2005年11月18日

icon荒屋なれど


 入院というのは、初めての経験であった。白内障の手術をした時だって、入院はしなかった。右目をやっていただいて、眼帯をしてのそのそと電車で通って検査を受けた。十日程して落ち着いたところで、今度は左目もやっていただいた、という具合であった。初めて入院してみて、多少なりとも、今までにないものをあれこれと感じましたよ。
 一番大きいのは、幾らおんぼろでも我が家に勝るものはない、ということでありますな。病院というところは、程好く暖かく、ぼうっとしていても、ちゃんとちゃんと三度の食事が出てくる。しかも、栄養にもきちんと配慮が行き届いているのだから、有り難い。尤も、酒は出ません。出ませんよ。個室の、しかも、その中でも、特別室なるものを借りている人であれば、もしかすると、中で飲酒をすることも可能なのかもしれないけれどね。何しろ、あれですよ、寿司屋の出前とエレベーターの中で遭遇したことがあるぐらいですからな。寿司の出前が取れるぐらいなら、酒だって呑めるかもしらん。その特別な個室には電話もトイレも付いていて、来客用のソファまであるてんだから、驚きだ。いや、でも、まあ、今はそんな話ではない。そもそも、私の如き、下々の老耄には縁のない話である。
 それから、看護婦さんの有り難みも尋常ならざるものがある。まあ、私なんざ、栄養失調だの過労だのという、病気とも言えない理由で入院していた訳だから、其れ程、看護婦さんの手を煩らわせるようなこともなかったけれど、彼女たちの笑顔や優しい言葉には随分と救われたように思う。中には、あまり親切ではないように感じられるお嬢さんもおりましたけれどね、彼女たちだって、聖人君子ではない訳であるから、体調が悪かったり、機嫌が悪かったりする日があっても致し方なかろう。それに、殆どのお嬢さんは、実ににこやかな人でありましたよ。いやいや、思い出しても有り難い。頭が下がる。文句などあろう筈もない。

 暖房、食事、看護婦さん、などなどの有り難みは確かにある。けれども、それでも、この荒屋の方が良いのであります。帰ってきてみて、しみじみそう思う。何故でしょうなあ。酒が呑めるというような他愛ない理由もあるけれど、それだけではない。名状し難い何かがあるのでありますよ、我が家、というものには。みなさんだって、そうではないでしょうかねえ。

 荒屋の隙間風さえ懐かしき

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2005年11月12日

icon徘徊を再開


 ああ、娑婆の空気は美味いね。娑婆の空気を吸い、娑婆の光を浴び、娑婆の風に吹かれ、娑婆の落ち葉が下駄の下でかしゃかしゃと音を立てる。ああ、有り難や、有り難や。こうして、娑婆に舞い戻れて、何とも嬉しい限り。
 それにしても、大変に大変に御無沙汰をしてしまいました。耄碌じじいめ、到頭くたばりやがったか、と思われた方もいらっしゃるかもしれませんな。はは、ところがどっこい、死んではおりません。風邪が治ったつもりでいたのだけれど、その後も、何だかよろよろと蹌踉うたりすることが続き、気がついたら、入院する破目に相成っていた次第。情けないことである。入院の理由は風邪なのではなく、過労と栄養失調だという。このまま死んでしまっていたら、老衰ということになったのだろうか。ううむ、老衰とは何なのか。それにしても、この飽食の世の中に栄養失調だなんてねえ。俄には信じられない。
 幸か不幸か、兎にも角にも、こうして娑婆に戻れた訳である。少しく自重気味の生活を送らねばならないそうだ。はははは、情けない。豆腐と納豆と蕎麦、それに酒などという食生活ではいかんのだそうである。言われてみれば、尤も至極ではあるけれど、じゃあ、どうすれば良いのだろうか。
 考えてみれば、以前は、ちょこちょこと『日和見』に顔を出していましたからね。お蔭で、もっと色々な物を食べていた。女将が気を使ってくれていたのでしょうな。あれこれと野菜を食す機会なんぞも少なくなかったし、魚や肉も戴きましたな。珍しい魚が入ったのよ、だの、新潟の知り合いが山菜を送ってきてくれたからね、なんてことでね。それがですぞ、このマックというものが来てから、『日和見』に顔を出す頻度は限りなく零に近づいていき、偏食が著しく進んだのであります。そうは言っても、この機械のお蔭で、インターネットの日記を書くというような面白さを味わうことができたのは事実であるし、お若い人々の知己を得たのも事実であり、今までの漠然と過ごしていた日々に、まあ、何というのか、生き甲斐などという大袈裟なものではないけれど、日々の愉しみとでも言いますかね。そんなものができたのも、事実。そういう意味では大変有り難い。けれども、食が偏ったのだって、調子に乗ったせいで過労気味になったのだって、このマックというのがいけないのではないか、という気もする。ああ、世にこのマック無かりせば……などと、責任転嫁をしている、莫迦な耄碌じじいである。
 兎にも角にも、自重、自重、と呪文のように唱えながら、娑婆の徘徊を再開。

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2005年10月24日

icon治ったつもりだったけれど

 ぽんこつの躰というのは情けないものである。風邪如きでこんなに長期に渡って苦しまねばならぬとは。珍奇な案件が重なったという運のなさがあり、それに対する心構えの甘さがありはした。それはそうなのである。けれども、風邪ですよ。風邪。風邪。風邪。
 若先生のお薬のお蔭で復調したなどと調子に乗ったのがいけなかったのでありましょう。調子に乗って呑みましたからね。人間、調子に乗って良いことなどないのである。其もが其も、薬を飲んでいる身の上で、酒を呑むなんざ言語道断。恐ろしい副作用などが発生しても文句の言える筋合いではない。そう考えると、風邪がぶり返したぐらいどうということはない。まあ、そんな無理矢理の、屁理屈とも言えぬ屁理屈を心の中で玩んでいる、愚かな老い耄れである。
 調子に乗って呑んで、うとうととして、そのまま食卓の前で小一時間ほども眠り込んでしまったのが、いけないのである。寒気がざざっと背中を走って目が醒めた。慌てて、場を移し、蒲団に包まって本式に眠りましたけれどね。まあ、云わば、後の祭りというやつである。結局、また二日も寝込んでしまった。
 本日、先生に診て頂いたけれど、厳しく叱られました。先日、こないだまでは洟垂れ小僧だったくせに、などと不謹慎なことを思ってしまった我が身が何とも恥ずかしい。貴様こそ、洟垂れじじいではないか。あんぽんたんのこんこんちき。情けない。今度こそ、大人しくして、目の前に澤乃井があるけれども、決して、これに手を付けることなく、自重して、病人らしい生活を送る所存である。

 高が風邪。然れど風邪。こんな言葉がありませんでしたか。ないでしょうな。風邪を笑う者は、風邪に泣く。こんな言葉もありませんでしたか。やはり、ないんでしょうな。では、洟垂れじじい、斯く語りき、ということで、老耄語録として私の枕辺の手帳に記しておきます。

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2005年10月21日

icon続々々々・風邪を引いた馬鹿

 振り返ってみると、風呂の湯を沸かす機械が壊れたことに始まり、少しずつあれこれがずれてしまって、随分と珍妙な具合に事が進んだものである。そのお蔭で、風邪を引いて、悪化して、どんどん悪化して、請求書も安くはなくて、と、良いこと無しなのだけれど、今では渦中にいる訳ではないので、何となくおかしいような気さえする。そんな気はするけれど、もう一度味わいたくはない。当たり前だ。

 次の日、漸くのことで、若先生の下を訪れる。風邪を引いている、ということだけでなく、事の顛末をざざっとお伝えした。先生には、馬鹿みたいですな、と笑って頂き、こちらは、いやいや参りました、と薄ら笑いを浮かべながら頭を掻く、というような図を想像していたのだけれど、案に反して、先方は笑われない。それどころか、怒り出しましたよ。高齢者は風邪から肺炎その他の病を併発して死に至ることだってあるのである。それをば、笑い話のように話すとは何事だ、というようなことである。御説御尤も。全くその通りである。その通りであるのだけれど、まあ、済んだことなのだからして、少しは笑いを交えた遣り取りにしたって構わないではないか、と、私は思ったのであります。今になって考えれば、あんな風に堅物だってことは、お医者様として大きに信頼できることになる、と言える訳でね、有り難いことなのであるけれど、その時は、ちょっと心外だというような気持ちと、怒られてしょぼんとした気持ちとが綯い交ぜになって、悔しいやら悲しいやら。こないだまでは鼻を垂らして駆け回っておった小僧っ子だったくせに、何を偉そうに、などと、ちょっとだけ思いましたよ。何とも失礼な老い耄れだね。

