは言っても十年はたたないと思うけれどね」「最後に来たときは奥さんと一緒だったものね。きれいな外人の奥さんもらったのにも驚いたけど、あんなに早くに亡くなるなんてねえ」「まあ、生き死にってなものは人の力を超えたところで決まるんだろうから、しょうがないんだけれど、残念なことです。白木さんは、ご主人はお元気なのかい」「やたらに元気よ。元気すぎて困るぐらい。あら、変な意味じゃないわよ」あははははは、と高笑い。こういうところは、昔からちっとも変わらないな。小さいながらも繁盛して何十年も続いているのは彼女の、こんな朗らかさにあるのかもしれない。そんなことを思っているところに、古市が入ってきた。不動産屋の集まりがあったとのことで、一杯どころか、かなり引っかけてきているようである。白木さんを相手に軽口を連発している。水割りをぐびぐびと飲み、カラオケを始めた。「黒い花びら」だ。この男、酔うと必ずこれを唄う。しかも、唄い込んでいるだけあって、これがなかなかの腕前なのが、小憎らしい。曲の合間に「茄子彦、おまえも唄えよ」とマイクを使って怒鳴る。この狭い店に、三人しかいないのだから、大声を出さなくてもわかるってのに。呆れる以外に何ができよう。
 酒の勢いは留処ないようで、休むことなく歌が続く。七十過ぎても、なお、この体力。驚く、というより、恐ろしい。周りのことは気にせずに、小一時間ほどひたすら唄ったところで一段落したのだろう、マイクを漸く手放した。
「茄子彦、高部の妹の話だけどな、死んだ日はあれで間違いないようだ。あっちこっちに確認してみた。ポストに残っていた新聞や郵便物、電話の記録、検死、全部同じようなものだよ」酒に溺れて忘れてしまっているのかと思ったら、ぼそぼそと話し始める古市だった。「そうか。手間を取らせてすまなかったなあ」「気にするなよ。こんなことは、おれにしてみりゃ、どうってことないんだから。不動産屋なんてやってるとさ、妙なことにであう確率が高くてね。五十年もやってりゃ、変死事件にだっていくつも出くわしたよ。知らなくて済むなら知らないで済ませた方がいいってことだって、世の中にはあるんだよ」物知り顔でそう言うと、白木さんを誘って、「銀座の恋の物語」を唄い始めた。七十年も生きていれば、人は色々な年輪を重ねているものなのだな、と今更ながら、感じ入る。ありがとう、古市くんよ。

投稿者 nasuhiko : 07:13 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月28日

icon恵子くん来訪08

 恵子くんが亡くなった日と私が最後に会った日の辻褄が合わないのが、まだ気にかかる。本人は既にこちらの世界にはいないのだし、自宅で静かに独りで亡くなったということであれば、日を特定することが難しかろうことは想像に難くないし、そもそも、特定することに何か意味があるのかと問うてみれば、そこには大きな意味があると言い張る何ものもない。だが、しかし、それでも気にかかるのだから、困ったものだ。家に籠ってやきもきしていていても埒が明かない。古市に電話することにした。
「おう、なんだ、珍しいな」「うん、実は、恵子くんのことなんだよ。詳しい事情は君に聞けって言われたものだから」「高部の妹のことか。ちょっと酷い話だからなあ。あんまり気が乗らんよ。やっぱりね、独居老人ってのは大変だよ、うん。うちが扱っているところにもさ、結構、独居老人さんがいてね、高部の妹の一件以来、事務の若い子に週一で声をかけて回るようにさせてるよ。いや、ほんと、そうでもしないとね。そういや、おまえも独居老人だよなあ、あはは。ああ、すまん。笑い事じゃないな。うちの若いやつにおまえんちにも毎週声かけさせようか」「いやいや、それは遠慮しておくよ。しかし、そうか、君が気乗りしないというぐらいだから、さぞかし大変だったんだろうね。可哀想なことをしたね。残念だ」「ああ、残念だな。もっといろいろ知りたいのか。電話じゃまどろっこしいなあ。今晩はちょいと忙しいから、明日はどうだ。久し振りに一杯やろうや」
 ということで、結局、飲む約束をして受話器を置く。

 夕刻、若先生のところに出向き、薬をもらう。朝晩、飲む薬包がひとつずつ、毎食後に錠剤を十ずつ。随分前に、それぞれ、どんな薬なのかを教わったのだが、一々覚えているわけもない。こんなにたくさんの薬を飲み続けてどうなるものか、と時々は思うものの、今更、あれこれ自分で調べてみたりする気力もなく、与えられるままに服用するばかり。確かなことは、この薬を飲み続けても、飲まなくても、遅かれ早かれ、どうせそのうち死が訪れるってことである。それは私に限った話ではないけれど。

投稿者 nasuhiko : 07:27 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月27日

icon日和見の忘年会

 数少ない、というより、今年唯一の、忘年会に出席した。本日は、常連客のみの内々の会ということで、一般のお客さんはいない。馴染みの顔が並んでいる。もっとも、馴染みといったって、全員と親しいわけではない。当たり前だ。それとなく目礼したり、たまさか時候の挨拶を交わしたり、日本の愚劣でお粗末な政治に不満を漏らし合ったり、という程度の付き合いの人が、私にとっては殆どである。つまり、女将を介して、お互いに何とはなしの知り合いとなっている、まさに顔見知りとでもいうような。道端で昼日中に出会すと、何と挨拶するべきか戸惑うような関係とでもいうべきか。勿論、中には、田村師匠や是田大師匠のように、懇意にしていただいている人々もいるけれど、社交的とは程遠い私の如き老人には、長年通っていてもそれほど多くの知人ができるものではないし、そもそも、そういう目的で通ってきているわけではない。

 私が、ブログというものを始めたということは、『日和見』の常連客の間にはすっかり知れ渡っているようである。ここで酔っぱらっていた席上でのやり取りを発端にして、おむすびころりんころころころりんというような具合に転がり転がされ、あれよあれよという間に今日に至ってしまったのである。女将や田村師匠に乗せられてしまった、という感が無きにしもあらずだが、時によっては些か負担に感ずることがあるにせよ、気づいてみれば、それなりに打ち込んでいる私がいる。そう長くはない残りの人生において、何というのか、兎にも角にも、私というものが在る場となっていて、今では我が生活の確かな一面となっていることは間違いない。

 この店の忘年会に参加するのは何度目になるのか、記憶定かではない。今年は今までとは様子が少し違った。顔を見知っているだけという人々が、「たまに読んでますよ」「今日のことも書くんでしょうね」などなどと声をかけて下さった。嬉しさ半分、照れ臭さ半分、どぎまぎあたふたして満足にご返答申し上げられなかった御無礼の段、平に御容赦のほどを。

投稿者 nasuhiko : 10:42 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月26日

iconボクボク2


 木澤くんから電話がある。
「君んとこに、オレオレ詐欺みたいな妙な電話がなかったかな」ありゃありゃありゃ「なにゆえ、それを知っているんだい。まだ誰にも話してないんだよ」それにブログのことは同級生の連中には伏せてある。
「いや、なにね。うちにも怪しげな電話がかかってきたんだよ。もっとも、電話に出たのは息子なんだがね。夜になって、古市や白島から電話があったのさ、うちにオレオレ詐欺の電話がかかってきた、テレビで見たのとおんなじだって、さ。連中、すっかり盛り上がっていますよ。まるで、自分がニュースに登場したような気分でいるんじゃないか。まあ、とにもかくにも、そんなことがあって、どうも、同窓会の名簿を使ってかけているんじゃないかって話になってね。君のところはどうかな、と思ってね」
「かかってきましたよ。かかってきましたとも。騙されるというより、最初はわけがわからなかったけれど、何しろ、うちには孫どころか、こどももいないんだからさ、騙されようがない。百歩譲って騙されたとしても、自由になる金なんざ、ありませんよ。はっはっは」「何はともあれ、被害に遭ったやつはいないようで、何よりだ」
「ところで、高部の妹、恵子くんの件だけれどね。亡くなったのは十一月の初めだっていうのは間違いないのかい」「古市はそう言っていたけれどね。気になるなら、自分で電話してみたらどうだい。ぼくはちょっと他にも電話してみるから、じゃ、また」