 まあ、何はともあれ、薬を戴き、こんこんとした説教も戴き、お蔭で、何とか回復した次第であります。

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2005年10月20日

icon続々々・風邪を引いた馬鹿

 白状すると、その夜は、少々呑みましてね。余りに心身共にぼろぼろだったもので、やけくそというか何というのか、兎にも角にも、ちょいとやっつけた訳である。けれども、風邪を引いていると、香りが判らず、折角の澤乃井の味も半減。いや、もっと落ちますか。けれども、心境がやけくそで始まっているから、がぶりがぶりと浅ましく、湯呑みに二杯もやりましてね。勢いついでに、マックもつけてみたりしてね。それで、ああ、この日記のことなどすっかり忘れていた、と気づいた次第でありました。普段は、あれを書こう、これを書こう。今日の分はもう書いたのだったかねえ、などと、一日中気にしているような気でいるけれど、弱ってみれば、まあ、そんなこともどこかに飛んでいってしまう。それで良いのだろうけれど、何だか、私というものは、首尾一貫していないというか、ね。そう思ったら、ちょいとぼんやりした気持ちになった。
 呑んだお蔭かもしれないし、心底弱っていただけかもしれない。何にせよ、たっぷりと、しかも、深く眠ったのでしょうな。目覚めは悪くない気がした。それで、すっきりしてくれれば良かったのだけれど、起きてみたらまだまだほどほど、という具合だった。
 まず、何をしたかというと、ですね、意地になっていた訳でもないのだけれど、何としても、風呂に入らなければ気が済まん、と思ったのですよ。で、風呂場に入ってがっかりする。職人さんたちがあれこれしたものだからね、やはり、それなりに汚れておるのですよ。あちこちに足跡が付いていたりして。先ずは、掃除から始めねばならん、と思うと、しゅしゅうぅっと風船の空気が抜けるような心持ち。けれども、そこで諦めなかったぽんこつじじいであります。丁寧に掃除するなんざ、普段から出来ていない。こんな時だからしょうがないってんで、掃除とは名ばかりで、シャワーでびゃあびゃあ流すだけ。まあ、それでも、大したもので、それなりに何とかなる。それで、いよいよ、風呂湯沸かし器のスイッチを入れた訳である。何日振りだったのかね。ちゃんと動きましたよ。はは、ちゃんと動いた。何だかとても嬉しかったけれど、考えてみれば、当たり前ですか。何しろ、此方人等、五万円からの修理費を払っておるのだし、風邪で蹌踉けながらも、朝から夕方まで作業にお付き合いしたのだからして、これで直っていなかったら話にならない。それにしたって、きちんと機械が動いているのは嬉しいものですよ。馬鹿みたいですがね。
 待つこと暫し。ふふ、チロリン、チロリン、チロ、リンローン、と音楽が鳴り、「お風呂が沸きました。お風呂が沸きました」と機械の声が教えてくれた。結構、結構。結構じゃありませんか。

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2005年10月19日

icon続々・風邪を引いた馬鹿

 午後一番で東京ガスの人々はやってきました。瓦斯管に問題発生と言われてから、爆発やら中毒やらと、恐ろしいことを思い浮かべたりしたのだけれど、制服着用の五人組を目にして、益々、その心配が膨らみましたよ。五人もの人が必要な問題が発生しているのか、と。ううむ。頭は風邪でくらくらし、心をは心配でふらふらする。そんな有り様。
 兎にも角にも、作業は始まる。暫くあれこれと検査した結果を、親玉らしき御仁が説明してくれた。瓦斯管が老朽化しており、ぺらぺら剥げているのではないか、と仰る。穴が空いたりしている程ではないようだけれど、管の中に剥げ落ちた破片のようなものをどうにかしないといけない、という。そのためには、管を外して、強烈な空気をびゅううっと送って、中身を吹き飛ばすのだという。それで、屋外での穴掘りなどの作業だけでは埒が明かないということで、縁の下の狭いところに潜り込んで作業をせねばならん、ということになりました。物凄い機械で、荒屋が崩れ落ちるのではないかという轟音と共に空気をびゅうびゅう送って、中の邪魔者を追い出し、何とか管というものを交換したりしてね。このぐらいの頃から、頭がぐらぐらしてきて、もう訳が判らない。記憶も相当にあやふやである。そうこうしながらも、作業が終わり、東京ガスの一団は帰っていったのであります。しかも、お金は必要ではないようでね。五人もの人々にお越し戴き、あんな大掛かりな作業をしてくれたのに無料というのは何だか申し訳ない話である。時間は四時位だったろうか。
 しかし、ああ、これで終わり、とはならないのでありました。瓦斯の工事が終わったら、すぐに電話してくれ、と言われていたので、ノーリツさんに電話をした。鷺宮だか何だかの現場で作業しているけれど、終わり次第、やってきて、最終調整だという。待つこと暫し。半時間位だったかしら。この頃になると、頭がパンクしていて何が何だか判らず、家の中をくらくらしながらふらふらしている衰残の老耄である。
 直に、ノーリツ二人組がやってきて、風呂場の中と外とで数字の読み上げを繰り返して、調整作業。全て完了したのは六時頃でしたか。無事に終わって何より。彼らを見送って、請求書を見ると、そこには五万円を超える金額が書かれている。ううむ。くらくらのふらふらに止めを刺された。

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2005年10月18日

icon続・風邪を引いた馬鹿

 火曜の朝、目が覚めると、幾分は体調が上向いてきたような気がした。連休も明けたから、本日こそ、若先生に診て戴こうと思った床の中。ところが、予定は狂うものである。連休が明けたのは、お医者さんばかりでなく、風呂の湯沸かしの会社だって連休が明けたのでありますよ。早くに電話がかかってきて、漸く部品が揃いました、御不自由でいらっしゃるでしょうから朝一番で伺います、と仰る。そう言われてしまったら、今日は医者に行くから止しにしてくれ、とは言いにくくなりましてね。まあ、ちゃっちゃか片付けてもらえれば、午前のぎりぎりで診察時間に間に合うかもしれない。悪くしても、夕方には何とかなるだろう、なんぞと思ったのである。
 前回と同様、二人組ですぐに現れました。挨拶も早々に作業を始める。此方人等、風邪でくらくらしているけれども、放っておく訳にも行かないのでね。表に出て声を掛けたりしてみる。そうすると、やはり、寒気がぞくぞくぞくっと足元から駆け上がるものだから、慌てて部屋に戻る。けれども、だからといって寝込む訳にもいかないから、また、表に出て工事の様子を見てみたりする。すると、矢張り、猛烈な寒気に襲われる。そんなことを繰り返しているうちに、小一時間ほどで修理が完了との報告。良かった、良かった、と思ったのは束の間。思いもよらないことを言われたのであります。機械は直りましたけれど、こちらのガス管、まずいですね。ガス管がまずいなんていうのは、何というのか、爆発したり中毒したりしそうで、何とも恐ろしいではないか。どういうことかというと、何でも、本当は二百十なければいけないところに五十しかガスが流れていないそうな。単位はうやむやになってしまったけれど、この数字は間違いない。つまり、四分の一程しかガスが流通していないということなのである。しかも、それは、ノーリツさんでは直せず、東京ガスを呼んでもらうしかない、とのこと。何はともあれ、その場で、東京ガスに電話をしましたよ。私が説明しても埒が明かないのでね、職人さんに電話をお任せしたところ、午後一番で東京ガスがやってくることになったのでありました。ううむ。勿論、寒気は酷くなるばかり。

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2005年10月17日

icon風邪を引いた馬鹿

 月曜もふらふらのくらくらだったもので、殆ど寝たきりの状態であった、風邪を引いた馬鹿である。それでも、午後には、少し回復して来たような気がして、何とか若先生のところに出向いて、診て戴こうと思ったのでありますよ。ところが、何とも間の悪いことに、祭日だったのです。世間の皆様は祭日だと有り難いのでしょうな。学生さんなんざ、大喜びかもしれない。けれども、私のような、何の用事もない人間にとっては、祭日というものに特段の有り難みなどある筈もなく、寧ろ、役所やお店が休みだったりして不自由することが多いばかり。正に今回もその例である。
 くらくらする頭を抱えながら、表に出て、えっちらおっちら診療所の前に辿り着いたところで、漸う休日であるということに気づいた。馬鹿の上塗りである。悪いカードと悪いカードが集まれば良いカードに転じるというようなトランプ遊びがあるけれど、馬鹿の場合は、いくら集まっても馬鹿馬鹿になるばかりで、良い方に転じることなぞありません。
 表に出てしまった以上、この侭、ただ引き返すのは何だか癪なような気がして、頑張って薬屋まで歩きましたよ。よぼよぼのよれよれの足取りでね。全体的に弱っているけれど、あんまり化学っぽいものではなく、然りとて、漢方だけじゃ力不足であろう、などと、勝手なことを呟いていたら、フル・カントジンという見たことも聞いたこともない風邪薬が出てきました。若い店員さんの説明では、西洋の風邪薬に漢方やビタミンを配合してあるものだという。何となく、良さそうに思えてそれを購入して帰ってきた。奴を食して、薬を飲むのがやっとのこと。またもや、ばたんきゅうっのきゅるきゅるでありました。

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2005年10月16日

icon馬鹿は風邪を引かない。

 馬鹿は風邪を引かない、と申しますが、あれは、嘘です。迷信です。私が、懲りずに、また風邪を引いたのが何よりの証拠。いやあ、参りました。間がずっと開いてしまいまして、心配して下さった方もいらっしゃり、有り難いと同時に申し訳ないというか何というのか。呆気者が自業自得で引いた風邪でありますからね。心配よりは、寧ろ、罵倒の方が相応しいのではないか、と、そんな気がします。
 お風呂のお湯を沸かす機械が壊れた、ということを書きましたね。十日ほども前のことですか。それで、修理に来てもらったのだけれど、部品が調達できないことにはどうにもならない、ということでありました。運悪く金曜のことでしてね。それが、いけなかったと言えばいけなかったのでありますよ。金曜に風呂に入れず、土曜にも風呂に入れず、日曜には、さすがにべたべたしてきましてね。湯屋にでも行けば良いのだけれど、近所のお風呂屋さんは、昨年、店仕舞いしてしまっており、一体、どこまで行けば他のお風呂屋さんがあるのやら、想像もつかない。それで、まあ、そんなに寒くもないから、水浴びでもしてやろうと、思った馬鹿者であります。裸になって、シャワーをちょろちょろと出してみたら、足元に跳ね返る水だけでも冷たくて、これではとても浴びるのは無理であろう、と、いくら馬鹿者と雖も、すぐに気づきました。けれども、何だかべとべとするのがどうにも気になり、手拭いを濡らして、あっちをごしごし、こっちをごしごし。多少寒いとはいえ、まあ、溜まった垢を磨り落とすのは、気持ち良いもので、震えを堪えながら一通り、全身を拭きました。はは、風呂なんざ、壊れたって、どうということもないね、濡れ手拭いで十分だよ、などと調子に乗ったのが大間違い。夕方になる前には、もう熱が出てきたようで、くらくらしてどうにもならなくなった次第。家の中をがさごそがさごそ探した結果、随分、古そうなエスタック何とかというものが出てきた。期限の切れた薬の効用や如何なるものか、と疑問に思いつつも、まあ、飲まないよりは増しだろう、てんで、それを飲んで寝ましたよ。いや、ばたんきゅうっと、ね。普段寝付きの悪い私がぐっすり眠れたのは、薬のお蔭か、それとも、それほど風邪が酷かったのか。兎にも角にも確かなことは、馬鹿も風邪を引く、ということであります。

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2005年10月11日

icon懲りずにまた

 風邪を引いて寝込んでおります。万々が一、私のようなぽんこつの身を案じて下さっている方がいると申し訳ないので、一言、御報告まで。まだ、ちょいと療養が必要であります。

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2005年09月16日

icon長生きできませんよ。


 夢の中に若先生が出てきた。若先生と言っても、いつもお世話になっている若先生ではなく、髭の若先生である。幸い、ここ五年程お世話になる機会がなく、それ故、お会いしていない。
 夢の中では、対座して酒を酌み交わしている。「どうですか。呑み過ぎには注意しないとね」などとおっしゃる合間に、ぐびぐび呑まれる。こちらも負けじとぐびぐび呑み、「先生ももうお若くもないのだから、呑み過ぎには注意が必要ですぞ」というようなことをぶつけると、「医者の不養生って言葉あるぐらいで、医者というのは不養生でいいんですよ」と豪快にお笑いになる。何度かお見掛けした看護婦さんが出てきて、「お二人とも、いい加減になさいまし」なぞと叱られたりしてね。そんな馬鹿な夢を見た。
 目覚めて、ぼんやりした頭で、何故、あんな夢を見たんだろう、と考える。夢に意味があるかないか、ということは、私のような盆暗には判る由もないけれど、印象的な夢を見ると、何となく、何故、こんな夢を見たんだろう、などと思うのであります。髭の若先生が登場したということは、怪我か何かに注意しろ、というお告げかね、などと。ふと、カレンダーに目をやると、十六日に丸が付いている。ああ、そう言えば、今日は、四週間振りに若先生……こちらは、いつもの内科の若先生であります……のところへ出向く日ではないか。しかも、年に一度の健康診断を受ける日である、と思い出す。夢はこのことを教えてくれようとしたのだろうか。
 兎にも角にも、ざざざっと身支度をして、行って参りました。心電図だとかレントゲンだとか、あれこれをこなす。若先生のお見立てでは、今日の時点で判る範囲では問題はないそうな。去年と同じぐらいだそうである。後は、来週、検便と血液検査の結果が揃ってから、検討しましょう、と。そして、例によって、呉々も呑み過ぎないように、と釘を刺される。惚山さんは無茶のみするみたいだからなあ。そんなことでは、長生きできませんよ、と仰る。はあはあ、承知致しました。少々控えめにやることにしますよ、とお答え申し上げたけれど、内心では、私なんざもう十二分に長生きしていますからね、いくら呑んだってかまやしませんよ、などと思っている。嫌な患者だね。然り乍らも、少しだけ反省して、本日ばかりは、澤乃井は控えめにいきますか。

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2005年07月31日

icon忘れてしまった


 棋聖戦を見逃し、しかも、その見逃した試合で羽生先生が負け、結果としてタイトルを逃してしまった。そのことをうじうじと考えながら、昨日はずるずるだらだらと呑み続けていたもので、本日、大変な宿酔で苦しんでいる。暑さと悪心で熟睡できず、眠いし、気持ち悪いし、暑いし、眠いし、気持ち悪いし、暑いし、眠いし……と、嗚呼、どうにもならない午前中であった。昼になって、少し気力が出てきたけれど、未だ未だ胸の中のもわもわとしたむかつきは消えない。少しでも何か食べないといけないと思う。こういうときには素饂飩が何よりだとは思うけれど、福寿庵に素饂飩一つだけを出前してくれ、とういのは、幾ら何でも申し訳なくて言える訳がない。子供時分からの付き合いだとは言え、先方は家業としてやっている訳ですからな。
 ごろごろしながら水を飲み、ごろごろしながらテレビから流れてくる音を聞いている。見苦しい有り様だ。酒を嗜むようになってから六十年にもなろうてえのに、未だに二日酔いで苦しむなんてのは愚の骨頂じゃありませんか。嗚呼、愚かなり、愚かなり。愚かなるぞよ、茄子彦くんよ。

 夕方になって、少し立ち直ってきたので、自力で素饂飩を拵える。拵えると言っても、大師匠から頂いた蕎麦つゆを水で割って、そこに昆布と酒を落として暖めるだけである。うどんだって、買い置きの乾麺である。こうやって弱っているときには、普段は蕎麦しか喰わない私なのに、饂飩が食したくなるというのはどういう訳でしょうな。まあ、兎にも角にも、目出度く熱々の素饂飩をふうふういいながらいただき、汗をどぼどぼ流したら、大分、正常に近づいてきた。もっとも、正常と言ったって、元来がぽんこつですからね、他人様の正常には程遠い。人心地が出てきたところで、はっと思い出した。すっかり忘れていた。慌てて、小庭に飛び出してみると、地面はからからのかんからりんに干涸びておる。セニョール・ハバネロを始めとして、どの草もすっかりしょげ返ってしまっている様である。何とも申し訳ないことをしてしまった。慌てて、じゃんじゃんと水を撒きましたよ。濡れた葉が何とも言えぬ緑に輝き、元気を取り戻していくのが手に取るようにわかる。熟、申し訳ないことをしてしまいました。今後は決してこのようなことのないように、精進致すによって、平に御寛恕の程をお願い申し上げまする。