 それにしても、年の瀬になると犯罪が増えるというのは本当なのだろうか。何とかして金を手に入れねば、年を越せない、という逼迫した状況に追い込まれているのか。それとも、クリスマスだ、忘年会だ、と浮かれている人々の心の隙を突こうとしてのことだろうか。私の場合、『日和見』の忘年会があるだけで、暮れだからといって特別な催しがあるわけではない。
 まだ若かった頃には、クリスマスにはシンガーズ・アンリミテッドの名盤『Christmas』をかけて、マリと二人で六本木のクローバーのミルフィーユを食したものである。数年前、ふと、クローバーを覗いてみたことがあったが、既に、メニューからは消えてしまっていた。マリと過ごした大切な想い出が磨り減ってしまったような、悲しい気持ちになったのを思い出す。
 今夜は、暫く振りに『Christmas』をかけて、キャンティの赤を開けた。私はいったい何に乾杯すればよいのだろうか。

投稿者 nasuhiko : 00:13 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月25日

iconボクボク

 静かな午後だった。それを破ったのは一本の電話である。二時頃だったろうか。「はい、惚山でございますが」と型通りの文言で迎えると、受話器の向こうから泣き声が聞こえる。引き摺るようにしゃくり上げる合間に「ボクだよ、ボクだよ」と訴えかける。そうは言っても、私に向かって「ボクだよ」などと名乗る知り合いはおらぬわけで、何が何だかちっとも訳が判らない。と、突然、別の人物が出た。「○○保険の柿元と申します。実は、お孫さんが事故を起こされまして、ただいま、現場にかけつけたところでおございます。しかたがないことですが、大変動転なさっていらっしゃってですね、この電話番号を聞き出すのがやっと、というような状態なのです」「はあ、何だかわかりませんが、それは大変でございましょう」と状況が飲み込めないまま相槌を打つ。「それでですね、双方ともに怪我は大したことないのですが、先方のベンツが大破しまして、補償問題、弁償問題ということになっているわけです。お孫さんが自分では払えないし、親御さんには知られたくない、ということで、そちら様に連絡させていただいているわけなんですよ」
 いくら私が耄碌じじいであるにせよ、漸く理解できた。何たることか、これは世に言うオレオレ詐欺なるものに違いない。何しろ、私どもには子どもがいないわけで、当然、孫などいるわけがない。騙そうとされているのかとわかったら、頭にかーっと血が上って、自分でも顔が赤らんでいるであろうことがわかるほど、老いて硬直気味の血管が切れてしまうのではないかと懸念されるほど。だが、一呼吸して冷静に考えてみれば、こんな面白い機会はなかなかあるものではないわけで、騙されている振りをしてもう暫く相手をしてやろう、という気になった。あわよくば、尻尾を捕まえて警察の捜査の手助けになるようなことでも聞き出せないか、と気分はすっかり俄探偵である。
「不幸中の幸いと申しますか、むしろ、運がよろしい。怪我は擦り傷程度ですしね、何しろ、先様が大変寛大でいらっしゃる。ベンツの修理代さえ出してくれれば、すぐに示談で済ませくださるとおっしゃっています。警察介入となりますと、取調室で事情聴取はありますし、軽傷とはいえ過失傷害などもろもろの罪に問われて、場合によっては交通刑務所に入れられてしまう危険性だってあるのですが、お孫さんがまだお若く、将来があるだろう、ということで、示談で済ませてくれる、というのです。ありがたい話ではないですか」「いやあ、それは、ありがたい話ですなあ」「そうでしょう。そうでしょう。それでですね、早速、修理代を振り込んでいただきたいのです。××銀行の大宮支店、口座番号は××××、名義は××××です。振込金額は四百五十万円です。きちんとメモしてください」と畳み掛ける口調である。「いいですか、繰り返しますよ」と銀行名や口座番号を告げる。「はあ、はあ、メモはしましましたけれど、銀行で振り込むときにわからないことなどあると困りますから、そちら様の連絡先を教えて下さい」「いやいや、出先ですから、そちらから連絡はつきません。大事なのは、メモしたところにすみやかに四百五十万円を振り込んでいただくことです。わかりますね。お孫さんが警察に連れていかれてもいいんですか」と語調が強くなる。苦しくなると高圧的に出てくるわけだな。テレビで見た通りの展開に思わず笑いが込み上げ、我慢していたら咳き込んでしまった。老人のひぃひぃといったしわぶきの音に驚いたのか。「大丈夫ですか」と問い掛けてくる。「とにかく急いで銀行に行って下さい」如何にも焦っている様子が窺える。溢れ出てくる笑いを堪えながら「あのお、すみませんが、もう一度、ボクに電話を代わってもらえんでしょうか」すると、また半泣きの若者の声で「おじいちゃん、ボクだよ、ボクだよ。お願いだから、早くお金を振り込んでよ」と訴えかける。そろそろぼけ老人の本領を発揮することにしますか。「あのお、お宅様はどちらのボクさんですか。それにしても、今日も寒うございますなあ。ボクさん、こういう日は腰がどうもね、痛みますな」そんな昏迷著しい返答をしていると、電話の向こうではごにょごにょと相談が始まったようであった。程なく、電話は一方的に切られた。
 意外にあっさりした結末に些か物足りなささえ感じた被害者予備軍の私である。

投稿者 nasuhiko : 11:36 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月24日

icon恵子くん来訪07


 昼間から酒を呑むのが常態のようになってしまっている。鬱々とした気持ちから離れられないからである。酒を呑んだからといって、辛気の病から開放されるわけではないのだが、気がつくと、手を伸ばしている耄碌じじい。もっとも、こんな時でも、澤乃井は裏切らない。陰々滅々鬱々していながらでも、美味いものは美味い。

 最後に恵子くんが訪れたときのことを振り返る。十二月の初めのことである。そう遅くない午後にやってきて、静かに杯を酌み交わしたのであった。暗くなる前に帰っていく彼女の後ろ姿に、夕陽が紅く降りそそいでいた。明確に記憶に残る光景である。故人の最後の記憶が美しいのはありがたいことである。
 しかし、よく考えてみると、矛盾があるのに気づいた。彼女は十一月の初旬に亡くなったはずではなかったか。そんな馬鹿な話があるだろうか。慌てて、日記をひっくり返すと、やはり、来訪したのは十二月の三日のことである。亡くなってから、一ヶ月してからやってきたというのか。情報通の筈の古市も意外に当てにならないものだな。いや、それより、検死の判断があやふやなのかもしれん。しかし、ポストから引き出されていない新聞の日付から死亡日を特定したと言っていたのではなかったか。わからない。アルコールに浸り切った脳みそで考えたって、何も導き出せはしないだろう。取り敢えずここは一旦疑問を打遣っておくことにしよう。

 ぼんやりと独りで飲み続ける。

 酔った勢いでカメラを持って、カシャカシャとあれこれを撮影する。どこからかクリスマスの音楽が幽かに聞こえる。

 針葉樹の多くは冬になっても緑を失わない。濃い叢雲に月が覆われ、闇に包まれた夜にもその緑は失われない。光がなければ目には見えない、という、ただ、それだけのことである。

投稿者 nasuhiko : 09:56 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月23日

icon恵子くん来訪06


 両親が何となく無宗教的だったために、私自身には信仰する宗教はない。だからといって、肩肘張るような信念を持っているわけではないので、神社や寺、あるいは、教会なぞに足を踏み入れて、然るべくお参りするのを厭うことはない。寧ろ、何かのついでに通りがかれば、あれこれと覗いてみるに吝かでない。
 家内はクリスチャンだったけれど、私と添うようになってからは、比較的融通の利く、言ってみれば、些か日本的な、緩やかな信仰者となっていた。当然、我が家には仏壇や祭壇のようなものはない。マリに話しかけたり、何となく手を合わせたい気持ちになったときには、写真立てに向かうことにしている。