投稿者 nasuhiko : 18:34 | コメント (0) | トラックバック

2005年04月10日

icon馬の油4


 彼此一ヶ月以上もソンバーユなるものを使用している。左手にだけ塗るという件の成果だけれど、その後、大きな変化はない。左手の方が右手よりはすべすべしてきているのは明らかなので、この実験は終わりにして、今日からは両手に塗っていくことにしよう。どうせなら、両手すべすべの方が良いに決まっておる、誰かが私の手に触れるということなどないとはいえ。
 さて、肝心の、おでこの痒みの件である。これが一進一退といった印象なのだけれど、総じて眺めれば快方に向かっているようである。このソンバーユは天然の馬の油だけなのであって、化学薬品などは入っていないようだから、効果が緩やかなのは仕方がないだろう。というより、ステロイドなどの化学の力ずくの方法論に恐れをなして、漢方だの、天然だの、と言い出したわけで、この緩やかさが躰に良いのだと信じたい。まあ、命に関わるような問題でもないし、痒くて痒くてどうにもこうにも辛抱ならん、というような状態は脱しているので、じわじわと治ってくれれば良い
のである。このまま続けてみようと思う。
 馬の油が良いですよ、とすすめて下さった方に教えていただいた本によると、それこそ何にでも効きそうなことが書かれている。あまりに何にでも効くように書かれ過ぎているので、些か胡散臭い気がしなくもないけれど、付け過ぎたからといって害がありそうもないので、老体実験を繰り返しましょうぞ。インフルエンザにやられてから、前にも況して膝の調子が宜しくない。そりゃねえ、七十年以上も使い込んでいるわけで、老朽化が甚だしいのは仕方ないのだが、折角だから、膝にもソンバーユを塗ってみようという気になった。塗り心地も良いし、塗って悪いということはないだろう。病は気からというのだから、気休めになりさえすれば、それも一つの薬効と言えなくもない。
 ふと考えるに、近頃じゃあ健康のことばかり、気にしているようで、厭になりますな。中年と称されるような歳になってから以降、友人たちが寄ると集まると、体調不良比べ、病気自慢を始めるようになった。何処にでもある光景だろう。そんなことを繰り返しているうちに、自らの、少しずつ自由を失っていく、病体や老体に慣れてくる、という効果もあるのだろうけれど……。
 老い耄れ老い耄れと、自嘲を気取った気持ちも少しはあったのだけれど、冷静に考えてみれば、文字通り、故障だらけの老体なのですよ。くさくさしますな。躰が弱ると、心が弱る。心が弱ると、ますます躰が弱る。ますます躰が弱ると、ますますますます心が弱る……という、悪循環に陥っておるじじいであります。

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2005年04月09日

icon桜の下を歩く


 体調も大分上向いてきたので、暫く振りに長めの散歩に出る。満開の染井吉野。名所という訳でもないのに、樹下に陣取って杯を酌み交わす人々がいる。花見というと、大勢連れ立って、騒々しくやるのが一般化してしまっている。酔狂とはよく言ったもので、酒を呑み、酒に呑まれ、老いも若きも相揃って燥ぎ興じる姿は、日本を代表する景色の一つだと言っても良かろう。羨ましい気持ち、微笑ましい気持ち。はたまた、些か鬱陶しい気持ちを持つことも、なくはない。
 大宴会、それも良い。けれども、花弁がひとつふたつ、はらりはらりと舞うのをゆっくりと目で追いながら、静かに呑む酒も悪くない、とも思う。私にそんな相手がいるだろうか。思いつかない。結局、一人でやるしかないのでしょうなあ。我が荒屋からそう遠くない広場の桜の樹の下のベンチで一休み。病み上がりで、ちょいと歩いただけで、すぐに息があがってしまう。情けない話である。

 猶も、ふらりふらりと散歩を続ける。穏やかな光とゆったりとした風が気持ち良い。誇るように満開の花も良いけれど、散る花も結構ですな。大風でざばざばと振り落とされるのは味気ないけれど、今日のような、のんびりとした風で、思い出したようにはらはらと舞い落ちる花は名状し難き風情がある。しかも、これが良いのは、散ったあとには、新緑が待っているというところにある。一頻り、華々しく世を謳歌した花は、新しい緑に場所を譲る。未来に向けて散るのであります。この見苦しい生き様の老い耄れは、その潔い姿に興趣を感ずる、というより、憧れるのですよ。私は次の時代の人々のために何かを残しただろうか。颯爽と道を譲っただろうか。そんなことを思うと、薄桃色の花弁に、甘酸っぱい回顧の念を引き出されるのであります。ああ、そんな春の午後。

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2005年04月08日

iconのんびりと振り返る4


 少しだけ気力が整ってきたので、えっちらおっちら若先生の元に出向くと、インフルエンザのA型というものであるとの見立てを頂戴した。けれども、効果のある薬は発病してから比較的早い時間に、何十時間かの内にでなくては意味がないそうであり、私の場合、その意味では機を逸したそうである。兎にも角にも、解熱剤だの痛み止めだの胃の薬だの何だのを処方され、呉々も大人しくしていろと諭されて、とぼとぼと家路を辿る。
 家に帰って、大人しく蒲団に収まり、ぼんやりする。薬が効いているから、いつの間にかうとうとして、夕方目が覚めた時には、かなりすっきりした気分になっていた。床の中で、目を閉じたり開けたりしてみたけれど、先日の南の島の海岸のような景色は浮かんでこない。忘れないうちに、絵に描いておかねばならんなあ、と思ったところで、インターネットの日記を放ったらかしたまま何日も経っていることに気づいて、びっくりする。欠かさず頑張っていたものが、気にならないほど弱っていたのだなあ、と、インフルエンザの暴威に感心するほどである。放っておくとどうなってしまうのか、と気になって仕方がない。うじうじしていても埒が明かないので、決心してマックを付けてみた。ほほぅ、表示される分量がちょっと減っているだけで、日記はなくなってはいないのであった。ついでに、メールを見てみてびっくり。私の身を案ずるメールが幾通か届いていたのである。まずは驚嘆し、目を疑った。けれど、その文章を読んで、涙が出た。こんな枯れ果てたじじいのくせして未だ涙が滴るとは。ああ、何とも有り難い。この妄言に暴言を重ねるが如き日記を続けてきて良かった、と心底思う。この老い耄れの身を案じて下さる人々が、世界のどこかにいるのですぞ。勿体ない話です。感謝感激、そして感涙。

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2005年04月07日

iconのんびりと振り返る3


 火曜の朝には少しく快方に向かっているという感じがし始めた。けれども、寒気がさらず、くらくらして力が出ない。何か食べなければ、体力が持たないぞ、と思うのだけれど、何かを作ろうという気にはなれない。結局、冷蔵庫の中の蒲鉾を齧るばかり。あのスパイ面をしたちび猫を探し求めて薄着でほっつき歩いたことが引鉄になって風邪を引き、ちび猫用に買い込んであった蒲鉾で辛うじて食を繋ぐ、というのも、何だか皮肉な話ではある。
 快方に向かってきたのだけれど、お蔭で、如何にも風邪らしい、咽喉や頭、関節の痛みに苦しみ出す。高い熱が出ている間は、風邪の苦しみというよりは、少しくふわふわしたような、息苦しさが中心のよくわからない、心の迷いのような、病状だったように思う。遡って考えると、その間は、然程辛くもなかったのかもしれぬ。孰れにせよ、あやふやな記憶、あやふやな感想に過ぎぬけれど。
 斯くして、朝からひたすら寝床でうんうん唸っているような状態が続いた。マリだの、母上だのに助けを求めたいような、何とも男らしくない有り様である。その情けなさが届いたのか、助けが訪れた。田村師匠と円嬢である。老耄日記の更新が止まったのを訝しんで訪うてくれたのである。忝ない話だ。私のみっともない伸び切った姿をみると、急いで走り回って、プリンやヨーグルトといった食べ物、栄養剤、すうすうする飴の類、風邪の苦しさを軽減するという紙のマスク、などなどなど、あれこれと買い求めてきてくれた。何と感謝して良いのやら。うつしてしまっては申し訳ないので、早々にお引き取り頂き、独り、床の中で感謝の念を噛み締めた。感涙。実に有り難う。孰れ、必ずや、この御恩に報いますぞ。