 恵子くんは親類の手でしめやかに密葬されたそうである。高部家の墓に入るのだろうか。彼女が独りで死んでゆき、そのまま何日も何日もみつけられずにいたことを考えると、どうにも遣る瀬ない。死は誰もに個別に訪れるものであって、おてて繋いで死んでいくというようなことはない。仮に、全くの同時刻に同じ場所で重なるように死んだとしても、それぞれの死はそれぞれのもので、別々の死である。何がどうあろうとも、まさに、死ぬ時はひとりぼっち、なのである、本質的に。
 死後発見されるまで静かに書斎に横たわっていたことも、本当は悲しむべきことではないのかもしれない。何しろ、彼女自身は亡くなっていたわけで、そこには屈辱も無念も、如何なる感情もあるはずがないのではないか、と。
 そんなことを考える。頭ではそのように考えるのだが、感覚はそれを受け容れず、恵子くんが可哀想で仕方がない。思い浮かべるとついつい涙が零れ落ちる。七十を越したじじいの泣きっ面なんざ、見られたものではない。見られたものではないけれども、止めようがない。それに、そもそも誰に見られるわけでもないのである。零れるに任せよう。

 寒空に咲く黄色い花をみつけた。一つ一つの生命には死がつきまとうものではあるけれど、地球という生は途切れることなく、生き続けるのである。今日も、そして、恐らく、明日も。

投稿者 nasuhiko : 11:16 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月22日

icon恵子くん来訪05


 木澤くんから聞いた話を反芻している。反芻というような表現が適切なのかどうかは兎も角も。

 恵子くんが亡くなったのは、かれこれ六週間ほど前になるそうだ。十一月の初旬ということになろう。正確な日付はわからない。というのも、彼女は生涯を独身のまま過ごし、実家に独居という身の上だったからである。最近では、親類縁者との交流もあまりなく、真面目で地味な性格であったせいか知人も多くなかったようで、数年前に教壇を離れてからは、連絡を交わす相手は数えるほどでしかなかった、というより、殆どいなかっただろう、とのこと。その彼女が書斎で倒れ、そのまま死に至ったのだという。検死の結果、脳卒中が死因とされているようである。恐らく、彼女自身は何が起きたのかもわからぬ間に、苦しむことなく静かになくなったのではないか、とのこと。これが木澤くん宅を訪れた古市が齎した情報である。代々の不動産屋で良男くん宅の近所にも知り合いが多く、役所や警察などにも顔が広い。なるほど、あいつならこれぐらいの情報収集が可能なのだろう。
 苦しまなかったであろう、ということが不幸中の幸いではある。けれども、訪うものがなかったために、発見されるまでに二週間ほど経過してしまったというのが何とも痛ましい。死亡の日付はポストから溢れていた新聞から推定されたようだ。学生時分に慣れ親しんだ高部家の玄関に新聞や郵便物がばらばらとこぼれ落ちている図を想像してしまう。

 考えてみれば、私自身も独り暮らしの老人である。いずれ同じ道を辿る可能性も少なくはない。身に滲みる話である。私のような老人に限らず、東京には学生さんだの何だのと、独居する人が多いはずだ。今まで身近でそのようなことがなかっただけで、この町のどこかで、毎日、繰り返されるありふれた光景なのかもしれないなあ。しかたないこととはいえ、何とも寂しい気持ちになる。

 身も心も寒々とする、物悲しい年の瀬となってしまった。

投稿者 nasuhiko : 11:02 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月21日

icon恵子くん来訪04


 木澤くんが寛大な心の持ち主で本当に良かった。
 持参した金時あられを怖ず怖ずと差し出して、丁重に丁寧にお詫びした。
「申し訳ない。すっかり動転していたもので、わけもわからず、気がついたときには、電話を切っていたんだよ」
「まあまあ、気にしなさんな。人の生き死にの話となれば、びっくりするのも仕方がない。君は恵子さんとは今でもつきあいがあったんだからね、なおさらだろう」
「つきあいがあると言っても、賀状のやり取りぐらいのもので、実際に会うのは何年に一度かってな程度のことでね。たまたま、つい先日も彼女がぷらっと寄ってくれて、二人で高部の想い出を肴に一杯二杯傾けたところだったもので、どうもね、亡くなったなんて急に言われて混乱してしまったわけですよ。無様な姿をお見せしてつくづく申し訳ない。考えてみれば、昔から君はおれのような偏屈にも寛容だったね」
「何にしても、精進落としでも言うのか、供養だと思って、一杯やろうじゃないか」
 そんなわけで、呑み始める。恵子くんと良男くんの想い出を語り合う。奥方も最初は同席していたけれど、酔いが回って、話題が、同級の連中の噂話から小泉極悪政権や近頃の物騒な事件の数々などに及ぶに至り、いつの間にか彼女は座を外れていた。この場で泥酔してしまっては、何をしにきたのかわからなくなってしまう。程々のところで切り上げて、家路につく。家路といったって、十分ほどの距離でしかない。ぶらぶらと歩きながら、道行く人々を眺める。老人とは色が違うね、衣類や自転車、何もかも。勿論、真っ赤な服を着て真っ赤な鞄を持って真っ赤な自転車に乗っているような人がいるわけではない。けれども、どこかしら、我々老人とは色が違う。だからどうなんだ、ということではないけれど。
 おんぼろ我が家に近づいた。遠くから眺めると、やはり、家までも老人の色である。と思ったが、庭の隅にちらりと鮮やかに桃色の花が咲いている。近づいてみると、些か元気がないようではあるものの、午後の遅い光の中で彩度が際立つ美しさだ。この花を恵子くんに供えよう。

投稿者 nasuhiko : 11:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月19日

icon恵子くん来訪03


 恵子くんの訃報に打たれ、昨晩は胸苦しくなかなか眠ることができなかった。眠るためだから、と呪文のように唱えながら、澤乃井を注いでは干し注いでは干し注いでは干し。酒の力というよりも、力尽きて、いつの間にか眠りに落ちた。
 目覚めると、訃報に圧される苦しみと宿酔の苦しみとが重なり合い、悲しさと気持ち悪さとが綯い交ぜの何とも遣る瀬のない鬱屈した気分。床の中でぐずぐずしているうちに午後になってしまった。
 のそのそと起き出して、恵子くんのこと、さらに、もっと前に亡くなってしまった良男くんのことを思い出す。どんどん負の方向に針が振れ、終いにはマリの死を悼み、涙が零れる。マリよ、マリよ。

 省みると、昨日の木澤くんへの非礼に目の前が暗くなる思い。胸の奥が痛い。私というじじいはこんなに齢を重ねても、未だに幼児並に堪え性のない困った人間だということをつくづく思い知る。動転して、電話を、それこそ、叩き切るようにしたわけであるけれど、冷静になればニハトリでもわかるように、木澤くんには全く罪はない。罪がないどころか、私の如き我儘で満足に人付き合いもできぬような老耄の人間に思い遣りの手を差し伸べてくれたのであるからして、感謝されこそすれ怒られるべきことなど何もない。申し訳ない。恥ずかしい人間だ、私は。こうして、七十年以上も生きてきたのかと考えると、それは正に生き恥の歴史ではないのか。そして、その恥ずかしさや胸苦しさ、悲しみや悼みの何もかもを少しでもいいから、念頭から引き離したいがために、酒に溺れる。何と愚かな、何と愚かな人間なのか。だが、しかし、そう思いながらも、酒を呑まずにはいられない。呑まずにはいられないのである。

悼惜の杯受けよ 枯木立

投稿者 nasuhiko : 09:15 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月18日

icon恵子くん来訪02

 この歳になれば当たり前のことではあるけれど、突然の連絡の中に、訃報や病状報告が増えてくる。過半がそのような陰気な話題だと言っていいだろう。
 人間はどんなことにでも慣れる動物である、と言ったのはドストエフスキーだったろうか。慣れる動物、確かにそれはそうなのであろうけれども、特定の事物に慣れるということとその事物から受ける衝撃や感動がなくなるということは別の問題だ。そもそも、受け取り方が変化するのは当然だ、何しろ、私たちは刻一刻と新しい私へと変化し続ける存在なのであるからして。御託は兎も角として、何度聞いても慣れられないし、慣れたくもない事柄が存在するのは事実である。それは嬉しいことであったり悲しいことであったり様々だけれど、私はこんなじじいになっても、まだ訃報には慣れられないし、慣れたくもない。