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2005年04月06日

iconのんびりと振り返る2


 目が覚めると、もうどろんどろんになっていた。何時だかわからないけれども、日は出ている。兎に角、熱っぽい。尋常ならざる熱っぽさである。元々もやもやしている思考が益々ぼやけて何が何だかわからない。兎に角、肩口の辺りを中心に猛烈な悪寒に襲われ続ける。咽喉もが痛い。目が乾く。何をする気も起きないし、何をすれば良いのかもわからない。辛うじて、厠まで這い蹲って用を足す。ついでに、水を飲む。水をごくりと飲む度に咽喉が痛い。痛いけれども、どうにも水を欲する本能がある。そして、また床に就く。床に就く、というような風ではない。実態は、倒れ込む、という有り様。
 次に、目が覚めたのは夕刻近くだろうか。未だ日は残っている。相変わらず、悪寒が酷い。咽喉も痛い。腰も痛い。膝も痛い。頭まで痛くなってきた。水を飲む。考えがあちらこちらにぶわぶわして纏まらないのは相変わらず。けれども、兎にも角にも、薬箱まで這っていき、漁ったところ、パブロンエースを発見し、服用する。その前に、何かを食さねば、と思い、冷蔵庫を開けたのだけれど、吹き出る冷気が恐ろしく感ぜられ、結句、何も喰わずに、薬を飲む。眠くなる成分が入っていたのだろうか。次に気付いた時には、深更。猶も、悪寒は続いている。痛いとか重苦しいというよりも、訳が判らない精神状態に陥り、呑み過ぎの状態に似ていると言えなくもないようで、ぼやんぼやんとして、心が定まらぬ。目を閉じると、いつかのように鮮やかな色が目紛しく飛び交うのかというと、今回は違う。目を閉じると、森の中から覗き見る海岸の景色。ジャングルのような、濃緑の木々の間から、白茶けたような砂浜が見える。目を開くと荒屋のおんぼろ部屋。また目を閉じると海岸。何なのだろうか、これは。しかも、じっと見ていると、どこか懐かしいような気がしてくる。けれども、一度も、こんなところに行ったことはない。目を開けたり閉じたりを繰り返しながら、ここはどこだろう、と思い巡らす。いやいや、そんなことをしている場合ではない、と、起き出して、冷蔵庫を漁る。とっとと喰えそうなものは鈴廣の蒲鉾のみ。二切れ齧って、薬を飲む。水をがぶ飲みする。あまりに急いているので、口の端から滴り落ちた水が、咽喉を伝って、胸に入り込む。冷たいが、気持ち良い。一頻り呆然としてから、床に就く。すぐに眠りに落ちた。

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2005年04月05日

iconのんびりと振り返る

 二十七日の朝、羽生先生と山崎青年の決勝戦の再放送を前に、早々と起き出して、雑事を済ませ、羽生扇子を片手にテレビの前に座していたところ、少々、熱っぽい気がする。騒ぐほどのことではあるまいな、と思いながらも、手近にあった体温計で計ってみたところ、三十六度五分。私の平熱は三十五度八分か九分といったところだから、成程、微熱がある状態だ。けれども、そんなことをいちいち気にしていても仕方がないので、声援に励む。先週見た通りに、山崎青年は早い段階からどんどん時間を費やしてしまって、敵方である筈の、私さえ心配になるほど。そうは言っても、神風を吹かす応援の手を緩める訳にはゆかぬ。熱っぽいもので、扇子で煽ぐと妙にすうすうして気持ちが良いのを幸いに、いつにも況して、振り回す。しかしながら、よくよく考えてみれば、これは地震で放送が途切れてしまった分の再放送なのであるからして、私がいくら煽ごうとも勝負の行方に影響があるわけなどないのである。ないのであるけれども、そんなことを言ってられないのが、馬鹿なところ、というのか、あるいは、自己弁護するならば、純情なところ。一所懸命、風や吹け吹けと、右へ左へ扇子を揺らす。山崎くんよ、残念だったなあ、もう時間の問題でしょうなあ、と思いながら、一休みして一杯やったりしてね。また、思い出したように扇子を振り回したり、と、余裕を見せておったわけである。ところが、何たることか、終盤になって、突如として、羽生先生の旗色が悪くなった。慌てて、杯を置いて、力の限りに神風を起こそうとしたものの、時既に遅し。再放送を考慮に入れれば、まるまる一週間以上遅い。兎にも角にも、残念ながら、逆転負けを喫し、NHK杯は少年の手に渡ったのであった。敵ながら天晴れ。山崎時代もそう遠くないかもしれない。いやいや、渡辺くんだっているのであった。将棋界は新しい才能がどんどん出現して、安泰ですなあ。
 羽生先生が負けて気落ちしたこともあるし、応援に力を入れ過ぎたのもるし、ますます熱っぽい気がしてきて、再度、熱を計ると、何と、三十七度四分。あわわわ、これは大変だ。風邪に違いない。悪化する前に大人しく寝た方が良い。とは、思うものの、NHK杯の、女流棋士のたった一人だけの出場権をかけた清水さんと中井さんの試合を午後から放送する、と知らされ、それを見てからでも良かろう、という気になる。まあ、一時間ほどあるから、と、買い置きの乾麺で笊蕎麦をのたくたと拵えて、つるっとやって、ついでに澤乃井を嘗める。蕎麦と酒、良いものですなあ。日本に生まれて良かった。などと、調子に乗っているうちに、放送が始まる。ところが、この辺りから記憶が目茶苦茶になってきてしまう。熱と酔いとでね。白状すると、試合の結果もわからないほど。兎にも角にも、最後の明確な記憶は、女流戦の終了後、体温計が三十九度五分を指していたことだけである。躊躇なく、床につきましたよ。床についたのですが、時既に遅かったわけですな。

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2005年04月04日

icon猛烈に消耗した

 未だ完治とは程遠いものの、少しずつ日常生活に戻っていこうとしている老耄である。人々よ、インフルエンザを侮る勿れ。実に恐ろしいものなのであります。若先生によれば、高齢者には命を落とす人さえいる、という。老体ながらも私は何とか持ち堪えたけれど、テレビのニュースでは、ローマ法王もインフルエンザが引鉄となって……と伝えていた。私如きの冴えない者の命と比較するのは恐れ多いけれど、病や死はどのような立派な人の上にも、私のような訳のわからない呆けた者の上にも、平等に訪れるのであるなあ、と思われ、些か神妙な気持ちにならざるを得ず。御冥福をお祈りする。尤も、無宗教を自任する私の出る幕ではないのだろうか。いやいや、死を悼む気持ちに宗教は関係ない。心から、お祈り申し上げる。

 年末には並の風邪に倒れ、今回はインフルエンザに倒れる。基礎体力というのが足りないのでしょうな。脳みそだけでなく、肉体も着々と老化しておるのである。当たり前だ。ちび猫捜索のために、近所を薄着でうろついたのがいけなかったことは明白である。酔っ払って勢いがついていたもので、上着を羽織りもせずに、下駄履きでよろよろ路地を歩き回ったのがいけなかったのだ。全く以て、あの宇宙人の顔をした猫には振り回されっ放しのこんこんちきである。

 若先生曰く、高熱が続いて、思っている以上に猛烈に体力を消費していますから、呉々も今暫く、大人しくしていて下さいよ、とのこと。老いては子に従え、という諺がある。若先生が私の子供であるわけではないけれど、老い耄れは若い人の言葉に従うことにして、今日のところは、これぐらいにして、のんびりだらだらすることに致しましょう。

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2005年03月31日

icon流行性感冒に臥す

 高熱を発し、元から盆暗な頭がより一層くらくらし、元からよろよろの足元がますますふらふらな状態。若先生の見立てでは、インフルエンザのA型というものである由。
 長く大人しく、大人しく長く、床に臥しておった次第。本日、辛うじて、マックをつけてみたところ、日記が止まった、すは一大事か、と、私の如き老耄の身を案ずるメールを何通か頂戴し、感涙に噎びて鼻水が止まらぬ有り様。実にありがとうございます。まずは、無事をお伝えしたく、一筆した次第。感謝感激を胸にして、今からまた寝ます。また後日。