 午後になって、木澤くんから電話があった。彼とは中学の時の同級である。かれこれ六十年ほどの付き合いになるわけだ。そうか、疾うに半世紀を越しているのだな。賀状や暑中見舞いのやり取りはある。また、近所に住んでいるので、道端で擦れ違って、最近はどうだね、などと立ち話をすることはある。けれども、その程度のつきあいなのであって、日常、電話のやりとりは、まず、ない。そもそも、私は同級生の間でも偏屈で付き合いにくいと思われているはずだし、電話嫌いでも有名なはずだ。マリがいた頃には、自分で電話に出ることなど滅多になかった。考えてみれば、外部との接触に関しては、かなりの部分でマリに依存していたのであった。
「近頃はどうだい」と当たり障りのない木澤くん。
「まあ、あまり変わらんね。そちらこそどうですか」
「こっちもあまり変わらんよ。ところで、古市から聞いたんだけどね、高部の妹が亡くなったらしいよ。何か聞いているかい。高部が死んだ後も君とはつきあいがあったんじゃなかったかい」
 言葉が出なかった。恵子くんは先日訪れてくれたばかりではないか。一緒に杯を重ねたばかりではないか。
「どうした。聞こえているのか、茄子彦」
「うるさい」
 結局、出てきた言葉はそれだけで、がしゃりと受話器を置いた。

投稿者 nasuhiko : 08:46 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月17日

icon男の料理08

 コチュジャンに大満足、わかめスープにほぼ満足している私である。本日は、冬におすすめですと書かれている、大根の炒めナムルなるものに挑戦した。毎度お馴染み『作ってみたい・韓国料理の本』の十六頁。買ってくる必要があるのは大根だけで、残りのものは全て間に合っている。と思ったのだが、料理し始めてから、我が家には薄口醤油がないことに気づいた。まあ、色が濃くなったとしても美味ければそれで良い。濃口醤油のまま続行である。
 どの工程も特に難しいということはないのだけれど、最初の、大根を斜め薄切りにして千切りにする、というところに引っかかる。最終的に千切りにするのであれば、その家庭で斜め薄切りであろうが、通常の輪切りの薄切りであろうと、変わりがないように思うのだが、それは素人考えというものなのか。特別な解説がなされていないということは、もしかすると、これは料理界では常識の部類なのだろうか、と訝しむ。そうは言っても、ここで立ち止まっていては埒が明かない。この疑問は、誰か詳しい人に預けるとして、料理を続けた。わずか二十分ほどで完成したのだが、これがなかなかに美味い。私としては、少しく甘味と辛味が加わるとより一層美味くなるのではないかとも思うけれど、このくど過ぎない味は、酒を美味く呑ませるための秘訣かもしれないと思い至る。それにしても、大蒜とごまとごま油の香りが絶妙で、食欲を誘いますなあ。香りこそが韓国料理の神髄なのやもしれませぬ。
 なかなかのできに満足して、折角だから、と、田村師匠に電話してお誘い申し上げたが、本日はライヴハウスにて何かの活動がある、とのことで辞退されてしまった。誰かに食べさせたい、と思うあまり、『日和見』に持参する。

「どうです、私が作ったのですよ」
「あら、おいしいわね」にこりと即答する女将。それには営業用の微笑みが含まれていたのか否か。それは私には判らないし、一流の客というのはそういうことを判ろうとしてはいけないものである。素直に喜ぼうではないか。

投稿者 nasuhiko : 09:13 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月15日

icon男の料理07

 自家製コチュジャンに取り憑かれたかのような状態の私である。冷ややっこにつけてみたり、餃子につけてみたり、出来合いのサラダにつけてみたり、面倒くさくなれば、そのまま箸につけてぺろりとやって、田苑をぐびと呷る。ううむ、うまい。そして、辛い。実のところ、その辛さは少々度を越していて、少々過ごすと翌朝は厠で悶絶すること必至。『日和見』でそんな話を田村師匠としていたところ、おかみから助言があった。「甘口の唐辛子ってものがあるのよ」「甘口の唐辛子なんて、そんなばかな」「信じなくてもよくってよ」と畳み掛けられる。
 家に帰ると酔った頭ですぐさま検索である。今日もまたグーグル様々だ。「料理用唐辛子」なる代物がみつかった。そこには、確かに「甘口」と記載されている。ううむ、世の中にはまだまだ思いもよらないものがあるものである。次回はここで注文しようと、目印代わりにアフィリエイト。ふふふ、じじいも賢くなったものよ。

 さて、コチュジャンばかりでは料理の世界へ進出したとは言えるはずもないのは自明のこと。そこで、本日は「わかめのスープ」に挑戦した。例の『作ってみたい・韓国料理の本』の七十頁に載っている。こいつがまた頗る簡単なのである。材料もあっという間に揃う。いや、わかめを買ってきただけで、残りのものは元から我が家にあるものばかり。ここにあるぐらいだから、一般のどんな家庭にだってあるに違いない。しかも、実際の調理も気楽にこなせる、ほんの十分強か十五分か、孰れにしても、その程度である。コチュジャンに麻痺した舌には辛さと塩分が些か不足しているようにも感じられるが、味そのものはなかなかの出来である。酔い醒ましに最適に思える一杯となった。
 簡単でうまいものを次々に覚えられるなんざ、幸せな話である。チョ・カムヨンさん、どうもありがとう。今日も楽しく食させていただいておりますぞ。

投稿者 nasuhiko : 09:45 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月11日

icon男の料理06

 自家製コチュジャンは美味かった。田苑もまた美味かった。しかし、どうも、辛さが私の許容量をはるかに凌駕していたようで、朝から激しい下痢に苦しんでいる。上も辛けりゃ下も辛い。排便毎に地獄の苦しみである。調子に乗った私が悪いのだが、反省したところで、この苦しみが減じるわけではない。従って、反省するだけ無駄というもの。
 それにしても、韓国の人々は辛さに余程強いのだなあ、と感心頻り。ふと学生時分に覚えた枕詞の一つに「からくにの」というものがあったことを思い出す。広辞苑をぱらぱら捲ってみると、ありました。ありましたとも。「唐国の」あるいは「韓国の」と表記する枕詞で「辛く」にかかるとあります。古から「韓国」と「辛く」を掛けていたなんざ、面白い話ではありますまいか。勉強になります。

 夕刻、田村師匠が新しいデジタル・カメラを持って来訪下さった。早速、自家製コチュジャンと田苑で歓待する。
「やや、これを御自分で作られたのですか。いい香りですねえ。いただきます」暫しの沈黙ののち、「辛い。何とも辛い。けれども、うまいですねえ。良い味だ。癖になりそうです」早くも額から汗が流れ落ちる。私だけではなかったのである。早速、『作ってみたい・韓国料理の本』のコチュジャンの頁を見せて説明する。唐辛子が少なかったのでざっと四分の一の目算で作ったこと、きび砂糖がなかったのでただの上白糖を使用したこと、酔っぱらって後半は分量が適当になってしまったこと、などなど。「きび砂糖というものにすれば少しく香りやまろやかさが異なるのかもしれませんが、ないものはしかたがない」「そうですね。それにしても、辛い。そして、うまい」
 たわいもないやり取りをしているうちに、またもや泥酔してしまった。そして、また朝には厠で苦しむことであろう。全くもって愚かなる哉。

味わいて 留処なきかな 韓国の 辛くに浮かれ 泣く朝ぼらけ

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月10日

icon男の料理05:船出

 買い物疲れ(正確には買えない物疲れと言うべきか)で、結局、昨日は何もせずに寝てしまった。思い出すと気が重く、今日は買い出しに赴く気力がない。
 ぼんやりと『作ってみたい・韓国料理の本』を眺めていると、酒が呑みたくなった。田苑を持ち出して、昼間から写真をつまみに一杯二杯。頁を繰るうちに、我が家にある材料だけで作れそうなものを発見した。五十九頁のコチュジャンである。韓国風の辛味噌である。味噌・きび砂糖・粉唐辛子・塩・酢・酒があれば良い。きび砂糖はないけれど、普通の砂糖だってかまわぬだろう、ということで、早速、着手してみる。韓国料理の大海への船出である。
 秤を探し出して、材料を並べてみると、唐辛子が八十五グラム必要なところ、二十グラムほどしかない。大量に作る必要もなかろうから、取り敢えず、ざっと四分の一の検討で作ることにする。少々酔っぱらっているので、雑な性格に拍車がかかり、細かい分量はあやふやになってしまったが、大して時間もかからずに、完成できた。私もなかなか大したものではないか。
 少しく冷ましてから試食いたす。試食といっても、辛味噌なので、ばくばく食べるわけにはいかない。箸の先に少しつけて、舐めてみる。うむ。辛い。辛い。爆発的に辛い。こんなに辛くては頭がパーになってしまうというほどに辛い。頭皮からも顔からも汗が噴き出す。脇の下もびっしょりである。参った。何なのだ、この辛さは。
 一段落して、今度はほんの少しだけ箸に乗せ、びくびくしながら、舐めてみる。辛い。やはり辛い。しかし、辛さに慣れたのか、量を減らしたからか、この度は辛さだけでなく、甘味や香りも感じられた。ほほう、これはなかなかいけるではないか。なかなかのものだ。全身汗塗れになり、舌がやや麻痺しかけているものの、これは後を引くつまみだ。コチュジャンを一舐めしては、田苑を一口煽る。そんなことの繰り返し。
 自家製コチュジャン、取り敢えずは、成功だと言って良いのだろうか。コチュジャンの正しい味がわからないので、何とも言えないじじいである。誰かに試食してもらい、意見をうかがうとしよう。孰れにせよ、まずまずの船出だと言って良かろう。泥酔しながら、自画自賛。御苦労なことである。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月09日

icon男の料理04

 兎にも角にも材料を揃えなければ何も始まらない。普段はコンビニエンス・ストア、あるいは、昔ながらのスーパー(それも殊更小さいところ)に出向くだけの私だが、勢いのあるうちに、ということで、数階建ての大型店舗に乗り込んだ。これがいけなかった。いけなかったのである。こういうところは初めてだが、要するに、デパートから高級感を取り払い整然かつゆったりとした気取り気味の様子を放棄した感じとでも言えばいいのか、窮屈でごたごたしていて、右往左往している人々も決して洒落込んだりはしていない。全くの普段着である。店員も男性は作業着様の、機能的なようなただ見苦しいような、そんな服装を、女性はテレビCMで見る金貸しの女性の制服のようなものを着用していて、お世辞にも見栄えが良いとは言い難い。もっとも、このような店が見栄えの良さで勝負しているわけではなかろうけれども。
 再開発が進む以前の駅前の路地めいた市場の、やや閉塞感を伴う雑踏と似ていなくもない。批判をしているわけではない。有り様をそのままに伝えようと思っているだけである。私は、元来、このような混沌とした人が人らしく活動する様は嫌いではない。けれども、このような場は、想像以上に活力を要するのである。私のようなじじいともなると、最早、この人混みの中にいるというただそのことだけで、いつ倒れてもおかしくないほどの疲弊感に襲われる。集団の混雑の圧迫感というのは事程左様に凄いものである。
 急いで必要なものを手に入れ、とっとと家に帰ろうと思えども、混み合った大型スーパーの中にあっては、何がどこにあるかを把握するのは大変困難である。目を細めてあちらを眺め、こちらを眺め、それでも埒が明かず、若い女性店員に声をかけたところ、「おじいちゃん、そこは人が多くて危ないわよ」と手を取られ、脇に連れてゆかれ、「何がほしいのかなあ〜?」と幼児を扱うかの如き態度に我慢がならず、拙者は確かに一介のぼけ老人に過ぎぬが、斯様な体で貴女の手を煩わせるつもりはござらん。失礼。
 到頭何も買わずに出てきてしまった。馬鹿である。
 今になって思えば、優しい少女の思いやりを無にする、礼を失した行為であったと反省すること至極。申し訳御座居ませんでした。私の不徳の致すところでありました。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月08日

icon男の料理03

 あろうことか、注文しておいた本がもう届いた。何とも便利な世の中になったものだ。
 あれこれと悩んだ末に、私が選択したのは『作ってみたい・韓国料理の本』である。どんなものが良かろうかと思案したのだったが、カレーは是田大師匠が既におやりになられている。和食に関しては、『日和見』のおかみが素晴らしい腕前を持っており、それをもう何年も食べ続けているわけで、マリには相済まぬことだが、私にとっては次第に家庭の味の如き存在になってきている。
 振り返ってみれば、マリの作るものの大半は絵に描いたような洋食だったわけで、彼女と過ごした四十年近い年月は、フランス料理が私の家庭の味であったわけだ。お母さんにしっかりと叩き込まれたというだけあって、彼女の腕前はかなりのものであった。当時、帝国ホテルで何番目かに偉い料理人だった友人を我が家に招待したときにもひどく喜ばれたことを思い出す。レストランの料理とは違う家庭の味付けなのだが、想像以上に複雑だとか深みがあるだとか言って、レシピを帳面に丁寧に記して帰ったほどである。もっとも、それがその後の彼の料理人人生に実際に少しでも役立ったのかどうかは不明ではあるけれど。
 著しく話が逸れてしまった。兎にも角にも、マリの料理と並ぶような代物が作れるとは思えないので、フランス料理も却下するしかない。ヨーロッパの国々の中で、私がイメージできる美味い料理と言えば、あとはイタリア料理ぐらいのものだが、スパゲッティやピザの印象が強く、料理という枠組みで考えると気が乗らない。かといって、他の地域に目を向けても、中近東やアフリカ、あるいは、南米なんぞの料理は、そもそもまるで見当がつかない。アジア圏であっても近くないところのものも、料理想像脳の発達していない私には無理がある。結果的に残るのは中華か韓国かというところになるわけだが、中華料理はごうごうと唸りをあげるほどの強烈な火力が必要なのだと齧り聞いたし、油が多くて、じじいの弱った胃袋には厳しそうである。そんなわけで、韓国料理を選ぶに相成った。

 届いた本は、写真がふんだんに使われているし、近所の国だけあって、食材は手軽に揃いそうなものが多い。はらりはらりと頁を繰りながら、夕刻から澤乃井を傾け始めた。ところが、我が友澤乃井くんと韓国料理の写真とはしっくり噛み合わないようである。何が良かろうかと案ずるものの、相応しいものを思いつかない。結局、田苑をロックでやることにした。
 料理本をつまみに呑むのも、これはこれ、なかなか悪くないものであるという新発見。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月06日

icon男の料理02

 読書は嫌いではない。それどころか、私の貴重な趣味の一つである。従って、本屋も嫌いではない。寧ろ、本屋は好きな場所の一つである。ただ、昔から本屋とレコード屋に行くと急にお腹がごろごろしてきて長居ができない、という弱点がある。私以外にも同様の症状を示す友人が多々あるのだが、一体全体、どういう神経の働きでそうなるのだろう。まことに不思議である。
 七十年も使い込んでいると目の玉も相当におんぼろになってくるものである。色も悪い、ピントも合わない、という有り様になってきて、次第に本や新聞、雑誌を読むのがかなりの労力を要する仕事になってきた。それで思い切って、一昨年、左目、右目と順に白内障の手術をしてもらった。その効果たるや絶大で、世界が極めて明るく見えるようになった。ピントも以前よりはしっかりと合いやすくなってきたように感じる。もちろん、若い頃ほど快適にというわけにはいかないが、読書の楽しみが我が手に戻ってきた。脳みその働きも若い頃のようにてきぱきぱきぱきしているわけではないので、のんびりと丁寧に読むようになった。おかげで、若い頃には気づかなかったようなことに気づけるようになった気がするが、もしかしたら、それは昔のことを忘れてしまっているだけかもしれない。