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2005年03月15日

icon馬の油3


 ソンバーユという馬の油を塗り始めて、どれぐらいになるだろう。彼此二週間ほどか。毎日毎日、謂わば、人体実験を続けている老耄である。それで、効果の程は如何なものか、ということでありますな。左手だけに塗り、右手と比べれば一目瞭然と思っで始めたことだったのだけれど、気を抜いていると、ついつい右手にも付いてしまうことになる。考えてみれば、左手の甲に塗る以上、右手の掌で広げるわけだから、当たり前と言えば当たり前のこと。それで揉み手などすれば、両手に満遍なく付いてしまったりして。こんなことなら、実験対象を手ではなく、足の甲にでもしておけば良かった、と思わなくもない。
 兎にも角にも、結果、左手の方が明らかにしっとりすべすべしてきている現実がある。おお、何たる絶大な効果だろうか、と手放しで喜ぶべきだろうか。喜んでも良い。勿論、喜んでも良いのだけれど、ふと考えると、では、他のクリームの類を使い続けた場合、どうだろうか、という疑問がそこにある。ううむ。どのようにすれば効果を、他のものと比較しての効果を証明できるのだろうか。固化した脳みそを幾ら揺すってみても方法など浮かぶ筈もない。手の甲をしっとりすべすべにするより先に、固まった脳みそをしっとりすべすべにするクリームが必要な吾輩である。だが、しかし、少なくとも、ソンバーユには私のような老い耄れの手の甲を少なからずしっとりすべすべにする効果があったのは確かな訳なので、取り敢えずはそれで良しとすべきだろう。私は科学者でも製薬会社員でもなく、一介の干涸びた老人に過ぎぬのだから。
 さて、そもそも事の発端となった額の痒みの方であるが、こちらに関しては、一進一退が続いているものの、気がついてみれば、少しずつ前進している、というところだろうか。なんだい、そりゃ大したこたないね、君ぃ、などと仰る方もおりましょう。けれども、劇的に効くわけではない、というところが、何とも嬉しいのである、私にしてみれば。何となれば、もし、これで塗った途端に治ってしまう、などというようなことであれば、それは恐らく、何でしたか、ステロイドだったか何だったか、呼称は兎も角も、化学が生み出した悪魔の薬に決まっていましょうぞ。然れば、副作用があるかもしらん。副作用がない場合でも、繰り返し使用すれば効果が薄れてしまう、というものである筈。ちょっとした症状にはビタミン剤ぐらいしか、わしのところでは出さんのだよ、と、麻田醫院の、先代の、じいさん先生が仰っておられたのを思い出した。然るに、息子の代になってからは……という愚痴は止めておくことにしますか。彼には彼の料簡があるのだろうから、気に入らなければ世話にならなければいいわけで、そして、だから、こうして私は、彼のくれた薬をほっぽって、ソンバーユで老体実験をしておるわけですけれどね。
 孰れにしても、もう少し実験を続けて様子を見ることにしようと思っておる次第。効果の程は、また追って報告させて頂きまする。尤も、みなさん、そんな報告を楽しみに待っているとも思えませんが。

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2005年03月02日

icon馬の油2


 馬の油が躰に良いぞよ、との御助言を頂戴したので、早速、注文しておいた。先週のことだったろうか。今朝、その馬の油が到着した。ソンバーユという代物である。漢字で尊馬油と書かれてあるので、それを強引にカタカナ読みにしたものなのか。何語だか判然としない響きである。外観は普通の化粧品のそれのようでありながら、妙に素っ気ない感じがする。それが飾る為のものと健康の為のものとの差なのだろう。馬てえものを差別するわけではないけれど、やはり、その、何というか、少々生臭いというか、獣臭いのではないか、と些か懸念していたのだけれど、杞憂に過ぎなかった。その白いクリームが完全な無臭かというと自信がなくなるけれど、私の老化した鼻には無臭に感じられるという程度には無臭である。寧ろ、あまりの素っ気なさに肩透かしを喰らったような気がするほどである。
 件の額の痒みの部分に行き成り塗ってみることには、何となく抵抗があったので、取り敢えず、両手に塗ってみた。成程、すいすい吸い込まれていくようである。クリームの類に特有の、べたついた感じはあまりない。論理的な根拠はないものの、何とはなしの好感触を得て、いよいよぱさついてうっすらと赤黒くなっている問題の部分に、少々遠慮がちにではあるけれど、塗ってみた。どうだろう。勿論、塗った途端に何らかの変化などある筈もない。ただ、何となく、するするぬるぬるっとした感じがこそばゆいような気持ち良いような、微妙なところ。即効性を期待しているわけではないし、それは無理な要求でありましょう。兎にも角にも、暫く使ってみることにしますか。しかし、馬の油は万病に効く、という勢いの触れ込みだったのだから、ただ、おでこの痒み対策だけではつまらない。どこか他に使うところはないか、と考えた結果、ちょっとした実験をしてみることにした。左手だけに塗るのである。これを続けていれば、この老いぼれじじいのかさかさの手も、左手だけはつるつるになる筈である。手間もかからず、結果も判別し易い、なかなか気の利いた遊びではありませんか。今日はもう両手に塗ってしまったので、明日から、左手だけに塗ることにしよう。どうでもいいようなことではあるけれど、結果が楽しみですなあ。

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2005年02月22日

icon馬の油

 半月ほど前でしたかね、おでこのところが、何だか赤黒くなったような感じで、何とも彼んとも、堪え難い痒みに苦しんでいる、というようなことを書いた。西洋医学なんぞ、もう止めて、漢方に縋ろうか、というようなことで尻切れ蜻蛉になっていた。まあ、言ってみれば、年寄りのぼやきというか愚痴というべきか、孰れにしても、見苦しいことを書いたものであって、実にみともない話である。ありがたいことに、そんな呟きを気にかけて下さっている方がいらっしゃって、丁寧なメールを頂戴した。駄目かもしれませんけれど、という前置き付きで、馬の油というものを勧めて下すった。この老いぼれが朦朧とした脳みそで訳の判らない妄言を書き散らす、埒の明かない日記を読んで、御助言を戴けるのは全く以て幸せな話である。こんな干涸びた脳みそで、どうにかこうにか日々を過ごしておるわけで、新しい事はすっぱりと忘れ、古い事はどんよりとぼやけてくる。そんな曖昧な記憶を手前勝手に解釈したり繋ぎ替えたりしてしまって、頭の中は渾沌としていてね、放っておくと、どんどんどこどこ違うところに進んでいってしまう。そんなわけで、木澤くんの上さんだって、本来なら一キロで何千円もする味噌なんぞ買うわけはないのだけれど、どうした拍子かに、あんなことになってしまって……と、こんな具合に話が取っ散らかってしまうのが、老耄混乱脳みその特徴である。
 そういう話ではなく、馬の油というものが、万病に効果がある、という御助言の件。丁寧に書籍や馬の油製品のあれこれも記されてあった。メールというものは、コンピューターのきれいな活字で表示されるから、読み易いという利点があるものの、手書きの書簡の類に比べて人間味に欠けると思ったりすることもあるけれど、あれですな、活字になっていても、行間から滲み出るというのか、メールからでも人柄が窺えるもの。何はともあれ、ここは一つ、馬の油なるものを試してみることにいたしましょう。

 活字になっていても、人柄が滲み出る、というのは、考えてみれば、当たり前のことである。何しろ、百鬼園先生の御著書など、現代の仮名に直された文庫本であろうとも、そのさっぱりとした活字の紙面からでも、大きにその人柄が窺い知れようというもの。そう考えると、私の薄っぺらで歪んだ人柄も、この莫迦げた文面から、少なからず知れてしまうのでしょうなあ。恐ろしいことだ。世界中の人に、薄っぺらで歪んだ厭なじじいだと知られてしまうなんて。

投稿者 nasuhiko : 20:54 | コメント (0) | トラックバック

2005年02月11日

icon風邪気味


 昨日は頭痛がしてきて、早々に就寝してしまったが、今朝になってみたら、鼻水が垂れておる。考えすぎで頭が痛くなったのかと思ったが、実は、風邪の初期症状だったようである。昨年の風邪の際に若先生に頂いた薬があったはずなのだが、みつからない。薬を放り込んでおく引き出しに入っていないとなると、もう、どこを探して良いのやら。素直に若先生のところに出向けば良いのだけれど、こんなものはほんの鼻風邪に過ぎず、大人しくしていれば治りそうなもんじゃないか、などと思うもので、腰が重い。暖かくして、精のつくものでも食して、一杯二杯引っかけて眠ってしまえば良いではないか、と。

 そんなわけで、本日は大蒜を一塊、まるごと焼いてつまみにしている。自家製のコチュジャンを付けると、堪りませんな。いやあ、汗がじわじわと滲むように出てきて、これだけで、柔な風邪なんざ、どこかに飛んでいってしまいそうである。うまくて、しかも、健康にも宜しい。ああ、無宗教の私であるけれど、何かに感謝したくなるような心持ち。ありがとう、大蒜よ。ありがとう、コチュジャンよ。そのコチュジャンを伝授してくれた、チョ先生の本にこそ感謝しなければならないのではないか。ありがとう。
 ちょっと良い調子になってきたね。何杯目だろうか。まあ、こういう時には、良い呪文があるのである、酒は百薬の長ってね。はは、そう言いながら、また、若先生に飲み過ぎだ、なんて怒られているわけなんだけれど、まあ、良いじゃありませか。いいじゃぁ、ないのぉ、幸せならばぁ……そんな歌がありましたなあ。誰が唄っていたのだったか。マリが台所でよく唄っていたのを思い出す。ああ、佐良直美だったろうか。マリは家事をしている時には、何故か、歌謡曲や演歌ばかり唄っていた。「アカシアの雨がやむとき」やら「夜明けのスキャット」やら「夢は夜ひらく」などなどなど。考えてみると、フランス女が台所でそんな鼻歌を唄いながら包丁を振るっている姿は、今になって思い返すと、些か妙ですな。そうは言っても、それが私たちにとっては日常だったわけですが……。
 思わぬことから、しんみりしてきてしまった。それもこれもすっかり呑み過ぎたせいに違いない。もう寝ることに致しまする。ごきげんよう、また明日。

投稿者 nasuhiko : 22:56 | コメント (2) | トラックバック

風邪は、馬鹿にできませんよ、私も5日間寝込みましたからね。なすひこさん、お大事になさってください。いつも読ませて頂いてます。初めてお便りしますが、コメントするのは、後にも先にもこれがはじめてなんです。じつは、パソコン初心者なんです。なすひこさんのプログなにげないんですが、心落ち着きます。名乗るのは、次回にさせてください。男の料理シリーズなかなかですよ。

投稿者 Anonymous : 2005年02月12日 01:52

今までこちらのコメントに全く気付きませんでした。平に平に御容赦下さい。私もコメントというものを頂くのは初めてなもので、勝手がわからず、実に失礼致しました。

私の如き理の判らぬ呆気者の落書きを読んでいただいた上に、暖かいお言葉まで頂戴し、感涙に噎ぶ思いで御座居ます。
今後とも末長く宜しくお願い致します。

茄子彦拝

投稿者 茄子彦 : 2005年02月25日 16:59

2005年01月26日

icon皮膚科へ


 ここのところの連日の深酒が祟ったせいか、額に湿疹様のものができ、矢鱈に痒くなる。あまりの痒みに耐えかね、近所の皮膚科に向かう。二十年振りのことなので、まだやっているかどうか不安だったが、他に付き合いのあるところがあるでなし、取り敢えず、麻田醫院を覗いてみようか、と。とぼとぼとぼとぼと緩やかな坂を上っていく。ああ、あるではないか。この町のあちらこちらで、様々なお店やお医者が看板を下ろしてしまった。それはこの辺りに限ったことではないだろうし、時とともに町だって移ろいゆくものなのである。けれども、七十年あまりもここで暮らしている老いぼれが寂しい気持ちになるのはしかたがない。
 老残の身を曝して生きる奴吾如きが言うのもおかしな話だが、待合室にいるのは老人ばかりである。しかも、私よりも年輩の婆さん連中ばかり。皮膚科なので、大病に苦しんでいる体の者はおらず、井戸端会議に花を咲かせている。私が入っていくと、一瞥の後、無視無視無視無視無関心。要するに、相手にするほどの者ではないという判断なのだろう。ふん、此方人等だって、手前どもみたいなばばあの相手なんざしておれん。
 待つこと暫し、大変優しい看護婦さんに誘われ、診察室に入ると、ははあ、やはり代替わりしている。考えてみれば、先代は、二十余年前に、既に、爺さんの風貌であったのだ。亡くなっていてもおかしくはない。帝大出で英語、独逸語の原書を海外から取り寄せて読んでいる、という噂のあった、勉強家だったが、息子の方は、こう言っちゃ何だが、似ても似つかず、私学の医学部に寄付金付きで何とか入れてもらったと評判になったことさえある。まあ、近所の口さがない噂話なんざ当てにならないものだし、そもそもそんなことはすっかり忘却の彼方に置いてきてしまったはずだったのだが、御当人の只管のんびりした顔を見た途端、突然、こんなどうでも良い記憶が蘇った。老耄の脳の構造は如何なる具合になっているのやら。
「おでこですか。ははあ、確かに赤くなっていますな」「近頃、飲み過ぎてまして、ええと」人の話をみなまで聞かず「うんうん、そうかもしれませんね。他にお医者さんにはかかっていますか」と尋ねてくるので、若先生のところに月に二度ほど出向いて、日に錠剤三十錠、薬包二つを服用していることを伝える。
「ほうほう、そうですか。それじゃあ、薬負けかもしれませんねえ。はい、もう結構ですよ。お薬出しておきますね」と、あっという間に診断は終わり、診察室を追い出される。それにしても、薬負けかな、と言いながら、更に薬を服用させようとするとは何事ぞ。一体、西洋医学とはどうなっておるのだろうか。釈然としない話である。少なからず、心配になってきたので、西洋医学とは絶縁して漢方の先生でもみつけようか、という気にさえなる。

でこ痒し 枯れ木も山の賑わいか
  待合室に 枯れ尾花

 駄洒落混じりのふざけた三十一文字を連日読まされる身にもなれよ、と申されますか。ははあ、以後、慎みます。

投稿者 nasuhiko : 11:43 | コメント (0) | トラックバック

2005年01月14日

iconお腹こわしました。


 お腹を壊す、という表現は、字面を見る限り、中々に物騒な物言いであるのだが、不思議と耳当たりは柔らかい。柄が悪く、厳つい外観の、例えば、髪を金色に染め、鼻から耳から舌や臍まで、もしかしたら、他人様には言えないようなところにまでピアスをぶら下げているような人々でも、「お腹こわしちゃって……」と口にすると、ちょっと情けないような、でも、その辛さわかりますぞよ、というような親近感を持てるような、微妙な間合いで、一瞬、友情が湧いてしまうような気さえする。また、こんな馬鹿なこと書いてますが、そんな恐いバンドマンの如き風采の知り合いが実際にいるわけではないので、飽くまでも、想像でしかござんせん。
 兎にも角にも、「お腹をこわす」というのは、病気というには力不足、でも、それなりに辛くて、かつ、誰もが経験しているものなので、ある種の、「同病相哀れむ」的な共感を生むのだろう。危険度が極めて低いからこそ、成り立つ図である。

 今朝方、ぼんやりと寝呆け眼でテレビを見ていたら、ちょっとした下痢だと馬鹿にしてはいけません。高齢者の場合死に至ることもありますからすぐに検査を受けた方が宜しい、というような、脅迫めいたことを白衣を着たおっさんが言うておる。伝染性のあるノロウィルスに冒され、亡くなった老人もちらほらいるのですぞ、というようなことを力説している。また何だかわからん病原菌が出てきたな、と。そんな番組を見ていたせいか、腹がごろごろ言い出して、慌てて、厠に駆け込む。ううむ、まさに下痢である、尾籠な話で申し訳ないけれど。きゅっと腸の辺りが軽く締め付けられるような痛みもある。もしかしたら、件のノロウィルスにやられてしまったか、と思ったら、普段は惜しくも何ともない命だけれど、こんなことで死ぬのかいなと力が抜けて、どぎまぎしてきた。若先生のところに駆け込むべきだろうか。そうかもしれない。だが、そうしたら、きっと入院ということになり、二度と表を歩くことなく店仕舞いになってしまうのではないか。そんなことなら、その前に、もう少し呑んでおかねば、と半ばやけくそになりながら、いつもより良いピッチで澤乃井を呷る。呷る。厠に何度か飛び込んだけれど、昼前にはすっかり泥酔して、気がついたら、下痢も腹痛もすっかり治まっていた。大方、寝相が悪くて腹を冷やしただけだったのだろう。はは、暢気だね。暢気はいいけれども、粗忽者てぇやつは少しく悲しいものですな。情けないやら、恥ずかしいやら、馬鹿馬鹿しいやら。兎にも角にも、もう寝ます。

投稿者 nasuhiko : 13:59 | コメント (0) | トラックバック

2004年11月23日

icon風邪4

 風邪も治りかけくるてぇと、無抵抗にやられてばかりだった状態から、あれが喰いたいだの、誰か見舞いに来ないものかだのと、勝手なことを思い始めますな。そのくせ、いざ、立ち上がって何かしようとしてみると、一歩ごとに、あっちにふらふら、こっちでくらくら、という有り様で、厠まで辿り着こうとするだけで難儀する。用を足して床に戻った頃には、ふうふうぜいぜい。多少なりとも快方に向かってはいるものの、躰は言うことを聞いてくれない。