 さて、田村師匠に御来訪いただき、本日は、インターネット書店で買い物をすることになったのだが、これがなかなかに面白い。最近は、目をしょぼしょぼさせながらあっちの棚こっちの棚と眺めたり、それでも埒が明かない場合は無愛想な店員に声を掛け、あの本はないかこの本はないかと質問し、全くうるさいじじいだ、というような嫌な目付きでぞんざいな扱いを受けること屡々だったものである。しかし、見よ、インターネットの本屋では検索すればじゃんじゃんじゃかじゃかみつかるではないか。用心しないとみつかり過ぎるぐらいである。あまりの便利さに興奮したせいか、よくわからない本まであれこれと注文してしまった。うーむ、これは暫くはやめられなくなりそうだ。楽しい。率直に言って、楽しい。
 インターネット本屋の問題点は、本がみつかりすぎて、財布がパンクしてしまいかねないこと。それから、絶版になっている本の多さに気づかされること。これは悲しい。町の本屋の棚を眺めているときには不在のものには気づきにくいものだが、インターネットで検索してみると何とも多くの本が絶版や品切れ扱いになっているのが顕著にわかり、少なからぬショックを受ける。例えば、石川淳大先生の『至福千年』の如き名作の中の名作が品切れのままである。岩波書店よ、一体、どうなっておるのだ。恥を知れ。日本の文化を担っているという心意気はどこへ行ってしまったのか。嘆かわしいことである。実に嘆かわしいことである。
 そんなわけで、田村師匠に本日の御礼として『至福千年』をプレゼントすることは叶わなかった。残念無念また明日。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月05日

icon男の料理01

 家内を失くして五年。だんだんに日常のあれこれを自力で処理する能力ができてきてはいる。母親以外は男ばかりの家庭に育ち、がさつな性格に生まれついているゆえ、掃除や洗濯は今でも申し訳程度。今年になって庭いじりに少し力を注ぐようになりはしたが、草花の名まえも種類も把握できていないゆえ、相当の混乱が続いている。料理をする行為そのものは嫌いではないのだが、洗い物などの後片付けと買い物が苦手なので、億劫に感じて腰が重い。従って、食事は近所の呑み屋や定食屋で済ませることがどうしても多くなる。
 『日和見』で一杯やっているときに、男の料理だの何だのという話になった。田村師匠の師匠にあたる、是田大師匠がカレー作りに凝りに凝っているという。「インターネットのおかげですね。スパイスや何やかや、今ではかなりのものが気軽に手に入るようになりました。インド料理の本にしたって海外からも簡単に取り寄せられます。執念深い性格だもので、あれこれあれこれ資料を揃え、材料を揃え、悪戦苦闘するうちに、たいていのインド料理屋よりはうまいカレーが作れるようになりましたよ。おまけに、日本の家庭の味、欧風レストランのようなもの、蕎麦屋のカレー丼まで研究しましたから、およそカレーと名の付くものは一通りは作れます。もっとも、カレーパンは別です。あれはどうも美味いのが作れませんね」
 そんな大師匠の話を聞いて、おかみと田村師匠、それに私の三人を是田さんの御宅に招待いただくことになった。いやあ、驚きました。実を申すと、私は本格的なインド料理屋なんぞには行ったことがないわけで、果たして眼前のものが、私の舌の上、胃の中にあるものが本格的なものなのかどうかはわからない。けれども、次々と出されるどの料理も実に美味であったことだけは確かであります。七十年以上も生きてきて、今までに一度も食したことのない味の連続に、このじじいは小さからぬカルチャー・ショックを受けたのであります。まだまだ、世界には私の知らぬ美味しいものがあるのであるなあ、と。
 「明日は、インターネットの本屋で料理本でも探すとしますか」と田村師匠。拙者、喜んで受けて立ちますぞ。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月04日

icon恵子くん来訪


 だらだらと遅い昼食をとっていたところ、玄関のベルが鳴った。のそのそと応対に出てみると、そこには恵子くんが「御無沙汰しております」と頭を下げている。ややや、これは久し振りです、今、ちょっと、その、片付けますからお待ちなさい。そう言い置いて、とっ散らかった部屋をばたばたと大急ぎで整える。それにしたって、私のような、元来が乱雑な人間のやることである。高が知れている。ざっとざっと取り繕った程度で我慢してもらうしかない。
 何にしますか。日本酒かワインなら、美味いのがある。珈琲を淹れてもいい。「お酒をいただこうかしら」と恵子くん。そんなわけで早い午後から差し向いで飲み始めることに相成った。彼女は私の同級生の中でも群を抜いた大天才高部の妹君である。彼女と初めて会ったのは、我々が旧制中学の一年のとき、彼の家に遊びに行ったときのことであるからして、かれこれ五十年以上も昔のことになる。お互いに老いぼれるのも致し方ないわけである。
「この近所に御用でもありましたか」
「特に何用ということでもないんですけれど、茄子彦さんのところにもすっかり御無沙汰しておりましたから、ご挨拶にと」
 ありがたい話である。高部が亡くなってから十年ほどになろうか。その後も、数年に一度は訪れて何ということはない世間話をして帰ってゆく。
 彼女はとうとう生涯の伴侶を得ることがなかったので、何かと独りで寂しく思うこともあるのだろうな、と以前は思ったものだ。今では、マリに先立たれて、私も独りで日々をどうにかやり過ごすばかりである。もっとも、教員というものは若者たちに囲まれて過ごす商売だから、彼女の方は独り暮らしでも案外寂しくはないのかもしれない。しかしながら、恵子くんとて七十にならんとしているわけで、最早教鞭を執ってはいないかもしれんなあ。
 彼女と共通の話題といえば、どうしても高部のことになってしまう。故人の想い出を肴に酒を呑む機会が増えてきますな、年経る毎に。このように酒の肴にすることが何よりの供養かもしれません。
 二時間ほどものんびりと過ごしただろうか、「では、私はそろそろお別れしなくては」彼女はそう言って、静かに去っていった。暮れかけの薄い闇にシルエットがゆっくりと溶け込んでいき、やがて消えた。

 例の小猫がどこからともなく現れて、柿の木に登った。見送るように彼女の歩み去った方角を眺めているようである。
 庭のはずれの銀杏に夕陽が赤い。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月03日

icon独り住まい3


 朝から小庭の雑草取りに勤しむ。雑草の定義はどうなっているのか。これは雑草なのか否か、と悩むことも屡々だ。辞書にあたると「栽培しないのに生える植物群」だとか何だとか。例えば、この夏、私を苦しめたのは笹である。笹は雑草なのかどうか。結局、栽培した覚えがないのにどんどんどんどんこんなに狭い庭を占拠し始めたということで、私は雑草に認定したのだが、笹てぇものは意外に美しくもあり、その姿がすっかり見えなくなってしまった今、幾許かは心残りでなくもない。
 雑草を抜いていくという作業は根を要する仕事である。下手な駄洒落だが真実である。上っ面だけを引っ張ったのでは、中途で切れてしまい、結局、またすぐに生えてきてしまう。少しく周辺の土を掘り、丁寧に抜いてやる必要がある。その際に、私を苦しめたのが、笹の根である。何かを抜こうとするとその根の上に笹の根が這い回っていたりして、結局、笹を抜かなければ狙いを定めた雑草を抜くことができない、という事態が頻々と発生した。いっそのこと、まず、笹を退治してしまえ、という気になったのだが、いざ笹の根を追跡していくと、どこまでもどこまでも延々と繋がっていて、丁寧に丁寧に根気よく根気よく掘り進めていってもなかなか終点に辿り着けないという有り様。ちっぽっけな庭全域に、いやさ、境を越えて、近隣の庭にまでその根は勢力を伸ばしているようである。どんなに丁寧に作業を続けても、どこかで諦めねばならず、ひとつとして完全に抜くことはできなかった。今は、庭の表面には笹は一切見えないけれど、またそう遠くない未来には、この庭のあちらこちらに繁茂するに違いない。
 笹の根を追い回しているうちに、庭のあちらこちらを広範囲に掘り返したのだが、いくつか不思議なものが出てきたこともある。錆びた釘や直径一糎ほどの鉄のパイプ、ガラス瓶の破片、十五糎程もあろうかとう大きなボルトなどなどなど。大小の石ころや、板状の石の破片など。一体、なぜこのような物どもが庭の中に埋まっていたのか、全くの謎である。