 寝込んでいると音楽だけが楽しみである。枕元に転がっているCDを取っ換え引っ換え聴くともなく聞いている。病床にあって、ジャンゴ・ラインハルトの『セプテンバー・ソング』を耳にすると、マリのことをどうしても思い出してしまう。人の命の長短にあれこれ文句をつけてもどうにもなるものではないけれど、それにしても、彼女の人生は少々短すぎた。美人薄命とはよく言ったものである。

 彼女が何くれとなく世話をしてくれる。そろそろお休みなさいな、一番のお薬は眠ることよ、などと……額に手を当て、あら、もう熱も下がったみたいね、などと……林檎をおろしましたから少しお上がりなさい、などと……。

 マリの手は何しろ白くて白くてつるつるしておったものです。もっとも、彼女以外の女性の手をしみじみ触ったり間近に眺めたことは殆どないわけで、比較のしようもない。記憶の川をどんどん遡れば、七十年ほども昔の母の手が思い浮かぶけれど、やはり、それも比較のしようがない、というより、比較の意味がない。母の手、それはやはり典型的な亜細亜人種の手ですから、ちっとも白くはありませんでしたな。肌色というよりは、寧ろ、茶色い、というような。

 私がどうにか治ってくると、今度は、彼女の方が倒れてしまう。私は、当時は料理など全くできませんでしたから、仕方がないので、店屋物のうどんで済ませたりすることになり、考えてみれば、マリには申し訳ないことをしました。パンとチーズとかカフェ・オ・レとか、具合が悪いときには本当はそんなバタくさいものを欲していたのではないか、と、今になって思います。まあ、今更云々しても仕方がないことではあるけれど。

 順番に風邪を引くぐらいなら、二人一緒にかかって一緒に寝込む方がいいね、と私が言うと、そしたら、看病する人がいなくなっちゃいますわよ、と答えるマリ。なるほど、確かにそうである。我が夫婦が順番に風邪を引くのは、効率が悪いようでありながら、実は合理的だったのかもしれない。
 こんなどうでもいいことをあれこれ思う、病み上がり切れぬ老人の妄想床、幽かに涙に濡れる。

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2004年11月22日

icon風邪3

 合成ペニシリン製剤や解熱鎮痛消炎剤といった薬がどういうものか、実のところ、ピンとはこない。尤も、医学の知識などあるわけではないのでわからないのは当然だ。それに、そもそも、風邪の根本原因は解明されていないのであるからして、その対処法にしたところで、経験に基づくものでしかあるまい。わけのわからないものをありがたがって服用させていただいているわけである。考えてみれば、原始信仰的な方法論である。シャーマンに祈ってもらうのと、本質としては何ら変わらない……と、ここまで言っては言い過ぎだろうか。ごめんよ、若先生。
 孰れにせよ、私の躰の中で一体何が起こっているのか、わからないまま、風邪が始まり、終わろうとしているようである。

 今まで味わったことのない高熱が治まってくると、眩い幻想も鳴りを潜めてしまった。残念なような気がしなくもない。だが、七十年間に味わったことのない不思議な経験ではあるにせよ、是非、引き続き味わいたいと思うほどの、中毒的な魅力を持っているものでもない。
 幻想そのものが引っ込んでしまうのはかまわない。気になるのは、あの幻想はどこからやってきたものなのだろうか、ということである。どこからと言ったって、ちょいと失礼しますよ、と他所から入ってくる筈もないわけで、畢竟、あれも私の中のどこからか現出したものなのであろう。そう思うと、あのような極彩色で超高速な……何という見苦しい形容だろう……空間を想像する力が私の中にあるのだ、ということになる。まだまだ、私の脳の中には未知の部分、七十年以上使ってきても未使用の謎の領域が残っているのだな。

 私の中に未知の領域があり、そこには私の知らない何かがまだまだ隠されていると考えると、何となくにやにやが止まらない。乏しい可能性を消費し尽くして、立ち枯れるのを待っている老体なのではなく、まだまだ清らな可能性を秘めた、そんなじじいなのであるぞ、私は、とね。

 何を言っておるのだ、この耄碌じじいが……そんな声が聞こえて参ります。

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2004年11月21日

icon風邪2

 今回の風邪の猛威はまことに甚だしかった。平常は三十六度に満たない体温の私だが、若先生によれば三十九度を超える熱が出ているそうで、強い薬を出しますけれど、まだ数日は相当厳しいでしょうね。もし、あまりに苦しかったら、点滴を処置しましょう。その時には、こちらから伺いますよ、と暖かい言葉をいただいた。

 その高熱のおかげで、ここ数日、私は多くの幻想を眺める幸運(?)に恵まれている。尤も、熱に浮かされて観る幻想は、幸福な楽園を描くようなものではなかったけれど、常を逸脱した強烈な色彩と有り得べからざる空間感覚を齎した。未だ嘗て味わったことのない世界である。眠っている間に見る夢とどう違うのかと問われたとしてもきちんと説明できはしないのだが、敢えて言うのなら、夢は見るものであり、この度の幻想は見せられたもののように感じられた、ということだろうか。

 紫や緑、だいだい色の原色の塊のようなものがびゅんびゅん飛び交うのである。それは、さながら12色入りクレヨンのジャングルとでも言うべきか。兎にも角にも、くっきりとした色の塊が、スライムのように変形しながらびゅうんびゅううんと頭上を飛び交い、時には、我が肉体を突き抜けるのである。勿論、その際に、痛みも痒みも快感も、何も感じるものではない。ただただ、とてつもない勢いで色の塊が私に向かって飛んできて、突き抜けて、飛び去るのを見るばかり。いや、見るのではない。感じるのである。いや、感じるのではない。ううむ、何だろう。何と説明すれば良いのか。

 音はない。自分の中に本来あるべきはずの鼓動や呼吸の音もない。味もない。匂いもない。何の気配もない。一体、私はどこへやってきてしまったのだろう。

 気がつくと、溢れかえる光の洪水の最中、呆然と立ち尽くす私であった。

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2004年11月20日

icon風邪

 風邪を引いた。激しい悪寒と立ち暗みから判断して重篤な状態であると感じ、直ちに主治医(近所の町医者であるけれど)にお世話になる。待合室で待っていること自体が非常に困難である。懸命に書物に集中しているつもりでも、老体は少しずつ傾げていき、気がつくと、壁にべたりと凭れかかって喘いでいるというような有り様。些かでも心紛れるようにと、大名人の『普賢』を手にしてそれこそ必死の思いで読んでいるのであるのに、内容など何も頭に入らない。しかし、何もしないでいると、ますます息は苦しく、ますます関節は痛く、ますますくらくらくらくらするのでしょうがなく、頁に向かう……壁にへばりついている自分に気づき、体勢を立て直し、本に向かう……という繰り返し。
 若先生(長年親しんだ先生は亡くなられて、今、お付き合いしているのは御子息である。もっとも、御子息も、もはや“若”先生と呼ぶにはあまりに薹が立っている)の見立てによれば、どうということのない、風邪だそうである。ただ、今年の風邪は症状が厳しいので強い薬を出しておきます。強い薬ですから用法を間違わずに服用して下さい、とのことであった。
 帰路、コンビニエンス・ストアに立ち寄り、高菜のおむすびと豆腐と長ねぎを購入する。コンビニエンス・ストアで一人分の食品を購入するという作業が、毎度のことながら、非常に淋しい気持ちにさせる。日常、独り身の侘しさを意識することなど、そうそうありはしないのだが、がちがちがちがちちーぃんとレジが打たれ、×××円です、と告げられるまでの、ぼーっとレジの前で待たされているわずかな時間は何とも孤独な気持ちになる。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。そうさ、私には食を伴にする何者もおらんのだ。貴女のお見通しの通りでござい。
 マリが亡くなって、もう五年になります。

 おむすびを食べ、合成ペニシリン製剤、解熱鎮痛消炎剤、ビタミン顆粒、健胃錠を、指示された通りに服用して、横になる。すぐに睡魔が襲う。目が覚めると既に七時、豆腐を食し、薬を飲んで横になる。強い薬をいただいたはずなのだが、今度は、すぐには眠れない。腰も痛い。頻々と向きを変えてみるが、腰の痛みを緩和できる位置がみつからない。

 たかが風邪である。たかが風邪ではあるけれど、病身で独り床についていると、細雨が土に染み入るように、そこはかとない淋しさが私の心の隅々に入り込んでくる。拭い去り難い。

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