 腰がぎりぎりと痛むが、酒は美味い。そんなものだ。
 夕暮れの洗朱をつまみに、今暫く杯を重ねよう。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月02日

icon独り住まい2


 秋には秋の色があり、冬には冬の色がある。春には春の風が吹き、夏には夏の風が吹く。このような美しい四季を持った場所に生きられて感謝に堪えぬ。けれども、一つ、一つと季節が過ぎるたびに、寂寞とした気持ちになるのはなぜだろう。これも老いによるものだろうか。次の春を、次の夏を迎えることができるだろうか、などとは、決して思わないのだけれど。

 春や夏は雑草取りに追われたが、今の季節は、落ち葉の処理に追われる。そんな愚痴を何かのついでに零したところ、「落ち葉は放っておけば朽ちて土に返るでしょう。それが自然の姿ではありますまいか」と田村師匠が宣もうた。御意見に一理はござろうけれど、雑草や枯れ葉に覆われた庭は、何とはなしに気をくさくささせるものである。気をくさくささせる代物を片付けて、小さな庭のささやかな景観を整えたくなる気持ちも自然の一部であろう、と私は思う。それに、それなりに手間ではあるものの、落ち葉を掃き寄せる作業を、私は嫌いではない。

 柿の木が長閑な陰を落とす午後、はらりと風が吹いた。この時候、心地好いというには冷たすぎる風だったけれど、朝一番に冷水で顔を洗うような、身が締まる思いのする、透きとおった風だった。これはこれで悪くないな、と思ったのは束の間。折角掃き集めた落葉が風が通りすぎた方にばさりと散らばっている。できすぎた景色のようにも見え、そのままにしておこうかとも思ったが、結局のところ、再度、竹箒を手にしたじじいである。

突然の風の足跡 落ち葉色

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年12月01日

icon独り住まい


 実を申すと、今日もまた、日の高いうちから飲み始めている。庭に向かって、時に空を見上げ、時に地を見下ろし、時に小鳥たちの囀りに耳を傾け、時に宅配便の応対にのそのそと立ち上がり、時に株屋だの土地屋だののしつこい勧誘の電話に応対し……そんな今日この頃。話にならないような陰々滅々の堂々巡りのような日々。そして、少しずつ少しずつ、より一層心気の病が深まる。日高くして澤乃井を飲む。こんな陰気な老人に飲まれる澤乃井くんも辛かろう。いや、君こそが私の崩壊を塞き止めているのである。そう思って、まだ暫く付き合い給え。

 元来の私の気質はどうだったのかと顧みるに、極めて陽気だったとは言い難い。けれども、だからといって、終始鬱々としていたということではない。まあ、ありきたりだが、人並みに陽気で人並みに陰気だったという風に思う。けれども、年を追う毎に次第にほんの少しずつだが辛気の側に振れてきたのだったろう。そして、九十九年の夏、家内が亡くなって、それからはますます鬱の波が次第に大きく次第に長くなりにけり。

 人は独りでいる時間が長いと、ついついあれこれと考えてしまう生き物のようである。そのあれこれは、明るかったり暗かったり、楽しかったり悲しかったり、様々ではあるけれど、なぜか気がつくと滅入り気味である今日この頃。不思議と言えば不思議なことだ。秋の色、冬の気配、そんなものが後押しをしているにせよ。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月30日

icon小さな来訪者02


 昨日は昼日中から相当に呑み過ごしたようである。あんな小猫が間者であるわけがない。私の脳の弛みは相当進行しているようである。日記を読み返して赤面している次第。
 悲しい気持ちになるできごとがあったせいで、近頃はついつい昼間から飲んでしまう日が続いている。これはまた愚痴か言い訳か……。昼間から酒を飲むのが悪いということはない。悲しいから、という理由で酒を飲むのが良くないのである。しかし、ぼうっとしていると、そこはかとないやり切れなさが何となく頭の天辺にのしかかってくるような気がして、気がつくと、盃を傾けている老いぼれがいる。正直に言えば、今日も既に飲み始めている。

 枯れ梅の枝の上で、雀を威嚇するように鳴いていた鵯がの声がぱたりと止んだ。どうしたことかと見回してみると、例の通りの小さな闖入者である。あんなに小さな猫であっても、小鳥たちにとっては脅威となるのだろうか。兎にも角にも、雀が去り、鵯が去り、庭の真ん中でのんびりと毛繕いをする小猫が一匹残るのみ。
 スパイだ何だと、妙な妄想に駆られた昨日だが、寛ぐその姿はなかなかに可愛らしいものである。小さな躰だが動作はすっかり一人前で、丁寧に丁寧に我が身を舐めこみ舐めこみ、お洒落に余念がない様子。身繕いが一段落したのか、柿ノ木にのぼると、手頃な枝の分かれ目にすっかり身を横たえて欠伸をする。欠伸をする。もう一度欠伸をする。どうやら眠ってしまうようである。なかなかに愛いやつよのう、とそのうつらうつらした姿を眺めながら、もう一杯。時々、薄目を開けてこちらを伺っているようだが、鳴くでもなく、動くでもなく、特に警戒しているようでもなく。
 たとえ、相手が眠りこけた小猫であろうとも、独りで飲むよりは幾許かはましではないか。

葉も落ちて 猫寝呆けおる 柿日暮れ

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月28日

icon小さな来訪者01

 ここ数日、小さな猫が庭を訪れる。何をするでもなくぶらついているかと思うと、突然、梅の木を駆け上がってみたり、地べたにぺたりと伏せてみたり、何を考え、何をしているのやら。首輪をしているし、大方、近所で飼われているのだろう、とは思う。
 こちらをじっと見ているので、何か言いたいことでもあるのだろうか、と思い、「おい、猫くん」などと声をかけてみても、にゃあと返事をするわけでもなく、きょとんとした瞳のまま、ただただ眺めるばかり。鳴くわけでもなく、何かを要求するのでもなく、私を観察しているのだろうか。もしかすると、これはスパイ猫なのではないか、という気がしてきた。生き物にしては無表情に過ぎるのではないか。猫型ロボットのの目に高性能のカメラか何かが仕掛けてあって、近隣の何者かが、耄碌じじいの動向を窺っているのではないか。そう思い始めると、先程までは円らで曇りのない瞳に思えていたものが、狡猾なカメラのレンズのように見えてきて、見透かされるような不安を感じる。首輪にマイクか何かが仕掛けてありはしまいか。どこか怪しいところはないかと、こちらも目を凝らしてじっと観察するが、如何んせん、視力に難ありで、細部は判然としない。こちらがじろじろじろじろ睨め回すような視線を這わせたところ、ついと立ち上がって、垣根の下の隙間から去っていってしまった。いよいよもって怪しい。
 一体、誰が私を監視しようとしているのだろうか、とあれこれ思い巡らせるが、誰一人としてそのようなことを望む者が思い浮かばない。ううむ、不可思議。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月23日

icon風邪4

 風邪も治りかけくるてぇと、無抵抗にやられてばかりだった状態から、あれが喰いたいだの、誰か見舞いに来ないものかだのと、勝手なことを思い始めますな。そのくせ、いざ、立ち上がって何かしようとしてみると、一歩ごとに、あっちにふらふら、こっちでくらくら、という有り様で、厠まで辿り着こうとするだけで難儀する。用を足して床に戻った頃には、ふうふうぜいぜい。多少なりとも快方に向かってはいるものの、躰は言うことを聞いてくれない。

 寝込んでいると音楽だけが楽しみである。枕元に転がっているCDを取っ換え引っ換え聴くともなく聞いている。病床にあって、ジャンゴ・ラインハルトの『セプテンバー・ソング』を耳にすると、マリのことをどうしても思い出してしまう。人の命の長短にあれこれ文句をつけてもどうにもなるものではないけれど、それにしても、彼女の人生は少々短すぎた。美人薄命とはよく言ったものである。

 彼女が何くれとなく世話をしてくれる。そろそろお休みなさいな、一番のお薬は眠ることよ、などと……額に手を当て、あら、もう熱も下がったみたいね、などと……林檎をおろしましたから少しお上がりなさい、などと……。

 マリの手は何しろ白くて白くてつるつるしておったものです。もっとも、彼女以外の女性の手をしみじみ触ったり間近に眺めたことは殆どないわけで、比較のしようもない。記憶の川をどんどん遡れば、七十年ほども昔の母の手が思い浮かぶけれど、やはり、それも比較のしようがない、というより、比較の意味がない。母の手、それはやはり典型的な亜細亜人種の手ですから、ちっとも白くはありませんでしたな。肌色というよりは、寧ろ、茶色い、というような。

 私がどうにか治ってくると、今度は、彼女の方が倒れてしまう。私は、当時は料理など全くできませんでしたから、仕方がないので、店屋物のうどんで済ませたりすることになり、考えてみれば、マリには申し訳ないことをしました。パンとチーズとかカフェ・オ・レとか、具合が悪いときには本当はそんなバタくさいものを欲していたのではないか、と、今になって思います。まあ、今更云々しても仕方がないことではあるけれど。

 順番に風邪を引くぐらいなら、二人一緒にかかって一緒に寝込む方がいいね、と私が言うと、そしたら、看病する人がいなくなっちゃいますわよ、と答えるマリ。なるほど、確かにそうである。我が夫婦が順番に風邪を引くのは、効率が悪いようでありながら、実は合理的だったのかもしれない。
 こんなどうでもいいことをあれこれ思う、病み上がり切れぬ老人の妄想床、幽かに涙に濡れる。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月22日

icon風邪3

 合成ペニシリン製剤や解熱鎮痛消炎剤といった薬がどういうものか、実のところ、ピンとはこない。尤も、医学の知識などあるわけではないのでわからないのは当然だ。それに、そもそも、風邪の根本原因は解明されていないのであるからして、その対処法にしたところで、経験に基づくものでしかあるまい。わけのわからないものをありがたがって服用させていただいているわけである。考えてみれば、原始信仰的な方法論である。シャーマンに祈ってもらうのと、本質としては何ら変わらない……と、ここまで言っては言い過ぎだろうか。ごめんよ、若先生。
 孰れにせよ、私の躰の中で一体何が起こっているのか、わからないまま、風邪が始まり、終わろうとしているようである。

 今まで味わったことのない高熱が治まってくると、眩い幻想も鳴りを潜めてしまった。残念なような気がしなくもない。だが、七十年間に味わったことのない不思議な経験ではあるにせよ、是非、引き続き味わいたいと思うほどの、中毒的な魅力を持っているものでもない。
 幻想そのものが引っ込んでしまうのはかまわない。気になるのは、あの幻想はどこからやってきたものなのだろうか、ということである。どこからと言ったって、ちょいと失礼しますよ、と他所から入ってくる筈もないわけで、畢竟、あれも私の中のどこからか現出したものなのであろう。そう思うと、あのような極彩色で超高速な……何という見苦しい形容だろう……空間を想像する力が私の中にあるのだ、ということになる。まだまだ、私の脳の中には未知の部分、七十年以上使ってきても未使用の謎の領域が残っているのだな。

 私の中に未知の領域があり、そこには私の知らない何かがまだまだ隠されていると考えると、何となくにやにやが止まらない。乏しい可能性を消費し尽くして、立ち枯れるのを待っている老体なのではなく、まだまだ清らな可能性を秘めた、そんなじじいなのであるぞ、私は、とね。

 何を言っておるのだ、この耄碌じじいが……そんな声が聞こえて参ります。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月21日

icon風邪2

 今回の風邪の猛威はまことに甚だしかった。平常は三十六度に満たない体温の私だが、若先生によれば三十九度を超える熱が出ているそうで、強い薬を出しますけれど、まだ数日は相当厳しいでしょうね。もし、あまりに苦しかったら、点滴を処置しましょう。その時には、こちらから伺いますよ、と暖かい言葉をいただいた。

 その高熱のおかげで、ここ数日、私は多くの幻想を眺める幸運(?)に恵まれている。尤も、熱に浮かされて観る幻想は、幸福な楽園を描くようなものではなかったけれど、常を逸脱した強烈な色彩と有り得べからざる空間感覚を齎した。未だ嘗て味わったことのない世界である。眠っている間に見る夢とどう違うのかと問われたとしてもきちんと説明できはしないのだが、敢えて言うのなら、夢は見るものであり、この度の幻想は見せられたもののように感じられた、ということだろうか。

 紫や緑、だいだい色の原色の塊のようなものがびゅんびゅん飛び交うのである。それは、さながら12色入りクレヨンのジャングルとでも言うべきか。兎にも角にも、くっきりとした色の塊が、スライムのように変形しながらびゅうんびゅううんと頭上を飛び交い、時には、我が肉体を突き抜けるのである。勿論、その際に、痛みも痒みも快感も、何も感じるものではない。ただただ、とてつもない勢いで色の塊が私に向かって飛んできて、突き抜けて、飛び去るのを見るばかり。いや、見るのではない。感じるのである。いや、感じるのではない。ううむ、何だろう。何と説明すれば良いのか。

 音はない。自分の中に本来あるべきはずの鼓動や呼吸の音もない。味もない。匂いもない。何の気配もない。一体、私はどこへやってきてしまったのだろう。

 気がつくと、溢れかえる光の洪水の最中、呆然と立ち尽くす私であった。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月20日

icon風邪

 風邪を引いた。激しい悪寒と立ち暗みから判断して重篤な状態であると感じ、直ちに主治医(近所の町医者であるけれど)にお世話になる。待合室で待っていること自体が非常に困難である。懸命に書物に集中しているつもりでも、老体は少しずつ傾げていき、気がつくと、壁にべたりと凭れかかって喘いでいるというような有り様。些かでも心紛れるようにと、大名人の『普賢』を手にしてそれこそ必死の思いで読んでいるのであるのに、内容など何も頭に入らない。しかし、何もしないでいると、ますます息は苦しく、ますます関節は痛く、ますますくらくらくらくらするのでしょうがなく、頁に向かう……壁にへばりついている自分に気づき、体勢を立て直し、本に向かう……という繰り返し。
 若先生(長年親しんだ先生は亡くなられて、今、お付き合いしているのは御子息である。もっとも、御子息も、もはや“若”先生と呼ぶにはあまりに薹が立っている)の見立てによれば、どうということのない、風邪だそうである。ただ、今年の風邪は症状が厳しいので強い薬を出しておきます。強い薬ですから用法を間違わずに服用して下さい、とのことであった。
 帰路、コンビニエンス・ストアに立ち寄り、高菜のおむすびと豆腐と長ねぎを購入する。コンビニエンス・ストアで一人分の食品を購入するという作業が、毎度のことながら、非常に淋しい気持ちにさせる。日常、独り身の侘しさを意識することなど、そうそうありはしないのだが、がちがちがちがちちーぃんとレジが打たれ、×××円です、と告げられるまでの、ぼーっとレジの前で待たされているわずかな時間は何とも孤独な気持ちになる。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。貴女のお見通しの通りでござい。
 マリが亡くなって、もう五年になります。

 おむすびを食べ、合成ペニシリン製剤、解熱鎮痛消炎剤、ビタミン顆粒、健胃錠を、指示された通りに服用して、横になる。すぐに睡魔が襲う。目が覚めると既に七時、豆腐を食し、薬を飲んで横になる。強い薬をいただいたはずなのだが、今度は、すぐには眠れない。腰も痛い。頻々と向きを変えてみるが、腰の痛みを緩和できる位置がみつからない。

 たかが風邪である。たかが風邪ではあるけれど、病身で独り床についていると、細雨が土に染み入るように、そこはかとない淋しさが私の心の隅々に入り込んでくる。拭い去り難い。

投稿者 nasuhiko : 00:00 | コメント (0) | トラックバック